【目指せ、甲子園―4】
ピピピピピ……ピピピピピ……
「うう……うるせえな」
耳元でやかましく鳴り響く目覚まし時計を捕まえて、スイッチを押しながら布団の中に突っ込む。
「…………ぅー」
もう一度寝直したい衝動に駆られたが、今日は平日、つまり学校がある事を思い出し、小さく唸りながらベットから起き上がる。
「…………あ……着替えなきゃ」
パジャマを脱ぎ、男子制服に袖をとお……ん? 制服が無い。いつもはハンガーにかけてクローゼットの中に入れてあるのに、見当たらない。
「うーん…………あ」
寝起き直後のボンヤリした頭で考えて、なんとか思い出す。
昨日お昼食べる時、母さんに見せに行って麺つゆがかかってしまったんだ。
だから、その制服はクリーニングに出して、返ってくるまでタンスに入っている予備の制服を使うように言われたんだった。
タンスを開けると、キレイに畳まれている制服を発見した。
やっと見つけた。いつもより時間ロスしちゃったから早く着替えなきゃ。
そう考えながらシャツに手をかけた時、扉がやや乱暴に開いた。
「おい、翔太!」
扉の開いた先には兄貴が立っていた。
「いいかげん起きないか!今何時だと思って……」
兄貴が怒鳴るのを途中で止め、黙りこんでしまった。
どうして黙ってしまったのか気になったが、これ以上朝っぱらからうるさい怒鳴り声を聞かずに済む。
「うるさいよ、兄貴。俺はご覧の通り、バッチリ起きてるんだから朝から大声出すなよ」
俺はそう言い、兄貴の方に向き直った。
と、同時に兄貴は俺から飛び退き、目を力一杯閉じている。
「バッ、バカ! 早く服を着ろ! つーか隠せ!」
「隠せって、いったい何を隠せと…………!」
そこで俺は、今の俺の状況に気付いた。
さっきパジャマを脱いだのでパンツ一枚。そして、今の俺は女体化してるから……
「あ……あああ…………」
頭の中が真っ白になっていく……いや、訂正。ただ一つのするべき事だけは頭の中に残っている。
そのために大きく息を吸い──
「ま、待てっ! 俺は何も見てない、見てないんだっ!」
慌てる兄貴を無視して──
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
──家中に響きわたる大きく甲高い悲鳴をあげた。
「よっ、翔太! 疲れた顔してるな。まだ風邪治ってないのか?」
「……保健室で薬をもらってこい」
高校に着き、自分のクラスで陽助と龍一の2人に会うなり体調を気遣われた。
「いや、風邪はほとんど治ってるよ。薬もいらない」
風邪と言うのは嘘の話なので、別に薬は飲まなくてもいいのだが、2人はやや不満そうな顔をしている。
「だけど、その顔は大丈夫なようには見えないぞ」
「……無理や我慢はするな」
さらに気遣われた。どれだけ疲れた顔をしているんだ、俺は。
「無理なんかしてねえよ。朝にちょっと疲れる事があっただけだ」
そう、朝にほぼ裸の姿をバカ兄貴に見られて、不覚にも女の子みたいな悲鳴をあげてしまった。
しかし、本当に大変なのはこの後だった。
俺の悲鳴を聞いて駆けつけてきた両親は、パンツ一枚の俺と悲鳴に備えて耳を塞いでいた兄貴を交互に見て、父さんは兄貴に強烈な拳骨を食らわせた後説教を始めた。
母さんはしきりに大丈夫か、ケガはないか、と聞いてきた。
俺は「大丈夫」と答え、胸に包帯を巻く。さすがに家にいる時にまで、男でいる理由はないし、女らしくとの条件もあるから外していた。
包帯を巻き終え、制服のズボンに手をかけた時に父さんの説教が耳に入ってきた。
「だいたい、可愛くなったからといって妹を襲うなどと──」
精神衛生上、父さんの説教を意識からシャットアウトした。
まあ、こんな事があって大幅に時間をロスした俺は、大急ぎで洗顔を済ませ、トーストを咥えながら走るという、昔の漫画みたいな体験をして、結果として体力的・精神的に疲労した状態で学校に着いたという訳だ。
もちろん、こんな話は誰にも話せない。
「そうか。でも、それだったら今日も休んでもよかったんじゃないのか? 風邪をぶり返すのも大変だし」
陽助の言葉に龍一が同意の意味を込めて頷く。
「本当にもう大丈夫だって。それに野球部の事も気になるし」
野球部の事は、本当に気になっていた。安川はどうなったのか、他の入部希望者は見つかったのか、など気になる事はたくさんある。
「ああ、野球部か。それなら」
陽助はいったん言葉を切り、ニンマリと笑顔を浮かべた。
「安川を含めて3人が入ったぞ」
「3人!?」
俺は思わず聞き返した。
まさか、この中途半端な時期に部活に入部してくれる物好きかいるとは。しかも3人も!
「ああ。もう入部届けも出てるから今日から部活に来るぞ」
俺は、3人の物好きに感謝しながら陽助の話を聞いていた。
が、陽助はまたもや話を途中で切った。
「陽助、どうした?」
「後ろ、危ないぞ」
そう言い、俺の方を指さす。
その言葉の直後、振り返る暇すらないタイミングで重量感を伴う衝撃を感じた。誰かがのしかかってるのか!
「うわっ!」
突然の衝撃に驚くほどあっさりと床に倒れてしまった。しかも、俺にのしかかってきたバカと一緒に。
「いてえ……つーか重い」
「失礼ね!」
「ぐあ!」
「あ、死んだ」
痛いっ! 死んでないけど痛い! あの感覚からして後頭部から感じるこの痛みは……肘打ちか。
こんな事するバカは1人しかいない。
「おい、望」
「なに?」
やっぱり望か。
この女は何が楽しいのか、いつも俺に不意打ちでのしかかってくる。しかも文句や悪口を吐くと、今のように肘や鉄拳、果ては蹴りまで飛んでくる。
まさしく迷惑以外の何者でもないが……一応友達である。
「とりあえず、俺の上からどけ。重たくてしょうがなぎゃあああああっ!」
望は退いてくれた。ただし、俺の背中を思いきり踏みながら。
なんか朝から不幸続きだ。今日は厄日か?
「で、何の話してたの?」
「お前には関係ねえよ」
望は全く悪びれずに質問してきたものだから、俺はぶっきらぼうに答える。
「あたしに言えない話っていったら……ああ」
望の頬が少し赤く染まる。
「何も朝からそんな話しなくたっていいじゃない」
ちょっと反応が変だ。まさか変な風に解釈してないだろうな。
「何の話してると思ったんだ?」
「え、エッチな話でしょ?」
「違うよ!」
やっぱり間違って解釈してやがった。
「違うの?」
「違う。野球部の話してたんだよ」
「へえ、野球部の話だったんだ」
あ、結局何の話してたか言ってしまった。
「それで何の話してたの?」
「部員が足りないんだ」
一瞬、嘘を言おうかと思ったが後が怖いので、本当の事を話す。
「へえ、何人足りないの?」
「今は7人いるから、最低でも2人かな」
「ねえ、それって男子だけ?」
「いや、女子もOKだ。坂本先輩だって女子だし」
「ふうん、女子が入っても大丈夫なんだ」
「ああ、ただし1チームに3人のみだけどな」
「……よし決めた! あたしも野球部に入る!」
望のこの発言に、俺は自分の耳を疑った。
今、コイツなんて言った? 野球部に入るだって?
「じ、冗談だよな?」
「本気よ」
「な、なんで入る気になったんだよ」
「あんた達が困ってそうだから。別にまだ女子の定員は埋まってないんだから大丈夫でしょ?」
「そりゃ、大丈夫だけどさ……」
「何よ、その嫌そうな顔は。何か文句でもあるの?」
あるよ。さっきみたくのしかかられて、殴られたり蹴られたりする危険が部活でもあるんだぞ? 部活の時間までそんな思いをするのはまっぴらごめんだ。
なんて言える訳がない。なので俺が言う台詞はこれしかない。
「あ、ありません」
「よろしい」
くっ、このままじゃマジで入部してしまう。
そうだ、陽助と龍一なら反対意見を出してくれるかも!
期待を込めて、さっきまで2人がいた方を向くと、そこには誰もいなかった。
「あれ?」
2人はどこにいったのか教室内を見渡す。
「どこだ~……あ、いた」
2人とも自分の席に座っていた。
「さっきからやけに会話に入ってこないと思ったら……」
しかも、なんか俺と望の方に生暖かい視線を送ってきている。特に陽助の目が『お見合いで当事者2人を残して部屋を去るババア』みたいなまなざしになっている。
猛烈に目潰しを食らわせてやりたい衝動が湧き上がる。
「それじゃそういう事で。あ、部室の場所わかんないから放課後案内してね~」
そう言い残し、望も自分の席に返っていった。
それと同時にチャイムが鳴り、俺も自分の席に戻る。
程なくして担任が教室に入り、朝のHRが始まった。
【目指せ、甲子園―4 おわり】
最終更新:2009年10月30日 11:07