ある新聞のある社説

―――第xx回 "プライオリティ"

 思春期の性交渉未経験の男子が突如、女性になるというセンセーショナルな病が流行してから久しい。
 現在では、それを"病気"ではなく"個性"として捉える柔和な見識も広まっており、その垣根は徐々に取り除かれつつある。それが世間一般の見識である。少なくとも、私はそう思っていた。
 だが、未だ根深い問題を抱えている人達の意見が多数寄せられる内に、私の持論は揺らぐこととなる。
 今回は教育現場を例に挙げてみよう。
 2009年10月某日。ある裁判が話題を呼んだ。
 公立小学校の女性教師が"性教育の一環として生徒にこの病気を説明することがセクハラに値する"と国を相手取り、360万円の損害賠償を請求する民事裁判を起こした。
 結果は原告の敗訴に終わる。
 "子供の人権を守るため、子供に偏見を持たせない為ためも、事実を伝える事は教育者として必要不可欠であり、セクハラには値せず"との見解を示したが故を判決である。
 しかし、この事実を知った婦人団体が原告を支持する署名活動を敢行。それが切欠となり控訴に踏み切る形となる。
 裁判を継続して傍聴している記者に話を伺ったところ「今では子供と教師、どちらの人権が優先されるのかの水掛け論が続いており、泥沼の様相を呈している」とのことだ。
 人口比率を一変させる症候群の治療法が確立されていない昨今、このようなトラブルは後を絶えない。
 果たして、この症候群にまつわる数多の問題に、氷解が訪れる日は来るのだろうか?

    ―――記者 村崎(元)


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最終更新:2010年09月04日 21:20
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