名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 01:44:17.18 ID:QUVBngxL0
勝ち逃げをされたとき、どういう気分になる?
残ったのは敗北感だけで、挑戦する機会すら与えてくれない。
俺は負けず嫌いだから、そういう奴は大嫌いなんだ。
勝ち誇っていたそいつの顔に、渾身のカウンターパンチをくれてやる。
これは、そういう話だ。
35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 01:48:48.85 ID:QUVBngxL0
病室の窓から見える景色は、代わり映えの無い並木道と大きな池くらいだ。
それでも病院の中とは全く異なる世界であることには違いない。
頑丈な体で、今まで病気になったことも、大きな怪我をしたことも無かった。
生まれて初めての入院は、俺に退屈以外の感想を求めることはしなかった。
腕と腹に巻かれた忌々しい包帯は、相変わらず今日も俺の自由を縛る。思いっきりグラウンドを駆け回りたかった。
ボールを追いかけて、ただただ、走りたかった。
俺はたった数週間の入院でくじけそうだった。
今なら分かる。
一生分の自由を奪われて、死んだ兄貴の気持ちが。
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 01:52:26.94 ID:QUVBngxL0
ちょっと遅れたが、俺の名前は松崎周也(まつざき しゅうや)。
ごく一般の高校二年生で、ごく一般のサッカー部員で、ごく一般の入院患者だ。
なんで俺が入院してるかっていうのは話せば長くなるが、名誉の負傷とだけ言っておこう。
こんなごく普通の俺だが、兄貴は違った。
兄貴はスターだった。
37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 01:55:45.88 ID:QUVBngxL0
小学生の頃から、兄貴は期待されていたサッカープレーヤーだった。
中学生になった兄貴は、今まで平々凡々な成績しか残してなかった公立中学校を、全国二位にまで押し上げた。
そのことで兄貴の名前は全国区となる。
スポーツ推薦で入った高校では、一年でレギュラーを獲得。
さらにその年のMVPを飾った。
兄貴はみんなの尊敬の的だった。
俺は兄貴を誇りに思っていた。
いつまでも兄貴の背中を追い続けられると思っていた。
だが兄貴のサッカー人生は、唐突に終わりを告げられた。
女体化だ。
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:00:06.26 ID:QUVBngxL0
部活をやめた兄貴は、学校を自主退学した。
働くこともせずに、毎日ふらっとどこかに出かけては、夕食の時には戻ってくる。
そんな生活を繰り返していた。
母さんは兄貴を無理に働かせようとか、そんなことはせず、ただ優しく見守っていた。
父さんも兄貴が傷ついているだろうと気をきかせ、兄貴にあたることは無かった。
俺はというと、壁をつくり近づかないようにしてしまった。
そりゃあ最初は俺なりに励ましの言葉をかけたさ。
兄貴の落ち込みようは半端無くて、見ててこっちの胸が痛くなる程だったから。
でも兄貴は、誰が何を言っても、薄い作り笑いで「大丈夫」としか言わなかったんだ。
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:03:32.38 ID:QUVBngxL0
誰にも壊せないような分厚い殻に閉じこもった兄貴に、差し伸べられた手など届くはずもなく。
俺が中学三年生に上がったある日、兄貴が女体化してちょうど一年が経ったその日、兄貴は自殺した。
近所の十階建てのアパートから飛び降りて、即死だった。
男だった頃は、よく芸能人の誰々に似てるだとか言われていて、男の俺から見てもかっこいい顔だった兄貴。
女体化した後は美人だとかアイドルより可愛いとか、以前よりも顔のことを言われる程整った顔立ちだった兄貴。
最終的には、飛び降りた衝撃で顔はぐちゃぐちゃだった。
兄貴の本当の顔は、一体どれだ。
今では真っ先に、あの血と肉の塊を思い出す。
俺は一体、誰の背中を追いかけていたんだ。
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:06:09.36 ID:QUVBngxL0
話は変わるが、つい最近、俺の友達が女体化した。
人伝いにそれを聞いたとき、俺は緊張した。
また俺の身近な人が死んでしまう。
兄貴のことがあってから、女体化にはマイナスのイメージしかなかった。
そりゃあもう、何を足しても何をかけても永遠に不動なマイナスだ。
でもそいつは違った。
最初の一週間は何となく憂鬱そうな感じがして、俺から声をかけたりもした。
だが時間が経つと元々男だったのが信じられないくらい、いい女になった。
今では彼氏と仲睦まじい学校生活を送っている。
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:08:38.40 ID:QUVBngxL0
その彼氏というのは、俺と中学校からの腐れ縁の奴で、唯一俺が親友と呼べる男の事だ。
飄々としていて、何も考えていないようで、それでいて無駄に繊細な心を持った奴だ。
正直言うと、俺はそいつが羨ましい。
いや、別に可愛い彼女がいるからとか、そんなのではなくて。
誰かの支えになれた、いや現在進行形で誰かの支えになれている、そいつが羨ましいんだ。
つまり俺が言いたいのは、俺が、兄貴の支えにはなれなかった、ということだ。
誰が兄貴を殺したとか、何で兄貴が死んだとか、そんなのは大した話ではないんだ。
問題なのは、この俺が、兄貴を殺したそいつとの勝負に、100対0で大敗したということだ。
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:11:49.22 ID:QUVBngxL0
三週間の地獄の入院生活を経て、ようやく俺は学校へと戻ってきた。
「よお、退院おめ~」
教室の窓からぼーっと外を眺めていた俺に、後ろから声をかけるやつがいた。
D組の桂木健一(かつらぎ けんいち)だった。
「はい、どうも」
そっけない返事の俺に、健一は納得がいかなかったようだ。
「剛体術!」
「痛っ! 何すんだよ!」
「正拳の際に可動する間接を拳が当たる瞬間固定することにより…」
「技の説明じゃねえよ」
病み上がりの俺に容赦ない攻撃。
こいつはSっ気のある彼女を連れているから、Mかと思っていたがそうでもないのだろうか。
45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:14:57.94 ID:QUVBngxL0
「ようやく戻ってきたな。お前がいない間、体育はD組の圧勝だったんだぜ?」
「何? 晶が女子の体育に移ったから、戦力ダウンしたんじゃないのか?」
「それが晶の奴が女子の体育じゃ物足りないっつって、男子の体育に戻ってきたんだよ」
「無茶苦茶な奴だな…」
晶というのは、健一の彼女のことだ。
人の彼女のことをとやかく言うのは好きじゃないから、そいつの説明は省くぜ。
「それとグッドでディモールト・ベネなニュースだ」
「何だよ」
「お前のクラスに、転校生が来る。しかも女だ!」
健一は心底嬉しそうな顔で俺に言った。
こいつ、彼女が出来ても全然変わってないな。
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:18:25.97 ID:QUVBngxL0
ディモールトお喋りな健一は始業のベルが鳴るまで、ずっとその転校生のことについて語っていた。
正直あまり興味が沸かなかったので、大半を聞き流していたのだが。
俺が女に興味が沸かないのは、こんなことを言うと俺の人気が下がりそうだが、それは俺が女にもてるからだ。
中学の時など、俺は寄ってくる女と片っ端からやっていた。
クラスの女子の七割を制覇していた俺は、健一と同じようにディモールト恥ずかしい通り名を与えられていたが、それはまた別の話。
高校に入ってからは流石に自重していたが、特定の女を作らず体だけの関係を築く癖は治らなかった。
別に俺はセックス狂という訳ではない。
ただ、兄貴の二の舞になることが、怖かったんだ
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:22:19.91 ID:QUVBngxL0
HRの時間になり、少し遅れて先生がやってきた。
俺は窓の外の景色に視線を固定していて、そのとき先生と一緒に入ってきた女に気がつかなかった。
ただその時いつも騒がしいC組が、水を打ったような静けさになったことで、俺はいつもと違うことに気がついたんだ。
「では、HRを始める前に、転校生の紹介から始めようか。えー橘さん、自己紹介して」
「は、はい」
静まりかえったクラスに、その女の声だけが透き通ってよく聞こえた。
「た、橘笑顔(たちばな にこ)と言います。あの、えっと……よろしくお願いします」
49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:24:26.96 ID:QUVBngxL0
最後のよろしくお願いしますは、誰かがあくびでもしたらかき消されそうなか細い声だった。
健一の言っていた転校生とはこいつのことだろう。
肩まで伸ばした髪は茶色く染まっていたが、遊んでいるという感じは全くしない。
大きな目は絶えずきょろきょろと動いていて、小動物が肉食獣を警戒しているみたいだった。
ロリ系っていうのは、きっとこいつのことを指すんだろうな。
可愛い、というより、愛らしい、という表現がよく似合う女の子だ。
手を後ろ手に組んで足をもじもじさせている姿は、そっち系の趣味の無い俺でも何かがこみ上げてきそうな勢いすら感じる程で。
ややこしいことはやめようか。
とにかく、めちゃめちゃ可愛かった。
50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:27:36.70 ID:QUVBngxL0
「――!」
「―――! ――!」
「―! ――!」
自己紹介が終わった途端、喧噪に包まれる教室。
なんてわかりやすい奴らなんだろうか。
「はいはい! HR始めるから静かにしろ!」
先生の怒声からHRが始まるのは、今日に限ってではなくいつものことだ。
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/04(土) 02:30:23.84 ID:QUVBngxL0
「席どこか空いてる所あるか? あー松崎の隣が空いてるな。橘、とりあえずお前の席はそこな」
「はい、頑張りますっ」
「何をだ?」
この時、なんとなく、本当になんとなくだけど、新しい何かが始まるような予感がした。
「あの、よろしくお願いします…」
兄貴が死んでから止まっていた時間が、少しずつ、動き出したような気がしたんだ。
「はい、よろしく」
この話はイケメンサッカー部員と、美少女転校生のラブロマンスではない。
クソッタレの神様にカウンターパンチを入れる、バイオレンスハードボイルドヒューマンスラップスティックコメディだ。
最終更新:2008年09月17日 21:00