「ドクターペッパーは嫌いよ、薬品のような匂いがして昔を思い出すから」
顔に皺が目立ち始めた彼女は言った。
彼女の事情を知っていたからこそ、何も言えなくなったが、何か言わずにはいられなかったのでとりあえず謝っておいた。
「すみません」
「あら、いいのよ。おばさんのちょっとした感傷なんだから」
彼女は本当に何でもないように笑って答えた。
「医学の進歩には、こういうことって付きものでしょう?」
「ですが……!」
「はい! この話はこれでお終い!」
有無を言わせない口調だった。
不満を顔に出してしまっていたのだろう、彼女はふふと笑うとフェンスに体を預けた。
「見て、青い空」
「………?」
何を言い出したのか理解できなかった。
「この空の下では、私みたいな子が何人も出てきているわ。それは不幸なことだとは、私は決して思わないけれど、感じ方は人それぞれだもの。重荷に感じている子はきっといるわ」
「………はい」
「だから、そんな子のために私は協力したの。ま、結局成果らしい成果は出せなかったみたいだけどね」
彼女は意地悪そうにこちらを見てきた。身がすくむばかりである。
―――被検体第一号。
それが、彼女が数年前まで呼ばれていた名だ。海外では何件か事例が挙がっていたが、国内では初めて公的に発見されたいわゆる「女体化」した元男性だ。
僕が彼女を施設から救い出す(傲慢な言い方だろうか?)までは、彼女は人として扱われていなかった。
数々の薬物投与と非人道的な実験のせいで、彼女の体はもうボロボロなはずなのに、それでも笑っている。
何もかもを受け入れて、それでも笑っている。
なぜなのだろう。僕には分からない。それこそ、「女にしか分からない」とでも云うのだろうか。
それでも僕は、自分の行いを間違っていたなどと微塵も思っていない。とりあえずは………、
「あなたが笑っている。それで、いいじゃないですか」
「あら、口説いてるの、こんなおばちゃんを?」
「い、いや、そういう訳では決して………!」
「あはは! あんたってからかうとすぅぐ本気にするのねえ」
彼女は微塵の邪気も含ませずに笑った。
釣られて、僕も笑った。
最終更新:2008年10月24日 22:36