にょた勇者クエスト

 そこは、深い、深い、人里離れた森の奥。その場所を知る人間はその場所を「聖なる森」と呼んでいた。百年前に魔王を倒した勇者が使っていた聖剣が安置されているという事実が、その場所が聖なる森と称されるゆえんだった。
 その森の最深部、聖剣の元に俺がたどり着いたのは、獣道のような道を藪を掻き分けながら丸2日経った頃だった。

「ん……あったあった、あれかー、聖剣」

 石の台座に突き刺さっている聖剣が姿を現した。誰が手入れしているわけでもないのに台座の付近には大きな植物が茂ることも無く、かつ聖剣の刃にサビのひとつもうかがえない。自分の腰に帯びている剣も名剣のはずだったが、その剣を見た瞬間にかすんでしまうほど聖剣は神々しかった。

「よし……」

 この聖剣を手に入れ俺は魔王を倒すんだ。と意気込んで台座の正面へ歩み、俺は聖剣の柄をぐっと握り締めた。手の中に妙なぬくもりのある聖剣。光っているわけではないのだがどこか眩しい、そんな不思議な感覚。

「っ……」

 腰に力を入れて、一息に剣を台座から抜き放った。鉄と石の擦れる音は一瞬で、抵抗もなく抜けた剣を俺はしげしげと眺めた。これがあれば魔王も倒せる。今までの相棒だった腰の剣に手を伸ばし、ご苦労様と外したところですぐ左に妙な気配を感じて顔を上げた。

「つぎの勇者はおまえか?」
「あぁ」

 突然そこに現れたのは、妙に高価そうな金色の繊維で編まれたローブに身を包んだ少年だった。年の頃は俺と同じぐらいだろう。筋骨隆々とまでは言わないが大柄なそいつは、めんどくさそうに頭をぼりぼりと掻いていた。俺は生返事だけを返しておく。

「じゃ、また魔王退治? しっかし人間も魔族も飽きないな~」

 少年は眠そうにあくびをひとつしてローブのフードを脱いで、たった今聖剣を腰に帯びた俺をじろじろと見てきた。
 そこでふと、聖剣には守護精霊が居るという話を思い出した。聖剣の行く末を見守る守護精霊、名前からしてその辺に居る小型精霊の類かと思っていたがまさか人間サイズとは予想外だった。

「えっと、聖剣の守護精霊……だよな?」
「そう。俺、聖剣の守護精霊」
「は、はぁ……」

 俺はなんとなく妙なおまけがついてきた聖剣を再度眺めて、少し気の抜けた返事を返した。するとおもむろに近づいてきた守護精霊は俺の背中を少し強めに叩き、正面に回りこんで言った。

「はいはいしゃんとする! どうせやることは魔王を倒すだけなんだ」
「魔王を倒すだけって……あんた簡単に言ってくれるなよ!?」

 俺の使命、天命とも呼べる目的を“だけ”と言われ、頭に血が上りそうになる。守護精霊といったってたいしたことが出来るわけじゃないだろう、と荒げた声のまま言葉をぶつけた。

「簡単簡単。ちょいちょいーっと経験積んで魔王城行って魔王倒してはい。しゅーりょー」

 俺の怒りのこもった声を聞いても悪びれることなく軽いふうに守護精霊は言った。

「ってことで、早く森を出るぞ」

「ちょ……待て、お前、そんな簡単な問題じゃな――」

 いきなり俺と肩を組み、そのまま守護精霊は森を出ようと俺を急かした。なんなんだこいつは。あの残虐非道、強靭強大な魔王を打ち倒すのは並大抵のことじゃないんだぞ。そう思った瞬間、妙な感覚に襲われた。
 一瞬視界がぼやけ、妙に動悸が激しくなったかと思えば、どこか思考がぼやけるが、すぐにそれも収まった。

「――いんだぞ大体、お前は魔王の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだっ!」

 俺の心の中をその甲高い声が代弁してくれた。と思ったら自分の口からその甲高い声は出ていた。
 何なんだコレは、幻術の類か。
 それになぜだか息苦しくなり、着ている甲冑が倍の重さのように感じた。まさか敵が!?と、回りを見渡しても誰も……。

「あ」

 すぐ隣から聞こえた声。間の抜けたその声は守護精霊の声だ。表情も間の抜けたものになっている。

「まさか……お前、童貞?」
「あ、ああ……そうだけど」

 そんな無礼なことを聞いてくるのを聞いて、頭にきながらも正直に返事をするあたり自分は律儀だった。そしてその返事をした声は女の声だった。
 もう間違いない。俺は女の声、いや、女になっていた。

「……このヘタレ野郎」
「待てよ、俺、何で女になってるんだ!?」

 ヘタレと言われたことについては反論する気も起きず、ただ現状俺より詳しそうな目の前の守護精霊に問うだけだった。

「実はこの世界、15歳のとき童貞の男は…女になるんだ」
「15……って、で、でもそんなことがあるはずが……俺はそんなことになった奴を見たことはおろか聞いたこともないぞ!」

 あまりに荒唐無稽な話だった。だが守護精霊は声を荒らげる俺を気にもとめず説明を続けた。

「それは簡単。お前さんの先祖に聞いたが、この世界の人間は13歳までには大抵妻を娶るんだってな。若い盛りに夫婦生活が無いなんて、ありえないだろ?」
「だ、だからって……」

 それは、勇者の家計に代々伝わるある掟を、今までの勇者が破っていたという証明だった。ショックのあまり頭を落とす。

「大体、お前勇者の癖になんで童貞なんだよ」
「家の掟に『勇者は魔王を倒すまで無垢であれ』というのがあるんだ……俺は、それを守っていた」
「嘘だろ……お前の家の勇者達、先代も先々代もそれ以上前もどっかのお姫様や、宿屋の娘やパーティーの僧侶とか、よろしくやりまくってたぞ……聖剣を手に入れてからだけでも」

 先代たちがそんなに掟を破ってふしだらな行為に及んでいたなんて、と俺は衝撃を受けた。勇者という自分の使命を疑いたくなったが、そこを疑ってしまっては俺の人生は一体なんだったのだろうかと虚しくなってしまうだけなので無視する。
 そして、俺はある重大な事実に気づいた。

「このままじゃ、魔王なんて倒せないぞ……」

 とある鍛冶屋街で手に入れた自慢の黒鎧が重すぎて動けないのだ。筋力が落ちたどころの騒ぎではない。試しに一歩踏み出そうと足を

上げようとした瞬間のことだった。

「ぅわ!」
「おっと」

 バランスを崩し転びそうになったところを守護精霊に支えられ助けられた。なんだか癪に障る。
 とりあえず防具を肩当から外していき、簡素な布の服のみになると、改めて自分が女になったことがわかる。
 頭ひとつ分は低くなった身長、妙に細くなった腕や腰回り、柔らかくなった足に、胸にある圧倒的な脂肪……乳房。それと顔を覆う長髪、鼻につく匂いまでどこからどう見ても女だった。
 そこまで確認して、守護精霊を睨みつけて俺は言ってやった。

「ありがとう。で、さっきお前何て言った? 『ちょいちょいーっと経験積んで魔王城行って魔王倒してはい終了』……だっけか」
「あ、あー。こりゃ、時間掛かりそうだなぁ」

 ばつの悪そうな顔をして頭を掻く守護精霊を横目で見ながら先ほどまで腰に帯びていた聖剣も一度外し、再び持ち直してみるとずしりと重く、とても扱えそうにない。構えようと切っ先をあげると腕が震える。こんなことでは、ゴブリンとも渡り合えそうに無い。

「聖剣、重くて構えることすらできないし、剣も無理、防具も無理、魔法も……」

 呟いていて気づいた。肉体は弱体化してしまったが、魔法は使えるはずだ。取り合えず思いつくままに呪文を唱えてみる。

「ラ○デイン」

 俺の言葉に呼応するように突如雷雲が轟き曇天になり、天から一筋の光が目の前の木に降り注いだ直後、爆音が俺の耳を打った。俺は事前に耳を塞いでいたが、静まってみると隣に居た守護精霊はひっくり返っていた。

「わーお、すごい威力。前はギ○モみたいな小さい雷雲しか呼び寄せれなかったのに」
「……やってくれるな」

 若干声を震わせながら彼は起き上がった。意外とタフだ。きっと守護精霊だから人間と同じようにはいかないのだろう。

「でも、魔法だけじゃ……魔王を倒すことはできない」

 威力の上がった魔法。しかし俺は絶望していた。剣ひとつ満足に振れない体で魔王と渡り合えるか? そんなことは言うまでもなかった。

「おっと、忘れてもらっちゃ困る。今手に入れた聖剣があれば魔王なんて楽しょ――」
「聖剣を扱えない勇者に価値なんてないっ!!」

 俺はその場に崩れ落ちた。こんなどこぞの姫様のような細腕でどうにか出来る魔王なぞ存在しない。もう俺は存在価値も無いのだ。やれることは一刻も早く次の子孫を産み、育て上げることだけだった。地面に叩きつけた拳、ひ弱な皮膚は裂け血がにじむ。鈍いその痛みは罪の償いにもならないだろう。噛み締めた唇から血の味がした。

「お、おい……落ち着けよ!」
「うるさい!」

 気遣うように近づいてきた守護精霊を片腕で振り払うように押しのける。すると地面に転がる聖剣が目に入り、さらに後悔に駆られた。

「お前、そんな簡単に諦めるな。勇者だろ! 聖剣は、持ち主に応じて姿を変える!」

 守護精霊がそう俺に告げた時だった。聖剣のあった場所にはいつの間にか、細身のマシェットが転がっていた。マシェットは茂みなどを歩くときに使う木払いの刃物。長さも60cmほどで少々心もとない。
 だが、それでも。それを拾い上げ握ってみると先ほどと同じ、聖剣を握った感覚があった。

「これ……は?」
「これがお前の聖剣だな……確かに聖剣には見えない貧相さだけど、女でも扱える」

 その剣は、こぢんまりとしていたものの、やはり聖剣なのか威厳はあった。軽く振ってみると、先程とは違い剣にいなされることもなく綺麗に振ることができた。

「はは……憧れの聖剣がこんなナイフもどき……残念だ」

 そう言いつつも。嬉しかった。先程の喪失感もどこ吹く風と消えていく。

「贅沢いうなよー。使えるだけでよかったと思ってくれ」

 守護精霊は自慢げにそう言った。その頭を小突いてやる。

「いてっ! なにするんだよ!」
「うるさいバカ、こんな機能があるなら最初から言えよバカ」
「バカって言うな、普通抜いた瞬間変わるんだよ!」
「じゃあ自慢げに言うなバカ!」

 そんな小突き合いをしばらくして、俺はまた気づいた。

「待て、これじゃ、勇者が居なくなってしまわないか」
「はぁ?」
「よく考えてみろ。女になっただなんて誰が信じると思う? きっと魔物の仕業だとされて俺は良くて牢屋行き、悪ければ火あぶりの刑だ」

 と、自分で言っていて恐ろしくなりつつも、ふと俺は閃いた。

「いやまてよ、そうだ……こんなところにいい勇者様がいるじゃないか」

 俺は守護精霊を眺めつつ、近くに転がっている防具も見て。

「よし、そのローブ俺によこせ。代わりにお前はその鎧着ろ」
「おい、待て、俺が勇者!? そんなの無理に決まって……」

 慌てる守護精霊のローブを引っ張りながら俺は説明を続けた。

「どうせもう大都市を回るわけでもない。その辺の村やましてや魔族の領土に入ったら人間に会うかも怪しい。勇者がどんな顔してようがバレない」
「わかった、わかったから! 自分で脱ぐからちょっと待て!」

 守護精霊は俺の目を見て観念したのかそう言って、おもむろに金のローブを脱いだ。その下からは金の腰巻だけになった少年の体が出てくる。俺はあまり気にせず、渡された金のローブを受け取る。すると絹をも超えるような滑らかさの布地に舌を巻いた。

「うお、なんだこのローブ。めちゃくちゃさらさらじゃねぇか、お前これを渡したくなかったんだな!?」
「どこの精霊が好き好んで人間の鎧なんか着たがるかよ」

 ぶちぶちと不満そうに文句を垂れる守護精霊を横目に俺は先程からうっとおしい自分の髪と格闘していた。とりあえず聖剣で散髪するのは気が引けたので道具袋の中の、へんな塔で拾った使いみちの分からない糸で髪を後ろでひとまとめにする。だぼだぼになった元のぬののふくを適当に紐で縛ってサイズを調整してから、金のローブを纏った。ついでに拳の傷を薬草とボロ布で巻いておく。

「ほら着たぞ。こんなので勇者に見えるのか?」
「見える見える、ほら剣も持って、これで立派な勇者だ」
「そ、そうか? しっかし、長年守護精霊やってるがこんな役割は初めてだな」

 まんざらでもなさそうな守護精霊を適当に調子に乗せておく。どこからどう見ても勇者その人だ。悔しいがやはり守護精霊だけあって品格がただよってやがる。とりあえず俺は聖剣を腰に差し、道具袋を掴んで持ち上げようとして、持ち上がらなかった。

「よし“勇者様”この道具袋持って」
「はぁ? なんで俺がそんなこと……」

 守護精霊がまた文句を垂れるので、袋から財布だけ抜き取りながら手短に説明する。

「重くて持てないからだよ。それに今からそっちが勇者、俺が守護精霊だ。そんなもの持って労働している姿なんてイメージに合わないだろう?」
「単に楽したいだけじゃないのか?」
「いいから、少しでも早く魔王を退治してお役御免になりたいんだろうお前?」
「はぁ……しょうがないなぁ」

 しぶしぶ守護精霊は荷物を担いだ、それを見てから俺はもと来た道の方へ歩きながら今更ながらの自己紹介をする。

「俺はリアン。勇敢かつ誠実な勇者だ」

 と、自分が自己紹介をしてからまだ守護精霊の名前を聞いていないことに気づいた。

「守護精霊、お前には名前はないのか?」

 そう聞くと、守護精霊は少し悩むように首をかしげてから言った。

「んー、名前なんてないんだ。歴代の勇者は普通に『精霊』とか呼んでたから」
「そっか。まあこれからは俺の名前を使ってくれよ。勇者リアン様」
「俺がリアンになるのはいいが、そっちはどうするんだ?」
「ナイラでいいよ。普通に綴りの逆読みだからひねりが無いかもしれないけど」

 そういうことで、俺は新たなる名前を得た。故郷にいる両親には、魔王を倒してももう会うことはできないだろう。俺は一抹の寂しさを感じながら守護精霊改め、リアンに話しかけた。

「とりあえず、この森を抜けて近くの村へ行こう。聖剣があるとはいえ、このまま魔王城を目指したところでどうにもならないだろうし。策を練らないと……」
「わかった。それはそうとして、この道具袋重すぎないか?」
「気のせいだろ、たいしたものは入ってないよ」

 嘘だった。実はこの道具袋王様の支給品の中では最も役立つもので、何でも大量に入る魔法の道具袋。しかし重さは減らしてくれないので、俺の性格もたたってかものすごい重量になっているのだが、それを捨てていくワケにもいかない。俺はとぼけることにして。先を急いだ。

「それよりナイラ……ナイラ?」

「あ、あぁ。何だ?」
「口調、直さないと後々不便じゃないか?」
「えぇ……いいだろべつに」
「良くない。せっかく女になったんなら最悪女の武器を駆使することも考えろ。俺にこんなことさせておいて自分だけ楽するのは無しだぞ」

 背後の荷物を指し示しながら恨みげにリアンは俺をジト目で見てくる。その気迫に押されて俺はしょうがなく、応じておくことにした。

「……ちっ、しょうがねぇなぁ」
「言い直し」
「……わかったよ。しょうがないね」
「よろしい」

 かくして俺たちはひとまずの目標として近隣の村を目指すこととなった。魔王を倒すにはまだまだ遠い道のりであるが、その道のりを確実に一歩、俺たちは踏み出したのだった。

<つづく>


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最終更新:2010年09月04日 22:58
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