『終幕・ギンガムチェックの世界で』|安価『高校+ツンデレと親友のラブストーリー』より『終幕・ギンガムチェックの世界で』

力の限り自転車をこいだ。
吹き付ける風が体の感覚を奪い、いてつく寒さが痛みを伴う。
それでも全速力でこぎ続けた。
手遅れになる前に。
全てが、終わる前に、やらなくてはいけないことがある。

その時目の前を白いものが横切った。
一つ、また一つとそれは増えていく。
雪だ。
まるで俺の進路を阻むように、それは数を増していく。

風が吹き出し、それはやがて吹雪になった。
向かい風を自転車で進んでいるので、まるで雪が前方から吹き付けているように見えた。

呼吸が辛い。
喉が痛い。
手足の感覚が消えた。
目が開かない。
耳が痛い。
頭がくらくらする。

だからどうした。

麻衣子の苦しみは、こんなものじゃない。



四十分ほど自転車をこいで、ようやく代乃木公園にたどり着いた。
入り口まで自転車を走らせたとき、降り積もった雪に車輪をとられ派手に転ぶ。
腕がうまく動かず、受け身を取ることが出来なかったので頭から地面に落ちた。
すぐさま立ち上がり、ふらついた足で走り出す。

「麻衣子! 麻衣子!」

ここに麻衣子がいる確証なんて何一つ無い。
それでも俺は麻衣子がここにいることを確信していた。



「……!」

麻衣子が、いた。
猿山の前で、一人うつろな目でそこに立っていた。
頭や肩の上にうすく雪がつもっている。
いつ凍死してもおかしくない寒空の下、いつからそこにいたのだろうか。

その麻衣子の口元がかすかに動き続けていた。
何か喋っている。

「麻衣子!」

俺は麻衣子に走り寄った。
麻衣子はよく見ると制服がぼろぼろだった。
ところどころ破れてたり、泥がついていたりする。

麻衣子は俺に気がつくと、ゆっくりと振り向き、笑った。

「マコっちゃん、おそいよー」
「……ごめん」
「見て見て! おさるさんがいーっぱい!」

指さしたのは、猿が一匹もいない、猿山だった。
猿たちは寒さをしのぐ為に、屋根付きの小屋の中に避難しているのだろう。
どこにも焦点があっていない麻衣子の目が、何も無い猿山を楽しそうに見つめている。

「見てマコっちゃん。あのお猿さん毛繕いしてる」
「……ああ」
「リンゴ食べてる! かわいい」
「……そうだな」
「あのお猿さんがここのボスなのかなあ?」
「……」
「むーマコっちゃん楽しんでるー?」
「麻衣子……」


俺はたまらず麻衣子を抱きしめた。
細い手足からは、全く体温を感じなかった。
まるで、抜け殻。
いろんなものを奪われて、麻衣子は、抜け殻にされた。

どこまで追い詰められていたのだろうか。
どうして俺に話してくれなかったのだろうか。
わかってる。
わかってるんだ。

お前は、優しすぎたんだ――。


「やーだーもう、マコっちゃん恥ずかしいよー」

    「ごめんな……ごめんな麻衣子……。気付いてやれなくてごめんなあ……」

「あれ? お猿さんいなくなっちゃったー。どこにいったのかなあ?」

    「俺、馬鹿だよな。一人で舞い上がって、お前のこと見てやれなくて……」

「ちょっとマコっちゃん、人が見てるよ? もう、スケベなんだから」

    「麻衣子……





          ……死んじゃおうか――?」





抱きしめた体が、かすかにびくっと揺れた。
そっと体を離すと、焦点の合っていなかった目が、俺をはっきりととらえていた。

「……水遊び」
「え?」
「水遊びしようよ!」

海水浴にきた子供のように、無邪気に笑う麻衣子。
まだ意味を掴めていない俺の手を取って、麻衣子は走り出した。

つもった雪を踏むといい音が鳴る。
手を握りあい、走りながら、俺はそっと後ろを振り向いた。
二人分の足跡が、離れることなく続いていた。


麻衣子が連れてきたのは、代乃木公園にある池だった。
公園の池といってもボートが乗れるような池ではなく、学校のプールくらいの広さしかない。

「マコっちゃん、いこ?」
「ああ」

靴と靴下を脱いで、池の柵の前に綺麗に並べた。
柵をまたいで、池のふちに立った。

「冷たそうだね」
「……お前となら、何処へでもいける」

自然と出た俺の台詞に、麻衣子はクスッと笑った。
どこか懐かしい笑いに見えた。

「好きだ、麻衣子」
「……大好きだよ、マコっちゃん」

俺たちは抱き合ったまま、暗い水の中に飛び込んだ。
暗く、冷たい闇の中、抱きしめた体だけが、確かに存在していた。


――辛かったな……麻衣子

――ううん、マコっちゃんがいてくれたから、堪えられたんだよ

――もう我慢しなくていいからな

――……

――これからは、二人で、ずっと一緒に……

――うん……ずっと、一緒に……

――……

――マコっちゃん……?

――……

――……! …………!


意識が、闇に……溶けていった……――。
麻衣子は最後に、何を言って――――。

――――――――――――――――――――――……………


          ◆         ◇         ★         ☆


(マコっちゃん……私もすぐ……そっちに……)

緩慢になっていく意識の中、誰かの声が聞こえた。
どこか懐かしい、少年の声で――。



――いたた……。
   ――おまえうんどう得意なのに、けんかはだめだな。
――あはは……。ありがとう、えっと……。
   ――まこと。せんどうまことだ。
――ぼ、ぼくはかつらまひろです。これからもよろしく!

   ――ちくしょう、あのやろう……ちょっと宿題忘れただけなのに……。
――マコっちゃんが悪いんだよー?
   ――いいや、写させてくれなかったお前が悪い!
――ええ!?

――マコっちゃん、部活何入る?
  ――いや、だるいから何も入らない。ヒロは?
――陸上部に入るつもり! 知り合いの人がいて、誘われてるから。
  ――へー。まあお前は運動系なら大丈夫そうだな。

  ――なあ、ヒロ。
――なあに?
  ――○○高校行くって、本当か?
――うん。マコっちゃんは?
  ――俺は△△。工業高校も考えたけど、大学行きたいからな。
――将来、なりたいものとかあるの?
  ――いいや。ただ働くまでの時間が長い方がいいだけ。お前は獣医だったな。
――うん! 動物、好きだからね。えへへ。



――卒業おめでとう、マコっちゃん。
  ――おう。ヒロ……じゃない、麻衣子もおめでとう。
――えへへ……。あ、あのさ……。
  ――なんだ?
――だ、第二ボタン……誰かにあげるつもり?
  ――いいや……。あげる相手がいるならとっくにあげてるよ。
――じゃあ……その……えと……。
  ――言っておくが元男にはやんねーからな。
――い、意地悪!



  ――ねえ、あなた◇◇中学出身って言ったわよね?
――あ、うん。
  ――ふうん……。
――えっと……潮崎、乙女さん?
  ――あら、名前覚えてくれたの? ありがとう、麻衣子さん。
――こちらこそ! 三年間仲良くしようね!
  ――え? あはは、あなた面白い子ね。


――潮崎さん、男の子って、何プレゼントされたら嬉しいかな?
  ――あんたねー。元男のくせに分からないわけ?
――しょ、しょうがないじゃん。私、プレゼントとかもらったことなかったし。
  ――ていうか彼氏出来たの? 誰? 何組?
――ち、違うよ! 彼氏とか、そんなんじゃなくて……。それに、別の高校の人……。
  ――あ、同じ中学だった人とか?……名前、聞いてもいい?
――名前? 泉堂って名字だけど……?
  ――あ……あはは、名前聞いてもどうしようも無いよね。
     ……ちょっと……用事思い出したから……またね。


  ――麻衣子……麻衣子?
――え、何?
  ――何ぼーっとしてんだよ。
――あはは、最近ちょっと、疲れちゃって……。
  ――そっか……。進学校だし、勉強大変そうだな。
――あ……うん。
  ――俺もがんばんなきゃなー。
――頑張るって、何を?
  ――ああ、いや、その……。実はな……。
――う、うん……。
  ――しょ、将来の仕事のことなんだけどさ、最近、先生になるのもいいかなって、思ってきたんだ。
――ま、マコっちゃんが、先生!?
  ――そんなに意外かよ……。まあ、いいけど。
――どうしたのマコっちゃん。熱でもあるの?
  ――そういうベタなの嫌いじゃないぜ。……俺、思ったんだ。
――うん。
  ――退屈な毎日は、ただ与えられているからなんじゃないかって。
――与えられる?
  ――ああ。ただ与えられた課題をこなしくだけだから、つまらないんじゃないかなってさ。
     だったら、与える側になれば、面白くなるんじゃないかなって、そう思ったんだ。
――えっと、愛は与えられるものではなく、与えるものだ! みたいな?
  ――ぷっくくく……そ、そういう感じだな。
――わ、笑わないでよ! 恥ずかしいから……。



近すぎて、見えなかったものがある。
失って、気付いたものがある。
いつか見ていた、夢がある。
もう私には、何にも無い……何にも……何もかも……。


――もう、終わり?

……え? 誰?

――終わりにしちゃうんだ。自分で、勝手に。

ち、違う。私だって、本当は……!

――お猿さん、可哀想だね。檻に入れられて、見せ物にされて。

貴方は誰? 誰なの?

――でも例え檻に入れられても、猿山が世界の全てだとしても、彼らは生きてるんだ。

でも、そんなの、そんなの悲しすぎるよ……。

――そうかな。だって、ほら。見上げればいつだって、無限の大空が広がってるじゃないか。

手に入らないものなんて、意味ないよ。

――それはどうだろうか。もしも、あのお猿さんたちが全員諦めていれば、手に入らないだろうけどね。

無理だよ。絶対、無理。檻の中に入れられたら、一生そこから出られないの。

――お猿さん、本当に諦めてるのかな?

え?

――彼らは、生きてる。生きるってことは、希望を捨てないってことなんだよ。

貴方は……。

――何もかも終わりだと思った? じゃあ、新しく始めてみよう。

間に合う、かな。

――大丈夫。きっと大丈夫だよ。貴方は、僕だから。

そうだね。君は、私だもん。



――光が見える? そこに向かって。行き着いた先が、君の場所さ。

――怖がらないで。最初の一歩は、誰もが躊躇するものだよ。

――君は一人じゃない。僕がいるし、マコっちゃんがいる。

――世界は残酷で、優しい。自由は敵にも味方にもなる。

――さあ、もう行って。いいかい、光を、目指すんだ。そこが君の生きる世界だ。

――さようなら、麻衣子さん。


さようなら、麻浩くん。




暗闇の中、上から降り注ぐかすかな光を目指し、必死にもがいた。
両手に抱えたマコっちゃんはぴくりとも動かない。
足をばたつかせて上を目指すが、二人分の重量は私にはきつかった。
それでも諦めない。
諦めたくない。


生きたい――!



まるで誰かに手を引かれているように、体が浮かんでいった。
かすかに闇を照らしていた光が、徐々に明るさを増していく。
意識が飛びそうになる瞬間、水面にたどり着いた。


「ぶはっ! げほっ! けほっ……! はぁ……はぁ……」


水面に出た私は、ゆっくりと光が差す方を見上げた。
あの暗闇を照らしていた光は、池の側の街灯だった。


マコっちゃんを池の側に引き上げ、柵の上から体を通し芝生の上に寝かせた。
芝生の上には雪が積もっていて、マコっちゃんの制服からしみ出した水が、周りの雪を溶かした。
寒い。
濡れた体に容赦なく風が吹き付ける。

「マコっちゃん……マコっちゃん……」

口に手を当て、息をしていないことがわかった。
保険の時間に習った人工呼吸を、思い出しながら試してみる。
冷たい唇は、まるで死体のようだった。

生きて。お願い。死なないで……!
何度も何度も、息を吹き込む。
あまりの寒さに意識が飛びそうになる。

「マコっちゃん……!」



          ◆         ◇         ★         ☆


――――――なんだぁ……うるせえなあ……。

――――眠いんだよこっちは……。

――――――――――……あれ?

――――――――――――麻衣子……?

――――――麻衣子なのか?

――――――……そうか。

――――――――――――わかった。


          ◆         ◇         ★         ☆


…。
……。
……………。

「げほ! げっ……コホッ……」
「! マコっちゃん!」

かろうじて命を繋ぐことが出来た。
本当に、良かった……。
三、四回咳き込んだあと、マコっちゃんは起き上がった。
しかしバランスをくずし、その場に膝をつく。

「マコっちゃん……」
「ま……いこ……」

顔から倒れそうになるマコっちゃんを支えた。
支える私も一緒に倒れてしまいそうになるが、ぐっとこらえた。
マコっちゃんは意識はかろうじてあるが、顔に血の気が全く無い。

「麻衣子……これで、いいんだな……」

荒い息をつきながら、マコっちゃんは言った。

「うん……ごめん……」

私の返事を聞いて、マコっちゃんはうつろな目で薄く笑った。

「何で謝るんだ……? お前となら、俺は何処へだって行ける……」

吹き付ける吹雪の中、私たちは抱き合ったまま、気を失った。


          ◆         ◇         ★         ☆


代乃木公園は白一色に染まっていた。
突然降り出した雪は瞬く間にこの街ごと白銀の世界に変えたのだ。

コートのポケットからタバコを取りだし、火をつけた。
さっきまで吹雪いていた雪はもう止んでいた。
パトカーにもたれ、煙を吐き出す。
冬の乾燥した空気の中で吸うタバコは、うまい。

「小栗さん、遺体の方の回収終わりました」
「そうか、わかった」

降り積もった雪の上にタバコを捨て、足で踏みつぶした。
部下の警察官に引き上げを命令し、運転席に座らせる。

「署に行きますか?」
「いや、□□病院まで頼む」
「わかりました。では、凍死したホームレスの報告書は、他に回します」
「頼む」

病院に運ばれた桂麻衣子と泉堂誠。
間に合って良かった。
あと十分遅ければ二人はホームレスと同じ運命を辿っていただろう。

走り出そうとしたパトカーに、無線が入った。
ノイズ混じりの無線から、本日四度目の事件が告げられる。
しかもまた、この代乃木公園で起こったことだった。

「はは、これって警察の仕事ですかね?」
「たまたま近くにいたから連絡が入っただけだろ。無視しとけ」
「はい、わかりました。にしても猿の脱走なんて、笑えるっすね」

無線から入ったのは、降り積もった雪を足場にして、代乃木公園の猿たちが
脱走したという報告だった。

「やっぱ猿も、あの中じゃ暇だったんすかね」

若い警察官にとっては、どんな事件でも面白く聞こえるらしい。
まだ経験が浅いからか、それが性格なのか私にはわからない。
いつか味わう挫折まで、そのままでいて欲しいと思った。

「違うな」
「え?」
「猿は何も知らないから、あの檻を出たんだ。
 檻の中でぬくぬくと育った猿たちが、野生で生きていけるはずなんか無い」
「はぁ……」
「どうせ麻酔銃で捕獲されて、今度は屋根付きの檻に入れられるだけだ」
「小栗さんはリアリズムっすね」

タバコを取りだし、火をつけようとしたが、ボタン式の百円ライターは
既に中が空っぽになっていた。
舌打ちをしてタバコをポケットにしまう。
他にライターが無いかコートの中を漁っていると、運転している警察官が
前を見ながら言った。

「それでも俺なら、檻から逃げ出しますけどね」

いつもちゃらけた奴だったが、この時ばかりは真剣に思えた。


内ポケットに錆びたオイルライターがあり、それを使ってタバコに火をつけた。
嫌そうな顔をする部下に構わず、煙を吐き出す。


「檻の外こそが、檻の中かもしれんがな」


若い警察官は、怪訝そうに顔をしかめた。



終幕「ギンガムチェックの世界で」  終わり


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最終更新:2008年09月17日 20:56
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