赤羽根探偵と奇妙な数日-3日目午前-

【赤羽根探偵と奇妙な数日-3日目午前-】

 ―――辛うじて人と人との間から引き抜いた左手の腕時計を見やる。
 午前7時13分。正確に言うならもうちっと早い時刻か。
 ……あー、クソ眠ぃ。
 結局、昨日も延々とロリコン大先生のよく分からん講義に付き合わされて殆ど寝てねぇんだぞ畜生。
 なのに……何が悲しくてリーマンやら学生でごった返す乗車率250%オーバーの満員電車で、ハンバーグの気分を味あわなきゃならねーんだかな、ったく。

 両手両足の動きも制限された車両の中、俺は中刷り広告のキャミソール姿のグラビアアイドルに向けて小さく溜め息を吐く。
 ……その微かな音に反応したブレザー姿の少女が俺を睨んできやがった。

『嫌なら帰れよ』

 俺の歩幅で約7歩ほど離れた位置に居るそいつが、目でそんなようなコトを訴えてくる。
 つーか、こっち見んなっつの。何のために離れて同じ車両に乗ってるんだと思ってンだ?
 俺の危惧なんざ露知らず、名佳はつんけんとした態度のまんま再び窓に視線を戻す。
 ったく、思春期真っ只中のガキの保護者っつーのは、こんなダルいモンなのか?
 ……当分、独身でいいわ俺。


 ……俺がこんなとばっちりを受けてんのは他でもない、神代を始めとする異対委のせいだ。

 ―――ぼんやりと昨日のコトを反芻する。


『っ……大体の話は訊いた』

 平静を装ってはいるが、肩で息をしている様を見る限り、濃縮された予定の殆どをキャンセルして文字通り、すっ飛んで来たんだろう。珍しく額に汗まで浮かんでやがる。
 委員長室のソファでダラダラとしていた俺を見るなり、神代は呻くみてーに呟いた。

『そーいきり立つなよ。コイツまでビビって固まってンだろーが』

 ビビってない。そう言いたげな名佳の視線が横から飛んでくる。
 その視線を無視して、俺は先ほど踏み潰したばっかの中身がはみ出た盗聴器をテーブルに差し出した。

『報告は受けてンだろ? コイツが嬢ちゃんの鞄に入ってた』
『やはり……昨日の事件で?』
『俺はそうニラんでるがな』

 寄りかかれば何処までも沈んでいきそうな柔らかなソファに全体重を預け、俺は依頼主の言葉を待った。
 ……が。

『―――それは単に坂城さんがストーカー被害にあっただけじゃないのか』

 それよりも前に、興が削がれたような低いトーンで、名佳がそっぽを向きながら呟いていた。
 ……ったく、物事の順序ってモンを知らない奴だなコイツ。

『だとしたら、なンで、わざわざ人目に付くデパートなんかでひったくった鞄に盗聴器を仕掛ける必要があるんだ?
 気付かれちゃ元も子もねぇだろ』
『っ、それは……』
『―――それに、単に嬢ちゃんをストーキングするだけなら、半永続的に使える嬢ちゃんの部屋のコンセントにでも仕掛けるだろ』

 ……ま、それもそれでリスクは伴うが、わざわざ不特定多数の人間の前で犯罪を行うよりリスクはずっと低いだろう。

『それに、わざわざ電池式の盗聴器を使うのも変な話だ。……まるで、彼女の情報は"一定期間のもの"しか必要としていないみたいにね』

 補足どーも、ロリコン官僚様。

『じゃあ、何でそんな不完全な盗聴器が仕掛けられたって言うんだ?』

 いつまで経っても自らの疑問にたどり着けないせいか、多少苛ついた口調で"妹"が結論をせっついてくる。
 おいおい、他人様から強制されない考察ってのは楽しいんだぞ? 俺の妹を名乗るんだったらそれくらい分かってくれよ。

『―――嬢ちゃんには悪いが、個人的な趣味嗜好であの不完全な盗聴器を仕掛けた訳じゃねぇってことだよ』

 コイツは推測だが、それに嬢ちゃんは気付いてたんだろう。じゃなきゃ、事実を知った際にもっと恐怖心を煽られてるはずだ。だが、そうじゃなかった。あの私設秘書サマは心底から悔しがっていた。自らの浅はかさを呪うかのように、奥歯を噛み締めていた。
 ……気付いた理由は知る由もねぇがな。

『他に理由があったから、あんな派手な事をしてでも坂城さんのバッグに盗聴器を仕掛けた……そういうこと?』
『お、段々と結論に近付いてきたじゃねーか』
『茶化すなっ』
『へーへー。となると、次に何を考えるべきか見えてくるよな?』
『……リスクを顧みずに坂城さんのバッグに盗聴器を仕掛けた、その"理由"?』

 妹の答えは60点ってトコか。ま、及第点はやってもいいだろう。

『もしくは、"そうせざるを得なかった理由"だな』

 そこで、俺は話を黙って聞いていたであろう神代に視線を移す。
 けっ、推理小説みてぇな臭い言い回しをするなら"真相に近付きつつある"ってのに、この野郎涼しい顔してやがる。

『……まさか、"ここ"を?』

 っと、どうやら知らず知らずの内に名佳にヒントをやっちまってたらしい。

『―――"委員長室の会話を盗聴するため"にリスクを承知で犯人はあんな真似に出たっていうのか?!』
『可能性は高い』

 私設秘書という名目で委員会のビルはおろか、委員長室でルービックキューブ遊びが出来るくらいの顔パス、それが坂城 るいだ。盗聴するならば彼女は打ってつけの相手だろう。

 だが……今までの話を統括すると一つ、不自然な点が残る。
 名佳はそれに気付く様子もない。
 ……ま、そいつは追々訊かせてもらうとしようかね。目の前のお偉方によ。

『んで、漸くスタート地点な訳だ、分かるか?』

 バカにするな、と言わんばかりの少女と少年の間のようなの鋭い視線が向けられる。

『"何故、委員長室を盗聴したのか"―――だろ?』
『良く出来ました、と』

 ―――そこで、俺達は神代に視線を向けた。


―――――
――――
―――


『毎度ご乗車下さいましてありがとうございましたー次は―――』

 ―――抑揚の少ない車内アナウンスが流れ、俺は現実に引き戻されたような気がした。
 視線の先で、名佳が停車駅表をチラチラと見やりながら不安そうにしている。
 ……俺は何の合図も出さず呆けていた。無論、ちゃんとした理由があるのだが。

 ―――空気が抜けるような音がして同時に幾つもの扉が開いた。

 自分の意志とは無関係な流れに身を任せて出口を目指し……俺は溜め息を吐いて、自動ドアの横で身を守るように両手で自分と鞄を抱いたまま動こうとしない不精者の少女の手を掴む。

「え……?」
「降りンぞ」
「わ……っ!?」

 困惑した表情のまま固まった名佳を車内から引っ張り出した。
 それと同時に自動ドアが閉まり乗車率が軽減した電車が動き出す。

「先に合図しろよっ」

 名佳が小声で非難してくる。
 ま、"騙す側"の人間がこんだけ驚いてんだ。もし尾けられてたとしても、これで撒けた筈だ。

「"向こうさん"に気付かれたら元も子もねーだろ」
「それは……っ、そーだけど……」

 十分な回答をしたはずなのに、名佳は俯きながら口をもごもごさせていた。長い前髪で隠れて見えないが、不服そうな目をしてるんだろうな。多分。
 理解はしているが、納得はしていないといったところか。

「文句だったら、あのロリコンに言え」
「やだ。あの人、なんか怖い」
「駄々っ子か、お前」

 ……ま、気持ちは分からんでもないがな。

「行くぞ」

 非接触型のICチップ電子マネーカードで自動改札を抜けて、看板の案内通り南口の方面の階段を降りていく。……いつもより歩調がゆっくりになってンのは、多分名佳のせいだろう。
 人間、頭一個半くらいタッパに差があるだけで、こうも歩行速度に差があるもんなのかね。
 どうせなら、もっと年相応の美人を連れて歩きたいモンだが。……まぁ、横でとてとてと歩いてる名佳も黙ってりゃ相当美人の部類に入る。
 ……ま、この際、贅沢は言ってらんねぇか。

「……なんだよ?」

 ふと、視線が名佳とかち合う。
 自分が意識してないところを見られて恥ずかしいのか、頬が若干紅潮してるように見えた。

「似合ってんじゃねーか、そのブレザー」

 ちなみに、今名佳が着ているブレザーは万一俺らが尾行されてた時のカムフラージュ用のもので、嬢ちゃんの通う学校とは別の物だ。無論本物は別に用意してある。

「っ、そーいう言葉は恋人にでも言えよっ」

 制服が似合う恋人って、俺からしたら淫行罪になるんだが。
 一丁前に真っ赤になりながら何言ってんだ?

「……あのな、コイツは潜入捜査の一環だ。周囲に違和感なく溶け込むっつーコトは探偵にとって必要なスキルなんだぞ?」
「……潜入捜査、ね」

 何を大袈裟なことを言ってんだ、と言わんばかりに溜め息をつく名佳。

「ちなみに俺は過去に仕事でオカマバーに潜入したことがある」
「ホントかっ?!」
「ウソだ」

 いてっ。
 二の腕にパンチされた。
 世の中の妹持ちの兄貴はこんな苦労を背負って生きてんのかね、同情を禁じ得ないな。
 ……ま、そんな苦労でも居ねぇよりはマシなのかもしれねーけどな。

 ―――さて、件の待ち合わせ場所はココだったっけか、どこにでもありそうな駅前のバスロータリー……の、どこにでも……は無さそうなマッチョな銅像の前。
 ……こんなパッツンパッツンのブーメランパンツを穿く奴の前で待ち合わせたくねぇもんだが、これ以外に目立つモンがねぇからなぁ。

「あ、居た」

 幾分テンションの低い声がして、そちらを振り向く。
 バス停の近くに二人の少女。
 名佳とは違うセーラー服に身を包んだ見覚えのある姿が駆け寄ってくる。

 ……嬢ちゃんと、委員会で見掛けた被験者の片割れか。

「ふぁあ……おはよございまーす」

 緊張感の欠片もなく口を開ける嬢ちゃん。
 ―――昨日の今日だから、もうちっとピリピリしてんじゃねーかと思ったらコレか。
 ……もう少し緊張感を持っててもバチは当たんねーと思うんだが―――。

「―――大丈夫ですよ、探偵さん」
「あン?」

 不審に思う俺の真横から嬢ちゃんでも名佳でもない、おとなしい声が俺を呼び止める。
 昨日も委員会で見た、セミロングの黒髪が似合う線の細い少女のものだった。

「るいちゃんは、大丈夫です」
「………」

 何を根拠に、何が大丈夫なのか全く以て理解しかねるが、その優しい声に騙されて思わず頷きそうになる。

「あ、すみません。ご挨拶が遅れました。"御堂 初紀"です」
「……あ、あぁ、ご丁寧にどうも」

 深々と頭を下げられて、すっかり自分のペースを乱されてしまった。
 ……何つーかか、嬢ちゃんとは違った意味で組みし辛い相手だな。

 御堂 初紀、か。

 どっかで聞いたことのある名前だが……面識は無い。

「赤羽根だ。こっちは"妹"の―――」
「―――"なのか"ちゃん、でしたっけ? よろしくお願いしますっ」
「……よろしく」

 にこやかに手を握って名佳に挨拶してくる初紀嬢ちゃん。
 ……どうやら、名佳も同じ印象を彼女に抱いたらしい。
 あまりに無警戒で距離感が掴めない美少女に、半歩退く我が妹。
 ……昨日、嬢ちゃんが言ってたことから推察するに、この御堂 初紀という少女も名佳達と同類項なんだろうが……同じ異性化疾患の人間でもこうも違うとは。

「―――なぁに呆けてるんですか赤羽根さん? 初紀ちゃんの方が私よりタイプですか?」
「……」
「あ、やっぱり、なのちゃん一筋―――」
「「……」」
「あの、兄妹揃って睨まないでくれますか……」

 嬢ちゃんの冗句に付き合ってる暇はない。それは俺も名佳も同意見らしい。

「んじゃ俺は行くわ。嬢ちゃん、後は頼んだ」
「……なーに他人事ちっくなこと言ってるんです?
 赤羽根さんも行くんですよ、学校」
「は?」

 ……今、嬢ちゃんから信じられない発言を聞いた気がする。気のせい、ではないようだ。それを嬢ちゃんの目で確認する。

「まさかとは思うが、この年になって学生服に身を包めとか言うんじゃねーだろうな?!」
「鏡を見ます?」
「見ます?」
「見る?」

 ―――言い得て妙だが―――元少年の三人娘から思ったよりも辛辣な言葉とコンパクトの鏡が差し出される。

「……見飽きてるからいい」

 そりゃ、そうか。……あぁ、分かってたとも、分かってたさ。
 だからそんな目で俺を見るな。

「変質者と間違われてもいいならどーぞっ」

 清涼飲料水のコマーシャル顔負けのさわやかスマイルで毒を吐くな嬢ちゃん。

「……お前、ぜってーロクな死に方しねぇぞ」
「末路が選べるほど、平坦で退屈な道を選んだつもりもありませんよ?」

 たかが十代の小娘が、人生悟ったような口振りで俺に笑いかける。
 ……なんなんだ、この敗北感は。

「素直に負けを認めろよ」
「……言うな、妹」



「さ、冗談はさておき。
 一応、なのちゃんには今日、編入試験を受けて頂くカタチになりますっ」
「一応?」
「……諸事情を加味してますからね」

 流石に"記憶喪失"なんて非日常的な言葉を口にするのは躊躇われるらしく、嬢ちゃんは辿々しく笑いながら言う。

「それってまさか……裏口にゅうが―――んぅっ!!?」
「―――はぁい、初紀ちゃん、人聞きの悪いこと言わないでねー」

 事情を正確に把握していないセミロングの少女が素っ頓狂な声を上げそうになった途端に、嬢ちゃんがその白く細い指先で彼女の耳を艶めかしくなぞり、言葉を遮る。

「や、ちょ……る、い……ちゃ…はぅ…ん……っ!?」

 ……朝から何ともまぁ官能的な光景だこって。

「あ、う……」

 おーおー、名佳も顔真っ赤にしてやがる。

 ―――この初紀っつー娘は耳が性感帯か。……十中八九、俺には必要のない情報だな。

「や、……っは、……はぁ……はぁ……」
「くすっ、興奮しました?」

 漸く弄びから開放されて、涙目になりながら必死に息を整える少女を、横目で見ながらイタズラっぽく笑い、意地の悪い質問を投げかける委員会の私設秘書。

 ……おい、神代。お前、人選間違えてねーか?

「……脱がないエロに興味はねーな」
「ありゃりゃ、残念。寂しい"性活"を送ってらっしゃる"オジサン"には、いいオカズ提供になると思ったのになぁ」

 大きなお世話だ。

「っ、もうっ、るいちゃんっ! 次やったら本気で怒るからねっ!!?」

 ……大きなお世話ついでに言わせて貰うと、涙目で主張しても嬢ちゃんの加虐心を余計に煽るだけだと思うぞ、初紀嬢ちゃん。

「―――っと」

 ―――不意に、安物の一張羅の内ポケットからケータイのバイブが鳴り響く。はぁ、今度こそ、あのイヤミな大家からの督促か……。
 サブディスプレイには……"ロリコン"の文字。……またかよ。

「ちょいと失礼」

 三者三様のリアクションをもーちっと楽しんでいたかったが、そうもいかない。仕方なしと割り切ることにして、俺はケータイを開き、通話ボタンに親指を伸ばした。

「……あいはい、こちら赤羽根探偵事務所の所長、赤羽根です。ただいま電話に出ることが出来ません、ご用の方は―――」

『―――19回目だな』

 電話口から呆れ返ったイケメンの声が返ってくる。

「律儀に数えてんじゃねーよ」

 最早テンプレートになりつつあるな、このやりとり。

『その様子だと無事に二人と合流出来たみたいだが』

「無事かどうかアヤしいモンだが」

『何かあったのか?』

「今さっきまで初紀嬢ちゃん……だっけか? 彼女が身悶えてた……いてっ!?」

『……はぁ』

 ありのままの報告をしてるだけなのに、何で二人の嬢ちゃんからは二の腕をパンチされ、電話口からは溜め息を吐かれなきゃなんねーんだよ?!

『名佳くんに関しては大丈夫か?』

「あぁ、ピンピンしてる。男だったらビンビンっつった方が……いってっ!!?」

『……はぁ』

 今度は名佳から二の腕をパンチされた。加減を知らない分、嬢ちゃん二人よりタチが悪い。くそっ……今日一日だけで二の腕いくつ青痣を作ることになるやら。

「……んで、今や三人娘のパンチングマシーンに成り下がってる俺に、お役人様が何の御用でしょーか」

『そんな冗句が言えるのであれば首尾は上々なのだろう? ならば、名佳くんは二人に任せて、キミには別行動を取って貰いたい』

「あン?」

『警視庁捜査一課の拝島刑事、宮前刑事の両名に接触して欲しい』

 拝島とゴロリンか。……苦手なんだよなぁ、あのコンビ。特に後者は野良猫みてーに敵愾心剥き出しで、気を抜くと肩に青痣がまた一つ増えるハメになるしな。

『昨晩から委員会の人間は、まともに身動きが取れない状態なんだ。今は、少しでも情報が欲しい』

 そういや、ゴロリンの奴が言ってたな。昨日の夕方には警察の知ってる情報はマスコミに公開されている。
 ……ま、委員会組織の人間が殺られたんだ。神代が行動を制限されちまうのも、当然っちゃあ当然か。
 委員長に情報が早く回ってきても可笑しい話じゃない。

「依頼主の御要望とあらば、断る道理はねーな」

『すまないがよろしく頼む。
 キミの事だから分は弁えているだろうが、一応は注意してくれ

「言われなくても、てめーの身はてめーで守るさ」

『どうだかな。……と、すまない。―――あぁ、はい、今行きま――』

 尻切れ蜻蛉に通話が途切れ、一定感覚で鳴る電子音を確認してから終話ボタンに親指を伸ばす。
 ―――恐らく、神代家の坊ちゃんは今回の一件で矢面に立たされることになるんだろう。
 委員会の人間……しかも、その現行のトップともなりゃまともに身動きがとれないのも頷ける。

「―――今の、せんせーからですよね?」
「あぁ」

 俺と神代の通話終わりを見計らって、イの一番に口を開いたのは、嬢ちゃんだった。
 一応の公私のけじめはついてるらしく、その表情は引き締まって見える。

「先生って……宗にい?」
「……うん」

 初紀嬢ちゃんの質問に小さく頷いてみせる私設秘書。

 ―――こいつは、驚きだ。

 イケメンの割に浮いた話を全く聞かない神代のことを、下の名前で、しかも"にい"って親しげに呼ぶ女が居たとは。

 だが、その相手は高校生。

 ……俺の中で、神代のロリコン疑惑が真実味を帯びてきた瞬間だった。

「―――で、神代さんは、何て言ってきたんだよ?」

 あまりに意外な出来事に我を忘れていた俺を、漸く平静さを取り戻した名佳がイラついた口調でせっついてくる。

「あ、あぁ、……こっからは別行動を取れってよ。
 ……とりあえず、学校への挨拶は後回しだな」
「ありゃ、ってコトは赤羽根さんは新宿までそのまま逆戻りですか?」
「まー、そうなるわな」
「埼京線で、ですか?」
「わかりづらいボケをかますな」
「んー、面倒ですねー」
「そうでもねぇさ」

 嬢ちゃんが言うほど大した事じゃない。俺自身、今横で不貞ってる妹を学校まで送ったら、そのまま個人的に事件を調べてみるつもりだった。そのタイミングが少しばかり前後しただけだ。

「そんじゃまぁ、後は頼むわ」
「じゃあ、気を付けて」
「おう」

 上着のポケットから赤ラークを引っ張り出し、フィルターをくわえ、100円ライターで火を点ける。
 その片手間で右手を振って別れの挨拶に代えることにした。……が。

「―――ちょっと待てよ」
「あン?」

 不意に名佳の白い掌が差し出される。

「……ンだよ?」
「―――路上喫煙は罰金刑、だろ」

 お前はどこぞの合法ロリ警官か。つーかお前に払うのかよ、罰金。
 ………あ、そういうことか。

「ったく、こちとら万年金欠病なんだぞ。……ほれ、罰金」

 俺は致し方なしに、財布から樋口さんを取り出して名佳の掌に叩くように置く。俺の趣味である1円パチンコ代がパーになっちまったが、背に腹は代えられねぇ。

「これだけありゃあ足りんだろ」
「……サンキュ」

 目的を達成して満足そうに笑う名佳。
 ……ったく、帰りの電車賃が欲しいなら素直にそう言えっての。

「ま、気楽にやれや」

 試験なんて堅っ苦しい言い方をしちゃいるが、所詮は出来レースだ。
 神代の家柄と繋がりを持ちたい奴なんざ、いくらでもいる。
 それに万一、編入試験に落ちた時はそん時考えりゃいい―――が。

「……そうも言ってられないだろ」

 名佳はそれでも不安そうな面を浮かべていた。

「心配すんなって。神代のヤツが手を打ってあるっつの」
「そうじゃなくて!」
「なんだよ?」
「その、……もういいっ」

 何が不服なのか、俯いたまんま機嫌がよろしくなさそうな面で踵を返す名佳。
 ……一体なんだっつーんだ?

「まーったく、折角イイ雰囲気だと思ってたのに。これだから赤羽根さんはー……。
 ね、初紀ちゃん?」
「……」

 溜め息混じりに嬢ちゃんに非難され、同意を求められた初紀嬢ちゃんは黙ってこそいたが、彼女の沈黙は無言の肯定とも取れた。
 二人は今、俺に対して同じ感情を抱いているに違いない、が、それがどういった意味合いを持ってんのかまでは分かるワケもなく。

「な、なんだっつーンだよ……?」
「いーえ、べっつにー」
「……なんでもないです」

 至って普通の質問をしただけなのに、威圧と嫌みとガッカリ感を混ぜ合わせたような冷めた表情で、二人から目を逸らされた。

「いやっ、今、あからさまに何か言いたそうだったじゃねーか―――」「―――あ、バス出ちゃうよ、行こっ!」
「あ、おいっ!?」

 あからさまに俺を疎外するような嬢ちゃんの明るい声色の号令で、三人はバスに乗り込んで行く。
 そして俺が抗議の言葉を発する前に、バスの中扉が閉じ―――

 ―――そのままバスは走り去って行った。

 ……はぁ、ここ数日、アイツらに振り回されっぱなしじゃねーか。
 なんなんだ、厄年過ぎたよな、俺?

 そんでもって―――まだ災難は続くらしい。

「―――俺に何か用かぁ? そこの学ラン」

 さっきから、マッチョの銅像の陰に隠れてこっちを見てた学ランのガキんちょに声を飛ばした。
 名佳と二人で電車に乗ってた時にあんな野郎は見掛けなかったから、恐らく"事件"の関係者ではねぇと思うが。
 ったく、本業にそんな見え見えの監視が通用すると思ってンのか?

「………チッ」

 もう誤魔化せないと腹を括ったのか、舌打ちが聞こえてくる。……こっちが舌打ちしてぇよ畜生。

 ―――ま、とにかく本業を見張るなんて馬鹿げたマネをした間抜けの面を拝んでみますかね。

「「……あ」」

 銅像の陰まで歩を進め、互いの顔を認めた瞬間に、そいつと俺は同じ口形で数秒固まっちまった。
 チラッと見ただけでも強烈に印象に残る斑な茶髪と、無愛想な切れ長の目。
 ―――間違いない。昨日、委員会で初紀嬢ちゃんと一緒に奴だ。

「……ちわっス」
「お、おう」

 向こうも今気付いたらしく、慌てて勢い良く頭を下げてくるモンだから、何か調子が狂っちまって、上手く言葉が出て来ない。
 ……なんで野郎同士、マッチョの銅像の前で何となく気まずい空気にならなきゃなんねぇんだ?

「嬢ちゃん達の乗ってたバス、もう行っちまったけど……いいのか?」
「え……、あぁ、ハイ。大丈夫ッス」

 腕時計を見やる。現在8時35分。
 こっから、あのバスで……学校までは案内板曰わく約15分。次のバスが5分後に来ると仮定して、朝の時間帯で道路混雑も加味するってーと……。

「いっつっ!?」

 とりあえず、その学ランの頭を軽く小突いとくことにした。

「何すんだ―――!?」
「―――大丈夫じゃねーだろ。遅刻する気満々じゃねーか」
「ぐ……っ」

 正論を言われ、抗議の声が止まる学ラン。
 ……まぁ、俺も学生の頃は頻繁に遅刻したりサボったりしてたから本当ならこんなコト言える立場じゃねぇんだけどな。

「んで、どうして俺らのコト見張ってたんだよ? お前さんなら嬢ちゃん達とも面識があんだろーが」
「いや、その……」
「あぁ?」

 さっき嬢ちゃん達に体よくやり込められたストレスも相俟ってか、俺は高圧的な態度で学ランに詰め寄っていた。

「だからっ、るいの奴、何か最近様子がおかしいし、盗聴されてるって聞いたから……少しでも、アイツの力になれたらなって思って……」

 ま、確かに盗聴されてたっつのは事実だし、様子がおかしいのは十中八九"事件"の所為だからなんだろうが……なんつーか空回りしてんな、コイツ。
 単なる知り合いにしちゃあ、行動が行きすぎてる。

「……まさか、嬢ちゃんに惚れてんのか?」
「いや、そのっ、なんつーか……」

 うっわ、分かりやすい奴。
 お前は塩酸垂らされた青のリトマス紙か。

「……あーいい、大体分かった」

 ……今時こんな純情なヤツが居るんだな。俺が動物愛護団体なら迷わず天然記念物に指定するわコイツ。
 ま、この学ランが嬢ちゃんみてーなジャジャ馬娘の相手になるかどーかはさて置いて、だ。
 どうやらコイツは悪ぶってはいるが性根まで腐ったアホではないらしい。……コイツなら力になってくれっかもな。

「そういやぁ、昨日も見掛けてっと思うけど、さっきまで嬢ちゃん達と一緒に無愛想なブレザーの女の子が居たろ?」
「あ……はい」
「あれ、今度お前さんの学校に転入する俺の"妹"だ。事情は……まぁ嬢ちゃんにでも聞いてくれ。
 まーアイツ、俺と違って偏屈でヒネくれた奴だけど悪いヤツじゃねぇと……思うから仲良くしてやってくれ」
「……分かりました」


「んで、お前さん、名前は?」
「……人に名前を尋ねるときは自分からって小学校で習わなかったンスか?」

 ンの野郎。俺、コイツ嫌いかも。

「……赤羽根だ。一応、名刺も渡しとくか」

 神代に渡してからとんと出し入れもしていなかったカードケースから一枚名刺を取り出して、生意気なガキんちょに手渡した。
 そこで漸く納得したのか、学ランは自己紹介を始める。

「……前田です。前田 陸(ひとし)」
「前田クン、ね」

 ……個性の欠片もない名字と名前で覚えづらい。やっぱあだ名は学ランで決定だな。たとえ学ラン着てなくてもそう呼ぶ。コイツは決定事項だ。

「っと、もう行かねーとな」

 気付くと結構話し込んじまってた。流石に、そろそろ仕事に掛からないと神代にどやされる。

「んじゃな、学ランクン、学校サボんなよー?」
「前田っス!」

 何か、背後から抗議の声が聞こえたような気もするが、まぁいい。

 俺は再び駅への階段を登り、新宿方面の電車へと乗り込んだ。



 ―――通勤ラッシュの時間帯を抜けたせいか、帰りの電車は余裕綽々で隅の座席を確保することに成功した。

 いつもなら、ここで直ぐに眠りこけるトコだが……。
 一応、今回の"事件"と"名佳"についての情報を整理しとくか。

 ―――上着の内ポケット使い古したメモ帳と万年筆を取り出す。




 【新宿アパート放火殺人事件】

 現場:新宿3丁目のアパート ノワール旧館
 被害者:藤崎 充(53)
 職業:官僚(異対委の役員の一人)
 死因:銃殺?(要確認)
 備考:事件発生の数日前より、犯行予告とも取れる脅迫文が委員会に送付されていた。
 内容は"来週までに審議が決する異性化疾患の新法案の資料提出を止めろ、さもなくば委員会に関わる人間を無差別に殺していく"というもの。

 ※ 事件発生のほぼ同時期に、現場より50メートル程離れた地点にて記憶喪失の少女を保護(名佳)。
 事件に関与している可能性、神代や坂城るい等の委員会主格人物と接触していることを加味し、神代委員長代理の判断により法案が可否が採決されるまでの間、警察への届け出を見合わせている。

 ※2 後日、私設秘書 坂城 るいの鞄にひったくりを偽装して盗聴器が仕掛けられる事件が発生。同一犯?


 ―――こんなとこか。

 正直言って、今の段階で―――このメモを改めて見る限りでは―――名佳が事件に関与してる可能性っつーのは皆無に近い。
 ゴロリンの様に可能性がある限り疑いの目を向ける奴以外なら、吐いて捨てるような確率だ。
 言っちまえば、警察や他の公的機関に任せずに委員会(というか神代)が名佳を保護している理由は―――
 ―――皮肉にも俺が名佳を拾い、委員会のビルに連れて行ったことに端を発していた、ということになる。

 もっと言っちまえば、ひったくり事件の時に終始監視されてたとなると、向こうさんに名佳の存在を知られただろう。
 ……かと言って、今、完全に委員会から離れるのはもっとヤバい。
 委員会から入手出来る情報が制限されちまうし、神代家の庇護から離れるっつーことは……警察に名佳を引き渡すコトを意味する。

「……ふぅ」

 気付くと溜め息が出てた。久々に来た身入りのデカい仕事だっつーのにだ。

 ……"家族"か。

 ―――てめーが言った言葉に、てめーが一番縛られてんじゃねーか。……世話ねぇな。
 窓の外を流れてく灰色の風景を眺めながら自嘲する。

 ……思春期まっさかりのガキか、俺は。
 っと、もうすぐ終点か。さぁて、楽しい楽しいお仕事の時間だ。……気張ってかねーとなぁ―――

「―――ちょっとバカバネっ!」
「……あン?」

 近くで、息混じりの甲高い声がして視点のピントを、いつの間にか目の前に立っていた子供に合わせると、吊革のギリギリの辺りに掴まって、フラフラしながらこちらを睨んでいた。

 ………って、オイ。

 なんで新宿区警察の女刑事がこんな時間の電車に乗ってんだ? 遅刻じゃねーか?

「しょーがないでしょ?! アンタ達が急に降りるから!」
「何も言ってねーだろ」
「言わなくても分かるっての」

 ……ん、今なんつった? アンタ"達"?

「お前、性懲りもなく俺達を尾けてたのかよ」
「気付いてなかったの!?」

 ……どうやら、念の為に尾行を撒くような行動をしてたのも、無駄じゃなかったようだ。
 つーか、満員電車で遠くの他人に気付かれるようなタッパなんぞねーだろ、お前。

「失礼ねっ!」
「……だから心を読むな、ゴロリン」
「ゴロリン言うなっ!!」

 ……面倒な奴。
 でもまぁ、お陰様で面倒は省けそうだ。俺が直々に警察に向かうと面倒が起こりそうだしな。

「……見たぜ、ニュース」

 俺のこの一言で、ゴロリンの顔が途端にシリアスになる。が、警察と対峙するような重圧感を持ち合わせてないのが玉に瑕(キズ)か。

「被害者は、委員会役員だった。
 奴さんが情報を止めンのも無理ねーじゃねーか。
 どうして、俺や名佳に固執すンだ?」
「……本気で調べがついてないと思ってるの?」
「……はぁ?」

 疑いの眼差しで俺を睨みつけてくるゴロリン。

「何が言いたいんだ?」

 委員会の代理の長として、上代が情報を止めたいと思うのは山々じゃねーか?

「……とぼけるのは上手いのね、それとも赤羽根探偵事務所々長サマは、委員会にとってその程度の存在なの?」
「……もしかして、ケンカ売ってんのか?」
「どう捉えようと、アタシは構わないけど」

 真っ正面から睨み合う椅子に座ったまんま俺と立ちっぱのゴロリン。

『次はー新宿ぅ、新宿です。JR線、私鉄各線、地下鉄―――』

 低い抑揚の車内アナウンスを皮切りに、呆れたように女刑事は視線を逸らした。

「―――いいわ、イイ機会だから教えてあげる。付いて来て。……アンタは気乗りしないでしょうけど」
「任意同行かよ?」

 そこで、一瞬会話が静止した。

「………アンタを引っ張れる材料があるなら最初からそうしてる。こんなコソコソした真似なんかしない。
 分かってるクセに訊くのは無粋だと思わないの?」
「いーんだよ。探偵なんてそんなモンだろ」
「……今、全国の同業者を敵に回したわよ、アンタ」
「知るか」



『新宿ぅー、新宿です―――』

 電車のドアが開くと同時に、俺達は雑踏に紛れる。
 やっぱ、新宿の人混みっつーのは好きになれねぇが、慣れちまえば楽だ。誰も俺なんかに興味を示さないからな。

「……逃げないでよね」

 そんな俺の考えを知ってか知らずか、ゴロリンは釘を刺してくる。

「なんで逃げんだよ」
「バカバネは信用ならないから」
「バカバネ言うな」
「じゃあ、ゴロリン言うなっ」
「やだね」
「じゃあ、アタシもやだ」

 なんともまぁ、身のない会話だな。とても20代同士の会話とは思えない。
 まぁ……ゴロリンは年相応の振る舞いにしか見えねぇけどな。

「……そういえば、その……っ」

 何かの会話の口火を切ろうとしてんのに、何故かその一言目で詰まるゴロリン。

「ンだよ?」
「その、……"妹さん"は、どうなの?」
「あ? 今日見てたんじゃねーのか?」

「名佳ちゃんじゃなくて……
 その、"上の"妹さん」

「―――っ!」

 心臓の裏側を押しつぶされたような気がした。

「……次、"妹"なんて軽々しく言ったら、殴るぞ」
「あ……ごめん、なさい」

 いつも顔を合わすと悉く意見が食い違い、口論になるゴロリンだが、こん時ばかりは大人しくなるらしい。
 ……お陰で、こっちもペースが乱されちまう訳だが。

「―――あの寝坊助は、まだ寝てんよ。……こっちの気も知らねぇでな」
「そっか、早く、起きるといいね」
「……どう、なんだかな」
「バカバネ?」

 昨日――演技とはいえ――事務所で名佳に言われた事が脳裏をよぎる。
 何が本人にとって幸せで、何が不幸か。その結論を出すのは、結局のところ他人ではない。てめー自身だ。
 それを、頼みもしねぇのに、選択肢を与えた状態で保留にしてることが正しいかどうかなんざ分からねぇ。
 常識で考える、なんて無駄だ。
 平均値なんざ意味が無い。
 だが結局は、その平均値に縋ることしか、俺には出来ない。

 ―――そんな状態が続いて、もう7年も経つ。

「……バカバネ……?」

 いつの間にか、歩みを止めていた俺の顔を覗き込んでくるゴロリン。
 やめろ、そんな顔すんな。

「―――お前なんかに同情されるほど俺は落ちぶれちゃいねーよ」
「……はいはい」

 突き放すように言ったつもりだったんだが、ゴロリンは気にする様子もなく、ニコリと持ち前のロリータスマイルを浮かべて明るく返してきた。

 ……ったく、名佳といい、嬢ちゃん達といい、ゴロリンといい……オンナゴコロってのはよう分からん。

「ほら、何してんのっ、行くよバカバネっ!」

 歩みを止めていた俺を、促すようにゴロリンは言う。ったく、コイツは俺を捕まえたいのか、励ましたいのか、どっちなんだ?

「……誰がバカバネだ、コラ」

 その狭い歩幅でとてとてと早歩きをするスーツの後ろ姿を、人混みで見失わないように俺は追った。

 ……その合間に、チラリと時計を見やる。

 ―――午前11時54分、か。

 ……今日は長い一日になりそうだ。


 【赤羽根探偵と奇妙な数日-3日目午前-】


  完


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最終更新:2010年09月04日 22:40
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