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仏師の修行中に各地を転々としていた頃、とある山里に逗留していた時。
春の日差しを受けて柔らかく色付き始めた山並みを眺めていると、一本の古木に目が留まった。
どうやら桜らしい。遠目でもわかる太い幹は良い材になるかもしれない。
そう考え近くの老人に尋ねてみた。
老人は渋面で答えた。
 あの木は人を喰う。
 疾の昔に立ち枯れておるが偶に四季を問わずに花を咲す。その時は必ず根元に骸が転がっておる。
 昔あそこで殺された女の怨念が取り憑いており、近づいた者は皆殺される。
 近づかん方がええ。
何度も何度も念を押され、仕方なく頷いた。



像を作る為の材を求めて山の中を歩き回っていたが迷ってしまったらしい。
日は落ち周囲はすっかり闇に覆われた。
幸い野営には慣れている。そそくさと準備をしていると、闇の向こうに白い人影が見えた。
助かった、そう思い急ぎ人影の元へ歩み寄ったのだが。
山奥に似つかわしくない優美な女性。手入れの行き届いた艶やかな黒髪、白い肌、上質の衣は少なくとも平民では無い事を示していた。
そして彼女の後ろで静かに佇む、見覚えのある枝振りの古木。
老人の言葉を思い出し、全身にじわりと汗が浮くのを感じた。

 何者か。ここで何をしておるのか。
問いかける声は怨霊が発しているにしては余りにも涼やかで、一瞬状況を忘れて惚けてしまった。
重ねて問われ、慌てて身上と迷っている事を正直に告げる。
 里の者ではないのだな。
言葉と共に漏らした溜息は、やや安堵を帯びているように感じた。
 今宵はその岩陰で休むが良い。獣が寄らぬように見ておいてやろう。
老人の話とは異なる展開だがむしろその方がありがたい。
丁寧に謝意を表すると、女性は表情を消した。
 二度目は無い。里の者ではなくともな。

目を覚ました時には女性の姿は消えていた。
彼女の事は話さない方がいいだろう。そう判断して帰路についた。



何体か像を作っている間に季節は一巡りしていた。
里の人たちともそれなりに親しくなった。
だが、桜の話は禁忌なのだろう、最初に老人に聞いた以上のものは聞けなかった。

非定期に里へ訪れる行商人と話す機会があった。
里の外だからこそ伝わっている昔話を知った。
曰く、戦乱の時代、国境だったこの辺りまで落ち延びた敵国の姫君が、領主の報復を恐れた地の者によって殺された。
あくまで昔話だと行商人は声を潜めた。

何体作っても得心の行く像とはならない。
だからこその修行中の身だが、この一年は特に酷い。
尤も心当たりはある。

望月に煌々と照らされた春の景色。その中にポツリと穿たれた黒い染み。
眺めていても仕方ない。
溜息を一つ吐き、足を踏み出した。



一年振りの再会だ。
 ここで何をしておるのか。
あの時と同じ問いかけだが、あの時とは状況はかなり異なる。
赤い燐光を放ち、古木の上からゆっくりと漂い降りてくる彼女。顔こそ無表情だが瞳は怒気に染まり、こちらを見下ろしている。
美しいがこそ逆に畏怖を抱かせるその姿は怨霊と呼ぶに相応しい。だが。
 何しに参った。
その声は相変わらず凛と響く。
 話をしたい。
 話す事は何も無い。
みしり。古木が音を立てて揺れた。太い枝が、細い枝が、腕のように、髪のようにしなりうねっている。
 妾はそなたを殺す。そう定められておる故。
逃れる隙は与えられなかった。
全身にすさまじい衝撃を感じた。



巨人の手に似た太い枝に締め付けられ宙吊りになった身体のそこかしこで、時々鈍い音が響く。
 何人殺した。
胸も喉も締め付けられ声どころか息すら出ないが、それでも必死に口を動かし彼女に問いかけた。
 覚えておらぬ。
無表情のまま答える彼女。
 何人殺す。
 殺す理由がある限り何人でも。
彼女の声は微かに震えている。
 理由など無いだろう。
朦朧とし始めた意識を必死に繋ぎ、言葉を重ねる。
一瞬締め付けが止んだ。
 殺したくなどないんだろう。
彼女は黙ったままだ。
続けて語りかけようと口を開いたが、それを察したのか枝がぐうっと振り上げられ、そのまま身体が勢いよく放り投げられたのを感じ。
そこでとうとう意識を失った。



殺されかけてから数ヶ月が経過した。頑健だけが取柄の身体は歩き回れる程に回復していた。
尤も偶々山菜取りに来ていた里の者に見つけられなければ確実に死んでいただろう。
里の人々には散々咎められたものの、既に腹は決めている。
彼女を救いたい。
だから、彼女の元へ再度向かった。

前回同様投げ飛ばされ近くの木の幹で右半身をしたたかに打ち付けたものの、幸い骨は折れていないようだ。
案外頑丈だな、などと妙な感想を抱きつつも目を開けた。痛みをこらえつつ立ち上がる。
奇妙なものを見るように眉を顰める彼女。自分でもかなり奇異だと自覚している。

 妾はそなたを殺さねばならぬ。
彼女の瞳が揺れるのにあわせて太い枝が揺れている。
 妾は人を喰わねばならぬ。
 妾は人を喰わねば花をつけられぬ。
   そのように定められておるが故。
苦しそうに、悲しそうに、憎憎しげに、息と共に吐き出された言葉。
だからこそ確信した。
まだ、彼女を救える。

結局その日も鞭の様にしなる枝に打ち据えられ目的は果たせなかった。




禁忌の地へ何度も向かいその度に生きて戻る。
里の人から見れば迷惑極まりない話だろう。実際四度目の帰還時に里を追い出されてしまった。
尤もこちらが里の近く、正確には彼女の近くから離れるつもりがないのは理解しているらしい。
新たな塒の岩穴へ遠目に様子を伺いに来ているようだ。食料が置いてある事もある。
野垂れ死にされては困るというのもあるだろうが、それ以上に彼らも不思議なのだろう。

その日も雪をかいていつものように彼女の元へ向かった。
彼女は黙って立っている。最近はずっと黙ったままだ。
その背に負う桜はいつもと変わらず枝をうねらせ襲い掛かってきた。
初撃で地に叩きつけられる。
碌に食べていない痩せた身体は、その一撃だけで起き上がれない位重く感じた。
それでも必死に身を起こすと、再度枝に背を打たれ、彼女の足元に転がった。

 何故果てぬ。
朦朧とした意識の中、呟きが耳に届いた。
 何故恐れぬ。
目が合った。怒りは感じられず、戸惑いに揺れている。
彼女を安心させたくて、にっこりと笑ってみせた。
彼女の後ろから太い枝が幾本もまとめて雪崩るように襲い掛かってきたのが見えた。

 何故殺せぬ。
微かな声は本当に不思議そうだった。



枯れた枝の向こうに丸い月が昇っている。
どれほど意識を失っていたのかわからないが、まだ生きてはいるようだ。
身体は動かない。あちこちを枝に貫かれ、雪の積もる大地に磔にされていた。
あれほど激しくうねっていた枝は、今は全く動かない。
枝から血を吸い上げているのだろうか。身体に近い所では赤く染まった花を咲かせ始めている。
彼女の姿が枝と月の間に見えた。

 桜は春に咲くものだ。
 地脈から、陽光から、雨から養分を取り込んで、四季にあわせて枝葉を伸ばし生きるものだ。
 それが自然の理だ。
話しかけてみたものの、彼女が聞いているかはわからない。かすれた声が届いているのかもわからない。
逆光で彼女の表情はうかがい知れない。
暫く間をおいてから、囁くような声で返事があった。
 そのような理は知らぬ。
 妾に科せられたのは、人を殺し、喰い、取り込んで花を咲かせる事。
 妾が影を写し取った女が、女を殺した者達が、そうせよと妾に科した。
その声は震えている。怒りだろうか、悲しみだろうか。
 ならば今から自然の理に戻ろう。
彼女の姿がゆらりと動いた。首を横に振っている。
 出来るさ。俺を殺せなかったのがその証だ。
笑顔を浮かべて言葉を重ねた。
花びらが一片、涙のように舞い落ちてきた。



実際の所、出来ることは何もない。
今迄木を倒し削って生きていた身、木を生かすには何をすればいいのかなど全く知らない。
兎に角毎日休むことなく彼女の元へ通い、古木の脇の岩に腰掛けていた。
彼女は彼女で木の根元に座したまま身じろぎしない。
古木は葉も花もつけることなく枯れたままの姿。
そうして季節だけが巡っていく。

何年目だろうか。
その年の春、古木の根元のひこばえに薄紅色の花が一つ咲いた。
それを確かめ、彼女と二人で静かに微笑んだ。


10
夏に入る前に祟りを畏れる里の者を何とか説き伏せ、桜の古木を切り倒した。
掘り起こした根の下には人の骨が埋まっていた。これが怨念の源なのだろう。
今迄殺された者達と併せて改めて丁寧に供養する事になった。
それに関連して、桜の古木を使って仏像を作って欲しいと頼まれた。
桜に取り殺されなかった男の作る像ならば、怨念も心静かに眠れるだろうという理由だ。
何年か間隔があいていたので技術に不安はあったが、その場で引き受けた。

考えて造るな、元々内側にある姿を丁寧に削りだすのだと、仏師を志した時の師に言われた事を思い出しつつ無心で削った。
やがて古木の幹から現れたのは、何処と無く彼女に面差しが似た観音菩薩だった。


11
長い放浪生活の末、終の棲家に決めた古寺で還暦を迎えた。
 しかし何だ、無茶ばかりしていたが、案外長生きしたな。
昔話を終え、思わず苦笑交じりに呟くと、丁度半分だけ年下の寺の主に豪快に笑われた。
その坊主頭を細く白い手がぴしゃりと音を立てて叩く。
 全くもって失礼な坊主よの。
不満げに唇を尖らせてみせてはいるものの、彼女の涼やかな声もどこか笑いを含んでいるように感じた。
 さあお前様、昔話はそこまでにしてあちらへ参りましょう。
小さな子供がするように舌を出している若い住職の頭をもう一度はたいてから、彼女はこちらを満面の笑みで振り返った。

穏やかな春の日差しに満たされた庭には若い桜が植わっている。
昔、前住職に頼んで庭に挿し木してもらったあの頼りなげなひこばえが、すっかり人の背丈を越えていた。
その前に立ち、眺めていると、いつものように彼女がそっと胸に寄りかかってきた。
 この春もまた共に花を愛でられるな。
 お前様がそう望んでおられるのですもの。妾も力の限り咲きましょうぞ。
彼女の言葉通り、今年も枝一面についた蕾が膨らみ始めていた。
最終更新:2011年03月06日 08:27