~[[青色通知]]9.0(電話口の場合)~
『…………はい』
―――もしもし。俺だけど。
『振り込め詐欺ですか?』
……陸だ。そもそも画面に俺の番号出るだろが。
『……で、何の用?』
悪ぃんだけど、明日、学校サボるわ。テキトーに誤魔化しといてくれねぇか?
どうも今日中に帰れそうにねぇ場所でよ。
『……遭難でもしたの?』
いンや、至ってフツーの住宅街。
つっても京在線の天海っつーとこらしいが。
『遠っ!? ……って、るいちゃんは?』
あぁ、今は寝てる。泣き疲れたのと、しがみつき疲れたんだろ。
『ち、ちょっと何したの!?』
相当飛ばしたし、容赦無かったもんなぁ、俺の攻め方は。
『っ、お、女の子には優しくしなよ! その、一人の時とは勝手が違うの知ってるでしょ!!』
まぁ、そうだろーけどよ。お前との時は全然大丈夫だったろーが。
『よ、よくそんな恥ずかしげもなく言えるねぇ……』
何怒ってんだよ?
いつものことだろ。男はそれくらいが丁度良いっつったのは、どこの誰だ?
『誰よ?』
……お前だろーが。
『……そんな下品なこと、私言いません』
下品? 野暮ったいコト言うんじゃねぇよ。お前も気持ちいいっつってたじゃねーか?
『減点12000点』
はぁっ!? 麻雀かっつの!!
『わざわざ告白してきた女の子に、そんなこと言うなんて最低だっ!! 陸のヘンタイっ!! 死んじゃえばかっ!!!』
おいっ、ちょっ、待て、待てっつの!!!
『―――ブツッ、ツッ、プーッ、プーッ、プーッ………』
…………切られた。
流石に、タイミングが悪かったか?
いや今のは俺、悪くねぇだろ。
単にバイクでるいを連れてった話をしただけじゃねぇか。
何怒ってんだ、初紀のヤツ……。
まさか………。
……………初潮か?
~青色通知9.0(電話口の場合)~
~青色通知9.1(陸の場合)~
迂闊だった。
『頭に血が上ったまんま行動すんな』って、中坊の頃から初紀に口酸っぱく言われてきたのに。
なんで、こんなトコに居るんだ俺は。
……いや、"俺達"は。
モトを正せば、死んじまったオヤジから譲り受けた秘蔵っ子のバイクを引っ張り出して、下道をスッ飛ばしたからなんだが。
サーキットで何度となく運転はしてっから、腕には覚えはある。
けど、それは小さな問題。
もっと大きな問題点はそこじゃなかった。
バイク、ガス欠。
財布、金欠。
間に合わぬ、明日(あす)の出欠。
……ラッパーか俺は。
阿呆なこと抜かす余裕はまだ欠いちゃいないらしいんだな、うん。そういうことにしておこう。
―――とにかく。俺の金も、るいの精神力も底を突きかけて、途方に暮れてた。
もし、るいが通知受取人の証書を持ってなかったら、マジで野宿だったかもしれねぇな……。
……上着のポケットから、あの"文庫本"を取り出す。
るいが教えてくれた、この本のタイトル。
―――群青の蝸牛。
……悪かったな、こんな字も読めなくて。活字慣れしてねぇんだよ、畜生。
もう、るいに十二分に詰られてんだ、そんな目で見んなっての。
誰かに見られてる気がして、何となく独り言い訳をしてみる。
―――兎に角、この本に書いてあったことはやっぱり事実らしい。
るいもそれを知っていたみたいだが、気が動転して、すっぽり頭から抜け落ちてたみてぇだ。良かった、俺が気付いて。
まぁ、タダで宿が取れるのは通知受取人が"10代の男を同伴した際に一個室(ダブルベッド限定)のみ"なんだが。
……端から見りゃ、そりゃエロいことするためだから泊まるんだって体裁になるのは分かるが……。だからってガン見し過ぎだろフロント。
実際にヤるわけじゃねぇんだから、ビジネスホテルだろうと問題ねぇんだし。
―――当の通知受取人は、しゃくりを上げながらベッドに横たわると、すぐに寝ちまった。
ホントの泣き寝入りなんざ初めて見た気がする。
「……ったく、髪くらい下ろしゃいいのによ」
青いリボンでまとめたポニーテールに触れようとして、手が止まる。なんか、今はそれに触れちゃならないような気がしたから。
るいの心身が疲れ果ててるのは見りゃ分かる。……あんな事があった後じゃ尚更だ。
一人で眠るには広いダブルベッドを横切るように、ホントに無防備な寝姿を晒す、るい。
「すぅ……すぅ……」
くそっ、気持ちよさそうな寝息立てやがって。コイツの頭には"俺に犯される"っつー危惧はこれっぽっちもねぇのかよ。
信用されてんのか、嘗められてんのか、どっちにしろ気分はよろしくはない。
―――自分がフッた野郎と一晩同じ部屋で過ごすってのによ。
もちろん、るいを犯すつもりは無い。そんな無様な真似してまで男っつう性に縋るつもりもない。
いや、そりゃ俺だって……るいとしてぇけどさ。……なんか違うんだよ、無理矢理ってのは。
でも、こうもるいが俺のことを"男"として見てくれないのは複雑だ。
今、話題の草食系男子か俺は。
いや、単にガキなだけか。恋と……その、肉体的な繋がりを、別々に考えられねぇだけの。
……はぁ、ヤメだヤメ。これ以上慣れない頭を使うと爆発して脳みそが飛び散りそうだ。
………あ、そうだ。この分じゃ明日学校には間に合いそうもねぇし、初紀に連絡しとくか。
……………………………。
一方的に電話を切られたが、何とか要件は初紀に伝わった……だろう。多分。……はぁ、何だ今日は。厄日か?
とりあえず今のところは寝よう。
今日は色々ありすぎたせいか、目は冴えている。が、このままじゃカラダが保たない気がする。
備え付けの妙に硬いソファに寝転がって、るいを見やる。……るいの少し短いスカートから綺麗な脚と白いパン……っ!!?
「だぁぁああ、もうっ!」
頭に降りかかる邪念を大袈裟な首振りで払いのけ、着ていた制服の上着を脱ぎ、それをるいの腰あたりに掛けてやる。
……ったく、無防備にも程があるだろうがっ!
頭に降りかかる邪念を大袈裟な首振りで払いのけ、着ていた制服の上着を脱ぎ、それをるいの腰あたりに掛けてやる。
……ったく、無防備にも程があるだろうがっ!
また、ソファに寝転がる、が。
何だか僅かに残っていた眠気が今の騒ぎで飛んじまったらしい。……部屋の電気を切ってみても、何度となく寝位置を変えてみても、何の効果も無かった。
―――………思えば、ここ数週間で色んなことがあったんだよなぁ。
初紀が女になったり、
俺に青色通知が来たり、
るいを好きになったり、
初紀と予行デートしたり、
初紀にエロいことされたり、
初紀に告白されたり、
るいの過去を知ったり、
るいをバイクで連れ出したり……
そして…………
……………ハルさんと出会って。
…………
………
……
「ハルさんが、い、生きてる……? て、適当なこと、言わないでよ……」
るいの震えた高い声が閑静な住宅街に消えていく。
全く"ハルさん"のことを知らない俺が言ったとしても説得力は皆無の筈なのに、だ。
それだけ、るいは"ハルさん"に依存して生きてきたんだろう、それが、つい数日前まで赤の他人だった俺にすら手に取るように分かるくらいに。
「……何を根拠にそんなこというのかなぁっ!? ねぇ、ひーちゃんッ!!!」
ヒト一人を血祭り上げられそうな眼力で俺を睨みつける、るい。
身長は、るいよりも10センチは上な筈なのに、何故か気圧されてしまう俺。
「あ、あくまでも、仮定の話だって言っただろうが! 落ち着けっての!」
「……わかったよ。確かめよう? そんな見え透いた希望チラつかせてまで私が欲しいって言うんなら!!」
「るいっ?!」
案の定、るいは頭に血が上っていた。いつもの持ち前の冷静な判断力は"ハルさん"の前じゃ何の効果もないらしい。
るいは、一目散に"ハルさん"の居たアパートへ駆け出していく。
……ある意味、そこまで人を好きになれる真っ直ぐなるいが羨ましくもあった。
……って、ンなのんびり静観してる場合か!?
慌ててバイクからキーを抜き取って、荷物入れから"あるもの"を取り出してから、上下に揺れる小さなポニーテールを追う。
……くそっ、るいの奴、野球やってただけあって足速えっ!!
「おいっ、待てっつの、バカるいっ!」
「バカって言った方がバカなんだよっ!」
はぁ、こんなんじゃ先が思いやられる。るいの奴、勢い余って誰か殺しかねねぇような形相してんもんなぁ……。
……まぁ、そうなったら俺が止めるっきゃねぇよな。これも惚れた弱みってヤツか?
だが意外なコトに、るいは一階部分の一番奥の部屋の前でキチンと俺を待っていてくれた。
一人で先走るとばっか思ってたのに。
「……なによ」
やばい。るいが喧嘩腰に睨みつけるモンだから、つい睨み返しちまった。
こんなとこまでわざわざ喧嘩しに来たわけじゃねぇだろ、落ち着けって俺。
「勝手に突っ走るかと思ったら、結構冷静じゃねーかよ」
「……ひーちゃんが居なきゃ意味ないでしょ……?
……証明してやるんだから。ひーちゃんが言ったことなんて、所詮は机上の空論なんだって、絶対証明してやるんだからッ!」
「……なぁ。まるで、ハルさんが死んでて欲しいみてぇな口振りだな」
「っ!」
俺自身は、るいを責めるつもりは毛頭無かったんだ。率直な感想を述べただけだったンだが……どうやら地雷を踏んじまったらしい。
「……だって、何でそんなことする必要があったの? 死んだって嘘吐いてまで、どうして私の前から居なくなったのっ!? 一緒だった時は……ハルさん、そんな素振り見せなかったのに……!
そんなの、納得できないよ! 納得なんかしたくないよっ!!」
るいが今にも泣き出しそうな顔をして必死に訴えてきた。……そりゃ、そうか。
るいからしてみれば"亡くなった"しか、ハルさんが自分から離れる理由が無いんだろう。彼女が生きてるとなると、新たな疑問が浮かぶ。
―――何故、るいを遠ざけたのか?
なんとなくだけど、一個だけ思いつく理由があるが、それは―――。
「―――こんなとこでウダウダしてねぇで、確かめよう。俺の考えがハズレなら、それでいい」
るいは、目頭を手の甲で乱暴に擦りながら、俺に背を向ける。
「………ここ、アパートの管理人室なんだ。管理人さんなら、もしかしたらハルさんの実家とか、お墓の場所を知ってるかもしれない」
管理人室のインターフォンボタンに、るいの細い人差し指が伸びる。あと数ミリで、事の真相が明らかになるんだ。
願わくば、るいが傷付かないことを。そう思い、俺は瞼に精一杯の力を入れて祈る。
―――その瞬間だった。
『るい………ちゃん?』
俺には、聞き慣れない女性の声が背中に響く。でも、それは、るいには聞き覚えのある声だったらしい。
るいの瞳孔が一回りも二回りも大きくなっていて。
―――そのまま、時が止まってしまったような錯覚に陥った。
~青色通知9.1(陸の場合)~
~青色通知9.2(るいの場合)~
アパートの駐輪場から差し込む街灯の光に、浮かぶ影が三つ。
一つは、私のもの。
一つは、私をここまで連れてきたお節介な男の子のもの。
もう一つは……、私とおんなじ青いリボンで、おさげに結った髪が似合う―――ホントなら、ここに"居るはずのない"女性のもの。
頭の中から溢れ出る数多くの疑問符を言葉に出来ない。
一時的に、私は失語症を患ったみたいだった。
言いたいことや訊きたいことは一日じゃ語り尽くせない位に一杯あるはずなのに。
それを一遍に吐き出そうとしたせいか、私の喉らへんで言葉が大渋滞を起こしていて……その内に頭が真っ白になっていく。
―――ほら、例えば。
"カラオケに行きたい!"って強く思ってるとさ、思わず歌いたい歌を小声で口ずさんだりしない?
で、いざカラオケに行ったら、何でか分からないけど、歌いたかった歌の大半が思い出せなくなっちゃたりしない?
……それで伝わるかどうか自信ないけど、とにかく、そんな感覚に近いものだよね、きっと。
飽和状態の頭が、考えることや感じることを放棄してる。
嘘だ、こんなの絶対嘘に決まってる。
どうしよう、私。
どうしたらいいんだろう。
一所懸命に言葉を取り繕おうと、脳みそに鞭打っても、何の言葉も出てこなくて。……自分のボキャ貧さ加減に絶望するしか出来なくて。
「あ、の、そのっ、えぇと―――」
「―――"有島 美春"さん、ッスね」
言いたいことすら言えない私に痺れを切らしたのか、陸が横槍を入れてくる。
……って、ちょっと待って。なんで"ハルさん"の本名を陸が知ってるの?!
私は、"ハルさん"の本名を、陸はおろか初紀ちゃんを始めとする他人に話したことは一度もないはずなのに……。
「君は―――るいちゃんの彼氏?」
「単なるダチッス」
陸は持ち前の律儀さでハルさんの質問を即座に否定する。
……こういう彼の姿を見てしまうとホントに私のことが好きなのかどうか、ちょっと疑わしく思えてしまう。
「るいの話に合点が行かなくて、事実を確かめるために連れてきました。
……やっぱ生きてたんスね。
コイツ、アンタが亡くなったってコト、信じて疑わなかったンスよ?」
陸が、どこか上擦ったような声でハルさんを詰る。
感情や言葉が上手く表せられない私の代わりに、陸は―――これ以上無いほどに怒ってる。
キレて殴りかかるコトとは全く違う……静かな怒りのベクトルの全てを、ハルさんに向けていた。
「……なんで、もっと上手く隠そうしなかったンスか?
"生前"と同じアパートに戻りゃあ、アシがつくコトくらい分かりますよね」
「………」
「―――ワザとですか? こんな"本"を出すくらいッスから」
上着のポケットを弄って小さな文庫本を取り出し、それを私に投げ渡す陸。そこに書かれたタイトルは―――
「"群青の蝸牛"?」
著者は――――"有島 美春"。
間違いなく、ハルさんのことだ。
「なに、これ……っ!?」
慌ててページを捲っていく。巻頭から中盤までは青色通知や通知受取人の基本的なコトや、ちょっとした裏事情が事細かに書かれていた。
―――問題は、その次。
"異性化疾患・発症の具体例"という項目。
そこには著者が実際に接触したとされる"青色通知を送られた"人の例が事細かに載っていた。
……その中には、私と思しき例も載っていたのだ。
『プロ野球を目指していた、僅か12歳の少年が発症し、食い止められなかった
』という実例として。
それは……つまり。その、えっと……。
「……さて、と。
るい。俺がやれンのはここまでだ」
「えっ?」
陸は、踵を返していた。
「ちょ、っと、待っ―――」
「―――後は、てめぇでケリ着けろ」
………やだ、やだやだやだ、行かないでっ!
今まで、うざったかった筈の他人の厚意が無くなるのが凄く怖くなった。
違う、"他人"じゃない。陸だから、怖くなったんだ。
これから浴びせられるだろう言葉に耐えられる強さなんか、私は何一つ持ってない。
なのに私一人で、どうやって事実を受け止めたらいいのか分からない……。
「…………っ」
そのまま立ち去ろうとする陸の制服の袖を必死で掴んで、私は言葉に出せない形で懇願する。
こんなことしたって陸に手を振り払われるのがオチなのに。
そう思った刹那―――。
「あ……―――」
ポニーテールに揺った頭に、少しゴツゴツした手が触れる。
「………」
「ひーちゃん……?」
陸が、震えた手で私の頭を撫でてくれた。……あったかい。
―――あぁ……そっか。
「……うん」
―――陸は、私を信じてくれてるんだ。なら、応えなきゃ。
だから、私は頷いた。
だから、私は―――アパートの階段を降りていく"友達"の背中を見送る。
………そして。
「……お久しぶりです。ハルさん」
私は、彼女に向き直った。
「いい友達だね。……"ひーちゃん"だっけ?」
事の次第を見守っていたハルさんが、口を開く。
その彼女の穏やかな口調は、私達の間にある過去なんて初めからなかったものみたいに思える。
「……はい。自慢の"友達"です」
私は笑顔で応える。それは今まで他人に浮かべていたような……切り貼りしたような笑いじゃなくて。
「ちょーっと鈍感で、デリカシーに大いに欠けまけどね」
「くすっ、それっぽいよね。
……るいちゃん、可愛くなったね」
「ハルさんは、相変わらず綺麗です」
「ありがと、お世辞でも……嬉しい」
お互いに何年も……ずっとずっと、忘れてた笑み。
でも、それも長くは続かない。わかってたけど、ちょっと寂しい。
「……さ、いいよ。準備出来た」
笑みは消える。
女の子の私は置いていこう。さぁ、帰ってこい……ボク。
「―――なんだよ。なんでだよ……っ、なんでボクの前から、居なくなったりしたんだよっ!!?」
「君が邪魔だったからだよ」
「――――っ!!」
淀むことなく、ハルさんは言い切った。……今は傷付いてる場合じゃない、進むんだ。
「なら、どうしてそう言わなかったんだよ……?!」
「君が子供だったからだよ。そう言ったとして、るいちゃんは聞いた?」
「………」
「答えられないってことは、自信ないんでしょ? ほら、私は間違ってなかったんだよ」
「……騙したんですか?」
「平たく言えばね。うん、否定はしないよ」
なんで、そんなに辛辣な言葉をぶつけられるのだろう。この人は……そんなコトを軽々しく言う人じゃなかったのに……。
ホントに、騙されてたのか……ボクは。
「もう、いい? 私、明日早いんだ」
「……まだです」
「しつこいね、るいちゃん」
「前から判ってたことでしょう? ボクが意地っ張りだって、そうじゃなきゃ女になってないですよ」
「あははははっ、そうだね。私達もこんな関係になんかなってないよねっ!」
ハルさんは心底愉快そうに笑う。
いや、違う。悪意を絞り出すように、懸命に笑っているだけ。
……それも間を繋ぐだけのものだから、長くは続かない。
彼女はひとしきり笑い終えると、ふう、と溜め息をついた。
「……帰ってよ、るいちゃんは私の人生に必要なヒトじゃないの」
「………どうして? もうるいちゃんには私は必要ないじゃない?!」
「お、お願いだから、帰って……」
ボクが黙る時間が長くなるにつれ、だんだんと言葉に余裕が無くなるハルさんを見ていて、ふと気付く。
なんでボク、こんなに心が落ち着いてるんだろう。
あんなに恐れていたハルさんの言葉が、薄っぺらく感じる。
「重荷だったんですよね、ボクが―――」
「―――そうだよっ!! 私はるいちゃんが重荷になったんだっ!!! だから遠ざけたっ!!! それだけだよっ!!!!」
「じゃあ、なんで。わざわざこんな本を出したりしたんですか?」
「それは……単にお金が欲しかっただけ―――」
言葉は、真実だけを語るだけのものじゃない。陸や初紀ちゃんと出会って学んだこと。
ヒトを思いやるがあまりに、自分の身を削って放(ひ)り出す嘘。自分を護るために、致し方なく吐き出す嘘。
それらが折り混ざったような嘘を、この数日で沢山見てきた。……十重二十重に張り巡らした理由が、吐き出させる嘘を。
―――だから。ハルさんも、きっとそうなんだって思うんだ。
だから……ボクは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめん、ハルさん」
「……何が、かな?」
「―――ボクは今、通知受取人をしてるんだ」
彼女の目が、ビー玉みたいに丸くなるのが、暗がりでも手に取るようにわかる。
「……ハルさんの言った通りだったよ。
想いがないえっちなんて、生温くて、気持ち悪い感覚が肌を這うだけで―――気持ちよくなんて無かった。
何度したって結果はおんなじで、後悔と自己嫌悪の繰り返しでさ。
そんな、ハルさんから間借りしたような大義名分を翳したところで、後ろめたさは全然消えなくて、それで国からお金を貰っても―――」
「―――やめてっ!!
……も、やめて……ぇ」
耳を塞いで、悲鳴でボクの言葉を遮る。
その消え入りそうな泣き声は、確かにボクの知ってるハルさんのもので、不謹慎ながらも安心してしまう。
……やっぱり、ハルさんは自分と同じ道を歩ませないために、ボクを遠ざけたんだ。
「……こんなに早く、るいちゃんが来るなんて思わなかった。
るいちゃんが、通知受取人になってるなんて知らなかったっ!
いつか、時が来たら"ごめんなさい"って謝りたかったっ!!」
「―――そんなの、もういいよ」
あなたに嫌われたからじゃないんだから。あなたが生きていたのだから。
だからハルさん。ボクと……。
……そう、彼女に手を伸ばそうとした矢先だった。
「―――私、結婚するんだよっ!?」
……思わぬハルさんの言葉に、思考が、凍りつく。
「……るいちゃんに、手紙書いたよね。そこにも一個、嘘があったんだ。ううん、結果的に嘘になった言うのかな……。
"私が好きな人が異性化疾患を苦に命を絶った"って。
……結局、目を覚ましたの。
あの手紙を管理人さんに渡したその日に―――。
だから、その人と同性婚が認められる国に行って……結婚するつもり。
……だから。るいちゃんに許される資格なんて、私にはない……っ!!」
なんだよ、それ。
……じゃあ、ボクは何のために通知受取人なんてしてきたの?
ハルさんの信念を継いだボクの努力は全部……単なる一人相撲だったってこと?
……なぁんだ。
「は、っ、ははは……あは……はははは……あーっはははははっ!」
笑った。精一杯に嘲た。表向きにはハルさんを。本当は――――。
「マヌケとしか言いようがないなぁ、ちょーっと演技したら全部白状しちゃうんですね、ハルさんって?」
「……るい、ちゃん……?」
小馬鹿にするように、私は崩れ落ちたハルさんを見下して笑う。
「今の、嘘ですよ。見ず知らずの男に抱かれる通知受取人なんて汚い仕事、真っ平ゴメンですからねぇ」
「―――っ!!」
「あははっ、これで嘘ついたのも、おあいこですよね?
―――正直、もうどうでも良かったんです、ハルさんのことなんて」
目を逸らすな、穢れを見るような目を忘れるな。思考を冷やせ。感情を捨てろ。
「ひーちゃんが勘違いして無理矢理に私を連れてこなければ、アナタに会うつもりも、アナタのお墓を訪れるつもりもなかったし。
せっかく逢えたんだから、同情で話を合わせたら、ハルさんは未だに自惚れてるみたいだし?
……あーあ、やだやだ。
もう何年経ったと思ってるんですか? そんな事で足踏みしてられるほど、"私"の人生ヒマじゃないんですよ」
「……るいちゃ―――?」
「―――馴れ馴れしく名前、呼ばないでくれますか? さっき言われた言葉、私も同感なんで」
「え………」
「ハルさんは、私の人生に必要なヒトじゃないんです」
"私"は、許しを乞うように跪くハルさんに背を向ける。
明らかな、あからさまな拒絶の意思表示を込めて。
「あ、そうだ。もう会うことないでしょうし、ちょっと早いかもしれないけどこれだけは言っておきます。
"ご結婚おめでとうございます、末永く、お幸せに"」
もう、顔を見られたくもなかった。
早く私のことなんか忘れてしまえ。
ハルさんなんかに、私のことを覚えていて欲しくない。
だから、もう一分一秒たりとも此処に居たくないし、居ちゃダメだ。
「じゃ。ばいばい、"ハルさん"」
私は小馬鹿にするような口調で、アパートの階段をゆっくりと下りる。
「…………」
……縋るような呼び止めの声はない、当たり前のことだけど。
ハルさんに吐かれた二つの嘘に、私は二つの嘘で返した。それでおしまい。
我ながら単純な報復だな、って反省しつつも、"あースッキリした"って思っている幼稚な自分に、心のどこかで苦笑してしまう。
階段を降りきっで、砂利道を抜けて、角を曲がった所に……陸が居る。
バイクに寄りかかって、腕を組んで、私を待ってくれていた。それが、何故か単純に嬉しい。
……こんな予想外のトラブルに巻き込んだ張本人なのにね。
「ひーちゃん!」
呼びかけても返事はない。
「どしたの? あ、トイレなら我慢しなくてイイから行ってきなよ?」
やはり返事はない。
「ほらほらぁ、どうしたのかな?
黙ってちゃわかんないぞー?
おねーさんに話してみなさい!
なんで、ずっとだんまりなのかな?
何か言っ、たらどう?」
あれ、何か……目が霞む。俯いた陸の顔が、上手く読みとれない。
「ひーちゃんの、お望み通り、ケリ、着け、た、んだよ?
………っく、だからっ、もうっ、へいき、……っ!?」
「無理すんな」
そう言った陸の両腕が、私の肩を包み込む。
そのあったかい腕が、意図的に凍り付かせていた心を無理矢理に溶かしていくような気がした。
「~~~っ!
っく……離せっ、離してよぉっ! 優しくするな……優しぐ、ひっく、……するなぁ……っ!!」
……優しく抱き止められることの暖かさが怖くて、私は陸の胸を何度も何度も叩いて拒絶してるのに、彼はその腕を緩めようとはしてくれなかった。
「は、反則だよ、こん……なの……っ!!」
「あぁ、反則だ。だから今は俺を利用するだけでいい」
―――あぁ、……もうダメ。
心の裏側が、小さく軋んだ気がする。
「……ひーちゃんの、っく、ばか……っ!
ほっと……いてよ……。やさ……しぐっ、するなぁ……
……うっ、ひっく、ぐす……っ
……うわぁああぁあああっ!!!
うぅ……、ひっく、……え……ぅっ……」
理性とは関係なく、私は小さな子供みたいに陸の胸に縋りついて……わんわんと泣いていた。
―――過去に、泣きじゃくる私を抱き留めてくれたヒト。
その大好きだったヒトに別れを告げる痛みを忘れるためだけに、ただひたすらに泣き続けた……。
涙が一粒溢れ出る度に、大好きだったヒトとの大切な思い出から色彩が消えていく。
私の髪を結わう青いリボンをくれたハルさんとの思い出が。
しっかり者に見えて実は料理が上手くないハルさんとの思い出が。
苦い焼き魚を二人で分けて"おいしくないね"って笑いあって……それでも何とか平らげたハルさんとの思い出が。
いつか、自分があなたを守ると誓い、困らせたハルさんとの思い出が。
……やがて、完全に色彩を失った記憶は波長の合わないテレビみたいにノイズ混じりになっていき……
……それは完全なノイズの砂嵐に消えた。
――――ただ単にハルさんに見捨てられただけなら、まだ気も楽だった。
でも、そうじゃない。
ハルさんも十二分に苦しんだ。自分が好きなヒトと、自分が好いたヒトを天秤にかけさせられ、苦渋の決断を強いられた。
陸とハルさんを天秤にかけた私が言えた義理じゃない。
……それに、居なくなるだけなら私に黙っていても出来た。
それなのに何故、わざわざ自分を"殺した"かも、今なら見当がつく。
間違いなく……私を守るためだ。
……通知受取人の『悪習』から。
だからハルさんを責めるなんてことは、私には出来ない。
―――それを知ってか知らずか、陸は……いくら私が泣きじゃくってもハルさんの悪口を言うことはなかった。
ただ、必死に陸の胸にしがみつく私の頭を黙って撫でるだけ。
その、腫れ物を触るような震えた陸の手は、今まで触れたどんな手より硬くて、ゴツゴツしてて、ちっとも心地良くない。
こんなの……ただ、ほんのちょっと温かいだけ。
「……もう、いいか」
「ふ、ぇ……?」
突然、陸の言葉の意味を理解する間もないまま、私はその温もりから引き離される。
恐る恐る顔を上げた私の視界に映るのは、どこか苦しそうに目を伏せた温もりも持ち主。
「―――俺、ダメだ。サイテーだ。
……さっきはカッコつけて"満足だ"なんて言っちまったけど、このままじゃ、俺……もっと望んじまいそうなんだ」
今にも泣き出しそうな――そんな苦しそうな表情が目に映る。
「……悪ぃ。るいの弱みに突け込んどいて、勝手なこと言ってンのは分かってるつもりだ。
でも、俺のことを好きじゃねぇなら、もう……離れてくれ」
抱き締めたり、突き放したり……どこまで私の心を掻き乱すつもりなんだろう。
……もう少しで、私はキミのものになるかもしれなかったのに。
「ほんと……バカだよね。ひーちゃんって」
私は涙を拭いながら陸から離れ、彼ののバカ正直さ加減を笑う。
だって、そうでもしなきゃ私は……今度は彼を利用しちゃう気がしたから。
そんなの、私が私を許せない。
「うるせぇよ。……分かってら」
そして、陸よりも私の方がバカだ。
今まで通りに、狡い手段に徹していれば初めて好きになった男の子を、恋人に出来たのに。
あーあ。……あの子のお人好しが、私にも伝染っちゃったのかな。
でも、最後にちょっとだけズルしちゃおう。
ホントに、これが最後だから。
私は、口紅の仕上げのように唇を軽く合わせる。そして―――
「……ひーちゃん。ありがと」
「な―――っ!?」
陸が二の句を繋ぐ前に、私は少し高い彼の口を目掛けて背伸びをして―――湿らせた唇で塞いであげる。
……肌で感じた体温と同じで、陸の唇は温かだった。
―――どれだけの時間が経っただろう。そう思い、踵を下ろして唇を離す。
ゆっくりと離れた唇が外気に触れてひんやりしている。
目の前には恍惚とした陸の顔。
「ぷはっ……あははっ、ひーちゃん真っ赤っかだ!」
「な、ななな、なにしてんだよっ!?」
「キス」
「ンなこたわぁってンだよっ!」
「じゃあ、いいんじゃない?」
「よよよ良くねぇよっ!!」
漸く我に返った陸は酷く動揺していて、そのあからさまな慌て方が、なんだか子供っぽくて可愛らしい。……とか言ったら怒るんだろうな。
なんだか、その様を想像するだけで愛おしく感じてしまう私が居て……。
……でも、やっぱり陸は私の居場所じゃないんだ。
だって。この居場所は……あの子のものだから。
自分よりも、想い人の幸せを切に願えるココロをもった……あの子の。
「……ごめん。
私、ひーちゃんの望みには、応えられそうにないや。
だから……今のは、そのお詫びと……こんな私を慰めてくれた……"友達"としてのお礼、だよ」
これでいい。
結局は、私は今まで同じく通知受取人として生きてくしか道は残されていないんだ。
だって……私が、その道に足を踏み入れた時から決まっていたことだから。
そんな女を恋人にして、好きな人を思い悩ませるくらいなら、いっそ。
「……」
「あーもう、そんな顔しないでよ! これでもファーストキスなんだぞっ!」
「………」
「通知受取人の"お仕事"でだって、キスなんかしたことないんだよ? ……ホントなんだからねっ」
「…………」
「だから、ごめん。……ひーちゃんとは付き合えない」
あれこれと言い訳したところで、何にも変わりはしないことくらい分かってる。
私は一時の感傷に身を任せ――陸の優しさに突け込んで、甘えて、……利用したんだ。
いくら彼が了承したって、お詫びにキスしたって、それは赦されることじゃない。
私が陸の立場だったら、絶対に怒ってる。それくらいの卑怯なことを私はしたんだ。
……でも。
「漸く、るいから返事が聴けた。2、3日前からじゃ、考えもしなかったのにな」
何かの憑き物が落ちたような晴れやかな表情を浮かべる陸がそこに居た。
「怒って……ないの?」
「そりゃ、付き合えねぇのは残念だけどよ。フられたとはいえ好きな人間に、その……キスされるなんてことは滅多に無ぇことだろーが。
素直に喜びこそしても、なんでダチに怒りを向けなきゃなんねぇんだ?」
そう言って、陸はまた笑う。
……ホント、お人好しなんだから。
だから、かな。急に陸が羨ましく思えてきて思わず呟く。
「……私も、ひーちゃんみたいな考え方が出来たら、少しは変われたのかな」
陸は、私の言葉が気に入らないのか、怪訝そうな顔した。
「なぁ、るい。よくわかんねぇけどさ、自分一人で自分が出来上がるほど、人間ってのは完璧な生き物なのか?」
「えっ?」
「きっと、そうじゃねぇよ。
だからお前の周りには、俺とか、初紀とか、ハルさんとかが居て……そりゃあ、面倒だったり煩わしいことは山ほどあったかもしんねぇけどよ……楽しいことだって、学んだことだって、少しはあっただろ?
今までがそうだったんなら、これからだって、きっと変わっていける。
その中で、俺や、初紀や、るいが変わらないでいいものを探してけばいいんじゃねぇか?」
―――あぁ、そっか。
……陸にはホント、敵わないな。
今までの私なら、お節介だなんだって突っぱねた言葉のはずなのに。
それを今は何の抵抗もなく受け入れることが出来るなんて。
「……ありがと、なんかすっきりした」
「……ま、死んじまった親父の受け売りだけどな」
「ひーちゃんの、おとーさんが……?」
「でも、そんな偉そうなこと言っときながら、さっさと死んじまうんだもんな。
どんなカタチであれ、生きてる内が華だっつーのによ」
「……ごめん」
何だか、無性に謝りたくなった。
"夢を自分に押し付けた"って勝手な被害妄想を広げて、親を毛嫌いしていた私の生き方を、陸に……謝りたくなった。
「なんでるいが謝ってんだよ?」
多分、陸に他意はないのだろう。ただ、今は居ない父親に対する不満を漏らしただけ。……多分、陸にとってはそれだけなんだよね。
「ううん、なんでもないよ。気にしない気にしない!」
「そか。……何か長くなっちまったな。そんじゃ、帰りますか」
「お願いだから、安全運転でね」
「へいへい」
私達は再びバイクに跨りヘルメットを被る。
陸はキーを回し、手首を捻ってエンジンをかけ―――
―――力強いアイドリング音の末尾には似合わないプスン、という間の抜けた音がした。
「……どしたの?」
「……ヤバい」
陸の切羽詰まった声色に、嫌が応にも高まる緊張感。えっ、なに? この微妙な沈黙……。
「………ガス欠」
「………え」
しばしの静寂。
……散々カッコつけておいて、最後の最後で大ポカをやらかすのは……うん、陸らしいのかもね。
あ、星空が綺麗だ……。
……って、そんな悠長に現実逃避してる場合じゃないない!!
「ど、どどどうするのっ!? 向こうに帰るにしたって、終電に間に合わないよっ!」
「ち、ちょっとコンビニ行ってくる、無人スタンドなら何とかなるだろ?」
「で、でも……こんな時間じゃどこのATMも利用時間外だし……」
「じゃ、どうすりゃいいんだよっ!?」
「逆ギレするなーっ!! そもそもひーちゃんが――――」
「――――!!」
「~~~っ!!」
……こうして、夜は更けていく。
途中で、陸が私の通知受取人証書に気付かなかったら、ホントに野宿するハメになってたかも。
ふぅ、危ない危ない。
―――考えてみれば、"友達"とこうやって言いたい放題の喧嘩したのって、凄く、久しぶりだったな……。
ふとそんなことを、備え付けの寝心地の悪そうな安物ソファで眠る陸に悟られないように、寝たふりをしながら私は感慨深く思い返す。
……その夜は、眠れるはずもなかった。
~青色通知9~
最終更新:2009年10月30日 10:06