『親愛の情』

119 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/19(日) 23:49:25.46 ID:Vav2XUb40

時代の流れと言う物はゆるやかなものでだんだんと老いを感じてしまう、若い頃には出来て当たり前の事が
今ではするだけで体が疲労する。教師を辞して同じく病院の院長を辞した旦那と一緒に小さな診療所を経営して
いるが殆ど年寄りの娯楽みたいなものなのでのんびりとしている。
しかしながら歳を取って長生きしてしまうと人の死と言うものは避けては通れぬものだ、今までにも親しい人物との
死に直面して来たがそれも抗えぬものだと思い坦々と見守ってきた。余計な事を考えていたら気が滅入りそう
だったのもあるけども・・そして今日も葬式の知らせが届いた、またかとおもいながらも親しい人物ではない事を
祈りながら中身を見ていたのだが・・死んだのは私がもっとも関わってきた人物だった。

「嘘・・だろ」

女体化してそれから幾つもの波乱を経て大学を卒業して教員免許を受け取りそこから学校を渡り歩きながら
保健室の先生として勤め上げたのだが・・今回、亡くなった人物は中野 翔、今までいろんな子供を見ていた
私であったがその中ではかなり深いところまで関わってきた人物だった。


昔と比べて大分老けた旦那にこの事実を伝えると私同様にげんなりとしていたがそう酷くは取り乱すことはなかった。


120 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/19(日) 23:50:19.23 ID:Vav2XUb40

「そっか・・亡くなっちゃったんだね」

「俺よりも長生きすると思ってたんだがな・・まだ若いのに死にやがって」

「通夜は今夜だけど・・どうする?」

「いや、行かねぇよ。明日の葬式のために喪服を取りに行くさ」

冠婚葬祭というものは歴史が古い、それに合わせる服というのは結構デリケートで細かいところは定期的に
チェックしなければいけないので少し頭が痛い。それにしても・・まさか中野が50代で死んでしまうとは何とも
複雑でどこか口惜しい気持ちだ、ある程度の成長を見届けた私としてはどこか無念さが広がる。

「こればっかりは仕方ないよ。人の死というものは避けられないし、いずれは合うものだよ」

「・・ああ」

やっぱり医業に携わってるだけあって旦那はかなり冷静だ、人の死というものにそれ相応の覚悟があるのだろう。
少しばかりの痛みを何とか抑えながら私は準備を進めるのであった・・

121 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/19(日) 23:53:09.95 ID:Vav2XUb40

葬式の日、私は旦那と共に中野邸へと足を進める。やっぱり葬式と言うだけあって悲観差が滲み出ている
もので私も自然と足が重く感じる、旦那と入れ替わりでお焼香を済ませると正座をしながら黙って事の
成り行きをじっと見守る。
暫くして出棺の時刻となると中野の遺体が眠っている棺を数人が運んで霊柩車の中へと入れると喪主である
聖が淡々とした口調で最後の挨拶を始めた。それに周りをよく見ると人がかなり多く、中野が生前にはかなり
慕われていたのだということが容易に解るもので余計に哀しさが広がってしまう。

「本日は大変お日柄もよく、皆様大変お忙しい中で亭主の葬儀に参列していただき有難うございます」

「相良・・」

「礼子さん・・」

日頃の聖とは真逆の口調が参列者全員の涙を誘い、私も抑えきれずに自然と溢れ出した涙をハンカチで
そっと拭う。旦那もそんな私に付き添ってくれながら悲観の気持ちとなり、事は進んでついに霊柩車が
クラクションを鳴らして中野邸を走り出す。

中野もこの世との別れを次げて黄泉の旅をするのだろう・・中野の遺影を抱きしめる聖を見るとやりきれない気持ちだ。


122 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/19(日) 23:53:27.03 ID:Vav2XUb40

「礼子さん。霊柩車が行っちゃうね」

「ああ」

「追わないの?」

「・・俺が死んだら愚痴でも聞いてやるさ。昔の好だ」

聖と同様に私も中野の死を認めていないのかもしれない、だからこうして変な意地を張ってしまうのだろう。
それに今の私は中野が眠っている霊柩車を黙って見守る事しか出来ない、追っかけるのは私ではなく聖の役目だ。
私は昔みたいにあの2人を見守る方が性に合っているだろうしあの2人だってきっとそれを望んでいるに違いない。

「終わったね」

「ああ・・」


こうして葬儀は悲哀のまま始まって・・悲哀のまま終わった。


123 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/19(日) 23:55:05.18 ID:Vav2XUb40

葬儀が終わった後、私は旦那と一緒に帰らずただその場に佇んでいた。旦那もそんな私を察してか何も言わずに
そのまま自宅へと帰って猫をあやしてるのだろう、じっと中野邸に立っている私の前に1人の人物が現れる。

「あの・・何か御用ですか?」

「さ、相良か――ッ!」

「・・その娘です」

若かりし頃の聖の写し身とも言える女性は私にぺこりと礼をしてくれる、そういえばあの2人には希と言う娘が
いて私もまだ彼女が幼い頃に一度だけ目にした事がある。あの頃からあの美しい聖の容姿を受け継ぎ中野の
遺伝子は形無しかと思っていたが性格の方はちゃんと出来ているようだ。

「そう・・ごめんなさい。あまりにもお母さんの若い頃と似てたものだから」

「よく周りから言われます、それに自分でもママ達の昔の写真を見ていると驚きます。あの・・上がりますか?」

「じゃあ、そうさせて貰おうかしら」

希に促されながら中野邸の中へと歩みを進める、それにしても希を見ていると本当に若い頃の聖を思い出して
しまう。あの頃の2人は本当に個性的で先を思いやられていたのだが何とかやっていけているようだ、それに
若い頃の聖を思い出すと自然と中野も思い出してしまう。あの2人の度重なる相談に少しばかり頭が痛かった
けどもなんだかんだ言いながら私も楽しんでいたのかもしれない・・気持ちが更に哀愁が広がる中で
希の案内に促されながら家へと入ると・・全てに悲観したような顔つきをした聖が喪服姿のまま静かに
庭の片隅で座っていた。今までにも他人に弱音を見せず、常に強気でバリバリと前につき進んでいた聖が
こんならしからぬ姿をしているのが非常に痛ましく悲しかった。

124 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/19(日) 23:56:03.43 ID:Vav2XUb40

「ママ・・葬儀が終わった時からずっとこんな感じなんです」

「そうか・・」

「じゃあ、私は後の整理があるので」

「ああ、ありがとう」

全てを察した希はすぐにこの場から立ち去る、本当にあの2人から産まれたとは思えないほどぐらい性格が
非常に出来ている。私は少しばかり空を見上げて一息つくとそのまま静かに聖の隣へと座る・・

「久しぶりね・・前はスーパーで買い物してるときに会ったわね」

「・・・」

「そう」

聖は黙ったまま口も開こうとはしないが私の言葉には耳を傾けているようでだんまりと話を聞いている、中野が
死んでしまったと言う事実は聖にとって自らが死んでしまうのも一緒なのだろう。だけども私はそのまま会話を
続ける、今の私が出来る事は余りないのかもしれないが昔みたいにこうして話しかけることは出来るはずだ。


125 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:02:25.00 ID:o00Ce58K0

「こうして2人で会うのは何年振りかしら? 昔が懐かしいわ」

「・・」

「肉親の死は辛いわ。私もあの頃を思い出す・・」

「・・」

若い頃に伊吹を妊娠した時、泣く泣く中絶をした時はとてつもない悲しみと罪の意識が私を襲った。
更には中絶の影響で子供が産めない体となった私は“逃げの贖罪”が出来ない・・未だに贖罪の手段が
解らぬまま生き続けている。生き続けて人の死を見続けされる事はかなり辛く精神的にもかなり堪える・・

もしかしたらこれが私に与えられた罪を自覚するための神の手段なのかも知れないが、真意などは
わからない。今の聖の心境はあの頃の私の心境とは少し違っているのかもしれないが共感している
部分は一緒だと思う・・だけどもエゴな考えしか出来ない自分が口惜しい。

「こればかりは時間に任せるしかないわ。でも泣きたかったら思いっきり泣きなさい・・
感情に身を任せるのは悪い事じゃないわ」

「・・でだよ・・・」

「?」

「何で・・なんで俺じゃなくあいつが先に死んじまうんだよ!!!!!!!!!」

今までだんまりしてた聖が始めて私に今の心情を感情を通して反吐してくれた、ぷつりと糸が切れた
ように私の前で泣き続ける聖を私はただ黙って抱き締める。聖は私の胸でただただ泣き続けてそれをただじっと見守る。

126 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:03:03.55 ID:o00Ce58K0

「なぁ、礼子先生!! 昔みたいに教えてくれよ・・なんであいつは俺の前で死んでしまったんだよ!!!」

「そう、彼の最期を見たのね・・」

「うっ・・うわあああああああああああ!!!!!!!!」

「そうよ、今はただ感情に任せて泣きなさい。代わりにはならないけど私が受け止めてあげるわ」

それからただずっと・・聖は声を上げながら泣き続けて私も聖を抱き締めながらも自然と涙が沢山溢れてくる。
今はただ感情のままに身を任せて悲しみに嘆くしかない、誰だって死んでしまったら生き返らないし誰かが
付いてあげなければ自分のふがいなさを徹底的に責めて自然と追い込む・・昔と変わらぬ聖と自分を空は
ただ何も言わずに見守ってくれた。


127 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:04:21.06 ID:o00Ce58K0

私と聖が泣き続けてどれぐらい時間が経っただろうか・・お互いに落ち着いた後、聖はゆっくりと私に中野の
最期を語りかけてくれた。

「あいつな・・癌が発見された時に延命治療しなかったんだよ。あいつらしいものだがな」

「・・そうなの、でも受け入れて上げたんでしょ」

「俺は正直、哀しさ半分で憤り半分だったんだよ。だってそうだろ? 誰かを遺して勝手に死ぬなんて
俺にしては身勝手極まりねぇよ・・だけど俺はそれを受け入れた。いや、受け止めざる得なかった・・」

中野が若くして癌で亡くなった経緯を聞いた時、私は自分の無力さを痛感してしまう。何とか中野と会って
引き止められれる事だって出来たはずだ、だけども私は行動せずただ成り行きを見守っていた・・

「だけどな、俺はくたばりつつあいつと一緒に過ごして時間が経つと心の奥底では自然とそれで良いと
思ってたんだよ。何でかわからねぇけどな・・もしかしたらあいつは俺のそんな気持ちを解ってたのかも知れねぇな」

「相変わらず昔のまま仲が良いわね。羨ましいわ・・」

「礼子先生だって旦那さんと仲良いだろ。似たようなもんじゃねぇか」

「・・それもそうね」

少し笑いながら私はゆっくりと聖を離す、改めて聖の姿をよく見てみると私と違って本当に若々しく30代しか
見えないその容姿は時の流れを感じさせないもので、とても子供を産んだ女性とは思えないほどの美しさだ。

128 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:05:10.24 ID:o00Ce58K0

「全く、また礼子先生の世話になっちまったな」

「その言葉も久々ね。それにしても娘の方はあなたに驚くぐらい似てたわ」

「そうか? まぁ、希に関しては女体化がなくなった時はどうしようかと思ってたけど無事に受け入れてくれたしな。
俺達と同じように出来ちゃった結婚した時は驚いたが今じゃ世間でも有名な小説家だよ」

「そ、そうなの・・」

あんな真面目で性格が出来た娘が聖達と同じ出来ちゃった結婚していたとは驚きだ。ということは聖は
おばあちゃんと言う事となる、こんな個性的でしまも若々しいお婆ちゃんを持つ孫は果たしてどんな心境なのだろうか?

「世間を騒がしてる小説家って・・もしかして昔の女体化を題材に書いているあの?」

「ああ、そうだよ。希はあいつの血も受け継いでいるから頭はすこぶる良いんだよ・・
中学の時は大学進学の話が出てきたぐらいだしな」

血は偉大だとつくづく思う、そういえばワイドショーとかなんかで私達が若い頃に女体化があった時の話を
書き続けてヒットしている小説家が特集されていたことがある。まさかそれが希だとは・・でもあの2人の
子供だからそう不思議には感じない。

129 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:06:54.35 ID:o00Ce58K0

「それに俺もこの歳でババァになるとは思ってなかったし・・人生っていろんな事があるんだな」

「そんなものよ。未来なんて解るはずなんてないんだから・・」

「ま、俺らしくのんびりやってくさ。死んだらあいつを真っ先にブッ飛ばす!!」

聖からはだんだんといつもの活力を取り戻して、ようやくいつもの相良 聖に戻ってくれたようで
こっちとしても安心できる。こっちも不思議と肩の荷が降りてしまうものだ・・

「考えて見れば希は礼子先生からみれば孫に当たるな。てことは・・曾婆ちゃんだ!!」

「そこまで歳は食ってないわよ。それにあなたの娘でしょ、孫だなんてご大層じゃ・・」

「俺達にとって礼子先生は単なる先生じゃねぇよ、むしろ母親みたいなもんだ。
だから俺達の娘である希は礼子先生から見れば孫同然だぜ!!!」

意外だった、確かに私はあの2人を自分達に照らし合わせて色々やってきたつもりだが、まさか母親みたい
だと思われてたのは変な感じだが悪くはない。全く手間の掛かる子供だ・・


130 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:07:29.49 ID:o00Ce58K0

「ま、それもいいかもね」

「だろ? あいつだってそう思っているはずだ」

相変わらずケラケラと笑う聖に少し吐息が出つつも相変わらずの存在感を放ってくれて嬉しい限りだ、それを
確認して私は帰宅のためにスッと立ち上がると最後に聖は名残惜しそうにしながらこんな言葉を吐く。

「なぁ、礼子先生・・礼子先生は俺達より先に死んじゃったりしないよな?」

「無理言わないでちょうだい。私ももう最近は歳を自覚するわ・・それにあなたはまだ若いんだからちゃんと前を向きなさい」

「そうだな・・」

やっぱり、そう簡単には悲しみを乗り越えられない・・そう思わせる言葉だった。


131 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:14:15.93 ID:o00Ce58K0

そのまま帰宅する時、私は希に引き止められた。その表情はどこかやりきれないものだったが私はあえて
視線を逸らすと黙って立ち止まる。

「・・どうしたの?」

「少し、話をさせてください」

「わかったわ・・」

希に促されながら私は彼女に導かれながら、別室へと案内される。改めて別室で彼女と相対するのだが
その姿は本当に若い頃の聖を髣髴とさせるものだ、少しだけ懐かしんだ自分を嗤りつつも改めて彼女の話を
伺うが希が私に聞きたい事といえばは当にわかっている。

「お母さんの事?」

「何とか出来ませんか・・あなたのお話は昔から親父やママに聞いています」

「そう・・」

あんなに小さかった娘が今や私にこんなことを言ってくるとは時代の流れを感じてしまう。

132 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:17:12.22 ID:o00Ce58K0

「ママは親父が死んでからいつもの活力を無くしています。何とかいつもみたいに・・」

「私じゃ無理ね」

「何でですか!! あなたは親父やママの先生なんでしょ――ッ!!!」

高ぶる表情で希は私に詰め寄ってくる、やっぱりあの2人の娘である彼女もこうした荒々しさを持っているのだろう。
本当にあの子供達は立派な孫を残したものだ・・常に感傷に浸っている自分は歳を取った証拠だ。

「ママは女体化をしてようが私の大切な人には違いない・・親父もそんなママや私を愛してくれた。
ママは親父がいないと死んだも同然です・・何とか立ち直らせることは出来ませんか」

「あなたのお母さんはそんな弱い人じゃないわ。でも人の死というのはそんな簡単なものじゃない、それを
自分で受け入れるのはそれ相応の時間が必要よ」

「それはわかってます!! ・・でも、私はあんなママを見て辛いわよ」

彼女もまた先ほどの聖と同様に感情を抑えきれずに涙を流してしまう、やっぱりこういったところは母親である
聖と本当にそっくりだ。それに現状を分かっているのだけども感情がそれを理解しようとしない不器用さと
若さが成せるその凛々しさはかつての自分達を思い浮かべてしまう。

133 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:24:51.85 ID:o00Ce58K0

「私は・・もうやるべき事はやったわよ」

「嘘よ――ッ!! 精神的には少し安定したとはいっても後の事は解らない。
全てを解ってて具体的な事を何もしない、自分の無力さから逃げているあなたは卑怯よ!!!!!!!」

「卑怯・・か。そうね否定はしない」

「じゃあ、なんで何もしないのよ。あなたは!!!!!」

「・・・」

確かに傍から・・いや、身内である希からすれば私の行動は卑怯なのだろう。それは否定もしないし自分でも
そう思っている、だけどもう私では自分の分身とも言えるべき存在を失った聖を完全に立ち直らせる術はもうない。
だけども私が出来ないのならば誰かに託すことはできる、人はそんな単純に出来ていないことはあの2人を
見れば明らかだ・・いろんな事を思い出しながら私に何かを乞う希を見ていると両親であるあの2人をダブらせる。
私は少しばかり呼吸を整えるとおそらく生涯最後になるであろう教えを希に返す、本当に死んでからも私に
世話を焼かせるのはあいつらの性分なのかもしれない。

「何か・・言ったらどうなの?」

「・・」

希を見ていると本当にあの2人を思い浮かべてしまう、荒々しくも繊細な若さが成すその性格は嫌でも
昔の保健室での光景を思い出す。だけども時代が経ってあの2人は無事に大人となり私が口を挟まなくても
いいような道を歩んでくれた、だけどもいくら成長しようが人の本質は変わらない、ああ見えてかなり繊細な
性格の聖は多分中野の死に一人で恐怖し、もがき苦しんでいるだろう。だけども今の聖を立ち直らすのは
もう私の役目ではない、あの2人が自分で自立したことによって私の役目はもう終わっているのだ、これから
両親を支えていくのはその愛の象徴たるべき存在である子供の存在・・娘である希の役目だ。

今私が出来る事と言えば希にそれを解らせることだろう・・


134 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 00:26:05.93 ID:o00Ce58K0

「あなたはこんな子供にここまで・・ここまで言われてあなたは悔しくないの――ッ!!!」

「悔しいに決まってるだろ!!!! 俺の身が引き裂かれるぐらいにな!!!!!!!」 

「――ッ!!!」

突然の私の怒声に希はきょとんとしながら驚きの表情のまま私を見つめる、しかし私は構わず自分の
思いのままを希に全てをぶちまける。

「だけどな、あいつらが2人で必死で考えて厳しい世の中を乗り越えて行けれる時点で俺の役目は当に
終わったんだ!!!!!

それにまだ相良にはお前がいる!!! 確かに今の相良は昔みたく行動する事は出来ないし歳を取って
しまった俺ではもう昔のように立ち直らせるのは到底無理だろう。だけどな、お前はあの2人・・いや、俺の
子供の正真正銘の娘だ!!!!

子供だったら・・家族だったら今自分が相良のために何をしたら良いのか自ずとわかるものだろ!!!! 
それにお前はその手段を既に持っている!!!」

「嘘よ―――ッ!!! そんなの気休めに過ぎない・・私は何にも出来ないわ」

「じゃあ、お前の中で生き続けてるそれは何だ?」

「そ、それは・・」

私はスッと指でうっすらと大きくなっている希のお腹を指す、多分結婚した時に授かったものだろう・・相良を
完全に立ち直らせて中野の死を受け入れるのは老いてしまった私ではなく、希とその子の他にない。

136 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 01:00:42.73 ID:o00Ce58K0

「中野が死んでしまって相良がそれを受け入れるのは並大抵の事じゃねぇ。
だけどな、人間ってのは必ず誰かの死を想いに変えて行き続けなきゃならない。

そのきっかけを作るのは俺じゃなく・・お前とその子供だ!!!!」

「私とこの子が・・でも私にはそれが出来ない!! ママには親父がいないと――」

「甘ったれるな!!! お前はあの2人の娘だろ――ッ!!!! 
多分この場で中野がいたらこう言う・・“あいつを支えるのは俺だけじゃねぇ!!!”ってな、昔は一人で
孤独だった相良には友人・・そして家族であるお前がいる。

お前はあの2人の娘だ、出来ないことなどない」

ここまで久々に人に言うのはもう何年振りになるのだろう? 昔、保健室で聖を諭し中野を怒鳴りつけて
以来なのかもしれない。そんな血を受け継ぐ希にもこんな風に言えれるのは血の成せる業か・・全く私は
とんだ孫を持ってしまったようだ。


137 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 01:01:13.07 ID:o00Ce58K0

「いい? お母さんはまだ心のどこかではお父さんの死を受け入れていない。
でもそれは人である以上、誰もが通る道・・決して悪い事でもないし恥ずかしいことじゃないわ、人は誰かに
助けられながら生きていくものよ。もう私は昔みたいにお母さんを支えて導く役目は当に終わったの。
後は娘であるあなたがそれをするの」

「でも・・私わからない!! ママは親父と一緒にいて始めて成り立つのよ。親父が死んで・・生きる活力を
失ったママにどんな風に言葉を掛けたり、行動したら良いのかわからないわよ……

私は・・・私は――ッ」

「結果なんてすぐに出るものじゃないわ。だけどね、お父さんは決してあなた達に悲しんで欲しくて逝って
しまったんじゃないの・・あなた達に“想い”を受け継いで欲しくて安らかに眠ったのと思うわ」

「・・“想い”?」

「そうよ、焦らず時間を掛けていけば自ずと理解できると思うわ。今の私に出来る事はそれだけ・・」

いろんな気持ちが入り混じる中で私はいろんな感情が錯綜するが後悔はしていない、今の私が最大限に
出来る事と言えばこれぐらいしかない。もう私は昔みたいな役目は教師を辞した時に終わっている、それに
まだ若い希に対して何かしらの重みを伝えたかったのかもしれない・・今度は反対に希が沈黙したままだ。
やっぱり希はまだまだ若い、これからじっくりと考えてゆっくりと答えを導き出すのは悪くはないことだ。


138 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 01:11:27.82 ID:o00Ce58K0


「・・一つだけ聞かせて、親父とママは幸せだったの?」

「私は卒業してからあの2人がどんな生活を送ってきたのかは解らないけど・・幸せだったと思うわ。
あなたのその象徴たる存在よ」

「そうですか。・・引き止めてすみませんでした」

そう言って希は複雑な表情をしながら私を見送ってくれた、これからはあの2人次第で大きく変わってくるものだ。
あの家族に私が出来る事と言えばただ何も変わらず見守ってやる事しか出来ない、いろんな気持ちが入り混じり
ながら中野邸を後にした。


139 名前: ◆Zsc8I5zA3U 投稿日: 2008/10/20(月) 01:14:55.49 ID:o00Ce58K0


少しやりきれない気持ちのまま中野邸を後にして自宅に向けて歩く、やっぱり聖を完全に立ち直らせるのは
私だけじゃ役不足だ。何かしらのきっかけがあればいいのだが・・どうやらこれが限界みたいだ。

「ま、これからはあいつの問題だ。人の死を受け入れるのは並大抵の事じゃないからな・・」

まだあの2人が高校生だった時、よく保健室で話を聞いていた日々が今になって懐かしくも儚い思い出となる。
どうやら中野の死は年老いた私にもかなりの影響を及ぼしているようだが、もし自分が死んでしまった時の
知り合いの1人となる。旦那の師匠であるジジィも結婚してちょっと経ってから亡くなったし、野田さんも
10年ぐらい前に・・そして私にとって尤も衝撃が大きかったのは多田さんだ。
あの人は野田さんが亡くなって2年後にアルツハイマーになってしまう、常に私の心を先読みしているあの人には
縁のない病気かと思っていたので知らせを聞いた時はかなりの驚きだった。そして多田さんは・・自分を保つ
ために安楽死を選んだ、その決断に旦那は気落ちこそしていたが承諾してその最期を見取った。多田さんの
死は私達夫婦に大きな影響を残し、今もなお思い出してしまう。

だけども死後の世界など死んだ人間にしか知るはずがない、もし私があの世に行っても知り合いがいる。
その時は彼らに世話になろう・・

「・・俺は未練なんざ残したくねぇな」

ポツリと出た独り言が周りに虚しくが少し目を閉じてそれを掻き消すと再び前に進むために歩く、どれだけ
歳を取ろうとも時間が流れようとも・・私は生きている、前に進む足がそれらを証明してくれるのだから。





―fin―

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最終更新:2008年11月10日 20:22
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