青色通知14.0&14.1

  ~青色通知14.0(陸の場合)~


「―――ライっ! オライっ!」

 最近あんまし見かけないタンクトップのお笑い芸人達みたいな掛け声で、俺は国産のそこそこ値の張る車を給油スタンドの近くに誘導する。

「ッケーです!」

 ……昨日までの慌ただしい日々が嘘のような、いつもの日常が戻ってきた。
 学校を終えてから、いつもの仕事先であるガソリンスタンドで、いつものように働く。
 ガソリン特有の鼻を突くような臭いが懐かしくも思える。

 ―――以前と違うことと言えば、未だ仕事用の帽子の下にホータイを巻いているせいで頭が蒸れちまうコト。

 初紀が学校を休んでいたコト。

 と……それと―――。
 ……止めだ、今更女々しいコト言っても仕様がねぇだろ……。
 アイツに会えなくなったっつっても、今生の別れじゃねぇんだから。
 いつまでもこんなんじゃ、アイツに笑われるだけじゃねぇか……!

 後ろ向きな想いを振り切るために、たった今停車した、ちょいと値の張る国産車の運転席の横までダッシュする……が。

「―――っ、とと……!?」

 ……くそったれ、まだ頭に血が足りねえってのか? てめぇの体重すら支えきれない軟弱な脚を睨みつける。
 ……我ながら情けないカラダだな……畜生、言うこと聞けっつってんだろーがっ!!

「……"ひー坊"!」

 足に気合いを入れ直そうとアスファルトを踏みつけようとする、……したのだが……その前に、店長が俺に声を掛ける。声を掛けるっつーか、叫び声、怒鳴り声に近かった。
 ……つーか、いい加減"ひー坊"呼ばわりすンのはやめてくれ。
 項垂れた視線の先の灰色を代わりに睨み付けながら店長に念を送る。

「こらぁっ、聞いてンのか"ひー坊"!?」

 その、どっかで聞いたような怒鳴り声から分かる。俺の念は残念ながら店長には届いちゃいなかった。
 何で俺はテレパシストじゃなかったんだ。
 そんな生産性の無いコトを考えてから、頭を横にぶんぶんと振る。……ちっとばかし目眩がした。



「あい、聞いてますっ!!」
「じゃあ帰れっ!!!」
「あいっ!! ……はい?」

 体育会系のノリに乗っちまった俺は勢いで返答してから首を傾げる。
 今話題の人件費削減ってヤツか……? そこまで切羽詰まってンのか、ウチのスタンドってのは。

「そんなカラダで働いてても邪魔なんだっつってんだよっ!! とっとと帰れドアホがっ!!!」
「―――っ、ンだとぉ………っ!!?」
「アタマから血をちょこっと零したくれぇでヘコたれる奴なんざ要らねぇんだよッ!! 」
「あぁっ、だぁれがヘコたれてるって!?」
「てめぇだろうがっ!」
「っざけんなっ! 通常の3倍速でやってやらぁっ!!!」

 頭に足りなかった血が急速に満ち溢れていく気がした俺は、今し方誘導した車の運転席へオリンピック級の速さで駆け寄る。
 背後で店長が"単純な野郎だ"とか何とか他のスタッフと笑っていたような気がするが、気にしたら負けだ。

「らっしゃっせー! 本日は………、っ!?」
「―――レギュラー満タンでお願いしますねっ、陸くん」

 ―――車窓の強化ガラスを下ろした先に見えた顔は俺の見知った顔だった。
 ……一見すると、運転席に座っていることにすら違和感を覚えるほどの若い風貌を持った女性。
 初葉さん―――初紀のおふくろさんだ。
 相変わらず整った顔立ち。とても思春期の子供を持つ母親だなんて思えないほど綺麗だ……。
 それがなんであの熊みたいなオヤジさんと結婚したのかは、近所では地域の七不思議の一個に数えられているとかなんとか。
 ………確かに謎だ。



「―――レギュラー満タンですね!! ありがとざいあすっ!!」

 背後に刺さる店長の視線で我に返る。
 ……今日、学校を休んでいた初紀のコトを聞き出したくなる衝動に一瞬駆られたが、今の俺は赤い彗星なのだ。
 開かれた給油口にホースを突っ込み、その間に窓ガラスを通常の3倍速で拭いていく。

 が。

 ―――ガコンと、ホースから給油が終わった音がした。
 ……って、早くね?
 まだワイパーの拭き取りも終わってねぇンだけど……。

「どうやら、ひー坊の3倍速はアテにならねーみてぇだなぁ?」
「………っ」

 勝ち誇ったように店長が言う。
 くそったれが……!

「それ終わったら今日は上がれ、いいな?」
「………」
「返事はッ!!?」
「……あいっ!!!」

 悔しさを奥歯でかみ殺しながら、俺は初葉さんの車に背を向けようとした、その時―――。

「―――陸くん。誰だって調子の悪い時はありますよ。あまり気を落とさないで下さいっ」

 車窓から手を伸ばし、俺の油まみれの両手を握りしめる初葉さん。

「……ありがとう、ございます」

 すっかり勢いを失っちまった俺は、初葉さんの励ましにも虚ろに答えるしか出かった。
 心なしか、そこに居たスタッフみんなが笑いを堪えてるように見えたのは……俺の被害妄想なんだろうか……?






「さ、行きましょうか」
「……うぃす」

 乗り込んだ御堂家の自家用車の助手席は少し足元が窮屈だった。

「陸くんの背丈じゃ、ちょっと狭いでしょう? 少し座席をズラしてください。座席の下にレバーがありますから」
「あ……はい」

 いつもはアイツの……初紀の特等席らしく、これがアイツの丁度良い位置なんだとか。
 些細なことなんだろうけど、初紀の"女"として部分をもう一つ見つけられて……嬉しいような寂しいような複雑な気分に駆られる。

「……ごめんなさい」

 そんな不謹慎なことを考えていたら、急に初葉さんは消沈したような顔をして口を開いていた。

 俺、初葉さんに謝られるようなコト……されたっけか?
 信号が赤から青に変わる間に記憶を必死に巻き戻す。……いや、思い当たるフシはねぇ。皆無だ。

「……あの、何が……ですか?」
「一昨日、あなたが主人に気絶させられたコトです」

 ……思い出した。
 確か、初紀のオヤジさんにぶっ飛ばされたんだっけか、物理的に。しかも道場の門に体がめり込むくらい。
 ……今思い返してみれば、よく死ななかったな、俺。
 あん時も事故った時も……大した怪我も無かったし、悪運だけは強いのかもな。

「手加減していたとは言え……本当に申し訳ありませんでした……」

 前言撤回。
 手加減してたんスか、アレで。軽トラに轢かれたような錯覚を覚えた気がするんスけど。
 ……もしオヤジさんが本気を出したら、俺は間違いなく綺麗な川と花畑が拝めるだろうな。
 ……今度から気をつけよう、そうしよう。

「別にいいっスよ。現に俺は生きてるし、大した怪我もしてないんスから」

 ……気にしてないって言えば嘘になる。
 けど今、俺の右横で大仰に謝り続ける初葉さんは何も悪くねぇし。
 ……それに、オヤジさんの気持ちも、ちょびっとは分かる気がするしな。
 帰り際に買ったカフェラテを口にしながら、俺は初葉さんから目を逸らした。



「……ありがとうございます。でも、あと謝ることが二つあるんです」
「え。な、なんスか? 二つって……」
「あの後、初紀も主人とちょっと喧嘩をしまして……」
「はぁ」
「喧嘩に負けた初紀も気絶して……」
「はぁ」
「部屋がなかったので陸くんと同じく初紀の部屋に寝かせました」

 茶色の霧が車窓の外へ消えていく。

「あらあら、お行儀が悪いですよ」
「誰のせいッスかっ!?」

 ……だからか。目が覚めた時、初紀が横で寝てたのは……!!

「そしたら、……あなた達は私の口からはとても言えないような体勢になって―――」「―――わーっ!! わーっ!!!」

 初葉さんに見られてたのかよっ!!?

 あの……オトコとして最も恥ずべき瞬間を……!!
 ……ヤバい、急速に死にたくなってきた。

「まぁ、冗談はさておき」
「冗談だったンスかッ?!!」
「あらあら、まさか心当たりが?」

 心当たりどころか大当たりなんですが、その冗談―――とは口が裂けても言えない、言えるわけがない。
 間違って初紀のオヤジさんの耳に入ったら、ぶっ飛ばされる。……三途の川の対岸まで。
 ……血の気が引いた音を初めて聞いた気がした。

 そこで、ふと我に返る。

 初葉さんのイタズラっぽい笑みに気付く。

「どうしました?」
「めっそーもないっ!!」

 俺はバネで弾かれたように無心で首を左右に振る。
 ……ちっとばかし目眩がした。

「くすっ、そうですか。それは残念ですね」

 初葉さん……本当は全部見越して訊いてるんじゃないのか?
 ……気にはなるけど、聞いちまったらオシマイな気がした。



「そ、そう言えば、もう一個の謝りたいことってなんスか?」

 俺は半ば強引に話の流れを変える。苦しいかとも思ったが、初葉さんは気にする様子もなく。

「あ、そうですね。……実はさっきの給油なんですが」
「……はい」

 ……俺が赤い彗星になりそこねた時か。

「あれ、私のせいなんです」
「……はい?」
「私が、店長さんにお願いして、陸くんを連れ出す口実を作ったんです」

 どういうこっちゃ?
 言ってる意味を咀嚼出来ずに居ると、初葉さんは運転席のドアポケットから何かを取り出して俺に手渡した。
 なんだコレ? ……レシート?

「……ガソリン代、372円? 372円ンン!!??」

 ―――まさか……。

「ごめんなさい、今さっき給油されたのは3リットル前後だったんです」

 たった3リットルの給油の間で、手を抜かずに窓を全部拭ける訳がない。

 ―――店長の野郎ぉ……ッ!

 俺が仕事を上がらされた時の、スタッフ達のニヤニヤ笑いの原因はコレか!
 ハナっから素直に事情を説明すりゃいいものを、ヒトをコケにしやがってぇ……!!
 いつか店長の制服を車用の光沢剤まみれにしてやる……!!

「着きましたよ?」

 俺が小さく復讐を誓った時には、既に助手席の窓側から、相変わらず周囲を威圧してるとしか思えない"御堂空手道場"のデカデカとした看板が見えていた。

 ……なんか流れで来ちまったけど、……その、気まずい。
 なんだかんだ言って昨日、初紀に最後に会ったのって……その、……だぁああぁッ!

「陸くん、どうしました? 身悶えてるみたいですけど……」
「なっ、なんでもないッス!!」

 ……今なら、貧血気味の頭を一瞬にして元通りに出来るような気がした。





 ~青色通知14.1(初紀の場合)~

 ……不覚、としか言い様がない。

 宗にいの用意した車でウチに送って貰った後……私は、パジャマに着替えようとして、制服を脱ぎ散らかして―――その後の記憶がない。
 "オチる"ってああいうコトを言うのかな……?
 兎に角、私はとてつもなくだらしのない格好で眠りについていた。
 それがマズかったらしい。
 ……全身が鉛をくっつけたように重たい。
 身体はブラウス一枚で南極に居るみたいにガタガタ震えが止まらないくせに、頭だけは釜茹でにされたように熱い……。
 ……。
 構図を想像しちゃダメだ、私。


 ―――あの可愛らしい短めのポニーテールをネガティブに真似てから、今日までに溜まりに溜まった疲れに加えて―――昨夜、ブラウス一枚で寝てしまったコトが身体にトドメを刺したらしい。
 翌朝、フラフラと起きてきた私の異変をいち早く察知した母さんから、有無を言わさず口に婦人体温計を突っ込まれた。
 案の定、水銀は38の数字を通り過ぎた位置で止まり、私はベッドに寝かしつけられる。
 "こんなの大したコトない、気合いでどうにかなる"って……陸みたいな精神論で自分を奮い立たせようとしても、身体は誰に似たのか頑として動こうとしない。
 ……私の身体のくせに。

 ……。
 でも、内心ほっとしてる自分も居たことも確かだ。

 もし学校で陸と会っても、どんな顔していいか……わかんないし……。



 ……今思い返してみると、顔面から火を吹きそう。
 だって、るいちゃんに身体を弄られて、気持ちよくなっちゃって、頭がほわほわしてたからって……自分から、その、陸に迫るなんて……。

「~~~っ!!!」

 頭に浮かんだ恥ずかしい場面を振り払うように掛け布団を頭まで被ってみても、真っ暗な視界に浮かぶのは、私を押し倒した陸の真剣な眼差しと……私が受け入れる筈だった陸の―――
 ―――って、だ、だから、考えるなっ、私っ!!

「………ぁっ」

 掛け布団の中で身を丸めていたら、内股に……湿った感触。
 ……コレ、まさか。
 ……や、違うっ、単に寝汗をかいただけ―――!
 おそるおそる、そこに手を伸ばす。
 指先が、その腿の湿り気触れる。
 ぬるりとしていたそれは……寝汗なんかじゃなかった。

「………、ぅ……ん……っ」

 無意識の内に、私は下着に触れていた。
 ……って、何を考えてるんだ私っ!?
 これじゃ、単に私が欲求不満みたいじゃないかっ!!

「っ、……や、だぁ……っ」

 止まれ……止まってよぉ……っ!!

 熱に浮かされたアタマで、必死に身体に懇願しても、私の手先は私の意志に反して、徐々に、熱を帯びた核心へと近付いていく―――。



『……初紀ちゃん』

「―――っ」

 ……なに考えてるんだ私は。
 陸やるいちゃんのコトを忘れて、私はまた自分のことばっかり考えて……!
 バカだ。変態だ。サイテーだ。このまま熱に浮かされて死んじゃえっ!
 るいちゃんだって、陸の事が好きだったのに、それなのに……身を挺して私と陸を守ってくれた。
 それに引き換え私は何だッ!?
 自分のコトばっかりで、そのくせ人に救ってもらってばっかりで……。
 友達としても、異性としても陸の力になれてないじゃないかっ!! るいちゃんの力にもなれなかったじゃないかっ!!
 ……あまりに無力だったじゃないか。
 そんな私が、こんな快感を享受する資格なんて、ない。
 それを、るいちゃんに気付かされるなんて……ホント、バカだ。
 自分勝手と自己嫌悪の繰り返しばっかり……はぁ。


 ……学習机に立てかけた時計を見やる。
 もう、5時か。
 熱も下がってきたし……いつまでもブラウス一枚で寝てるわけにもいかないな……。



「パジャマ、パジャマ……」

 重たい身体を引き摺ってタンスの中を漁る……けど、目当てのものは見つからなかった。あーもぉっ!
 ……そうだ、居間のタンスに仕舞いっぱなしだったんだっけ……。母さんはしっかりしてるようでヌケてるとこが多いよね、ホント。
 仕方無く、私はパジャマを探しに階段を降りて、居間の引き戸を目指す。

 ―――っ……こんなに、ウチって広かったかなぁ……?

「―――ッ!」

 居間から誰かの声がしたような気がした。
 あれ。母さん帰ってきたのかな。

「おかえりーかあさ……」

 私が何の気無しに居間への引き戸を開けた瞬間に………時間が凍り付く。
 そこには家族以外にも見知った顔があった。

 顔を真っ赤にして口をパクパクと動かしている陸と宗にいと父さん。
 微笑ましく他人事のように笑う母さん。
 そして、ブラウス一枚の私。その下は―――。

「い――――」

 私が熱を帯びた回路が解答を導き出した瞬間に、時間は即座に流動する。

「―――いやぁあぁあぁっ!!!!!!」

 各々に断末魔をあげて、天井には父さんの、畳には宗にいの、障子には陸の生々しい血痕がバラまかれた瞬間だった。
 それが、私の放った拳と蹴りものなのか、はたまた彼等が能動的に出した鼻血なのかは……わからないけど……。

 ……陸の言葉を借りるなら、"いっそ殺してくれ"と本気で思った瞬間だった。

 その前に、今血を流してる人達の方が先に死ぬかもしれない、とは微塵も考えずに。


  ~青色通知14.1(初紀の場合)~

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最終更新:2009年10月30日 10:58
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