目指せ甲子園-8

目の前の少年、いや、今は少女か。その少女の様子は普通には見えなかった。
私が先程感じた違和感、そこから導きだした答えを告げただけ。なのに、目の前の少女は明らかに大きく動揺している。

「あの……どうしました?」
「あ……あぁ……」

干からびた喉から絞り出したような声に驚いてしまう。この少女にいったい何が起こっているというのか。

「だ、大丈夫ですか?」
「………………っ!」

硬直したように立ち尽くしていた彼女は、急に身を翻し走り出した。

「あ、あのっ!?」

止める間も無く、彼女は我が家を飛び出ていった。

「…………な、何だったの?」

その一言は、再び一人になり静けさの戻った居間に虚しく染み込んだ。
彼女の反応と突然の行動に私は眉を潜める他にない。
本当に何だったんだろうか。
考えようとしたが、すぐに止めた。
私はあの子の事をよく知らないのだ。面識も今日の放課後と今の2回しかない。
それでまともに考えろ、というのも大変な話だ。
あの子は野球部だったから、同じ野球部のまどかちゃんに聞けばわかるかもしれないが、放課後の件のせいで気まずい空気になるだろうから聞きにくい。

「うーん……」

私はあの子が開けっ放しで出て行った玄関の扉を閉めながら、聞くべきか考えていた。



翌日、昼。
結局、昨日は電話しなかった。何度か電話はしようと思ったが、その度に昨日の屋上での出来事とまどかちゃんの悲しげな顔が頭をちらつき、電話に伸ばす手を止めた。
そして、私は今も電話の前で自らの手を彷徨わせている。
明後日になったら、まどかちゃんとは嫌でも顔を合わせる事になるのだから、電話する事ぐらい……と、頭ではそう思っているのに体が反応しない。
そして、伸ばした手はまた引っ込められる。

「駄目だぁ、勇気が出ないや……」

そう呟き、姿勢を崩し仰向けに寝転がる。
寝転がった際にシャツがめくれてお腹が露になった。普段なら即座に直すのだが、今は「だらしない」と注意する家族もいないし、暑くてだるいから、直さずにただぼんやりと天井を眺めている。
このままお昼寝しちゃおうかな、とも考えたが、あまり眠くないし今日の厳しい残暑ではそれも難しいかもしれない。
結局、やる事は無くなり、暇を持て余す事になる。

「暇だなぁ……」

せめて、泊まりがけで遊びに行った弟達か妹の誰か一人でも返ってきてくれれば、暇潰し出来るんだけど。
でも、今日も遊んで帰ってくるらしいから早くても夕方までは帰ってこないだろう。

「やる事ないかなぁ」

そう口にしてから、何か時間を潰せるような事はないか思考を巡らせる。
部屋の掃除は……普段から綺麗にするように心がけているので、する必要がない。
勉強は……テスト前でもないし、休日の昼間からやる必要はない。
どこかに外出するのは……最近は物騒なので、出来るだけ家の中を空にするような状況は避けたい。
神社の方の掃除は午前中に済ませたし、買い物は昨日の帰りに済ませたし、お昼ご飯はすでに食べた……本当にやる事無いや。
なんの気なしに視線を天井から外し横を向くと、今時珍しいダイヤル式の黒い電話が視界に入る。
……結局はコレになるのか。
だけど、どうしても気が乗らず顔を逆の方に向けて、電話から目を背ける。
時計の秒針が動く音だけが耳に届く静寂な一時──それを破るチャイムの音が居間に響いた。

「誰だろう?」

今日は誰とも約束はしてなかったし、何らかの勧誘という訳でもないだろう。あの何百段もある石段を上ってくる物好きなどいない。
そう思いながら玄関のドアを開いた先にいたのは、まどかちゃんだった。

人間ってのは不測の事態には本当に弱い。
それは、昨日の後輩の奇行を目前にしていながら、何ら対処出来なかった時に思い知ったはずなのに。
私という人間は、今回もまとな対応が取れなかった。

「ま、まどかちゃん?」

ただ、こんな驚きの声をあげるだけで精一杯だ。
ていうか、私が電話しようと思っても出来なくてウジウジ悩んでいる時に来るなんてずるいよ、不意打ちだよ。
でも、電話する手間と勇気が省けたのは確かなんだけど……でも面と向かって話すのも電話と違った勇気がいるというか。それに気まずさも電話より何割増しになりそうな予感がするし……

「おい、みちる?」
「うわあっ!? な、な、何!?」
「いや、固まってたからどうしたのかと思って……そんなに驚かなくてもいいと思うのだがな」
「だって、まどかちゃん顔近づけすぎだよ! びっくりするに決まってるじゃない!」
「そ、そうか? 私の顔はそんなにびっくりする物なのか?」

まどかちゃんがちょっと落ちこんでいたけど、今の私にはその事を気にしている余裕はない。
今の私は心臓の鼓動を正常に戻す事が最優先事項だ。
……あれ? なんで私の心臓はこんなにドキドキしてるんだろう。
驚いたせいだとしても、落ちこんでいるまどかちゃんの顔を見ていると、なんだか胸の辺りが苦しくなってくる……なんでだろう? 落ちこんでいるまどかちゃんを放置してる罪悪感から?
他の理由も考えつかないし、多分それだろうけど。

「なあ、みちる……私の顔はそんなに酷いのか?」

あ、放っといた間にテンション凄く低くなってる。
これは返事を間違えると、まどかちゃんが自虐的になりそうな予感がする、根拠はないけど。
ここは慎重に答えないと。

「何言ってるの! 全然そんな事ないよ!」
「しかし、さっきはみちるがびっくりする顔だと言ったんじゃないか……」
「だから、それはいきなり顔を近づけられたから! それに私はまどかちゃんの顔好きだし」
「すっ!? おっ、おま、何を言って!?」

あ、まどかちゃんの顔が真っ赤に……怒ったかな?
だけど、まどかちゃんが怒るような事なんか言ってない……よね?
この時、私はふと気づいた。
心配していた気まずさは無く、いつもの私達の雰囲気とまったく変わらないという事に。

それから、しばらくしてまどかちゃんが落ち着いた時を見計らい家の中に入れた。

「すまないな、取り乱した」

自分のペースをすっかり取り戻したまどかちゃんを見ていると、さっきの取り乱しっぷりがまるで嘘のように思えてくる。

「いやいや、いいよ」

そのおかげで、妙に気まずさを意識せずにすんだし。とは言わないでおく。

「はい、どうぞ」

麦茶の注がれたコップを差し出すと、一気に半分以上を飲み干していた。
口や態度には出てはいなかったけど、やっぱりあの石段を上るのは疲れたんだろう。

「それで今日はどうしたの? 遊ぶ約束とかはしてなかったよね?」

私が聞くと、まどかちゃんは弛みかけていた表情を引き締め、口を開く。

「謝りに来たんだ」
「謝りに……?」

そう言われたが、別にまどかちゃんに謝られるような事をした覚えもされた覚えもない。

「えっと、まどかちゃん。私に何か謝るような事したっけ?」
「した」

即答された。
だけど、本当に覚えがない。
それなのに、まどかちゃんは私に謝る事があると言ってきた。覚えがないにも関わらず、だ。

「うーん……?」

本気で考えてみたけどダメだ、本当にわかんない。

「ごめん、謝られる理由が本当に思いつかないんだけど」

まどかちゃんに呆れられるのを覚悟で、私は正直に聞いた。

「……野球部だよ」
「……え?」
「だから、謝る理由」
「……え、え?」

野球部が謝る理由? どういう事だろう。

「最近お前の気持ちや意見を無視した勧誘してたから、随分と嫌な思いをしたんじゃないかと思って……」

最近……って昨日までのアレか。

「そんな事で?」
「そんな事って……私は本気で」
「私は、そんなに気にしてないよ……少なくとも謝られるくらいに嫌な思いはしてないつもりだけど?」
「…………」

まどかちゃんの反論を遮って自分の気持ちを語ると、何か言いたそうに、しかし何も言えずにいた。

「そうか……気にしてないか」

少ししてからそう口にしたまどかちゃんは、どことなく安心したような表情を見せたが、すぐに難しい表情に変わり、何やら呟き始めた。

「いや、しかし……個人的には罪悪感を感じるし謝ってスッキリさせたいが、それこそ勝手な考えだし……」

呟きの内容はよく聞こえないが、何か悩んでいるような雰囲気は感じ取れる。
何を言ってるかわからないけど、まずは独り言を止めさせないと。これじゃ進む話も進まない。

「何をブツブツ言ってるの」
「い、いや、なんでも……って顔が近いっ!」

まどかちゃんは、何故か顔を赤くし勢いよく私から離れる。
その反応は心外な気がする。
って、さっき私がした反応と一緒なんだよね……まどかちゃんが落ちこんだ理由と気分が少しわかった気がした。

「はいはい、じゃあ顔が近くなくなったし、何を言ってたか聞かせてくれる?」
「む……気にするな」

私が聞くと、さっきまで顔を赤くしていた親友は、珍しい事に拗ねた表情を浮かべながら返事をした。

「気にするなって言われると、余計に気になるんだけど……ま、いっか」

もともと、独り言を止めるのが目的だったし。

「さて、どうしようか?」
「どうしよう、とは?」

私の言葉に、まどかちゃんが怪訝そうな表情で聞き返す。

「だから、何して遊ぶ?」
「あ、遊ぶって……」
「もしかして、この後に何か用事あったりする?」
「いや、特にないが」
「なら、遊んでも大丈夫だよね?」
「しかし、私はみちるに謝りに……」
「だから、私は気にしてないんだし、まどかちゃんも気にしないでいいのに」
「そ、それはそうなんだが……」

ああ……このままじゃ堂々巡りだ。
仕方ない。適当にまどかちゃんを納得させるか。

「じゃあさ、いつかまどかちゃんが一回だけ私のお願いを聞いてくれるっていうのは?」
「みちるの願いを叶える?」
「うん、今回の事はそれでチャラってのは、どう?」

まどかちゃんは少しの間、黙考し微かに頷いた。

「……わかった。しかし、無茶な願い事はするなよ?」

よし、なんとかなった。
無理に謝られても、なんか罪悪感を感じちゃうし、この方がいいはず。

「わかってるって」

私は立ち上がり、まどかちゃんに手を伸ばした。

「さ、遊ぼう!」


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最終更新:2010年02月05日 21:29
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