ツンデレヤンデレ(以下略)ケース2

 内海彼方は、授業の合間の休み時間はぼんやり過ごすほうが好きだった。
「内海~」
 周囲を確認したわけではないが、教室のドアの向こうからの声で男子の視線がそちらに集中するのが、肌で感じられた。
「あ、いた」
 別のクラスのその美少女は、まっすぐこちらに向かってくる。初めは違和感があった女子用のブレザーも、少し短めのスカートも、もうすっかり馴染んでいた。
「どうした刹那。なんか用?」
 そんなものないんだろうな、と分かっていながら聞いてみる。彼女のことを名前で呼ぶのは、昔からの習慣だった。
最近までそう呼ぶと恥ずかしそうにしていたが、今は気に留めていないようだった。むしろ今は、自分の名前が気に入っているらしい。
「別にないよ」
 そんなもの必要なの? とでも言いたげに、刹那は返してきた。屈託のない笑みと共に。
机に頬杖を突いた格好を解いて、彼方はため息をついた。彼女が来るとクラスの男子がはしゃぎまわるが、自分も例外ではなのかもしれない。
実際、少女が来たことで明らかに気分が昂ぶっていた。なるべく表に出さないように努めてはいるが。
 周囲の視線を感じながら、彼方は本心と逆の意見を述べた。
「あのさ。休み時間の度に来るのって疲れない? 無理してくることないよ」
「何で? もしかして迷惑?」
 笑顔を翳らせた刹那に、そんなことはないと言いたかった。
ただ話をするだけでも、彼方にとってはかけがえのない時間となった。授業中にあった些細な出来事も、お互いで共有すると価値が跳ね上がった。
 しかし彼方は、刹那の言葉を否定しなかった。
「うーん。たまには誰とも喋らないでじっとしていたい日もあったり。それにほら、俺って一応彼女居るんだよ」
 彼方が頭を抱えているのは、主に後半の部分についてだった。刹那はどこ吹く風といった感じだが、彼女のほうは遭遇するたびに不機嫌になる。
「私は中川さんとも仲良くしたいんだけどな」
 刹那は、問題の彼女の名前を口にした。
「やっぱり私、中川さんに嫌われてるの? 彼方」
「ん~、好かれてはいないというか……」
「そっか……ごめんね。今度からあんまり顔出さないように気をつける」
 勝手に座っていたクラスメイトの椅子――誰も文句は言わないだろうが――から立ち上がり、刹那は寂しげな微笑を浮かべ去って行った。

 それから一分と経たずに室内にやってきた中川は、楽しげに彼方に尋ねてきた。
「あれ、二宮さんは」
「みりゃ分かるでしょ。来てないよ」
 もう帰った、と表現したほうが正確だったが、彼方はそう答えた。
「マジで。よかった~」
 刹那が出しっぱなしにしていった椅子に座り、中川は息をついた。
「なんかもう、友達になりましょうとか言い出しそうだから冷や冷やしてたんだよね、私」
「問題あるの? 中学から知ってるけど、性格悪い奴じゃあないよ」
「え~、嘘だ~」
 懐疑的な眼差しで中川は声を上げた。
「だってあの子さあ、放課後の図書室で、同じクラスの野球部のエースといちゃいちゃしてんのよ。何だっけ、門倉とかいう」
「二宮と家が隣の男子だろ。そいつとも中学一緒だったから、良く知ってる。家が近いから、波長さえ合えば仲良くなるのも早いんだろ」
「それで彼方にも色目使ってくるじゃん、あの女」
 中川は徐々に口調を刺々しくしていく。不快な気分が募ってきているのが、自分でも分かった。彼方は言う。
「色目は言いすぎでしょ。単に昔からの付き合いの延長ってだけだよ」
「ああいうセックスアピールの強い女はね、すぐ相手を勘違いさせるのよ。馬鹿な男はそれと知らずに引っかかるけど、
女の目からするとわざとらしくって、もう見てるのもムカつくの」
「女の世界のことなんて知らないけど、あいつはまだ女体化してから日が浅いんだよ。すぐにルール押しつけんのも可哀想だろ」
「相手に合わせてころころ態度変えてんのよ。さっきの野球部と話してる時なんか、それはもうぎゃあぎゃあと――」
「やめよう。こんな話、不毛だよ」
 彼方は中川の声を遮った。気づけば刹那の弁護ばかりを頭の中で組み立てている。
相手によってキャラクターを使い分けるのは、この年になれば当り前だとか、刹那の振る舞いに魅力を感じるのは
受け手である男のほうの問題に過ぎないとか、もともと友達の少ない奴だったから、数少ない友人として助けになってやりたいとか――
 そして突然、目の前にいる『彼女』の顔に、得体のしれない嫌悪感を覚えた。
 俺は、どうしてこの女と恋人ごっこなんかしてるんだろう? 向こうが熱心に言い寄ってきたから?
それなりに可愛いから? 彼女がいたほうが世間体がいいから? 
 理由などなかったことに気づいた彼方の頭をよぎったのは、刹那の悲しげな微笑だった。

それは偶然だったのか。
 それとも必然だったのか。
 多分必然だろうな。彼方はそう考えながら、全力で校舎内の階段を駆け上がっていた。
 授業が終わった放課後。まっすぐ一人で帰ろうとする中川と、その少し後ろについていた刹那。さらにその後ろを偶然歩いていた俺。
 五階建ての校舎の中で、一年生のクラスは3階。学年が上がるごとに下の階に下りていく。四階以上は特別教室や、各文化部の部室がある。
 階段を降りようとした中川を突き落とした刹那は、その様子を目撃した彼方と目が合うと、確かに笑ったのだった。薄く。虚ろな目で。
 四階、五階と次々駆け上がる。まだ人気のないエリアに、彼方と、その先を行く刹那の足音だけが響き渡る。
立ち入り禁止と書かれた看板の横をすり抜けて、屋上へ出る階段を上がる頃には。相手の足音はもう止まっていた。
 最後の踊り場で一旦足を止め、その先に顔を向ける。
 重厚な作りの南京錠が取り付けられた扉に背中を預け、刹那は座り込んでいた。
「お前……なぁ」
 乱れた息を整えながら、彼方は一段ずつ階段を上っていく。
「やっぱり足、速いね。昔から知ってたけど」
 抑揚のない刹那の声が反響する。
「結構迷ってたよね。階段から落ちた中川さんを助けようか、それとも私を追いかけようかって。踊り場から、ちらっと見えたよ」
 少女は続ける。
「どうしてこっちに来たの?」
 その問いは、彼方が最もされたくないものだった。足の動きが鈍る。
「片方は怪我人よ。もしかしたら命に関わるかもしれない。少なくとも私は、そうなってもいいって気持ちで突き落した。
なのに彼方は、もう逃げ場もない犯人の前に立っている。――ねぇ、どうして?」
「どうだって、いいだろ」
「よくない。少なくとも女の子にとっては、とても重要よ。それこそ、命に関わるくらい」
 近づいてみて分かったが、胸を大きく上下させている少女の顔は、青白かった。とても全力で階段を駆け上ってきたとは思えない程に。
「あなたが自分を放り出して私を追いかけていた。なんて聞いたら、中川さん、どう思うのかしら」
 階段を上りきる直前で、彼方の足は完全に止まった。努めて冷静な口調で尋ねる。
「他に誰も見ていた奴がいなかったけど、ずっとこういうロケーションを待ってたのか?」
「うん。もう一週間くらいたつかなぁ」
「大した根気だな」
「そうでしょ。もっと褒めてよ」
 にっこりと刹那は笑ったが、彼方は質問を変えた。
「お前は……俺がここに来るって、分かってたのか?」
「私、そんなに自信過剰じゃないよ」
 苦笑しながら刹那は続ける。
「来てくれたらいいな、ってくらい」
「もし来なかったら、どうするつもりだったんだよ」
「その時は、大人しく名乗りを上げて捕まろうかなって思ってた。だって、選んでもらえなかったってことでしょ」
「……何のためにこんなことしたんだよ」
「分かんない」
 子供っぽい口調で刹那は即答して、音もなく立ち上がった。
「後悔してる? 彼方?」
「してるよ。お前がこんなことするのを、俺は止められなかった」
「自分のせいだって、自覚ある?」
「正直、ない。……でも、今からでいいなら、お前の力になって――」
 彼方の声は、突然正面から抱きついてきた、というより体当たりしてきた刹那によって中断させられた。一瞬の浮遊感。
そのすぐあとに落下の感覚と、階段に体を打ち付ける衝撃。
 何度も背中の激痛に声を上げながらも、彼方は腕の中の少女の体だけは離さなかった。自分でもその事実は不思議で、可笑しかった。
 踊り場まで転げ落ちて、動きが止まった。刹那をきつく抱きしめていた腕も放す。
「怪我は?」
 そう聞きながら、彼方は思った。俺は刹那の気に当てられて、本当におかしくなりかけているのかもしれない。
「平気。彼方が守ってくれた」
 体を持ち上げて、刹那は馬乗りの態勢になった。踊り場の採光窓から差し込んだ夕日が、彼女の顔をべったりとしたオレンジ色に染め上げる。
「彼方がずっと私に優しかったみたいに、私も彼方のことがずっと好きだったんだよ。
持久走大会の時に靴紐結んでくれたり、宿題忘れた時にこっそりノート貸してくれたり。クラスの皆と打ち解けられない時も、いつも気にしてくれたよね。
男の子の頃はそれだけでよかった。でも今は、彼方が他の人と一緒にいることが、辛い。私は一番でなくてもいいの。でも、他の誰のものにもならないで」
 まるで呪文みたいだ。抗う意思を根こそぎ奪い取られながら、彼方は頭に直接染み込んでくる刹那の言葉に、そんな感想を持った。


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最終更新:2008年10月24日 22:00
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