『約束ひとつ』(8) 西森編4

~~西森編4~~

 鍵ができたから帰るという川嶋の言葉を押しのけてまでの提案。  オレの『週末までここにいないか』という提案を川嶋が聞いてくれたあの日以来、川嶋の態度が変わった気がする。
 朝も、オレの準備が終わるまで待っててくれて、学校から帰るときもいっしょ。そのうえ部活で疲れてるだろうに買い物まで付いてきて荷物を持ってくれる。
 一時は挨拶さえもまともに交わさなかったのに、今はそれ以外のことも話してくれる。
 こんなふうに川嶋に気を使わせてしまうようになった理由はわからないけど、本音を言えばそれは全部嬉しいんだ。
 まるでオレのことを慕っていてくれてたころの川嶋といっしょにいるように思えて……。でもそれはオレの勝手な思い込みに過ぎないとも、ちゃんとわかってる……。
 わかってるから、許してほしい。
 ――今だけだから。
 明日には川嶋は自分の部屋に帰る。
 そうなれば、もうこんなふうに話すこともなくなって……また、挨拶だけの関係になってしまうかもしれないから。
 ――せめて今だけでも、川嶋と普通に接していたいんだ。
「川嶋……?」
 だけど…………。
「なんですか?」
 少し遅れての川嶋の返事。
 声音はいかにも普通に聞こえるのに、その顔はどことなく険しくて、それ以上何も訊けなくなる。
 そして思わず「なんでもない」と言ってしまって、またそれが川島の機嫌を悪くしてしまう。
 ――また……オレは何かしてしまったのか……?
 黙々と食事を続ける川嶋の胸の辺りをぼんやりと眺める。
 川嶋がいつもと何か違うことは部活の時に気づいた。
 誰よりも熱心に剣道に打ち込む川嶋。なのに今日の部活中……なぜかすごくオレのことを睨んできた。
 いや…睨むのとは少し違う気がする。でも怒気とかはなくても、じっとまっすぐの目を向けられるのは……少し怖くて居たたまれなかった。
 みんなが面をつけた後も、ふとした瞬間に視線が刺さってくるのがわかって逃げ出したくなった。
 学校帰りにいっしょに買い物に行った時も、いつもより何度も何度も振り返ってオレのことを睨んできた。
 下手なことを言って川嶋の気を悪くしたくなくて、オレからは何も話しかけられず。そして川嶋の方もずっと口数が少ないまま今に至る。
 ――何を、してしまったんだ…?
 答えの出ない問いをまた自問する。
 ぐるぐると自分の行動を思い起こすけど、何も思い当たることがなくて……そのことにまた焦ってくる。
 いっしょにいてもらえるのは今日までなのに、こんな雰囲気は嫌なのに、その原因さえも見つけられない自分が嫌いだ。
 川嶋にこれ以上嫌な思いをさせないって決めたのに、それさえも守れない自分が本当に嫌いなんだ。
 ほとんど会話のない食事が終わる。
 どこか不機嫌そうなまま川嶋は食器の片づけを手伝ってくれる。断ることもお礼を言うこともままならないまま、また無言で二人、キッチンに立つ。
 すぐ横にいる川嶋が何を考えているのかわからない。
 こんなにも尖った視線を向けてくるのに、なぜ今も近くにいてくれるのか理由が想像できない。
「後は、フライパンだけだから……手伝ってくれてありがとう」
「………いえ」
 それでも片づけが終わったら川嶋は部屋に戻ってしまうものだとばかり思っていたのに、オレのその予想も覆される。
 片づけを終えた川嶋はリビングでテレビを見始めたんだ。
 ここ数日は二人で見ることも何度かあったから、それ自体は全然おかしいことじゃない。
 だけど、こんなにも不機嫌そうなのに部屋に戻ってしまわない川嶋の行動は、今までと一つも当てはまらなくてどんどん混乱してくる。
 今川嶋はソファの前に座って、ソファに少し寄りかかった体勢でニュースを見ている……はずだ。
 なんでそんな曖昧なのかといえば、顔を上げられないから。じゃあ、なんで顔を上げられないのかといえば……また、睨まれてる気がするから。
 川嶋はテレビを見ているはずなのに……その視線がこちらに向けられてるような気がしてどうしたらいいのかわからない。
 そのままオレは顔を上げることなく残りの洗い物を片付けて、LDKの部屋に隣接する洗面所に逃げ込んだ。





 ずっと……頭がちゃんと働かない。
 混乱したままで考えたって答えなんか出るはずないのに、それでも考えずにはいられない。
「オレは、何をしたんだ…?」  あんなにも川嶋を怒らせた、ずっと睨んでいなきゃならないほどに川嶋を怒らせてしまった理由は……?
 答えは――――もちろん出ない。
「…………っ」
 自分の情けなさにいっそ泣きたくなってくる。
 けれど、オレにはそんな資格なんかない。全部…なにもかも…自分が悪いんだから。
「もうすぐ風呂焚けるから……焚けたら先に入って?」
 簡単に掃除を済ませ、タイマーをセットしてから川嶋に声をかける。そしてオレは自分の部屋に戻ろうとした。
 臆病者、と自分を罵る声が聞こえたけど……もう最後かもしれないけど……今は川嶋の近くにいることを選ぶことができなかったんだ。
 テレビから川嶋の視線がこちらに向く前に――川嶋の尖った眼を見てしまう前に背を向けて。
「先輩」
 なのに、そのただ一言で、オレの動作は全部止まってしまった。
「お風呂は先に入ってください。……すいません、何も手伝わなくて」
 かけられた『普通』の言葉、口調に緊張がほんの少しだけ消える。
「大、丈夫だから。うん、じゃあ……先、入るね」
 やっとの思いでその返事をしてから、オレは着替えを取りに今度こそ自分の部屋に向か――――。
「あと」
 足が、また止まってしまう。
「先輩がお風呂から上がったら、少し、話したいことがあります」

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最終更新:2008年06月14日 22:48
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