俺の人生なんて、どう転んだって国や歴史を動かすものになるワケもなく。
取り柄も無ければ使命感もなく、宙ぶらりんな状態。
こんなんで何かを成せるほど、世の中は甘く出来てないことも重々承知だ。
そんな無気力な俺に、彼女なんか出来るわけもなかった。
気が付けば、齢16の誕生日まであと3日と迫っている。
……正直、女になることへの覚悟を殆ど決めかけていた。そんな時。
暇つぶしにパソコンでネットをしてるときに、偶然にも、ある掲示板サイトを見つけた。
『にわにはにわ』
なんかふざけた名前のサイトだった。表向きには"出会い系の掲示板サイト"を唱ってるけど、ぶっちゃけ、それには興味が無い。
俺が興味を持ったのは、その裏側だった。
―――女体化チキンレース?
どうやら、どこかの暇人がお遊びで始めたコトが発端らしい、そのゲーム。
掻い摘んで説明すると、同じ誕生日同士の14~5歳の童貞二人が、誕生日前日の一夜をラブホで過ごすというもの。
ただし対決する相手は、必ず同年齢であること。誕生日を示す身分証明が必要らしい。
ルールはシンプルだ。
先に女になった方は負け。女になった"敗者"はそのまま勝者の"賞品"になる。
つまり相手より先に女になっちまった奴はその場でロストバージン。
男は晴れて童貞を卒業することが出来る算段だ。
気が付くと俺は、対戦相手の募集をかけていた。どうせ俺の人生なんて、男で居ようと女で居ようと、別に遜色無いのだから。
ただ、ひたすらに平々凡々な道を辿って、死ぬくらいなら―――。
単調な人生に、何となくスパイスを利かせたかったのかもしれない。
―――対戦相手は割とあっさり見つかった。地元から十駅離れたところに住む15歳らしい。
さっそく、メールで連絡を取り合って待ち合わせ場所やら時間やらと取り決めをしていく。
大体の取り決めが終わった時、ふと気になったことを、無粋だとは思いつつも俺は"対戦相手"に訊いていた。
『なんでこんな勝負を受けてくれたんですか? 答えたくないなら別に構いませんが』
程なくして、メールが帰ってくる。
『彼女に振られたんです。半ばヤケになって、このチキンレースに参加を決めました』
……リア充め。
俺は俄然、負けたくないと思い始めていた。
―――勝負の日。
俺達は互いの地元駅の中継地点あたりの、とあるファーストフード店で待ち合わせとなった。
カウンター席の隅っこで、俺が目印となる真っ赤な野球帽を被って一人テリヤギバーガーを食ってると―――。
「○○さん、ですか?」
―――不意に緊張したような声が背後から響く。
振り返ると、そこには細身で俺より数センチは背の高そうな優男風の爽やかイケメンが居た。
―――コイツが対戦相手?
「……はい、そうです。まさか、アンタが―――?」
俺が質問を言い切る前に頷くイケメン。
「はい。"対戦相手"です」
なんつーか……本当にリア充っぽいのに、なんでこんな勝負をする必要性があるのか甚だ疑問だと思う。
「……なぁ、ホントはアンタ―――経験者じゃねぇの?」
「……よく分からないけど、みんなそう言いますよ。違うのに」
―――嫌味か、この野郎。
そう思った瞬間に、目の前のイケメンは肩から下げていた鞄から何かを取り出して、俺に手渡す。
生徒手帳に、戸籍の写し、それと……役所から発行される、ある"通知書"の封筒。
この通知書は、国が女体化症候群を食い止める為に俺達―――未経験者に発行してるもの。
いわゆる"童貞の証明書"だ。世間じゃなんちゃら通知とか言われてるが別に興味がないので割愛させてもらう。
「信じてくれました?」
「あぁ。それじゃ、行きますか」
「待った。○○さんの証明書は?」
律儀なのか、それとも馬鹿にしてるのか知らないが……対戦相手は俺にも同様の証明を求めてくる。
「……ほらよ」
イケメンが用意したのと同じ書類を見せる。漸く納得したのか、彼は満足そうに頷いた。
「はい。じゃあ、行きましょう」
―――その後は、特に会話もなかった。ラブホに向かう道中……互いに終始無言。
別にこれから仲良く遊びにいくワケじゃないから、話す必要性は無いわけだけど。……それにしたってこんな気まずい雰囲気にならなくてもいいと思うんだが。
「なぁ」
「は……はい、なんですか?」
「アンタ、ビビってんの?」
「っ、そんなこと―――!」
「―――別に馬鹿になんかしてないって。ただ、ビビってるってことは……少なくとも俺とは違うだろ」
「え?」
コイツは、まだこの先のことにちゃんと希望を見出してる。俺とは違って。
「……やめるんなら、今の内だと思うけど? 俺は勝とうが負けようが、どうだっていい。でもアンタは違うんだろ?」
「……。優しいんですね。○○さんは」
「な―――っ!?」
別に情けをかけたつもりはなかった。ただ単に、こんなシケた面の奴に勝って、コイツを抱いたとしても面白くも何ともないだけだ。
それなのに……何を、どう勘違いしたら俺が優しいっつー結論になるんだよ!?
「バっカじゃねぇの?」
吐き捨てるように言った。ちっとでも俺に敵愾心の一つでも持ってくれれば勝負に張り合いが出ると思ったから。
……でも、コイツは笑うだけで。
「あははっ、よく言われます。
でも、このチキンレースだけは……降りたくないんです」
「なんで?」
「最後になるかもしれない"男の意地"ってやつですよ」
「………」
「……負けませんよ?」
「……望むトコだ」
最後になるかもしれない男の意地、か。
夜も更け、いよいよ、決戦の地に到着する。……その戦いの場所がラブホだってのはいかがなものかと思うが。
人通りがないことを確認してから自動ドアを対戦相手のイケメンと潜る。
……中は、外に負けず劣らず薄暗い。
その中で煌々と光る部屋番の選択パネル。
互いの財布事情を考慮して、一番安い部屋のボタンを押して、相手の顔が全く見えないフロントで鍵を受け取る。
「3800円です」
そのままエレベータに乗り込もうして、無愛想なフロントの声に呼び止められる。
……ま、前払い制だったのか。
慌てて俺達は互いに2000円ずつ出して、釣りを100円ずつ分配しエレベータに乗り込む。
……随分狭いな、このエレベータ。
「っつーかアンタ、彼女居たんだろっ?」
「いや、彼女居たからって必ずラブホ行ったことあるってワケじゃないですってっ。
……そもそもラブホに行ったことあるならチキンレースになんか参加しませんよ」
「……それもそうだな」
チーン。
間の抜けたエレベータの到着音が口論終了のゴングに聞こえたような気がした。
208号室、208号室―――っと。
「ん……ぁっ、や、っ……あぁっ! や、ぁぁあっ!!!」
……途中聞こえてくる、お盛んな声を聞こえない振りをして、自分達の部屋を探す。
「こ……こーいうトコの壁って、こんな薄いモンなのか……?」
「えっ、あ、い、いやぁ、女の人の声が凄いだけかもしれませんよ……?」
「ふ、腹筋鍛えてんだろうな」
「す、素晴らしい……声量、ですよね」
「あ、その……あのよ」
「な、何ですか?」
「お、俺達は……どっちが女になっても慎ましやかに……しような?」
「ど、同感ですね……約束します」
端から聞いたら何とも間の抜けた会話だが、心底からそう思った。
「ぁああっ! やだっ、ダメっ……ふぁあぁあぁっ!!!」
……こんな声、他人になんか絶対に聞かれたくないしな。
……漸く、自分達が借りた部屋に辿り着く。
ベッドにソファにテレビ。それにトイレと洗面所と風呂場。
なんか、狭い空間に無理に詰め込んだような、ムードもへったくれも無い部屋だな。
いや、男同士でラブホに入って、ムードある部屋ってのもどうかと思うが。
「あ。そうだ」
対戦相手のイケメンが、肩から下げたバッグから何か四角い箱を取り出す。
「ケーキ、買ってきたんですよ」
「……ケーキ?」
これから一勝負しようっていうのに、どこまでも緊張感がねぇのな……コイツ。
「―――誕生日、おめでとうございます」
「あ、あぁ、そうか……」
このチキンレースのルールを考えたら、確かにそういうことになる。同じ誕生日なじゃなきゃ成立しないんだからな。
「……アンタもだろーが。悪いけど、そんなん用意してねぇぞ俺は」
「いいんです、僕が勝手にしたことですから」
……笑顔でそう言われても、なんか気まずい。
「……そーだ」
棚に仕舞ってあったグラスを二個取り出し、俺は鞄に仕舞ってあったペットのジンジャエールを取り出した。
「シャンパン代わりにしては、ちっとショボいけどな」
そう言いながら、俺は二つの小さなグラスにその余ったジンジャエールを注ぐ。その間に、いそいそと対戦相手のイケメンが小洒落たケーキをラブホの備品である簡素な皿に並べていた。
「ショコラフロマージュとレアチーズスフレ……どっちがいいですか?」
「え、俺が選んでいいのか?」
「もちろん。僕が食べたいものを選んできたので」
よく分からないが横文字を並べ立てられたが、要は茶色のチョコケーキと乳白色のチーズケーキのどちらかを選ばせてくれるらしい。
「んじゃ、その、ショコラなんちゃらってやつ?」
「あ、はい……」
……なんだ?
「なんだよ、やっぱ食いたいのか?」
「あ、いや……っ」
なるほど。気は遣うけど思ったことは正直に出るタイプか。
「……気が変わった」
「えっ?」
「そっちの白い奴にする」
それが、多分円滑に物事を進めるには良いんだろう。俺は正直、ケーキなんざどっちでもいいしな。
「あ、はいっ、どうぞっ」
途端に表情がぱあっと明るくなるイケメン。ガキかっつの。
「―――そんじゃ、互いの正々堂々の検討を誓い……」
「……お互いの誕生日を祝って―――」
「「乾杯」」
これから一戦を交えるとは思えない不思議な誕生会の始まりだった。
「―――あれ。アンタもヒトカゲ選んで苦労したクチか?」
「うんうんっ、岩タイプ水タイプってジムリーダーが続いちゃって主人公ポケモンがずっとスタメンから外れてオツキミヤマでも―――」
……なんだこのまったり感。
確かにお互い拳を交わすような直接的なケンカじゃないにしてもさ。
……チキンレースってもっと殺伐するべきモンじゃねぇのか?
自分も何時女なってもおかしくない中で女体化したてホヤホヤの奴をどうやって犯してやろうかとかどうのこうのってアタマで色々と考えてさ―――。
「……っ!!?」
急に、心臓が高鳴った気がした。
「………ぅぁ…っ!」
何だ、この圧迫感。胸元が締め付けられるみたいで、呼吸がままならない。
「○○くんっ!? ○○くんっ!!?」
―――バカっ、肩を揺さぶるなッ!!
こっちは今、気持ち悪いのと体中が軋んでんので立て込んでんだっつの!!
吐くぞこの野郎っ!!
そう言いたくも、体が本能で放つ涙混じりの悲鳴に邪魔されてうまく言葉に出来ない。
「あ、……っう、っ……ぁああっ」
虚ろになった目でホテルに用意してあるデジタル時計を見やる。
……ゼロが三つ並んでいた。
くそっ、日付が変わって直ぐにこれかよッ!!?
「ひっ、ぅ……うぁあああぁあっ!!!」
毒づく暇もなく襲い来る痛みと苦しみ。
結局それが、今日で最後の―――"男"としての悲鳴になった。
―――くん……?! ○○くんっ!!?
真っ暗闇の中で誰かが俺を呼んでる気がした。 ……うるさくて仕方がない。
―――○○くんっ?! しっかり、しっかりしてよっ!!?
何でそんなに俺を呼ぶんだ……?
俺は、そんな誰かに必要されるような人生を送るような人間じゃねぇよ。
平々凡々。よりは少し下くらいの、夢も希望もない人生。
別に、どうでもいいじゃねーか俺なんてよ。
「―――○○くんっ!?」
「―――っ!!!」
無理矢理に開かれた、ぼやけた視界。
そこに映るのは……やたらと低い天井と……さっきまで友人のように和気藹々と話していた、チキンレースの対戦者のイケメン。
「……良かったぁ、このまま目を覚まさないんじゃないかって思ったよ」
「………俺、何で―――」
―――っ!?
一瞬、俺の耳は異常を来してるんじゃないかと思った。
呟いたは言葉が、妙に高い―――というか"男"のだとは思えないものになっていた。
………俺、負けたのか。
「……○○くん?」
見開いた視界に、このチキンレースの勝利者とは思えないほど哀しそうな目が映る。なんでアンタがそんなツラしてんだよ。
「アンタの勝ちだよ。……好きにしな。アンタの好みのタイプじゃないかもしれないけどよ」
「っ、そんなこと、ない!!」
そう言って、ダブルベッドに寝転がる俺に多い被さってくるイケメン。
……ま、コイツなら悪くねぇのかもな。変なオタクな奴の慰めになるよりは全然マシなのかもしれないしな。
「…………っ」
「どうした? さっさとしろよ。勝ち負けはハッキリついたんだから」
「……だって、震えてる」
……意識してなかったけど、俺の手は確かに震えてた。
はは、情けないことこの上ないな。
覚悟なんて、とっくに出来てたつもりだったのに。その場になってビビって、震えて、怯えて。
性根が優しいアマちゃんのコイツが気にしない訳ねぇのに。
「気にすんな。これは女体化の後遺症だろうよ」
こんなにも嘘が淀みなく言えるのは久しぶりだった。
互いが同意の上での勝負に、感情なんて要らない。そういう思いがあるからか?
……でも、俺の上に覆い被さっているコイツは、俯いたまんま身動き一つしない。
「……さっさとしないとアンタまで俺と同じになっちまうぞ」
脅すような低い声を無理矢理にひねり出してみる。しかしコイツは動かない。
「……何だよ。脱げばいいのか?」
パーカーに手をやる。そこで漸くコイツは動いた。……でも、それは俺を貪ろうとするものじゃなくて。むしろ逆だった。
服を脱ごうとした俺の手を止めるものだった。
「……やめろよ。同情のつもりかよっ!!?」
「違う―――っ!!!」
今までへなちょこな言動をしていたとは思えないほどの一喝が、狭っ苦しい部屋に響き渡る。
「―――もう、決めたんだ」
「……何をだよ?」
物怖じしてることに気付かれたくなくて、俺は本心を悟られまいと意固地になって低い声を貫く。
「"キミ"は僕の自由にしていいんだよね?」
「あ、あぁ。そういう取り決めだからな」
「なら―――。
―――っ!!?」
彼が何かを言いかけた、その刹那。今度は、勝者が苦悶の表情を浮かべる。
―――まさか!!?
「っ、早くしろッ!! 今ならまだ間に合うだろーがっ!!!」
「―――っ、っ!!!」
俺の声が届いているのかいないのか、彼は、凄まじい勢いで首を横に振るだけで……。
くそっ、こうなったら俺が無理矢理にでも―――
「―――だ、めだ……! っ、あぅっ、くぅ……ぁっ…!!!」
「馬鹿野郎ッ! こんなんじゃ、……勝負の意味がねぇだろーがっ!!! アンタは後先に希望があるんだろっ!!? だったらっ、四の五の言ってねぇで俺を――――ッ! ………くっ!!?」
無理矢理にでも跨ろうとした俺を突き放す……勝者の両手。
「ど………して……」
「はぁっ、……はぁっ!! っあぁあぁああ―――!!!」
……まるで、断末魔のような叫び声が響く。
……なんだっつーんだよ。俺は結局誰からも必要とされてねーって言いたかったのかよ、人をバカにすんのもいい加減にしろってんだ!!
気絶した、男物の服を着た髪の長い美少女を睨み付けながら。俺は、訳も分からず泣いていた。
こんな勝利も敗北もない、……損しかない痛み分けの勝負なんて、どんな意味があるっていうんだ。
「くそ……っ!!」
「――――○○くん……?」
不意に微睡んだような声がした。
「っ、馬鹿野郎……っ、バカ……やろぉ……!!!」
恥も外聞もなく俺は、くしゃくしゃになって、彼に……いや、彼女に泣きついていた。
「……ごめん」
謝って欲しかったんじゃない。ただ、モノとしてでもいい。誰かから必要とされたかっただけ。
「そう、やって、アンタは謝って……何がしてぇんだよっ!?
俺の覚悟を弄んで、指差して笑いたかったのかよっ!!?」
「違う―――っ!!!」
さっきとは違うトーンの"同じ声"が響く。そして、再び俺は押し倒された。
「っ、なにしやがるっ!!?」
「………僕は"キミ"を自由にしていいんだよね?」
そして、さっきと同じ問い掛け。
………そして、塞がれる唇。
「んぅっ……!!?」
卑猥な湿り気を含んだ音が響く。その音が俺から言葉を奪っていく気がした。
初めてのキスの相手が同性なんて……。そう思った刹那に、勝者の唇が離れ……綺麗な笑顔が俺の視界に入り込んでくる。
「今日は、これだけ」
「……ふぇ?」
―――"その先"のこともするんだとばかり思っていた俺に、肩透かしな一言。
「"キミ"をもっと知りたくなった」
「なん、だよ……それっ!?」
バカにしてんのかよっ!!?
……そう言い繋ごうとした矢先に、彼女が凛々しい表情をするもんだから……声が上手く喉から出てこない。
「この場で男と女してのセックスをして……はいサヨナラなんて、いやだ」
「っ、ワケわかんねぇよっ!!?」
「―――付き合って、ください」
その真剣な眼差しと、言葉が、俺から再び全ての言葉を奪い去る。失語症患者の気分だった。
「……俺は、負けたんだから。好きにしろよ、バカ」
そう言うのが……精一杯だった。
『にわにはにわ』
そんなサイトを知ってるか?
そこには、色んな思いを持って女体化症候群と向き合う奴らが居る。
男に固執する奴、面白半分な奴、ただ女とヤリたいやつ。
まぁ、大半がそんな連中かもしんねぇけどよ。
中には、純粋な思いを持ってる奴だって居ると思うんだ。
こんな支離滅裂な病気に振り回されるなんて、厄介なだけって最初は思った。
けど、決して悪いことじゃないんだって、今なら思えるから。
俺にだって、後先の希望を与えてくれる人を見つけられたから。
ただ、ここでの勝負には相応の覚悟を持ってけよ?
……そんな甘い考えじゃ、汚れにまみれるだけになるぞ?
『にわにはにわ』
―――完。
最終更新:2009年06月10日 02:04