『中野と谷屋』後日談 ☆

 その日、俺は朝から馬鹿みたいに緊張していた。

 谷屋とは文化祭が終わったあの日から、付き合い始めた。恥ずかしいけど、今、あいつは俺の彼氏ってことになるんだよな。

 そのことを考えてついボーっとしてしまっていたのに気付いて、慌てて手を動かし始める。掃除機なんて学校の特別教室の掃除でしか使ったことないのに。

 両親は今は出かけている。今回は二人とも九州に出張だそうだ。現地で落ちあって遊んでんじゃないだろうな…?

 察しのいい奴ならもう気づいてると思うが、今日は谷屋がうちに来る。しかも泊まりでだ。

 こうなった発端は何かというと……。


 5日間の試験休み(うちの学校では奇跡的に残ってる)の初日に谷屋と、その、デートをしてる時だった。

『明日からさー、親が二人とも出張行くんだ』

 なんでこんな話の流れになったかは覚えてない。そんなに意識せずについ漏らしてしまったという感じだった。

『ひどいと思わねー? 仮にも娘を1人にして自分たちは九州だって』

『………じゃあ、俺がお前んちに行ってやろうか?』


 冷静になってみると、ただただ俺が誘ってるようにしか考えられなくて、顔から火が出そうだった。

 けど、俺は谷屋の申し出を断らずに頷いた。

 どうしても元男だということを気にしてしまう俺に、谷屋はかなり気を使ってくれていて、そういう触れ合いはまだ一度もない。

 もちろんこういうのは人それぞれだってわかってるけど、このままだといつまでもずるずるとしてしまいそうで、俺も何か踏ん切りが欲しかったところでもあった。

 その踏ん切りを自分で作ってしまうとは思ってなかったけどな。

 谷屋は午後から来るようで、両親が出て行ってからずっとどたばたしている自分に一抹のむなしさを感じる。

 だけどそれもしょうがない。俺が女になってから谷屋は何回もうちには来てるけど、俺の部屋には入ってないんだから、つい…な。

 ――風呂……も、入っておいた方がいいのか?

 ――谷屋は、どの部屋で寝るんだ?

 とか、馬鹿な想像をしてるうちに、気付けば時間は経っていて。

 結局俺が出来たのは、部屋の掃除と、布団のシーツの虫干しくらいだった。



―――ピンポーン。

「…ハッ!?」

 玄関のチャイムが鳴って、驚いた俺はテーブルに突っ伏していた頭を上げる。ちょうど時計が見えて、それは1時半を指している。

 って…俺、寝てたのか…?

―――ピンポーン。

 二回目のチャイムにまたはっとさせられて、急いで玄関に向かう。

「よっ。おはよ~」

「おはよう、って…、もう昼過ぎだぞ?」

 ドアを開けると、約束通りの時間に来た谷屋が立っていて、そんなことを言ってきた。肩から掛けてる大きめのバッグに少しドキドキする。

「いま起きた奴がそういうこと言うのか?」

 ――なんで知ってるんだ!?

 ニヤニヤしながらの谷屋の言葉に簡単に動揺しそうになって、だけどそれを出さないようにして言い繕う。

「んなわけないだろ? 朝から起きてたっつーの」

「ふ~ん?」

 さらにニヤニヤを深めて谷屋は玄関の中に入ってくる。うちの玄関はそんなに広くないから、必然的に谷屋と近くにいることになってしまう。

「あ、上がれよっ」

 その距離が気恥ずかしくて慌ててそう言うと、肩を掴まれて谷屋のほうに引き寄せられる。

「なに……」

「中野」

 至近距離で見つめられて、目が離せなくなる。

 ――いき…なりか?

 谷屋の手が俺の頬に添えられて、カッと顔が熱くなる。もう、かなり心臓がやばい…。

「腕の跡、ついてるぞ」

「うぇ?」

 頬をつままれた。

「顔の下に腕置いて寝てただろ。ここ赤くなったままだぞ」

 ふにふにと俺の頬で遊びながら、さっきのニヤニヤを復活させた谷屋がそんなことを指摘してきて…。

 違う意味で一気に顔が赤くなった。

「~~~~~~っ、谷屋のアホッ!!!」

 居たたまれなくて、つい谷屋の顔をはたいてしまった俺を誰も責められないだろう。

 さすがによろけた谷屋を放って、俺はさっさと家の中に戻ったのだった。

「なあ、どうしたよ中野?」

「うるさい」

 すぐにリビングに追いついてきた谷屋に、もちろん素直な態度なんか取れるわけなく、そっけなく切り捨ててしまう。

 そのまま谷屋に背を向けて、リビングに座り込む。我ながら可愛くない奴だと思うけどどうしようもない。

「わーるかったって」

 そう言うってことは、こいつはわかっててやったのか?

 疑心に満ちた目で谷屋がいる方を振り向くと、その視線に気付いた谷屋が曖昧な笑みを浮かべたまま俺のそばに来た。

「ごめんな?」

 考えようによっては勝手に勘違いした俺のほうが悪いのに…、いつもそうだ。こういう時谷屋はいつも先に折れてくれる。

「なんで、謝るんだよ?」

「さあな~?」

 しゃがみこんで俺と同じ目線で谷屋が覗きこんできて、ポンポンポンと俺の頭を軽く叩く。

 本人に言ってやるつもりはまったくないが、俺は谷屋にこれをされるのがすごく好きだ。どこか許されてるような、甘やかされてる気分になってくる。

「俺も…ごめん、な?」

 おずおずと告げると、一瞬谷屋の手が止まる。

 不思議に思って手の影から見上げると、谷屋は逆の手で顔を押さえていた。そこはついさっき俺が思いっきり叩いてしまったところで。

「あ…、だい、じょうぶか?」

 手を伸ばして、谷屋の手の上からそこをさすると、ゆっくりと谷屋は顔の手をどかしてじっと俺のほうを見てきた。

「おまえ……」

「なに?」

 呆れたような声を不思議に思って聞き返すと、一瞬だけ目を逸らされて、それでもすぐになんでもないと目を見て教えられた。

 このときはそれで納得したけど、俺がその本当の意味を知ったのはこの日の夜のことだった。



「くそっ、また自爆った!」

「お前の自爆癖はいつ治るんだ?」

 言葉だけ聞いてるとまったく理解できないけど、俺と谷屋はいま某爆弾男のゲームをしている。谷屋が持ってきたものだ。うちにはまったくゲーム機の類は無いからな。

 ちなみに前者の声が俺。コンピュータ相手には勝てるけど、谷屋相手だと焦って、置かなくてもいい場所に爆弾を置いて、誘爆、そして死。というのが俺のパターン。

 それとあのぷよぷよしてる物体を4つくっつけて戦うゲームもやったが、あれはひどかった。

 何がというとそのゲームについては全く手加減しない谷屋だ。素人相手に基本が5連鎖なんて、ただの鬼だ。

「そろそろ腹減らないか?」

 そうしてけっこうな時間をゲームで潰していると、さすがに腹が減ってきた。つーか忘れてたけど、俺、昼食べてない。

 まだ夕方と言っていいのかちょっと考える時間だったけど、ついそんなことを谷屋に聞いてみた。

「ん~、あれば食えるってレベル? そういや今日の晩飯どうするんだ?」

「一応俺が作るつもりだけど」

 ドーン、としょぼい音を立てて、谷屋が操っていた奴が吹っ飛んだ。

「……まじか?」

 なんでそこまで意外そうな声を出す?

「中野、料理できたのか?」

「少しだけど母さんに教えてもらったからな」

『女としてっ、これくらいのっ、ことが出来なきゃ失格なのよっ!! 』

 珍しく母さんが休みの日に、なんとなくそんな話になって、そして半ば叫ぶようにそう言われた。今考えると、あれは教えるじゃなくて、叩き込むって感じだな…。

 むなしい回想をしているとびしびしと視線が当たるのに気付く。

 そっちの方を振り向けば、未だに半信半疑のぽかーんとした顔でこっちを見ている谷屋。

「その目の意味は信じられないって事か?」

「あっ、いや……」

 珍しくしどろもどろになる谷屋に、ふつふつと何かが湧きあがってきた。

「じゃあ行くぞ」

「どこにだよ」

 突然立ち上がった俺に谷屋が聞いてくる。

「買い物だよ!」


 まあ、ただの勢いだったんだけど、俺と谷屋はいまいっしょに近所のスーパーに来ている。午前中寝ちゃったから買い物行けなかったし、ちょうどいいか。

「なあ、谷屋はなんか嫌いなもんはあるか?」

「強いて言えば…茄子か、って聞いた直後にカゴに入れるな」

 このやろう、俺が入れた茄子を勝手に元の場所に戻しやがった。

「嫌いってことは今までこの野菜から採ってきた栄養分が少ないって事だろ」

 だから少しは訓練しろと、また茄子をカゴに戻す。

「…じゃ、中野が嫌いなものはなんだ?」

 誰がその手に乗るか……って。

「おいっ、勝手にしめじ入れるなっ!」

 いつの間に俺の好みを知ったんだこいつ。

 その後も何だかんだしてるうちに、今日のメニューは茄子入りミートソーススパゲティと、しめじのパター炒め、そして肉じゃがいうなんかめちゃくちゃな取り合わせになってしまったのだった。


 家に帰ってきて、早速調理開始。

「ほー、中野んちは三角巾なんかつけるのか。・・・・・・なあ、エプロンしねーの?」

 暇をもてあましたのか、キッチンの外から谷屋が聞いてきた。

 最初は谷屋も一緒に始めたんだけど、指を伸ばしたまま野菜を切り出した時点で退場処分にした。危ないからな。

「親父のならあるけど」

「じゃ、それ着てみ」

 あまりに暇そうにしてるからかわいそうになってきて、つい言うことを聞いてやる。

 料理が趣味の親父のエプロンを持ってきて、身に付ける。……やっぱり少しでかいな。

「これでいいか?」

 聞くと谷屋の動きは止まっていて。

「……あっ? あ、ああ」

 すぐに俺の言葉に反応したけど、その後も谷屋はどこかボーっと俺が作る料理を見続けていた。


 俺が作ったご飯は好評だったようだ。谷屋のことだからまずくても言わないんじゃないかと思ったけど、そんな素振りは一切なかったから。

 夕飯の片付けを済ませた後、あの番組がああだとか、テストの結果はどうだろうとか、けっこう色々谷屋と話してたんだけど、すでに記憶から吹っ飛んでいる。

「やば……」

 ただ風呂に入ってるだけなのに、心臓がバクバクいってる。

 お客っていうことだから先に谷屋を風呂に入らせて、そして俺の番になったわけなんだけど…。

 ――ついさっきまでここで谷屋が裸で…っ。

 やばい、本格的に思考がおかしくなってきた。何も考えないようにと頭を振ると、長めの髪が顔に纏わりついてくる。

 髪と体を洗って、湯船に入る時も同じようなことをした俺はかなりのアホだろう。

 これ以上ここにいたらやばい、と真面目に思って、あったまるのもそこそこに俺はさっさと風呂場を後にした。

「お、意外と早かったな」

 リビングに戻ると、半袖短パンという俺と似たような格好の谷屋がテレビを見ていた。

『……そう、連絡が取れなくて、そこに行ってみたんですよ…』

 誰だ、季節外れの怪談ものなんか企画した奴は?

 内心で眉をひそめた俺はそのまま谷屋の横に座った。

「女って、もっと風呂に時間がかかるもんじゃないのか?」

 もちろんだとも。俺だって普段はもっと時間を掛ける。

 けど、それを言うとなんで早いんだと追求されそうで俺は口からでまかせを言うことにした。

「いや、けっこうみんなこんなもんだぞ」

 他の女性の皆さんに申し訳ないと思うけども、ここはそういうことにしておいた方が無難だろうな。

「そんなもんか、って、おまえ…髪くらいちゃんと乾かしてこいよ」

 谷屋に指摘されてまだかなり髪が湿ってるのに気がついた。そういえば風呂場から逃げるのが最優先だったせいで、タオルで適当にしか拭かなかったんだっけ。

 風呂場に戻るのが嫌で、そのうち乾くからいい、と主張していると溜息をついた谷屋が風呂場の方へ行ってしまって、そして何か持って戻ってきた。

「ここに座れ」

 タオルとブラシとドライヤーを持って膝立ちになった谷屋は、自分の前の床をポンポンと叩きながら俺を見る。

 もしや、これは…。

「いいっ! 自分でやる!」

「いいから、さっさと座れ」

 谷屋からドライヤーを奪おうと手を伸ばしても、俺の抵抗は簡単に封じられて、結局谷屋の前に座らされる。

 不本意ながら谷屋に髪を乾かしてもらうという状況になってしまった。

「……なんで、そんなに上手いんだ?」

 男のころと違って、いまの俺の髪はかなり柔らかくなってしまったから、こうガシガシと頭を拭いてしまうと一発で髪がこんがらがってしまう。

 俺も最初はそうしてしまったのに、なぜか谷屋は少しも乱暴なところがない。

「あ~……さぁな~?」

 適当な谷屋の返答に、ふっ、と頭によぎったのは谷屋の従姉の存在。

 ――あの従姉にも、こんなことをしたから慣れてるのか…?

 なぜか、すごく嫌な気分になった。

「もういい」

 ドライヤーに手を伸ばしかけた谷屋の手を掴む。

「なんだ? まだちゃんと乾いてないぞ」

 わかってる…、これはただの嫉妬だ。

 どうしてもその従姉の存在を感じるのが辛くて……。

「もう、いいから……。なあ?」

 だからといって谷屋と気まずくなりたいわけでもない。

 けど、今は自分の顔を見せたくなくて、俺は谷屋の胸に背を預けるように座り込む。

「な、中野? いきなりどーした?」

 どこか困惑したような谷屋の声に答えずに、掴んだままだった谷屋の手をプラプラさせたりして遊ぶ。

 背中全体に感じる谷屋の体温が心地いい。

 つまらないことだけど、それだけで俺の気持ちは少し落ち着いてきた。

 だけど次の瞬間、あったかくなってきた気持ちに冷や水を浴びせかけられた。


「中野…、おまえ、いいかげんにしてくれよ」


「…ったく、なんなんだよ」

 忌々しげな、今にも舌打ちでもしそうな声が頭の後ろから聞こえてくる。それだけで、動けなくなった。

 舌打ちはしないまでも、長く吐かれた息が首筋にかかって、びくりと体がすくむ。

 ついさっきまでは、良いとはいかなくても普通にしてた谷屋の機嫌が悪くなってる。

「おまえさ、俺がどんだけ我慢してるか…わかってないだろ?」

 俺は、何か谷屋を怒らせてしまうようなことをしたのか…?

 ――なんだ……なんで、だ?

 振り返るのが怖い。けれど恐る恐る谷屋のほうを見ると、感情の読めない二つの目が俺を見ていた。

 理由を考えるのに、同じ言葉だけが何度も繰り返されて、ちっともまとまらない。

 何を言えば良いのかもわからないまま、それでも何かを言わなければと口だけがむなしく動く。

「ごめっ…ごめん……」

「なんで謝ってるのか、自分でわかってるのか?」

 消え入るような声は、さらに積み重ねられた質問に打ち消される。

 口先だけで謝るなと指摘されて、口をつぐむしかなくなる。この期に及んでも原因が見つけられない。

 つい目を逸らしてしまって、それでも谷屋の無感情な視線が俺に突き刺さる。

 何も聞かない谷屋と、何も答えられない俺。

 その沈黙があの日、このリビングでの……谷屋が、俺の前から消えてしまう恐怖をよみがえらせた。

「…どこにも、行かないよな……?」

 急に、怖くなった。

 ただ谷屋が何も告げずに去っていってしまうのがどうしようもなく…。

「…中野?」

「りゆ…っ、教えてくれ…。直すから、お前が言うところ全部っ…直すからっ!」

 ツンと鼻の奥が痛む。

 泣き落としなんて最低だと思うのに、言葉が止められない。

「ごめん……ごめ…なさい…」

 何をしてしまったのかわかってないくせに、謝ることしかできなかった。

「あ、やまるからっ…、だから…」

 ――いなくならないで。

 俺が何よりも恐れていることを、必死でつむぎだした。…もう、意地を張ることなんかできなかった……。

「………………」

 やっぱり…ダメ、なのか…? 

 返事をしてくれない谷屋に、不安だけが募っていく。…どうすれば、許してくれるんだ…? 

「たに、や…」

 手を伸ばしかけて、でもそれは途中で止まった。もし振り払われたら、俺は立ち直れなくなる。

 こんなにも、谷屋に依存してる自分が情けない…。

 ぴくりと谷屋の肩が動くのがわかって、俺は身を硬くした。

「おまえは、いつも…そうだよな」

 押し殺したような谷屋の声が耳に届いた。その内容は、俺の狡さを責めているようで…。

「…っ、ごめ…」

 また実のない謝罪が口から出てしまいそうになって、だけどそれは谷屋の手によってふさがれてしまった。

「本当に悪いと思って謝るのが筋だろ?」

 そのままそう言われて、谷屋のあまりの目の強さに、俺は視線を彷徨わせる。どうしていいのかわからない…。

「泣きそうな顔、するなよ…」

 ――……え?

「自分からはすぐにくっついてくるくせに…、俺が触れようとするとすぐに逃げる」

 初めて聞く苦しげな谷屋の声。

「中野さ…、おまえ、男としての感覚とか、もう結構抜けてるだろ?」

 何が言いたいのか、理解できずに目を見開いていると、不意に谷屋の手が伸ばされて髪をひと房だけ持ち上げられる。

 いきなりな行動に体を震わせる俺を、痛ましい目で谷屋は見つめる。

「ほら、な? 自分じゃわかってないだろうけど、すぐに不安そうな顔になるんだよ」

「ちがう…」

 ちがわないだろ、と静かな声で決め付けられてしまう。

「おまえが怖がるようなことはしたくない。…でも男だからさ、好きな奴が自分の目の前にいると、どうしたってそっちのことを考える。だから…」

「『自分の感情は、自分で決める』」

 勝手に口が動いて、谷屋の言葉を遮った。

「おまえが、俺に言ったことだろ? な、のに、なんで谷屋は…俺の感情を勝手に決めるんだ?」

 はっとしたように谷屋は息を飲んだ。

「そういうわけじゃ…」

「たしかに、恥ず、かしかったり…驚いたり、するけど、谷屋に触られるのは…嫌じゃない」

「でも、それは普通の時のことだろ。俺は今日だけで散々煽られて、いいかげん我慢の限界が…」

「そんなもん…っ、しなきゃいい!」

 もう止まらなかった。

「滅多なこと言うなよっ! 今日一日中、俺がどれだけ中野に手を出しそうになったのかわかってないだろ」

「だから出せばよかっただろ!?」

 目の前が真っ赤になるような錯覚まで感じて、半ば叫んでいた。

「俺…だって、全くそのことを考えてなかったわけじゃない!」

「俺はな、中野が思ってるよりかなりおまえの大事に思ってるんだよ…。お願いだから、そんな自分を安売りするようなこと言うな」

 落ち着いた声で諭されるように言われて。どこまでも平行線を辿ることにただひたすら悲しくなってくる。

「なぁ、俺…このまま、ずっと触ってもらえないのか? い、ちばん…好きな奴に…、そんな怖がらせる、とか、つまんない理由で…」

 大事だから、と、ただしまわれてるだけなら存在しないのと、同じだろう?

 涙でぐしゃぐしゃになってしまった視界のせいで、谷屋がどんな顔をしてるか見えない。

「谷屋……、ほんとに俺を好きなら、今日…してくれ」

 不安で押しつぶされそうになりながら、核心の言葉を吐き出す。これで断られたら何もかも終わってしまうと、確信めいた予感がする。

 谷屋の言葉を待つ時間が、とても、とても長く感じられた。

「…後悔……しないな?」

 やっと、かけてもらえた声は、俺が望んだ答えを含んでいてくれた。

 声が出なくて…、それでも必死に頷く。

 すると、谷屋の手がそっと頬に触れて、口付けられる。

 それが開始の合図だった。



 リビングに向き合って座ったまま、俺たちは…。

「ん……ふっ…」

 侵入してきた舌が、口の中を動き回る。その舌先に俺の舌の裏とか、後で知ったけど口蓋をくすぐられて、力が入らなくなってくる。

「うう…ん、っは」

 ようやく唇が離されて、俺は荒い息をついた。

「大丈夫か?」

「へ…き……」

 余裕の谷屋に悔しくなってくるけど、そんなのは感じてる余裕はなかった。

 間近で見つめてくる谷屋の眉が寄せられる。

「赤くなってる……ごめんな」

 目元にキスされて、恥ずかしくなってきた。

「…キザ……」

 呟いた声が気に食わなかったのか、また口をふさがれる。

 腰とか、首筋とかを撫でられながら、口の中をいじくられて、頭がぼーっとなってきた。

「脱がすぞ…?」

「~~~っ!」

 改めて言われると居たたまれなくて、つい谷屋の手を邪魔するように手が動いてしまう。

「中野、やっぱイヤか…?」

 ブンブンと首を横に振る。そんなことがあるもんか。

 だけど一方的にされるだけなのが、なんだかイヤなんだ。

「俺も…なんか、する」

 なんかって何だよ、と自分に突っ込みを入れる。何か、と視線を彷徨わせて、思わず谷屋の下半身に目が行ってしまった。

「触っても……いいか?」


 谷屋が下を脱ぐと、それは勢いよく飛び出してきた。

「でか……」

 何ヶ月か前まで自分にも付いていたものなのに、妙に緊張してそれをまじまじと見ていると、上の方から谷屋の苦笑が降ってくる。

「無理しなくて良いぞ」

「うるさい」

 見なくてもニヤニヤしてるのがわかって、カッとなってそれをにぎりこむ。

 瞬間、ビクンと跳ね上がって俺の手を押しのけるような感触がした。そのままゆるゆるとこすっていると、谷屋から苦しげな息が漏れる。

「……中野、やっぱもういいわ」

 そう言われ手を外されて、お気に入りのおもちゃを取り上げられたような寂しさを感じる。

「舐めたり、とか、しなくてもいいのか?」

 どこかで聞いた知識を口にすると、谷屋の顔がいっそう険しくなった。

「このままだと…俺キレる」

 え、と思ってるうちに俺は押し倒されていた。


「や…だぁ……」

 堪えきれない声がどうしても漏れる。

 俺は女になってから一度しか自分でしたことはなかった。自分で触ってもピリピリとした痛みがあるだけで、なんか怖くなったんだ。

「谷…っ、も、いいから…っ」

 なのに、谷屋にされているだけで体の中にどんどん熱が溜まっていく感じがして、どう発散させて良いのかもわからずに俺はずっと身悶えている。

 グチュ…、と谷屋の手の動く場所から湿った音が部屋に響く。

 それに構ってられないほど、俺は切羽詰っていた。

 ――何だよ、何だよこれ…。

 快感にキリがない。もうずっと前から座ってもいられなくて、俺は床のカーペットに転がっている。

「谷、屋っ…、ねっ…」

 気持ちよすぎて苦しいっていうのは初めてで、体が言うことを聞かない。

「もう…大丈夫か?」

 ひさびさに谷屋の声を聞いた気がして、ほっとした。震えて力の入らない腕を谷屋に伸ばしてすがりつく。

「…うん」

 頷くと谷屋が俺の上に覆いかぶさってくる。

 やっぱり少し怖くて、真上にある谷屋の顔を見上げると、谷屋の目にはとても強い光が宿っていて…。

 だけど、それに気付いて谷屋はキスしてくれた。

「…行くぞ」

―――ズッ…。

「――――っ!!!!」

 直後、谷屋が、俺の中に入ってきた。

 声にならない声が出てしまう。谷屋がしつこいくらい慣らしてくれたのに、まだ少し痛い…っ。

 二、三度、抜き挿しされて、谷屋が全部奥まで入ってきた。

「痛い、のか? …ごめんな」

 指で溢れた涙を拭かれる。

「ちがっ…くて、ただ、嬉し…」

 声を張ると、中に響いて辛いから、本当に小さい声になってしまったけど、谷屋には伝わったみたいだった。

「俺もだ。……好きだぞ」

 不意打ちで谷屋が動き出して、答えることは出来なかった。

「あぅ、ああああっ!」

 ゆっくりと俺の中を行き来するのを、リアルに感じて、全く声が抑えられない。

 まだ少し痛いはずなのに、繋がっているところから、受け止めきれない快感が押し寄せてくる。

 男だったらとっくにイッてるのに、いまはどうすればそこまで辿り着けるのかわからない。

「やっ…谷、屋ぁ…、助け、て…っ!」

 恐慌状態に陥りかけて。だけどぎゅっと抱き締められて、すうっと恐怖が消えていく。

「焦らないで、いいから」

 谷屋のほうも声に余裕がなかった。

 それが俺で感じてくれてるんだ、と、胸が痛いほど嬉しくなってくる。

 そう考えた瞬間、それまで体がバラバラになりそうだった快感が、急にまとまりだして、一気に体が熱くなった。

「うあっ!? ひあッ…谷屋ぁ…!」

 渦を巻いた快感に呑み込まれて、俺はわけがわからなくなってしまった。

「………野っ」

 次の瞬間、強い力で体を引き寄せられるのを感じながら…。



「……あ…?」

 冷たい感触があって、ぼんやりしていた意識が戻ってきた。

 下着を着けた谷屋が、濡れタオルで俺の体をぬぐっている、と理解した瞬間、顔が沸騰するかと思った。

「じ、自分でやるっ!」

「いまさらだろ?」

 腰が抜けたようになってしまっていて、ひょいひょいと動く谷屋の手からタオルを奪うことが出来ない。

「もう終わってるから。先にこれ着ろ」

 裸のままだということにようやく気付いて、さらに顔を赤くした俺はおとなしく渡されたものに袖を通す。

 ――谷屋の、Tシャツか?

 上を着ただけで、腿くらいまで隠れてしまった。

「あ~…、ごめんな、初めてなのに無茶して」

 その言葉に俺は首を振った。

「平気…、俺も嬉しかったし、それに……きもちよかったし」

 一番最後は小声になってしまったけど、聞こえたみたいだった。

「そうか…。なら良かった」

 お互い照れながら、ぽつぽつと言葉を交わす。そんな気恥ずかしい空気に耐えかねて、俺は。

「やっぱ、経験者は違うよな」

 と、大馬鹿なことを口にしていた。

「一回でもやったことあるのと、ないのとじゃ全然違うもんなんだな」

「そのこと、なんだけどな…。黙ってたことがあるんだ」

 不意に表情を固まらせて、真剣な口調で谷屋が話す。

「俺が、従姉に頼み込んだって話だけど……。ごめん、アレ、嘘なんだわ」

 …………は?

「ある朝なんだけどな、起きていったらあの野郎が『ごちそうさま』なんて言ってきて」

 その理由を尋ねたところ、親類から女体化者が出るのが嫌だったその従姉が谷屋の寝込みを襲ったらしい。

 らしい、というのは本人もまったく気付いていなくて本当がどうかわからなかったんだそうだ。

「だから、俺の意識の上では中野稜が初めての相手ってことになる」

 それだけ告げて、谷屋はごめん、と謝ってきた。

 何を謝る必要があるのか、まったくわからない。つまり谷屋はこう言ってくれてるんじゃないか。

『自分から触れたいと思ったのは俺だけだ』

 それに気付いて一層顔が熱くなってくるけど、俺はあえて谷屋の目を見て、一つだけ質問してやる。

「谷屋の恋人は、だれだ?」

「目の前にいる奴に決まってるだろ!」

 即答で返されて、非常に満足する。100点満点だ。

「それだけちゃんとわかってくれてればいい」

 そっと寄り添って呟く。なんとなく谷屋を見上げていると、俺の視線に気付いた谷屋がそっと顔を近づけてきて。

 やっと俺たちは本当の恋人になれた気がしたんだ……。

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最終更新:2008年06月14日 10:01
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