『クラッキ』ファイナル

182 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:36:01.13 ID:qkkRIpP20



あの日、抱きしめた腕から感じた温もりを、俺は一生忘れない。

――クラッキ ファイナル







183 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:36:42.51 ID:qkkRIpP20
ニコは何も持たずに、雨が降り注ぐ外へと駆けだしていった。 俺は自分の傘を持ってきていたが、傘であふれかえる傘置き場でそれを探している暇など無い。 誰のものかわからない傘を一つ拝借し、ニコを追って外へと駆けだした。


ニコが正門をくぐって学校の外へと駆けていったのが見えたので、見失わないようにその後をつけていく。
俺は今、何をしているんだろう? 彼女を追って、俺は何がしたいんだ?


東桜山公園に行ったときも、何故自分がそこに行ったのかわからなかった。 ニコが気になったから……だろうが、それ以上の理由がある気がしてならない。
――いや、いいんだ。理由なんて、あって無いようなものだ。 全てのものに理由があるなら、世の中はもっともっと単純でわかりやすい世界になるはずだから。




184 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:38:01.69 ID:qkkRIpP20

商店街を抜け、人気の無い住宅街に出た。


雨脚はさらに強くなり、傘をさしている俺でさえ足下からびしょ濡れになっている。 傘をさしていないニコの体は、頭からバケツの水を被ったかのように全身が水に浸っていた。

後をつけることに堪えきれなくなった俺は、たまらず声をかけた。 ニコが、立ち止まった。
「何の用」
雨でかき消されない、ぎりぎりの声の大きさでニコは言った。 後ろを振り向かず、前を見たまま言ったので、ニコの表情はわからない。


何の用……か。難しい質問だ。


「傘、持ってないなら入りなよ」
ニコの背中に投げかけた声は、自分でも驚くほど気弱な声だった。 返事は返ってこなかった。




185 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:39:24.36 ID:qkkRIpP20
「また、誰かに呼び出されたんだろ? ……行かなくてもいいじゃないか。そんなの、無視すれば……」
「……」


俺の声は途中から雨の音にかき消された。 返事は、やはり返ってこなかった。


俺は自分がだんだんと苛ついてくるのがわかった。 他の誰でもない、自分に対し苛ついているのだ。 怒りは心に熱を持たせ、雨で冷えた体を奮い立たせた。
「行くなよニコ! 行くな! あんなやつらに従う必要なんて無い!」
俺は傘を投げ捨て、声を張り上げた。 大粒の雨がシャワーのように降り注ぎ、今まで濡れてなかった上半身が一気に濡れていくのがわかった。



ニコが振り返った。初めて見る顔だった。





186 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:40:57.59 ID:qkkRIpP20

「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないの!? あんたにぼくの何がわかるっていうの!?」
声を張り上げ、怒っていた。それは俺に対してなのか、他の何かに対してなのか、俺にはわからなかった。 いや、おそらく両方だろう。
「何も知らないくせに、何もわからないくせに、ぼくに命令しないでよ! 何なんだよ!」



人気の無い住宅街で、ニコの声が塀に反射して響いた。 今こそ、自分の気持ちを伝える時だ。 大丈夫。落ち着け。俺はエースストライカーだ。
あのクソ野郎からもらったロスタイム。 入るか入らないかなんて、何の問題でもない。 俺はあの時シュートすら打たなかったんだから。
空気を目一杯吸い込み、天まで届くように声を張り上げた。 兄貴にも、聞いて欲しいことだったから。





188 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:45:25.64 ID:qkkRIpP20
「俺はお前が好きなんだ! だからずっと傍で笑っていて欲しい! 生きるのに存在意義なんていらない!  いるとすれば誰かの為に生きてくれ! お前の事が好きな誰かの為に! 身勝手だろ! わがままだろ!  俺は! 俺は……! 幸せになって欲しいんだ……頼むから……俺の一生のお願いだ……」

兄貴……。

「泣くときは一緒に泣いて……笑うときは一緒に笑って……一人になりたい時はいいんだ……。  でもいつも一人じゃ生きていけないだろ……? 誰かが一緒じゃないと、苦しいだろ……?」

俺は……。

「俺じゃなくていい……他の誰かでいい……でも一人で生きるんじゃ駄目なんだよ……。  誰か支える人を……見つけて欲しいんだ! 俺はガキだ! 自分勝手なのは知ってる!  お前の苦しみだって一分たりとも分からねえよ! でもお前が苦しいと……俺も苦しいんだ」

ただ貴方に、そこにいて欲しかったんだ。 生きていて、笑って欲しかったんだ。




189 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:46:38.78 ID:qkkRIpP20
「頼むから生きて笑ってくれ……お願いだから……お願いだから……俺を一人にしないでくれ……。  一人は嫌だ……嫌なんだ……お前が一人になるのも……嫌なんだよ……。  頼むから……お願いします……誰かと笑って、生きてください……どうか……」



頬を伝う涙の暖かさは、雨で流れてもそこに存在し続けた。 最低の告白だ。あまりにも身勝手で、ガキ臭い言葉だ。

ニコはたぶん、泣いていた。
笑いながら、泣いていた。

俺が嗚咽で喋れなくなると、ニコが近づいてきて、俺の顔にそっと手を触れた。 ニコの手は温かくて、優しくて、不思議な熱を持っていた。
「ぼくは……」
涙声の言葉は、降り注ぐ雨の中をすり抜け、直接頭に響くように透き通って聞こえた。


「ぼくは……幸せになってもいいのかな……」




190 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:47:49.02 ID:qkkRIpP20


心が氷塊し、涙があふれて止まらなかった。 どれだけ雨が涙を流しても、どれだけ雨が体温を奪っても、涙の温もりまでかき消すことは出来ない。
体が勝手に動き、ニコの体を抱き寄せた。 ニコの方からも俺の背中に腕が伸び、二人で抱き合う形になった。


力を入れれば壊れてしまいそうな程華奢な体に、確かな熱と鼓動を感じた。 冷え切った体が、徐々に熱を帯びる。 嵐でさえ奪うことの出来ない、生命の熱だ。
「ぬくぬくする……」
腕の中でニコがそっと呟いた。
「俺も……」
ニコの息づかいさえも感じることが出来る。 まるで俺とニコが一つの生命になったようだった。




191 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 16:49:08.09 ID:qkkRIpP20
「ぬくぬくする……気持ちいい……」
「俺も……」


言葉なんて、この熱に比べたら薄っぺらいものだ。 千の言葉よりもずっとずっと、気持ちを伝えることが出来るのだから。
徐々に音が遠ざかっていき、ニコの熱と鼓動が俺の全てになっていった。 複雑であやふやな世界で、この熱と鼓動だけは、疑いようのない真実なのだ。
言葉に出来ない感情が、今まで感じたことのない想いが、体中を駆けめぐる。

俺は、俺たちは今、間違いなく生きている。 止まったままだった時計の針が、再び動き出した。



俺は、ニコを救った。
そしてニコに、救われた。




193 名前: クラッキ ファイナル [サル規制に俺の時計の針がorz] 投稿日: 2007/09/06(木) 17:00:57.13 ID:qkkRIpP20





「あの野郎絶対いつか借りは返すぜ」
幾度となく聞いた気がするその言葉に、晶は半ば呆れているように言った。
「まーたその話ー? いい加減忘れなって」
晶がうんざりするのはわかる。このところ健一は毎日のようにその事を愚痴っている。 喧嘩で負けたのがよっぽど悔しいらしい。


「いいや駄目だね。やられっぱなしは俺の性分に合わん」
「どうでもいいけど食べるか喋るかどっちかにしろ。ぼろぼろ落ちてるぞ」
俺が言ってようやく気付いたらしく、健一は慌てて服に落ちたおかずを手ではらいのけた。 健一はあの時レイジに負けたことをまだ根に持っていた。
闇に生きる男、レイジ。出来ればもう二度と会いたくはない。




194 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 17:04:04.34 ID:qkkRIpP20

「健一くん、そのお弁当どうしたの? いつもパンなのに」
「あ、そういやそうだな。どうしんたんだそれ?」


ニコの指摘によってようやく俺はその異常事態に気がついた。 健一は親元を離れて一人暮らししているので、弁当を作る人はいないはずだ。
「ニコ、良いところに気がついたな。実はこの弁当は……」
「あーあー!」


突然叫びだした晶。顔が赤くなっている。 なるほど。そういう事ですか。


「そ、そういえばさ。あんた達って付き合ってるの? 毎日一緒に帰ってるけど」
焦って話を変える晶。全く誤魔化せて無いが、まあ気付いてないフリをしてやろう。


そうそう、言ってなかったが、最近ニコはサッカー部のマネージャーになったのだ。 だから俺と帰宅時間が同じになったので、この頃は毎日一緒に帰っている。





195 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 17:05:48.12 ID:qkkRIpP20
俺とニコは顔を合わせて笑った。俺たちは付き合っていない。 あの日の告白の返事は、まだ保留ということになっているのだ。
「んーどうでしょう」
含みのある俺の答えに、健一達は納得がいかないらしくこの後俺たちは質問責めにあった。 俺もニコも、この二人の扱いにはもう慣れているので、二人してのらりくらりと質問をかわしていった。
その度に健一達は悔しそうに顔をしかめ、それを見て俺たちは笑った。



ニコはよく笑う。
心の底から、楽しそうに。





196 名前: クラッキ ファイナル 投稿日: 2007/09/06(木) 17:06:56.44 ID:qkkRIpP20


笛の音が鳴るまで、ロスタイムは続いていく。 逆転勝ちするかこのまま負けるかは、試合が終わるまでわからない。
兄貴の背中はもう見えない。見えるのは、フィールドの先のゴールポストだけだ。


走り続けよう。後ろを振り返ることはせずに。 俺は兄貴に認められた、最高のクラッキなんだから。


――クラッキ  終わり


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最終更新:2008年09月17日 21:04
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