【赤羽根探偵と奇妙な数日-記述a-】
―――吐き気がして目が覚めた。
目を開けても閉じても変わらない暗がりの中で、吊り下げられた水銀灯の紐を探す。ない、ない、ない、あった。
甲高いパキンパキンという音が光を灯す。
その白昼色の光のせいで、僕の視界が霞んでいて歪んでいることを自覚する。
不満や不平、疑問なんて二の次で、僕はトイレに直行し、あらかたのモノを吐き出した。
最後あたりなんてモノじゃなかった。ただ、酸っぱいだけの液体だ。
荒々しくなった呼吸を整える。
次第に落ち着いてきた。
そこで気付く。奇妙な音に。
―――高い、高過ぎる。
吐き出した自分自身の荒い息の音域が自分の聞き慣れたものから逸脱してる。
そんなバカな。
そう思い、虚ろに小さく嘲笑を上げた途端に血の気が引いた。
そんなバカな。
わずか数秒で全く同じ言葉が、全く違う意味合いの確信に変わる。
洗面所に走った僕を出迎えたのは姉さんだった。……いや、違う。髪の長さが姉さんより少し長い。
そこで漸く気付いた。
鏡に映ったそいつは紛れも無く僕なんだと。
訳が分からなかった。悪い夢だ、そうに違いない。
急いで階段を駆け上り、僕は自室に戻る。
正確に言えば戻ろうと、した。
ドアを開けた途端に、僕はうずくまって、えずいた。
なんだ、この匂い。
ダメだ、耐えられない。
ついさっきまで安眠を貪っていた筈の僕のテリトリーが宿主を拒否している?
そんなバカな。
この部屋の何がそんなに僕の鼻孔を刺激するんだ? 気休め代わりにパジャマの袖で鼻を覆ってみる。
そこで、ココロとカラダが硬直した。
その匂いは、僕だった。
今まで僕が知らずに発していた僅かな匂いを、僕自身が拒否している事実。
なんで?
どうして?
カラダが拒絶する匂いの中で自問自答を繰り返す。発狂しそうになるくらい何度も、何度も。
人間という生き物も元は動物だ。自身を保つ為のヒューズは存在する。
そんな狂った時間を過ごしている内に、僕は気を失っていた。
次に僕が目を覚ました場所は、アルコールの匂いに塗りつぶされた真白い部屋だった。
ここは何処だろう?
考える間もなく、自分のものとは思えないほど細くなった手を握りながら瞼を腫らして眠りに就く姉さんが目に入る。
その時だけは、何故か不思議と幸せな気分で微睡むことが出来た。疑問も、不安も、不快な匂いもない。
だって―――
―――まだ、事実に目を向けるまでのモラトリアムがあったから。
………そう、僕は振り返る。
【赤羽根探偵と奇妙な数日-記述a-】
完
最終更新:2010年09月04日 23:20