「鶴岡」
と楷書が張り付いた家の前で俺は立ち尽くしていた。その灰色の板の真下にあるインターホンに向かって指を伸ばし、程なくして垂れ下がる。それをさっきから延々と繰り返している。
これは端から見たら間違いなく不審者だよな…
しかし何と言えば良いのか、どんな顔をして会えば良いのか分からない。だから踏ん切りが付かないのだ。
そんな俺に人当たりの良さそうな声が話し掛けてきた。
「こんにちは。うちに何かご用でしょうか?」
「あ、こんにちは。えー、用事って程じゃないんですが… その…」
「『俺が田口宏紀だ』なんて言ったら斉明さんは驚きますよね?」
前述の好青年、もとい斉明さんは俺を見回している。なんか恥ずかしい。
「ああ、なんだ。やっぱりヒロ君か。」
「やっぱり? と言うか驚かないんですか?」
「驚くも何もさっきから見てりゃ分かるって。行動とかクセとか。なんか言い訳してる時とかに斜め上を見てたり。」
そんなクセあったのか?
「ああ、あとさっきの家の前だね。見ててかなり面白かったよ。」
うっ…
見られてたのか…
「それでちょっとからかってみたんだ。まあ、からかうと言うか遠目に見て雰囲気が似てるなとは思ったよ。それで顔を見たり喋ったりして確信した、ってのが正しいな。」
「さ、さいですか…」
何だろう…
この負けたような感は…
「まあ、立ち話もなんだし上がってきなよ。」
「あ、すいません。ああ忘れてt…」
「嘉成だろ? そろそろ帰って来るよ。」
「そうですか…」
「用があるんだろ?」
「えーと…」
「そう考え込むなって。いつも通りで、な?」
いつもこの人には簡単に見透かされる。
「ヒロ君は分かりやすいからね。」
駄目だ、完全に読まれてる…
「アイツが何かいらん事をしたなら僕に言うと良い。タダじゃ済まさんから。」
「それはそれは頼もしい限りです。」
笑顔で恐ろしい事を良いなさる…
別に痺れたり憧れたりはしないけど。
「アレを思い浮かべると上手く出来ると思うよ。」
アレ…だと…?
いかん、アレと言われるだけで笑いが止まらん…
「その調子なら大丈夫だ。僕もアレには噴いたよ。」
アレとは嘉成が妙な寝言を言っていた事である。
『ちょっと寝るから起こしてくれ。』と言われ、しばらく後に突然
『園長先生選挙に出馬…』
と言い、更に
『京都二区じゃ勝てんでしょ…』
と言った。
一時間くらいと言われていたので起こしてみると
『せっかく良い所だったのに何で起こすんだ!』
と、頼まれたのに怒られた話である。
鍵の開く音が聞こえる。
いよいよおいでなすったか。
少し冷めたお茶を一気に飲んで玄関へと歩みを進めていった…
最終更新:2010年02月14日 11:49