赤羽根探偵と奇妙な数日-3日目午後-

 一応、主張しとくが俺は独身だ。
 んで、隣でスーツスカートを着て―――つーか着られて――とてとてと歩いているロングヘアの少女は娘じゃねーぞ。
 なんで、こんなコトを確認してんのかと言うと。

「―――パチ屋、テレクラ、カラオケ、……子供服新店オープン、と」
「最後でこっち見んなっ!」

 ……新宿駅東口を出てから行く道々で配られたポケットティッシュのラインナップを読み上げただけなのに、その"少女"から凄ぇ勢いで睨まれたからだ。

「見ただけじゃねーか。自意識過剰め」
「……うるさいっ、いーからこっち見ないで黙って付いてくるっ!!」

 言ってることが支離大爆発じゃねぇか。

「だから、うるさいって言ってるでしょバカバネ!!」
「だから、何も言ってねっつの」
「アンタの顔がうるさいのっ!」
「……喧嘩売ってンのか」
「どーぞ、ご自由にお受け取り下さい?」

 スーツジャケットの内ポケットから銀色の輪っかとブラウス越しに薄い胸をちらつかせるな。
 くそっ、横暴も甚だしいだろ……このロリータ刑事め。

「うっさいうっさい! ヘボ探偵!」

 だから何も言ってねーっつの。
 ……この広い世の中、こういうヤツの罵倒が大好きだっつー奴が居るらしいが、正直理解に苦しむ。

「……ったく。ガムやるから、ちっと黙ってろ」
「命令すんなっ」

 内ポケットから取り出した板ガムをゴロリンに差し出すと、彼女は不機嫌そうに俺からガムを一枚ひったくって口に運ぶ。
 ……文句言っときながら結局は食うんじゃねーか。

「……皮肉な話よね」
「あン?」

 急にゴロリンがガムを咀嚼しながら冷めた口調で呟いた。

「犯人はわざわざ脅迫状まで送って来てたんでしょ?」

 いきなり事件の話題に方向転換するなっつの。
 ……。
 お、今度は読心術を使ってないらしい。

「一体どっから仕入れたネタか知らねぇけどよ、それの何が皮肉なんだ?」
「……そうやって、いつまでトボけるつもりなんだか」

 ったく、"妹"といいコイツといい、結論を急ぎたがるのは若い女の傾向なのか?

「―――ま、いいわ。詳しいことはココで訊かせて貰うから」
「……まるで犯人扱いだな」

 ―――ピリピリとしたムードが漂う中で、俺達は漸く目的地に辿り着こうとしていた。
 委員会の本部とは違った威圧感が漂う無彩色の建造物。
 なるべくなら足を踏み入れたくない場所だが、虎穴に入らずんばってトコか。

 俺は誰にも訊かれない程度に小さく溜め息を吐いて、ゴロリンの後を追った。


 【赤羽根探偵と奇妙な数日-3日目午後-】



―――――
――――
―――

「―――ダメダメ。はいっ、もう一回」
「や、その……っ、ち、ちょっと休憩―――」
「―――だーめ」

 青いリボンで結ったポニーテールの女の子が、テーブル越しにニコニコと笑いながらオレの顔を見つめてくる。
 その、天真爛漫な可愛らしさに騙されてたけど……Sだ、天性のドSだ、この子。

「る……るいちゃん、可哀想だって。少しくらい休ませてあげても……」

 坂城さんの真横で事の顛末を見届けていたセミロングヘアの女の子―――御堂さんが、おずおずとした口調で助け舟を出してくれる。
 ………が。

「甘いっ、甘いよ初紀ちゃんっ!」

 当の坂城さんが聞く耳を持っていないから、何の意味もない。
 はぁ……何が悲しくて喫茶店で"女の子講座"を受けなくちゃならないんだろうか。

 まだ編入試験の結果すら出ていないのに、既に学校に入る仮定で物事が進んでいることも……腑に落ちないし。

「こーんなクール可愛い女の子が男口調で喋ってたら、すぐ噂の的になっちゃうでしょっ!?」
「いや、でもるいちゃ―――」
「―――デモもストライキもメーデーも春闘もないのっ!
 私達みたいに事情を知ってるならまだしも、ボロが出て痛くもない腹探られて困るのは、なのちゃんなんだよっ!?」

 鼻息荒く熱弁する坂城さんに、御堂さんも困り果てている。
 正直、"痛くもない腹"かどうか怪しいものだけど。
 ……というか坂城さん。その"なのちゃん"って呼び方、どうにかならないのか?

「……なのちゃんが、平穏無事に学校生活を送るためなんだよ……?」

 ……う、ズルい。そんな言い方するなんて。
 ……"兄"曰わく、彼女もオレと同じく異性化疾患に掛かった元男らしいけど、その仕草や立ち居振舞からは、その"匂い"を全く感じさせないのが恐ろしい所だ。

「―――るいちゃんの言いたい事も分かるけど……でも、名佳ちゃんの気持ちも分かるから、何とも言えないよ。
 ……最初はみんな、そうだと思う」

 テーブルを挟んで向かい側に居るオレにチラリと視線を向けながら、御堂さんが呟いた。

 ―――って……え、まさか、御堂さんも……?

「……あ、ごめんね。ちゃんと話してなかったよね」

 迂闊にも、オレは表情に出してしまっていたらしく、御堂さんは申し訳なさそうな顔をしていた。

「……私も、キミと同じだよ」

 言いながら、彼女は坂城さんと同じデザインの学校指定の鞄から、何かを取り出して、テーブルの上に丁寧に置く。
 ……それは青みがかった比較的新しい封書だった。
 その中心には、御堂さんの現住所らしき地名と番地、そして彼女の名が明朝体で印字されている。

 差出人は―――"市役所 医療福祉新課"とある。

 ……なんとなくだけど、この封書、見覚えがある………ような気がする。

「あっちゃー……来ちゃったんだ、それ」
「……ごめん、申請するの忘れてて」

 坂城さんは、封書を認めた瞬間にどこか歯がゆそうな表情を浮かべた。
 御堂さんも複雑な顔付きをしているところ見ると、どうもこの青い封書は二人にとってあまり良い意味合いがある代物ではないらしい。

 それが、どんな意味を持っているのかオレには分からないけど。

「"これ"は……?」

 とにかく二人に置いてけぼりを食らう前に質問してしまおう、とオレは意を決して話の口火を再び切った。

「……あ、そっか。ごめんごめん」

 どうやら、坂城さんが先に気付いてくれたみたいだった。

「この封書はね、通称"青色通知"って呼ばれてるものだよ」
「……青色、通知」

 ……その、知らないはずの単語を反芻した瞬間に、オレは何故か心臓の裏側が締め付けられるような気がした。

「正式な名前は……"異性化疾患に於ける性別選択権行使についてのお知らせ"だったかな」

 随分と長い名前だな。

「―――簡潔に言っちゃうと……異性化疾患を発病させずに居たいなら国が相手を用意するから、えっちして予防してくださいって通知」
「るいちゃんっ!」
「事実でしょ?」

 恥も外聞もない言い方を御堂さんに咎められても、坂城さんは毅然としていた。

 御堂さんが返す言葉もなく、下を向いて黙ってしまっている所を見ると、どうやら間違いではないらしい。
 坂城さんがコホンと咳払いをして再びオレに向き直る。

「……青色通知は、国が保有するあらゆるネットワークを駆使して、全国各地に居る15歳前後のチェリー君に、秘密裏に郵送される最後通告みたいなものなんだ。
 ―――その通知にある"性別選択権"を受けた人の手元には、この封書は"完全な形では"絶対に残らないような仕組みになってる」

 つまり、御堂さんが今なお"青色通知"を所持しているってことは……。

「……理解ってくれたかな?」

 御堂さんから少し寂しそうな笑みを投げ掛けられ、オレは曖昧な首肯でしか返せなかった。
 ……その度に、顔にまとわりつく長い髪が邪魔で仕様がない。

 ――――"青色通知"、か。

 二人共、さも当然のように受け入れてるけど―――。

「―――納得は、しなくていいよ」

 まるで、オレの思索の先を読んでいたかのように、坂城さんは平坦な口調で呟いて、湯気の立たなくなったカフェラテを口に運ぶ。

「こんな付け焼き刃な対策で、心底から納得してるのは、自分にしか興味が無い可哀想なヒト達だけだからさ」
「え……っ」

 あくまでも平坦な口調で、サラリと毒づく坂城さん。
 その顔はあくまでも凛としていて、何故か寒気を覚えるほどに冷たく感じた。

「―――例の脅迫のこと、覚えてる?」

 坂城さんの質問に首肯で返す。

 "来週までに審議が決する異性化疾患の新法案の資料提出を止めろ、さもなくば委員会に関わる人間を無差別に殺していく"というもの。

 ……そして、現に神代さんに次ぐ委員会の上層部の人間が一人殺された。

 ―――でも、今、重要なのは殺人に関しての話題ではないらしい。

「その脅迫にあった"新法案"って、要は"青色通知"の改正案なんだ」
「「改正案?」」

 異口同音に今度はポニーテールの女の子が得意気な表情で頷く。

「ま、詳しいことは部外秘なんだけどね。
 少なくとも今より少しはマシなルールになると思うよ。……需要する側、供給する側、その双方にね」

 そう熱弁する坂城さんは、どこか誇らしげだった。

 ……でも、そうなると疑問が残る。

 ならどうして、改正案の資料提出停止を求める脅迫文が委員会に送り付けられたんだろう?
 "兄"の言い方を借りるなら、それにも、ちゃんとした理由があるはず。
 坂城さんの言う"新法案"は、脅迫状を送りつけた犯人にとって何か不都合な―――

「―――まーったく、役所もちゃんと管理してほしいよね」

 思索に耽ろうとしていたオレを現実に戻したのは、坂城さんの声だった。
 彼女の右手人差し指が、テーブルに置かれたままの"青色通知"をトントンと小刻みに叩く音がする。

「―――こーいう不手際があって怒られるのは、役所じゃなくてこっち側なんだから」
「し、仕方無いよ、ちゃんと届けなかった私も悪いんだし―――」
「仕方無くないっ、戸籍に書き換えがあった時点で役所は気付くべきたよっ」

 何の話をしているんだろう? 御堂さんの"青色通知"に、何かしらの不具合があったことは分かるけど……。

 そう思った矢先に、御堂さんと目が合う。

「あ、えと、そんな大した話じゃないんだけどね」

 別に表情に出したつもりも無かったけど……オレの内心の疑問符を敏感に察知したらしく、御堂さんは慌てて両掌を左右にパタパタと振りながら、そう前置いた。

「―――実はこれ、手違いで届いちゃって」

 跋が悪くなったのか、話題とテーブルの中心にあった封書を鞄に仕舞いながら 呟くように言う御堂さん。

 流石にそれくらいの想像はオレにもつく。最初に"青色通知"の話をする時に、そんな会話をしてたような覚えもある。

 ……けど、一体"何が"手違いなんだろう?

 現に御堂さんは男だった事実を自分から認めているし、今、オレの目の前にいるのは"彼"ではなく"彼女"に他ならない。
 さっきの坂城さんの説明と照らし合わせても、別に不自然な点は見当たらないし……。

「―――私には、必要のないものだったから」

 言い終えてから何かに気付いたのか、ハッとした表情を浮かべ、再び両掌をあたふたと左右に振る御堂さん。

「あ……、いやっ。
 別に、その……私の感情論とか人生観とか、そういう類の話じゃなくてね? 違うからねっ?」

 いや、そんな慌てて主張しなくたっていいのに。
 ……まぁ、"兄"なら余計な茶々を入れそうな気がするから、気持ちは分からないでもないけど……。
 あの人と同レベルに見られてるのかと思うと、正直複雑な気分だ。

「―――異性化疾患の殆どは、潜伏期間や前兆症状を経て、15、6歳の誕生日に発病するっていうのが普通なんだけど―――」

 上手い説明を思い付かないらしい御堂さんを見かねたのか、その方面の知識に明るい坂城さんが横槍を入れてくる。

「―――稀に"例外"があってね?」
「例外?」
「うん。
 ある程度予測がつく通常の症例とは違って、誕生日とは全く関係の無い日に突然発病したり、逆に時間をかけてホルモンバランスが崩れていって最終的に―――とかね。
 ―――初紀ちゃんは、前者だったんだ」
「あ……そっか」

 誕生日よりも前に発病したのなら青色通知なんて意味がない。
 確かに御堂さんには"必要のないもの"に違いない。

「……あれ?」

 ―――思わず声が出た。

 御堂さんに間違って青色通知が届いた経緯については理解出来たけど……何か引っ掛かる。

『この封書はね、通称"青色通知"って呼ばれてるものだよ』

『―――簡単に言っちゃうと……異性化疾患を発病させずに居たいなら国が相手を用意するから、えっちして予防してくださいって通知』

『―――その通知にある"性別選択権"を受けた人の手元に、この封書は完全な形では絶対に残らないような仕組みになってる』

 坂城さんの言葉を反芻して、咀嚼して、再び飲み込む。
 そうか……。
 なんだ、単純な引き算じゃないか……!

「……坂城さんっ!」
「ぅわわっ!?」

 気が付くと、驚き、たじろいでも綺麗な顔立ちがすぐ間近にあった。普通なら赤面モノの距離なんだろうけど、今だけはそれも気にならない。

「"性別選択権"を受諾したら、そのヒトの手元に青色通知は"完全な形"では残らないって言ったよね!?」
「う、うん……」
「それって、どういう仕組みでそうなってるんだ……!?」
「あ、えっと……"性別選択権"は受諾の際に予防の相手役になる"通知受取人"に青色通知の控えを渡すルールがあるんだよ」
「どうしてッ!?」
「や、だって、そうしないと、下手すると悪用されちゃうでしょ? 要はタダで、女の人とえっち出来ちゃう権利なワケだから……」
「……っ、やっぱり……!」

 一人の人間が多重に性別選択権を行使出来ないなら、結論は一つ。

 ……国は把握しているんだ。

 誰が性別選択権を行使してるか、していないかを。

「……びっくりしたなぁ、もぉ」
「あ、……ご、ごめん」

 何故か顔を赤らめながら抗議する坂城さんの声に、オレは漸く正気に立ち返れた気がする。
 ……でも、その二人の恥じらいの表情に感化されてる場合じゃない!

「坂城さん、調べて欲しい事があるんだけど―――!」
「―――無理だよ」

 燻った火種に打ち水が浴びせられる。
 平静さを取り戻した坂城さんから向けられたのは、そういった表現が似合う言葉だった。

「まだ、何も言ってな―――」
「―――青色通知の未返送分を調べて、なのちゃんの手掛かりを探すってコトだよね?」

 坂城さんの柔らかい口調が、言葉尻を掻き消す。

「そこまで分かっているのに、何でそんな簡単に無理なんて―――!?」
「―――なのちゃんが"いつ"女の子になったかを証明出来ないからだよ」

 いくらオレが声を荒げても、平静さを取り戻した坂城さんは全く動じない。

 むしろ、オレがこういう考えに至ることを最初から予想していたみたいに、淀みなく言ってのけられる。

 ……確かに、そうだ。

 少なくとも今の段階では証明なんかできやしない。

 ―――オレがオレという人物を忘れてる以上は。

「それに、青色通知の送付履歴は個人情報保護法に基づいて、第三者への開示は基本的に禁止されてる。
 相手が委員会の人間だとしてもね」

 "基本的に禁止"……か。
 坂城さんの言葉の裏を返せば何かしらの特例があるってコトになる。
 でも、彼女の言い方から察するに……。

「―――もちろん、緊急事態だって事はわかってるよ」

 まるで、オレの想像する事なんてお見通しだと言わんばかりの冷静な声がする。

「警察の協力が得られるのであれば、捜査権限で青色通知の送付リストを閲覧できる可能性は高いかもしれないけど―――」

 前髪で隠れて表情が読み取れないけど、坂城さんの含みを持たせた沈黙が何よりも雄弁に語っていた。

 ―――"それが出来るなら、とっくにやっている"って。

 そう、か。

 警察に協力を求めたら、あの放火殺人事件について訊かれてしまう。
 憶えが無い以上は疑われるだろうし、弁明すら出来ない。
 期間はどうあれ、警察に拘束されるのは必至だろう。
 他に犯人らしい人間が捜査線上に浮かぶまでは……身動きをするべきじゃない。

 ……彼女は、盗聴器が仕掛けられたコトを知った時と同じく、しばしの間、口を真一文字に結び、ギリギリと奥歯を噛みしめていた。
 彼女の表情にどんな意味があるのかは、わからない。
 けど、少なくともオレに取って有益なモノではないというコトだけは確かだと直感した。

「……るい、ちゃん」
「平気だよ」

 僅かに生まれた沈黙を埋めるみたいに御堂さんが心細い声をあげる。
 坂城さんはそれに応えるように湯気も立たなくなったカフェラテをまるで酒を呷るような勢いで飲み下し、小さくため息を一つ吐いた。

「―――もし、仮に……あくまでも仮に赤羽根さんに会ったその日から1ヶ月遡って、青色通知の未返送分のリストを調べられるとしよっか?」

 ……感情の整理が着いたのか、坂城さんは平静さを取り戻したかのような軽い口調で再び話し出す。

「なのちゃんが自身を特定する情報を持ち合わせていない以上、居住地域を金銭面と行動範囲で限定するにしても、関東地方くらいだよね?

 ―――さ、ここで問題ですっ。

 2010年度現在の日本の14、5歳の総人口が約241万人。

 計算がややこしくなるから、総人口の男女比が仮に1:1だとして。

 北海道から九州までの全地方に総人口を……うーん、これも均等に分配したとしよっか。

 その中の8割に青色通知が送付される。

 現状では、その内の大体2割が返送されてるね。

 で、残りは未返却。

 最後に、過去1ヶ月に送付されたものに限定する―――あ、これも平均として考えてね。

 この条件で青色通知の未返却分を全部調べるとしたら……一体何人分の量になるでしょーか?」

 ………坂城さんの問いは、言い方が複雑なだけで、要は……桁の大きいだけの単なる乗除算だ。

「出生月も、平均化して考えていい?」
「そだね。それで構わないよ」

 ―――大きな数値をいちいち計算するのは面倒だから式を変えよう。
 で、各数値を入れて大まかな計算にすると―――

 ―――2410000÷262.5、か。

「……多分合ってると思うけど、約9180人」
「え……っ!?」

 ごく普通に回答しただけなのに、御堂さんが感嘆の声を漏らす。
 こんなの、大したことじゃない。

「凄いね、ソラでそこまで計算出来るんだ」
「……坂城さんは人が悪いよ」

 溜め息混じりのイヤミでしか返せなかった。
 万一、青色通知の未返送分を調べられる状況下にあったとしても、警察の協力を得ないままだと、約一万人近い個人情報を閲覧し、そこからオレに関する手掛かりを探すしかない。
 それなら、新法案の審議が終わるまでの間、大人しくしていた方が効率が良いのも頷ける。
 ……結論から言ってしまえば、オレがあれこれと画策する必要性は最初からどこにも無かったってコトだ。

「ごめん、ね」

 頭を擡げたのを、泣いてると勘違いしたのか、坂城さんがオレの表情を覗き込んでくる。

「坂城さんが謝ることじゃないよ」

 彼女はいくら若くても公的な組織の人間だ。見ず知らずの他人の為に規律を破るなんて、出来やしない。
 寧ろ、こんな話を訊けるだけでもありがたいんだ。
 感謝こそしても、恨むなんて筋違いも甚だしい。

 ―――ピリリリリッ

 そこで、甲高い携帯の着信音が鳴り響いた。
 その携帯の持ち主は……坂城さんだ。

「……ほんっと、空気読まないんだから」

 どうやらメールだったらしい。
 重苦しい空気の中、坂城さんは溜め息混じりに開いた携帯ディスプレイの文章を読み終えると、その携帯をこちらに向け―――

「―――合格おめでとう、なのちゃん」

 ―――と、小さく笑った。

 向けられたディスプレイには、何やら小難しい字面が並んでいる。
 要約をするなら"赤羽根名佳、翌日付けで編入決定"といったところか。

 ………なんて、御都合展開だ。

 こんな時間じゃテストの採点程度しか終わってないだろうに。
 ……それだけ、あの神代っていう人の権力が強いっていうコトか。

 ホントなら、喜ぶべきことんなんだろうけど……オレは結局何にもしていない。
 ただ流れに身を任せるまま、漂っただけでしかない。

 ……それが、なんだか腹立たしくて。

 オレは俯くしか出来なかった。

「―――これから、じゃないかな」
「え……っ」

 声がする方を向くと御堂さんが、柔らかい笑顔を向けている。

「これからだよ。……名佳ちゃんはキチンと向き合ってる。
 だから、きっとだいじょぶだよ」
「………」

 そんなの、何の根拠もない励ましだ。御堂さんの言う精神論で何とかなるほど、世の中甘く出来てないってコトは今し方思い知ったばかりだし……。
 ……でも、なんでだろう。

「……だと、いいけどね」

 口にこそ出せなかったけど、その何もかもを包むような御堂さんの笑顔を、オレは何故だか……信じたくなった。

「そうそう、法案が可決するまでの一週間さえ乗り切れば大丈夫なんだから、平気でしょ」

 オレの身の安全が保障されるまでの期間を坂城さんが明示する。
 ……一週間、か。"赤羽根 なのか"としての、七日間。

「……ダジャレかっつの」
「「えっ?」」

 思わず呟いた一言に、二人が目を丸くしていた。
 ―――そう、たった一週間。
 無為に過ごしていれば簡単に過ぎ去ってしまう筈なのに、今のオレには限りなく遠い時間に感じられる。
 時間は、平等で不平等なもの。
 矛盾した言い方だと思うけど、オレはそれを今、痛感してる。オレを忘れる前のオレが、それに気付いてなかったとすれば、なんて皮肉な話なんだろう。

 ………。

 やめよう、後ろ向きに考えたって今のオレには振り返るモノすらないんだ。だとしたら、もう開き直るしかないじゃないか。

「―――坂城さん、御堂さん」

 遠目の窓ガラスに映る、未だに慣れない自分の姿に一瞥をくれて、オレは二人に向き直る。

「……続き、しよう」

 主語の抜けた言葉に、二人は首を傾げていた。

「だからっ、……そのっ」

 こんな局面になっても、捨てられないプライドがつきまとって上手く言葉にならない。
 ……あぁ、もぉっ!

「……だからっ! お、"女の子講座"の……続き」

 生きるために言っているはずの言葉なのに……一瞬、死にたくなった。

 一瞬、キョトンとした表情で二人は顔を見合わせていたけど……
 オレの言葉の意味を理解するや否や、嫌な予感しかしない満面の笑みが向けられる。

 下手に身動きが取れない以上、オレがするべきことは一つなんだけど……既にオレは半ば後悔の念に駆られていた。

 はぁ、どうなっちゃうんだオレ……?

―――――
――――
―――

 ―――警視庁東新宿署。

 土地柄もあってか、マル暴絡みの事件が多く、ヤーさん顔負けの屈強な警察官が多いと専らの噂だが……例外もある。

「……なによ」

 その例外の典型がオレを睨んできた。……迫力もへったくれも無い位置関係で。

「なんでもねぇよ」
「ならこっち見んなっ!」

 こういうやり取りをしていても、入口に立ってる下っ端の警察官が介入するどころか文句すら言わない。
 ただ、"またか"と言わんばかりの溜め息を吐いて視線を逸らされるだけだ。
 ……習慣っつーのは末恐ろしいものがあるな、畜生。

「―――よぉ、シンジ」

 嗄れた声で馴れ馴れしく俺の名前を呼ぶ声がする方を向くと、屈強そうなYシャツ姿の中年が署内から姿を現していた。
 ……徹夜続きなのか、シャツは皺だらけで、顎には無精髭、目にはクマが出来ている。相変わらず不健康な生活をしてんだな、このオッサン。

「……保護者がガキから目ぇ離さないでくださいよ」

 ちょうど楽な位置にあるハニーブラウンの頭頂部を掌で軽く2、3度叩きながら俺は言う。
 ……痛っ、手の甲を引っかかれた。

「バカバネはちょっと黙ってて」

 俺が話しかけられたのに何で俺が黙らなきゃなんねーんだ?

「拝島さん、遅れて申し訳ありません」

 本人は真面目に謝罪してるんだろうが、その小っこい見た目と幼い声色とのアンバランスさに違和感を覚える。
 だが、オッサンもう慣れちまったんだろうな。ゴロリンを特に茶化すこともなく頷いている。

「おう。
 ……その様子じゃ任意で引っ張ったってワケじゃねぇみてぇだが、どういうこった?」

 入り口から少し外れた位置にある喫煙所に設置された灰皿に向かって歩きながら、愛用のフィリップモリスに愛用のジッポで火を点け、オッサンは俺に対する声よりオクターブ低い声でゴロリンに質問した。

「その―――」

 嫌煙家であるゴロリンは、副流煙が気になるのか眉をひそめながら言葉を探している。

「―――ちぃと野暮用で。ついでに"たまたま駅で会った"迷子を連れてきたンスけど」

 いてっ、ゴロリンの奴、また引っかきやがった……。

 素直にゴロリンに尾行されてましたっつっても良かったんだが、一応ここまで一切の面倒を省いて貰ったっつー義理立ても踏まえてフォローしてやったっつーのに。

「はっはっはっ! お前さんがピンじゃあ、取調室に直行で案内されちまうかも知んねぇからなぁ!」

 ……余計なお世話だ。
 そう俺が思う中で、ブラックジョークに一仕切り笑ったオッサンは、部下に鋭い眼光を浴びせかける。

「宮前、お前は現場付近の聞き込みに合流しろ」
「え、あの、拝島さんは……?」
「返事は!?」
「……はいっ!」

 あわよくば俺の取り調べでもしようとでも画策していたのか、ゴロリンはその上司命令に少し不服そうな表情を浮かべてから踵を返す。

「―――」

 ……すれ違い様に、ゴロリンが何か呟いたような気がしたが、どうせイヤミか無意味な煽りだろう。気にしたら負けだ。

「―――さぁて、と」

 2、3口程度しか含んでいないフィリップモリスが灰皿の茶色い水溜まりに消えていく。
 生粋のヘビースモーカーの吸い方らしいが、俺からしてみたら勿体無いの一言に尽きるな。

「お前さんがわざわざ出張ってるっつーことは、ウチの管轄の事件絡みか?」

 流石、長年の付き合いだ。察しがよろしいこって助かる。

「新宿3丁目で起きた放火殺人について、ちょいいと」
「神代の次男坊からの依頼か?」

 ……そこまで察しが良いなら、探偵業の守秘義務ってのも察して欲しいモンだ。まぁ、この親父っさんが俺に気を遣うなんて思えないのも事実な訳で。

「―――半分は」
「ほう」

 依頼主から仕事を得てから初めて動き出す探偵と言う業種からすりゃあ、言い得て妙な話だが、そうとしか言い様が無い。

「こっちは、守秘義務を反故にしたんだ。それなりの情報は貰わないと割に合わないと思いますが」
「……つってもなぁ」

 そう言い淀んだ渋い顔を見る限りだと、警察の捜査にも進展が無いのか?
 ………だが。

「……今から言う情報は、あくまで推論だ。的外れでもキレるんじゃねーぞ?」

 珍しく言い淀むオッサン。

「何を今更」

 正直な感想だった。
 何故か俺が犯人として疑われたくらいだ。別にオッサンの推論がどうであれ、驚くには値しない。

「動機だけで考えたら……一番怪しいのは神代の次男坊、お前さんの依頼主だ」

 ……神代 宗か。
 随分と大仰な前置きをした割には大したことない推論だな。

「別に、アイツは単なる得意先だ。驚きもキレもしませんよ。
 んで、何でアイツが怪しいと思うんです?」
「……委員会役員が、内部分裂してる話を知ってるか?」
「いや、初耳ッス」

 正直に答えただけなのに、拝島は大きな溜め息を吐いた。

「……お前さん、それでも委員会を出入りしてる人間か?」
「余計な詮索をしてないだけですよ」
「モノは言い様だな」

 そもそも、異対委は実質神代のワンマン組織だと思っていたが。
 複数人の役員が存在してるっつーことも今回の事件で初めて知ったからな。

「……今週末に決議される予定の"異性化疾患に関する新法案"を巡って、神代 宗を筆頭とする推奨派と、被害者を筆頭とする反対派が真っ向から対立してるんだよ。
 ……ま、他にも因縁は山ほどあるんだが、それは割愛しよう」

 ありがたい話だ。政治絡みの小難しい話を連発されちゃあ俺のアタマがパンクする。

 肝心なポイントは、神代と被害者が組織内で対立する関係にあったという一点だけだ。

「で、神代は被害者が邪魔だったから殺した、って推測したワケですか?」
「話はそう単純じゃねぇよ」

 相手が"神代家"だから捜査が進まない、そう踏んでいたが……意外にもそれをあっさりと否定する拝島。

「……奴さんにはアリバイがある。
 事件当日は新法案の資料をまとめる為に奔走してたっつー話で、四六時中誰かしらが奴さんの姿を目撃してる。
 時間を総合すると、アイツが単独で行動出来たのは精々4~5分だ。
 現場までどんなに急いでも30分は掛かる位置に居た状態でな」

 ……そんな中で、被害者と接触し、ドタマに弾丸をぶち込み、アパートに火を点けて戻るなんざ……天地がひっくり返っても出来やしない。

「つまり、神代は犯人じゃないと」
「さぁな。誰かに殺しを依頼したかのもしれねぇ」

 そこで、拝島が俺に鋭い視線を向ける。
 なるほど、ゴロリンが言ってたのは、そういう可能性か。……"馬鹿馬鹿しい"の一言に尽きるな。

「探偵に殺人請負なんて業務は、無ぇっスよ」
「だろうな。お前さんはそういう手合いの人間じゃねぇ」

 どうやら、御理解頂けたようでなによりだ。

「……つーかお前さんなんかより、もっと怪しい人物が居るんだよ」

 そりゃ初耳だ。

「なら、何でそいつをしょっ引かないンスか? 俺に変な疑いを掛けるくらいなら、そっちのが手っ取り早いと思いますが」
「証拠が無ぇ。下手すりゃ警察全体の責任問題に発展する」

 ……大袈裟な話だ。

「そう思うか?」

 そう言い放つ、嫌みを含んだ拝島の笑みが妙に重苦しかった。
 ……つーか読心術は警察官の必須科目なのか?

「……相手が権力者なら話は別ですけど」
「権力者か、あながち間違いでもねぇな」

 なんだ? ……さっきから、はっきりしない物言いだな。拝島らしくない。

「勿体付けンのはやめにしましょう。
 一体誰なンスか? 警察が今の段階で目星をつけてンのは?」

 あくまでも、冷静に、真摯に先を促す。
 拝島がどんなぶっ飛んだ答えに辿り着こうが、俺は動じるつもりはない。動じることもない。

「お前さんもよく知ってる奴だ」
「……クラブ"アクア"のケツ持ちとか、通り占い師の婆さんとか、ホームレスの頭目とか……そこら辺スか?」

 俺が知っていて、尚且つ裏の道に通じてそうな奴らの名前を適当に挙げてみる。

 どいつもこいつも臑に傷を抱えたまんま、新宿っつー不夜城で、限りなく黒に近いグレーゾーンを生きてる奴らだ。

 ま、アイツらなら疑われても仕方ないとは思うが、俺としては違うような気がする。

 "同じような人種"ならまだしも、相手は堅気の人間だろ?
 そんな不義理が罷り通るほど、奴らの掟は甘くない。
 事件現場が東京湾に切り替わるっつの。
 奴らの臑の傷に甘んじて捜査したって、今度のコロシの件に関しては何も出てきやしないだろう。自ら被った埃なら幾らでも出てきそうなモンだが。

「そんなスジモンやハグレモンの仕業じゃねぇってコトくらい、お前さんだって気付いてるんだろ?」
「……ンじゃあ、誰なんスか?」


「―――"坂城 るい"、だ」


「……は?」

 拝島の言っている意味が一瞬理解出来ず、俺は空虚な言葉を吐き出して固まるしかなかった。

「聞こえなかったか? 知らない訳ないよな?
 異性化疾患対策委員会の長、神代 宗 委員長代理の私設秘書だ」

 知らない訳が無い。つーか朝、会ったばっかだっつの。
 ……って、問題点そこはじゃない。

「……そういう結論に至った理由は?」

 一般的な常識の概念をすっ飛ばして、俺は聞き返す。
 脆弱な常識に縛られた反論をしたトコで、時間の無駄だ。
 未成年だとか、女だとか、そんなコトは先刻承知の上で、このオッサンは嬢ちゃんを―――坂城 るいを疑っているのだから。

「―――動機がある、凶器を入手した経路も説明出来る、アリバイが立証できてない。
 以上だ」
「……簡潔な説明、どうも」

 ……とりあえず、情報が欲しい。
 嬢ちゃんが犯人であると考える根拠の中に、何かしらのヒントがあるかもしれない。

「言いたいこと山ほどあるが……嬢ちゃんが被害者を[ピーーー]動機ってのは?
 まさか、神代が"殺せ"と言ったから殺したとでも言うンですか?」

 あの髪型までジャジャ馬な娘が他人の言うことに黙って従うような性格をしているのであれば、話は別だが。

「さっきも言ったろう? 被害者は委員会の中じゃ、新法案反対派の急先鋒だったんだ。
 現に、委員会内での会議中に、神代の代理で出席していた坂城 るいが、被害者と激しい論争をしていた所を関係者が目撃してる」
「……だからって、即刻殺意に直結するモンなんスか?」
「―――知らねぇのか?」

 意外だと言わんばかりの、主語が抜けた言葉が返ってくる。

「何を……です?」
「坂城 るいは、過去に委員会に拘束されている。書類送検の一歩手前まで行ったらしいが、神代の次男坊が手回しをしたからコト無きを得たとか」

 ……確かに知らなかった。
 あの嬢ちゃん、一体どんな"おイタ"をやらかしたんだ? 書類送検なんて、相当悪どいコトでもしてねぇ限りそんな対応にはならねぇ筈だろ?

「―――どうやら、過去に色々と"おイタ"をやらかしていたみたいでな。
 調べてみたら神代 宗が就任する以前、委員長を務めていた人物と浅からぬ関係があったらしい」
「……それが、今回の件と何の関係があるンスか?」

 嬢ちゃんについて随分と意外な事実が芋蔓式に顔を出してきてはいるものの、それでもまだ被害者を[ピーーー]動機に直結したとは言えない。

「坂城 るいにとって、今回の法案決議は、弱冠16歳で彼女が委員会に身を置く"理由"そのものなんだよ」

 拝島のオッサンは、そう呟きながら再びフィリップモリスにジッポの火を近付ける。

「その"理由"は殺意に結びつく、と?」
「俺がそう考えてるってだけだ。
 ―――ま、詳しくは坂城 るい本人から訊け」

 あのジャジャポニーテール娘が素直に答えてくれるとは思えねーが。
 ……でも、ま、本人の与り知らねぇトコでヒトの秘密を根ほり葉ほり訊くのも野暮ってモンか。
 後は凶器の入手経路やアリバイに関してだが……これは多少想像がつく。
 要するに神代と嬢ちゃんが共犯関係にあったとすれば難しい話じゃない。

 ――――今は、オッサンの推測を覆せるだけの材料を持ち合わせてねぇ。

 そもそも、下手に捜査方針を転換させちまったら、ケーサツが名佳に行き着いちまう可能性も考えられる。それは喩え本人が疑われてようとも、依頼主が望むトコじゃねぇからなぁ。
 ……ここは、一旦退散すんのが得策かもしれねぇな。

「―――そんじゃあ、嬢ちゃんに話を訊きに行きますかね。
 ……参考になりました、ども。
 そンじゃあ―――」
「―――待て」

 回れ右の体勢を採ろうとして、半身になった左耳に鋭く低い声が投げ掛けられる。
 ……ヤバいな、なんか感づかれたか?

「なンスか?」

 内心の焦りを気取られないように、気だるそうなフリをしてオッサンに向き直る。
 ……奴さんは跋が悪そうに紫煙と一緒に溜め息を吐き出してた。

「……あの子は、"のぞみ"はどうだ? 元気か?」
「―――ッ」

 ……懲りねぇな、このオッサンも。

「―――アンタの知ったこっちゃねぇだろ」

 俺は他人行儀な敬語のオブラートで包むのも忘れて、言葉を吐き捨て、再びオッサンに背を向ける。
 ……それでも、オッサンは俺を責めることはなかった。

「……そうだな、すまん」

 やめろ。同情を誘うような台詞はアンタにゃ似合わねーってことを、いい加減自覚したらどうなんだよ?

 ……。

 あぁ、くそっ!

「………アイツなら……まだ寝てんよ。
 謝るなら俺じゃなくて、本人にしてくれ。
 アイツが起きた時に、土下座でも何でもしてやれよ。
 ……そんで、殴られちまえ」

「………」

 こんだけ暴言を吐いたとしても、拝島は黙ったまんまだった。
 ……当然と言えば当然なんだが、居心地は悪い。

「―――ンじゃ、失礼します」

 俺は、探偵として拝島刑事に深々と頭を下げて警察署に背を向ける。

「……おう、また、な」

 辛うじて聞こえたオッサンの声に背を向けたまんま手を軽くあげて返事をしといてやった。あんな調子じゃロクな情報を持ってきちゃくれねぇしな。


 ―――ったく、名佳のコトだけでも手が足りねーってのに、厄介なコトを思い出させやがって。

 ………。

 ……考えてみりゃ、アイツも名佳も同じ境遇か。喪ったものに差があるかもしんねぇけど……根は同じだ。名佳のヤツは、それでも前を向こうとしてる。
 だからこそ、俺をダシに使ってまで委員会に乗り込み、事の真相に迫れたんだ。

 ……アイツも、前を向けんだろうか? 尤もそれを確かめることは―――

 ―――ブーッ ブーッ

 内ポケットで、携帯が小刻みに振動する。

 ……っと、メールか。差出人は――はぁ、つくづく色気がねぇなぁ、俺。

『―――急ぎの案件なのでメールで失礼する。
 赤羽根 名佳の編入が内定した。
 翌日付けで市立第三高校の学生となるので手続きを含め、翌日、第三高校に出向いて欲しい。
 ―――――
 ――――
 ―――尚、手続きの費用は既に支払っているので、現地では保護者として掲示される書類に目を通し、自署名と捺印をするように 以上』

 ……随分と早い対応だな、流石、神代家の黒光りは一味違う。

 ……ま、だから拝島のオッサンに疑いを持たれてんだから、ある意味じゃ哀れなのかもしれねぇが。

「……さぁて、行きますかね」

 携帯を閉じ、俺は歩き出した。
 まだ時間はある。
 今の内に調べられっことを済ませちわねぇとな。

 だが―――

 ――――現場に辿り着いた時には、既に太陽がオレンジ色に変わっていた。
 原因は、現場まで電車を使えるまで手銭が無かったせいだ。
 くそっ、やっぱ名佳に5kも渡すんじゃなかった。


 ……貧乏は、やっぱ辛いもんがあるな、くそったれが。


 【赤羽根探偵と奇妙な数日-3日目午後-】

  完


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最終更新:2010年09月04日 23:16
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