『約束ひとつ』(2) 川嶋編1

~~川嶋編1~~
 俺には最高の記憶がある。
 中学二年のときの剣道の団体戦。市内の学校全てでのトーナメントの決勝戦。県内でも強いと言われていた私立校との対戦だった。
 副将戦が終わった時点で、勝数は一勝二敗一分。本数は三対四。
 大将が引き分けでも本数差で負け。一本勝ちでも、代表者戦という圧倒的に不利な状況。
 引き分けだった副将の奴が戻ってきて、大将――唯一の三年生だった西森先輩がそいつの肩を軽く叩く。
 明らかに楽勝ムードを漂わせている向こうの大将を、憤りやその他の負の感情をいっさい持たずに見据え、先輩は試合会場に足を踏み出した。


 試合時間は、ものの十秒もなかった。


 たったの三太刀。
 気合いの入った面が一閃してまずは一本。それで動揺したのか、相手の大将は二本目に入った瞬間に先輩が放った小手に大げさに反応して、続いて放たれた面をまともに食らった。
 審判全員の旗が瞬時に上げられ、その大会の俺たちの優勝が決定した。



『なんで、あんなに動揺しないでいられたんですか?』
 大会の帰り道。俺は先輩にそう尋ねていた。
『最後の試合の時のことか?』
『はい』
 頷くと、西森先輩は一瞬宙を見て、すぐに視線を戻して答えてくれる。
『なんか、負ける気がしなかったんだよな』
 よくわからない説明に思わず眉が寄ってしまう。そんな俺の表情を勘違いしたのか先輩は慌てた感じで付け加えた。
『あっちの大将、気ぃ抜いてただろ? 絶対に勝てるって勝手に確信して。……結局、剣道って気の持ちようで強さがものすごい変わるんだよな』
 あはは、と軽く笑って先輩はさらに続ける。
『それに、団体戦だから……だな』
『どういうことですか?』
『ほら、オレって個人戦の方の成績はパッとしないだろ?』
 あまりにあっさり言いにくいことを質問されて応答に困る。事実、個人戦の大会では俺の方が上に行くことがしばしばあったからだ。
だが先輩は俺の答えを待っていなかったらしく言葉を続けた。
『でも団体戦だと……なんでだろうな、力が出るんだよ』
 自分でも不思議だと言わんばかりの口調で先輩は話す。
『うちらのこと信用してるってことですよね!?』
 会話を聞いていたのか少し前を歩いていた奴が口を挟んできた。決勝戦で引き分けだった奴だ。
『……だな。そうかもな』
 照れたように笑いながらそいつに返事をして、西森先輩はこっちに向き直る。
『ま、だけど一番信頼してるのはおまえかもな。今日も先鋒で勢いづけてくれたから気合いが入ったっていうのもあるし。次の部長はおまえにするつもりだから頑張れよ』
 冗談めかした口調。だけどもどこまでもまっすぐと見つめてくる視線に嘘は感じられなかった。
『勘弁してください』
 そのときは軽く流したけど、あとあとになって考えれば俺はかなり感激していたらしい。
 西森先輩の中学最後の大会の時。俺は風邪を引いてしまい……結果、それが西森先輩の引退試合となってしまった。
『絶対に、またいっしょのチームでやりましょうね』
 大会があった日曜日の次の日。先輩の教室まで行って、思わずそう行っていた。
 思い上がりじゃないが、当時の二年のメンバーで一番強いのは俺だった。だからこそ、自分さえ出ていれば、もっと先輩といい所まで行けたかもしれなかったのに。
 後悔ばかりが押し寄せてきて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった俺に西森先輩はただ『ありがとう』と言ってくれた。
『俺も、先輩が行く高校目指しますから』
 そう言ったのは先輩の卒業の日。
 先輩はかなり驚いたようだったが、一瞬たりとも否定的な目を向けずに頷いてくれた。



 そして、ようやく追いつくことが出来た。
 先週が高校の入学式。もちろん西森先輩が通っている所だ。
 入学式・対面式なる行事を終えて、さらには週末を挟み、今日は月曜日。今日から部活の仮入部期間が始まる。
 ちなみに今日から授業も始まったが、これからの方針説明に終始するばかりでまともにやるものはほとんどなかった。
 退屈な授業時間をやり過ごし、ようやく放課後。
 もちろん俺は剣道場へ向かった…………いや、向かおうとして少し思いついた。せっかくだから先輩がいる教室でも探そうかと思ってな。
 うちのクラスのほうが他よりも若干早めに終わっていたし、まだ高校の構造をよく知らなかったからちょうど良かった。
 結局無駄足に終わったけどな。
 行くところ行くところで部活の勧誘に遭い、それをいちいち断っているうちに下校時刻ギリギリになってしまった。
 本当に時間を無駄にした。最初から剣道場に行けばよかったなどとぼやきながら、無駄だとは思いつつ剣道場に足を向ける。
 帰る人ばかりの廊下を逆流して行って剣道場に着く。
 予想通り練習は終わっていて、わかっていたくせにがっくりときてしまう。
 帰ろうと踵を返しかけて
「ん?」
 剣道場に人影が現れたのに気がついた。遠目から見ても小さいとわかるその人影は女子の制服で、『マネージャーの人か?』などと思いつつ、俺はその人に近づいた。
「すいません」
「――――っっ!!??」
 普通に声をかけたつもりだったのに声にならない声を上げられてしまった。しかもかなり慌てたのかこちらを振り向こうとした際に、その人は自分の足に引っかかって転んでしまっている。しかもうつぶせに。
「大丈夫ですか?」
 こんな器用に転べる人がいたのか、と妙な感心をしながら手を差し出す。さすがに自分のせいで転んでしまった人を放っておくことはできない。
「ありが……っ! か……」
 手を取り、顔を上げた所で、その人は変なふうに言葉を途切れさせて固まってしまった。
整った幼い顔立ち……いや、高校にもなって幼いは失礼か?
「『か』?」
 ともかく奇妙な形で止められた言葉の方が気になって、おそらく先輩だろう女子に訊きかえす。
「か……かっこいい声ですね」
 引きつった声で言われて、やっぱりかと少し虚しい気分になる。
「ああ、やっぱり変に聞こえますか?」
 俺の声変わりは異常なほど遅く、受験が終わるころにようやく始まった。そのために未だ自分の声じゃないような感覚がある。
「いや、別に変ってわけじゃ……」
「あ、そうですか? だったら良かった。いや、俺って声変わりがものすごく遅くて、自分でもまだ違和感があったりするんですよ」
 嘘や気休めではない調子で言われて、内心でほっとする。
 そうしてまじまじと目の前の人を見て。
「あの、剣道部の先輩ですか?」
 確認するように尋ねると彼女はまた驚いたように顔を上げ、「あっ? ああ、そう、だけど」と認める。やっぱりそうだったか。
 ――やべ……。
「やっぱり、今日はもう終わってますよね?」
 この人の顔や目の運び方っていうのか? それが俺の好みにストライクしてきて変な態度になってしまいそうだ。
「あ、っと……、なんでこんな時間に…?」
 痛い所をずばり聞かれて一瞬返答に困ってしまう。
『男の先輩を探して校内をうろついてるうちに遅くなりました』
 端的に言えばこれが正解なんだが、どうも正直に言いにくい。…ああ、俺、本気かも。情けないところは知られたくないのか。
「いや、まあちょっと色々とありまして」
 ということで当たり障りのないセリフで誤魔化す。じっと見られてる気がしないでもないけど気のせいということにしておこう。
 ここで舞い上がってもろくなことにはならない。
「今日は、終わりだから。見学ならまた明日に」
 そう言う先輩に同意して、俺たちはいっしょに帰ることになれた。
「そういえば先輩って駅の方に行きますか?」
 自分はそっちに行かないくせに、我ながらいやらしい聞き方をするもんだ。
「えっ? あ…い、家は逆の方だけど……」
「あっ、じゃあ俺と同じ方向ですね」
 ――よし、これでこの人と長く過ごせる。
 ある意味正しい下心を抱きながら、まだ慣れない道を小さな女の先輩と肩を並べて歩く。
 憧れてても中学校時代は一度もした事が無い事を、高校に入った直後にできた。
 万歳高校。
 しかしここで怪しまれたりされても嫌なので、実際に聞きたい剣道部の話とかをして道中を過ごす。
 俺の質問に、先輩は実に丁寧に答えてくれて、それがまた俺の中の株を押し上げることになる。
 ――やっぱ、この人、イイ。
「なんで、剣道部に入ろうと思ったの…?」
 いきなりと言えばいきなりな質問。とくにそういう流れもなく不意に投げかけられた問いに、それでも俺はすぐに答えていた。
「中学のころ、すごい尊敬してた先輩がいるんすよ」
 口にしただけであの時の試合の興奮が思い出される。
「西森先輩…っていうんですけどね、その人。今日は色々やってたせいで遅くなっちゃったんですけど、今日来てました?」
「西森くん……ね。今日は、参加できなかったみたいだよ」
 別に練習に出てないことには驚かなかった。西森先輩にだって用事はあるだろうし、ちゃんと剣道部に在籍してるってのは確認できたから。
「あ、そうなんですか。でも明日はたぶん来ますよね?」
「うん。……たぶん」
 奇妙なほどに歯切れの悪い返答。
 ――もしかしたらこの人は西森先輩のことが苦手なのか?
 そんな想像まで湧いてしまうほどに、真っ青になってしまった先輩に声をかけようとした時。
「ぁ…、うち、ここだから」
 たったそれだけ言い置いて、先輩は身を翻しマンションらしき建物に消えていった。
 ――って、ここ、俺んち……?
 いきなりなことに伝えることもできなかったけど、この春から俺もこのマンションの住人になっている。それも一人暮らしだ。
 なぜかと言えば、父親の仕事の関係だ。
 俺がここに合格してすぐに親父の栄転が決まり…。いや、それ自体は良いことなんだが、親父の新しい勤務先がニューヨーク支社だとわかったとき、ちょっとしたごたごたが起きた。
 せっかく高校に受かったんだから日本に残りたい俺。『一人暮らしには金がかかる』と家族全員で外国に行きたがる母さん。
 真っ向からぶつかりあう意見はうまい妥協点を見つけることができずに、あやうくこんなことで家庭崩壊しかけていた。
 それを救ってくれたのは、何を隠そう西森先輩のお父さんだ。
 実を言えば、俺が今借りている部屋――というかマンションは元々西森先輩のお父さんの持ち物であり、俺はそれを格安で貸してもらっている。
 なぜこんなことになっているかと言えば、俺が西森先輩の後輩だから……というわけでなく。親父たちが知り合い同士だったらしい。
『私にも同じところに住んでいる子供がいるから、助けてもらえると嬉しい』
 実際会うことはなかったけれども、電話でお礼を言った時の声は穏やかないい人そうな声だった。
 先輩のお父さんには本当に感謝している。
 敷金礼金なしの家賃格安。一人暮らしには大きすぎる2LDK。しかも学校まで徒歩五分という最高の立地。足を向けて寝れないってやつだ。
 ちなみの話、西森先輩には俺が同じマンションに住むことになったことは伝えられなかったらしい。
『そういうのは自分たちで話し合うのが一番だろ?』
 ある意味放任主義な大人たちのおかげだ。
 まあ、それくらいいいか。明日になれば西森先輩も部活に来るらしいし。その時に伝えよう。
 ――驚くだろうな~。
 先輩の反応を想像するだけで楽しい気分になってくる。
「それに……あの先輩も」
 同じ帰り道でラッキーとは思ったけど、まさか同じマンションだったなんてな。
 ――あの人は、西森先輩が同じマンションだって知ってるのか?
 西森先輩の話題になった途端、傍目からでもわかるほどに態度が変わっていたあの人。
 ――……それも明日訊いてみるか。
 気難しいと自覚している自分が、初対面のあの人をここまで気に入るのはかなり不思議だった。けれど嫌悪をまったく感じないそれをどこかで楽しんでる自分にも気づいている。
「やっぱ、この高校入って正解だったな」
 我知らず漏れた独り言に笑みまで湧いてきて、俺はその日はとてもいい気分で部屋に入った。


 それが崩れるのは次の日。俺がこの時抱いていた全ての疑問は晴れることになった。
 俺の心に暗雲を立ち込めさせることと同時に……。



「あっ、見学の人? いらっしゃい!」
 次の日の放課後に剣道部に行くと、やたらと明るいマネージャーさんに案内されて道場に入る。他の見学者らしき奴らも五人ほど来ていて、俺は遅かった方だと悟る。
 ――あの先生、HR長すぎなんだよ。
 うちのクラスの担任になった年配の男性教師に心中で文句を付けつつ、俺は見学者用にと並べられてるパイプ椅子の一つに腰掛ける。
「集合ッ!」
『はいっ!!』
 おそらく部長らしき人の雄々しい号令とともに剣道部の人たちが整列する。そして気合いの入った号令とともに準備体操が始まった。
「や~……、キミたちが来てるから部長ってば張り切ってるね~」
 さっきの元気の良いマネージャーさんがわざと俺たちに聞こえるように呟いて、全員から失笑めいたものが漏れた。
「あっ、準備体操が終わったら副部長が色々説明してくれるから。ちょっとそれまでゴメンネ!」
「あの、すいません」
 まだまだ準備体操が続きそうなので、俺はその人に声をかける。
「んん? 何かな?」
「先輩以外にマネージャーさんっていますよね?」
「あっ、いるよ! だけどね~、今日はちょっと買い物に行ってもらってるんだ!」
 剣道部の備品であるコールドスプレーやテーピングが無くなりかけてたのに今日気づいたらしい。少し残念だがしょうがないか。
「あともう一つ聞きたいんですけど、西森先輩って今日も来てないんですか?」
「……あ、ああ。西森、くんね……」
 ――なんだ?
 昨日のあの先輩もそうだったけど、西森先輩の名前を出しただけでそれまで普通だったのがいきなり妙な態度に変わる。
 もしかして西森先輩は女子に嫌われてるのか?
いや、そんなことはないはずだ。中学校時代の先輩は、本人は気づいてなかったが女子の人気がかなりあった。
 それが高校に来て一年でこんなに話題に出るのも嫌がられるなんて有り得ない。
「あ~っと……西森くんは、今日遅れてくるから。そういうことになってるから」
 そのことをマネージャーの先輩に訊こうとしたところで、どこか言いにくそうな感じで教えられて、一応それに納得する。
 そんなこんなをしてるうちに副部長という先輩がやって来て、初心者だという奴らに剣道の練習の最初と最後に行う座礼の仕方を教えていた。


 俺がここの高校を選んだのは西森先輩が通っているからで。たったそれだけの理由だったために下調べなんかまともにしないでここを選んだ。ま、学力の方は旧学区制の時代から学区内で一、二を争う所だったから申し分ないんだけど。
 何が言いたいかといえば、この高校、定時制もある学校だったらしく、一般生徒は五時半完全下校という校則があったのだ。
 そのため自然と部活動の時間が短縮されることとなり、今現在、見学を始めてから一時間半ほどだがすでに活動は終わりに近づいている。
 その間、ただぼーっと練習風景を見ていたわけではなく、副部長が備品のカーボン製の竹刀を配り、構えの仕方だとか、素振りの体験だとか、足捌きの練習だとかをやっていた。
 本当に剣道をするのが初めてだという初心者(なんと今日来ている連中は俺以外全員そうだった)は副部長の説明に、目を輝かせていたり真剣に頷いたりしていた。
 剣道は基本が大事である。高校受験で少し剣道から離れていたこともあり、俺も真剣に基本の復習をしようとしていた。
 だけどどうしても上の空になってしまう自分に気づいていた。
 いつまで経っても、西森先輩も、あの女子の先輩も道場に姿を見せなかったからだ。
 そうして道場の出入り口を気にしつつ、基礎の基礎を一つずつ思い出しているうちに、部活は終わりを迎えてしまう。
「着座ッ!」
『はいっ!!』
 部長の掛け声に合わせて部員全員が正座をする。俺たち見学者も座礼の仕方を教わっていたので同時に正座をしている。
「姿勢を正して、黙想!」
 防具を外してから続いた掛け声に、黙想の姿勢を取り目を閉じる。本来ならこの黙想の間に心を落ち着けたり、稽古の反省をするものだが、今の俺の心に浮かぶのは雑念ばかりだ。
 ――どうして先輩は来ないんだ……?
 結局道場に現れなかった二人の先輩のことばかりを考えてしまい、心を静めることなど出来ない。
「ッ互いに、礼!」
『ありがとうございました!!』
 最後の礼も終わり、部活の先輩たちがそれぞれ防具を片付け始めたり、マネージャーさんが選手の人に飲み物を配ったりし始める。
「もし気に入ってくれたんなら明日からでも入部していいからねっ!」
 マネージャーさんがそう締めくくり、見学者は帰らなければいけない雰囲気になってくる。だけどここで帰る気に到底なれるはずもない。
「もし良かったら片付けるの手伝います」
 これ以上道場にいる理由を作るために俺はマネージャーさんにそう言っていた。
「あっはは~、気持ちは嬉しいけどねっ。まだ入ってないコにそんなことさせられないよ!」
「いえ、俺剣道部に入るって以前から決めていたので。好きに使ってくれて結構ですよ」
 さも良い後輩を装った自分の言動は好きになれるものじゃない。
 それでも待ちたかった。
 もう可能性は薄いかもしれないけど、顔を出すかもしれない西森先輩を。
 買い物に行っているという、あの、女子の先輩を。
「……じゃ~、お願いしちゃおっかな」
 我が意を得たりとばかりに俺はマネージャーさんに指示されたとおりに動き出す。
俺に与えられた仕事は見学者用に十個ほど並べられたパイプ椅子を片すこと。普通に女子が一人でやるにはきついだろう。
 あざとくも、早すぎず遅すぎずと片付ける速度を調節していた俺に、神は微笑んだのだろう。
 あの女子の先輩が道場に姿を見せたんだ。
「仲田さん、すいませんでした。テープで見つからないのがあって、こんなに遅くなっちゃって……」
「いいよいいよ、ごくろーさま!」
 道場の出入り口でのマネージャーの先輩二人の会話。立てるつもりのない聞き耳を立ててしまう自分を叱咤して、なるべく普通の態度でいようと努力する。
 昨日少し話しただけなんだから、ここで変に馴れ馴れしい態度を取るなんて出来るはずもない。
 妙な我慢をしつつ最後の椅子を片し終え振り向けば、洗ってきたらしい給水用のタンクを持って先輩たちが近づいてきた。
「あっ、全部終わったんだ、ありがとね!」
 明るい笑顔とともにばんばんと腕を叩かれる。
「川嶋」
 その時不意に名前を呼ばれ、そちらの方を振り向けば、あの小さな先輩がまっすぐ俺を見ていた。
「なんですか?」
「話したいこと、あるから。今日も、いっしょに帰ろう」
「は……?」
 予想もしていなかった申し出に思わず変な声を上げて、先輩のことを凝視してしまう。
「いや……か?」
「あ、そんなことないです。わかりました」
 俺のことを見上げる目がどこか不安げに揺れているのに気づいて慌てて頷く。
「じゃあ、これ、片付けてくるから。ちょっと待ってて」
 その言葉にも頷くと小柄な先輩は、どこか緊張した面持ちで俺に背を向けた。
 ……本当ならここで気づくべきだった。
 二人のマネージャーさんが来ると言い切った西森先輩が、どうして道場に姿を現さなかったのか。
 未だに、一度も名乗っていないはずなのに、なぜ『川嶋』と呼ばれたのかを。
 しかし微妙に浮かれていた俺はその時は気づけないまま、ただただ先輩が戻ってくるのを待っていたんだ。


『現行シリーズ』(3) 西森編2へ

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最終更新:2008年06月14日 22:29
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