『幸せ』その2

 俺は早朝のまだ四時半という時間に、髪の毛を乾かしていた。
 理由としては、なぜだか四時に目が覚めた事、そして汗まみれだったということ。汗に関しては十中八九風邪の所為だが、目がさめた事についてはさっぱりわからん。
 この時間に無音なのは、なんとなく心細い。だから、テレビを付ける。この時間ならもうニュースはやっているだろう。
 案の定、ニュースもとい天気予報がやっていた。その天気予報の音声をバックに再び髪の毛を乾かす。
 ――今日は晴れ、か。雨とかふらないで良かった。せっかく先週開花を始めた桜が散ってしまっては大変だからな。この季節はどうにも駄目だ。毎年雨に降られてお花見が出来なかったからな。
 先までの話と無関係で申し訳ないが、昨日三上が帰った後に恐る恐る実家に連絡を入れた。
 出てきたのは母さんで、初めは戸惑っていたが俺だということを告げると呆れのため息が聞こえてきた。そして、「なっちゃったものはしょうがないわ。明日色々と買いに行くのよね? ならとりあえず振りこんであるお金の中からやりくりしなさい。後でその分振りこんでおくから」と言ってくれた。
 ちなみに、この時初めて母さんの教えに感謝した。――無駄遣いだけはするな。そう言われ続け、無駄遣いを極力避けていた俺は当然のごとく送られてきたお金は夕飯位にしか使っていない。おかげで、今回買い物に回せるお金がたんまり有るのだ。
 たくさん買い物をするつもりなのかと問われれば、電話中母さんに「女になったからには、洋服はたくさん持っておきなさい」と三回ほど言われたので、母さん的には無駄遣いにはならないのだろうと解釈。つまりオーケイだ。
 今日の、主に午前は忙しくなりそうだった。午後は適当に時間を潰せそうだが。
 一日の予定を考えつつ時計に目をやる。もうそろそろ五時だな。
 さて……。学校へ連絡するのは六時過ぎだとして……今からだと相当時間が余る。
 その間どうしようか、と考えていたが、

「学食に行けない分、昼は外食になっちまうのか。だったら――」

 お弁当でもつくろう。なぜだか頭にそう浮かんだ。実際食費も浮くしいいかなと思えた。


――――――――。
――――。

 ひと通り買い物を終えた俺は、既に朝の服装では無くなっていた。
 と、言うのも今まで着ていた男物のシャツはぶかぶか。ズボンも裾を折り曲げやっとという状態だったのだ。身長が低くなったとは思っていたが……まさか153センチにまで落ちていたとは……。
 道理で、まっすぐ見たときに三上の肩までしか見えないわけだ。
 ちなみに体重もだいぶ減りましたよ。ええ。30キロ代とか……幼女かっての。
 今まで着ていた服はバザー行きだな。いくらで売れるだろう。そんな事を考えていると、

「なあ、飯どうする? 今日は学食寄るわけには行かないし」

 三上からそんな言葉が投げかけられる。当然時間のあった俺はそれを考慮していた訳で、

「あ、食費勿体無いからお弁当作った。デパートで食べるのもなんだし、近くの公園でも行こう」

 と自然な感じで振舞う。なんでそんなふうに振るわなければいけないのかは自分でもわからん。

「え? あ、そうか。珍しいな」
「何がだ」
「いや、いつも学食で済ませてるから、てっきりレストランで食べるのかとばかり」
「言っただろ? 食費が勿体無いんだって」

 そう言うと、三上は自らの手にぶら下げている紙袋に目を落とし「ああ……」とため息混じりにつぶやいた。
 なんで三上が紙袋を持ってくれてるのかというと、一応俺を休む口実に使ったわけでその御礼とか言う感じらしい。
 というか、

「失礼だな。お前だってこれくらいの服は持ってるだろ?」
「持ってるけど……流石に一年程かけて買い揃えた物を一日で買うわけあるまい?」

 む……ごもっともだった。

「大変だったんなら、持たなくてもいいぞ? 俺が持つ」

 なんだか持ってもらってるのを悪く感じてきたから、三上の手元を見ながらそう言った。

「そういう問題じゃないって。大丈夫」
「そう? ならいいや」

 大丈夫、の一言で納得してしまう。つくづく自分は現金な奴だと思う。

「公園だっけ? さ、早く行くぞ。お腹も減ったしな」
「あ、うん……」

 俺と三上はデパートを後にした。


――――――――。
――――。

 公園にやって来た。ちなみにこの公園は運動場有り、プール有り(今は春だからそもそも立ち入り禁止だが)の兎に角でかい公園だった。まず、どこに座るかという点で歩きまわったが、あまりにも人がいなさすぎる。いや、平日の昼間だからなんだけどさ。ただ、ある一点だけは様子が違っていた。
 その、ある一点とはどこか? カップルやら家族連れやらがたくさんいる区域だ。
 今朝のニュースでもやっていたが、今は桜が見頃だ。平日とは言え、それなりに人は集まるのだろう。あからさまに学校をサボってるようなチャライ奴らもいるが。
 そのへんは見なかったことにする。絡まれたら嫌だし。

「このへんにしようか」

 俺が三上にそう提案する。三上からは「そうだな」と返事が帰って来たのでレジャーシートを敷き、バッグと靴を重石代わりに四隅に置く。
 そしてシートの上に座り、弁当を開けた。ちなみに――、学校等によく持っていくお弁当を想像した奴には悪いが――ただのタッパーに入れてきた。
 どうせ二人分を作るんだから、こうしたほうが持ち運びも楽だと考えたのだ。
 件の想像していた奴の一人だった三上は、少しばかり唖然としていた。

「なんだよ」

 愛想なく言うと、

「いや、なんかこう、もっとお弁当らしい箱に入れてきたのかと思ってたから」
「悪かったな。お弁当箱を二つも持ってないんだよ。俺だけってのもなんかアレな光景だろうからタッパーにした」

 上記の理由もあるが、これもきちんとした理由ではあった。一人暮らしなのに、お弁当箱を二つも必要とする理由もないだろう?

「まあ、いいか。いただきます」

 言うが早いか、おにぎりを片手に箸でミートボールをつまみ始める。

「いただきます」

 どことなく微笑ましい光景に感じられたが直ぐその感情を振り払い、俺もお弁当に手をつけることにした。


――――――――。
――――。

「悪い、ちょっとトイレ」

 そう言い、俺はトイレへと移動した。そう言えば、女になってからトイレへと言っていない気がする。
 大丈夫かな。ちゃんと出来るだろうか。今朝お風呂に入ったおかげでアレがないことには耐性が付いていると言えるが、まだそう言ったことはしていない。
 若干……いや、かなりドキドキしつつもいろんなコトを考え、トイレへと向かっていた。
 ――衝撃。比喩ではなく、実際に、俺の肩が何かにぶつかったのだ。それなりに柔らかかったから恐らく木や壁ではない。ということは、

「って~……」

 その声に振り向くと、そこにはかなり長身の人が居た。恐らくこの人にぶつかったのだろう。なにやら痛がっているし、相当当たり所が悪かったのだろう。

「あ、すみません――」

 深々と頭を下げ、謝った。

「気をつけ――……」

 何をためらっているのか、そっちに目を向けると、なにやらお仲間四人とヒソヒソ話をしているようだった。
 って……こいつらは……あの明らかに学校をサボっているようなチャライ人たちじゃないか?

「お嬢ちゃん……結構痛かったぜー? 今の」

 ぶつかってしまった相手に、そのぶつかった箇所をさすりながら言われる。

「す……すみません!」

 再び頭を下げる。すると今度は別の男が、

「謝礼は、なにか別のことでしてもらわなくちゃ……ねぇ?」

 そう、言い放った。元々男である俺には、その言葉の意味が十二分に理解できた。
 ――失念してた。自分が、仮にも自分が写った鏡を見てなんと思ったかを。今まで冴えない顔をしていた俺も、女体化症の患者の例外にもれずある程度可愛いと言われる部類の顔になってしまっていると言うことに。
 まわりでは、男達――四人が「そうそう」などと言っている。
 怖いっ……。こう言った人たちが何をするか、なんてのは解っている。俺も、そういうシチュの漫画を何度も読んだことがあるし、そう言ったシチュで……その、抜いたこともある。
 でも、所詮それは妄想、空想。今はそれが現実になろうとしてしまっている。
 それも、最悪の形で。
 何をされるのか――嫌、……厭っ!

「ほら、嬢ちゃん。トイレ行こうぜ?」

 そんな長身の男の言葉に、四人がゲラゲラ哂う。
 厭……嫌々々々イヤイヤイヤイヤ……
 体がこわばり、動けない。そんな自分の腕を、大きな手が掴み引っ張られる。
 今まで、どうしてこんな人達が男のままで居られるのだろう、と考えたことが有った。
 でも、よく考えれば当然のことだ。――女になりたくないのだから、こういうふうに女を獲得する。チャラくて、ダメ人間臭バリバリの男が男で居られるという構図の出来上がり。
 気付くと、トイレとは全然違う場所――雑木林の奥に連れられていた。
 嫌ッ! 今更。今更の事だが、心のそこから、女になったことを後悔した。女にならなければッ! 女になりさえしなければ、俺はこんな目に合わずに済んだのにっ

「強がってんのかい? 嬢ちゃん。ほら、泣き叫べば誰かきてくれるかもよぉ?」

 俺の“顔”を見て、そう言う。表情が出ない事が裏目にでしまったのか。いや、結果は同じ方向に進むのか。
 ……気持ちが悪い。こんな下郎の考えに、同じ下郎は馬鹿丸出しに哂う。

「“俺”は……」
「あん?」

 言ってから気がついた。そうだ……こいつらも、女が元男と知れば諦め――

「おい、聴いたか? コイツは元男だ! これから何をされるかわかってるってのにこの表情、大したものだなぁ!?」

 絶望的だった。もう既に哂い声はどこか遠くで響いているような。頬を何か、冷たい物が伝う。
 自分で確認しようにも、とうとう体のこわばりは腕にまで到達してしまっていて、どうにも出来ない。初めて気がついたが、足もろくに力が入っていない。せっかく買ったワンピースが……汚れてしまっていた。

「泣いてんのか嬢ちゃん。ここらへんにするか?」

 とうとう、地面に投げられる。
 あぁ……このままこいつらに犯されるのだろうか……。
 そんなのは……理不尽だ。嫌で、厭で、イヤだった。

「誰か……助……け、て」

 叫んだつもりだった。でもこわばった体では声すらまともに出せないと、気付く。
 本当に、終わりだ。そう思った時だった――

「お前ら……何をやってる」

 聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 声の主は雑木林の入口付近で仁王立ちをしていて。
 顔は、素っ頓狂でも、目を丸くしたものでもなく。
 見たこともないような“怒り”に、“恨み”に染まった顔をしていた。

「なんだぁ? コイツの知り合いですってかぁ?」

 長身の男が声を荒げる。

「そうだよ。いいからそいつを離せ。さもないと」
「さもないと、どうするんだ?」

 その声に、おちょくるような、そのバカの一声に反応するように“怒り”は確実に殺意へと変わっているのがわかった。

「さもないと――命の保証が出来ねぇ」

 言うと同時に、ポケットから彫刻刀とカッターナイフを取り出す。カッターナイフの方は、チキチキと音を鳴らし刃を伸ばし――
 そしてゆっくり、こちらに近づいてくる。

「命の保証ねぇ? そんなに大事な人ですか? ……ああ。彼女ね。守りたいんですかぁ?」

 口調は丁寧だが、口は悪い。そして――頭も。もう俺の頭には希望の二文字しか残っては居なかった。安心しか、してなかった。
 神経を逆なでされ――逆鱗に触れられた竜は怒りに身をまかせるだけ。
 そうして三上は、いつまでも減らず口を叩く性犯罪者の一人の喉元にカッターを突きつける。

「お前ら、動くなよ。動脈の位置くらいは把握してる。うごけばコイツ……死ぬぞ?」

 チャンスは今だ。必死に足を引きずり、三上の後ろに移動した。
 それと同時に、喉元にカッターを付きつけられた男の右腕が少し動く。
 三上はそれにすら、反応した。

「動くなと言っただろ? 武器は一本じゃないんだ。さっき見せてやったのに、それぐらいもわかんないのか? 本当に……馬鹿なんだな。馬鹿だから、こんな事しか出来ない」

 そいつの右腕に彫刻刀を押し付ける。男の顔が歪んだようだが、こっちはそんな事木にしてられない。
 俺は緊張しきった喉を必死に開け、大声で――

「だ、誰かっー!」

 と叫ぶ。掻き消えるかもしれない、そう思ったが、心配はいらなかったようだ。
 遠くから「なんだ?」「どうした?」という声が聞こえてくる。

「チィ……。お前ら、逃げるぞ」

 長身の男が、そう発する。鶴の一声。そんな言葉が最も似合うであろう。一斉にバタバタと逃げ出して行った。
 三上は、そんな男達を見て、彫刻刀とカッターナイフを元ある場所に戻す。
 事情聴取されたとしても、俺達は美術高校の生徒だと言う事で逃れられるだろう。
 幸い、あっちにも傷らしい傷は負わせていないだろうし。
 力が抜けた。あんな事が有った後だから、一気に緊張が抜けたせいだろうと思う。
 俺はその場に倒れこむ。

「実奈斗? 大丈夫か!?」
「大……丈夫。安心……しただけ」

 息も絶え絶えに、そういう。

「三上ぃ……」

 気がついたら、俺は三上に抱きついていて。力も入らないし、本当に縋りつく形になってしまった。

「うぉ……どうした……」

 溢れでてくる物が何かは、直ぐにわかった。女になって二日目。俺はその間に三回泣いた。
 一回目は否定。
 二回目は絶望。
 そして、三回目は――

「あり……がと……う」

 安心の涙。そして……気付いてはいけない感情が、表に現れ始めた瞬間の涙だった。



 アレから一時間、結局警察のお世話になり。色々と聞かれたが、まあ事情が事情だったので仕方がない。
 今俺の前には女警官、そして隣には三上が座っている。なぜ女警官なのかというと、こういう事件の場合は男警官が出てくると相手に余計な不安を与えてしまうから、だそうだ。確かに、男をよく知らない純粋な女だとしたら強姦に有った時点で男は恐怖そのものでしかないと思うしな。
 ――警察の人は俺の高校に連絡を入れたようで。「今変わります」の声と共に、俺に受話器が渡される。

「もしも――」
『文徳君……いえ、文徳さんね? その……大丈夫だったかしら』

 電話の相手は俺のクラスの担任の先生だった。口調こそ落ち着いてはいるが、慌てているのがわかった。
 ――色々な人に心配をかけてしまっているんだな。三上然り、先生然り。この後で両親とも電話することになる。だとしたら、両親にも。

「はい。一応は、大丈夫です」
『そう。大丈夫なのね? ――処女とか、失ってない?』

 その瞬間、俺は口に何か含んでいなくて本当によかったと思った。
 ただ、つばだけはものすごい勢いで交番内にまき散らしてしまったが。

「なんつー事を言うんですか!? 先生!」
『その様子なら大丈夫ね。びっくりしたわよ。女体化しちゃったんだから、自分はもう強くないって事を自覚しておいてちょうだいね』

 ――自分はもう、強くない。確かに、男の時ならあの程度のチンピラなら、やり過ごせた気がする。だが、今は違う。為す術がないどころか、されるがまま。
 悔しくて、その事実が、只々悔しくて唇を噛み締める。

『……それで、明日の学校だけれど、来れるかしら?』
「明日……頑張ります」
『無理はしなくていいのよ。でもまあ、頑張れるなら、頑張ってみてね。ダメだったら、先生に言ってくれればいいから』

 心が救われるきがした。ここで無理に“休め”とか言われていたら、その後学校へ行きづらくなるだけだと思ったから。

「あの……!」
『なに?』
「この件は……出来れば、内密に……」

 知られたくは無かった。もしかしたら男友達の会話とかでぼろが出てしまうかもしれないけれど、公に知られたくは、無かった。
 きっと、この先生なら、この気持が分かってくれる。

『わかりました。大丈夫、任せておいて』
「ありがと……ございます」
『じゃあ、また明日、学校でね。――あぁ、そうそう』

 何か言い残したことでも有るのだろうか? 電話越しなので伝わらないだろうが、首を横に傾ける。

『明日は朝一で職員室に来ること。女体化の手続きって事にしておくから』
「はい。じゃあ、また明日」

 そう言うと『はい、また明日』と言う声が聞こえ、通話が切れた事を表すダイヤル音が聞こえてくる。
 ――次は親か。これ以上……心配はかけたくないんだけれどなぁ……。


――――――――。
――――。

 案の定、親からは滅茶苦茶心配された。普段はある程度物静かな父さんが、声を荒らげて居たから、相当なものだったのだろう。
 そして母さんは父さんじゃまともな話が出来ないと踏んだのか受話器を取り上げたようだった。
 そして、本当なら学生寮から実家に置いておきたいであろう状況だと言っていた。こっちとしては流石にそれは勘弁願いたいと思ったが、母さん達もそうしたい、というだけでそうするつもりはないらしく安心。
 ただ――、

「今週末、一回帰ってこい、だとさ」

 隣を歩いている三上に話しかける。――ちなみに。俺は今三上に手首を掴まれている。なんというか、何かあったら直ぐわかるように、だそうだ。
 その気持はとても有難かった。

「そうか。で、なぜ俺にその話をした?」
「いやそれが、この帰省は俺だけじゃなくてお前も含まれているらしい」
「なんでだ?」

 そんなもん、こっちが聞きたい。だがおおかたは、

「お礼とかなんじゃないか? 助けてくれたわけだし」
「そうか」

 なんとも淡白な返事だこと。まあ、いいか。

「……ありがとな?」
「もう良いって。別に俺はお礼がされたくて助けたわけじゃない」
「それもそうか。でも、俺はお礼がしたいから。何度でもしてやる」

 本当、感謝してもしたりない。女になって二日でいきなり辛い目に有ってしまったが、コイツが居なければもっとひどい目にあっていたのは明々白々であり。
 なにより、助けてくれたことがすごく嬉しかったから。

「これからどうする?」

 唐突に、三上が俺に訊いてくる。俺は少しだけ迷い、

「そうだな、とりあえずワンピース汚れちゃったし……洗濯?」
「了解。じゃ、行こうぜ」

 汚れたワンピースを、少し忌々しい目で見つつクリーニング屋に急ぐことにした。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年01月05日 23:14
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。