終章 『ストレイド』

七月も半ばを過ぎ、あと少しで夏休みがやってくる。
中学生最後の夏休みになる。
私はこれから夏休みを迎えるに当たって、一つだけ気がかりな事があった。

それは、『キス以上の進展が無い』ということ。
あれからというもの、毎日章吾君の家に遊びに行っている。
休みの日に至っては、体のラインが目立つ服、つまりは勝負服を着て行ったりしていた。
私が言わんとする事、つまりは章吾君の気持ちを試していたが為の行為だ。
恋人という言葉以上のつながりを感じてみたかった。
だが、これは一種の賭けでもある。
下手をすれば、『貞操を守らない女は嫌いだ』と、嫌われてしまうかもしれない。
章吾君はキスこそすれど、私の恥ずかしい場所には全く触れてこない。
それは、大切にされているという気持ちの表れなのだろうか。
しかし、元来男というものは、すぐに女の体を欲しがる。
飢えた獣の様に。
元男の私故の考えなのだけれど。
私が仮に男のままであの状況ならば、おそらくは手を出しているだろう。
章吾君が手を出さない理由、それは私が"元男"だから。
と、いう気がしてならなかった。
ならば、なぜキスはしてくれるのだろう。
私たちが始めて恋人同士になったあの日。
確かにあの時はお互いを異性として認めてはいたが、それが普遍でもかまわないと私は思っていた。
章君はどう思っているんだろう?
私への同情?ただの思いやり?わからない。

正直私は焦っているのかもしれない。
このまま平行線を辿った先に何があるのかが見えてこない。
この体を差し出せば解決するのかさえ解らない。
受け取ってくれるかさえ解らない。
初めての恋人。ゆえに、失う恐怖感・・・・いや違う・・・。
"失った後に私が味わう惨めな思い"を私は味わいたくなかったからだ。
ここまでは、どの恋人にも当てはまるのかもしれない。
でも、私は"元男"である。純正女性ではない。あえて言うなら即席の粗製女性である。
私は章吾君の為に女性であろうとする。可愛い女の子であろうとする。

ゆえに、女の子を演じようとする私。

そう考えが行き着くまで、時間はかからなかった。

私の心理カウンセリングは続く。
カウンセリングの先生はこう言う。
『みんな初めは空っぽだ』
『あなたは人より数多く空っぽになったというだけ』
『空っぽだから出来る新しい人生』
『人によって差はあるが、不安定な時期ゆえに誰でもそういう想いや悩みは抱えているもの』
『初めはお互いの利己心によって成り立つ恋人という関係』
時間はかかるが、それを一つ一つ受け止めていけば良いと。

「はいっ!今日はここまで」

カウンセリングの先生はそういうと、両手で手を叩いた。

今日はどうも難しい内容の話が続いた気がする。理解できない点が複数ある。
それでも、この先生が私の事を真剣に考えているという事は理解できた。
「ありがとうございます」
私はそう言って席を立とうとしたが、先生はまだ何か話したそうにしている様に伺えた。
気になって私はそのままの体勢で「あの、なにか?」と聞いた。
「小此木君は貴方にとっての思想家ね」
突然、思想家なんて言葉を先生が口にする。思想家?言葉は聞いた事があっても、意味が理解できない。
先生は私と章吾君が恋人同士である事を既に知っている。
聞かれたく無いことは無理に聞いてこないけれど、先生には章吾君の事を話していた。
「ごめんね いきなり思想家なんて言ってもわからないわよね」
確かにわからない。でも気になるので体勢を元に戻して先生に聞きなおす。
「思想家って?」
先生は続ける
「ここで私が言った思想家っていう意味はね・・・・ 解り易く言えば『人に影響を与える人』」
「本当は、社会に大きな影響を与えるような人の事を言うんだけどね」
「あなたにとっての思想家というのは、あなたへ多くの影響を与えたのが小此木君だって事かな」
思想家・・・・。言葉の意味が壮大すぎて、章吾君とはなんだか似ても似つかない。
あっ!これは章吾君に失礼だよね。
確かに、章吾君がいなければ私は、以前にもまして根暗な性格になっていたと思う。
そんな章吾君は、私だけの思想家といえば、その言葉も当てはまるかもしれない。
私にとっては章吾君は大きな存在だから。
「うらやましいな」
先生の発した言葉に私は驚いてしまう。
私の力になってくれている先生が、私にそんな言葉をかけるなんて変な気がした。
「ううん なんでもない」
先生はそういうとにっこりと微笑む。
これを終了の合図と取った私は席を立つ。
「あのっ・・・・ありがとうございました」
私は一度言ったお礼をまた言いなおした。引き止められてしまったけど、言わないのもなんだか気持ちが悪い。

結果的解決になっていないけれど、時間がかかると言う言葉は私の気持ちを晴れ晴れとさせてくれたから。

* * *

この後屋上で章吾君と待ち合わせをしている。
放課後、私たちは屋上でよりそって少しだけ話をする。それが日課になっていたから。
「それはそうと・・・・章吾君は先生のお説教終わったのかな?」
私は独り言をつぶやく。
なぜ放課後に章吾君が先生のお説教を受けているかというと、今週三度目の遅刻をしてしまったからである。
仕方の無い人だね。
でも、流石に終わっているだろうと思う。私は章吾君がもう待っていると思い、急いで屋上へ向かった。

屋上への階段を昇ると、屋上へ出る扉が半開きの状態になっていた。
開けたら閉めなきゃ!
私は章吾君が居ると思って、半開きの扉を全開にしようとノブへ手をかけようとしたその時。
「ねぇ、聞いてよ」
と、素っ気なさそうな女の子の声。
「なぁに?」
と、軽そうな返事で聞き返す女の子の声。
立ち聞きするつもりは無かったが、少し気になる事がありそのまま立ち聞きを続ける事にした。
「あいつ 何て言ったと思う?」
「だからぁ、なんのことぉ?」
「"章吾君は私の彼氏だから"だって」
「うっそぉ!私聞いてないよぉ!?あんにゃろぉ~あたしには話せないってわけぇ?」

章吾君の名前・・・・これ・・・・私の事!?そ、それにこの声って・・・・
どこかで、いや、明らかに聞き覚えのある口調と声、私の視界が一瞬歪む。
そして、まだまだその声は会話を続ける。

「そうそう、それでその後あたしが色々聞いてみたら、やだぁ、とか、もぅ、とか・・・・」
「うわぁぁ!まじきもぉぉぉい☆」
「でしょ?一丁前に女の子やってんじゃねーって感じ!」

「──────っ!!」
足が、手が、体中が震えだす。
私が一番恐れていた事が今、直接この耳に届いてきたからだ。
今、彼女達が話していることは私に対する中傷であり、それを話しているのは紛れも無い私の・・・・
今私に込み上げて来た感情は怒りでも、悲しみでもない。
それは"恐怖"だった。
本来ならば真っ先に味わうはずだったもの。
男ではない。女にもなりきれない。そんな中間の何にも属さない空っぽ。
空っぽという恐怖という現実が私を襲っていた。
私の心臓がドクドクと脈打つ音が体の中から聞こえてくる。
これは・・・・こんな場所にとどまっていられる事自体がおかしいくらいの状況だった。
私は二人に気づかれないよう、扉から体を離し後ずさる。
ゆっくり階段を下りる。聞こえないように、彼女達に届かないように・・・・。
視界が滲んで何も見えない。床に落ちてゆく水が見える。
私・・・・泣いている・・・・の?
だめっ・・・・このままじゃ・・・・ここで大きな音を立てれば二人に私が居た事がばれてしまう・・・・。
両手で手すりをしっかり持って、屋上から階段を下っていく。一歩一歩足場を確認するように。
「うぅっ・・・・あぁぁっ」
漏れそうになる声を、手すりにしがみつきながら口をふさぐ。
「ふっ・・・ふぅっ・・・・」

ようやく廊下まで降りる事ができた。
放課後とはいえ、廊下を歩く生徒達はまだまだ居る時間だ。
それでも、私はそんな周りを気に留める余裕もなく、ただ、ただ歩く。
当てもなく。
「マコトちゃん?」
おそらく何人もの人が通り過ぎては、私の顔を覗き見ただろう。
「俺だよ、俺 榎並!ねぇ、どうしたの!?」
私はそんな人たちに構う程、気持ちに余裕はなかった。
「章吾・・・・か?あいつと何かあったのか!?」
ふと聞こえてくる"章吾"という人の名前。けど、誰が章吾君の名前を発したかなどどうでもよかった。
そして、その声で章吾君の事を思い出す。そうだ・・・・頼れるのはもう章吾君しかいない。
そうだ、私には章吾君がいる。
章吾君・・・・どこ・・・・?
私を・・・・助けて・・・・章吾君・・・・どこ・・・・? 私を助けて──!!
私に語りかけて来た人物を気にも留めず、私はただ章吾君を探して歩いた。

気がつくと私は校門の前に立っていた。
涙が枯れ果て、もう何も出ない。
それが私がどこに居るのかを認識させていた。
なぜ、こんなところに来てしまったのかももう良く分からない。思い出せない。
どうして・・・・どうして居ないの?どうして・・・・
小さく、弱い声で私はつぶやく。
「章吾君・・・・私を見つけて・・・・私を探してよ・・・」
私は自分自身に嫌悪感を抱く。
最低だ・・・・私は最低だ・・・・
章吾君は私に沢山のものを与えてくれたのに、私は自分の事ばかり。
私は変わった様な気がしていただけで、何にも変わっていなかった。

ごめんね・・・・章吾君・・・・私はあなたに相応しい人じゃない・・・・
わがままばかり言う最低な人間だ・・・・

私はこの学校のどこにも居場所が無くなったように感じた。

こんな学校なんて もう居たくない 行きたくない

私は学校から逃げるように立ち去ろうと歩き出した。
やはり、当てもなく。

「マコト!?」
その時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
章吾君!?
私は立ち止まる。でも振り向けない。くちゃくちゃになった顔を見られたくなかったから。
いや、違う。何も悪くない章吾君に対して私が放った言葉が頭をよぎって、私を振り向かせてくれない。
「マコトだろ!?お前!待ち合わせはどうした!何の連絡もないし、電話にもでないし!」
違う・・・・待ち合わせに行かなかったんじゃない・・・・
「おい!こっちを向けよ!!」
私の体がびくっと震える。それでも私は何も出来ない。
「俺が何か悪い事したのか!?・・・・したなら謝る!」
違う・・・・そうじゃない・・・・
「言えないことなのか・・・・?俺には言えないことなのか!?」
違う・・・・私は君に・・・・

「黙ってちゃわからないだろ!?」
「マコト!!」
あの時と同じ言葉。
章吾君に呼び出された時と同じあの言葉。
枯れ果てたはずの私の涙が、また溢れ出す。
私の肩が震える。
「ふっ・・・・う・・・・うぅ・・・・」
私の目から溢れ出す卑しい涙。
私は卑しい自分が悔しくてたまらなかった。
「マコト?」
今度は困惑したような声で章吾君が私の名前を呼ぶ。
私はこの卑しい涙を見られたくなくて、振り向かず章吾君にこう答えた。
「ごっ・・・・めん・・・・ね・・・・"僕"・・・・君に慰めてもっ・・・・らう・・・・し、かくなん・・・・てなっ・・・・」
私は何とか搾り出した声で章吾君に訴えた。
とっさに"僕"という男の時に使っていた、女になり切れなかった時に使っていた一人称を使って。
「ま、マコト!?」
章吾君は、私のこの言葉を聞いていっそう困惑したような声で私の名前を呼んだ。
「ご・・・めんね・・・・」
私は最後にもう一度だけ謝ってその場から逃げ出した。
学校からも、章吾君からも──

俺は困惑して、その場に立ち尽くしていた。
マコトが発したあの"僕"という言葉。
マコトが精神的に不安定な状態であることを窺わせていたが、その理由がわからない。
女になった"私"であるマコトから、女になり切れなかった頃の"僕"のマコトへ戻っているように思えるが・・・・。
何があったんだ?マコト・・・・俺にも言えない何かが・・・・?
俺はあの日を思い出す。
マコトが女になって初めて学校に来た日の放課後、屋上でのあの事。
また・・・・俺は同じ事を繰り返すのか・・・・?
そう思うと、俺は言いようの無い怒りが込み上げて来た。
「くそぉっ!!!」
蝉の鳴き声が、部活に励む生徒達の掛け声が、俺の声を掻き消していく。
俺は、両手の拳をぎゅっと握り締めて立ち尽くす。
「探したぜ、章吾」
誰かが、俺を呼ぶ声が聞こえる。
その声の誰かは俺の前まで歩いて来てその姿を表す。
「カズか・・・・」
俺はなぜだがバツが悪くなって、カズから目線をそらす。
別に俺が何か悪い事をしたわけじゃない。だが、カズの顔が見れない。
だから、俺はマコトに何も言えな自分が恥ずかしくて、カズの顔が見れなかった。
「マコトちゃん 泣いてたぜ」
なぜ?何で、お前がマコトが泣いていた事を知っている!?
「なんで、なんでお前が知っている!?マコトの事を!」
コイツなら、カズなら、こういうときマコトに気の利いた一言が言えたはずだ。
そう思うと、嫉妬と劣等感の様なものを感じてしまう。
「知っているなら、なぜお前が止めてやらなかった!?」
俺は見当違いも甚だしい言葉をカズへ向けて放っていた。
しかし、俺の罵声にもカズは表情を何一つ変えない。真剣なような、苦悶なような表情。
そして、カズは意を決したかのような表情になり、俺にこう告げた。俺はそれを聞いて驚愕した。

マコトと仲良くしていた女子達が、屋上でマコトを中傷する陰口を話していた事。
それは、極めて陰湿なもので、マコトは陰口のネタにされていただけだという事。
おそらく、マコトがそれを聞いてしまったのではないかという事。
情報通のカズは、俺達が放課後屋上で寄り添い話をしていた事を知っていた。
すれ違ったマコトが泣いていたことを俺のせいだと思い屋上に行ってみれば、そこに居たのは・・・・
マコトと仲良く接していた、野口と関川だったと言う事。
それならマコトが泣いていた理由がわかる。
手が、体中が震える。体がドンドン熱くなっていく。
この感情は・・・そう、怒りだ。
憎悪を抱いてしまうか程の怒りが込み上げてくる。
「あいつらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は校舎の方へ振り向いて、その二人を探すために走ろうとした。が、カズに腕を掴まれて引き止められる。
「放せぇぇ!!」
俺はカズに掴まれた腕を引き離そうと大声を上げてカズを威嚇する。
「放すかよ!お前があいつらに何かやったところで、マコトちゃんの立場が悪くなるだけだぞ!」
「そうなると、マコトちゃんに居場所がなくなっちまうだろうが!」
そのとおりだ。俺が怒りに任せてあいつらをどうにかしてしまったら、俺もアイツも学校という世界ではタダじゃいられない。
だが・・・だが、この怒りはどうしたらいい!!
「あの時の事を忘れたのか!!」
「!!」
あの時の事だと!?忘れてなどいない!忘れるはずがない!
「忘れたのか!お前はあの時と同じようにしたくなくて、マコトちゃんと一緒に居る事を選んだんじゃないのか!!」
「ぐぅ・・・!」
俺は唸った。怒りを押し殺すように。
そして、俺は小さな声で
「・・・・がす・・・」 「え?」
「探してくる!」
「待てっ!俺も探すの手伝ってやる!マコトちゃん・・・マコトちゃんはどこに行ったかわかるか!?」
俺はとっさにポケットに入っていた携帯電話を取り出し見つめる。
「マコトは学校の中にはいない!あいつは外に・・・・!!」
俺が携帯を握り締めているのを見てカズが言った。
「携帯はつながらないのか!?」
マコトは鞄を持っていなかった気がする。だが、どの道あの状態だと出る事はないだろう。
俺は無言のまま携帯を見つめる。
「~~~ったく!とにかく、探しながら何度も掛け続けてろ!」
俺はカズが電話をかけ続けろと言った意味がわからなかったが、何の意図もなくそんな事を言う奴ではない。
「わかった!」
俺は頷いてカズの言う通りにする事にした。
「とにかく、手分けして探すぞ!俺は、近くの商店街を探す!」
「章吾は駅の方を探せ!それから、俺にも定期的に連絡をしろっ!」
カズはそういうと、一足先に駆け出した。それを追いかけるように俺も駆け出した。

マコト!早まったりするなよ!絶対にだ!!

俺とカズがこんなに焦っているワケ。俺が『早まるな』と心で叫んだワケ。
それは、俺のもう一人の兄貴。10歳年の離れた兄貴と俺の間に居たもう一人兄貴。
カズが言った"あの時の事"。その、ある事件があったからだ。

私は途方にくれていた。学校での唯一の拠り所を自分自身の手で無くしてしまった事に。
手を伸ばしても戻ってこない。元に戻らない恐怖。
私は駅のホームに立っていた。電車にも乗らずにただずっと。
パァァァンという汽笛の音と共に電車がやってくる。
このままココから飛び降りてしまえば、こんな辛さも苦しみも忘れてしまえる。
動け・・・動け・・・動いて・・・・動いて楽になる・・・・
しかし、私の足は決して動こうとはしてくれない。
それは、生物としての生存本能なのか、ただ臆しているだけなのか。
違う、心残りがあるからだ。
私はまだ確認していない事がある。
あの時、私は自分で章吾君の気持ちを無視して、身勝手なことを言っただけだ。
そうなんだ、それはわかっているんだ。
私は去り際に、『慰めてもらう資格なんて無い』と言った。
改めて、章吾君に気持ちを確認するのが怖い。
タダそれだけだったのに、死のうとしていた自分自身が情けなくなる。
どこが死ぬほどの事なんだと。

死ぬ事に比べたら、気持ちの確認をするほうが・・・・まだ怖くないじゃないか・・・・
章吾君に会いに行こう・・・・

私は携帯電話を探す。しかし、見つからない。
そもそも、携帯電話をしまってある鞄を手に持っていない。
学校に忘れたのかもしれない。しかし、今から学校に戻っていては、章吾君と会えないかもしれない。
なぜならば、時間の頃は夕方を過ぎている。
ホームに風が流れ込み、私の髪が揺れる。電車が到着した。
じゃあ、どうやって会う?
電車の扉が開く。
方法がわからない。ただ、電車の行き先は章吾君の家がある方向だ。
なら、章吾君の家の前で待てばいい。
そう考えるに至った私は電車へ乗り込み、章吾君の家を目指した。

私は、章吾君の家の玄関先に座り込んで章吾君の帰りを待っていた。
時計は持っていない。でも外が暗い。
季節は夏。日が落ちるのが遅いことを考えると、もう8時をとうに過ぎている事がわかる。
章吾君は帰ってこない。
当然だが、家のチャイムは何度も押した。章吾君のお母さんが帰ってくる様子もない。
明かりの灯らない章吾君の家。帰らない章吾君。
もしかしたら、私を探しているのかもしれない。
しかし、携帯電話は持っていない。章吾君に会うまでは帰りたくない。
お母さん心配してるよね・・・・?ごめんねお母さん・・・・
夜とはいえ、かなり暑苦しい。
座り込んでいたとはいえ、外に数時間いたため服がびしょびしょに濡れ、髪の毛も頬にまとわりついている。
「アハハハハ・・・・私・・・・バカだ・・・・」
暑さで頭が逝かれたのか、ただ一人で待つのが寂しかったのか、私はそんな独り言を口にする。
「章吾君・・・・帰ってきて・・・・私・・・・寂しい・・・・辛いよぉ・・・・」
私は独り言を続け、天を仰ごうとした時、見上げた先に立っていたのは章吾君だった。
「ま、マコトか!?」
章吾君は私の顔を見てそう声をかけてきた。その声はひどく不安そうに聞こえた。
その人の顔を、章吾君の顔を近くで確認したくて、瞬時に立ち上がり、章吾君の胸に飛び込もうとした。
「しょ─」
「マコト!!」
私が、名前を呼び終える前に、先に抱きついてきたのは章吾君だった。その目には涙が見えた気がした。
章吾君は私を強く抱きしめる。その力はとても強く、苦しかった。
「んっ!?しょ、章吾く・・・・く、苦しい・・・・」
それでも章吾君が私を抱きしめる強さを緩めなかった。
「だっ・・・だから・・・・く、くるしい・・・・」
私がそう訴えると、章吾君はくぐもったような声で
「そうか・・・・くぅっ・・・苦しい・・・・か・・・・・よかっ・・・・」
え?どうして?本当に泣いているの?
すると、抱きしめられる力がすぅっと弱くなり、くぐもった声のまま章吾君が続ける。
「お・・・俺は・・・おっ・・・・前が・・・・死んで・・・・しまっ・・・・」

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」
章吾君は感極まったのか、その場で私を優しく抱きしめたまま、声を上げて泣き出してしまった。
私はどうしたらいいか一瞬わからなくなったが、私が悲しい時章吾君はいつも私を優しく抱きしめてくれていた。
だから、私もそうしてあげたいと思った。
章吾君が泣いている。私は今まで章吾君のそんな姿は一度だって見た事がない。私が男で、章吾君と親友であった時も。
なぜ泣いているの?
という質問は愚問だ。どうやら、その原因は私が作ってしまったみたいだから。
いつも章吾君から抱きしめてもらい、慰めてもらう。
しかし、今回は私がそうしている。そんな私は少し優越感さえ感じる。
不謹慎だね・・・・ごめんね・・・・私最低だね・・・・。
でも、こうしていられるのは、今私が生きているから。
そう思うと突然足が震えだした。
ガクガクと足が崩れ落ち、地面にへたり込んでしまった。
死への恐怖が今更私に襲ってくる。
バカだ・・・・私はバカだ・・・・でも・・・・死ななくて良かった・・・・
私は章吾君の顔を見上げて、その顔を確認する。
さっきまで泣いてたかと思った章吾君の顔は、なんだか心配げな顔になっている。
「大丈夫・・・・ちょっと・・・・腰がぬけちゃった」
私の言葉に、章吾君はふっと顔を緩ませた。
「ごめん・・・・立てるか?」
章吾君はそういうと、私に手を差し出す。
私はその手を掴んでなんとか立ち上がり、章吾君にしがみつく。
「ありがとぅ」
「ふぅ・・・・とにかく、家入れよ お前汗でべとべとじゃん」
汗の臭いが届くんじゃないかと思った私は、すぐに離れたかったが、腰が抜けててそうはいかない。
そんな私は苦し紛れに悪態をつくしかなかった。
「しょ、章吾君だって汗だくじゃない!!」
「ふははははははは!お互い様だ!いいからさっさと入るぜ」
いつの間にか大笑いしている。章吾君ってこんなに喜怒哀楽が豊富だったんだね。
私は章吾君の肩に手を回して肩を組み、章吾君の家に入っていった。

私は、普段入った事のないリビングにつれて来られ、ソファーへと座らされた。
章吾君は私の家に連絡してくると言い、エアコンのスイッチを入れてリビングを出て行った。
私は他人の家のリビングで一人になる。少し不安になり、それを紛らわせるためにキョロキョロと辺りを見回す。
時間を確認してみる。時計は・・・・あった。
大きな掛け時計が壁に飾られてあり、その時計の針は20時30分を指していた。
もうこんな時間か・・・・
しかし、この家の広さと豪華さには流石に驚いてしまった。
時計も大きいとは言ったが、かなり豪華そうなな時計だ。一体いくらするんだろう。
そう思うと、私は失礼かと思うほど部屋のなかを見回していた。
章吾君の家のリビング・・・・
女体化以前から章吾君とは仲は良かったが、リビングに通されたのは初めての経験だ。
普通、友達であろうと家族団らんの場であるリビングへはあまり他人を通さないものだ。
私の腰が抜けているとはいえ、リビングへ通されたという事はそれだけ信頼してもらっている様な気がしていた。
私はリビングをぐるっと見渡してみる。
リビングはダイニングからキッチンへと繋がっており、食事用の洋風のガラステーブルの上には新聞が1冊おいてある。
他は特に特に散らかっている風もなく家具も調えられているが、家具のところどころに少しホコリが積もっているように見える。
章吾君の家は豪邸とは言わないが、私の家と比べても充分に大きい。
リビングだけでも15畳以上はありそうだ。あまりに広すぎてなんだか居心地が悪い。
広い部屋に家族二人だけ・・・・・・
章吾君は四人家族・・・・だった。今はお母さんと二人で暮らしているらしい。
章吾君より10歳離れたお兄さんは仕事の都合で県外に出ている。お父さんは・・・10年前に亡くなったらしい。
残ったお母さんと章吾君の二人で暮らしているわけだけれども、仕事が忙しいお母さんは時々家に帰って来れない日もあるらしい。
もしかしたら、今日も帰ってこないのかもしれない。
こうして私がリビングに上げられているのも、そういった理由があるのかも。
「おーい、マコト」
章吾君は私を呼びながらリビングへと戻ってきた。
その手には携帯電話が握られており、受話側の穴を指でふさいでいる。
「ほれ、マコトの母さんから」
そういうと、章吾君は私に携帯電話を渡した。私はその電話を受け取り、頬に携帯電話を当てる。

「もしもし・・・・お母さん・・・・?」
私は何を言われるかと不安になり、小さな声で話した。
『マコ?気分はどう?大丈夫?』
ん?気分?大丈夫かって?あれ?なに?
お母さんが一体何を言っているのかが理解できない。
私は目の前に立っている章吾君の顔を見上げる。
章吾君は手でなにやらサインを送っている。
私は首をかしげてしばらく悩む。そうすると、お母さんが心配そうに話を続ける。
『ちょっと・・・大丈夫なの!?小此木君が、マコが気分が悪くなって倒れたって・・・・』
なんだ・・・・そういう事。
でも、私、お母さんにこういう嘘つけない。付いちゃイケナイと思う。
私が不安な時、一番最初に力になってくれたのはお母さんなのに。
そのお母さんにこういう嘘は付けない。ううん。ついちゃだめなんだ。
私はもう一度章吾君の顔を見上げて、怒った顔をする。
「大丈夫 心配しないで・・・・ 今、章吾君の家に来てるんだよ・・・・それでね・・・・」
流石に学校での出来事までは話せなかったが、大体の経緯は話しておいた。
『そう・・・・ そらから、小此木君もマコに気を使ってあんな嘘言っただけなんだから あまり悪いこと言っちゃだめよ?』
「うん・・・・」
『それから、女の子になっても変わらず付き合ってくれるなんて・・・・ いい恋人が出来てよかったわね お母さん安心したわ』
「うん・・・・って、えぇ!?」
な、ななななななんでわかるの!?
私がイキナリ叫ぶものだから、章吾君は心配してしゃがんで私に目線を合わせる。
ちょっと・・・・やめて・・・・その同時攻撃・・・・
この真っ赤に熱くなった顔をどこに隠せばいいの!
私は恥ずかしさのあまり、うつむいて黙り込んでしまう。
『あら、本当だったの 大切にしてあげないとだめよ? あんなにいい子は他に──』
「も、もう!わかったから・・・・ うん うん・・・・ 大丈夫 明日お昼までは帰るから・・・ うん・・・・」
「うん それじゃ」
私は電話を切って携帯電話を章吾君に返す。

「長かったな それで・・・・大丈夫なんだな?」
章吾君は終止不安そうな顔をしていたが、先ほどの私の会話を聞いていたのか直ぐに察してくれた。
「うん・・・色々小言を言われちゃったけど、明日のお昼過ぎまでに帰るって事で・・・」
私がそう言うと、章吾君はふぅっと安堵の溜め息をついた。
「そっか・・・・んじゃ、今風呂わかしてるから、沸いたら先に入っちまえよ」
「それから、着替えも用意しておいてから あがったらちゃんとソレに着替えておけよ」
章吾君が電話をしながらリビングから出て行った理由が今わかった。
って、お風呂!?き、着替え!?
そそそそそそそんな!なんでそんな事になってるの!?
「ん?どうした?そんな驚いた顔して そんなべたべたの服のままで居るつもりか?流石に臭うぞ?」
私はまた顔がカーっと熱くなった。
そんなに臭うかな・・・私・・・・
「ボディーソープとかシャンプーとか勝手に使っていいから、気兼ねなく入れ」
と、さらっと言う章吾君。あの、私の気持ちは無視ですか・・・・
でも、流石にこのままは失礼かと思った。汗でべとべとのブラウスに下着。
このままこのソファーに座ってたんじゃ、ソファーに臭いが付いてしまう。
「ご、ごめんっ」
とっさに謝る私に、章吾君はキョトンとしているが、何か分かったような顔をして言う。
「そうかそうか ゆっくりどうぞん」
章吾君は私の『ごめん』を"お風呂頂きます"と受け取ったらしい。

お風呂が湧いたと章吾君から促され、私は渋々脱衣室にむかった。
私は、浴室を前にたたずんでいると、脱衣室の外から章吾君が私に話しかけてきた。
「スカートはともかく、下着とブラウスは洗っとけよ もう洗濯機の中に洗剤はいれてあるから」
えぇっと、ここで洗えという事でしょうか・・・・。
全く持って、至れり尽くせりだが・・・・こういう配慮は嬉しいが恥ずかしい。
だが、洗わずにそのまま着ておくのは流石に気持ちが悪い。
でも、下着はどうするの!?私は慌てて章吾君に確認する。
「あっ・・・・あの・・・・下着は・・・・」
「ああ、洗濯乾燥モードでスイッチいれとけよ それ、あまりシワになりにくいヤツだから」
どうも話がかみ合ってない。
「風呂に入る時にスイッチいれとけよ ちょっと時間かかるが しばらくはソコのシャツで我慢してくれ」
ふと横の棚を見ると、大きなTシャツがおいてある。
手に持って体に当ててみると、確かに大きい。
今履いているスカートよりも膝丈は上になるが、私の大切な部分は大きく隠す事ができそうだ。
「で、でもぉ!!」
「おいおい 全部終わるまで、風呂に浸かっているつもりか? いくら女の風呂が長いとはいえ、のぼせるぞ?」
そう言われて、洗濯機の操作パネルを見てみる。
洗濯乾燥スイッチを探し、試しにスイッチを押してみると、コンソールに120分と表示されている。
これは流石に長すぎる。だが時間がかかるというのも頷ける。一気に乾かしてしまうと服がシワになってしまうからだ。
と勝手に結論付けると、私は渋々返事をした。
「わ、わかったよ・・・それじゃ、お風呂頂きます・・・・」
「どうぞ」
章吾君はそう返事をすると、トコトコと歩いて扉の前から去ってった。
私は音が消えてなくなるのを待ってから、服を脱ぎ始めた。
脱いだ服と下着を名残惜しく見つめては、洗濯機の中に放り込んでいく。
スカートはクリーニングが必要になるので、そのまま置いておく。
洗濯乾燥のスイッチを入れて洗濯開始。さらば、私の隠れ蓑。また120分後に会いましょう・・・・。

そんなバカなことを考えて居ないと、私の気持ちがどうにかなってしまいそうだ。
彼氏の家でお風呂に入る。友達の家でお風呂に入ると言うだけでも抵抗があるというのに、女の子になった私が・・・・。
意識せざる終えない。でも、このまま裸で脱衣室に居るわけにもいかないので、お風呂を拝借する事にした。
他人のうちのお風呂というのは落ち着かないもので、なんだかソワソワする。違う・・・なんだかムズムズする。
ただ、このままそうしていても仕方が無い。私は、意を決して体を洗い始めた。
私は、首、胸、脇、腕、股間、足の順番でボディーソープを手につけて泡を伸ばしていく。
やっぱり、スポンジを使うのは恥ずかしくて、そうせざる終えなかった。
ひと通り泡を伸ばして泡立てたら、次はシャワーで泡を洗い流していく。
なんだか、私の家のシャワーより勢いが強い気がするが、あまり気にせず泡を洗い流していく。
そして、股間を洗おうとシャワーを下腹部へと近づけていく。
自分の秘部を洗うべくシャワーの水を股間の秘部へ近づけたその時。
突然の感覚に私の体がビクンと跳ねる。
「ふぅんっ!」
足の先から脳天に向けて電気が走った感覚に襲われ、私の口からとんでもない無い声が漏れた。
慌てて、シャワーのお湯を下腹部から離す。
なに?今の・・・・これってもしかして・・・・
私の考えはおそらく100%当たっているだろう。
私は初めて女性の体として性的快感を得た瞬間だった。
この激しいほどの奇妙な快感に、私の好奇心がそそられたのか、もう一度だけ試してみる事にした。
恐る恐るシャワーを私の秘部に近づける。
「んんっ んはぁぁ!!」
私の体がもう一度ビクンとはねる。
シャワーのノズルから出てくるお湯の水圧を直に秘部へと当てたせいで、先ほどとは段違いなほどの性的快感が私を襲う。
あまりの感覚に私はとっさにシャワーを放り投げてしまう。
ゴトン!
「ぁぁぁ・・・・」
男として、イッたとき。射精時における性的快感か、それ以上のの感覚が私の脳に、全身に伝わってきた。
「だめ・・・・これ以上は・・・・」
耐えられそうにない。
そもそもココは──

すると、扉の奥の奥から章吾君の声が聞こえてきた。
「おーい 大丈夫か? なんかすごい音がしたんだが・・・・」
私はビックリして、落としたシャワーを拾い直す。
「おーい 滑ったかぁ?」
突然の声に、私はあの声が聞こえてしまったかと思い体を縮めてしまう。
「ん!?おいっ!大丈夫か!?」
脱衣所の扉が開く音がして、私はとっさに声を上げた。
「キャァァァァァァァァ だめぇ!あけないでぇ!!」
私は擦りガラス越に章吾君の影を確認すると、あともう一歩で浴室の引き戸に手をかけそうになっているところだった。
湯船の中ならともかく、シャワー中だったので体の隠しようがない。
「ん、あぁ!ごめん!本当にごめん!!」
そもそも悪気があってやったわけでもなく、未遂で終わったのにも係わらず、章吾君は何度も何度も私に謝っている。
別に、私は章吾君ならこの裸が見られても惜しくは無いとさえ思っている。
でも、他人の家で自慰に更けようとしていた行為に羞恥心を覚えてこんな事を言ってしまったのだ。
「そ、そんなに謝らないで・・・・その、ごめんなさい・・・・イキナリは恥ずかしくて・・・・」
ん?イキナリは恥ずかしくて・・・・って!私・・・!!
「ちっ・・・違うの!そうじゃなくて・・・・・」
私はとっさに変な言い訳をすると、章吾君から溜め息が漏れた。
「はぁ・・・・・俺はお前にもしもの事があったら、お前の母さんに合わす顔がないんだぜ?ちったぁ気をつけてくれ」
ごもっともで・・・・
「ご、ごめんね・・・・」
私がそういうと、なんだかブツブツ言いながら章吾君は脱衣所から出て行った。
この出来事で、さっきの感覚もなんだか失せてしまった。
まぁ、それでよかったのだろうけど。
私は、残った泡を洗い流して髪を洗い、湯船に浸かった。
はぁ・・・・気持ちいい・・・・
汗でべとべとだった体もすっかり綺麗になり気分も上々。歩き回った所為で疲れた体も少しだけ癒す事ができた。
そこで、ふと冷静になる私。
成り行きとはいえ、私は今も章吾君のペースに飲まれている。
章吾君・・・・私は、あなたにあまたの優しさを一度突き放したのに・・・・

それでも、あなたは変わらず私に優しさを与えてくれる・・・・
どうして・・・・?
それは不安というより、疑問。単純に疑問である。
女の子になったとはいえ、私は元男である。
冷静になれば冷静になるほど、なぜこんな短期間で私を女として認めてくれたのだろうか。
本当は考えたくもない、私自身触れたくても触れようとしなかったリアルな疑問。
確かに私は女の子になった。でも、それは体だけである。
カナちゃんやユイちゃん・・・・彼女達が言っているように・・・・一丁前に女の子を演じているだけなのかもしれない。
女の子になっている私が、それは演じるためなのか、それとも女性としての本能なのか。
私には考えても考えても結論に、答えにならなかった。
そう・・・・そうだった・・・
私は、それを・・・・・今一度、それを確かめるために、私はまた章吾君に会いに来たんだ。
・・・たとえ私が、僕として元男として、章吾君に対する気持ち。
『大好き』だと言う気持ちだけは揺るがないと信じている。
後は章吾君の気持ちが知りたい。
一度は確認しているにもかかわらず、また確認したくてたまらない。
こんな女々しい私を章吾君はもう一度、女・・・・いや、一人の人間として好きだと、愛してくれるのだろうか。
そして、章吾君はなぜ私の為に泣いたのだろうか。
私は知りたい。章吾君の事をもっと知りたい。
そう思うと、私は勢い良く湯船から上がり、浴室から出た。
洗濯乾燥機はまだまだ動いていた。
私はそれを眺めながら溜め息を漏らし、用意されたバスタオルで体を拭いていく。
そして、一枚の大きいTシャツ。
下着もなしに、これを着ろというのですか。章吾君。エロイですよ。あなた。
とはいえ、章吾君の家庭に女性という人は・・・・章吾君のお母さんしか居ない。
それに、いくら同じ女性とはいえ、他人の下着をかりると言うのはあまりにも恥ずかしいものがある。
これは・・・・・覚悟と決めろと、そう仰っていらっしゃるのですね。章吾様。
うなだれながらも私はTの袖に腕を通す。
確かに、膝上20センチくらいの場所までシャツの裾が降りてきているが、ノーパンノーブラにこれは恥ずかしすぎる。
私は手前のシャツの裾を掴んでぐっと下にずらす。

たまらず私は、扉越しにどこに居るかわからない章吾君に対して言葉を投げかける。
「や、やっぱりこれ、むりだよぉぉ!」
すると、「ん?」と言う声と共に足音が近づいてくる。
そして、突然目の目の前の扉がバンと開いた。
「おう!出たか?」
私はパンツなしTシャツ一枚の格好で、目の前には章吾君が。
「ひぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
私の顔からは、お風呂上りの湯気ではない、違う湯気が吹き出て、キャーともヒィーともつかない叫びをあげる。
「おいおい 俺の番だから入れって言わなかった?」
どうやら、章吾君には私の声が届いていなかったようだ。
「ち、ちがうよぉぉぉぉ!その・・・・服が・・・・その・・・・」
私が恥ずかしそうにそういうと、章吾君はいたって平静に続ける。
「ん?あぁ、俺が風呂入ってる間に下着とか乾くだろ 文句ばかり言ってないで、少しは我慢しろって」
文句って・・・・そういう問題じゃないよ!
私は居た堪れなくなって、脱衣室からリビングへと逃げ去った。
章吾君はものの10分でお風呂を終わらせてリビングへ帰ってくる。
私は今の格好が恥ずかしくて、体操座りをした状態に大きなTシャツを縮めた足にかぶせて床に座っていた。
章吾君はリビングへ入るや否や
「ぷっ・・・・・ふはははははは!なんだ?その格好は」
私の格好と、膨れた頬を見て、大声を上げて笑い出した。
「そんなに・・・・笑わなくてもいいでしょ・・・・」
「いや、悪い悪い そうそう、これ 乾いたぞ」
章吾君はそういうと、私の下着とブラウスを持って私にそれを投げつけた。
「ん?乾いたって・・・・ブラウスと・・・・ぱ、ぱん・・・・!」
章吾君が私の下着を・・・・下着を!!
「ほれ、はいとけ 目の毒だ 俺の」
「~~~~~~!」
私は声にならない声を上げた。

私は剥れている。
何も、下着までを持ってこなくてもいいと思う。
「ごめん ごめん 悪かったって」
そういうと、章吾君は私の隣に座ってきた。
「もう・・・・恥ずかしかったんだから・・・・」
そういって、私は章吾君の顔を見ると、目と目が合う。
私は急に恥ずかしくなって、直ぐに視線を元に戻す。
しばらく沈黙が続く。
私は思い出している。お風呂の中で決意した事を。
聞きたい。聞かなければならない。知りたい。知らなければならない。
章吾君の気持ちを。
そして、続く沈黙。それを先に破ったのは章吾君だった。
「なぁ、俺の部屋に上がってゲームでもするか?」
私は答えない。今ゲームをしてしまうと、また章吾君のペースにはまってしまう。
いつも会話が章吾君ペースになると、聞きたいことを聞かせてくれない様な会話の流れにされてしまう。
章吾君が話しかける。と、私がそれに対して答えさせられる。そんな感じ。
「どうした?疲れたのか?」
章吾君は心配したかの様な声で聞いてくる。
でも、私が求めているのは、そんな言葉じゃない。
いや、違う、私が求めているのは言葉じゃない。気持ち。
私か章吾君に聞かなきゃならない、章吾君の気持ち。
私は勇気を振り絞り、ついに言葉にした。
「教えて・・・・」
「え?」
「私の事・・・・どうして好きになったの・・・・?」
章吾君は驚愕したかのような、そんな顔になる。
そして、その顔はすぐに曇り出す。
私のこの質問に、そうならない方がおかしい。私は章吾君が返事をするまで待つ事にした。
私は章吾君の顔をじっと見つめる。いつ、返事が返ってきてもいいように準備をする。
少しだけ間を置いて、章吾君はようやく口を開いた。

「そんな事・・・・あえて聞くような事なのかよ・・・・」
が、はっきりとは言ってくれない。
私はそんな章吾君の態度に苛立ちを覚え、声を荒げて怒鳴った。
「私は・・・・私は理由が知りたいの!どうして、こんな私の事を好きになってくれたのか!」
「どうして、あの時章吾君が泣いたのか!」
「私は、章吾君の事がもっと知りたいから!」
「でも、章吾君は何も話してくれない!それじゃ、私わかんない!章吾君の事・・・・わかんないよ!!」
章吾君はまた驚愕したかのような顔になり、すぐさまうつむいた。
章吾君は、なぜ元男の私にここまでのことができるのだろうか。
私は、なぜ章吾君が声を上げてまで泣いたのか知りたい。
あの涙には安堵感以外の感情、悲しみも似た感情が感じられたから。
「私だって・・・・章吾君が悲しいと思うとき、力になってあげたい・・・・」
「なのに・・・・章吾君はいつも・・・・いつも・・・・」
力になってあげたかったのに。なのに・・・・また、涙を見せてしまったのは私の方だった。
「ごめん・・・・」
章吾君は小さく低い声で謝った。そしてこう続ける。
「話さなきゃ分からないって・・・・俺が全然マコトに話してなかっただけだよな・・・・」
「分かってたんだ・・・・でも、話してしまうと・・・・マコトが俺から・・・俺から離れていくような気がした・・・・だから・・・」
私はそんな章吾君の弱気な発言に、耳を疑った。
いつも私に自信と希望を与えてくれた章吾君が話した言葉。
そして、私はすぐさま答えた。この時を逃さまいと。
「だったら・・・おしえて?」
章吾君は両手で頭を抱える。しばらく黙り込んでいたが、少し間を置いて苦しそうな声で話し出した。
「俺にはもう一人の兄貴がいた」
初めて聞いた。もう一人の兄貴?お兄さんは一人だけだって・・・・
「名前は圭吾。俺と10歳年の離れた大吾にぃとの間に"いた"兄貴だ・・・」
いた・・・?いたって?
「小学生の時から、カズと一緒になってよく遊んでもらってたんだ。優しくて、面倒見のいい兄貴だった・・・・」
カズって・・・・榎並君の事だよね・・・・。そっか、小学生の時からだったんだ・・・・。
私は少し、寂しいような悔しいような嫉妬にも似た感情を覚えた。

「その兄貴は・・・・ある日突然・・・・女になった」
「え!?」
私は人事ではなかった。ある日突然女体化した元男。私もそうだから・・・・。
「驚くだろ?普通。俺も驚いた。あの頃は小さくて、何も知らなかった」
「だから・・・・俺は・・・・・・・」
「圭吾にぃが居なくなったと思って、変わり果てた兄貴に・・・・・
『お前なんて兄貴じゃない!』子供心にショックだったんだ・・・・
大切な兄貴を目の前の女に取られたような気がして・・・・」
章吾君は顔を上げて私の方を見る。自分を蔑むかのような、自虐的な顔をして。
「あの時の兄貴の顔・・・・今でも覚えてる・・・・・」
「そして、しばらくして・・・・兄貴は死んだ・・・・」
私は胸の中が刺されたような感覚になり、びくっと体を振るわせた。
「兄貴は死んだんだ・・・・自殺だった・・・・。後で聞いた話によると、学校でそうとう陰湿ないじめを受けていたらしい・・・・」
「俺は心の中でずっと悔やみ続けていた・・・・けどっ・・・・!」
章吾君の顔がほんの少しだけ明るくなる。
「中学二年になって、マコトで出会った。俺はマコトの事、最初根暗なヤツだと思っていた」
私だ・・・・そう、私は章吾君と出会うまで、友達を作るという事を怖がり、誰とも話さないまま中学一年を過ごしてきた。
だから、根暗だといわれても仕方が無いのだと思った。
「それがさ、話してみると、優しい笑顔で笑う事がわかった!俺は兄貴とマコトをダブらせて付き合ってきたんだ・・・・」
そう・・・・だったんだね・・・・・章吾君は寂しくて私と・・・・・
「そんなお前が女になった時、俺は他人事のように思えなかった」
「だから・・・・俺は・・・・あの日、お前を屋上に呼び出した・・・・下手したら死んじまうかも知れなかったのに。
お前は一人で抱え込んで、俺には相談してくれなかった・・・・・だから・・・・・」
──そうだったのか。だから章吾君はあんなに焦っていたんだね・・・・
「お前が・・・・ぶっ倒れるもんだから・・・・俺は心配で心配でたまらなかった・・・・」
だから、章吾君は私の事を過保護なまでに気を使ってくれてたんだね。
でも・・・・それはただの・・・・同情なんだよね・・・・
同上なんかで私と、元男なんかと付き合っていたのかと思うと、私は悔しくなった。

「私が・・・・お兄さんと同じだったから?だから付き合ってくれたの?恋人になったの!?」
「それは違う!」
章吾君は声を荒げた。
「違わない!!」
私も声を荒げた。
「俺はなぁ!死んだ兄貴のことを話しているときにでも!それがどれだけ不謹慎でも!お前が女になって良かったとそう思ってる!」
──!?それって・・・・
「今はお前が元男だろうと、なんだろうとかまわない。お前の最高の笑顔が、俺の全ての支えになる!」
「それが、どれだけ世間から異常だと罵られても!俺はお前のそれだけで生きていける!」
私の体に熱いものが込み上げて来た。数多く存在する愛という情念が、こころの底から込み上げてくる。
そして、章吾君から伝わってくる。
そして、私は最後に章吾君の気持ちを試してみたかった。私こそ、不謹慎極まりない。それでも、これだけは試してみたかった。
「じゃあ、行動でそれを示してよ・・・・」
「え?」
「元男の・・・・私を抱いて・・・・・その言葉の意味を私の体に教えてよ!」
私のそんな大胆な言葉に、章吾君は驚きと戸惑いの表情を浮かべたが、その表情はすぐに真剣なものになった。
「後悔・・・・・しないな?」
私も章吾君の顔を真剣に見つめ返す。
「しないよ・・・・章吾君だから・・・・・あなただから。私はこの体をささげたい。この体であなたの心を感じたいから!」
「マコト!!」

章吾君は私の名前を呼ぶと、床に私を押し倒した。
「俺は、初めてお前と友達になったときから。こうなれたらいいなと思っていた」
私は心の底から、私自身を、私という人間を愛してくれた人を目の前にして、嬉しさのあまり目から涙がこぼれだす。
「でも・・・・私が女じゃないと・・・・こういうことできないよ・・・・?」
章吾君は私のその言葉に少し顔を崩す。
「あたりまえだ。だから俺はお前を女になるまで放っておいたのかもしれないな・・・・」
親友としてはどうかと思うが、恋人としては正しい行為。世の中には、男同士、女同士の恋人もいる。
私たちはそれとはまた違った新しい恋人同士だが、どんな形であろうとも、恋人である事は何もかわらない。
私は女の子になってよかったと思った。女の子な私は、男の子である章吾君を全身で感じる事ができるから。
そして、私たちは一つになった。
何度も何度もお互いを求めて。お互いの男女を確認しあうが為に。
普通の恋人同士と比べると、私たちは順番が逆になったのかもしれない。
私たちは、お互いが男女として認め合ったこの時、本当のスタートとなった。

私たちはまだそのスタート地点に立ったに過ぎない。
これから時間をかけてお互いを今以上に理解していかなければならない。
それは困難で険しい道だろう。
いまだこの先に何があるのかははっきりとは見えてこない。
でも、私は信じている。
これからもずっと私の側に章吾君が居てくれる事を。
いいえ、私が章吾君の側へ居続ける事を。

マコト 終章『ストレイド』完

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最終更新:2008年10月13日 02:17
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