目指せ甲子園-6

【目指せ、甲子園─6】





「痛いっ! っていうより染みる!」

今、俺は神社よりさらに奥の方にある、みちる先輩の家にいる。


あの後、互いに驚いた顔のままで見合っていたが、先輩が何かに気づいた表情になり

「あの、怪我しているようなので良かったら私の家で手当てして行きませんか?」

断る理由はなかった。むしろ、この先輩には聞きたい事がある。しかし、夜の神社で立ち話はさすがに……と思っていた所だったので、まさに渡りに船だ。


と、そんな訳で現在居間らしき場所で手当てを受けている。
しかし、まさか転んだ程度で怪我するとは……あんまり痛くなかったのに。

「って痛いいいぃぃ!」

突然、怪我をした頬のあたりに焼けつくような痛みが走った。

「あ、す、すいません」

あまりに唐突かつ強烈な痛みに叫びながら悶えていると、先輩が頭を下げた。

「間違って消毒液を勢いよく出してしまいました」

どこをどう間違えたら、消毒液が傷口目掛けて噴出されるんだ。と言いたい衝動をグッと堪えて、ちょっとビックリしただけですから大丈夫です、と言っておいた。
頬を伝う消毒液をティッシュで拭い、絆創膏を貼ってもらった。
しかし……さっきから気になっていたんだが、妙に静かだな。俺達以外の気配と物音がしない。

「あ、両親は旅行に出かけてるんです。弟達と妹もそれぞれの友達の家に泊まりがけで遊びに行ってますし。ですから今日は私一人なんですよ」

俺の心を読んだかのような台詞が聞こえた。そんなに気にしてるように見えたか、俺。


怪我の手当てが終わり、ようやく本題に入る事ができる。
本題。それは野球部の入部を巡っての件についての話だ。
何故、みちる先輩は入部を断り続けるのか。
そもそも、一年前に退部したのが自分の意思なら仕方ないが、その時は女体化したみちる先輩を含めて4人いる女性部員のうち、誰かが辞めなくてはいけない状況に陥ったため、部を辞めなくてはいけなかった。そこに個人の意思はなかったはずだ。それに、坂本先輩の話だと本当は部活を辞めたくなかったらしい。
今は去年と事情が違う。それなのに、何故入部を拒むのか?
心変わりしたという可能性も否めないが……まあ、そこら辺は聞けばわかるか。
今日、坂本先輩の頼みをバッサリと断った光景を見たせいでちょっと聞きにくいが、聞かなきゃ始まらないな……よし、意を決して聞いてみる事にした。

「あの、先輩……」
「なんですか?」
「なんで先輩は……その……」

やっぱり聞きづらい。こういうのって時間を置くほど話しづらいのに、どうしても聞きづらい……!

「?」

みちる先輩は不思議そうな表情で首を傾げている。
ど、どうしよう。

「え、えーと、先輩は、その……」
「…………」

みちる先輩は、黙って俺の言葉に耳を傾けようとしてくれている。
この無言の空気は辛い! とりあえず何か言うんだ、俺!

「せ、先輩は……なんで、さっき巫女さんの格好をしてたんですか!?」
「我が家は代々そういう家系なんですよ」

先輩はやや戸惑いながら答えてくれた。まあ、真面目な話が出てきそうな雰囲気だったのに、実際には『何故巫女服を来ていたのか』って話だったから、戸惑うのも無理もないだろうとは思うけど。
だけど初っ端から本題ってのも性急すぎだよね。まずは他愛も無い話から徐々に本題の話にシフトさせて──

「本当に聞きたいのは、そんな事ではないでしょう?」

──いこうか、と思った矢先にみちる先輩から、そう言われた。


俺は少なからず動揺した。
だって、またもや俺の心を読んだかのような台詞を口にしたのだ。
一度ならまぐれ当たりという事もあるだろうが、二度めともなると本当に読んだのかと思って、ちょっと怖くなってくる。
……いや、そんな訳ないよな。冷静に考えて、心を読めるとかそんなのはありえない。たぶん偶然に偶然が重なったとか、そういう類のものだろう。
…………うん。よし、落ち着いた。
さて、落ち着いた所で本題に戻ろう。
先輩は、俺に「本当に聞きたい事はそんな事じゃないだろう」と言ってきた。
この発言の意図が偶然か必然かはともかく、なかなか野球部の話を切り出す事の出来なかった俺にとっては、まさに渡りに船だった。ついでに落ち着いた事で変に度胸が据わった状態になっている。
話を切り出すには今しかない!

「先輩は……どうして野球部に入れるのを拒んでいるんですか?」

この台詞を口にした瞬間、ちょっとした解放感と安堵感の混じった感覚を味わった。さっきまで言いたいけど言い出せなかったから妙にプレッシャーのようなものを感じていたから、それが済んだ事からの感情だろう。
しかし、ここで気を緩める訳にもいかない。むしろ、ここからが本番なんだ。
長く味わっていたい、心地よい感覚を無理矢理引っ剥がし、ついでに座り方もあぐらから正座に変えて、気を引き締める。

「何故入部を拒んでいるかって……そんなの簡単ですよ」

先輩は感情を無理に押し殺した声色で言葉を紡ぐ。

「飽きたからですよ、野球には」
「嘘ですね」

即答した俺を映す先輩の瞳が揺らいだように見えた。
その状態を一言で現すとしたら恐らく『動揺』というのが近いだろう。

「どうしてそう思うんです?」

だが、先輩がそんな状態に陥ったのも束の間。次に言葉を発した時には声、表情、態度、どれにもどこにも動揺のカケラすらなかった。

「白々しいんですよ」
「え……」
「だから、白々しいんですよ。嘘をついている人間からしか感じ取れないような白々しさが、先輩のさっきの台詞から感じたんですよ」
「……っ」

先輩の表情には、完璧に隠れたはずの動揺が現れていた。しかも、さっきのようにすぐには消えそうもなく、先輩の顔にはその表情のみが張りついたままになっている。


ちなみに言うと、白々しさを感じたってのは半分本当で半分嘘だ。
厳密には白々しさではなく違和感を感じていた。
先輩が嘘をついた瞬間、何か違和感を感じた。
俺はその違和感の正体に感づく前に先輩の言葉を即答で否定していた。
そして先輩に理由を聞かれて、咄嗟に違和感を『白々しい』という言葉に置き換えた。咄嗟に口にした割には結構しっくりくる表現だった。
現に先輩も自分自身の言葉を『白々しい』と思っていたのか、動揺を隠す事が出来ないようだ。


とりあえず、これで嘘を封じる事が出来た。
嘘を言った直後に見抜かれたのだから、誰だって嘘を言うのは控えるだろう。

「では、野球部への入部拒否の理由を言ってください。今度は嘘をつかないでくださいよ」
「うっ……はい」

念のため、忠告をしておいてから先輩に話すように促す。

「理由は、その……」
「…………」
「えーとですね…………」
「…………」

凄く言い辛そうだ。
さっき自分も味わったからわかるけど、これって結構焦らされるから精神的に疲れるんだよね。
とりあえず、さっきの先輩のように言い出しやすい雰囲気でも作ってみるか。

「先輩、俺は別に先輩を非難する気はありません。どんな理由だろうと、馬鹿にしたりとかはしませんよ」
「……笑いませんか?」
「え?」
「理由聞いても笑わないでくれますか?」
「もちろんですよ」

俺が頷いたのを見て、話す決心がついたのか一つ小さく咳払いをして口を開いた。

「私が野球部を去った経緯は知ってますか?」
「はい、坂本先輩から聞きました。女体化して女性部員の定員がオーバーしたからですよね」
「それなら、話は早いですね」


「私が女体化した後、野球部の人達の私を見る目が変わったんです、ただしまどかちゃんを除いて……あ、まどかちゃんってのは貴方達の言うところの坂本先輩の事ですよ」
「はあ……」

あの坂本先輩をちゃん付けで呼ぶとは、ある意味凄い人だ。って、その話も少しは興味を惹かれるけど今は話に集中しないと。

「あの頃は秋の予選を控えてましたから、4人目の女子選手となった私は疎ましく思われていました。『早く部を辞めろ』的な視線は毎日のように浴びてましたし」

大会前だから、他の部員も少なからずピリピリしてただろうけど、みちる先輩には落ち度は無いというのにその態度は納得がいかない。

「それで私は一応ベンチ入りだったんですが、大会の時に女子部員が4人以上いる状態だと予選大会に出場自体出来なくなりますから、退部届けを出したんです」

納得はいかないが、それが規定で定められている以上、しょうがない。こういう風な強制的に誰かが退部するような状況もあるから、この規定に対する非難が多いんだよ。さっさと人数制限の規定を緩くするか解除するかすればいいのに。

「私はあの時の思いはもう味わいたくはないんです。たった一晩で野球部がガラリと変わったあの時のような事は二度と……情けないと思われても仕方ありませんが、怖いんです……」

先輩は喋り終えると、うつむいて一言も言葉を発しなくなった。
しかし、そんな事があったとは。昨日まで親しかった奴や普通に接してこれた奴から、好意的とは言えない態度をとられたり視線を向けられたのだから、野球が嫌になるのも仕方がない。
これがもし、俺の身に起こっていたら。万が一、陽助や龍一が俺に悪意ある態度をとってきたら……そう想像しただけで怖い。
これが、先輩が野球部への入部を拒む理由か。
しかし、先輩は間違えている。

「先輩。俺達はそんな事はしません、絶対に」

そう、俺達は誰がどんな事になろうと、絶対に悪意のある対応をしない。


俺がそう反論するも、先輩はうつむいたままだった。

「貴方の言っている事はわかりますけど……」
「言っている事はわかる、けど信じられませんか?」
「……すいません」

当然だろうな。言うだけなら誰にでも何でも言える。それに、会ったばかりの俺の言葉に信頼性など持てる訳もないだろうし。
でも、今の俺に出来る事は信じてもらうように説得する事だけだ。

「先輩。信じてもらえない事は理解しています、だけどもう一度だけ俺達を、野球部を信じてください」

先輩はゆっくり顔を上げて俺の目を見た後、困ったように視線を宙に漂わせた。

「お願いします、先輩」
「……少し考える時間をください」

この答えは……少しは希望が見えてきた、かな。

「いい返事を待っています」

俺はこの話を終える事の意味合いも込めて、深く頭を下げた。

「さて、じゃあ俺はそろそろ帰ります。結構時間経っただろうし」

時計に視線を寄越すと、時計の短針は9時の方向を指していた。

「あっ、はい」

俺は帰るために立ち上がろうとして……向かい会うように座っていた先輩の方に倒れこんだ。
「あ、あ、あ、あのっ!?」

先輩が、どもりと焦りの入った困惑の声をあげている。

「あ、あ、あ、あのこれは……」

俺も、どもりと焦りの入った声を喉から絞り出す。

「その、正座してたせいで足が痺れてまして、決して他意がある訳では」

本当の事なんだけど白々しい言い訳のように聞こえる。なぜなら、傍から見たら俺が先輩を襲っているようにしか見えない。俺が先輩に覆い被さっているような体勢も、襲っているようなシチュエーション作りに一役買っている。

「わかりました、わかりましたからとりあえず私の上から退いてください!」
「下半身が痺れて動かせないんですよ!」
「それなら手を使ったり転がったりすればいいじゃないですか!」
「あ、そうか!」

焦りすぎて気がつかなかった。

「あれ?」
「どうしました、先輩?」
「……いえ、なんでもありません」

この反応が気になるが、とりあえず移動しよう。


少し時間がかかったが先輩の上からどいた後、俺は先輩に土下座した。

「すいません! 本当にすいませんでした!」
「いえ、本当に大丈夫でしたから」
「しかしっ」

いくら女同士だからだといっても、先輩は男だと思っているのだからしっかり謝らないと。しかも、全面的にこっちが悪いし。

「わざとじゃないってわかってますし、そんなに謝られるとちょっと困っちゃいます」
「う、すいま……わかりました」

俺としては、あの程度の謝罪で許してもらって大丈夫なのか不安になるが、先輩がいいというならいいか。

「それにみっともなく大きな声を出してしまいましたし……すいません、耳障りでしたよね?」
「いえ、そんな事は」

むしろ、絶好のアドバイスでした。

「しかし、驚きました」
「なにがですか?」
「貴方、男の子だと思ってましたけど、本当は女の子だったんですね」

先輩の言葉を聞いた瞬間、体の動きが止まった。今、先輩はなんて……俺の事を女の子だと、なんでバレて。
心臓を鷲掴みにされたような感覚に、俺の冷や汗は止まらなかった。





【目指せ、甲子園―6 おわり】

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最終更新:2009年10月30日 11:12
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