青色通知10.0&10.1&10.2

青色通知10.0(初紀の場合)~

 ……眠れなかった。
 昨日の夜から緩い胸の痛みがずっと続いていて、眠りに落ちようと瞼をギュッと閉じても余計に思考が澄み渡るだけで。
 気付いたらカーテンから光が差し込んでいて、霞んだ目でケータイのディスプレイを見やる。……もう、6時過ぎか。
 まだ寝転がっていても問題はない時間だけど。

「………起きよっと」

 自分の意志を口に出し、今更重たくなり始めた瞼を強引にこじ開けて、風呂場に向かう。

「あら、おはようございます、初紀。今日は早いんですね」

 私の気持ちも、時間帯も関係なさそうな屈託のない笑顔で母さんが声を掛けてきた。

「……はよ。シャワー、浴びてくる」
「あっ、着替えはどうしますか?」
「……セーラー服、置いといて」
「はい、わかりました」

 おぼつかない足取りで洗面所に向かい、鏡を見やる。

「……ひどい顔」

 いつか、ガラスのショーケースで自分を見たときと同じ台詞が出てくる。
 それくらいに。泣きはらしたことと、一晩中起きていたことのツケが目の周りにバッチリ残っていた。
 母さんは、気付かないフリをしてくれたのだろうか。

 ……こうして自分の顔を見ると、やっぱり私は母さんの子なんだなって実感する。今の私には、なんとなく母さんの面影があるように見えるから。
 そういえば、陸が母さんを"姉"と見間違えたってこともあったな……その時、ちょっとだけ苛ついたことを覚えてる。
 その時は、何でか分からなかったけど……。


 男だった時から使ってるオレンジ色のブカブカパジャマを脱ぎ捨てると、鏡には女としては未発達(なのかどうかは分からないけど)な線の細いカラダが姿を現す。
 はぁ……るいちゃんみたいなキチンと凹凸のあるカラダがうらやましい。
 そうすれば、陸だって……

 ………。

 ……考えるのやめ。惨めになるだけだよ、こんなの。
 とりあえずシャワーを浴びれば少しは気分も紛れるだろうし。
 そう思って蛇口を捻―――

「―――ひゃう……っ!?」

 冷水を浴びて反射的に出る、間の抜けた甲高い悲鳴。
 あー、もう……何やってるんだろ、私……。


「大丈夫ですかー?」
「なっ、なんでもないっ!」
「そうですか。あ、セーラー服置いておきますね~」
「わ、わかったぁ……」

 どうやら、母さんが制服を置きにきてくれた、丁度そのタイミングで私は声をあげてしまったらしい。

「そういえば、昨日も、初紀の部屋からそんな声が聞こえたような……」
「んな……っ!!?」

 もしかして、母さん聞いてたの!?
 昨日、私がるいちゃんとの"条件"を果たす為にした……その、努力を。

「……くすっ、冗句ですよ」

 イタズラっぽい笑い声の主は、私からのコトの言及を避けるためか、いそいそと洗面所から姿を消した。
 ……本当は全部知ってるんじゃないのか? 母さんは。
 けど、それを確かめる勇気は私には無い……もし、本当に知ってたとしたら……は、恥ずかしくて死んじゃうよ私……。

 沐浴もそこそこにして、私は髪をドライヤーで大雑把に乾かす。
 はぁ、また母さんが用意してくれた下着に苦戦するのか……。

「あれ?」

 この白いブラ、いつもと違って前開きだ。
 ……こんなのがあるなら最初からこっちを用意して欲しかったよ母さん。
 まぁ、文句を言っても始まらない。

 湯冷めしないようにブラウスを着てスカーフを巻いて、ハーフパンツを穿いて、ニーソックスを穿いて、ベレー帽を……………ん?

 ……鏡の中の、女水兵さんを認めた瞬間には、私は悪戯の犯人の元に辿り着いていた。
 犯人は優雅に紅茶を飲んでいた。……和室で。

「―――母さんっ!!!」
「あらあら、よく似合ってますよ。初紀」
「なにコレ!?」
「言われた通りセーラー服ですよ?」

 本物の方じゃないかっ!? いや、どっちも本物なんだけど……。なんていうのか、その……あぁ、イライラするっ!

「だって初紀、お母さんの作ってくれた服……着てくれないんですもの」

 そう言って、意気消沈する母さん。
 あのね母さん、普通の服を縫ってくれれば私だって喜んで着るよ。
 でもね縫う服縫う服コスプレみたいなのばっかりじゃ、そんなの着て表歩けないでしょ?! 私、間違ってるかなぁ……?



「だから、ポーッとしてる今がチャンスかなって思ったんですけど……ホントに着てくれるとは思いませんでした……」
「……母さん?」

 ……表面上は笑顔を取り繕っているけど、母さんの目は笑っては居ない。

「初紀……何かあったのですか? その―――陸くんと」
「―――っ」

 やっぱり、母さんは気付いてたんだ……私の気持ちに。
 でも、気付いたから何になるっていうの? 私はもう、引き返せない場所まで辿り着いてしまったんだ。
 母さんが今更私の気持ちに気付いたからって、何にもならないじゃない。

 るいちゃんは陸が好きで、陸はるいちゃんが好きで。二人が……結ばれて。
 陸が女になる心配なんて、これっぽっちもないんだから。
 陸が幸せなら、私も幸せなんだから。
 ただ、それが無償で手に入らないだけなんだから。

「何もないよ。もし何かあったとしても……母さんにはカンケーない」

 なら、何で私の心はこんなに荒んでいるのだろう。その答えだけが見当たらなくて……。
 心配する母さんの言葉を、戸を閉める音で拒絶することしか出来なくて、そんな自分が歯がゆくて……消えてしまいたい気持ちで一杯になって……自分の部屋に逃げ込む。

 母さんの寄越したセーラー服から学校指定の制服に着替え

 ……私は黙って家を後にした。


―――結局、昨日の電話の通り、陸もるいちゃんも学校に来てなかった。
 一応事前連絡を受けていたから、それとなく休む旨は二人のクラス担任に伝えたけど……。
 陸は……私と同じ思いをしなくて済むんだよね。
 るいちゃんは"条件"を果たしてくれたんだ。……だから私も"条件"を守らなきゃ。
 傘を忘れ、窓の外の怪しい雲行きを心配しながら、そんなことを思う。

「―――御堂」
「………ふぇっ!?」
「御堂……さん、教科書のP.17だよ!」

 急に名前を呼ばれて、何のことか分からずに居ると後ろの席に居る林さん(……だっけ?)が小声で助け舟を出してくれた。
 まだ、私のことを女の子として扱うことになれてないのか、呼び方がどことなくぎこちない。

 教科書P.17……あ、これか。

「はい。x=(2y+3π)の2乗です」

 妙な沈黙。
 あれ。間違えたかな……?
 や、これは比較的単純な問題のはずだけど、え、引っ掛け問題? えっ?

「御堂さんっ、今、日本史だよっ!」
「え……っ、えぇっ!?」

 にわかに巻き起こる笑い声。

「そうだなぁ御堂、そんな風に杉田玄白が理数的に物事を考えられたら、解体新書ももう少し出来がよかったかもしれないな?」
「う、ぅ……すみません。廊下立ってます」
「そんな昭和なノリはいい、早く座りなさい。あと、日本史の教科書を出すように」
「……はい」

 はぁ、何やってるんだろ、私……。
 陸が居たら、真っ先に笑われてたかもなぁ……って、いつまで引き摺れば気が済むんだ私っ!?

「……御堂、何を一人で身悶えしてるんだ?」
「先生には関係ありませんっ!!!」
「そ、そうか……」

 あまりの剣幕だったからか、私の蛮行は不問に処された。……が、周囲の奇異の視線が授業中、チクチク痛かった……。
 ………はぁ。





 ――――気が付くと、四限終了のチャイムが鳴り響いていた。
 普段なら陸と屋上でパンをかじりながらダラダラと喋るのが日課になってる。
 そのせいか、数十分ある休み時間の潰し方も忘れていた。
 一人で屋上でゴロゴロするのも偶にはいいかな、って思った途端に雨が降ってくるし、雷の方がゴロゴロしてるし……はぁ。
 いつまでこんな陰鬱な気持ちに沈んでいればいいんだろう。自分で決めたことなのに。



「御堂さん。ここ、いーい?」

 考えるのが気だるくなってきた、机に突っ伏して眠ってようかな。
 ……そう思った矢先にさっきの林さんを含む3人の女の子が各々可愛らしいお弁当箱を手に持ちながら話しかけてくる。
 まぁ別に、断る理由もないし……。

「う、ん。いいよ?」
「わぁ、ありがとっ」

 あんまり話したことない子達だけど……なんで、そんなに嬉しそうなんだろ。
 まだ、女の子としての感覚に慣れていないだけなのかなぁ……。

「御堂さんって、変わったよねー」

 カラフルなお弁当箱広げる間の話題の矛先は……何故か私に向けられる。


「そうそう、女のコっぽくなったっていうかさ、うん、可愛いっ」

 なんていうか……他人に誉められても実感が湧かないのは何でなんだろ。素直に言葉を受け取れない。

「そ……、かな」
「そーだよっ、前のポニテも、今の短めのストレートも似合ってるしっ」
「えと……その、……あ、ありがと」

 自分が女の子として誉められるのは何となく、くすぐったい。

「くぅっ! なんていうかさ、"萌え"だよね、その仕草その表情! 私の妹にならない? 御堂さんっ!」

 近いっ、林さん、顔近いよ……! なんか、箸で私のこと摘もうとしてるし…っ! 私、もしかしてつまい食いされちゃうの?!

「あ、ぅう……」
「こらこら、御堂さんが困ってるでしょ。……ま、言ってるイミは分からなくないけどね」
「ボーイッシュだった時も可愛かったけど―――」
「―――こら!!」
「あ、ごめん……御堂さん」

 私が女の子になったことに触れるのは、マナー違反だとばかりに林さんが連れの中の一人の子を諌める。
 数日前だったら、傷ついたり戸惑ったりしただろうけど。

「だいじょぶ。怒ってないよ。
 ……それより、多分みんなびっくりしてるよね、いきなり、こんな風になっちゃったっから」

 "こんな風"っていうのは女体化のことではなく、対外的に"自分が女の子として生きていく"っていうことを示すつもりの口調や仕草のこと。
 少なからずクラス内に不安や戸惑いを与えたはずだから。



「……んー、あたし達より女の子っぽいから、それにびっくりはしたよ」
「でも可愛いから許されますっ! それが正義ですから!」
「そうそう、ホント、可愛さなら学年トップクラスの3組の坂城さんに並ぶレベルだし!」

 何故か、るいちゃんの名前が出てきた瞬間に、心臓が高鳴った。

「そんなこと、ないよ。……る……坂城さんのが、全然可愛い」

 るいちゃんとの接点を聞かれるのは流石にまずいと思い、言いかけた言葉を飲み込んで、仕切り直した。
 すると彼女達の話題は、るいちゃんにベクトルが向く。

「んーでもさ。愛想もいいし、いろんな女の子と一緒に居るのを見るけど、偶に凄い遠い目をしてるんだよね、坂城さんって」
「わかるわかる! ちゃんとした表情をしてるのに、すっごい遠い目をしてるっていうか……寂しそうに見えるんだよね」

 ……純粋な女の子の視覚ってホント凄いんだな。私なんかじゃ気付きもしないことをみんなして見抜いてる。

「でも、今の御堂さんもおんなじような顔してる」
「え……?!」

 林さんが、急に真面目な顔をして思いもよらないことを言うものだから、私はつい反射的に手のひらを頬に当てていた。

「そ、そうなのかな……」
「やっぱり、喧嘩友達が居ないと張り合いがない?」
「ち、ちが……っ! 陸はカンケーないよ!」

 急に、陸のことを槍玉に挙げられて、顔が熱くなる……。
 うぅ……、慌てて取り繕ったつもりだけど、何だかみんなして、微笑ましい表情で顔を見合わせながら、頷きあってるよ……。

「でもさ、……ねぇ?」
「うんうん」
「だよねっ」

 な、なんですか皆さん……?


「大丈夫、きっと上手くいくよ!」
「――――っ」

 ………そう、根拠もなくみんなから励まされて、涙が出そうになる。

 確かに周りから見たら、この数週間は陸と過ごすことが多くて、仲も良さそうに映っていたんだろう。

 でも、それは一昨日までの話。

 あの日―――私の部屋で想いと、事実を伝えてから、それは全部壊れちゃったんだから。



「ホント、みんなが想像してるようなのじゃないんだって。
 それにアイツ……坂城さんと付き合ってるし」

 みんなに事実を伝える、というよりも自分に言い聞かせていた。
 もう、望みを持っちゃダメなんだから。

「………それ、ホント?」

 私の言うことが信じられないのか、林さん達は目を丸くしてる。
 ……無理もないか。陸は女の子との接点がホントに少なかったから。

「うん、ちょっと意外だよね。
 だから私、ちょっと陸と距離置こうかな、って思ってる。
 変に誤解されちゃ困るし、坂城さんにも悪いしね」
「……ごめん、無神経なこと言っちゃって」
「だーかーらっ! なんで私が、陸のことを好きだって前提で話が進むのかなぁ。
 そんなドラマやマンガみたいな話、そうそうあるわけないよっ」

 私は努めて明るく言った。

「御堂……さん」

 そのつもりなのに、みんな私を憐れんでいるような視線が突き刺さる。
 ……凄い、居心地が悪い。
 一分一秒とて此処にいたくない。
 こんな、同情を帯びた目で……私を見て欲しくない……!

「……ごめん、なんか体調良くないみたいだから私、帰る」
「あ、ちょっ、御堂さ―――!!?」

 引き戸を閉める音でクラスメイトの当惑と非難の声を遮断する。
 もう休み時間も残り少ないせいか、廊下に残っている生徒もまばらだ。……その間を縫うようにして、昇降口まで駆け抜ける。

 結局、いくら決意したって何も変わりはしなかった。
 るいちゃんに軽蔑され、陸には拒絶されて。
 ……みんな、わかってたはずなのに。陸への気持ちに気付いて、陸の気持ちを打ち明けられた、その日から。
 なのに自分本位な希望的観測で他人を利用して、それをるいちゃんから知らしめられて……勝手に傷付いて。
 意地と道理を通しても、気持ちに整理がつけられないなんて……ホント、最低じゃないか……。

 もう、いい。私の気持ちなんて置いていけ。
 私は、陸が幸せになれるために頑張ってきたんだ。


 今は――それが叶った代償を支払う時なんだ。




 ―――あの時の、ハルさんのことを聞いた時の喫茶店でのるいちゃんとの約束が、脳裏に蘇る。


『……"条件"、ですか?』
『うん、"条件"』

 坂城さんは、湯気も立たなくなったカフェオレを飲み干してから口を開く。

『……ふぅ。
 もし、私と……その、前田くんだっけ? 彼が付き合うことになったら』
『……なったら?』
『御堂さんに、私の"代わり"になってもらおっかな』
『坂城さんの、"代わり"ですか……?』

 坂城さんの言っている意味が、よく分からなかった。坂城さんの代わりって一体、どういうことなんだろう。

『そう、つまり―――御堂さん、キミが私の代わりに"通知受取人"になるってこと』
『――――ッ!!?』

 ……言葉も出なかった。通知受取人になるってことはつまり……私と同じ年頃の不特定多数の男と……肉体的な関係を持つということ。

『なんで、そんな……!?』

『通知受取人にはね、正常に機能する限り……。
 ……つまり、自分が青色通知を受けた誰かしらに求められる限り、それに応えなきゃならない義務が発生するんだよ』

『で、でも、そんなの辞めてしまえば済む話じゃ―――』

『―――コトはそう単純じゃないんだよね。辞める為にはこういう条件が必要になるんだよ?』

 "ホントは部外者に見せちゃダメなんだけど……"。
 そう前置きをして坂城さんは可愛らしいハンドバッグから藍色の冊子を取り出し、蛍光ブルーの付箋紙のついたページを開いて私に手渡した。

 その冒頭には、"通知受取人・辞職、若しくは解雇の例"と書いてある。
 え、と……。

 "以下に該当する者は、通知受取人を辞職する権利、また責務を負うものとする。

  一、三ヶ月以上の通知受取作業が確認されないもの。

  二、死亡したもの。

  三、怪我、疾患により性的接触が半永久的に不可能だと、医療機関から公的に診断されたもの。

  四、該当通知受取人の代役が存在するもの。"



 この下にも、細かい事案が載っているけど、意味が分からないので省略させてもらう。
 けれど、多分一際大きなフォントで載っている上記の例が主な例なのだろう、と勝手に納得しておくことにして……

 ……って、いやいやいや、やっぱり納得出来ないよっ!

『こ、こんなの、理不尽じゃないですかっ!!?』

 別に坂城さんが悪いワケじゃないのに、どうしても彼女を非難するような口振りになってしまう。
 でも、彼女は気にする様子はなく淡々と話を続けた。

『……悪習、悪法に他ならないよこんなの。
 でもね、考えてもみて?
 一時のお小遣い欲しさに、一回だけ通知受取人になって
 "ハイ、お金もらってさようなら"じゃ、いつまで経っても供給する側の人員が安定しないよね。
 もしかしたら通知受取人が一人も居なくなる事態も考えられるんだよ?
 それは、国の対応としては粗末過ぎると思わないかな?』

 感情的になった私とは対照的に、坂城さんはどこまでも冷静だった。
 見た目の可愛さにすっかり騙されてた(と言うと語弊がある)けど、坂城さんって、的確に物事を把握する力があるんだな……。
 確かに、元の性別に固執することは決して悪いことじゃないし、それに対する国の対策は間違ってないのかもしれない。
 ……けれど―――!

『―――納得してないみたいだね』
『………当たり……前ですっ』

 どうして、そんなことをわざわざ法律で押さえつけなきゃいけない?
 ……理屈では分かってる。これ以上の異性化疾患を食い止めるため。
 迅速に、且つ安定した状態で。
 そんなの、わかってるけど……!

『……これがリアルなんだよ、御堂さん。
 こんな身売りまがいな仕事をしながら恋人なんて作る気も起きないし、それに前田くんに対しても失礼だよ』

 諭すように、宥めるように、ゆっくりとした口調で坂城さんは言う。

 ……それじゃあ、このまま陸は……女の子になるしか道は残されていないの?



 ……いや、道はある。

 それは、踏み入るには痛みを伴い……そして、戻ることも許されない茨の道。

 そうだ。道はあるんだ。

 ただ、私が……我が身可愛さに怯えてるだけ。

 ……陸は、私が落ち込んでいた時に身を挺して力になってくれたじゃない。

 それなのに、私だけ逃げるの? 陸を放り出して?

 ……そんなの、ゴメンだ。

『だから、諦め―――』
『――――じゃあ、私が坂城さんの"代わり"になれば……陸と付き合う可能性はあるんですよね?』
『え……っ?』

 坂城さんが発した説得の言葉尻に噛みつくように、私は口を開いた。
 その意志が、決意が、揺らがぬ内に私は二の句を繋ぐ。

『分かりました。その"条件"……引き受けます』

 坂城さんの掲示した"条件"は、明らかに私の頼みを断るための無理難題だって分かっていた。
 だとしても、このまま陸を放っておいたら……陸はきっと後悔する。
 それに、陸だったら……坂城さんが"通知受取人"だって分かっても、きっと受け入れてくれる。

 ならば……後は、私が痛みを受け入れればいいだけだ。

『自己犠牲なんて、美徳じゃないよ?』
『わかってます』
『……きっと、御堂さんは後悔するよ』
『それも、……わかってます』
『じゃあ、なんで?』

 坂城さんの質問は……愚問だった。

『………陸が、好きだからです』

 ……あなたが、ハルさんのことを亡くなっても想い続けているように。
そう付け足そうとして、口を噤む。その言い回しは……あまりに卑怯だ。

『……はぁ、御堂さんって意地っ張りだよね、損だよ? その性格』
『よく、みんなに言われます』
『"みんな"じゃなくて、"好きな人"の間違いでしょ?』
『………』
『あはははっ、赤くなった赤くなった』
『かっ、からかわないでください……っ』




 ―――――
 ――――
 ―――


 気がつくと私は学校の裏門で立ち止まっていた。
 ここは……そう、陸と"予行デート"で待ち合わせた場所。
 髪をまとめて、クラスメイトから服を借りて、アイツのリアクションに一喜一憂してた場所。
 そこに、無意識に来ていたなんて、女々しいにもほどがある。
 陸が聞いたら……"男らしくないぞ"って言って、それにカチンときた私がアイツに蹴りを浴びせる。
 そんなやりとりも……もうないだろう。

 ……震えている? 何を今更足踏みをする必要があるんだ。
 後は、私がるいちゃんの禊ぎになればいい。
 そうすれば陸だってるいちゃんだって……幸せになれるんだ。

 さぁ、どこかのトイレで着替えて市役所に行かなきゃ。

 手続きは多分……そこで行える筈だから。

 ……思い出に縛られたまんまじゃダメなんだよね。

 鉛の鉄球でも括り着けられたような重たい足を引き摺って、私は歩き出………そうとした、その瞬間だった。

「―――初紀ちゃん……っ!」

 不意に呼び止められり振り返る。
 ……そこには、"元"通知受取人になる予定で……陸の恋人が居た。

 私が今、もっとも会わなくちゃいけなくて、もっとも会いたくない人が。

 ……でも、彼女と判別するまでに数秒かかった。
 トレードマークだったポニーテールを下ろした……私と同じような短めのストレートヘアになっていたから。

 私は……恐る恐る"彼女"の名前を呼ぶ。

「………るい、ちゃん?」



  ~青色通知10.0(初紀の場合)~





 ~青色通知10.1(るいの場合)~

「―――んじゃぁ俺、一旦帰るわ。ここでいいのか?」
「うん。……ありがとね、ひーちゃん」
「おうっ」

 私は今まで着ていたツナギとヘルメットを陸に手渡して、陸に頭を下げる。
 彼はヘルメット越しからもわかるような明るい声色で応えてくれた。

「……そのリボン、もうしねえのか?」

 不意に、先程とは打って変わった残念そうな陸の声。
 ……私が髪を下ろしていることが気になったのだろうか。

「うん。捨てはしないけど……コレ着けるの、しばらくはやめよっかなって」

 私がハルさんから貰った青いリボン。それを両手で覆い隠すようにしながら、陸に決意を打ち明ける。
 陸の言葉を借りるなら―――これが、私なりの"ケリの着け方"だから。

「……そか。似合ってたのにな」
「今更そんな風に口説いたって、なんにも出ませんよーだっ。
 ……なんなら、青色通知を再発行してくる? ひーちゃんのお気に入りの髪型で……相手してあげるよ?
 ……こんな風に、ね」

 舌を出しながら、無邪気な悪意を含んだ笑顔で、バイクのグリップを握り締めている陸の腕に胸元を押し当ててみる。

「な……っ!? バカッ! ンなじゃねぇっつのッ!!」

 慌てて私を振り払う陸。
 きっとヘルメットの中はサウナ状態なんだろうな。
 ……くすっ、見た目に寄らず本当に純情だなぁ。かわいいぞ、少年。
 とか言ったらイジけるだろうな、確実に。

「ったく……、じゃあなッ」
「ん、またねっ」

 こうやって陸と話していると、まるで、何年も前から知ってる友達みたいだな……。そう思いながら手を振る。
 真っ黒なバイクのグリップを、陸が勢い良く捻ると、低いアイドリング音と共にその姿を車道へと消す。



………。


「……変わらないね。この町は」


 片田舎とも都会ともつかない半端な町並みを眺めながら、無対象に私は呟いた。
 敢えて対象を限定するなら私自身、かな。
 たった一日、この町から離れていただけなのに何故か妙なノスタルジー。

 ……でも、変わらないのは―――私もか。

 ハルさんのことはショックだったし、直ぐに気持ちの整理をつけられるほど諦めの良い性格をしていないのも確かだけど。

 でも……私や、初紀ちゃんのような異性化疾患の被害者をこれ以上出さない為にも……私は通知受取人であり続ける。

 私が歩いてきた道は……そう簡単に覆せるほど、軽いものを選んだつもりもない。

 だから私は変わらない。

 それが良いことか悪いことかなんて分からないけど、少なくとも他人にそれを揶揄される筋合いだって無いんだから。


 ……さぁ、これからどうしよっかな。

 あ……そういえば、今月はお仕事だなんだって学校の出席日数がまずかった気がする。
 まぁ、今までもこれからも通知受取人として生きていくのだったら学歴なんか関係無いのかもしれないけど。
 ……そんなことで変な噂が立つのも御免だし。

 ―――駅前に近い此処からじゃこの時間、バスが出てないから歩く羽目になるけど……。
 ……行くかな、学校。

 昨日よりも軽い足取りで、私は一路学校を目指す。


 ……その、終着点。
 流石に、正門から入るのは気が引けた。
 時間は昼休み間際とはいえ、生徒もそこそこ残っているし。
 なるべく人目にはつきたくないし。
 そこで私は、殆ど使われていない裏手の通用階段に足を向けることにする。


 ……そこに"彼女"は居た。
 昨日の私と同じ髪型をしていたはず、可愛らしい……私の"友達"の隣がよく似合う"彼女"。
 でも、その髪型は……昨日とは違い、良家のお嬢様のようで私は一瞬戸惑った。



「………初紀、ちゃん……?」

 意を決して彼女の名前を呼ぶ。
 ……でも返事はない。
 焦点の合わない淀んだ目をして、虚空を見つめたまま身動き一つしない。
 もしかして、気付いてない……?

「―――初紀ちゃん……!」

 ゆっくりと、視点がこちら側に向く。
 それでも、彼女の目は淀んだままで……。

「………るい、ちゃん?」

 振り向いた初紀ちゃんの……あれ、この顔……どこかで見たことがある。
 なんだろう。不思議な既視感。

「―――どしたの?」

 首をちょこんと傾げる初紀ちゃん。
 こういう可愛らしい仕草を見ると本当に私と"同類項"なのかと疑わしく思えてくる。
 ……って、ボーっとしてる場合じゃなくて!

「うぅん! 何でも、ない」
「………そっか」

 ………。

 ……き、気まずい。
 そういえば初紀ちゃんと直接会うのって……あの喫茶店での喧嘩別れ以来じゃないっ!?

 はぅ……自業自得とはいえ、このやりきれない空気はどうしたものだろう……。

「―――ありがとう、るいちゃん」
「え……っ?」

 居たたまれない空気を打ち破るように頭を下げる初紀ちゃん。
 ……やっぱり、何かおかしい。
 頭を上げて笑顔で私を見据える初紀ちゃんの目は……一向に淀んだまんまだ。

「……えっと、何が……?」
「……"条件"、守ってくれたんだよね」

 初紀ちゃんのコトバで、一瞬にしてアタマが真っ白になる。
 ……意味が分からない。

「―――誤魔化さなくていいよ。陸から……全部訊いたんだから」

 ――――まさか。


 脳裏に焼き付いた光景が、モノクロに遡っていく。



『なぁ、るい。よくわかんねぇけどさ、自分一人で自分が出来上がるほど、人間ってのは完璧な生き物なのか?』

『"群青の蝸牛"……?』

『俺……女になるわ』

『そこに、降って涌いたように俺の青色通知だ。
 義理堅いアイツが次に何を考えるかなんか……目に見えてた』

『―――"条件"? ちょっと待て、なんだそりゃ?』

『"努力"はしたよ。るいちゃん。
 そっちに陸が行くから……後は、よろしくね』

『やめないし、許さないよ。
 好きな人に振り向いてもらう努力もしないで、なんでも他人任せにする臆病者だよ。初紀ちゃんは』

『……けどさ、一個だけ"条件"があるんだよね』
『……"条件"、ですか?』
『うん、"条件"』

『陸の想い人は……わた……"俺"じゃなく、あなたです』



 ………まさかっ!!?

 ―――個々に分かたれた記憶は一個の結末を描いていった。

 徐々に組み上がっていく醜悪な全体像に血の気が引き、全身が総毛立つ。
 ……誰も、責められない。
 その元凶は、私だ………。
 どうしよう、どうすればいい……?!
 そうだ……。
 今なら……今ならこのボタンの掛け違いを正すことが出来るじゃないかっ!

「待って、初紀ちゃ―――」
「―――今度は……私が"条件"を果たす番」
「違う、違うんだよ初―――」
「―――今更、同情なんかいらない。陸を……騙させはしな―――」

「―――聞いて初紀ちゃんッ!!」

 怒鳴った。心底から、腹の底から怒鳴った。

 ―――ハルさん以外の他人のことなんて、どうでもいい。

 今までそう思って生きてきたのに、どうして今更こんな気持ちに駆られるんだろう。

 どうして……?

 ……決まってる。
 初紀ちゃんも、同じヒトを想う大事な子だから。
 "友達"が大切に思うヒトだから。
 だから……こんなの間違ってる。
 私の驕りが蒔いた種が、こんな形で芽吹くなんて絶対間違ってるっ!!

 ………それなのに。

 その叫びは、淀んだ目をした……可憐な"女の子"に届きはしない。

「……好きなんでしょ? 陸のこと」
「……っ」

 初紀ちゃんの放つ、心の隙間を穿つ問い掛けに息が詰まる。
 ……コトバが詰まる。

「ほら、ね?」
「違うっ!! わた……"ボク"が好きなのは―――」
「―――今更、元に戻れないよ。……るいちゃんも、私も」

 ハルさんとのことを知らない初紀ちゃんならあるいは―――そう思った。
 でも、それは徒労に終わった。
 初紀ちゃんは、自分の心が女の子として機能してしまっていることに、
 そしてそれは私も同義だと……陸に対する想いごと、見抜かれてしまっている。

 ……そんな私が何を言ったとしても、初紀ちゃんに届くはずもない。


「初、紀……ちゃん……」

 こんなにも、私のしたことは浅はかだったなんて……。
 目の前が、真っ暗になった。
 全身から、力が抜けた。
 私は膝からアスファルトに落ちた。
 痛みは……ない。

「っく……ごめん、ごめんな……さい……」

 ただ、涙が止まんない。
 苦しいのは、心を凍らせた初紀ちゃんの方なのに……私が泣いたって仕方ないのに……!!

「………今更、同情なんていらない。そう言ったよね?
 ……さぁ、るいちゃん、行こう?」

 手を差し伸べてくる初紀ちゃんの、切り張りしたような笑顔が痛々しい。

 なんで、こんな思いをしなきゃいけないんだろう。これが、私がしてきたことへの罰なの……?
 私が初紀ちゃんを突き放すために、つきつけたコトバの刃がそのまま私の喉元に迫っていた。
 私は、それに屈するしかないの……?

 ………。

 ……愚問だ。涙なんか流している場合じゃない。
 どこまでいっても私は―――

「……くっ、……ふふっ、そうだね、そうだよね。
 じゃあ"条件"、守ってもらおうかな……行こうか、初紀ちゃん?」
「………うん」


 ―――"私"なのだから。


 不意に、生温い湿った風が吹き荒ぶ。

 その風が、下ろした髪にまとわりついても、何にも感じないのは……私の心が凍りついたからだろうか。
 ……初紀ちゃんと、同じ様に―――。


  ~青色通知10.1(るいの場合)~

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最終更新:2009年10月30日 10:20
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