【目指せ、甲子園―1】
今、俺は全国の高校球児達の目指す場所──甲子園にいる。
ただし、レギュラーではなくベンチを温めている控え選手だ。
まだ1年生だからベンチ入り出来るだけでも大したものだと言う奴もいるが、なんてことはない。ただ俺も入れた全部員の人数が12人しかいないだけのことだ。しかも、その内訳は、1年→3人(俺含む)、2年→1人、3年→8人、というふうに半数以上が3年生という割合になっている。
そしてスタメンは実力的にも年齢的にも3年+2年となり、1年トリオはベンチで出番待ちしているのだが、誰かがケガでもしない限りは声がかかる事はないだろう。
せっかく甲子園まで来れたのに、この扱いは少々辛い。例えるなら、空腹状態で目の前に大好物の飯があるのにお預けくらってる気分だ。
「くそお。せめて、一打席でもいいから出たいよなぁ」
「どうしたんだ、翔太。随分と恨めしげな声を出して」
「そりゃあこんな声も出るだろ。甲子園だぞ、陽助!」
「いや、甲子園なのはわかってるよ。なあ、龍一」
龍一と呼ばれた男は、無言で頷く。
「だーっ! お前らの反応はわかってる奴の反応じゃねぇ!」
「そんな事言われてもね……」
陽助は困ったような笑顔を浮かべ、龍一は腕を組んだまま無言を貫いている。
「だって甲子園だぞ!? このまま黙ってベンチを温めているよりは代打やワンポイントリリーフでもいいから試合に出てみたいじゃないか!」
「まあ、それはそうだけど」
「……実力差から言っても、俺達を出すくらいなら最後までレギュラーで通すだろう」
俺の意見は、陽助や龍一により有り得ないだろうと一蹴された。
確かに甲子園まで来れたのはレギュラーである3年+2年選手が原動力であり、俺達1年トリオは完全に空気みたいな扱いになっていた。
「俺達が出たところで戦力はダウンする、か」
自分で呟いた一言に悲しさを感じ、一気に気分が滅入る。
ああ、ガキの頃から甲子園を目指してきて、今まさに憧れの甲子園にいるってのに……空気トリオの一員と化した俺の出場の見込みは0か。出来る事と言えば、活躍する先輩達を見て羨ましそうにするだけ…………いったい何をやってるんだろうな、俺は。
そうか、最初から『俺達の』夏は終わっていたんだ。
俺が自虐的な笑みを浮かべたと同時に試合が終了し、『先輩達の』夏が終わりを告げた。
甲子園での戦いから数日後、夏休み真っ最中に3年生の引退式が行われた。
今年は甲子園まで行けただけにどこかしら満足げな雰囲気が漂っていた。
そして、引退式としてはやや異様な雰囲気を感じながらもプログラムは進んでいき、次期主将が指名される時が来た。
まあ、次期主将は決まっている。それはもちろん唯一の2年生である──
「お前だ、坂本」
指名された坂本先輩は薄く微笑んだ。
「頑張れよ、坂本。そして1年生達も新しいキャプテンをサポートしてやってくれよ」
俺達は大声で返事をした。
そして、さらに数日後、惰眠を貪っている俺の元に坂本先輩から連絡が入った。
『今すぐ部室まで集合!』
起き抜けの俺の耳に坂本先輩の焦ったような声が響いた。
ただならぬ気配を察知した俺は、野球部の部室まで急行した。
部室に着くと、そこには坂本先輩、陽助、龍一、監督、マネージャー、と新野球部メンバーが勢揃いしていた。
全員の視線を浴びた俺は、遅くなった事を謝りつつ部室内に入る。
「大変な事になった」
坂本先輩は全員が揃った事を確認すると、開口一番告げた。
「何が、大変なんですか?」
陽助が先輩に質問する。
「山吹。ここには何人の人間がいる?」
「え、えっと……6人です」
質問を質問で返された事に若干戸惑いを感じたようだが、先輩の質問に大して答えを述べた。
「そう、そして野球とは何人でやるスポーツだ?」
「基本的には9人で……あっ!」
全員が、今日呼び出された理由について納得の表情を浮かべていた。
そう、野球とは9人でやるスポーツだ。しかし、現野球部には6人……選手に至っては4人しかいない。
当然、このままでは試合には出る事は不可能だ。それどころか部として存在を維持できる事すら危うい。(この高校は5人以上の部員+顧問の先生がいる事で部の存在を認められる)
甲子園出場という事態に浮かれて忘れていたとは……なんという不覚。まさに緊急事態だ。
「というわけで、だ。秋の予選大会が始まるまでに部員を募集してきてくれ!」
先輩が切羽詰まった口調で俺達に告げた。
それは新学期が始まる一週間前の出来事だった。
そして、さらに数日が過ぎ、新学期が始まる前日となっていた。
この数日、めぼしい人間に声をかけたが、1人しか承諾してくれなかった。
まあ明日から学校だし、クラスの人間に声をかければ、なんとかなるかもしれない。
よし、明日から頑張るぞ!
と気合いを入れたところで欠伸が出る。
時計を見ると、すでに日付けは変わっていた。道理で眠い訳だ。
俺は明日の準備を済ませるとベットに横たわり、抗いがたい睡魔に身を委ねた。
そして、翌日。
「ん………はぁ…」
やけに寝苦しかった気がする。寝汗で体がベタついていて、すっきりしない目覚め方だ。
カーテンの隙間から漏れる日差しは眩しく、今日も残暑は絶好調のようだ。
俺はため息をつくと、気持ちの悪い寝汗をシャワーで流そうとした。
リビングに行くと、既に母さんが起きていた。
「おはよう、母さん」
ん、何か声が妙に高いような気が……風邪でもひいちまったかな。
「あら、おはよう翔…太?」
母さんは笑顔で振り返り、固まった。
「なぜ疑問系?」
「いや、だって……翔太……よね?」
「母さん、息子を見間違えるほど寝ぼけないでくれ」
「しょ、翔太……鏡見てきなさい」
「なんだよ、やぶから棒に。俺は寝汗かいたからシャワー浴びたいんだよ」
「い、いいから!」
やけに強い口調の母さんに気圧され、大きめのサイズの鏡の前に立つ。
俺の姿を移すはずの鏡は、なぜか見知らぬ少女を移していた。
腰まで伸びたロングヘア、俺の面影を残しつつも女っぽい顔立ち、全体的に丸みを帯びた体、そしてささやかな大きさだか確かにある膨らんだ胸、そして、そして……
最大級の不安を感じながら、ズボンをパンツごと前に引っ張り、股間にあるべき物を確認する。しかし、股間の間には、昨日まであった男性のシンボルが……なかった。
「マジ……かよ……」
俺はその場にへたりこみ、思った。
悪い時には悪い事が重なるものだ、と…………
【目指せ、甲子園―1 おわり】
最終更新:2009年10月30日 11:02