2010 > 01 > 09(土) ID:SsatgVU0

 店の外を出ると夜が明けきっていた。来た時にはまだ暗闇に包まれていたはずだ。
「んん……」
 まだ冷え冷えとした空気に身震いしながら、欠伸を噛み[ピーーー]。
大学の期末試験で提出しなければならないレポートと格闘していたので、二時間程度しか
寝ていない。母が叩き起こして来なければ、昼まで寝ていられたのに。
二十代にもなって宿題に追い立てられる生活を送るとは思わなかった。それにしても――。
「……気が進まねえ……」
 単位取得のかかったこの忙しい時期に、何が悲しくて老人の肩肘張った祝辞など聞かね
ばならないのか。祭り好きの親を持ったのが不幸の原因かもしれない。いや、これらは全
部ただの言い訳に過ぎない。一生に一度の成人式。大抵の若者は出席すると聞く。個人的
にもう一度会いたいと思っている中学時分の親友も、何人かいる。手紙で来た二次会への
出席の誘いは既に断っていたが、会場で顔を見つけられれば御の字だろう。九分九厘、向
こうはこちらに気付かないだろうが。
 まあ今日はスパイごっこだと思って楽しもう。というかそう考えないと、泣けてしまう。
それでなくとも下駄は歩きづらいし結い上げてもらった髪は頭皮を引っ張るし着物は重い
しで見事な三重苦なのである。これ以上現状を悲観すると、眠気と精神状態から来る疲労
感に飲み込まれてしまう。
 深い藍色の振袖に身を包み、独特の足音を立てながら駅前の大通りへ向かうことにする。

「んん……」
 正午近くに解放されたのだが、肝心の内容をほとんど覚えていない。どうやら椅子の上
で寝ていたようだ。途中、スピーチ中の市長に飛びかかっていく袴の集団がいたことと、
明らかに酒に酔っている集団がつまみ出される際のゴタゴタ程度しか記憶に残っていない。
あの珍騒動が一生の思い出になるのだとしたら、なんとも言えない気持ちになる。
 ホールを後にした。廊下やエントランスでは、そこかしこで再会を喜び合う若者たちの
姿があった。できるかぎり人の顔を確認しながら進んだが、旧友らしき人間は見つけられ
ない。入り口のすぐ横で配られていた景品の紅白まんじゅうを貰って、バッグに入れる。
 建物を出てすぐの前庭でも、似たような光景が広がっていた。あちこちに視線を漂わせ
ていると、一番気の合った友人の顔を見つけた。性別が変わる前までは、よく連絡も取り
合っていた。携帯電話を持って突っ立っているスーツ姿の男に近寄っていく。
「おーい」
 見知った顔を発見した嬉しさから反射的に片手を挙げたが、失敗だったとすぐに気付く。
「あ……」
 手を挙げたまま固まるという、実に間抜けな格好で硬直した。
「どちらさんで?」
 中学生の時と寸分違わぬ懐かしい声が飛んできた。
「いや、あ、そのお」
 どうしたものだろうか。人違いでごまかしてしまおうか。しかし少しくらい会話をしたい
という気持ちも強い。
「わ、私のこと、覚えてない、かな?」
 何をやっているのだろう、俺は。緊張のせいかもじもじしてしまう。これではまるで、片
思いをした相手を見つけて恥ずかしがっている女子である。
 こちらの顔をしばし見つめた後、友人が言った。
「うーん……悪い、分かんねえや」
「ああ、そう……よ、良かった」
「は?」
「何でもないです」
 自慢じゃないけどほぼノーメイクで済ませていたのだが、ばれなかったらしい。朝利用し
た店では、カットメイク担当の姉さんにこのままで完璧なんていうお墨付きまで頂いた。素
直に喜べなかったが。
「お友達と一緒に来たんですか?」
「いや、一人だけど。卒業してすぐ仕事始めたから、学生時代の付き合いとか大体切れちま
ったし」
 高校を出てすぐに働いていたのか。どことなく大人びた雰囲気はあったが、そのせいかも
しれない。レポートをため込んでひーひー言っている自分とはえらい違いだ。
「……ところで君、誰?」
「あ、え~と、中学の時同じクラスでした」
「いやそうなんだろうけどさ。俺男子高だったし。名前は――」
「そ、それはクイズということで……」
 我ながら苦しい言い逃れだったが、幸い相手が勝手に納得してくれた。
「高校デビューとかでキャラ変えたクチなのか。なら訊かないでおいてやるよ。――あ、も
しもし?」
 胸を撫で下ろしているうちに、友人は携帯片手に通話を始めていた。
「ああ、今終わった。ん? いや戻んねえよ。別にスーツのままでも気になんねえし、この
まま二次会始まる時間までその辺で時間潰すから。……ちょ、何で頼んでもないのに用意し
てんだよ……ああ、帰ったら食うから。うん、じゃあ」
 電話を終えたのを見計らって、友人に尋ねる。
「誰と電話してたんですか」
「嫁と。勝手に昼飯作ってやがった」
 ……よめ?
「嫁……っていうと?」
「嫁は嫁だよ。奥さん。ワイフ」
「……はぁぁぁ!?」
 完全に裏返った声が広場を駆け抜けたが、周囲もざわついていたのでそれほど目立つとい
うこともなかった。
「嫁って……結婚したのか!?」
「うん。もう息子も二人いるけど」
「むすこぉ!?」
 再度悲鳴を上げる。
「いちいちうるせえな……そんな驚くなよ」
「いや驚くって! 全然聞いてねえぞ俺は!? 確か俺がお前と連絡できなくなったのが高
二の冬あたりだから……仮に卒業後に生まれた子供だとしても、一年ちょっとでのゴールイ
ンになんのか!? いや、お前俺に彼女いること隠してたろ! じゃなきゃそんなスーツ着
込んでこの場に立ってるわけないじゃん!」
「ああ、なんか今お前の正体が掴めた気がする……全然記憶にないからおかしいと思ったん
だよ……こんな顔の女がいたら、絶対覚えてるもんな……」
「……と、突然何を言ってるんですか? 私は謎の同級生Xですよ」
「まあ、弁解はゆっくり聞かせてもらうよ。突然親友にシカトされた少年時代の俺が負った
心の傷は、お前の体で癒してもらうからな」
 ぐいと手を掴まれ、絶叫した。
「い……嫌あああああああ! やられるうう!」
「冗談に決まってんだろ馬鹿! 頭の出来は全く進歩してねえな!」
「何だと! こちとら最高学府で教育を受けてんだからな! てめえらみたいな低学歴とは
育ちからして――ぐはぁ!」
 頭を痛打されたその一時間後、車に拉致され振袖姿のまま親友の家にお邪魔することにな
るのだった。


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最終更新:2010年09月04日 21:40
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