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いわゆる自給自足に憧れて、この春から田舎暮らしを始めた。
地元の不動産屋に紹介してもらった農地付き物件は、年季の入った廃屋っぷり。
だが、そのリフォーム作業も含めて充実した毎日だった。

その部屋だけは、何故か他より保存状態が良かった。床も壁もしっかりしていて、雨も隙間風も虫も入り込まない。
だから、その部屋を寝泊りするための場所に使っていた。
気が付いたのは暮らし始めて二週間ぐらいしてから。前兆はもっと前からあったのだろうけど。

人魂、と言うのか。
目の前数センチのところで、ゆらゆらと光の玉が泳いでいる。
寝起きのぼんやりした頭で、それを眺める俺。
暫くそのままだったが、目覚まし代わりの携帯電話が鳴り出した途端、光の玉は驚いたように明滅してから消えた。




この屋敷は、どうやら先住者憑きらしい。
色々世話になっている一番近い隣人に何とか聞きだした結果だ。
どうも近所の人から敬遠と言うか奇異の目というか、新入りと言うのとはまたちょっと違う感じで見られているとは思っていたのだが。

過去に住人が首をくくっただの、おかしくなってしまっただの、話す人によって内容は違う。
何処まで本当なのかはよくわからないが、十数年前に越してきた家族が一月も経たず出て行ったのだけは確からしい。
誰もいなくなったこの家の中で彷徨う人魂を見た人もいる。

秘密が暴露されたと知るや、気兼ねなく噂話を聞かせてくれた近所の人は皆『取り殺される前に』と口を揃えるが、そういうのはもっと早くに。。。
財産の殆どをここの購入資金に充てた俺は、後には引けないという殆ど意地で、ここで暮らし続ける事を選択した。
庭にテントを張り、そこを拠点にして屋敷のリフォームと畑作業に精を出す日々。
何か微妙に間違っている。
季節はそろそろ夏になろうとしていた。




子供の頃、何とかって怪談を図書館で読んだ。
気の強い男を脅かそうと日替わりでお化けが現れるという話。
今まさにそんな状況だ。

あれから毎日、家の中限定、特にあの部屋を中心に、何かしら怪異は起こっていた。
お経や枯れ木を叩くような音が一晩中続いたり、火の玉が飛び回ったり、誰かが歩き回ったり。
障子や天井一杯の顔が出た事もあるし、屋敷が火事になった幻を見せられた事もある。
客観的に見ていられるのは、慣れ、なんだろう。
建物から一歩出れば、それらが外まで憑いてくる事もなかったし、
殆どが幻で構成されている、要は命に関わるような大事が起きていないという事もある。
むしろ日中の労働後にテント泊という生活の方が体に堪えていた。


ある時、雨がテントを叩く音で目を覚ました。
結構激しい。
畑の様子や修繕道具を確認する必要があるだろう。
起き上がろうとしたが、体中が酷くだるくて、結局断念した。
頭も体も激しく痛む。
転がったままぼんやりしていたが、視界がふぅっと暗転するのを感じた。

次に目を開けた時も、テントを叩く激しい雨は続いていた。
それ程時間は経っていないようだ。
いい加減起き上がらないといけないのだが、いかんせん体は石のように重いまま。
再び意識を失いかけた時、ふわっと湿った風が入り込むのを感じた。

三度目の覚醒は、今までと違う音のせいだった。
てん、とん、てん、ててん。
断続的に床を叩く音。雨漏りだ。慌てて起き上がった。
そしてあたりを見回して、そこがテントの中ではない事に漸く気付いた。
「…あれ?」
何時の間にか、リフォーム真っ最中の屋敷の、例の部屋へと移動していた。
だるさはまだ残っていたがとにかく畑の様子を見ようと歩き出し、ふと口元に手をやって驚いた。
髭が、随分伸びていた。

翌朝「最近姿を見ないから」と心配した隣人が様子見に来た。
どうも体調を崩してそのまま四日程昏倒していたようだ。

どうしようか迷ったが、その日から再び屋敷の中で寝泊りする事にした。




盛夏を迎え、猛暑が続く。
俺はというと、畑仕事と屋敷のリフォームと言う相変わらずの生活を送っていた。
病気で倒れた日以来何故か、見えない同居人の仕業と思われる怪現象のうち、睡眠に響く騒音は随分と落ち着いた。
その代わり。

精気を付けろと隣人から頂いた鰻丼を、空にされた。
隣人から頂いた晩飯のてんぷらを盗られた。
頂いた焼肉(略
若いからと肉系を中心におかずをしょっちゅう頂いているのだが、ことごとく奪われていた。
この夏の俺の体は野菜で出来ているといっても過言ではない。
まぁ、同居を認めてもらえる代償と思えば、悔しいけれど安いものだろう、多分。
…悔しいけど。


おかずを奪われるようになって一月ほどした頃。
物音にふと目を覚ました。
周りは真っ暗になっている。
土間の修繕作業中だったのだが、ちょっと一休みと寝転がっているうちに寝入ってしまったらしい。
携帯の明かり片手に、外に置いたランタンを探そうと土間から出ると、縁側の片隅に白いものが見えた。
隣人が夕飯のおすそ分けに来てくれたらしい。布巾の掛けられたお盆が置かれていた。
動物性たんぱく質のおかずは諦めながら布巾をめくる。
案の定、三つ並べられた皿のうち一つは完全に空になっていた。
好みじゃない葉物は相変わらず手付かず。
残る一つの皿を見て、おや、と思った。
卯巻き卵が一切れと、『満腹ダカラ、偶ニハ分ケテヤル』と書かれた緑の葉っぱが一枚。
「はは、ありがと」
苦笑しつつも珍しい事もあるものだと思い、声に出して礼を言った。
縁側の障子の向こうで微かに気配がした。

それ以来、肉類もほんの一口分だけ残してくれる事がある。




気が付くと日没が早くなり、朝晩が涼しくなってきた頃。
「ほら、住むならやっぱり一度ちゃんと御祓いとかしてもらわないと」
「はぁ」
隣人が、伝手を頼って紹介してもらったという霊能者を連れてきた。
五十過ぎの胡散臭そうな男性だ。
正直な所、最近はそこまでする必要も感じていなかったのだが、近所に住んでいる人たちも不安なんだろうと思い、形だけ見てもらうことにした。

まずは一通り屋内を見、その後紹介してくれた隣人の家で対応を話し合うことになった。
部屋から部屋へ見て回る男は、見た目通りかなり胡散臭い。
時折妙な方向に視線を飛ばしてみたり、立ち止まったり。
で、俺が寝泊りしている例の部屋では全くの無反応。
そんなこんなで一時間ほど見て回った。
その間怪しげな事は全く起きなかった。


「いや、確かにあそこには悪霊が棲み付いておりますな」
隣人の家に戻るや否や、待ち構えていた近所の人たちに対し早速深刻そうに口を開く男。
「霊道の上に後から家を建てたのでしょう。そのために色々と障害が起きている。このままでは命に関わります」
ざわめきたつ近所の人たち。
「そうなんですか?どうすれば!?」
「対応は早ければ早いほど良い。明日、早速御払いを行いましょう」
「わ、わかりました。あんたもそれでいいね?」
「あ、はい」
当人そっちのけの感があるのだが、それで皆の気が済むならいいか。
そう軽く考えていた。

「明日、御払いするんだってさ」
その夜はそのまま隣人宅に泊めて貰う事になったのだが、同居人には一応報告しておかねばなるまいと思い、忘れ物を取りに帰るフリをして家に戻った。
「あれでも何か効き目があったら大変だから、どっかに隠れているといいよ」
特に反応は無かったから、納得したんだろうと勝手に思い込んでいた。




二人の助手と共に着々と準備を進める男。
場所は一番足場の良い、例の寝泊りしている部屋。集中の邪魔になるという理由で近所の人達は締め出され、紹介者の隣人だけが立ち会っていた。
滞りなく作業は進み、やがて除霊が始まった。
一応取り憑かれているということになっている俺を囲い、呪文を唱える男達。
最初は何も起きなかった。
だが、突然、祭壇に灯されていたろうそくが勢いよく燃え上がり中空で一塊になると、そのまま助手の一人に飛び移った。
悲鳴を上げながら燃え移った炎を叩き消す助手。
俺も助けようと立ち上がろうとしたのだが、急に悪寒が走り、同時に体が動かなくなった。
自分の体なのに、自分のものではないような。熱で浮かされた時のあのだるさに似た感覚。
同時に、後ろから生臭い臭いと嫌な含み笑いが聞こえた。
そのまま倒れ込んだ。

男の呪文が続いている。俺に近づき、頭の横に膝を着いて、怒鳴りつけるように呪文を唱えている。
それと呼応するように、だるさと不快感が体中を支配する。
指の先すら動かせないまま、視線だけで男を見上げた。
そうしているとふと、床の下から、かり、かり、と何かが引っかく音がしているのに気が付いた。
『アイツ』がいらいらしながら爪で引っかいている。
そう思った次の瞬間。
下から突き上げてきた衝撃に、天井まで吹き飛ばされた。


黒い毛皮の生き物だった。
犬のようにも見えた。でもあの尻尾は狐のものだ。
俺の体は床に倒れたまま、黒いもやのような大蛇に巻きつかれていた。
黒狐はその蛇に襲い掛かると頭を噛み砕き、俺の体から引き剥がし、呪文を唱える男の方へ放り投げた。
よく見ると男の体にも、大小無数の蛇が絡み付いている。それらの蛇がいっせいに鎌首をもたげ、狐に向かって鋭い威嚇音を発しながら牙を剥いた。
『アイツ』は意に介した様子もなく、口から真っ赤な炎を吐き、男ともども蛇へ浴びせかけた。

白昼夢、だったのだろうか。
気が付くと、俺の視線は倒れたときのまま床に近い所にあった。
あのだるさは無い。急いで起き上がる。
自称霊能者の男は、どこか呆けたような顔をしていた。
立ち会っていた隣人に恐る恐る状況を問われると、慌てて体裁を取り繕い「無事に祓えたようだ」などとのたまっていた。




『アイツ』は当分の間荒れていた。
近所の人たちには当然内緒にしていたが。
昼夜構わず家中を走り回ったかと思うと、柱や梁を片っ端から揺さぶってみたり。
紙の類を手当たり次第破ったり、木屑や枯葉を家中にばらまいたり。
俺はあの霊能者を勝手に家に入れてしまったことを毎日謝った。
『アイツ』にとってこの家は『アイツ』の棲家で、俺は間借り人なのだから。
『アイツ』はなかなか許してはくれなかった。

秋祭りの日。
祭りを手伝ったお礼にご近所の皆さんから一人では食べきれないほどの稲荷寿司を貰った。
「一緒に食べてくれる人がいないと困るなぁ」
がたがたと揺れる暗い家に戻り、呟く。
稲荷寿司はそのまま台所に置き、俺は庭に再び設置した寝床――テントにもぐりこんだ。

『――二度と、勝手な真似をするでないぞ?』
夢うつつに、声が聞こえた。大人びた口調の、でも確かに子供の声だ。
『この地に住む以上、おまえは我の使用人なのだからな』
怒っているが、不安げに、寂しげに響く。
思わず頬を緩めつつ、頷いてみせると、声音は一転して明るくなった。
『わかればよい。今回は、供え物に免じて許してやる』
目を覚ます直前、僅かに頭をかしげて艶やかな黒髪を肩に流す、愛らしい笑顔が、見えた気がした。

稲荷寿司の三分の一を一人で食べたらしい。
残りは油揚げ無しの状態で、台所に残されていた。




点検で床下を探っていると、例の部屋の下で、拳大の狐らしき素焼きの人形が出てきた。
どうしようか迷ったが、暗い所に戻すのもなんだし、ふかふかの座布団を買って来て上に人形を据え、家の中で一番良い場所に置いた。
相変わらずおかずを奪われるが、それ以外には特におかしなこともないから、問題は無いようだ。
最終更新:2011年03月06日 07:02