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安価『おつ!』

「お先失礼しまーす」「お疲れース」「お疲れ様ー」「おつ!明日もまた宜しくねー」


アルバイトを始めてみてわかったのだが、どうやら私は他者の行為に素直になれない節があるようだ。

まあ、それは私の元よりのパーソナリティだけが問題ではあるまい。

『15、16歳までに女性経験の無かった男は女体化する』

ややこしい話ではあるのだが、兎にも角にも世間にはそういった病気が蔓延している。

かくいう私も、ご多分に漏れず女体化の憂き目を見たクチだ。


私が『男』を失った日の朝のことは、今なお鮮明に覚えている。

『―――な、何じゃこりゃああああああ』
朝一番。太陽、ではなく鏡に吠える私の姿がそこにはあった。

白磁に見劣りしない白さを讃えた肌。ほんのり朱に染まった頬が、ことさらにそれを引き立てる。
髪は背中にかかるほど伸び、唇は申し訳程度にうっすらとした桜色に染まっていて。
くりりと整った睫毛の印象的な目元は、これ以上ないほどに理想的なバランスで見開かれ。


―――何の気なしに目をやった姿見に照らされていたのは、何処からどう見ても『美少女』であった。

女体化者は概ね美少女になるとはかねがね聞いていたが、まさか自分がそうなるとは。

反射した自分の姿に、思わず卒倒したのが記憶に新しい。


―――てな出来事があって以来、私は女性として第二の人生を歩むことを余儀なくされた訳だ。


おかげで、といっては語弊があるやも知れないが。
それ以来というもの、私は苦難に晒され続けてきた。

見知らぬ男には安い言葉で口説かれ、クラスでは何処か腫れ物めいた扱いを受け。

男ではない、かといって女にもなりきれない私は、見事に周囲から敬遠の態度を被った。

こういうの、何て言うんだっけ。マージナルマン?境界人?

…どっちでもいいか、どっちも同じだし。

まあ、暴行を受けただとか、肉体的な被害が無かっただけまだマシなのかね。


かくて、学校という一つのコミュニティーからあぶれた私は、別天地に安らぎを求めざるを得なくなった。

……私とて人間である。
拠り所も無しに窮屈な孤独を謳歌できるほど、バイタリティも強くない。

いわば、ガス抜きの場が必要であった。

ちょうど、私の勤めているバイト先がそれにあたる。

それにしても、バイトに限らず仕事というのはこなしていて心地が良い。

少なくとも、没頭している間は、ネガティブな方向へ思考のベクトルを向けずにいられる。

それに、手頃な時間潰しにもなる。
おまけに労働の対価まで戴けるのだから驚きだ。


「・・・あれ、お前も今上がったとこ?なら一緒に帰ろうぜ」

……ああ、もう1つ。
バイト先の人たちは、少なくとも私に隔たり無く接してくれる。

気が付けば私に歩調を合わせ、傍らを歩いていたこの優男、もとい羽賀も然り。
他のバイト仲間も然り。

私が所謂女体化者であると知っても、変わらぬ態度で私に接してくれる。

人付き合いを不得手とする私にとって、これほど有り難いことはないと言っていい。


「好きにすれば良かろう。私は一向に構わん」
「はいはい~、っと。あれ、お前なんか顔赤いぞ?」
「―――っ、何でもない」
「・・・ふぅ、ん」

……尤も私は彼らの優しさに報いられるだけの要素を持っていない。

それがどうにも申し訳なく感じられるのだが、如何せん『素直になれない』私のことだ。

出来ることと言えば、何故か感謝とはおよそ対極にある言葉を並びたてること、くらいなものである。
難儀な話である。

「……お前は、さ」
「ん?何かね」

自分の不甲斐なさに諦観の色を浮かべていると、隣を歩いていた羽賀の声がやや鋭くなっていたことに気付く。
インセクターじゃないぞ。


「何でそうも素直じゃないんだ?煮え切らない態度は、見てて気持ちの良いもんじゃないぞ」
「・・・」

何ていうか、痛いとこ突いてくるねチミは。

私に言わせて貰えば、何故そうも実直に人の心をざっくり抉れるのか解らないね。

という言葉を全てまるっとどっこい飲み込んで。
なるだけ感情を気取られぬよう、答えた。答えようとした。
つもりだったのに。

「……私は、」

「…学校には、こうやって気さくに話せる知り合いがいない。
 だから、こうして話し相手がいるだけで充分嬉しいんだ」

―――あれ、何故だろう。
言うつもりの無かった思いの丈が、留まるところを知らず喉をついて沸き続ける。

私にしては珍しく感情のこもったそれは、くすぶっていた思いを吐き出すように。

「それって………」
「わかるだろう?私のような存在が、如何に扱いの面倒な人間か……」

流れ続ける。

「ふふ……物笑いの種だろう?沈着冷静を究めた私の正体が、そんなものだと知れたら」

せき止めるダムは、存在しない。とうに決壊してしまった。

勢い付いた水流は、まるで言うつもりの無かった言葉をも、息継ぎの間も無く紡がせる。

「…バイトを始めたのだって、元はと言えば陰鬱な生活に辟易したからだしな。
 はは、笑うしかないだろう?逃げの一手に選んだ道が、私の唯一の拠り所になっているなんて。

 かくも不格好な人間なのさ、私は―――」
「・・・」

そこまで捲し立てたところで、自分が何を言っていたのかはたと気付く。

私は今………羽賀に何を言っていた?

血の気が引くのを感じた。

あれほど守ろうとしてきた唯一の安息の地を、私はたった今無碍に破壊してしまった。

洗いざらい、ぶちまけてしまった。
何故彼にはすんなりと言えてしまったのか、私には皆目見当もつかない。

が、自分の手で守るべき世界を陵辱してしまったのは、確かだ。

「……はは、お喋りが過ぎた、かな」
乾いた歪な笑みを張り付かせてみるが、もう遅い。

彼は、『知って』しまったのだ。

私の、最も醜い心中を。

「……じ、じゃあ私は、これで。お先に失礼する………よっ?」

いたたまれなくなって、踵を返そうとした。
これ以上羽賀の隣にいると、益々自分が醜悪な存在になってしまいそうだったから。

だから、せめて振り向かずに、走り去ろうとした。

でも、それを拒むかのように羽賀は私の腕を掴み、離そうとしなかった。

「は……が…?何、を…」
「………今の話、さ」

怯えすら見え隠れする声色で、おずおずと羽賀の顔を見上げる。

いつもと代わり映えしない―――それでいてどことなく思い詰めた表情を、羽賀は浮かべていた。


「本当、なのか?」

その問い掛けに、心をカッターで刻まれる心地がした。
肯定すれば、恐らく私は心の支えを失う。

かといって、今更否定の言葉を並べたところで何の意味を為そうものか。


「………」
「…返事無し、つまり事実ってことかい」
「…っ………」

やや苦々しげに、まるで吐き捨てるかのように、羽賀は呟く。

―――私のとった選択は、『沈黙』。
羽賀が苛つくのも道理だ。

いつの間にか私の正面に回り込んでいた羽賀は続ける。

「俺はさぁ……神谷」

神谷、とは私の名だ。
羽賀の口から神谷、の2文字を聞いたとき、何故だか今日初めて『名前』を呼ばれた気がした。


「俺は、お前が学校とかで色々悩んでたなんて、露ほども知らなかった。
 いや、そもそもお前のことをよく知らなかった。
 だから、さっき俺に悩みを打ち明けてくれたとき、不謹慎だけど……嬉しくすら感じた。
 神谷がまるで俺のことを頼ってくれてるような気がして」

何故だか脳の裏側が焼け付くような感じがする。

「でもさ……もっと早く、言ってくれても良かったんじゃないか?
 少なくとも俺は、いつだってお前の相談に―――」
「嘘だ。そんなの」

言葉を遮り、否定する。
その先の言葉は、聞きたくなかった。あまりにも陳腐で。

その言葉に何度となく欺かれてきたから。

「っ…嘘じゃねぇよ。神谷がそこまで思い悩んでるって知ってたら、もっと早く―――」
「もっと早く、何をしてくれたの?話を聞いて?それだけでしょう?」
「なっ……違う、俺はっ!」

「俺はさぁ……神谷」

神谷、とは私の名だ。
羽賀の口から神谷、の2文字を聞いたとき、何故だか今日初めて『名前』を呼ばれた気がした。


「俺は、お前が学校とかで色々悩んでたなんて、露ほども知らなかった。
 いや、そもそもお前のことをよく知らなかった。
 だから、さっき俺に悩みを打ち明けてくれたとき、不謹慎だけど……嬉しくすら感じた。
 神谷がまるで俺のことを頼ってくれてるような気がして」

何故だか脳の裏側が焼け付くような感じがする。

「でもさ……もっと早く、言ってくれても良かったんじゃないか?
 少なくとも俺は、いつだってお前の相談に―――」
「嘘だ。そんなの」

言葉を遮り、否定する。
その先の言葉は、聞きたくなかった。あまりにも陳腐で。

その言葉に何度となく欺かれてきたから。

「っ…嘘じゃねぇよ。神谷がそこまで思い悩んでるって知ってたら、もっと早く―――」
「もっと早く、何をしてくれたの?話を聞いて?それだけでしょう?」
「なっ……違う、俺はっ!」

「ずっと言うの躊躇ってたけど……神谷、好きだ」
「―――へ?」

時間が止まった、気がした。幽波紋の仕業ではない。

「……告白?」
「まあ、な」
「な、何で今このタイミングで…」
「今しか言う機会ないと思ったから。
 神谷の弱気なところも垣間見れた、今じゃないとお前を受け止めてやれない気がしたから」
「なっ…何で、私なんか………っ」
「誰かを好きになることに、理由が必要か?」
「で、でもっ……私はっ…」
「わかってる。お前が女体化者だってことも。そういったこともひっくるめて、お前が好きなんだ」
「―――!!!」

……もう1つ前言撤回。
私より、よっぽど羽賀のほうが大人気ない。そう思う。


「ん………わかった。私も、羽賀のことが好きだよ」
「ふふ…俺もだ」


―――もう一度、唇が触れあった。
今度は、深くとろけるようなキスだった。

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最終更新:2008年10月25日 13:10
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