アットウィキロゴ

秋も大分深まったある日。
午後の授業をサボって校舎裏の日当たり良のお気に入りの場所で昼寝しようとしていた俺の視界を、何かがちらりと掠めた。
見上げると、四階建て校舎の屋上に人影が一つ。
(真逆、な)
なんとなく嫌な予感がして、俺は人影から目を離さずに上体を起こす。
その予感は当たってしまった。
ふわり、と表現出来そうな身軽さで、人影は屋上の縁から宙へ身を躍らせた。
落下地点は丁度俺の転がっている場所。
一瞬の事に俺は逃げる暇も無かった。

風をはらんで捲れたスカートが空を遮る。
「ストライプ」
思わず呟く俺の顔面に、上からまっすぐ落ちてきたスニーカー履きの足の裏が直撃。
尤も痛みも重量も無いまま俺の体を突き抜けていったが。
白く華奢な手がすさまじい勢いでスカートの裾を押さえたおかげで俺の視界は開け、
同時に鬼の形相でこちらを睨む少女と目が合った。



聞いた事はある。
昔、屋上から飛び降りた生徒がいると。
慰霊碑らしき石碑もある。
そこの陰は丁度周囲から死角になるので俺はよく昼寝場所にしていた。
昨日も、そして今日も。

『…またスカート覗きに来たわけ』
「アレは下を碌に確かめずに落ちてきたお前が悪いんだろが」
今日は遮光用の週刊誌を顔に乗せていたので、そいつが何時現れたのかは判らなかった。
寝転がったまま雑誌を持ち上げてみると、人の頭の直ぐ間近――スカートの縁は押さえている――に立ち、
こっちを覗き込んでいる少女が見えた。
「今日も紐無しバンジーしたのか?」
『勘違いしないで。私はね、死を超越した今、あそこから飛び降りて上手に着地する方法を極めているのよ』
「そっちの方が意味不明だろうが」
『ふんっ。あんたには絶対解らないでしょうね』
何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべるそいつは放っといて、昼寝を続行する事にした。
五月蝿いとは思うが、でもまあ、多分俺は明日もここで昼寝するんだろう。



お互いに何を話すわけじゃない。
アイツの事を知りたいとも、俺の事を教えたいとも思わない。
基本は昼休み、時々追い込みかかった高校受験用の退屈な授業を抜け出して、あの場所で昼寝する。
偶にアイツが屋上から飛び降りる所を運悪く目撃して、パンツを見たと罵られる。
そんなくだらない生活。

変化があったのは、11月に入った頃か。
日々寒くなる一方だが俺はいつもの場所に腰をすえていた。
『…用意がいいわね』
「当たり前だ」
銀マットとブランケットを広げている俺に、アイツは呆れた表情を見せた。
だが急に、その表情が険しくなった。キッと顔を天に向ける。
俺も釣られて上を見た。
人影が、屋上に消えるのが見えた。
その日から、アイツは俺の前に現れなくなった。



屋上通用口は、鍵が掛けられたままになっている。
目的は事故防止。
でも。
鍵は壊れている。
内側からなら、特定の方向に力を入れて少ししつこくガチャガチャやってれば、開く。
知っている奴は少ないが。

噂は聞いている。
学校の怪談って奴か。
曰く、昔生徒が屋上から飛び降り自殺した。
その後同じ場所で立て続けに自殺者が出た。
最初に死んだ生徒が仲間を欲しており、屋上で待ち構えている。
だから今は鍵が掛けれらているのだ――と。
実際屋上に行く生徒はいない。
行くのは俺みたいなバカか、あるいは。



数日後。夕焼けで辺りは真っ赤に染まっている。
昼過ぎから屋上で待機していた俺は、気配を感じて後ろを振り返る。
ガチャガチャと音を立てた後、扉はゆっくりと開いた。
薄暗い校舎内から静かな赤い世界へと踏み込んで来たのは女生徒だ。
確か隣のクラスの西。
学年トップクラスの成績を誇るが地味というか少し暗い印象で、あまりお近づきにはなりたくないタイプ。
「おい」
無表情のそいつは俺の声に全く反応を見せない。
まるでゲームの中のゾンビのように、かくかくとした奇妙な動きで、ゆっくりと前へ足を運ぶ。
「おい、待てよ」
「……」
西はぶつぶつと口の中で何か言っているようだが、はっきりとは聞き取れない。
ただゆっくりと、まっすぐに、屋上の端へ進む。
「西!」
腕を掴んで止めようとした。だが意外な程に強い力で振り払われた。
あと少しで、端に到達する。いや、到達した。
「…いい加減に、しろっ!!」
むかついた俺は、横に回り込み全身全力で西に体当たり。勢い余って俺達は床へ転がった。
『邪魔しないで』
背筋が凍るような声に、顔を上げる。
見覚えのある背中が、つい今まで西がいた場所に代わりに立っていた。
「いや、いや、いや…」
転がったまま西がかすれた声で呟いている。
『後少しだったのに』
屋上の縁に立つその人影は、何のためらいも無く、飛び降りた。
西が、絶叫した。
悲鳴を聞きつけた教師達によって俺達は保護――というか俺は殆ど拘束――された。



西の飛び降り騒動から数日後。
直後から言い渡されていた自宅謹慎を漸く解除され、俺は久しぶりに登校した。
屋上は鍵が付け替えられ、完全に進入禁止になっている。
俺や西についても色々噂が飛び交っているようだが、別にどうと言う事は無い。
それよりも。
「お前さ、もう少しやり方考えろよな」
昼休み、石碑に体をもたれ掛けさせてぼやく俺。
「屋上から無理やり落とすフリして驚かそうとしたんだろうが、アレじゃ悪霊だ」
『いいじゃない、悪霊で』
石碑の向こう側から、冷たく凍った声が返ってきた。
『機会があれば、あんただって殺してあげるわ』
「俺は死なないよ。少なくともお前には殺されない」
『何でそう言い切れるの?』
「お前は悪霊じゃないから」
強い口調で返すと、奴は押し黙ってしまった。
「あと、俺はひ孫の顔を見てから大往生する予定だから。俺人生設計ではそうなっている」
『バーカ』
呆れた様な、笑った様な声を残して、あいつはいつものように消えた。

後日、本人から聞いたのだが、どうやら西は受験ノイローゼだったらしい。
最初に偶然屋上に出た日も、自殺を考えていたものの下を覗くとそこに偶然俺が居て、我に返って慌てて逃げたんだとか。
だがその後も自殺衝動は残っていたらしい。
あの日も『死にたい』と考えていたら、突然頭の中に『屋上のあの場所から飛び降りて死のう』という囁き声が響き、
その後はまるで操られたように屋上へ向かったんだと。
「幽霊って本当に居るんだね」
親や教師と話し合い、志望高校を変更した西は、あっけらかんとした表情で笑って言った。
暗い印象は払拭されている。どうやら本来のコイツは、かしましいに分類される人種らしい。
最近は何故か俺によく構ってくる。



『何してるの?』
「いいだろ別に」
いつもの場所で昼寝をする俺。呆れた顔で姿を現す奴。
いつものだらだらした時間。
『この糞寒い時期にここで昼寝なんて、本物のバカよね』
「俺の勝手だ」
一応使い捨てカイロや毛布で防寒対策しているが、寒いものは寒い。
12月24日。世間ではクリスマスイブ。でも俺には関係ない。
『あんたさ、あの子…確か、西?に告られた?』
「何で知ってんだよ」
『昨日あの子がここに来て、あんたの事、絶対譲らないって啖呵切ってった』
「告られたけど、断った。そんな風に考えた事無かったし」
それに。続けたい言葉は飲み込んだ。
ほんの僅かだけ空いた時間。
それをコイツはどう捉えたのだろうか。
『西ちゃんは絶対デートだって意気込んでたけど、こんな時期に何故か制服着て毎日学校来てるあんた。真逆補習?』
「五月蝿い!」
奴のバカにした笑いを聞きながら、頭から毛布を被った。



卒業式は既に終わり、皆思い思いに過ごしている。
西も俺と何処かへ行こうと言ってきたのだがのらくらと断り、俺はいつもの場所に、いつものように寝転がっていた。

『…何、それ?』
「一般的にセクハラアイテムという」
広げて見せたそれは、ストライプの女性物下着。因みに奴のと同じ柄。
『取り憑いて、それ穿いて、屋上から落としてあげようか』
「是非遠慮させていただこう」
冗談のわからん奴だ。俺は下着をポケットに仕舞う。
『全く、卒業式だって言うのにもうちょっとセンチメンタルになりなさいよね』
奴は口を尖らせて石碑の上に腰掛けた。
「別に、絶対会えなくなる訳じゃないし」
「え」
俺の言葉にきょとんとした顔で振り返る。
「俺人生設計に、お前に関した項目を取り入れてるしな。坊さんとか霊能者になってお前をガッツリ成仏させてやるコース、教師になり帰ってきた俺の素晴らしい指導によってお前が悪霊チックにならなくてもいいコース、それから」
『…とうとうバカは治らなかったか』
「五月蝿い」
深々と溜息をつかれ、ちょっと悔しい俺。最後のコースはちょっと変更。
「それからだな、大往生で死んだ俺がお前を連れて強制成仏コース」
『…出来るつもり?』
ふふんと鼻で笑う奴に、「当然」と俺も無駄に胸を張って返す。
「…取り敢えず明日も学校来るから。最後の入試結果、まだなんで」
『…そう。人生語るより前に卒業式って感じじゃないのねあんたは』
奴の優しい視線から微妙に目を逸らす俺。
見返してやる、そう決意しつつ。




初めて屋上に上がったのは、一年生の初夏の頃。
人付き合いが苦手な俺は、当時休憩時間のたびに逃げ場所を探して校内を彷徨っていた。

ある時屋上に出る扉をいじっていたら偶々開いた。というか、壊したというか。
屋上に出ると、なんとなく近寄りたくない一角がある。
そこから下を覗くと、ぽつんと石碑が佇んでいるのが見えた。
下に降りて確かめる。
そこはいつも喧騒から取り残されているようだった。

屋上の幽霊の噂はそれから少しして聞いた。
幽霊に会いたくて――多分殺されたくて、毎日石碑の側で時間を過ごすようになった。
そして三年目。
呆れる程のんびりした秋の午後の日差しに、死にたいという気持ちがかすんで消えた。
その時初めて、念願の幽霊は現れた。
最終更新:2011年03月06日 08:08