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七時か……。部屋の壁掛け時計を見ながらそうボヤく。
暇だ。暇々……暇すぎる。ニュースも既に二週目に突入してしまってるし、天気予報は既に四週目を数えている。
何が言いたいか。つまり今日も早く起きてしまった。また四時起きですよ。昨日寝たのは遅めなはずなんだけど。
それで、もう暇で暇でしょうがなかったから、昨日クリーニングしている間に買ってきた“二つ目”のお弁当箱に具を詰めてしまっていた。
なんとなくお風呂を沸かし、お風呂も入ってしまったし、学校の準備も終わっている。
正直、こんなに早く起きてしまうのは勘弁願いたいのに、どうしてもその後が眠れない。寝過ごしてしまうのも怖かったしね。
……普通なら学食で済ますんだけどなぁ。昨日作ったお弁当をまともに食べれなかったってのもあったし、ちょうどいいか。なんて感覚で弁当を作ってた。……解せぬ。
そして今俺はいつもどおり三上が来るのを待っているわけだが。
正確にはいつもどおりではないか。慣れない女子制服を、制服屋でもらった取説読みながら必死に着ているし。先に書いておこう。我が校はセーラー服ではなく、ブレザーだ。それがどうしたと言われたらおしまいなのだが。
最終確認よろしく、脱衣所へと移動する。髪の毛は……オーケイ。後ろは確認し辛いが、まあ前面に関しては違和感なく着込めているのではないかと思う。
あくまで俺主観だが、そこは気にしない!
「……テンションおかしい気がする」
一人しか居ない部屋でそうボヤく。
わかってる。わかってるよ。明らかにおかしいことぐらい。普段なら、早く起きたからと言ってお風呂入ったり、お弁当作ったりとかなんてしない。
昨日は汗をかいていたからお風呂に入ったし、食費の問題でお弁当にした。
でも今日は汗もかいていなければ、外食より格安で食べられる学食が存在する。
どうしてこんなになってしまったのか。そんな事、わかったもんじゃない。わかりたく……ない。
そんな俺の無駄な思考をかき消したのはインターホンの高い音だった。その音に滅茶苦茶驚き飛び上がってしまったが、兎も角。軽いダッシュで短い廊下を駆けるのだった。
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「おはよう」
玄関前まで来た三上に挨拶する。すると、三上も手を上げ、
「おはよう。……制服、似合ってんじゃん」
そんな事を言ってきた。
「そ、そうか? ありがと」
ほめられるのは、嫌いではない。むしろ好きな部類と言っていいだろう。嫌いな褒められ方というのもあるが、そこは割愛。
とにかく、素直に嬉しかったから、お礼を言う。男の時はそんなに素直になれる性格じゃなかったが、女になったからには、せめて性格だけは素直になろうと努力しているのだ。素直にならない顔の代わりに。
「ど、どうした?」
気付くと、三上の顔が、いや動きが全て停止してしまっていた。なんとなく不気味ではあるので声をかける。
「え? あ、ああ。なんでもない。ちょっと、な」
「すっごく気になるんだけど」
何が「ちょっと、な」だよ。話せよ。もやもやするんだよ。
あくまで白を切るつもりなのか、三上は手を顔の前で左右に振り否定をアピール。
「何でもないって」
「そうは思えないんだけど」
「いや、だから、本当に――」
「わかった。言わなくていいよ」
出来る限り、にこやかな顔で言ってやる。にこやかになってくれてるかどうかはわからないけれど。よく考えればコイツは俺が女体化したことについて、話題として触れようともしていないのだ。そんなコイツになぜ静止していたのかと根掘り葉掘り訊くのはどうかと思ったのだ。人には、訊かれたくない事、知られたくないことが存在してるのもわかってるからね。
「じゃ、行きますか?」
三上が自分の携帯電話を確認しつつ、俺に向かって言う。
「うん」
俺と三上は学生寮を出発した。
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学校に着いた俺は、真っ先に職員室へと向かった。昨日の電話で言われていたしな。
それで、「失礼します」の言葉と共に職員室へと入ったわけだが、
「随分可愛くなったのねぇ~」
さっきから担任である、西川先生はずっとこの調子だった。
「先生、先生が呼び出したんですから、要件をお願いしたいのですが」
率直に言う。前々から気付いては居たけれど……もしかしてこの先生は、極度の可愛い物好きなのではないか? ――俺の想像は外れていなかったようだ。
「いいじゃないのよー。もう少し眺めていても」
「眺めているのなら、話しながらでも出来ますよね?」
正直、クラスに戻りたい。まわりの先生から、呆れの表情がこちらに向けられている。もしかして、女体化者が出るたびにこの調子なんじゃないだろうな?
「つれないわね……。わかったわよ」
大人とは思えない、ムスッとした表情を浮かべる。これは……女になった今でもクラッときそうだ。大人の表情じゃねえよこれ。確実に拗ねてる年下の顔だって……。
あー、男の頃だったら身長すらも年下クラスだったけ?
「とは言っても……警察に被害届は既に出ているし、こちらからはすることは一つしかないのよね~」
「一つ、ですか?」
何かやり残したことが在ったのか。そう思い、不安になる。
「大丈夫よ。えっとね……」
先生はそう言い、自身の机の引き出しを開けなにやらゴソゴソと漁りだす。
そして、妙に高級そうな紙を取り出し、俺と先生の間に置く。
「――『女体化者による名前変更の手続き』?」
「そうよ。女の子になったとして、運良く女の子でも通用する名前だとは限らないでしょ? そういった場合専用の改名手続きの用紙」
それを、「はい、じゃあこれ」と手渡される。
「出来れば、今週中にお願いね。原則として学校側が提出する決まりだから、私にだしてくれれば結構よ」
「そうですか。ありがとうございます」
言うが早いか、先生は目の中にLEDでも埋め込んでいるのではないかと思ってしまうほどに輝かせ(もちろん、すべてが比喩だが)、こっちを見る。
「でね――名前案なんだけれど!」
「丁重にお断りいたします」
さっきから嫌な予感しかしなかったが、原因はこれか。でも何だ? まだ嫌な感じが残ってる。――まあいいか。
とにかく。この先生に決めさせてしまっては色々とマズいだろう。即答しておいた。
「まだ案言ってないわよ?」
「言っても、言わなくてもダメです。親と相談しますので」
先生から「ちぇ……」というぼやきが聞こえてくる。イヤイヤイヤイヤ。おかしいでしょ。
「他には、なにか無いんですか?」
この先生なら何か忘れているんじゃないかと思い、一応確認を取る。
しばらく首を捻り、「う~ん……」という唸りを上げた後、先生は、
「特には……ないわね。強いて言えば、貴方を休養目的で停学にとか言う案があったのだけれど」
「それは……俺が断りましたからね」
「うん。そうね。だからさっきの件でおしまいね。 ――ああ、そうだ」
やっぱり何かあるんじゃないか。喉まででかかったが、留める。
「一応、あなたのカウンセラーをすることにしたわ。言おう言おうと思ってたんだけどねぇ……。確認してくれて助かったわ。今後、何か困ったこととかあったら、先生に相談してくださいね」
それはありがたい。下手にプロのカウンセラーとかに頼むよりも、こういう知り合いの方が相談に乗りやすい。
でも――、
「カウンセリングと銘打って、なにか別のことをしようとしてません?」
どうにも、裏があるような感じがしていたのだ。予想は的中したようで、あからさまに顔を引きつらせている西川先生の姿があった。
「もう第六感が発達したのかしら? ……手ごわいわね」
「まあ……」
貞操の危機とかは無いと思うし、相談に乗ってくれる大人の人というポジションは非常にありがたい。だから素直に、
「お願いします、ね」
ちょっとだけだけれど、素直になってみた。
「へ? あ、ええ……」
そしたら、一生見ることがないかもしれないぐらい、間抜けな先生の顔を拝むことが出来た。
――――――――。
――――。
かなり緊張しつつも、クラスの前にやってきていた。
緊張する理由は、注目をあびることと、質問攻めにされるだろうという事。あがり症な俺は既に足がおぼつかなくなってしまっていた。
先生曰く、昨日の欠席は風邪扱いにしておいてくれたそうだったから、色々と混乱するだろう。主に俺が。
――大丈夫。大丈夫。
落ち着くには、深呼吸だっけ? スーハー、……スーハー。大きく息を吸う。
あんまり落ち着いた気がしない。そうだ、素数だ。
えっと確か……二、三、五、七、十一、――
「なーにやってんだ、こんなところで」
誰だッ! 順調に進んでいた素数数えを邪魔する奴は!
そう思い、声の方向に振り向くと声の主は真後ろに居て。
目にうつるのは、男子ブレザーのネクタイだった。
流石にその光景に驚き、三歩ほど後ろに下がる。
「な、なんだ。三上か……。驚かすなよ」
「別に驚かしたつもりはないんだがな」
そう言うと「ふう」と辺りを見まわし、
「入りづらいのか?」
「……うん」
ちょっとだけ、入りづらいというその事実が恥ずかしくって、顔を背けつつ言う。
「大丈夫だ。なんかあったら、俺がフォローしてやるから」
「ほ、本当か?」
三上は「本当だって。安心しろ」と言う。その言葉でだいぶ落ち着いた。
もう、素数を数える必要はなさそうだ。
「よ、……よし!」
覚悟を決め、扉を横にひらく。そして、皆の視線が痛い中、自席へと歩いた。
三上も、俺の席の側まで付いて来てくれていた。いや、結構いつものことなんだけどな。
机の横に、かばんを引っ掛け、椅子を引き座ると、案の定側に寄ってくる奴がいた。
「実奈斗、だよな?」
「……そうだよ」
友達の――、今では男友達、という部類に入るのか。――斉藤和哉(さいとう かずや)だった。と言っても、高校からの友達であり三上ほど親密ではない。
さて、質問について答えようか迷ったが、答えておいた。というか、一応の確認であり疑っているわけではないから白を切ったところで無駄だろう。
「どうして女になったんだ? ――まさかッ」
「どうした」
荒ぶるバカ殿のようなポーズで大声を上げて来た斉藤に言ってやる。
「風邪か! 昨日の休みは風邪だと聞いていたが……まさかのまさかなのか!?」
妙に鋭いなこのやろう。
「……そうだよ。なんでわかった」
「んー、消去法?」
そうか。言われてみれば、俺が女体化した。誕生日じゃないから例外だったんだろう。昨日風邪で休んでたな。じゃあ、風邪が原因? となるわけだ。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、テストで妙に点数が取れてるのはこれが理由か。
「俺には移すなよー?」
「――ッ」
悪気はないんだ。コイツには。俺のことは気遣ってくれてるんだとは思う。……思う。
馬鹿だから、悪気があってこう言ったことを言える奴じゃない。これでも一年一緒のクラスにいるから、信じられる。
「はいはい、おしまいだ、斉藤」
割り込んできたのは、隣にいた三上だった。
「実奈斗だって好きでなったわけじゃない。本人は苦しんでるんだぞ?」
「わかってるよ……。その、なんだ。すまん」
「そうか。……大丈夫だから、そこまで気にすんな」
手を顔の前で振って、否定をアピールする。
すると斉藤は「そ、そうか?」と言って、
「とりあえず、実奈斗の事をとやかくいう奴が出ないように俺が根回ししてくるぜー」
「お、おう。ありがたいんだが……なんて言うつもりだ?」
今日は感が冴える。なんとなーく、嫌な予感がした。
「えっと……『あそこにいる女の子は、実奈斗じゃありません! 実奈斗は女の子と変わりましたっ』かな?」
「それ、俺が女体化したってのと同等だから」
俺と三上で共に呆れ顔になる。斉藤は「あれぇ?」とか言いながら頭をかしげているが。
ふと、クラスを見渡すと妙に二人と仲良く話す見知らぬ女の子(俺)を少し不思議な視線で見つめていた。だがまあ、感づいている奴は感づいているらしく、どこか不安げな表情をしていた。
風邪を移されたくないのだろう。勝手にそう解釈しておく。
――女体化したくないのだろう。だれだってそうだ。自分の体が丸々変わってしまうなんて、正直御免だ。
兎に角、
「いずれバレるんだから、素直に言っとくことにするよ」
その言葉の直後、ホームルーム開始のチャイムが響いた。
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――――。
俺の机と、後ろの席の子の机をドッキングさせ、準備は完了した。
後は――、
「三上!」
アイツを呼び止めるだけ。当の三上は呼ばれたことに対して疑問を持っているのか、頭の上にクエッションマークを付けていそうな顔でこちらに振り向く。
「どうした、実奈斗?」
まずは場を見て状況を判断してもらいたかったのだが……。まあいい。
「とりあえず、ほら。こっち来いって」
「はあ……」
恐らく、頭の中で既に学食のどの位置に座るかを決めていたのだろうが、そんな想像は必要ない。
何しろ今日は――、
「とりあえず、お弁当を作ったから」
「へ?」
俺の一言にあっけらかんとしてやがるぞコイツ。
せ、せっかく作ったんだからな。うん。食べてもらわないと。
「『へ?』、じゃないって。な? ほら」
言いつつ、“ふたり分”のお弁当を取り出し、それを両席に並べる。
「な、なんでまた……お弁当なんて作ったんだ?」
「その言葉、すっごく失礼だと思ったことはないか?」
「そういう意味じゃないって。普段なら学食にするだろ、お前」
――、そこを突かれると痛い。実際、俺もどうしてお弁当を作ったかなんて把握してないんだ。早く起きて、なんとなーく、今日はどうなるんだろうと想像してたらエプロンスタイルに変わっていて。気がつくと二つのお弁当に具を詰めて終わった後だったんだから。
そんな事を言ったって信用されないだろう。
――というか。
「お前、昨日俺がお弁当箱買うところ見てたんだろ? だったら昨日のうちに察してろよ」
「……お言葉に甘えるぞ?」
「はいはい。いいから、食えって」
椅子を引きふたり座る。弁当箱をお互いに開け、
「これ、昨日のおかずか?」
「うん。なんだかんだ有った所為で、あの後食欲わかなかったから。勿体無いじゃん?」
これ理由にしときゃ良かった。よく考えたらさっきの台詞恥ずかしい。無しにしたい。
一人で勝手に悶えてるのを不思議に思ったのか、三上が目の前で手をゆさゆさ(意識が有るか確認するアレ)としつつ、「大丈夫か~?」なんて言ってきていた。
いやいや。近い。近いよ?
「へ!? 大丈夫! 大丈夫。……問題ない」
正直びっくりしてました。心臓は軽くバクバクいってます。
「問題あるから。話し聞いてたか?」
「えっと……なんの?」
言うと三上は盛大にため息をつき。
「先生になにを言われたのか、って訊いてたんだ」
「ああ。色々と……訊かれたけれど」
主にすごい一面を知った。
「どんな?」
「いや、先生が直にカウンセリングしてくれる、とか。あ、後……」
言いつつ、俺は自分のバッグを漁る。目的は、もちろん。
「これ、渡された」
「これは、朝見た奴だな。……えっと、『女体化者による名前変更の手続き』?」
三上に用紙を見せる。先生から言われたことで重要なことはさっきのカウンセリングとこの手続きの事だけだろう。
「やっぱり、覚えてたか」
「まあな。で――改名するのか?」
問われた。
「迷ってるんだよね。名前の最後に斗って付いてるじゃん? アレがあると元男だとバレやすくなるとおもうんだよね。バレたからどうとかはないんだけどさ」
もし本当にバレたく無いのなら、今頃俺は一人称を“私”にでも変えているだろうし。
「で、今の名前も親が考えてくれたものだし、やっぱり親に連絡しようと思ってさ」
「ふ~ん。そうか。アレ? 今週末家族のところに行くんじゃなかったのか?」
箸で卵焼きをつつきつつ、三上が言う。ついでに「俺も行くんだっけ」と付け加えて。
「いや、結構急を要するらしいんだ。つか早くしないと西川先生に決められて親に相談入りそうだから」
「なんだそりゃ」
人をおかしいものを見たような目で見るなよ。事実なんだからしょうがないだろ。
なんかあの先生、テンション以上に高かったし。
「兎に角、先生だけじゃなくて、俺も急を要してるって訳だから、今週中に親と相談しなきゃいけない」
「自分では案があったりすんの?」
頭を捻る。案……案か。スレだったら安価で頼むんだが。いやいや。自分の名前だ。そんな事は出来ない。
……だが、ありそうで怖いな、と思考を巡らす。
【名前】女体化した俺にいい名前を教えてくれ【募集】みたいなスレが。
いかんいかん。本題から逸れそうだ。
「特には……ない」
「マナ――」
「は?」
少し、訳がわからないというか、言っている言葉の意味を理解しかねた。
「だから、お前の名前。実奈斗だろ? そこから斗を抜いて、実奈(みな)。実って漢字は“マコト”って読むから、当て字になりかねないけど“マ”って読む。それで“実奈(マナ)”ってのは――」
「一応親に言ってみるよ」
採用されるとはあまり思っていなかったのか、三上は目を丸くする。
「なーに呆けてんだ?」
「いや、なんでも、ない」
なにやら言葉がいまいちはっきりしない三上を見つつ、ミートボールを口に運んだ。
「クラスの奴ら……案外あっさり認めてくれたな」
咀嚼を終えた俺はふと三上にそんな事を言っていた。
話題がとびすぎているせいでポカンとしていた三上だが、直ぐに戻る。
「そうだな。色々と訊かれるよりは良かったんじゃないか?」
「その点は良かったんだけど……」
その続きを小さい声で囁く。
「うちのクラスの女子……俺のことになるとなんだかテンション上がってないか?」
果たしてどうして。このクラスの女子――西川先生含む――は皆そう言った趣味嗜好の持ち主なのだろうか。
その証拠に今でも俺のことを見てなにやらキャーキャー言ってる女子がいる。
三上も小声で、こちらに返す。
「確かにな。いいんじゃないか? 妬み事言われるよりは」
「そりゃ……そうだけど」
女子の嫉妬は怖いと聞くし、恨みとかそう言った負の感情は買わないほうがマシだろう。勝手に購入される場合が殆どらしいが。
「どうせなら、男の時にキャーキャー言ってもらいたかったけどね」
相変わらずヒソヒソと話を続ける。これくらいの音量ならまわりの喧騒のおかげで勝手に掻き消える。
「まあ、それもそうだよな」
そんな会話で昼休みは終を告げた。
――――――――。
――――。
放課後、部活に入っていない俺と三上は適当に時間を過ごし、気付は日が暮れ辺りは真っ暗になっていた。
今は三上の部屋にいるわけだが、差し込む光は街灯以外には無くなっていた。
もちろん、学生寮な事にかわりはないから下から上から、騒がしい声が聞こえてくる。
「今更言うのもなんだけど……そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?」
「んー? そうだな」
三上の気遣いに、そっけなく答える。まあ確かに、そうなるわな。元男とはいえ、先日の……アレが有る。学生寮の中を移動するだけだから危険は少ないけど、それでも不審者が目撃されたりするから。
だが、まあそれより……
「なあ、三上。飯どうするよ」
何とはなしにそんな事を訊く。いや……正確には“何とはなしを装って”、と言うべきだろうか。
「飯? なんでそんな話になるんだよ」
「いや、家で一人で作って食べるのもなんかなぁ、と思って」
家で一人で食べてるってのは、ものすごく、ものすっごく寂しいんだよ。なんか、哀愁ただようような……もう、兎に角寂しい。それに、怖いし、な。
「前も何度かあっただろ、飯振る舞ったの」
「いや、そうだけどさ。そしてそうじゃなくてさ」
「なんだよ」
三上は手を前に出し、俺を制止させる。
「お前さ、最近ずっと俺に食べ物つくってくれてるじゃん?」
「……そうだけど」
それがどうかしたのだろうか。もしかして、
「迷惑……だったか?」
自分ではわからないが、迷惑だったのか?
確かに、昨日も今日も……いや一昨日も、か。俺は気がつくとご飯を作ってた。それが、迷惑だったのだろうか?
「……そういうわけじゃないけどさ」
「じゃあ、なんなんだよ」
そう言うと、三上は申し訳なさそうな顔して、
「流石にそろそろ悪いって。そっちの食費だって、結構――」
そんな事か、と呆れる。何度も言っているだろう、と。
「料理ってのは、ひとり分も、ふたり分もそんなに変わらないから」
「じゃあ、手間が――」
「同じだ。ちょっと多めに作るだけだぞ」
どうしても、作らせたくないのか? そんなに、作ってほしくないのか、と心のなかで思う。
「そうか。……じゃあ、頼むわ」
ちょっとだけ顔を背けながらそういう三上に対して、俺はどんな顔をしていたのだろうか。
――これで、確認は済んだ。
――――――――。
――――。
食事も終え、俺と三上は俺の部屋へと向かっていた。これは、俺と三上で意見合致だった。
すごく怖いんだ、“男”が。この学生寮、美術高校だから女子が多いとはいえ、俺とか三上みたいに男子だっている。そして、もう二つ有る学生寮には体育系でこの学校に入ってきた奴らがいる。そいつらがこっちの学生寮に入ってこないとも限らない。
昔はむさくるしいだけで済ませていた体育系だが、今では近づいてほしくない。汗だくで、常にギラギラしてて。……それでいて、いわゆるエッチ系な話で盛り上がる。
男の頃は、あいつら変態だなで済んだ。女になってからも、そう軽くあしらうつもりだった。
でも、俺は。“男にとっての男”と“女にとっての男”というものの決定的な差というものを知ってしまった。女は男に逆らうことが出来ない。
あんな状況、金的とか、そう言ったことが出来るようなもんじゃない。三上が来なかったらと思うと、ゾッとする。
あいつらからは、もうギラギラを通り越してデロデロとした物を感じた。
あの時俺は初めて「ああ、男は本当に性欲にまみれてるんだな」って思った。
だから、たとえ見知った学生寮だったとしてもひとりで歩くのは、“怖い”。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
三上には、あの場面で助けてもらったからなのか“怖い”という感情は一切感じ無かった。斉藤には悪いが、アイツには少し“怖い”って思ってしまった。でも、その斉藤も他の男ほど怖くはない。
ところで、――今俺は恐怖とはまったく違う感情をいだいていた。
――認めたくなかった。ああ。絶対に認めるつもりはなかった。俺は小説とかすきだから、結構読むけどその中にもやっぱり女体化を扱ってる小説が存在する。大抵は女体化した人物が男に惹かれて、っていうストーリだったけど自分はそうなるまいって思ってた。
でも、無理だった。無理なんだよ。好きになる事なんて、一種の生理現象なんだ。心には逆らえないんだと思う。
最初は、早く起きてしまう理由も風邪だからって思ってた。
助けられた後に感じた感情も、どうせ吊り橋効果だって。そうやって“逃げてきた”。
友達として居られなくなることが、すごく怖い。この関係が崩れることはとっても嫌で。でも、これ以上の関係を望んでいて。
でも、今日確信した。俺は――俺は。
「なあ、三上……」
「うん? どうした、実奈斗」
「ありがと――」
俺――文徳実奈斗は、三上悠希のことが、好きだ。
――――――――。
――――。
『もしもし』
「あ、もしもし。実奈斗だけど」
俺は実家に電話をかけていた。もちろん、改名の件について。
早いうちに相談しておいたほうがいいかな、って思ったから。
『実奈斗、どうしたの?』
「あー、あのさ」
でも、やっぱりいざとなると言葉につまる。なにを言われるのか――、勇気を出して言う。
「――改名、なんだけどさ」
『あら、手続き用紙もらったのね。……まあ、そうねー。せっかく女の子になったって言うのに何時まで経っても“実奈斗”じゃマズイわよねぇ。なになに? そっちから言い出すってことはもう名前案決まってたりするの?』
随分とハイテンションですね、母さん。まあ、いいや。
「俺が考えたわけじゃないけど、一応」
『早く教えてちょうだい! あと、誰が考えてくれたのかも』
それは、言いたくないんだけれど。だが、母さんの言葉には圧力が有るような気がした。言わなきゃ……駄目だろうか?
「えっと、実奈斗から“斗”を抜いて、読み方を“まな”っていうのを――」
『いい名前じゃない! 誰? 誰が考えたのかしら?』
「その……み、三上」
滅茶苦茶恥ずかしいんだけど。さっき気持ちの整理が付いちゃったから、名前出すのもアレなんだけど。心臓がバクバクしてる。
『三上くんが考えたの? ……へぇ~。なるほどねぇ……』
な……なんだよその意味深な態度はっ! まさか、気付いたわけじゃ……ないよな?
ない……よな? 母さん。
「な、なんだよ、その反応は!」
『別にぃ? 母さんはなんにも言わないわ。父さんはどうなるかわからないけど』
こ、こりゃ絶対に気づいてやがるな……。
そう言えば、今週末に一回実家に帰るんだっけ。――ん? い、いい一緒に寝たりするのか? 俺と三上を分けるほど部屋数ないぞ、実家……。
「と、とりあえず、改名の手続き今週中なんだけど」
『ああ、さっきのでいいんじゃない? 私たちの考えた漢字とかはそのまま残ってるし、かわいい名前じゃないの。あの人も異論はないと思うわよ』
「父さんの意見は訊かないのか?」
そう訊くと、『大丈夫よ、私の意見には弱いから』と帰ってきた。
……尻に敷かれてるのかな、父さん。少し父さんを哀れむ。
『ところで、実奈』
「ッ! いきなりその名前で呼ぶのか?」
母さんはもう頭の中で俺の名前の改名を終えてしまったようだ。色々問題がある気がしないでもないが、これで心置きなく提出は出来る。それより、質問だ。何故か質問を受けてしまった。
『いいじゃないの。どうせその名前に変わるんでしょ?』
「――ま、まあそうだけど、さ。で、なんだよ」
気になる。滅茶苦茶気になるよ、母さん。
『そうねぇ……三上くんと上手くいってるの?』
――ゲホッ! 勢い良くむせた。なに訊いてきてんだ? この人はっ!
「な、なッなにがだよ」
『なぁに? その反応は。まるで“気がある”みたいじゃない』
ハメやがったな、母さんめ。――これは、ぼろを出させるための作戦だったってか。よくあるパターンだなオイ。こんなに簡単に引っかかるとは思ってなかった。
今まであんなもんに引っかかるのはアホだと思ってたが、――すまん。いや俺がアホなのか?
『で、どうなの? その反応からすると、気はあるみたいじゃない?』
「う、うるさいな! なんでそんな会話になるんだよ!」
あぁ……言って気が付きました。この台詞はミステリ物で「証拠はどこにある!」っていうあの台詞と同等です。本当にありがとうございました。
『上手く行く為のアドバイスでもしておきましょうか?』
「い、要らないよ!」
俺が必死に否定するのにも関わらず、母さんは勝手に話をすすめ、
『もう少し、言葉遣いに気をつけなさい。そうねぇ、少なくとも一人称。“俺”じゃダメよ』
「……要らないって言ってるじゃん……」
だが、言葉でそう言っても、心では母さんの言葉に納得していて。
でもやっぱり身内に好きな人がバレるのは滅茶苦茶恥ずかしくて、どうも反抗的になる。母さんだってこの気持はわかるだろ?
『この先、絶対必要になるわよ。だから、今直ぐには無理でもせめてそれだけは心がけなさい』
「……わかった」
それで話が終わるかと思ったが、
『あ、家に帰って来たら矯正するから、それまでに頑張ってね』
それ、ほとんど日にちないじゃないですか。俺があっけらかんとしているとしていると、『じゃあ、頑張ってね~』という声を最後に受話器がツーツーという音を鳴らし始める。
虚しくなり、受話器を元あった位置に戻す。
はぁ、というため息を吐きながら思う。
――明日から、“私”で生きてみようかな、と。
最終更新:2011年01月05日 21:19