目指せ甲子園-10

「あぁ・・・・・・暑い」

今年も例年並みに残暑が厳しい。グラウンドにいるだけで体中の水分が全部汗として流れていってしまうそうだ。
大して動いていないわたしですらこんなに暑く感じるのだから、練習している部員達の感じている暑さは計り知れない。
それでも、みんなは不満一つ漏らさずに頑張って練習をしている。
このチーム、夏休みが終わる頃には部員数の不足で秋の予選大会に出場できないような状態だったけど、部員達が積極的に勧誘をしたおかげで今では部員数が九人になった。これで秋の予選大会に出場できるから、練習にも熱が入るのだろう。
わたしもマネージャーとして、ただボーっとしている訳にはいかない。みんなが少しでも練習に集中できるように、わたしはわたしのできる事をしないと!

「おい、市村! ちょっとこっちに来てくれ!」

早速、呼ばれた。
今、わたしを呼んだのは二年生でキャプテンの坂本まどか先輩。腰まで届くストレートの黒髪が印象的な、綺麗な人である。

「はい、今行きます!」

坂本先輩の所まで走っていくと、ノック用のバットを手渡された。

「今から守備練習を行うので、打って・・・・・・ん、なにやら具合が悪そうだが大丈夫か?」
「あ、大丈夫ですよ。どこも悪くありませんから」
「・・・・・・そうか、もし具合が悪くなったら、あまり無茶はするな。辛かったら言えよ」
「はい」

鋭い目つきと素っ気ない口調のせいで怖がる人は多いけど、本当は野球部の部員達を思いやる優しい人だ。

「よし・・・・・・こっちの準備は済んだ。いつでもこい」

坂本先輩はショートの守備位置につくと、わたしの方に向き直り、言った。

「じゃあ・・・・・・いきますっ!」

ボールを軽く上に放る。
バットを握り、落ちてきたボールをショート方向に向かって、思いっきり狙い打つ。
割と本気で打ったその打球を、坂本先輩は涼しい顔でキャッチする。
それどころか

「ちょっと弱いか・・・・・・もっと強く打ってもいいぞ」

などと言ってくる。
さすが、甲子園経験者。
とはいえ、さすがに真正面に飛んだ打球ならキャッチされても仕方ないか。
次はちょっと左右に揺さぶってみよう。

「わかりましたっ」

わたしは打つ力を少し抜いて、コントロール重視の打球を放つ。
が、坂本先輩は先ほどと同じ涼しい顔で危なげなく打球を処理していく。

この人、本当に守備範囲が広いなぁ。打球の勢い次第とはいえ、二塁ベース上や三塁手が担当するような打球まで取れるなんて。
まあ、三年生の誰よりも守備が得意だったから、これくらいは当たり前とか思っているのかもしれないのけど。
その後も、一通り打球を捌き終えた坂本先輩はもう一人の先輩を呼んだ。

「おい、みちる」
「なに、まどかちゃん?」

坂本先輩の声に吸い寄せられるように、近づいたのは二人しかいない二年生の一人、山岡みちる先輩だ。
この人も、普段は坂本先輩と似ていて、腰まで届く長いストレートの黒髪だ。だけど、今はポニーテールにしている。
山岡先輩曰く、部活中は動きやすいし、坂本先輩と見分けもつくからポニーテールにしているようだ。
しかし、髪型と違って顔立ちは似てなく(綺麗か可愛いか、で言えば)可愛い方だ。
これで元男だというのだから『女体化症候群』って、本当にずるいなぁ・・・・・・うん、反則だ。

「・・・・・・という訳だ。では市村、頼む」
「え、何がですか?」
「・・・・・・話聞いていたか?」
「・・・・・・すいません」

山岡先輩について考え事をしていた間に、坂本先輩の話を聞き逃していたようだ。
坂本先輩の視線が痛い。
とりあえず、もう一度話してくれた坂本先輩の話によると、これから山岡先輩もノックを受ける事、ノッカーは変わらずわたしがやるという事、一年間のブランクがあるが全力で打球を打って大丈夫そうなので全力で、との事。
・・・・・・それ、本当に大丈夫なんだろうか。
いくら経験者とはいえ、一年のブランクがある相手に、坂本先輩と同じ勢いの打球を放って、まともな練習になるのだろうか。失礼な事とは思うけど、そう考えずにはいられない。

「遠慮せずにどうぞ」

わたしの思考を感じとったのか、山岡先輩がそう言った。
・・・・・・まあ、本人も言うんなら大丈夫だよね?

「じゃあ、いきますよ!」

ボールを軽く上に放り、山岡先輩の守備位置であるセカンドの方向に出来るだけ力を込めて、バットを振り抜いた。

「あっ」

しかし、打球のコントロールが狙いより上の方向に狂い、山岡先輩の頭上を通過し、外野の守備位置の方に落ちた。と思った。
が、打球は外野の方に向かう事なく、山岡先輩のグラブの中に収まっていた。

「嘘ぉ・・・・・・・・・・・・」

知らずのうちに、口からそんな台詞が洩れていた。
弾道はやや高めで、その場で手を伸ばして届く高さじゃない。それに加え、全力で振り抜いた打球のスピードはそれなりに速いものだった。
その高めの速い打球に瞬間的に反応して、ジャンピングキャッチをした。
とてもじゃないが、ブランクのある人間の反射速度と動きではなかった。
なんか、この人の事を知れば知るほど、反則じみているという思いが強くなる。

「次、いいですよ」

山岡先輩に促され、ノックを続ける。

「いきますよ!」

その後も、わたしは全力で打球を打ち続けた。





そして、数十分後

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」

後先考えず、全力で打ちまくった結果、スタミナ切れを起こした。

「うっ、Tシャツが・・・・・・」

汗で濡れているせいで、肌に纏わりついて気持ちのいいものではない。
替えのTシャツ持ってきてるし、着替えてこよう。
疲労で若干重く感じる両足を引きずりながら、なんとか部室に辿り着く。

「はぁ、なんかいつもより部室が遠く感じたよ・・・・・・」

一人、愚痴を言いながら部室のドアを開ける。

「あ、早苗っ」

ドアを開けたわたしの目の前に真っ先に飛びこんできた光景は、下着姿の女子の姿だった。しかも、知らない人ではなく知っている人だ。

「そっ・・・・・・そんな格好で何をしてるんですか、望ちゃん!」

急いで中に入り、ドアを閉め、余りにも不用心な下着姿の女子部員を叱りつける。

「なんて、って・・・・・・汗かいたから、着替えついでに汗を拭いてたりとかだけど」
「鍵をかけてください! 今回はわたしだから良かったものの、もし先輩以外の人達だったらどうするつもりなんです?」
「大丈夫、男子が来たらカーテン閉めるつもりだったから」
「カーテン閉めるまでの間に見られるでしょう!」

まったく、この子は・・・・・・

「大丈夫だよ、次からは気をつけるからさ~」
「わたしは今回の事を言ってるんです!」
「わかったから、友達にそんなに怒んないでよ~」
「友達だから怒ってるんです!」

そう、この子・・・・・・明石望とわたしは小学生の頃から友達なのだが、ご覧の通り昔からどこか抜けている。

「まったく・・・・・・さっさと汗拭いて着替えてください」

そう言い、念のためにカーテンを閉めてやる。

わたしは一人っ子なので、兄弟姉妹がいる感覚ってよくわからないけど、手のかかる妹ってこんな感じなのだろうか。
背も小さめで体の起伏もなだらか、短めの髪を少し強引にツインテールにしているところなど実年齢より幼めに感じられる。

「ふんふふーん♪」

カーテンの向こう側から、脳天気な鼻唄と絹擦れの音が聞こえる。
あ、そういえばわたしも着替えに来たんだっけ。
望ちゃんの下着姿のインパクトに忘れていた。

「望ちゃん、わたしも着替えるので入りますよ」
「うん、わかったー」

一応、確認を取ってからカーテンの向こう側に入る。
中では、望ちゃんが練習用ユニフォームまで着替え終わり、練習に戻ろうとしているところだった。
さて、わたしも早く着替えて戻らないと。
ロッカーから替えのシャツを取り出し、汗でびしょ濡れのシャツを脱ぎ、そこである事に気づいた。

「うわ、ブラまで濡れてるよ」

思わず声に出してしまった。
まあ、シャツまで濡れている事を考えれば、簡単に連想できた事なんだろうけど。
しかし、こっちが濡れているって事は下の方も・・・・・・・・・・・・うっ、考えたくない。
それにしても、どうしよう。
さすがに下着の替えまでは持ってきてないし。かといって、このまま着けているってのも色々問題があるなあ・・・・・・だからといってノーブラで戻る気はない。

「今回は、しょうがないか」

どう考えたところで、下着の替えが無い以上はこのまま着けていくしかあるまい。
ブラがびしょ濡れなので、そのせいで白いシャツの胸の部分が濡れて、透けて見えるかもしれないのが困りどころだ。だからといって、ノーブラで行く気は全然ない。
はあ・・・・・・なんで白いシャツしか持って来なかったんだろう、わたし。
とはいえ、このままではリスクがあるので、ジャージの上半身用を羽織っていくつもりだけど。
おっと、予想外の出来事が起こったとはいえ、考え事にあまり時間を取られるのはよくない。
早く着替えないと。

急いでシャツを着て、ロッカーからジャージを引っ張り出そうとして、わたしの方を向いたまま棒立ちしている望ちゃんの存在に気づく。

「ま、まだ戻ってなかったんですか?」

やや呆れながらも、ジャージを羽織り、ロッカーを閉める。

「まあ、いいです。わたしも着替え終わったので一緒に戻りましょう」

わたしが声をかけても、反応しない。どうしたんだろうか。

「早苗さぁ・・・・・・」

望ちゃんがわたしをジッと見たまま、唇を動かす。

「なんですか?」

いつもと様子の違う望ちゃんを訝しく思いながらも、返事をする。
そんな望ちゃんはわたしに近寄ると、無造作に両手を上げ

「夏休み始まった時より大きくなってない?」

わたしの両胸を無造作に鷲掴み、何の遠慮もなく揉みしだく。

「ちょっ、望ちゃん!」

わたしは止めてほしいという意味を込めて、望ちゃんの両手を掴んで胸から引き剥がす。
望ちゃんは、引き剥がされた両手に視線を移すと、少しの間黙りこみ、それから大真面目な表情で

「うん、やっぱり大きくなってる!」

と言った。
いや、わたし的にはそれよりも人の胸を断りなしに揉んで謝りの一つもなしか。と思いの方が強かったりする。
とはいえ、これも昔からの望ちゃんの奇行の一つなので、パニックを起こさずに心の片隅で「またか・・・・・・」などと思う程度には慣れている。
慣れたくはなかったけど。

「ちっ、また大きく育ちやがって、この牛乳(うしぢち)め」

この言い方には少々ムカッときた。
誰が牛乳か。
わたしより山岡先輩の方がよっぽどデカ・・・・・・それはともかく、牛乳なんて言われるほど大きくはない。
確かに高校一年生の平均より大きいとは言われるが、それでも個人差の範囲内だ。
なので、牛乳なんて言われる謂れはない。

「まったく、誰が牛乳ですか。自分が貧乳だから周りの人が大きく見えているだけじゃないですか」

わたしとしては、少々仕返しを兼ねた反論だったのだが、これが最大の失敗だった事に気づかなかった。

「言ったね? 言っちゃったね? 人の気にしている事を。フフッフフフフフフフフフフ」

なんだか、俯いたまま笑い続けている。
凄く怖い。

「牛乳って言われるの、嫌なの?」

笑い続ていると思ったら、突然笑うのを止め、そんな事を聞いてきた。

「嫌に決まっているじゃないですか。当然ですよ」

わたしの返答に、ニヤリと笑い「そっかそっか、嫌なんだぁ・・・・・・」と呟く。

その呟きを聞いた途端、背中に言いようのない悪寒が走った。
俗に言う『嫌な予感』というやつだ。

そして、予感は的中した。

「そんなに嫌って言われると、牛乳って言われても反論できなくなるくらい大きくしたくなっちゃうな~。
具体的には揉んで揉んで揉んで揉んで揉んで揉んで揉んで揉んで揉んで揉んで揉みまくって。
もう嫌だって言っても、謝るから許してって言っても、自他ともに牛乳だって認めざるを得なくなるほど大きくなるまで、揉むのを止めない」

その台詞を聞いて、悪寒が体中を駆け巡った。
あの望ちゃんの目は嘘や冗談や脅しではない。本気だ。
それを理解した瞬間、わたしは望ちゃんに背を向け

「そ・・・・・・・・・・・・そんな事されてたまるかあーっ!!」

部室から逃げたした。
しかし、その程度で危機が回避される訳がなかった。

「あははははははははははははははははははははは! 逃がさないよっ!」

笑いながら追いかけてきた。
怖い、怖いよ! 某前原さんも某鉈女に追いかけられている時も同じような恐怖を味わったのだろうか。

「つーか、あたしから逃げられるとでも?」

後ろから声が聞こえる。が、その声はバカみたいに笑っていた時より、よっぽどよく耳に届いた。
つまりは・・・・・・距離を詰められている?
恐る恐る、後ろを振り向く。
もう手を伸ばすだけで届きそうな、そのぐらいの距離しか空いてなかった。
そういえば、今の今まで忘れていたが、望ちゃんって野球部でも一、二を争う俊足だった。
さらに一年生限定で言うならば、間違いなく一番の速さだろう。
だけど、捕まる訳にはいかない。
捕まったら、望まぬバストサイズのアップで身も心も凌辱されると断言できる!

「だ、誰か助けてえーっ!」

わたしは誰かからの助けを求めながら、力の続く限り全速力で逃げ続けた。


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最終更新:2010年05月25日 22:28
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