安価『地震でドッキリ』

 勉強ができる人間とできない人間の差。
 その理由は多々あるのものの、とくにわかりやすい理由の一つは。
「最終的に自然というのが人間にとって一番の味方であり敵なんだよな」
 集中力の有無である。
「なんだそれ」
 下手をしなくても補習まっしぐらの友人、倉橋の唐突な発言。
 放課後の貴重な時間を削ってまで図書室で勉強を見てやってるのに、内容の見えないその発言に苛立ちが湧き、ついつっけんどんな返事をしてしまった。
「ん? いやだからこう、『世界で一番自分から遠い場所は、世界一周的に考えて、四万キロも離れている自分の隣』的なことをだな――――」
 が、自分の態度を反省する間もなく、さらに重ねられた倉橋の言葉に、その反省すら馬鹿らしくなる。
「手の施しようがありません。どうして彼はこんなになるまで放って置かれたのでしょうか」
「女になる前までは俺と同レベルだったくせにでかい口叩くな」
「……ふ~ん? じゃあ休みの間は頑張って補習しろ。先生にもせっかくの休みに付き合ってもらうんだから先に挨拶に行っとけよ」
 あんまりな言い様にさすがに腹が立つ。
 言い捨て、付き合ってられないとばかりに小村は図書室の奥、本棚のスペースへと足を向けた。
 ――……女になって学力が上がったのは、努力したからだ。
 完全に棚上げではあったが、男のころの小村は『可愛いけれど勉強のできない女子』を毛嫌いしていた。
 別に馬鹿にしていたわけじゃなく、中学校時代に実際にそういう人物が運悪く小村の隣の席に居続けたためだ。
 勉強ができないことに関しては責められる義理ではなかったが、頭が悪いことを自覚していて、それでなお周り(愚かな男子)に助けられていることに、まったく気づこうともしないこの無恥さ加減に辟易していた。
 が、いざ自分が女になってしまったら、その嫌っていた存在にとても近くなったしまった。
 だからこそしたくもない勉強、寝てしまいたい授業を真面目に受け続け、ここまで学力を伸ばしてきたのだ。
 その努力を、『女になったから頭が良くなった』の一言で済ませた倉橋に腹が立ったのだ。
「どうせ……」
「ごめんな?」
 唐突過ぎる後ろからの声に、本気で肩が跳ね上がる。



 振り向かなくても声の主はすぐにわかった。
「問題解けなくてイラついて、つまんないこと言ったな。悪かった」
 嫌味の一つでも言ってやろうかと思っていたのに、どこまでも素直に謝られてしまっては拍子抜けもいい所だ。
 こんなふうな倉橋の態度は想定していなくて、小村がなんとなく振り返れずにいたその時だった。
――――ミシ――――
 ほんの小さな軋む音。
「え――――!?」
 直後、急に立っていられないほどの強烈な眩暈――――。
「地震だっ!!」
 誰かが叫んだ声で、「ああ、これ地震か」などと悠長なことを考えられたのはほんの一瞬のことだった。
 今まで笑い事の範疇だった地震。その範囲を大きく超えた揺れに、頭の中が一気に混乱していく。
 自分のバランスの取れない恐怖。視界さえまともに定まらないほどの揺れ。
「う……わ……!?」
 床にしゃがみこんでもなお左右に振られる感覚に、悲鳴じみたものまであげてしまう。
「小村っ!」
「う、えっ!?」
 いきなり抱きしめられて、そして同時にどさどさと落ちてくる本、本、本。
 背中越しに、その本たちが、倉橋に当たっているのが伝わってくる。
 実際には二分もなかったが体感ではかなりの時間が経って、ようやく揺れは収まっていき、地鳴りしか聞こえなかった図書室にざわめきが戻ってきた。
「あの……倉橋?」
 気づけば四つん這いになっている自分の上に、同じように重なっている倉橋に声をかけるが返事がない。
「倉橋…っ!?」
 どこかいかがわしいこの体勢が嫌で、それ以上に返事がないことが不安でまた名前を呼ぶ。
「あっ……ああ、大丈夫か?」
「そっちこそ、大丈夫なのか? 本、当たっただろ」



 ゆっくりと身体を起こした倉橋の言葉に頷きつつ聞き返せば、どこか曖昧な返事しか倉橋はしてくれない。
「打ち所が悪かった、とか……頭とか打ってないよな?」
「本が軽かったから大丈夫だ。……隣の列だったらやばかったな」
 歴史資料の分厚い本ばかり並んでいる隣の列を見やりながら、倉橋はぼんやりとした口調で話す。
「そ……か、良かった……」
 ――まだ心臓がドキドキいってる……。
 地震のせいか、抱きしめられたせいかわからない。
 そのどちらのせいかもしれない。
「倉……」
 言いかけた言葉はけたたましいサイレンの音でかき消されてしまった。
 避難の仕方を伝える非常用校内放送の音だった。
「俺、訓練じゃない避難は初めてだな」
「……うん」
 すぐに図書室に居合わせた教師が指示を始めるのが聞こえてきた。
「俺たちも行くぞ」
「――――――うん」
 何も言うことなく、繋がれた手。
 それにまったく抵抗せずに小村は従う。
「あのさ、倉橋」
「……なんだ?」
「その…………ありがとな」
 頑張って絞り出したお礼の返事は、ぎゅっと手を強く握り返されただけだった。



                          安価『地震でドッキリ』  完

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最終更新:2008年06月14日 23:13
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