【目指せ、甲子園―2】
女体化に気付いてから1時間。天と地が逆転しそうな程のショックからなんとか立ち直った俺は、とりあえずシャワーを浴びる事にした。
まずは寝汗を流して、頭を覚まそう。
俺の体に何が起こったのか、それは『女体化症候群』というふざけた病気のせいだ。
『女体化症候群』とは、童貞の男子のみに起こりうる現象で、15歳の誕生日から17歳の誕生日の前日までの間に女の体になってしまうという馬鹿げた病気だ。
しかし、童貞全員がそうとは限らない。
男子は小学生になりたてぐらいの時に『女体化症候群』の予防ワクチンを撃たれる。
これにより、ほとんどの男子は女体化せずに暮らせるが、俺のようにワクチンの効かない人間が毎年10人ほど現れる。そして、その男子が童貞のまま時期を迎えたら、女子となり、女として暮らさなくてはならない。
つまり、それが今の俺の状況だ。
冷静に考えれば考えるほど気が滅入ってくる。今年の甲子園並だ。
しかも、悪い情報はまだある。
女体化した男子が増える事によって、男性と女性の人口バランスは崩れ、女性が圧倒的に多い世の中になった。これは『女体化症候群』の予防接種の始まりと広まりの遅さもその状況を生み出すのに一役かっていた。
そして女性が増えれば増えるほど、各分野への才能を持つ女性は増える。
そして、その才能の進出はプロのスポーツ界にまで及んだ。
野球も例外ではなく『プロになれる資格があるのは男性のみ』という決まりが無くなり、ドラフトでは毎年女性選手も指名される。(それでも男性選手が圧倒的に多いのだが)
そして、アマチュア野球もプロと同様に『男女の差』が無くなり、アマチュアの女性選手も増加した。
しかし、なぜか高校野球においては制約があった。
簡単に言うと『女性選手(女体化含む)は1チームに3人まで』というルールがある。
プロは制限無しなのに、高校野球では制限有り。しかも理不尽な事もあり、ルールの改正を求める声が強い。
……と、話が逸れそうになった。危ない、危ない。
つまりはそのルールのせいで部員集めに支障が出るかもしれないのだ。
今、部にいる女性部員はキャプテンとなった坂本先輩のみ。
ここに俺が加われば、女性部員は2人目。あと1人しか入れる事が出来ない。
1人でも多くの人数を獲得したい今の状況では、このルールはかなりキツい。
と、なるとやる事は1つしかないか。
俺はなるべく自分の裸を見ないようにする。
視界に入れてしまうと、照れくささと恥ずかしさの混ざった感情を感じてしまう。女体化して間もないからなのだろうか。
とりあえず、裸を見ないように上を向きながら体を拭き、あらかじめ用意していた男子制服に着替える。
リビングに戻ると、母さんが父さんと兄貴に相談していた。
「とりあえず、学校に連絡をして……」
母さんがそう言い、電話の受話器を取る。まずい、今学校側にバレたら……!
「あっ、ちょ、ちょっと待って! 学校には自分で連絡するよ!」
慌てて母さんのところまで走り、半分ひったくるように受話器を奪った。
俺の存在に気付いた父さんと兄貴は、口をだらしなく半開きにして驚いていた。
「あら、そう?」
母さんはやや不審がりながらも、俺に任せてくれた。
助かった。俺が電話をかけれれば、どうにでもなる。
受話器を握る手に力を込め、学校へ電話をかける。
プルルルル……プルルルル……プルルルル……プルルルル……
なかなか繋がらない事に不安感を抱いた瞬間……
「もしもし、泉原高校です」
繋がった。
電話口からは何度か聞いた事のある事務員さんの声が聞こえてくる。
「1―Bの青山ですけど、高橋先生いますか?」
「いますよ、少し待っててくださいね」
その台詞が終わると同時に受話器の向こうから、どこかで聞いた事のあるようなメロディが流れてきた。
それに耳を傾けつつ、次の事を考える。
これが終わったら、次は陽助に部員の件の事でメール送っておかないと。それから……
「もしもし、お電話変わりました。高橋です」
メロディが突然止み、代わりに聞こえてきたのは、事務員さんよりも聞き慣れた担任教師の声だった。
「青山です、おはようごさいます」
「あっ、青山君おはよう」
まず軽い挨拶をして、すぐに本題に入る。
「実は今日、体の調子が悪くて……風邪だと思うんですが休んでもいいでしょうか?」
ただし、女体化の事は伏せなくてはいけないので嘘をつく。
リビングの空気が変わる。あきらかに俺の嘘が原因だ。
「そうかー、確かに声がちょっと変な気もするな」
「はい、喉も痛くて……」
声はやや高くなったので、少し低い声を出すように意識しているが、これが案外難しい。
「わかりました。じゃあ今日はちゃんと病院に行って、ゆっくりと休んでくださいね」
「わかりましたー、それじゃ」
受話器を置き、痛いぐらいの視線を飛ばしてくる家族の方を向く。
父さんが一言だけ喋った。
「嘘の理由を説明しろ」
俺は頷き、まずは高校野球の『女性選手の人数制限』の話をし、その後に現在野球部で起こっている深刻な部員不足の事を話す。
その話を聞き、3人とも多少なりとも俺の狙いに気付いたような顔をしていた。
だから、俺は3人が予想していただろう事を──
「俺は女になった事を隠す!」
力強く宣言した。
つまり、俺が女という事を隠す事によって女子部員としてカウントされなければ、その分部員の入る可能性が増える。
例えば、女子2人が「野球部に入りたい」と言ってきたとしても、坂本先輩と俺がいるから片方は諦めてもらわなければならない。なぜなら『女子部員は3人まで』とルールで決まっているからだ。でも俺が女子である事を隠していれば、女子は坂本先輩しかいない事になるので2人とも入部しても大丈夫、という事になる。
俺はシャワーを浴びながら考えた事を実行に移そうとし、そして宣言した。
宣言し、リビングは静まり返ったが、父さんがテーブルを強く叩き「馬鹿な事を言うな!」と怒鳴った。
その声に気圧されそうになったが、こっちだって負けてはいられない。
怒りで赤く染まった父さんの顔を睨むと、父さんも俺を睨み返す。
「…………」
2人の睨み合いが続く。重苦しい空気がリビングを支配していた。
その睨み合いを見ていた母さんが口を挟む。
「翔太、冷静に考えなさい。無理でしょ」
「やってみせる!」
「絶対にバレないっていう根拠は?」
「ない! けど頑張る!」
俺はなんと言われようと考え直す気はなかった。
と、俺の顔を見ていた兄貴が小さく笑った。
「父さん、母さん、無理だぜ。もうコイツは絶対に考えを曲げるつもりはないらしい。言うだけ無駄だ」
兄貴が笑いながら諦めの言葉を口にする。
その言葉を聞いた母さんは諦めたようにため息を吐く。
そして父さんも最終的には折れてくれた。
ただし、条件を出してきた。
1つめは、もし9人以上の部員が集まって女子部員が俺を入れて3人以下だったら即座に女体化した事を学校に報告すること。
2つめは、せめて家にいる間は女の子らしくすること。
という条件だった。
その条件を受け入れるだけで、学校側に黙っててもらえるのだから即座に首を縦に振った。
これでまず1つめの『やるべき事』をやった。
だけど、まだやるべき事はある。そのために仮病という手段を使い、学校を休んだのだから。
でも、まずは最優先でやるべき事がある。それは……
「朝飯まだー? 腹減ったよー」
朝ご飯を食べる事だ。
【目指せ、甲子園―2 おわり】
最終更新:2009年10月30日 11:04