「…………」
夜も11時を過ぎ、日付けも変わろうとしている。いや、もう変わっているかもしれない。
そんな中、俺は湯船に浸かり今日の出来事を思い出していた。
今日は本当に色んな事があった。
坂本先輩に話を聞いて、スカウトに立ち会って、ランニング中にみちる先輩と会って、説得して、そして……女だとバレた。
「くっ……!」
俺は、自分自身の不注意さに苛立ち、力任せに浴室の壁を殴りつけた。
低く鈍い音が浴室に響くが、結局は自分の手に痛みが走るだけだった。
「どうするよ、俺……」
痺れを伴う痛みを右の手に感じながら、ポツリと呟いた自らへの問い。その答えを導きだす事は出来なかった。
あの後、俺の頭の中は真っ白になった。
みちる先輩が、俺に向けてさらに何かを言っているが、何を言ってるか聞こえないし、認識も出来ない。
そんな数秒間の後、真っ白な頭の中に一つの単語が浮かんだ。
『逃げよう』
そして、俺はその行為を何の躊躇いも無く実行に移した。
……冷静になった今だからこそ、その行動の愚かさがわかる。
あの場での逃げは、最悪に近い。
何の対処も説明もせず、こっちの不利になる情報だけを残して、その場を去った。
せめて、口止めだけでもしておけばよかった。
しかし、これでみちる先輩の入部は絶望的だ。みちる先輩の入部は、俺を女子ではなく男子としてカウントする事が大前提だ。その大前提が崩れた今、みちる先輩には期待しない方がいいだろう。
「ああ、本当にどうしよう……」
大会までに9人揃わなかった時の為に保険は用意しているが、それはあくまで緊急時の手段だ。戦力的には、ブランクがあろうとも経験者の方がいい。
しかし、最早それは絶望的だ。と、なると……
「次の手を考えないと……」
暑さでのぼせそうになりながらも、湯船の中で思考を巡らせた。
そして、あっという間に月曜日となった。
いいアイディアなんか、一つとして浮かばなかった。
だが、俺は諦めない。考える時間はまだある! 具体的には授業中とか。
そんな訳で授業を聞く事を放棄して、野球部方面へと頭を働かせた。
ダメでした☆
放課後まで考えても、まともな案が浮かんでこない。
「おーい翔太、部活行こうぜ!」
「……行くぞ」
いつものように声をかけてきた陽助や龍一と一緒に、部室へと歩く。
「……今日はいつになく不機嫌そうだったな」
「まあな」
龍一の言葉に、適当に頷いておく。
「あっ、あれだろ。今日が月曜日だからだろ。週始めってめんどいよな~!」
違えよ、馬鹿。
言葉の代わりにため息を返し、いつの間にか辿りついた部室のドアを開く。
「うい~っす……え?」
俺の目に有り得ないはずの景色が映しだされていた。
それは野球部の練習着に身を包んだみちる先輩の姿だった。
「みちる……先輩?」
素頓狂な声を出す俺を見て、みちる先輩は柔らかな笑顔を向けた。
「こんにちは、青山君。それと後ろにいる山吹君と川村君も」
「「「あ、こ、こんにちは……」」」
「私、もう一度野球部に入部する事にしました。よろしくお願いしますね」
有り得ない事だった。少なくとも俺の考えでは有り得ない出来事だ。しかし、そんな事はどうでもいい。
俺は一も二も無く、頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
陽助と龍一もやや戸惑っていたが、俺と同じ行動を取った。
それとほぼ同時に、後ろの方から坂本先輩の声が聞こえてきた。
「どうした、お前ら。入り口の所にボケッと突っ立っていて…………みちる? 何故ここに……?」
坂本先輩はやや戸惑っていたが、みちる先輩が入部する意向と伝えると──もの凄く珍しい事に──瞳を潤ませながらみちる先輩に抱きついた。
最終更新:2010年02月05日 21:28