- 翌日、僕は章吾君に借りた傘をもって学校に行った。
教室に入ろうとするなり──
- 「まこちゃーーーん!!」
- 「昨日は大丈夫だった!?」
- 昨日、いち早く僕に話しかけてきてくれた二人が心配そうに駆けつけてきた。ちょっと驚いたけど嬉しくなって。
- 「う、うん。大丈夫だよ。まだちょっとお腹が痛いけど・・・」
- 二人は黙って、顔を見合わせている。
しまった!と思ったがもう遅い。
- 「まこちゃん、おめdふがふぁlkjl」
- 慌てて相方の関川さんが野口さんの口をふさぐ。
- 「ちょっと!カナ!あんたデリカシーなさすぎ!」
- 「ふがふぁkぁ、ぷぅ。ご、ごめんごめん。ユイちゃん。」
- この二人を見て、僕は微笑ましくなった。
- 章吾君・・・
- 僕は彼女達のやり取りを見て、章吾君との日々を思い出した。
- もう戻れないの?
- そんな僕の心の呟きをよそに、続けて二人が僕に話しかけてくる。
- 「もしかして、アレきちゃった?」
- 「どうなの?まこちゃん!」
- 僕は顔が熱くなってしまった。おそらく相当真っ赤だったのだろう。すぐに二人にバレてしまった。
- 小さな声でふたりが
- 「お め で と♪」
- ~~~~~~!もう、朝から刺激が強すぎるよ・・・。
- 「で、なにそれ?男物の傘?」
- 「ちょっとぉ~まこちゃんもう女の子なんだから、そんなのだめよぉ」
- 「そういう問題じゃないって!今日晴れてるでしょ!」
- ボケとツッコミ。もう漫才だ。
- 「アハハハハ」
- つい、声に出して笑ってしまった。
- 「佐伯さん、やっと笑ったね。」
- 「その方がかわいいよ?」
- 恥ずかしいというより、照れてしまった。
- 顔が自然とほころぶのを感じた。
- 「じゃね!まこちゃん。あたしたちチョットといれー」
- 「もう!そんな事言わなくてもいいでしょ!」
- いつまでも賑やかな二人を見送って、僕は教室の中に入っていった。
- 「ねぇねぇ・・・ユイちゃん。あの傘、誰のだと思う?」
- 「誰って・・・傘がなくて、帰るときに職員室で先生に借りた傘とかじゃないの?」
- 「ちがうって、あの傘絶対に男子のものだと思うんだ!」
- 「どうして?」
- 「先生に借りた傘だったら、あんな傘貸すわけないじゃない。ね?」
- 「それはそうだけど・・・」
- 「気にならない?」
- 「・・・・なる!」
- 二人の密談をよそに、僕は章吾君を探した。教室に章吾くんは居ない。
- まだ、来てないのか・・・。
- ふと昨日の事が頭をよぎる。僕はまた顔が熱くなった。とりあえず、傘を自分の机に引っ掛けて置いておく。荷物を降ろして椅子に腰掛けようとすると
- 「佐伯さん。おはよう!」
- クラスの女子生徒数名から声をかけられる。おはようと返事をする。
- 「昨日、あのあと大変だったんだよ?」
- 「佐伯さん、急に倒れちゃうし。」
- またこのネタ!もう勘弁して!と思っていると、そうではなかった。
- 「私、携帯のメール見ちゃった・・・。ごめんね。佐伯さん、小此木君と何かあったの?」
- 見られていた!携帯のメールを・・・。それはそうだ・・・倒れた原因をメールの何かだと思われても仕方ない状況だった。
- 「佐伯さん、昔から小此木君と仲がよかったからさ・・・その・・・女の子になっちゃって、何かあったのかと」
- 図星だ。何かあったってレベルじゃない。何かありすぎた。でも、これ以上恥ずかしい思いをしたくなった僕は
- 「ううん。何もないよ。昨日の雨で弁当が悪くなっちゃってたみたいで・・・気持ち悪くなって・・・」
- 「あれ?でも、佐伯さんのお弁当のおかず、カナちゃんも食べなかったっけ?」
- 「あ、ユイちゃんも食べてたよね。」
- 「実は、悪くなってたのご飯の方で・・・変なにおいがして、それで・・・」
- 我ながら天晴れするほどの白々しい嘘。
- お母さんごめんなさい。
- 「なーんだ。そういうこと!二人していそいそとトイレに行っちゃうから、本当にお腹こわしちゃったのかと思った」
- はぁ・・・助かった・・・。このままじゃ、クラス中の女子生徒たちにバレてしまう。それだけは避けたかった。
- う、でも、野口さんと関川さんが話しちゃったら・・・・あぁ、違う意味で不安だらけだぁ!!
- そうしているうちに、1時間目数学の授業が始まった。
- うとうとする。
- これだから数学は嫌い・・・
- 授業も半ば、よくわからない公式を子守唄にうとうとしていると。
- ガラガラという音と共に、誰かが教室に入ってきた。
- 「おはようございます」
- 皆がいっせいに声の方向に向く。
- 章吾君!
- すぐさま、数学担当の教師がこう言った。
- 「なぁにが、「おはようございます」ですかぁ?そこはすみませ──」
- 「すみません、寝坊しました。すぐ席に付きますんで。」
- 素早い対応に何もいえなくなった数学担当教師は、一度咳払いをするとまた授業を再開した。
- 章吾君・・・
- 僕は昨日の事もあって、章吾君が風邪を引いてしまったのではないかと思って心配していた。
- 元気でよかった・・・
- ほっとする。眠気も吹き飛んでしまった。
- 憂鬱な数学の授業が終わり、休憩時間になると僕はすぐさま章吾君の席へむかった。章吾君に借りた傘を持って。
- 「お、おはよう・・・」
- 「ん?あぁ、おはよう」
- 意外とあっさりしていて何だか悔しくなる。昨日、僕にキスしたくせに。
- 「これ・・・昨日はありがと。」
- ちょっとそっぽを向いて傘を手渡した。
- しばらく章吾君は黙ってしまったが、僕の心配した顔を見て
- 「はぁ・・・こういうのは後で渡せよな。まったく。」
- 「ご、ごめん。」
- 今更だけど、クラス中の視線を浴びている事に気づいた。僕はいたたまれなくなり、慌てて教室から飛び出してしまった。
- どうして、どうしてこんなに視線があつまるの?もう嫌だよ・・・。
- 「まーーーこちゃん!」
- 「見たよ?見ちゃったよぉ?」
- 「ちょっと、カナぁ!」
- 「ねぇねぇねぇ。小此木君とぉ・・・本当にただの友達なの?」
- 僕が章吾君と仲が良い関係であることは、クラスメイト全員が知っている。僕はなんだかマズイ気がしてきて、慌てて嘘をつく。
- 「そ、そうだよ!き、昨日傘をわすれちゃって・・・その・・・借りられる人が、その。章吾君しか居なくて・・・」
- 「でも、あれ。"恋した女の子"の顔だったよぉ?マコちゃぁん?」
- 「私、女の子だからわかるもん。」
- 「ちょっとぉ!もうやめなさいよ。佐伯さん困ってるでしょ!」
- 図星すぎて僕はもう何も言えなかった。こんな陳腐な嘘なんてそもそも意味がなかったようだ。
- 「あ、でもでもぉ!男同士のままの方がよかったかもぉ~」
- !!
- なんだ、そういうことか!この人、そっちが好みの人か!
- 「もう!もっと困った顔してるでしょ!その辺にしときなさいっ!」
- バシっという豪快な音を立てて、関川さんが野口さんの頭を叩いた。
- 「ごめぇ~~ん。」
- 話のネタにされただけだった。疲れる。女の子ってやっぱり僕の知らないことだらけだ。
- 席に戻る。今もまだ、皆の視線を浴びているような気がする。
- 早く時間過ぎて──!
- 昼休みになり、僕が目で章吾君を追うより先に、もう教室から居なくなっていた。
- そしてまた、地獄の質問タイムが始まった。
- 今度の話題は当然『章吾君』についてだった。
- 昼休みが終わる頃には、僕はもう絞りかすのようにヘロヘロになっていた。
- もう勘弁して・・・彼とは友達、ただの友達、なにもない。そういうことにしておいてーー
- こういうときの女の子パワーはすさまじいものがあった。でも、男子生徒たちにいびられるよりは断然ましではあったけど。
- ときどき、小学生かのようにヘラヘラ茶化しては通り過ぎていくバカもいた。
- なんだろうこの温度差。ちょっと大変だけど、女の子達の中に居るほうが断然ましだった。
- 章吾君。でも、君だけは違うよ・・・?
- 友達・・・?本当に?キス・・・・さ、されて、ドキドキしてるのが友達?
- 僕は元男だよ・・・?
- 『まこちゃんはね。もともと、女の子の心を持ってたんだよ。だから、それでも変じゃないいんだよぉ?』
- お昼休みに野口さんが言った言葉を思い出した。本当に?わからない。でも、あの時僕はこう言ったんだ。
- 『僕・・・もう女の子なんだね・・・』
- 思い出すとまた顔が熱くなる。もう、訳がわからない。考えるのをやめた。考えるだけ無駄なこともあるさ。
- 章吾君ならこういうんだろうな。
- また章吾君。頭の中は章吾君の事でいっぱいになっていた。
- 確かめる──
- 僕がまだ男なのか、それとも本当に女の子になってしまったのか。
- もう一度、章吾君と会って話をして僕自信の気持ちを確かめる!
- 何かの決意が僕の心を強気にさせてくれた。僕は携帯を手に取って章吾君にメールを送った。
- もう・・・後へは引けない。違う、後に引けないような状況を自分で作ろうとしているだけだった。
- ブブーブブーブブー
- 手に握った携帯がヴァイブレーションする。
- 閉じた携帯を再び開けようとするが、手が震える・・・。中々開けられない。外部モニターから、着信メールの送信者名を確認する。
- 章吾君だ・・・!
- やっと、開いた・・・。もう手が汗でべっちょりになっている。そして、中身を確認する。
- 『校門で待ってる』
- たった一言。章吾君らしいメールが返って来る。僕はよし!っと思った。
- 放課後、僕は校門へ急いだ。教室を出るときにクラスの女子たちに捕まったが、なんとか振り切って校門へ急いだ。
- ちょっと悪いことしちゃったかな・・・・・
- 靴を履き、周りのことなど気にも留めず全力で走った。
- いた!章吾君だ!
- 「はぁはぁ・・・・ご、ごめん、待った・・・?」
- 「ん、待った。なんか帰りがけに女子達に捕まってたみたいだけど、よかったな。友達ができて。」
- 「え?う、うん!ほんと、ごめんね」
- 章吾君の顔が少し曇った気がした。そんな気がしただけだったかもしれない。
- 「もういいよ。で、用ってなんだよ」
- 僕の心臓が高鳴っていく。走ってきたから。じゃない。
- あ、あの・・・今日、章吾君の・・・家に・・・家に行っていい?」
- 言ってしまった。もう、本当に引き返せない。ううん。引き返したくない。もう・・・・こんなモヤモヤした気持ちは嫌だったから。
- 僕は章吾君の顔を見つめて返事を待つ。
- 「いいよ」
- 「よ、よかったぁ」
- 「あのね、今日僕電車で来たんだ。だから・・・一緒に行こう?」
- 言わなくてもいい言葉。どの道、章吾君の家までは電車でしか行く方法がない。
- 僕の言っている事がどんどん大胆になっていく。男同士では恥ずかしくて、変な意味になって言えない言葉。
- 女の子の今だから・・・・・言えた気がした。
- 今、章吾君はどんな気持ちになっているのだろう。もう、自分の気持ちを確認するだけでは治まらなくなっていた。
- 電車の中、それは第一次帰宅ラッシュの真っ最中だった。知らない学校の制服を着た学生が沢山いる。
サラリーマン風の人、私服を着た人色々混じっている。十分に人は多い。
僕は窓のある壁を背に、章吾君はその正面に立っていた。降り口からも近くで電車に乗りなれている章吾君ならではだと思った。
章吾君は僕に気を使ってくれているのだろうか。込み合う電車の中で僕を他人からかばうように。位置取りをしてくれている。
時々僕をチラチラと見てくるけど、あまり話そうとはしてくれない。
僕も章吾君も元々口数はそんなに多いほうじゃないけど、流石にこの沈黙は耐え切れなくなってくる。僕は物思いにふけることでそれを耐えた。
僕は女体化した日の事を思い出していた。
章吾君は、あの時女の子が僕だと知らなかったからかもしれないけど、僕はとても嬉しかったんだ。
『男はあんな人ばかりじゃありませんから。』
そうだね、君はそんな人じゃなかったよね。キ、キスはビックリしたけど・・・。そのことを考えていられえるだけで時間を忘れられた。
『○○○○駅~○○○○駅~、乗り降りの際は置きお付けください』
「あっ、駅だ。」
僕は、ホームへ雪崩降りる人の間に入るタイミングを失ってまごまごしていると。
「それじゃ、降りるぞ」
章吾君に手を掴まれて章吾君にグイグイ引っ張られる。慣れた動きで人の中のわずかなスペースを通って先導してくれた。
駅のホームに出ると、ほっとして僕の口から言葉が漏れた。
「ふぅ、やっぱりやだなぁ。電車・・・」
そんな僕の愚痴を聞き取って、章吾君は呆れたような声でこう言った。
「お前が電車で来たからだろ。それともあれか?お前が女だからか?」
- 『女だからか?』の言葉が僕をドキッとさせる。駅のホームのど真ん中。こんな場所で、こんなことを聞いてくるなんて。
僕は恥ずかしくなって、章吾君の背中を平手で勢いよく叩いた。
バンッ!
「いってぇ!」
「もう!やめてよ・・・こんなところで・・・・」
顔から火が吹き出そうだった。僕は今章吾君がどんな顔しているのかが気になり、章吾君を見上げる。口元が少し緩んでいた。
「ごめんごめん。」
章吾君は緩んだ口元のままで軽く謝る。
ふざけてるの?
「でも、マコト。お前、段々女の喋り方になってきてるぞ?」
今度は、顔から火が吹き出ただろう。もう、目の前が真っ赤になった。また言うか。この人は・・・・。
章吾君はまた普段の落ち着いた表情に戻り、小さく口を開く。
「ま、それもいいけど」
「え?」
その声が小さすぎて、僕には何を言ったのか全然わからなかった。
- 「え?なに?ねぇ、教えてよ!」
「さて、行こうぜ。」
「ちょっと待ってよ!」
「待てっていうなら置いてくぞ」
「い、家の場所くらい僕も知ってるよ!」
「なら、一人で行くか?」
今さら一人なんて嫌だ、寂しい。僕はそう思うと答えられなかった。
- 僕は章吾君に遊ばれているような気がしてもっと腹が立ってきた。
もう、知らない!フン!
僕は章吾君のナナメ後ろを、不機嫌そうにみせて歩く。
章吾君は振り返ってもくれなかった。もういやだ、もう我慢ができない。言わせてもらうぞ。でも、章吾君の部屋に着いてから。ここじゃ恥ずかしすぎる。
ムスっとしたまま歩いていると、いつの間にか章吾君の家の前に着いた。
章吾君は僕を気にせず、そのまま家へ入っていく。僕は別に初めて章吾君の家に行くわけじゃない。何度も遊びに行った家。
だから、章吾君はあえて僕を招き入れるような事はしなかったのだろう。
けど、腹を立てていた僕はそれを見てまたムッとする。でも置いて行かれるのはしゃくで、僕は章吾君の家にあがっていった。
挨拶もなしに勝手に上がるのは流石に気が引けた。とりあえず挨拶だけはしておくことにした。
それでも僕は僕は不機嫌そうな声を出して
「おじゃまします・・・・」
「おう」
章吾君はいつもどおりに返事をした。どうして?僕は怒っているんだよ?少しは何か反応してよ!
僕は諸語君の部屋に入る。鞄を無造作において床に座ろうとした。おっと、座り方に気をつけなきゃ。スカートの裾をお尻と脹脛の間に挟み、足をそろえてか
ら少し崩して座る。
我ながら恥ずかしい座り方だ。でも、正座だと足がしびれて歩けなくなるから、そう座らざる終えなかった。
「さーて、久しぶりにあれやるか?」
章吾君は相変わらずいつもと同じように僕に声をかける。僕はそっぽを向いて章吾君の質問に答えない。君があんなこと言うから悪いんだ。怒ってるよ僕は。
「おい、返事くらいしろよ」
僕は何も言わない。君が折れるまで僕は何も言わない。
章吾君はため息を付いて、テレビの台座に閉まってあるゲーム機の筐体を取り出していく。
ゲーム機とその周辺機器を床に広げ、次はゲームソフトを取り出した。
僕はそのゲームソフトを見て、急に懐かしい気持ちになった。
某ハイスピード3Dメカアクション。僕と章吾君が仲良くなったきっかけ。
ふとしたことで、同じゲームが好きなことがわかり、そこから意気投合した。
中学1年生の1年間。一人友達もできず寂しく生きてきた僕に、中学2年生になってから初めて出来た友達だ。そして、親友として彼と2年間を過ごしてきた
。
そういえば、最近やってなかったな・・・。家にいる間はお母さんの"女の子レクチャーのスケジュール"でいっぱいで。ゲームなんてする時間がなかった。
僕は床に転がっていたコントローラーをおもむろに手にした。懐かしい形。ゲームをやらなくなってから1週間しかたっていなかったのに、なんだか全部が懐
かしく感じる。
僕は懐かしさで自分が怒っていることをすっかり忘れていた。
- 「少し・・・重たくなったかなぁ 持ちにくいよこれ」
「おい、文句言ってる暇があるなら手伝えよな」
「わかったよっ!」
僕はまた腹立たしさを思い出した。言われっぱなしもしゃくなので言われた通りに手伝うことにした。
章吾君はゲーム機の筐体を動かして位置を決めている。もう、細かいんだから。
テレビへの入力端子はもう差し込まれていたので、僕は残っていた電源ケーブルを手に取る。テレビと壁の隙間にあるコンセントの穴の場所を確認するため、
四つんばいになり、章吾君にお尻を向ける形で手を伸ばしてコンセント覗き込む。手を伸ばして差し込もうとした。
うまく刺さらない。腕のリーチが短くなったのか、力がなくなったのか、以前のようにいかない。
何とか差し込もうと、何度も体をくねらせてコンセントを差し込む事に成功した。
入ったー!
コンセントを差し込むことができた達成感で、自分が女であるということをすっかり忘れていた。
僕は、章吾君の顔の目の前にお尻をさらに突き出す体勢になっていた。
「お、おい!」
「え?なに?」
「マコト!お前、自覚ないのかよ」
「え?」
- 「まだわからないのか。お前、俺に一体何を向けてると思ってる。」
振り向くと、僕のお尻の先には、そっぽを向いた章吾君がいた。
「え?ひゃあ!」
体を起こすと慌ててスカートの裾を両手で抑えた。
履いていたのがスカートだったので、パンツが見られてしまったのではないのかと急に恥ずかしくなった。これが、タイトスカートだったら完璧に見えてるよ・・・。
「ひえぇぇ、み、見えた?」
「何がだ!ほらっ。はじめるぞっ!」
と、章吾君からコントローラが乱暴に投げられる。それをかろうじて受け止め、コントローラに付いてある無線の接続ボタンを押して接続を行う。
章吾君との対戦が続いた。しかし、僕は連敗すること必至。しばらくプレイしていないとアクションゲームというものはすぐに腕がなまってしまう。
以前より手が小さくなって、手の動きが悪くなったのも相乗し、さらに上手く操作できなかった。
「あぁ~もう手がいたいよ~。」
と、手を見つめていると、その視線の下にあった自分の足とスカートがとんでもない状態になっていることに気がついた。
ゲームに熱中するあまり、片足は膝を折り曲げて足と立てた状態になり、スカートはめくれて白いソレがあらわになっていた。
僕は、慌てて足を元に戻しスカートの裾を整えて再び座り直す。
章吾君は見ていたのだろうか?気になって章吾君の方を向いて顔の向きを確認してみた。
すると章吾君は慌てて立ち上がり、こう言いだした。
- 「俺、ちょっとそこのコンビにまでジュース買ってくるわ。」
「え、あ。僕も行くよ!」
僕は一人残されることを不安に感じて立ち上がる。
「いい、お前は待ってろ。その間に・・・チョットは感を取り戻しておけよ」
「このままじゃ弱いものいじめで俺の腕が鈍ってしまう」
この言葉で思い出した。僕は腹を立てていたんだ。駅のホームで遊ばれたこと。少しだけでも文句を言ってやらねば気が治まらなかったので、文句を言おうとしたその時。
「じゃ、がんばって」
「あっ!」
と章吾君は最後のに一言、言い残しながら部屋を出て行った。僕はムスッっとしてコントローラをギュッと握り締める。
そのまま投げたい衝動に駆られたが、自分の物ではなかったのでそれはやめた。
コントローラーを床において、開いた手のひらで床をバンッ!と叩いた。
「あぁぁもぅ!!」
章吾君はいつもどおりだ。あの時僕にキスした事を恥ずかしがる仕草すら見せない。もっと悔しくなってきた。
終止章吾君のペースで話も進むし、それに僕自身そのペースに乗せられている。
何しに来たんだよ僕。ゲームをしに来たんじゃない。
それでも、章吾君が帰ってくるまでゲームをして時間をつぶすしかなかった。
対戦モードを終了してシングルプレイモードへ移行。データロード画面から章吾君のセーブデータを選んでゲームを始める。
- ドドドドドドドド ガシャン バシューーー ガッ ドォーーーン
僕一人しか居ない章吾君の部屋に豪快な効果音が響く。本来なら気分を盛り上げてくれる豪快すぎるほどの効果音も、僕の寂しさを紛らわすほどのものにはならなかった。
しばらくプレイを続けたが、全く気が入らない。章吾君がコンビニへ行くために家を出てからもう20分が過ぎている。
遅い。遅すぎる。確かコンビニまでは片道5分もかからなかったはずだ。
どうしたんだろう。こんなに遅いなんて変だ。僕は章吾君に何かあったのかと思って心配になる。
ゲームのBGMや効果音が鬱陶しくなり。僕はゲームの筐体にあるボタンに手を伸ばし、ゲームを終了させる。
騒がしいほどの銃撃音や爆発音が消えて部屋の中が静寂につつまれる。逆効果だった。この静寂が僕の心をさらに不安にさせる。
友達の家に他人が一人。この状況を不安に思わない方がどうかしている。
それでも、何かしていないと落ち着かず僕は立ち上がる。部屋の中をウロウロする。
本棚にある漫画に手をかける、そしてすぐ戻す。ベッドへ腰掛ける。
章吾君のベッド・・・。僕は漫画でよくあるような、男の子のベッドに横たわる女の子の姿を想像する。
男の子のベッドに横たわる女の子・・・・僕は急に同じような事がしたみたい衝動にかられた。章吾君の部屋の中には僕以外に誰もない。そもそも、家の中には僕しか居ない。行動に移すまでにそう時間はかからなかった。
「僕はもう女の子なんだし・・・こういうことしても、いいよね?」
僕は章吾君のベッドへ体を倒す。ベッドが軋む。この後どうするんだっけ?
どこかで見ただけのものだったため、記憶も鮮明ではない。しばし、どうしようかと考える。
目の前に章吾君枕を見つけた。それを見て僕は、することは一つしかない。そう思った。
章吾君の枕に顔を乗せてうつ伏せになる。
枕からは章吾君の匂いがする。嫌な感じはしない。むしろ安心できる匂い。もっとその匂いをもっと感じようと、枕に深く顔をうずめる。
僕が男の体だったなら常識を逸脱した行為だったかも知れない。でも、僕は今女の子だ。そう思うと元男であることを忘れさせて、またその匂いに浸る。
章吾君の一部を女の子である僕が感じるたびに、僕の心がときめいていく。
僕は体の中からどんどん熱くなっていく。
- 『僕はやっぱり女の子になったんだ』
心のどこかで受け入れる事が出来なかった言葉。今なら受け入れることができる。
「好きだよ・・・章吾君・・・」
僕は枕を強く激しく抱きしめる。僕が男であった事忘れるられるように。狂ったかのように。
僕は枕を章吾君だと思って更に激しく抱きしめる。常識・・・常軌を逸脱したかのように。
僕はこの気持ちに浸っていた。浸っていたがゆえ、僕は階段を上がっていく足音に全く気がつかなかった。
部屋の扉が少しだけ開いていることにさえ。
キィ・・・
ドン!と物が落ちた音で僕はハッとした。
ドキリと僕の体が硬直する。恐る恐るその物音の方向に顔を向けた。
そこには、章吾君が立っていた。章吾君の体が少し震えて、ゆっくりと僕に近づいてくる。僕は体が固まってしまって動けなくなる。
「ち、ちがう・・・!これはっ!」
僕はとんでもないところを見られてしまって。とっさに言い訳をしてしまう。
「俺、もう我慢なんて出来ない!」
「へ?」
章吾君は僕に近づいて荒々しく僕の腕を掴んだ。掴まれた腕をひっぱられ、強引に仰向けにさせられる。
「ああっ!」
- 章吾君が僕の上に覆いかぶさってくる。章吾君の息遣いが聞こえてくる。かなり息があがっているのだろうか。よく聞こえた。
僕は、何がなんだかわからなくなって腕を振り払おうと動かすが、両腕をすごい力で押さえつけられていて動かすことができない。
「もう抑えられないんだよ!」
その瞬間、僕の唇が章吾君の唇でふさがる。
「んん~~~~!」
とっさのことで、僕は声が漏れた。
章吾君の舌が僕の唇を割って、強引に押し込まれていく。
僕は体が強張って口を緩めることができない。
「んー!んーー!」
章吾君の強引なキスにどう対応していいかわからずに僕はもがいて離れようとしたが、今もまだすごい力で抑えつけられていて体が動かせない。
すると、急に章吾君の手から力が抜けていき僕の腕がすっと軽くなる。
章吾君の舌がゆっくり僕の口から出てゆく。次に章吾君の唇が僕の唇から離れる。
僕はもがいて離れようとしたくせに、その唇が離れると少し残念な気持ちになった。
「あんなの見せ付けられたら、勘違いする!ああしないほうがどうかしてる!」
見られていた──全部。
あんな、僕の狂ったような姿を全部。
僕は顔が熱くなり、あまりの恥ずかしさに顔をブンブンと何度も横に振ってどうしようもない恥ずかしさに耐えていた。
- 「ちがう!あれは!そんなんじゃ・・・」
「なにが違うっていうんだ・・・」
章吾君は少し溜めて、次にこう言った。
「目の前の女に!俺の物にあんなことされたら!男ならもう、こうするしかないじゃないか!」
章吾君は元男とは言わなかった。それが嬉しくもあったが"女"という言葉が心の流れをせき止めて動かない。
僕は、その"女"が自分の事じゃなかったかもしれない。いや、"女"という抽象的な呼び方に納得がいかなかったのかもしれない。
確認したかった。"女"が誰のことなのか。
僕は章吾君の目をじっと見上げる。そして、意を決して聞いてみることにした。
「女だから?」
それは、僕だと。マコトだと。言って欲しくて僕は言葉を続ける。
「女だったら・・・誰でもいいの?誰でもこうしちゃうの?」
章吾君は急に黙り込んだ。眉間にシワを寄せて僕から視線をそらす。
僕はその仕草に不安を感じて大きな声で
「ねえ!答えて!!」
女性として他の女性に嫉妬をするような。僕はそんな言葉を放っていた。
章吾君は震えていた。その震えは章吾君の手から僕の腕に伝わり、章吾君の心が僕に伝わってくるようだった。
しばらくの沈黙。そして、その震えがふっと止み、章吾君は再び僕の目をみた。
章吾君が覚悟を決めたんだ。僕も覚悟を決めて、じっと章吾君の目を見つめる。
- 「もう一度言ってくれ。」
「え?」
期待とは違う答えに少々困惑した。それを言い返す暇もなく章吾君が言葉を続けた。
「もう一度言ってくれ!お前が!マコトが!俺の枕を抱いて言ったあの言葉を!」
「俺にもう一度聞かせてくれ!」
どの言葉なのか。僕にはすぐにわかった。もし違ったら──。いつもの僕ならそう思ってこれ以上喋ることができなかっただろう。
でも、今は違う。章吾君の真剣な目が、どの言葉なのか確信的な自信を与えてくれた。
僕は、一度目をつむり、そしてそっと見開く。
そこには変わらず章吾君の目がある。
もう、男だとか、女だとか、そんな事はどうでもよかった。章吾君が求めた言葉がどれであるかも、もうどうでもよかった。
今は、その言葉を伝えたくて仕方がなかった。
「好きだよ・・・章吾君・・・」
その瞬間、章吾君が僕の体に手を回す。章吾君が僕の体をぎゅうっと抱きしめてくる。章吾君は僕の耳元でこう言った。
「俺も、マコトが好きだ」
その一言で体中に電気が走った。頭がとろけそうになる。もう何も考えられない。
「女のマコトを見せられるうちに、俺はお前に恋をした・・・。初めは一目惚れの恋だけだったかもしれない。」
「お前のさりげない仕草も、お前のその唇の柔らかさも、その匂いも。俺は女のマコトじゃなきゃ俺はこんなに好きな気持ちにならなかった。」
恋をした。一目惚れ。女のマコトじゃなきゃ。その言葉の一つ一つが、僕の思考を麻痺させていく。
- もっと─もっと言って欲しい。その言葉は僕にとって絶大なる媚薬となっていた。
「ん?マコト?」
僕はしばし、甘い言葉の快楽に溺れていた。でも、章吾君の一言で僕は正気に戻った。
「ご、ごめんね・・・。僕、嬉しくて・・・嬉しくて・・・」
僕は自分の発した言葉に違和感を感じた。女の子が"僕"ってやっぱり変だ。僕は章吾君に喜んでもらいたくて
「僕ってなんか変だよね。もう女の子なのに・・・。これからは、"私"って言うようにするから・・・ね?」
章吾君はゆっくりと体を起こして、頭をポリポリとかいてこう言った。
「マコトが言いやすい呼び方でいい。俺はどんな一人称でもかまわんよ。」
求めていた答えと違う答えを言われてしまった。
僕は期待はずれの答えについ腹を立ててしまった。
「むぅぅぅぅぅぅ!」
僕の頬が自然にぷくぅ~と膨れていく。
「ぼ、ぼ・・・わ、私は章吾君に決めて欲しかったのにぃ!」
僕は慣れない一人称に早速ぼろが出た事に恥ずかしくなる。
章吾君は、そんな僕を見て「はぁ」とため息をついた。
- 「ほらみろ・・・。それに、お前はもう十分に女だろ。俺の言ったことに怒ったり、喜んだり、不安になったり。明らかに女になってるだろうが」
「男として女のお前に気を使わせてくれよ。俺はさっき、お前に無理をして欲しくない。そう言ったんだ。」
なんで、こんなに優しいの?僕は自分の事しか考えてなかった最低な奴なのに。
章吾君の優しさに気付けなかった事に自分への失望感でいっぱいだった。僕は自分が悔しくて、情けなくて、堪らなくなって泣き出してしまった。
すぐさま章吾君の手が僕の涙を拭おうとする。僕にそんな資格なんてないのに。僕は章吾君の手を掴んで払いのける。でも、居なくならないで。そう心に願い
ながら。
やっぱり僕は最低だ・・・。手を掴む気力もなくなって、僕はダラリと手を下ろす。章吾君は僕の目にあふれる涙をずっと拭ってくれていた。
「気にしなくていい。俺のことは気にしなくていいんだ。」
「お前はずっと一人で苦しみに耐えてきたんじゃないのか?突然女になって、誰にも相談できなくて。」
「だから・・・俺はお前が・・・マコトが喜んで、元気になってくれればそれでいいんだ。」
「マコトが笑顔で居てくれる。俺は、それが今一番嬉しいんだ。」
僕の涙が、悲しみの涙から愛しみの涙に変った。
「章吾君!!」
僕は愛おしさでいっぱいなって、章吾君の胸に飛び込んだ。
『大好きだよ章吾君』
僕は何度も何度も心の中でそう呟き、僕はしばらく章吾君に抱かれてこの幸せな一時を過ごした。
- 僕は章吾君の胸の中で抱かれ、その暖かさを生で感じていた。
「ねぇ、章吾君」
「ん?」
「昨日・・・待っててくれて嬉しかったよ。送ってくれて嬉しかったよ。キスしてくれて嬉しかったよ。いぃ~~~っぱい!幸せだったよ。」
「こうやって、章吾君は側にいて抱いてくれる。これから、学校でもイツでもドコでも、章吾君に側にいて欲しい。」
「もう、周りから異常だと言われてもかまわない。何を言われたってかまわ──」
章吾君は僕の言葉をさえぎる。そして、落ち着いてこう言った。
「異常?ありえないな。」
「え?」
「お前が異常なら俺も異常になる。」
「マコト、ポジティブに行こうぜ。俺は正常だ。だからお前も正常なんだよ。そういうことにしておけ」
「うん!」
- なんだか強引な台詞のようにも思えたけど、むしろソレがよかった。章吾君らしくて。
僕は章吾君が愛しくて、背中ににそっと手を回す。
今なら、無理をせず女の子になれる気がする。章吾君の前では可愛い女の子になれる気がする。
そして、心に任せて"私"はこう言った。
「大好きだよ章吾君。私の彼氏になって下さい。」
章吾君は最後まで清ました顔で、優しい声で「ああ」と返事をしてくれた。
そして、お互いの気持ちを体で確かめ合うため、もう一度キスをした。
もう、男だった"僕"はここにはいない。
女の子になった私がこれから章吾君と共に生きていくんだから。
それが、これから生きていく中で『異常的な愛』だと言われても。
私は、彼と一緒に居れば何も怖くない。
第三章 『Lunatic Love』完
最終更新:2008年10月05日 20:24