青色通知6.0&6.1☆

   ~[[青色通知]]6(陸の場合)~


 結局、初紀はその日学校に姿を見せなかった。
 坂城………るいにもうちょい詳しく事情も聞きたかったが、放課後になると、アイツの姿はどこにも無かった。
 まぁ、良かったのかもな。
 冷静に考えると、るいの奴に初紀のコトを根ほり葉ほり訊いたりしたら十中八九誤解されるのがオチだろうし。

 溜め息一つ。
 一人で屋上でゴロ寝してても時間の流れは淀んだまんまで、陽が傾くまで結構な間が空いている。
 仕事も今日は無ぇし、暇だ。
 ―――そう、暇……なんだよな。

 …………。

「なぁんで来ちまったのかなぁ……」

 いや、分かってる。俺の意志でしかない。……しかないのだが思わず、溜め息混じりの愚痴が零れる。
 こんなことしてる状況じゃねぇことは重々承知だ。
 それに単なる暇潰しなら学校から、ここまでの間にある歓楽街のゲーセンにでも寄れば良かった。
 なのにわざわざ自分が苦手な場所に来るなんて。
 ……多分、俺はかなり偏屈な人間なんだろう、そう結論付けた。

 見るもの全てを威圧するような厳かな門構え。そこの立て札には『御堂空手道場』の文字。
 ……言うまでもなく初紀の実家だ。
 『初心者大歓迎』とデカデカと達筆で書かれた半紙が、看板下に貼られている。
 ……あからさまに文字が初心者を拒絶してる感が否めないのは、気のせいなのだろうか。
 ……まぁ、あのオヤジさんらしいっちゃ……らしいんだが。

 とりあえず、『初心者大歓迎』の半紙の横でこぢんまりとしてる呼び鈴を押す。

 ―――チリン。

 前々から気になっていたのだが、見た目は明らかに電子式の呼び鈴なのに、鳴り響く音が明らかにアナログな鈴なのは何故だろう。オヤジさんの趣味ってのは理解できるのだが、その呼び鈴の構造だけは不可解だ。
 ―――とか何とか考えている内に厳かな門が、それはそれは厳か過ぎるくらいの重苦しい音を奏でながらゆっくりと開いていく。

 そこから現れたのは、熊……ではなく、それくらいの身の丈と立派なヒゲをを誇るナイスミドル。
 学校の集会で整列した場合、俺は後ろから数えた方が早い位置に属するんだが。そんな俺でも、彼の顔を拝むためには首を上に向けなきゃならない……相変わらずデカいな……初紀のオヤジさん。

「………何故、此処に居る。……童」

 熊をも気絶させそうな重々しい声―――から出てくる全く意味不明な一言。
 ……つーかオヤジさん、まだ俺の名前覚えてねぇのな。
 "21世紀"って言葉も既に死語になりつつあるこのご時世で、ワッパはねぇだろワッパは。時代錯誤も良いとこだが、それにツッコんだとしても時間の無駄でしかない。

「……いや、"なにゆえ"って言われても。単に初紀の様子見に来ただけっス。学校、無断欠席したみてぇだし」
「其れは我が子が女人に成ったからと云う不埒な目的からか」
 鋭利な刃物にも似た眼光。
「……とりあえず。なんで、そんな考えに至ったか。そのワケを教えてくれませんかね」

 ここでオヤジさんの威圧感に気圧されてしまったら、多分、四半世紀経ったとしても話は平行線のまんまだろう。

 文字に記す分には、俺は平然としてるように見えるかもしれないが、さっきから胃がすげぇ痛いことを補足しておく。


「童は模範的な学生ではないと、むす………めから聞き及んでおる。そんな怠惰なお主が、邪な思いなしで他人の学生々活を綻びを指摘するなど有り得ぬと申しておるのだ」

 なるほど。不良が純真な心で他人のサボりを心配なんぞ甚だ可笑しいっつーことか。一理あるな。

「そりゃ、そうッスね」

 んで、オヤジさんの中で"非模範的生徒である俺がわざわざ他人のサボりに口を挟んだ理由は、最近息子から娘に変わった我が子に気があるんじゃないか"ていう結論に至ったワケか。
 ……なるほどな。

「……そうですよ。無断欠席なんて俺の知ったこっちゃない。それを説教するつもりもないッス」
「―――ほう、では認めるのだな? 童は我が娘を、性欲の対象として見てることを」
「一つだけ言わせて下さい」
「何だ、童――――」

「―――っざけんなッ!!!」

 鈍い音が、オヤジさんの返答を遮る。
 ―――右拳から俺の全身に木霊する、衝撃の余韻。
 俺は、オヤジさんの頬に一発、拳を見舞っていたのだ。

「アンタだって分かってんだろッ!?
 アンタの子は……初紀は有無を言わさず女になっちまってよ……今が一番大事な時期だって言ってんだよッ!!
そんな時に、いつだって自分より筋通すことを優先するようなヤツが、急に連絡もナシに姿見せなくなったんだぞッ!?
 そんなダチを心配すんのは当たり前だろーがッ!!」

 ……自分でも、何でこんなにも激昂してるのか分からなかった。
 唯、オヤジさんが投げかけた言葉を、どうしても否定したかったんだ。
 ……俺は、初紀を女として見る約束を交わした。アイツがそれを望んだから。
 けど、それはオヤジさんの言うようなそーいうヤらしい意味なんかじゃねぇんだ。

 今はそーいうことを考えちゃいけねぇんだ! 俺には好きな奴が他にいて、それでもアイツをそーいう対象で見んのは……アイツを裏切るのとおんなじじゃねぇか。

「言いたいことはそれだけか、陸」
「――――え?」

 オヤジさん、俺の名前―――

 そう思った刹那に、風切り音。そして、それまで山の如く動かなかったオヤジさんの姿が、視界から消える。
 ―――直後、まるで軽トラがぶつかって来たかの衝撃が俺の腹部を襲った。

 そして、呻く間もなく、後背部を襲う鈍い痛み。

「……はっ、はぁ……っ、ぅ……」

 体中が悲鳴を上げた。酸素を求めて意志とは無関係に肩が上下に激しく動く。
こんな苦しみ、そして痛みは、男だった時の初紀に挑み、そして何度となく敗れた時でさえ覚えのない……全く別の次元の苦痛だ。

「……はぁっ…は……っはぁ……」

 ……たった一発の正拳突きで俺は体ごと吹っ飛ばされて、そして道場の門に叩きつけられたことを漸く俺は悟った。
 朦朧とする視界に映る、うずくまった俺にとっては更にデカく見えるオヤジさんの姿。

「そんな迷いだらけの拳では、蚊の一匹も仕留められぬわ」

 ……そのオヤジさんの言葉を境に、俺の意識は閉じていく。
 立ち上がることも、オヤジさんの言った言葉を否定することも出来ないまま、無力の闇に俺は沈んでいった……。






 ―――ここは、何処だ?
 気がつくと乳白色の濃い霧の中で俺は立ち尽くしていた。
 前も、後ろも、右も、左も、霧、霧、霧。地面があるのかどうかさえ危ういように思える。
 いくら辺りを見回しても誰も居ない。
 なんだ、コレ……夢なのか?

『りく』

 不意に複数の声に呼び止められた。正確には誰かを呼んでいたのだろう、でも、それは俺の名前じゃない。
 確かに俺の名前は"陸"と書くけど、読み方は"ひとし"だ。なのに、その声は俺を呼んでいたように思えて振り返る、と。
 ……そこには初紀、そして、るいの姿があった。正確に言うならば、短く纏められたポニーテール、そして呼び止めた声で判断したに過ぎない。それもこの妙な白い霧のせいだ。
 二人して俺の名前を間違えるなんてあるわけないのだが。

「……何の冗談だよ?」

 ………え?
 言い終えてから気付く。
 ―――俺の声が、妙に高いことを。

『コレ、無駄になっちゃったね』

 哀しそうな笑いを浮かべながら初紀らしき声の主が、封書を差し出した。

 ―――俺の青色通知。

 初紀からそれを受け取ると、そこに印字されていた文字の一部が霧に溶けて隠されていく。
 妙な不安感に駆られ。慌てて、その霧を振り払う。その青色通知に浮かび上がった文字を見て……俺は目を見開いた。

 "前田 りく様"

 ……初紀がそうであったように、俺にも"その時"が訪れたという完全なる告知だと言わんばかりに突きつけられる、現実。

「うそ……だろ……なぁ、嘘だって言ってくれよ、なぁっ!!?」

 そう主張した声も高い。男が出せる高さの範疇を越えたソプラノの声。

『ねぇ、初紀ちゃん』
『……うん』

 二人はパニクってる俺を無視して頷き合う。そして……ゆっくりと近付いてくる。


 なんだ、なんなんだよ!? この雰囲気はっ!!?
 そう口にする間もなかった。だって、その口を―――塞がれていたから。

「ん……ぅぅ……ッ!?」

 頭を両手で押さえられ、間髪を入れずに俺の口に侵入してくる柔らかくて生温かい何か。
 思わず鼻から漏れ出た声の甘ったるさに俺自身が驚いた。
 慌てて身を翻そうとしたが、もう一人が俺の身体を背後から押さえつけていて身動きが取れない。……それだけが理由かと言われたら……違うのかもしれないが。
 それに、この濃い霧のせいで、どちらが俺の口を塞いでいるのか、そしてどちらが俺を羽交い締めにしてるのかわからない。
 この真白い空間の中で、俺の抵抗と嬌声が入り混じった声と、粘り気を帯びた水音だけが生々しく響き渡る。

 ―――……何してんだろ、俺……。

 気が付けば、相手がどちらかも分からないキスに夢中になってる俺がいた。
 口腔に入ってくる柔らかな舌を拒むことなく、それに応えるように絡めては離し、また求めて。
 何度も何度も、その繰り返しが続く。

「ん……ぅ、ふぅ……っ…んぅっ―――!?」

 そんな人生初の、やらしくて深いキスをどれくらいした時だろうか。
 ……その瞬間、キスの甘い快楽を打ち消す、電流のような感覚に俺は目を見開いた。
 右の胸が小さな手によって鷲掴みにされ、円を描くように、弄ばれ……
そして、"そこ"は俺のあるべきモノがある筈の場所。
 いつの間にか侵入を赦してしまった"そこ"に触れる指が、俺に……"入って"く、る……!

「ん、……んんぅ……ッ!!」

 口を塞がれているのに、死にたくなるくらいに恥ずかしい声が、ナカを弄ばれる度に無尽蔵に溢れ出た。
 自覚するしかなかった。
 ココロはどうあれ、身体は女になっちまったみたいだ。


459 名前:青色1号 投稿日: 2009/04/06(月) 08:48:36 [ f8WLzlGk ]

 ……そんなことにショックを受ける間もなく、襲い来る快感が足腰の力を奪っていく……。

『あ、やっぱり寂しかったんだね。
 ココ、私の指を凄い締め付けてくる……』

 背後からする、るいの幼さを残した声。
 ……ということは。
 先程まで俺を羽交い締めにして、今、俺の秘部を弄んでいるのは……るい。
 そして、今もなお俺と舌を絡め続けているのは……初紀。

「…はぁっ、……っはぁ……ぁはっ……」

 漸く、初紀に犯され続けていた上の口が解放される。
 名残を惜しむかのように、俺と初紀の舌先から伸びる唾液の線が艶めかしく光る。

「はぁっ……はぁっ……なんの、つもりだ…よ!? ……ぁう…ッ、ふっ……んぅぅっ!!!」

 漸く口に出来た抗議の言葉は呆気なく高い嬌声に変わり果てた。
 ……小康状態だった下半身を、るいの細い指が執拗に俺の弱いところを探り当て、また責め始めたからだ。

『女のコになっちゃったからには、前向きに生きないと、ね?』
『りく、気持ちいい……?』
「ンなわけ……んんッ! あ、ある……あ、はぁ……んっ……あるか……ッ!!」

 初紀に訊かれて、精一杯に否定しようとしても……間に快感が割り込んできて言葉にならない。
 俺、どうかしちまったのか……?!
 ……こんなの、絶対ぇ間違ってる筈だ! ……筈なのに、この理不尽な快楽の波に身を委ねたくなる。

『気持ちいいんだよね? ほらぁ、ココなんでしょ?』

「―――ッ!!」

 サディズムの気を帯びてきたるいの細い指が、恐らくは俺の触れてはならないであろう、その場所を一瞬で探り当ててしまう。


「んぁあぁあぁっ!! や……だ、はぁ……んッ!! や、だぁ……っ!!! ぁは……っ、やぁああぁあっ!!!!」

 これでも懸命に抑えてたつもりだったけど、もう限界だった。快感が、理性の枷が完全に外してしまって…。

 あぁ、そうだよ、気持ちイイんだよ!

 自分の身体が、宙に浮いたようにフワフワしてるくせに、下半身はそれでも執拗な快感の波を受け止め続けていて!
 自分がぶっ壊れちまうんじゃねぇかって不安と、どうしようない快感が一緒に襲ってきて!!
 ……どうしようもなく、怖いんだ。

『りく、大丈夫……怖くないよ……』
「はつ……き、はつき…ぃ……っ!」

 言葉を掛けられると安心出来た。
 名前を呼ぶと安心出来た。
 ……俺は手を伸ばして初紀を求めた。初紀はそれに呼応するように、空いた左の胸を右手でおずおずと愛撫しながら、左手で俺を抱きしめ……そして、再び舌を絡める深い、深いキス。

『はぁい、じゃ、りくちゃんもノッて来たみたいだし……ラストスパート、イっくよぉっ!!!』

 るいの、何だか間の抜けた掛け声。

「んぅ、ぁぁあぁあっ――――ッ!!」


それとは裏腹な緻密で激しい指の動きに……俺は身体が溶けていく錯覚に陥る。

 この真白い空間に溶けていきそうで、怖かった。
 だから、俺はまた叫んだ。


「初紀――――ッ!!!」




 ――――ゴンッ!
 妙な音が、額から響き渡った。

「「っつぅぅ~~~っ!!」」

 外部の頭痛に思わず悲鳴が漏れた。
 でもそれは、俺の低い声だけじゃなく―――。

「……初、紀?」



  ~青色通知6.1(るいの場合)~


 ―――前田 陸くん、か。
 結い上げた髪を下ろしたコンパクトの中の、未だに慣れない自分の姿を眺めながら、そう呟いた。
 ……確かに初紀ちゃんの言うこともわかる。
 表情は無愛想で、デリカシーには欠けているし、言葉は粗野で乱暴。
 だけど、芯はしっかりとした男の子。顔も悪くないし。

 だからこそ、初紀ちゃんにお似合いだと、心底思った。

 ……なのに、どうして私なんだろう。

 ―――何も知らないくせに。
 ―――私が元々は男だってことも。
 ―――合法的に認められた仕事とはいえ、私の躯はとうの昔に汚れていることも。
 ―――私には、忘れられないヒトがいるってことも。
 あの不良は、何にも知らない。知らないからこそ私を好きになれた。
 それが、許せなかった。
 なのに、初紀ちゃんは私と陸をくっつけようと躍起になってる。
 理解不能、としか言い様がない。どうしてこんなにも他人を思いやるのだろう。

 ……自分の想いを押し込めてまで。
 ……自分の躯を、犠牲にしてまで。

 思い出されるのは、やっぱり此処での―――喫茶店での一幕だった。





 ―――思い出を話し終えた私の喉は、喫茶店の空調と相俟って乾燥しきっていた。
 沈黙に耐えきれず私は冷めきったカフェオレを流し込む。
 気付けば周りの客も疎らだった。……一体何時間話してたんだろう?
 あまりに彼女―――御堂さんが必死な目で聞き入るものだから、つい話が長くなってしまったのかな。

「……私はね、好き好んでこの"お仕事"をしてるんだ。……だから、御堂さんのお願いは聞き入れられない」

 これで御堂さんも、私を好いてくれている男の子も諦めがつくだろう。
 既に両手両足じゃ数え切れない程の貞操を奪っていて、尚且つ、それをこれからも続ける女を……誰が好きになると思う?

 あっ……私、か。

 自覚のない自問自答してしまって思わず苦笑する。

「……坂城さん?」

 泣き出しそうな表情を抑えながら、私の顔を覗き込む御堂さん。

 ……うん、女の子目から見ても凄い可愛い。
 男の子目から見たら……うん、"萌え"とカテゴライズされる、中毒性の強い可愛さに該当する。
 と、いけないいけない。このままじゃ私、ヘンなヒトだ。

「ねっ、わかってもらえたよね?」
「わかりません……っ」

 即答だった。
 あの、御堂さん……私の話、聞いてたよね?
 私はなるべく分かりやすく、且つ優しく、私の置かれている立場を説明したつもりなんだけどな……。

「坂城さんの話は……その、私も理解出来ました。でも納得がいきませんっ!」

 ……柔らかい物腰と違って強情っ張りなんだなぁ、御堂さんって。

「納得いかないって、どういうことかな?」
「だって……だって、陸に……アイツに会いもしないで、話もしないで……決めないでくださいっ!」

 決めるのは、結局は私なんだけどなぁ。

「じゃ、会えば納得してくれるの?」
「……ダメです」

 注文の多い喫茶店だなぁ。そんな本を昔読んだような気がするよ。

「ちゃんと考えてください、考えて、決めてください」

 御堂さんが、そこで"付き合うこと"は強制しないのは、自分にも少しは希望を持たせたいのか、はたまた余っっ程に生真面目なのか。
 多分、後者かな。そこまでズル賢いなら、まず私に接触なんかしないだろうし。

 ―――でも、私はそこまで純粋にはなれないんだよ?

「……わかった。会ってみる。
 会ってみるし、考えもする」
「気休め言わないで下さい、会うつもりも考えるつもりもないのなら」

 ―――う、なかなかに鋭い……。
 御堂さんは、嘘を見抜く力に長けているようで、一筋縄ではいかないみたいだ。

「……御堂さんには敵わないなぁ。うん、本当に会うし、考えてみる。
 初紀ちゃんが言うには悪い奴じゃなさそうだし。
 ……けどさ、一個だけ"条件"があるんだよね」
「……"条件"、ですか?」
「うん、"条件"」

 身を乗り出しそうな程に顔を近付けてくる御堂さん。
 イタズラでキスしちゃおうかとも思ったけど……さっき路上で暴漢相手に放っていた御堂さんの蹴りの威力に、私自身が耐えられるかどうか不安なのでヤメておく。
 御堂さんはそんなことしそうにないけど、念の為。



 ―――考えてみれば、こんなに生真面目なコなんだ。浅はかだったかもしれない。

 ……こんな"条件"を出すのは。






「………はぁ」

 溜め息を一つ。
 店内に掛かった時計を見やると、もうそろそろ"彼女"がやって来る時間になっていた。
 頼んだホットのカフェオレの粗熱は既に冷めきっていて、ヌルい甘味だけが口に残った。

 "ひーちゃん"……前田 陸くん。確かに悪い子じゃなかった。
 寧ろいい子だった。
 不器用で無愛想で、それでも素直で真っ直ぐで。私が純粋な女の子だったら靡いてしまうかもしれないくらいの男の子。
 正直に言うと、女の子としての私は嫌いじゃない……と思う。
 でも、男としてのボクはハルさんで頭が一杯で。

 まるで、"自分"が二人いるみたいだ。

 このまま"私"という女の子の意識に"ボク"が飲み込まれたら、"お仕事"を投げ出して、彼と……ひーちゃんと女の子としての幸せを見つけることが出来るのかもしれない。
 でも、それはひーちゃんが私を知らないという前提を基に成り立った事実、知られたら嫌われるのが関の山。

 ―――ひーちゃんが私が知らないからこそ、許せない部分もある。
 勿論、ひーちゃんに落ち度があるわけじゃないけど……。

 それに………。

「―――坂城さん」

 私と同じ短めのポニーテールを揺らしながら、店員に案内された可愛らしい女の子が私に声を掛ける。

「あっ、"るい"でいいよ、私も"初紀ちゃん"って呼ぶから」
「あれ……名前……」

 あ、そっか。前まで"御堂さん"って呼んでたもんね。

「あ、うん、ひーちゃんから聞いた」
「"ひーちゃん"って……陸が……?」

 一瞬、初紀ちゃんの顔が明るくなる。けど、それは一瞬で陰りを見せた。
 ……そりゃ、複雑だよね。
 好きな人が自分とは違う異性と、自分の話をしてるなんて。しかも好きな人の名前を親しげに呼ぶくらいに仲が進展しているのなら、なおさら。




「……そう、ですか」
「あー、うん……あとさ」
「はい……?」
「敬語、禁止。同い年でしょ」
「……それって、"条件"でしたっけ?」
「むぅ、融通利かないなぁ」
「……ちょっとだけ、からかってみた。……ダメ、かな? "るい"ちゃん……」
「あ、はは……うん、OKじゃないかな。"初紀"ちゃん……」

 なんていうか会話が……ぎこちなさ過ぎて、居心地が頗る悪い。
 まるで、嵐の前の静けさを体現したかの不気味な沈黙が続く。

 ―――私は、どうするべきなんだろう。

 先に頼んでいたカフェオレに視線を落としながら、私は自問する。

 初めは、ただ初紀ちゃんを思い留まらせる為の"条件"だった。
 でも、それに初紀ちゃんは散々に迷った挙げ句に、頷いてしまった。

 ……その気になれば"条件"を反故にすることだって、嘘の答えを言うことだって出来る。
 でも、あまりに真摯に私と向き合う初紀ちゃんに対してそれは余りに失礼だし……彼女は、そういう嘘が通用するような人種ではないと思う。昨日、それを身を以て知った筈だ。

「……陸と会ったのなら聞かせて下さい」

 恐れも、不安も微塵に感じさせない初紀ちゃんの……すべてを見据えているような視線が、真っ直ぐと私を捉えて離さない。
 逃げ場はどこにもない。
 言うしかない、よね。
 ホントのコトを正直に。


「わからなくなった」
「……えっ?」


 肩透かしを食らったのように、初紀ちゃんの目はまん丸になる。
 初紀ちゃんが、心の何処かで期待していた答えでも、受け止めようとしていた絶望に満ちた答えでもない、宙ぶらりんな私の回答で、互いの言葉が途切れそうになる。

「……隠し事してるよね?
 私と、ひーちゃんに……一つずつ」

 それが無自覚に抑え込んでいたものなのか、意図的なものなのか、その答えはハッキリしている。
 ただ、それは推測の域を出ないし、その真意も分からない。
 初紀ちゃんはスカートの裾を握り締めたまま黙りこくっている。どうやら、自覚はあるらしい。

「どうして、私が"通知受取人"だってことをひーちゃんに黙ってたのかな?
 ……どうして、ひーちゃんが青色通知を受けた女体化の予備群者だってことを私に黙ってたのかな?」

 改めて、私は問い質す。
 その言葉の端々に感情が漏れ出さないように、平淡な口調で。
 それでも初紀ちゃんは、答えなかった。なんとなく、分かる気はするけど。

「はぁーあ。潔癖症だよね、初紀ちゃんって」
「え……っ?」
「表向きに言えば、初紀ちゃんが黙ってた理由は
"自分が余計なことを言って仲をこじれさせたくない"
 ―――ってことなんだろうけどさ。
 ……その裏側の汚い感情に気付いてて、それを認めたくないから、そんな風にいつまでも黙ってるんだよね」
「っ!」

 図星を突かれたのか、初紀ちゃんの頬が一気に紅潮していく。

 ―――仕方無いか。初紀ちゃんとは良い友達になれそうな気がしてたけど……。

「だから今日、学校に来なかったんでしょ? ひーちゃんはまだしも、私には見抜かれてしまうかもしれないから」
「………や、め―――」
「―――やめないし、許さないよ。
 好きな人に振り向いてもらう努力もしないで、なんでも他人任せにする臆病者だよ。初紀ちゃんは」
「―――っ!!」

 初紀ちゃんは泣き出しそうになっていた。
 女体化して間もない初紀ちゃんにとって無理もないことは百も承知。
 それでも私は彼女にとって辛辣な言葉をぶつける。

「意中の相手の女体化がイヤ。
 でも自分は今の関係に甘んじていたい。だから今は、ヒト任せ。
 時が経てば自分にもチャンスが巡ってくるかもしれない。
 それって、ムシが良過ぎると思わないのかな。
 そんなの、私がひーちゃんに気があろうとなかろうと、願い下げ。

 まぁ、その努力をした上だったら………協力しなくもないけどさ」

「………~~~~~っ!!」


 ここまで他人に事実を貶められたら、もはや丸裸を他人に見られたも同じの恥辱だろう。
 ……その恥辱に耐えきれず、初紀ちゃんは目頭を押さえながら逃げるように喫茶店を後にした。

「……はぁ。これじゃどっちが悪者なんだか」

 周囲の奇異と興味の視線が私に注がれる。……私はそれを意に介することもなく冷めきったカフェオレを飲み干す。

 ……冷たくて、甘いはずなのに、裏側に隠れた苦味だけが気になった。

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最終更新:2009年05月10日 17:11
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