1
昔の夢を見た。
幼い頃に親の都合で二週間だけ田舎の親戚の家に預けられた時の事。
そこで出会った同い年の女の子とささやかな約束を交わした。
何故そんな夢を見たかというと、その時出来た男友達から会おうと連絡があったから。
女の子との約束はずっと覚えていたけれどなかなか実現出来ずもやもやしていたから。
で、現在山の中を迷走中。夜の山道は歩くものじゃない。
約束の場所への道案内を買って出た旧友は「大丈夫」を繰り返すだけで今一信用ならない。
「迷ってないか?」と問うても「タバコは標準装備だし線香も持って来たから大丈夫」と訳のわからない返答するし。
そもそもお前まだ未成年では。
2
どの位彷徨っただろうか。
闇の中を蛙の声がこだましている。
木々の間をすぅっと光が抜けていく。
光を追いかけるとすぐに目的地にたどり着いた。
渓流を中心に、地上に降りた星のように乱舞する無数の光。
そして清流のほとりには、あの子が立っていた。
心得ているといわんばかりに黙って少し上流側へ離れる友達。
俺は女の子の元へ近寄っていった。
「何か用?」
つっけんどんな態度の彼女。視線は渓流の方を向いている。
「うん」
俺も彼女と並んで光の舞を眺めた。
沈黙が蛙の合唱で埋められる。
「約束、忘れた事は無かったよ」
ぽつりと口にする。
「ウソつき」
彼女の声は冷たい。
言い訳はしない。実際俺は、約束を守れなかったから。
記憶の中の彼女の姿は、背丈は今の俺の腰より少し高いくらい、色白で、柔らかに波打つ長い黒髪と、くっきりとした顔立ち。
誰の目から見ても愛らしいと思える少女は、大人になればとびきりの美人になった筈だ。
すっかり約束を忘れてしまった彼女に昔話だと笑われる事をずっと夢見ていた。
けれど。
今目の前に立つ彼女の姿は、昔と何一つ変わっていなかった。
3
『待っていたの、ずっと』
囁く声が耳に届いた。
顔をあげると、清流の対岸に影が見えた。
横に居た筈の彼女が何時の間にか移動したのか。
『寂しかった』
違う。彼女はまだ横に立ち、唇を結んだまま水面を眺めている。
何時の間にか蛙の合唱は止まっていた。木々のざわめきも、水のせせらぎも聞こえない。
『寂しい』『ずっと待ってた』『ウソつき』『裏切り者』
緑を帯びた蛍のものとは違う、赤く暗い仄かな光が何時の間にか混ざっていた。
それらが囁きながらまとわりついてくる。
『苦しい』『苦しい』『苦しい』『クルシイ』
光はぺたりと身体にくっつくと、ゲル状のものに変化した。
そうしてあっという間に全身が覆われていく。
『ヒトリハイヤ』
突然足元の感触がなくなった。
渓流に落ちた、訳ではないだろう。
流れは感じない。水面も底も見えないほど深く、岸の見えない広く暗い水の中。
ぷちぷちぷちぷち、音を立てて大小さまざまな大きさの泡が周りを取り囲む。
その一つ一つの泡の中に顔が見えた。
苦悶、哀惜、憤怒、後悔、そして絶望に染まった顔。
『クルシイクルシイクルシイクルシイクルシイ』
泡が俺の口から鼻から身体の内へ入ろうとしてくる。
必死にもがき、泳ぎ、手で振り払った。
けれど水を掻く水流によって若干離れるだけで、泡はまたすぐに迫ってくる。
こんな状況の中で、俺は無意識に泡の中に彼女を探していた。
泡を振り切れないでいた。
横の方からすぅっと光が流れて来るのが見えた。
蛍のようだが、こんな異質な水底でそんなものが飛ぶ筈はない。
思わず身を硬くして構えたが、光は俺をやり過ごし通り過ぎた。
そして、泡に触れ。
閃光と強い衝撃を伴って弾けた。
闇の向こうで無数の光が舞っている。
どんどんこちらへ近づいてくる。それを見た泡の中の顔が怯んだように感じた。
俺は殆どやけくそ気味に光の群れの方へ泳いでいった。
次々とすれ違う光。
そして後ろから水を伝わって続け様に襲ってくる衝撃。
巻き込まれないように必死に泳ぎ続けた。
ほんの少し水が苦く感じた。
次の瞬間には突然巻き起こったすさまじいうねりに飲み込まれた。
4
蛙の合唱と渓流のせせらぎが耳に届いた。
目を開けると、元の沢のほとりに立っていた。
何も無かったように。
いや、若干の違和感を残して。
独特の煙りの臭いが鼻を突く。
上流側でタバコを吸っている奴がいるようだ。
彼女もそちらを半眼で睨みつけている。
その指先に止まっていた小さな光が視線の先にすぅっと流れて行ったかと思うと、ぱちんと弾ける音と小さな悲鳴が聞こえてきた。
俺は漸く違和感の理由に気が付いた。
渓流中を乱舞していた光が全て消え失せていた。
「あーあ、嫌になっちゃう。何でこうなるのかしら」
彼女は背中を向けたままだった。
「頑張って集めたのよ、鬼火。
その、そう、全部貴方にぶつけるつもりだったんだから。
なのに人の復讐に勝手に乗っかろうとする邪魔な奴等が目障りだったからってそっちにぶつけてたら思ったより多くって」
だんだん尻すぼみに小さくなる声。
「取っておいた最後の一つもあの変な奴に使っちゃった…」
寂しそうにうなだれ、小さな両手はきゅっと拳を握っている。
そんな彼女を思わず抱きしめようとしたが、無情にも俺の両手は何の抵抗もなく彼女の身体をすり抜けていった。
戸惑っている間に彼女がこちらに向き直っていた。
無表情で押し黙ったまま俺を見上げていた。
右手をすっと持ち上げ、後ろにくっと引く。
そして俺の頬目掛けて打ち付けられた小さな掌は、矢張り俺の身体を突き抜けた。
「触れるわけ無いわ。私は幽霊なんだから」
今にも泣き出しそうに瞳が揺れていた。
彼女が亡くなったのは俺が居なくなって一ヵ月もしない頃だったらしい。
それから十数年。
彼女はずっと待っていてくれたのか。
「約束、覚えていたよ」
彼女と視線を合わせるために膝をつき、まっすぐ顔を覗き込む。
「…嘘」
「会いに来れなかったのは謝るよ。でも、約束はちゃんと覚えてた」
きゅっと唇をかむ彼女。
「誕生日、おめでとう」
こらえきれなくなったのだろう、涙が、白い頬を伝い落ちた。
5
途中ではぐれた友達が「チビブスツルペタ」だの毒吐きながら数時間遅れて現れる意味不明なハプニングもあったが。
小高い場所で朝を待つ。
やがて朝日に照らされ輝く、谷間をなみなみと満たす水。
彼女と出会ったあの渓流は、今はダムの底に沈んでしまっている。
『彼女の誕生日にあの渓流で一緒に蛍を見る』という約束は、二度と叶えられない筈だった。
あの幻のような不思議な時間を、俺は一生忘れないだろう。
それはそれでいいんだが。
「とっとと離れろツルペタ」
「五月蝿いわよロリコン。貴方は黙って私の乗り物に徹していればいいの」
夜になり、飯を一緒にと誘いに行った友達の肩に乗っかっている彼女が、しっかりはっきりばっちり見えた。
「会いたいってのは叶っただろうが!あ、真逆前に言ってたコイツとデートとかキスし」
「わー、わー、わー!!」
良くわからないが、どうも取り憑かれているのは友達らしい。
取り敢えず、コブ付きではあるが今後も彼女とちょくちょく会えるらしいという事は理解した。
最終更新:2011年03月06日 08:52