男は15-16歳で女体化。
人間が何時からそんなふうになったのかわからんが、とりあえず俺のクラスの奴らも4人ほど女になった。
最初は彼ら、いや彼女らは「どーてー、どーてー」とアホな奴にからかわれていたが、今ではそのアホがどう考えてもその元男に恋してるようだがまあそれはいい。そんなこともあるだろう。
さて今は七月、水泳の授業中なわけだ。
元男の奴らもやっと女らしい警戒心というものが身に付いてきたらしい。スクール水着でクラスメイトにじゃれつく馬鹿はいないようだ。
「やっぱ杉田、いいよな~」
杉田は始業式の日にぶっ倒れてその二日後に女になって登校してきた。
「アホ、気をしっかり持て。谷屋、お前は中身男によくじょうするやつだったのか?」
女子の集団の方を見ながら鼻の下を伸ばす悪友を冷たく諭してやる。
「いんや。だけどあのハムソー杉田がああなるなんて反則だよな」
一応それには同意しておこう。
ハムソーセージ、つまりかなりのデブだった杉田がその肉をどう回したのか、あそこまでスタイルよくなるとは誰も思わんだろう。
顔? 太っていたからわかりにくかったが、あいつは元々そんなに顔が悪かったわけではないから、痩せている今はそれが際立っているようだ。
「それはそうと谷屋、お前はもう心配ないんだったな?」
「おうよ、従姉に頼み込んだら一回だけさせてくれたぜ!」
さてこの親族の倫理観というのはどういうことになっているのか?
「つかそれ訊くのは俺のほうだよな? 中野はまだやったことないんだろ?」
その通りである。胸を張って言えるようなことではもちろんないが、機会と出会いがなければこの年齢なら特におかしいといえるほどでもないだろう。
「やばくね? 下手するとおまえだってあいつらみたく・・・」
視線を杉田に移しながらそう訊いてくる谷屋。
「そうは言ってもな。俺の誕生日は明後日だぞ。そうなれば俺も17だ」
最近出された研究結果らしいがごくたまに女体化しないやつもいるらしい。
そしてそういうやつはその後も100%大丈夫なんだそうだ。
「まったく体に変化はないし、俺はそういう人種だったんだろ?」
心配げな谷屋に、俺は楽天的にそう答えた。
その二日後にどれだけ後悔するかも予想できずに・・・・。
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次の日の夜。あと1時間半で俺は17歳。
うちの両親は馬鹿みたいに早く寝る人たちだから、その子供の俺も当然それに習っている。
「寝るか・・・」
とっくにリビングや他の部屋からも明かりは消えていて、両親も寝てるしな。一応言っておくが少子化のこのご時世、俺は一人っ子だ。
『♪~♪~』
ブーッ、ブーッという振動ともにメールが着信された。
『おっすオラ谷屋。まだ女体化してないか~? したら一番に俺に泣きついて来るんだぞ~? 可愛くなった中野が俺に泣きつく。うぇへへへへへwwww』
「うぜぇ」
全く何を考えているんだか・・・。
結局こんなメールを送ってくるんだから、谷屋も俺が女体化するなんて本気で思ってないんだろう。
本気で思ってたらこんなもん送った時点で即縁切りだ。
くだらなすぎるメールは返事をもらう権利はない。
勝手にそんな法則を作って、俺は電源を切った携帯を置いて、さっさとベッドにもぐりこんだ。
両親が早く寝るのにはそれなりの訳がある。
職業までいうつもりはないが共働きの両親は、それぞれ勤めてる場所が遠い、元々の出勤時間が早いという理由で大体俺が起きる時間ぐらいに玄関の閉まる音がする。
いつものように起きていってまずキッチンを覗きこむ。
そこには朝食が用意してあって、母さんにはいつも感謝だ。
親父が俺のことを小食だとたまに言うが、朝から食パンを二枚以上食べられる方のが俺は信じられん
トースターから出てきたキツネ色のトーストをかじりながら、ぼんやりと新聞のテレビ欄を見る。
『検証! 未確認生物の住まう島』
明らかにつまらなそうな煽りに溜息をついて、俺はトーストを皿に置いた。4分の3くらい食べるとなぜだかそれ以上口に運ぶ気にならなかったからだ。
簡単に片づけをして洗面所に向かう。
さてここで俺は大混乱に陥った。
『おまえはだれだ』
鏡に向かってマジに言う奴は頭がおかしくなってしまったんだろう。今の俺だ。
白い肌、柔らかそうな髪、大きな目を見開いている鏡の中の『少女』に向かって、俺は呟いていた。
「おまえは、だれだ・・・・」
「ぇ・・・な・・・?」
状況が把握できない。なんだよ、何だよこれ?
夢だ、これは。そうじゃなければ・・・
――いやわかってる。
何をだ? これは悪い夢だ、そうに決まってる。
――落ち着け落ち着け落ち着け。
不意に立っていられなくなって、洗面所の床にへたれこむ。
誰か、誰か助けてくれ・・・っ。
『まだ女体化してないか~? したら一番に俺に泣きついて来るんだぞ~?』
気が付いたら俺は部屋にある自分の携帯を握り締めていた。
電源を入れて、受信欄の一番上にある名前に返信をする。
震える指で何度も打ち間違えながら、『今からうちに来てくれ』とだけ送ることが出来た。
そこから動けずにいると携帯が鳴って急いでメールを開く。
『なんで? まあいいか、了解』
直後、インターホンが響いた。
階段を駆け降り、玄関を勢いよく開ける。
「うお!? あっぶねー・・・中野、どうしたん・・・」
「谷・・・屋・・・・・」
涙が一気に溢れてくる。こいつの姿を見ただけで暗い場所から助け出されたような途方もない安心感が湧いてきた。
「な、中野・・・だよな? どうしたんだよ?」
そして一目見ただけでこいつは俺を俺だとわかってくれた。
「とりあえず落ち着け? な?」
不覚にも俺はそのまま谷屋になだめられていた。
「やっぱお前もなっちまったか」
みっともなく洟をすすりながら谷屋の言葉に頷く。
二日前にこいつの心配りを一笑にふしたあの時の俺が情けない。
「いやー、でも美人になったよな」
「誰が?」
「いや、この流れで普通にわかるだろ」
「・・・・?」
まじめにわからず、谷屋の顔をじっと見ていると谷屋は気まずそうに顔を逸らした。
その視線を追うと時計があって、その針は8時過ぎを指している。
「やばっ、学校!」
「おまえ、それでどうやって行くつもりだ?」
言われて、初めて自分の姿を見下ろす。今まで怖くてしげしげと見れなかったからだ。
まず目が行くのは昨日まで無かった二つ。自分の体に現れたその異物は大した大きさではなくて、少しだけホッとする。
「とりあえず着替えてこないか? その格好だと俺が目のやり場に困るんだけど」
「なんで?」
「察してくれ。中野、自分がもう女だって言う自覚ないんだろ?」
胸に指をさされて、谷屋が何を言いたいのかわかった。夏用の薄いパジャマのせいで胸の形が浮き上がっている。
慌てて俺は立ち上がった。
「あ、ああ。着替えてくる、から。ここで待ってて」
熱くなった顔をもてあましながら、俺は自分の部屋に駆け込んでいった。
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「あそこみたいだな」
「・・・・・・・・・ああ」
夏の平日、俺と谷屋は街中を歩いていた。目的地は母さんが使っている下着屋。
あの後、学校と両親に連絡を入れるとその両方から今日は休んでいいとのお達しをもらった。その付き合いで谷屋もだ。
両親は急な仕事の関係で帰ってくるのは明日の昼過ぎになるそうだ。
『谷屋君、息子・・・いや娘を頼む』
親父、そのセリフは明らかに使いどころを間違っているだろ・・・。
もちろんだが、俺はブラジャーなんて持ってない。自分で着替える時にも目のやり場に困ったし、女なら必要だと電話で母さんに滔々と諭された。
そういうわけで制服から私服に着替えてきた谷屋とまずは下着を買いに行くことになったわけだが・・・・。
「・・・入りたくない」
「わがまま言うな」
まるで歯医者を嫌がる子供のようだと自分でも分かってるが、どうしたって入りづらい。
「なんでお前はそんなに平気そうなんだよ?」
「口を尖らすな。従姉の付き添いで何回か入ってるうちに慣れた」
その従姉というのはこいつの初体験の相手のか・・・?
「ふーん」
なぜかイラついてくる。
「いいから。ほら、入るぞ」
引きずられるようにして店内に入る。
平日だからか予想していたほど客はいなかった。だけど、その中の一組は同世代みたいで明らかにその一人はおどおどしてる。まさか・・・・・。
「すいません。こいつのサイズ測ってください」
俺が店内の観察をしてるうちに谷屋が店員さんにそんなことを言っていた。
「わかりましたー、こちらへどうぞー」
「え、ちょ・・・」
店員さんの意外な力強さに引きずられながら、谷屋に助けを求めると、このやろう、にこやかに手を振ってやがる。
そのまま試着室に連れて行かれて・・・・。
「はーい、上脱いでくださいねー」
いや、もう思い出すのは止めておこう・・・・・。
一言だけ言わせてもらうとあんだけの羞恥プレイがあるというのを俺は生まれてはじめて知った。
「サイズ、どれぐらいだった?」
下着屋から出てから第一声がそれというのに、まず問題があるが・・・・
「なんで言わなきゃならん」
「そこを訊きたいのが男のサガだろ?」
普通に女に聞いたら下手をしなくてもセクハラだぞ。
「別に俺が何カップでもおまえに関係ないだろ」
「キーニーナールゥー」
うぜぇ。
もうブラジャーをしてるからノーブラを隠すための上着は脱いでいる、かなり暑かった。
さて次は服か。身長は少し縮んだだけで済んだけど(それでも谷屋の目くらいまでしかない)、体格はかなり華奢になったから一気に着れる服が減ったからな。
あ、制服も新しいの注文しないと。
「ねーねーねー」
「男がねーねーとか言うな」
いまだに俺のサイズを聞きだそうとする谷屋に裏手の突っ込みを入れる。
タスッ・・・
物凄い軽い音がして、腹にまともに入ったはずなのに谷屋はけろりとしている。
――やっぱり俺、女になったんだな~・・・・・・。
「そういうことすんなら、直で触るぞ」
にやつきながら、じりじりと寄ってくる谷屋に、本能的な危機を覚える。
「その手の動きやめろ」
「おう、お前が教えてくれたらな」
ついに後ろから肩を掴まれて、一瞬体がすくむ。だが嫌悪感がないのはどういうわけだ?
「ん~? 教えてくれないとガチで触るぞ? 朝からいっしょにいるんだからそれぐらいのご褒美くらいもらおうかなー?」
そうだった。
谷屋は一方的な呼び出しに文句一つなく来てくれて、そしてこんな手間の掛かることに付き合ってくれている。
それに俺が今、こうして平静に現状を認めていられるのは・・・こいつの、おかげ、なんだよな。
「・・・・・・だ・・ょ」
「ん? どーした」
「Bだったよ! もう少しでCだってよ!」
半分ヤケだった。
「おま・・・そんな大声で言うなよ」
知るか馬鹿。
「ふ~ん、Cに近いBねぇ」
見るな馬鹿。
「何か文句でもあるのか?」
「いや、別に。ま、しいて言えば、俺の好みにジャストミートのサイズ」
カッとなった。
「何馬鹿なこと言ってるんだ」
怒り、ではないけれど、頭に血が上って、俺は肩にある谷屋の手をはたき落とす。
「わーるかったって。じゃ、次の店に行くぞ」
「・・・・・・ああ」
血が上った理由はわからないけど、それは嫌なものではなかった気がする。
なんで嫌じゃないのか、そこまではわからなかったけど。
意気込んで服屋がいっぱい入ってるデパート他の服を買いに来たわけだが、スリムジーンズ二着買ったら残金1万切った。
なんで女の服って男のより高いんだろうな?
「どうするよ? 一回帰るか?」
谷屋がそう聞いてきたがせっかく親学校公認でさぼれてるのに、ここで帰るのもなんだか勿体無い。
「メシ、だな。もう昼時だし」
「あいよ」
というわけで、デパートの7階に移動。昼時とは言っても昼休みには少し早めだからどこも空いてるようだった。
「中野はパスタ好きだったよな?」
谷屋の質問に頷く。子供っぽいようだけどミートソースから卒業できない。
「じゃ、ここでいいよな」
谷屋が指した看板にまた頷く。某有名パスタ屋、今の残金でも余裕だろう。
「いらっしゃいませ、2名様でよろしいでしょうか?」
「いえ、あそこにもう1人います」
・・・このアホがっ!
「すいません! 2人です!」
ぽかーんとしている店員さんに謝ったのはなぜか俺だ。そして俺はまったく悪くないのに憮然とした態度の店員さんに案内された席に座る。
「何、馬鹿なことしてんだよ? あんまり幼稚なことするなっ!」
「あっはっはっはっはっはっは」
なにこの朗らかな笑い。
「バカップル・・・」
遠くから聞こえてきた呟きを俺の耳は聞き逃さなかった。声の主を探してキョロキョロしていると、さっき案内した店員と目が合った。
「おい、おまえのせいであんなこと言われたぞっ」
「ん? あんなことってなんだ」
どうやら谷屋には聞こえてなかったらしい。なんで俺だけこんな目にあわなきゃいけないんだ・・・。
その後は俺はミートソース、谷屋はカレーツナ(何だこれ)というものを頼んだ。
「ごめん、ちょっとトイレ」
料理が来るまでに行っとかないと。
・・・・・・・・さあ、困った。
男子、女子で分かれてたから、ためらいつつも女子の方に入って。個室に入ったんだけど・・・、こっからどうすりゃいいんだ?
多方面で聞きかじった知識を総動員してチャレンジ。
えっと、まずズボンを下ろして・・・パンツも・・・。
どうしてもそこを見てしまって、あるはずのモノがないショックを受けるが意外と長続きしなかった。そろそろ我慢できなくなってきたんだ。
男のが小を我慢できるってほんとだな。
大をするときみたく座って・・・あーなんでこんな緊張するんだろ。
チョボボボ・・・。
なんか、恥ずかしい。あ、そういえばしてる最中に水流すんだっけ?
思いついてレバーに手を伸ばそうとしたけど、ぐきっと肩がやばくなりそうで出来なかった。
あとは・・・紙で拭くんだよな、、前を・・・。
意を決して、紙を手に取る。そろそろとそこに手を近づけて、
「ひっ・・・や・・・・」
ぴりっと体に電気みたいのが走った
――何、今の声・・・?
いや考えるな、考えるな。
無我の境地で拭き終わって、そそくさとトイレを後にする。
席に戻ると料理も来てなかったみたいで谷屋が退屈そうにしていた。
「お、遅かったな。大きい方だったのか?」
「そういうことは訊くな」
デリカシーのない谷屋の質問にも、今の俺にはそう言うのが精一杯だった。
食い終わってから適当な話をしていると店の中が混んできて、出ようということになった。
「んじゃ、行くぞ」
「ちょっと待て、俺の分払う」
席を立つ時にレシートを持ってかれてしまって、勝手に払われてしまった。
「なんで?」
「なんでって言うなら、俺に言わせろよ。なんで理由もないのに奢られるんだよ」
「ん~、彼女のメシ代くらい奢るのが男の甲斐性だろ?」
思わぬ谷屋の言葉に口がパクパクと動いてしまった。
「なに、言って・・・!」
「ま、それは冗談だとして」
冗談・・・・・・。
当たり前のことなのに、どうしてこんなに自分のテンションが下がるのか説明が付かない。
「中野」
「・・・なんだよ」
「誕生日おめでとう」
また動きが止まってしまった。
「安いけど、この奢りはそのプレゼントってことにしといてくれ」
このどたばたのせいで自分さえ忘れていた自分の生まれた日を、こいつは、谷屋は覚えていてくれた。
「・・・わかった」
それが、嬉しかった。
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俺が女になってしまってから、早一ヶ月。
両親とも最初は少しだけぎくしゃくしたけど、一日でなじんだ。『実は女の子がほしかったんだよね~/な~』口を揃えてそう言ってくれたからな。
あと心配してたより学校での反響はなかった。俺の前の4人がいけにえになってくれたからな。
なんだおまえもかって、ある意味ラッキー、ある意味屈辱的な反応で迎え入れてもらえて、かなり楽だった。
まあ、一つ苦言を言わせてもらえば、男子の制服の楽さがすでに懐かしい。
でも今は夏休み。制服を着る機会なんてない。
と思ってたんだが。
「なんでこんな暑い中、俺たちは釘を打ってるんだ?」
俺の愚痴を拾い上げたのは谷屋だった。
「文化祭の準備だろ? お化け屋敷に中野も手上げてたじゃねーか」
それを言われると弱いが、俺の言い分はまだある。
「じゃあなんで俺と谷屋だけでこのクラス全部の出し物の準備をしてるんだ?」
うちの高校の文化祭は9月にある。そのために大体のクラスは8月中に準備を始めてるわけだが・・・。
「原因を考えれば、連絡網がどっかで止まった、用事がある、めんどくさがってこない奴がいるの3つくらいだな」
そんなのは俺だってわかってる。実際、俺たちのほかにもう1人女子が来てくれていたが、午後から用事があるってことで11時半には帰ってしまった
「やってらんね。休憩するぞ、休憩」
「深く同意させてもらおうか」
持っていたかなづちを投げ出して、教室の床にねっころがる。暑いから制服の上は脱いで、Tシャツに制服のスカートだ。
とりあえずスカートって暑いとき、バフバフできて楽だな。
「中野、はしたないぞ」
「うるさい、おまえしかいないから平気平気」
ぐったりしながらそう言うと、呆れたような溜息が降ってきた。
「なぁ、じゃんけん」
「今日は飲み物か?」
俺の提案の真意その通りを言ってくれる谷屋。
『じゃーんけーん』
はさみで石は切れない。そしてチョキを出した谷屋は缶ジュースを買いに教室を出て行った。
「あち~・・・・」
窓を開けても風すら吹きゃしない。つーか夏休み中は冷房禁止ってなんて学校だよ。
ふてくされた俺はそのまま目を閉じた。
「・・・ょう、稜、そろそろ起きろよ」
「ん~・・・?」
ゆっくりと目を開けると、教室の中が妙に赤い。
――え?
飛び起きて周りを見回して、もう夕方だということにすぐ気が付いた。
「え? ええ? 谷屋っ、なんで起こさなかったんだよ」
適当な机に座ってる谷屋に文句を言ってやる。学校でこんな長い時間昼寝するつもりなんかなかったぞ。
「なんでだろうな? なんか稜のこと起こしづらかったんだよな~」
うぜぇ。
俺が怒るのを楽しむみたいにニヤニヤして谷屋に腹が立つ。
「つか、おまえ、ほんとに気をつけたほうがいいぞ」
「何がだよ?」
聞き返すと不意にまじめな顔になった谷屋がゆっくりと近づいてくる。
「稜みたいな可愛い子が無防備に寝てたら危ないだろ?」
何を言い出すかと思えば・・・。
「おまえ、ここ学校だぞ? それに俺が元男なんて皆知ってんだから、手出そうなんてアホの上に変態なんかいないだろ?」
「だからそれが危ないんだって」
溜息をついて、谷屋はさらに近づいてくる。
「な、なんだよ」
目の前に立つ谷屋は今まで見たこともない顔をしていて、声の最後が小さくなってしまった。
「俺がどれだけ苦労してるか、教えてあげようと思って」
ぐるんと世界が回って、気付けば俺は教室の床に逆戻りしていた。しかもこの体勢は・・・・。
「ふざけんなよっ、上からどけ」
まるで谷屋に押し倒されているようで、そう怒鳴る。
「嫌に決まってるだろ」
聞いたことがないような真剣な声。見たことがない真剣な目で真上から俺を見つめている。
「元は男なんだから、俺が何考えてるくらい、わかるよな?」
本能的な恐怖が湧き上ってくる。
「冗談、だよ・・・な?」
自分の掠れた声をみっともないと思う余裕すらない。
「谷屋・・・・・」
「ハジメ」
「え・・・・・?」
「俺のこと名前で呼べよ、稜」
今気付いた、さっきから俺、谷屋に名前で呼ばれてる。
「なんでだよ」
「呼んでくれたら、今は我慢する」
それを信用したわけじゃなかったけど、苦しげな谷屋の顔が目から離れない。
「一、やめ・・・・・んぅ・・・ッ」
言葉の途中で谷屋の顔が近づいて、唇が、ふさがれた。
突き飛ばしたいのに、力が入らない。
「稜、稜・・・・・」
谷屋に名前を呼ばれるだけで、力が抜けていく。
このままじゃ、まずいのに。
「ぃひゃぁ!!!!」
瞬間、首筋に強烈な冷たさを感じて俺は跳ね上がった。
「お、やっと起きた」
「あ、谷・・・屋・・・・?」
え、え、今の、は?
「なんか中野がうなされててさ、起こそうとしても起きないから。悪かったな」
ペプシの缶を俺に渡しながら、谷屋はいつも通りの態度で話す。
今は、と時計を見て、まだ2時前なのがわかった。
――ってことは・・・今のは・・・。
夢?
なんであんなのを見るんだ? どうして谷屋が・・・?
「おい、どーした?」
俺の顔を覗きこむ谷屋の顔を正視できない。
「なんでも、ない」
生々しい夢の記憶がまだ残ってる。
『稜』
あの口が俺の名前を呼んで、そして俺に・・・っ。
「やっぱ変だな、なんかあったのか?」
「なんでもないっ!」
思いのほか強い口調になってしまって、ハッとする。慌てて谷屋を見るとかなり驚いてるみたいだった。
「ごめん、暑くて寝苦しくてイライラしてた」
下手な嘘だと誰でもわかる。
「あ、ああ、そうか。俺のほうこそ悪かったな」
なのに、谷屋は、悪くもないのに謝ってくれて、それが一層俺の居心地を悪くさせた。
どうして、俺はあんな夢を見てしまったんだろう・・・・。
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9月の第2土曜日曜がうちの高校の文化祭。
準備期間ラスト1週間での全員スパートのおかげで、一応なんとか施設は作り終わった。
ま、脅かし役、店番、店作り、小道具衣装作りとかは最初の方に決めてあったから、繁盛するかどうかは脅かし役の腕次第だろう。
基本的に皆二つ以上仕事を兼ねている。俺は店作り&店番、谷屋は、店作りと脅かし役だ。
生徒が登校していいのは8時からで一般に開始されるのは9時半から。その間の時間である。
「呼び込み?」
「そ、呼び込み」
もうすっかり女してる杉田がいきなり俺に提案してきた。
「別にいらないだろ? 今年は珍しく競合してるクラスもないし、独占市場なんだから」
「でも~、この呼び込み用の衣装、せっかく作ったのに」
そう言って取り出したのは、よく幽霊とかが着てる白い和服のミニスカ版と幽霊の額にある三角の布。
「ね、中野もいっしょにやろーよー」
「いやだ、必要もないのにそんなかっこうしてられるか」
どうやら杉田はこのかっこうがしたいらしい。一人じゃ嫌なだけだろう。
「どうしてもっていうなら、内藤を誘えばいいじゃねーか。あいつなら喜々としてそのかっこうすると思うぞ」
「あっ、それもそうね」
――やっぱりな。
跳ねるみたいに女体化仲間の内藤の方へ行った杉田を見送っていると、その視界に谷屋を見つけてしまって、一人で勝手に焦る。
しかもそういう時に限ってこいつは近づいてくるんだ。
「中野もあのかっこうするのか?」
「しねーよ」
『あれ』以来、谷屋の顔がまともに見れない。そのことに谷屋も気付いてないはずないのに、まったく触れないでいる。
「ふーん、もったいないな」
何がだ。
「あのかっこう、中野に似合いそうだし、ちょっと見てみたかったんだけどな~」
――うるさい。
そう言い返そうと思うのに、口はうまく動かずにもごもごと不明瞭な声だけが出た。
「ん? なんだって?」
「別に、なんでもない」
「そうか」
それだけ言って、谷屋は俺に背中を向ける。
――ぁ・・・・。
「? どうした」
自分でも無意識に谷屋のシャツを掴んでしまっていて、谷屋の疑問には答えることができない。
「わかんない・・・・けど、引き止めて悪かった」
「そうか。・・・・・中野は今日のシフト午前だよな?」
クラスの仕事は午前と午後の2班に分かれてて、谷屋が言うとおり俺は午前中が仕事だ。
「俺も午前で終わりだからさ、午後いっしょに回らないか?」
その提案に驚かされて谷屋の顔を見上げると、なんの含みもない谷屋の笑顔を間近で見てしまって、目がそらせなくなる。
「あ、ああ。わかっ・・・た」
「それじゃ、俺着替えとかあるから、また後でな」
ポンポンと頭を叩かれて、今度こそ谷屋は準備に行ってしまった。
叩かれた頭がじんわりと熱くなってきて、俺はそれを振り切るようにぶんぶんと顔を振った。
・・・・・・・認めたくなかったから。
この関係を、壊したくなかったから・・・・・。
「あ~、やっぱ人多すぎ」
「ああ」
生徒の家族、友人、知り合い、学校の近所の人なんぞが一気に来るから、けっこうな賑わいになっている廊下を谷屋と歩く。
明らかにそのスジの方が1年のあるクラスがやっている縁日の輪投げをしているのを発見したがうちの高校にそれ関係の奴がいるのか?
「さて、まずメシ食えそうなとこはっと・・・」
パンフレットをめくりながら谷屋は神妙な顔をして悩みだした。
「中野はどこがいい?」
たっぷり3分は悩んでからようやく俺に聞くことを思いついたのか、パンフレットを片手に顔を寄せてくる谷屋から1歩下がってしまった。
「とりあえずハズレもありそうだし、そこ全部見に行くぞ」
「あいよ」
人ごみの中を縫うように歩いていく。女になって初めての人ごみの中、男のころに比べてずんずんと行くのはできなくなっていたのに気付かされた。
だけど谷屋は苦心している俺に気付かずにぐいぐいと人を押しのけて先に行ってしまう。
それが、すごく嫌だった。
「谷屋!!! 」
周りの奴らが全員振り向く。
「おいおい、どーしたよ。いきなり大声出して」
「おまえ1人で勝手に先行くから追いつけないんだよ」
一瞬止まった周りの空気は、すぐに俺たちに興味をなくしたのか動き出していた。
「んじゃ、行くか」
手を掴まれ、引っ張られる。
その手を振りほどくことは出来なかった。
「動員数300人突破~! みんなおつかれ~!」
「おー!」
妙にテンション上がってるクラスメイトたちを尻目に俺はボーっとしていた。うちのクラスはお化け屋敷状態になってるから今はグラウンドにクラス全員が集まっている。
その中にいるのに、ここまで俺が暗くなっているのには、もちろん訳がある。
谷屋は今ここにはいない。
つい5分前に谷屋は隣のクラスの女子に呼び出されていった。だれがどう考えてもこのタイミングの呼び出しはアレしかない。
『告白』
気持ちが盛り上がってる今の時期なら、女の子のほうからしてきてもおかしくない。
それに、谷屋はいい奴だ。俺が女になってからそれを何度も確認させられてきた。
だからあの女の子は男を見る目があるんだろう。
「あっ、谷屋だ~」
杉田ののんびりした声が聞こえてきて、俺は身を硬くした。
「お帰り~。どうだった、OKしたん?」
「お、なんだ? みんなにはもうばれてるのか?」
ずきずきと胸が痛くなってくる。これ以上、ここにいたら・・・俺はおかしくなる。
「あ、中野、どうしたんだ? どっか痛いのか?」
うつむく俺に、谷屋が気付いて話しかけてくる。
今は、話しかけるな・・・・。
「大、丈夫・・・なんでもない」
「でもおまえ、顔色悪いぞ」
やめろ・・・。
「そう・・・か。少し、疲れたから・・・・・俺、先に帰るわ」
傍らにあった荷物を引っつかんで谷屋のそばから離れる。
「おまえ、本当に大丈夫か? なんなら送ってくぞ」
なのに、どうしてお前は付いて来るんだ・・・っ。
「大丈夫って言ってるだろ」
「だが・・・・」
「しつこい」
出す気もなかったどこまでも冷たい声が出てしまって、谷屋は面食らったようだった。その隙に俺はさっさと校庭から出て行く。
あんなことを言いたいわけじゃなかった。だけど今は無理なんだ。
なんの障害もなく、告白できるあの女の子が羨ましかった。
誰に後ろ指を指されることなく、自分の感情のままに動くことができる「自然な女の子」が羨ましかった。
「なぁ・・・谷屋」
おまえもそうだろう?
元男に好かれるなんて冗談じゃないだろ・・・?
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文化祭2日目。
我ながらひどいと思う顔で俺は登校した。できれば行きたくないと思ったけど、クラスメイトに迷惑が掛かるのは避けないとな。
「中野、おはよ~」
うちのクラスの控え室になっている教室に入ると杉田が話しかけてきた。今日は最初からあのミニスカ白装束だ。
「どしたの、顔色昨日のままだよ?」
「ああ、なんか寝つきが悪くてな」
「わかるわかる。疲れすぎてると逆に寝れなかったりするんだよね~」
我ながら下手くそな理由付けだと思ったけど、杉田はあっけなく信じてくれて、少しだけほっとする。
疲れたから、が眠れなかった理由じゃない。
眠りかけては、谷屋と昨日ちらっと見たあの女の子がいっしょにいる夢を見て何度も飛び起きた。
「お、中野~。なんだ今日は大丈夫か?」
教室に入ってきた谷屋の声。昨日までは、まだ普通にこの声を聞くことができていたのに、今はどう返事をしていいのかさえわからない。
「悪い、俺、トイレ」
「じゃ、俺も行くわ」
そう言って教室から逃げようとすると、今学校に来たくせに谷屋は俺についてきた。
教室を出て、しょうがなく右手の方にあるトイレに向かおうとしたら、ぐんっと体が傾いた。
「なん、だよ・・・?」
「それは俺のセリフだろう?」
ドキリとした。俺の手首を掴んだまま至近距離で。感情の読めない目で俺を見つめてくる。
「なんでここまであからさまに俺のことを避けるんだ」
なんで答えられないことを訊くんだ。
「俺、なにかしたか? おまえが俺を嫌がるようなこと、したか?」
違う・・・。ただ俺が悪いんだ。
俺が勝手に変な夢を見て、勝手におまえのことを・・・・。
「あ、谷屋君!」
俺よりも高い声がその場に響いて、俺と谷屋の視線は自然とそっちの方に向けられた。
「返事、考えてくれた?」
そのセリフだけで悟った。この奇妙な服装をしてる女の子が、昨日谷屋に告白したあの子だって。
「ああ、ちょうど良かった。そのことなんだけど・・・・」
「・・・・・・っっ!!!」
俺がいる前で、そんな話をしないでくれっ!
「放せっ!!!」
滅茶苦茶に体を動かして、手首の拘束から逃れる。
「お、おいっ、中野っ!?」
困惑した谷屋の声が後ろから聞こえてきたけど、俺は立ち止まることもその声に応えることもできず、脇目も振らずに走り続ける。
職員用のトイレに駆け込んで、個室の1つに立てこもる。
「・・・ふっ・・・・ぅぇ・・・」
堪えていたものが一気に湧き上がってきた。
悲しいのか、辛いのか、自分でもわからない。
だけど、溢れてくる涙を止めることができない。
谷屋と、あの子が話してるのを見ただけで、こんなになってしまう自分が情けなかった。
なのに・・・こんなに苦しいのに、まだ俺は谷屋のことを好きだと思っている。
「・・ぅ・・・く・・・」
ただ1つの救いは谷屋にこんな顔を見られなくて済んだことだった。
何回かチャイムが鳴ったところで、ようやく俺は落ち着いてきた。
途中で何回かノックされたけど、それには応えられなかった。少し悪かったかな・・・。
職員用のトイレの扉を少しだけ開けて、周りを確認する。昨日と同じくらいの人でごった返していて、誰もトイレのほうには気を向けてなかった。
そそくさとトイレから立ち去って、クラスの方に足を向ける。今日の俺の仕事も午前なのに、今はもう11時過ぎ。
サボってしまった気まずさから早くお化け屋敷に行きたいのに、あそこには谷屋がいると思うと、足取りが重くなってしまう。
「かーのじょ!」
だけど、このまま帰るわけにもいかない。せっかく夏休みから準備してきたんだから、最後までやりたいから。
「ちょ、おもっきり無視!?」
それに同じクラスなんだから、今だけ谷屋を避けてもどうにもならない。
なら、ちゃんと向き合わないと・・・・。
「おいっ!」
「うわっ!?」
いきなり腕を掴まれ、ガクッとなった。
その原因を探して振り向くと、そこには金髪、色黒、貴金属というまるでダメ人間という風体の男が俺の腕を掴んでいる。
「俺さ、無視されて今すごーく傷ついたんだ。だからさ、そんな俺を慰めがてら、この学校案内してよ」
どうやらナンパらしい。人様の学校まで来て、何考えてんだこのクソは。
「え、マジ? たっすかる~」
貼り付けたような笑顔が気持ち悪い。掴まれてる腕が腐りそうな錯覚までする。
俺は何も言っていないのに男は勝手に頷いて、今度は逆の手を俺に伸ばしてくる。
「触るな」
渾身の力でそれを叩き落した瞬間に男の表情が一変する。
「てめぇ、人が下手に出てりゃ・・・」
「うるさい!!」
こんな奴の言うことなんか聞いてられない。またも渾身の力で振り抜いた足が男の股間に直撃し、言葉を途切れさせて男は廊下に沈んだ。
「つーか、俺、元男だし」
捨て台詞のつもりでそう言ってやる。
「は・・・? おと、こだ? ・・・・うーわ最低」
床に転がりながらの吐き捨てるような男の言葉。
「女に、なったってーことは、童貞だろ? ・・・・ハッ、童貞がなに女気取ってんだか」
こんな負け犬の遠吠えを聞くことなんかないのに、俺は立ちすくんで動けなくなってしまった。
「あっ! 中野ったらこんなところに!」
そこに第3者の声が割り込んできた。杉田だ。
「も~、中野がいなくなるから私がシフト代わったんだよ! だから午後は・・・ってこれなに?」
うずくまっている男を指さす杉田。
「俺さ~、この元男に蹴られて動けないわけ。保健室つれてってくれないかな~?」
「残念、私も元男よ。あと知ってる? 校内ナンパ厳禁!」
警備員さ~ん! と杉田が叫ぶとどこからか柔道部と空手部の集団が現れて、ナンパ男の両脇を抱えてどこかに行ってしまった。
「なんであんな腐れが童貞じゃないんだろう・・・って、中野? なに、大丈夫?」
俺の顔を覗きこんだ杉田が心配そうな声を上げる。
「ああ、うん。平気・・・」
「そんな顔色には見えないし、目もなんか赤いよ」
それぐらい・・・・自分でもわかってる。
だけど頑なに大丈夫だと言い張る俺に、杉田は溜息をついた。
「わかった。じゃあもう一時間だけ私が仕事代わっててあげるから、保健室でせめて目だけは冷やしてきな」
杉田の譲歩をさすがに断れず、俺は保健室で氷嚢を借りる。
「そんなこと・・・・わかってんだよ・・・」
それを目に当てながら、自分にだけ聞こえる声でつぶやく。
あのクソに言われなくたって、わかってたんだよ。どう頑張ったって、俺みたいな元男は本物には勝てない。
いくら外見が同じだからって、中身まで本物にはなれないことなんて・・・。
「わかってるんだよ・・・・・」
目の腫れが引いてきたから、1時間を待たずに俺はお化け屋敷の前まで来た。
受付に座っていた杉田に礼を言ってから仕事を始める。谷屋は午前のシフトだったから、今はもうどこかに行ってるだろう。
――・・・あの女の子といっしょなのかな・・・?
考えるな、考えるな。
そうやって思考を殺して機械的に仕事をこなしていると、少しだけ楽になってきた。それが、ただ感情が麻痺してるだけだとわかっていても。
「何名様ですか?」
そんな感じで人数を聞いては、『正』の字を書き込んでいく。今日も盛況ですでに200人は来てる。
「1人で」
男の1人か・・・。寂しい人もいるもんだ。
「・・・はい。それではどうぞ」
「おい、気付けよ」
降ってきた声に凍ったようになっていた感情が溶かされる。
「なっ・・・、なんで、おまえ・・・」
「だってお化け屋敷行きたくても、うちしかやってないからな~」
的外れな回答を俺にする谷屋。
「だ、だってじゃないっ。詰まるから、早く入れよ」
ここに――俺の前にいないでくれ。今は本当に谷屋の近くにいるのが辛い・・・。
目をそらす俺を谷屋はじっと見て、そして溜息をつく。・・・そんなことにいちいち反応してしまう自分が情けない。
「・・・・わかった。じゃあ、文化祭終わったら俺に少し時間をくれ」
俺の返事を待つことなく谷屋は教室の中に消えていった。
無意識にそれを見送ろうと目だけで谷屋を追って、そしてその視線は静かに閉じられた教室の扉に遮られた。
そして午後4時。
『長台高文化祭にお越しの皆さんありがとうございました。只今をもって、第37回長台文化祭は終了いたします。生徒の皆さん、お疲れ様でした!』
実行委員のアナウンスがあって、あちこちから歓声や拍手が起こる。
それに引き続いて後片付けの説明が放送される。うちの文化祭には後夜祭は無い。5年くらい前に酒盛りした奴らがいるからだそうだ。
無事に終わったことにほっとしていると、杉田が手を叩いてみんなの注目を集めていた。
「目標の500をはるかに超えた総動員数700人突破ー! みんなお疲れ様ー!」
『おー!』
いつのまにかクラスの中心になっている杉田に釣られて、みんなテンションが上がってる。なんで俺はこれに乗れないんだろう。
「じゃー打ち上げの和民に予約入れるから。出席する人!」
それに大体の奴らが手を上げる。俺も手を上げようかと思ったけど、こんな気持ちでは楽しめそうにないからやめておこ・・・。
「なあ、杉田」
突然俺の後ろから響く声に俺は肩を弾ませた。
「どしたの、谷屋?」
さっきまでいなかったのに、いつのまに・・・・。
「俺と中野さ~、最初の方ずっと2人で準備してたじゃん? だから片付け、抜けてもいいか?」
何、言ってんだ、こいつ・・・?
「あ~、そういえばな~」
「まあ、二人くらい抜けても・・・」
「2人ともがんばってたし」
ちょっと待て、おまえら。
「うん。みんな異議ないみたいだし、じゃ、2人ともお疲れ~」
当事者の俺を置いてきぼりにした、あまりのクラスメイトたちの会話の流れに俺は呆気に取られて止まってしまった。
「だってよ。中野、帰るぞ」
「な・・・んで・・・?」
「いいから」
あんまりな出来事に困惑してたせいで強引な谷屋にろくな抵抗もできずに引きずられる。
「あ、ちょっと!」
だけど俺たちが教室を出ようとしたところで杉田が待ったをかけてくれた。
「2人とも和民はどうするの!?」
・・・その心配かっ!
「あ~、悪いけど俺パス。中野もな」
「りょーかい。じゃあお疲れ様~」
またも俺の意見は聞かれないまま会話は終わり、俺は谷屋に引きずられながら片付けに勤しむ生徒の隙間を抜けて外まで連れてこられた。
「・・・いいかげん、手、放せよ・・・・・・」
呟くような声で告げる。これ以上大きな声で言うと、感情が抑えられなくなりそうで。
「その提案には乗れないな」
ふざけた口調で、さらに強く手を握られて、一瞬心臓が止まるかと思った。
「・・・からかってんなら、殴るぞ」
「中野、力弱くなったし殴られてもなー」
・・っ、やっぱりからかってたのか・・・?
ここまでこいつの言動で気持ちが左右するなんて思ってなかった。
「手ぇ放したら、またどーせ逃げるんだろ?」
声の質が変わったのに気付いて、谷屋を見上げる。
「だったら放すわけねーじゃねーか」
谷屋は俺を見ていなくて俺に都合のいい幻聴かと思った。
「行くぞ」
だけど、俺はそれ以上何も聞けず、抵抗もせずに谷屋に手を握られたままでいることを選んだんだ。
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谷屋は、本当に俺の手を放さないまま、ズンズンと歩いていく。そして俺も、それに引っ張られるように谷屋の一歩後ろを歩いていく。
その間、谷屋は何も話さなかった。道を歩いてる時も、電車に乗ってる時も・・・・・。
だけど、手を放さないでいてくれる。俺の顔は見ずに淡々としているけど、たとえそれが今だけだとわかっていても・・・嬉しい。
「中野、着いたぞ」
電車から降りてしばらくしたところで、不意に谷屋が話しかけてきた。顔を上げるとそこは。
「俺、んち・・・?」
「鍵あけてくれ」
言われるまま鍵をあけようとして、家の鍵はバッグの中に入ってたことを思い出した。
「たに・・・」
そのことを言おうとすると、鼻先に俺のバッグが突きつけられる。気付かなかったけど教室を出る時に俺の荷物も取っていたらしい。
「おじゃまします、っと」
家の中になぜか谷屋もいっしょに入ってくる。世間的には休みだけど、仕事がある両親はまだ帰ってきてなかった。
「じゃ、お前の言い分を聞かせてもらおうか」
――俺の・・・言い分?
リビングに我が物顔で座った谷屋がさらに続ける。
「昨日からいきなり俺のこと避けだしたよな? どうしてだ?」
なんで答えられない質問をするんだ。
「いや・・・・ついでだから聞かせてもらうけど、けっこう前からおまえおかしかったよな」
谷屋の言葉にドキリとする。やっぱり・・・気付かれてた。
「中野から話しかけてこなくなったし、返事も適当だし・・・・、それに今も目逸らしてるだろ?」
――それは・・・・。
そう言われても、谷屋と目を合わせることができずに、ただ俺はリビングの床を凝視していた。
沈黙が落ちる。
理由なんか言えるわけがない。
『おまえが好きになったから、あの女の子と付き合うな』
こんな醜いエゴ丸出しのセリフなんか絶対に言えない。
しばらく俺の答えを待っていた谷屋が溜息をついた。そして何も言わずに立ち上がる。
「どこ、行くんだよ・・・・?」
俺の言葉は受け止められることのないまま地面に落ちた。俺を一瞥もしないまま、谷屋は玄関に向かって歩き出す。
「たに・・・やっ!」
掠れた声で呼んでも、谷屋は振り向いてくれない。
――イヤだ・・・っ。
谷屋を追って廊下に出ると、もう玄関で靴を履こうとしている。
――行くな!
声を出したつもりなのに、喉がつかえたようになって掠れた息しか出なかった。ここで谷屋が帰ってしまうと何かが壊れてしまう。
そんな予感がした。
谷屋が扉に手を掛けて、俺は・・・・。
―――ガコッ!―――
「・・・ってぇ~!」
俺が投げた箱ティッシュが角から谷屋の頭に当たった。
「おまえ・・・いきなり何すん・・・・」
不自然に谷屋の言葉が途切れる。だけどそんなことはどうでもいい。今は谷屋が俺を見てくれている。
「中野・・・・?」
履いた靴をまた脱いで、谷屋は俺の方に来てくれた。
「なんで泣いてるんだよ?」
言われて、初めて頬が濡れてることに気がついた。
答えようとして口を開けると、しゃくりあげるような息が漏れてしまって、なかなか言葉にならない。
だけど、何か言わないとまた谷屋がいなくなってしまう。そんな恐怖に駆られて言葉をつむぐ。
「た、にやがっ・・・・帰ろ、っとする、から・・・」
「だから、泣いてるのか?」
必死に涙を止めようとしながら、谷屋の声にうなずく。
「なんでだ? 俺のこと避けてたの中野のほうだろ?」
「・・・だ、って・・・・・谷屋が・・・・」
「俺が?」
あやすような穏やかな声で、俺の言葉を待ってくれる。
――・・・違う・・・・・。
俺が悪いんだから、谷屋のせいにしちゃだめだ。
「ちが、くて・・・・、俺が・・・勝手な夢、見たから」
「どんな夢なんだ?」
『これ』を言ってしまったら、この関係は崩れ去ってしまう。でも、ここで言わないでいたら、谷屋とは切れてしまう。
ポツリポツリと、あの夏休みの夢を谷屋に説明すると、谷屋はまた黙り込んでしまった。
「俺、元男のくせに、谷屋のことこんなふうに考えてて・・・・」
ごめん、と告げても谷屋の反応はない。
胸が引き絞られるように痛む。けど、誤解されたまま別れるよりはまだましだ。
「め・・・わく、だよな?」
また沈黙が落ちて、居たたまれなくなってくる。また涙が出てきた。
「ごめ・・・な。忘れていいから・・・・。谷屋は、あの女の子と付き合って・・・」
「自分の感情は、自分が決める」
だけど、たまには俺と話してくれ、という言葉の続きは谷屋の声にかき消された。
「おまえは、ほんとに自分勝手なやつだよな。なんで俺があの子と付き合うってのが決定済みなんだ?」
押し殺した声で言われて、体がすくんだ。
「そんな理由ならおまえとの付き合いをやめるつもりはない」
理不尽な谷屋の言葉に、一瞬にして頭に血が上る。
「な、んでそんなこと言うんだ! 俺がおまえといるとどれだけ辛かったのか、わからないくせに!」
そしておまえに彼女が出来るのを近くで見なくちゃいけないのか、となじっても、谷屋は眉一つ動かさなかった。
「おまえこそ、俺の性格くらいわかってろよ」
変わらない静かな声でゆっくりと。
「俺は冗談にでも、ただの友達とか、どうとも思ってない奴を『彼女』とは呼んだりしないぞ?」
意味が、わからなかった。
それを理解しようとして、記憶を探っていると、あることにたどり着く。
『彼女のメシ代くらい奢るのが男の甲斐性だろ?』
あのパスタ屋から出た時、谷屋はたしかにそう言っていた。
「でも・・・・おまえ、あれ冗談だ、って・・・」
「それまで友達だった奴が女体化した、その日にマジ惚れしました、なんて誰が言えるよ?」
また幻聴かと思った。
「まだ混乱してるときにそんなこと言えるわけないだろ?」
あまりに俺に都合のいい言葉だから・・・。
「いきなり男、しかも俺に告られたって困るだけだっただろ?」
だけど谷屋の口は言葉の通りに動いていて・・・・。
「しかもおまえ、俺の前で無防備な姿ばっか見せるから、俺だって違う意味で辛かったんだぞ?」
でも、信じられない・・・。
「う、そだ・・・・」
「信じろ」
ゆっくりと肩を掴まれて、抱き寄せられる。
「だって・・・俺が女にならなかったら、そんな事思わないだろ・・・・?」
「あのな・・・。その言葉そっくり返させてもらうぞ」
耳元での呆れたような声に体が震える。
「・・・・・・・信じて、いいのか・・・?」
「ああ」
恐る恐る谷屋の体に抱きつく。するとさらに強く抱きしめ返してくれる。
嬉し涙というものを流したのは、初めてだった。
「中野・・・・好きだぞ」
現実では初めてかもしれない谷屋の真剣な声。
「俺も・・・・好き」
そう返すと、谷屋の唇にそっとふさがれた。
こんな幸せな気持ちになれるなんて知ったのも、生まれて初めてだった。
最終更新:2008年06月14日 09:58