試合当日。
試合開始前独特の緊張感を抱え、部室のドアを開ける。
やっぱり、誰もいない。
今の時間は八時。昨日伝えられた集合時間である九時より一時間早いのだが、緊張感から落ち着かなくて来てしまった。
さて、着替えるか。
偶然とはいえ誰もいないから、堂々と着替えられる。
…………やっぱり、万が一に備えてカーテンの向こう側で着替えよう。
いつもは女子部員が使っている部室の隅にあるカーテンスペースの中に入り、着替える。
「なんか、自分が段々と臆病になっていくみたいだ……」
ポツリと独り言を漏らし、頭に浮かんだマイナス思考を振り払うように、勢いよく首を振る。
いかんな。これから試合だってのにテンション下がるような真似をしちゃ。
テンションが下がるって言えば、先週は大変だったな。
偵察も偵察で大変だったんだけど、本当に大変なのはここに帰ってきてからだった。
まず、車から降りてグラウンドに向かったのだが、野球部員全員から『誰?』的な視線を向けられた。
まあ、俺達四人とも変装してたから仕方ないといえば仕方なかったのかもしれなかったのだけれども。
……まあ、すぐに偵察から帰ってきたメンバーだとわかってもらえたんだけど。ただし、俺以外。
だって、俺、女装してたし……。
俺以外の三人は、髪型変えるとか眼鏡などの小物使ってたりとかで変装して身分を偽っていたけど、俺なんか身分どころか性別まで偽っていたからね。
いや、生物学的には一応女なんだから真の姿だと言えない事もないけどさ。
とにかく、俺だけ俺だとわかってもらえるまで結構時間がかかった。
俺だと皆に認知されてからは、地獄だった。
坂本先輩は「ほう……」と妙な関心を受け、望からは「可愛い、ムカつくくらいに……」となぜか敵意を向けられ、
麻生はただただ無言。安川は「うはwww生の女装少年wwwww」と相変わらずのテンションで接しられ、
成田からは「楓たんの方が百倍可愛いですけど」と謎の優越感に浸られた。
そして、市村さんにいたっては何をトチ狂ったのか、携帯電話のカメラ機能で俺の女装姿を撮るという暴挙にでた。
当然、俺は止めてほしいと懇願したが、市村さんは笑顔で「大丈夫です、待ち受け画像にするだけですから」となんの答えにもなっていないどころか、
ツッコミ待ちとしか思えないような台詞を吐き、携帯電話(俺の女装画像データ入り)をポケットにしまってしまった。
「あああ……」
市村さんの様子から見るに、消してほしいと説得しても聞きそうになかった。
というか、なんで俺の写真、しかも女装verなんかのを待ち受けにしたがるんだ。
冗談だと思いたい。
せめて、男の時のだったら、こう……好き……なんじゃないかと思ったりしてドキドキしたりするんだけど。
しかし、女装写真を待ち受けにされるという事でもドキドキする。ただし、誰に見られるかわかんないという恐怖心でドキドキする、というものだけど。
ちなみに後で、望から「早苗は可愛いものには目がない。だから、あんた撮られたんでしょうね……チッ」という、説明と舌打ちが入った。
実は、俺は市村さんに嫌われていて、撮影行為は嫌がらせの一種かも……なんて考えが頭をよぎっていただけに、望の説明はありがたかった。舌打ちは余計だったけど。
話が逸れたな。本筋に戻そう。
一悶着あった後、一旦全員を部室に集合させ、偵察の結果を口頭で告げた。
予想通り、全員が無言のまま俯いて、テンションの下がり具合が目に見えてわかった。
まずい、正直に言い過ぎたかな。しかし、相手の実力を抑え気味に言ったところでどうにもならないだろうしな……。
この後、坂本先輩が「さて、敵の力量もわかった事だし、対策を立てた練習を始めるぞ!」と皆を練習へと駆り立てたが、
レベルの違いによるショックは尾を引き、その日はまともな練習にならなかった。
翌日以降は、練習の形を保てはしたが、昨日の悪い空気を引きずっており、皆どこか練習に集中しきれてなかった。
そんな状態の中、日付ばかりが進んでいき、変わらない重たい空気のままで今日を迎えた。
これ、どうすんだ。
こんな状態で勝てる訳がない。
あのクソ監督に「勝ってみせる」なんて大口叩いて、色々と手を尽くした結果が、今のこの状況だ。
「どうすればいいんだ……」
俺は、誰もいない部室で答えの出ない呟きを漏らす。
192 名前:
ファンタ ◆jz1amSfyfg[] 投稿日:2011/05/16(月) 17:31:08 ID:fbX9gnHw
俺が精神的に沈みかけた瞬間。
ガチャリ、とドアノブが回る音。
ビックリして反射的に一瞬だけ体が震える。
「おはようございます。一番乗り……と言う訳ではなさそうですね」
カーテンで隠されているので入口側は見えないが、声で来た人物が市村さんだとわかった。
しかし、市村さん来るの早いな。まだ一時間前なのに、と思い壁掛け時計に目をやると、すでに集合時間三十分前になっていた。
いつの間にっ!?
「あの、中にいるの坂本先輩か山岡先輩です……よね?」
市村さんが、恐る恐るといった口調でカーテンの向こう側にいる人物(俺)に声をかける。
市村さんが、なぜカーテンの向こう側にいる人物を確認するような行動をとったのか、理由はわかる。
もし、ここにいるのが俺じゃなく坂本先輩か山岡先輩だったら、市村さんが来た時点で挨拶の言葉をかけていただろう。
俺が知る限りじゃ、二人の先輩は、部室に来た部員に挨拶の言葉をかけないような人物じゃない。それは市村さんもわかっているはず。
だからこそ、挨拶の言葉のないこの状況をおかしく思っているのだろう。
「もしかして、望ちゃんですか?」
市村さんの足音と同じタイミングでキシ、キシと床の軋む音が聞こえる。
音の聞こえ方からして……こっちに近づいて来ている!
ちょっと待って。俺、まだ着替え中なんだけど!
「開けますよ、いいですね?」
市村さんが、カーテンに手をかける。
「ちょ、ちょっと待った!」
「えっ、青山君?」
カーテンにかかった手が止まった。
「あ、うん、俺。ちょっと着替え中でさ」
「青山君でしたか。返事ないから不安になったじゃないですか」
「ごめん、ちょっと考え事してたから」
カーテンから手が離れた。
ふう、危ないところだった。
なんせ、今の俺の格好はサラシ巻くために上半身裸という見られたら一発で女だとわかる……わか……らないかもな、この絶壁クラスの貧乳じゃ。
…………はあ、サラシ巻く意味あるんだろうか。まあ、万が一に備えて巻くけど。
「青山君、聞きたい事があるんですけどいいですか?」
さらしを巻いている途中で、市村さんが質問をしてきた。
「いいよ、なに?」
「なんで、わざわざそこで着替えるんですか?」
さっきも言ったと思うが、ここは基本的に女子部員の使う着替えスペース。そして、男子部員は基本的に人目を気にしないので部室では人前でも普通に着替える。
つまり、俺がカーテンで区切られた空間の中で着替える事は不自然な事であり、市村さんが疑問に思うのも十分に考えられる。
「えーと……」
さらしを巻きながら、どんな理由をでっちあげようかと頭を働かせる。
…………うーん、思い浮かばないし、ここは別の話題にシフトしよう。丁度聞きたい事もあるし。
「後で話すよ。それより確認したい事があるんだけど」
「なんですか?」
よし、市村さんが会話にのってきた。
「あのさ、先週の事なんだけど」
「はい」
「その……俺の女装写真、撮ったよね?」
「はい、ちゃんと待ち受けにしてありますよ」
「あ、してあるんだ……」
市村さんの答えに気落ちする。
待ち受け発言は、冗談か、気の迷いであってほしかった。
さらに、落ち込んだ気分に連動するかのように、サラシが上手く巻けなくなる。
あと少しで巻き終わるってのに!
「~~っ!」
つい苛立ちに任せて、壁に拳を叩きつける。
ドン、と音が響き、右手に軽い痛みが走った。
「い、今の音なんですか? 何かあったんですか?」
カーテンの向こう側から市村さんが、どこか慌てたような口調で尋ねてきた。
「ちょっと体のバランス崩れちゃって、壁にぶつかっただけだよ」
苛ついて壁を殴った、などと言えるはずもなく、咄嗟に嘘をつく。
「あのー……どこか怪我とかは」
「してない、全っ然! どこも痛くないし!」
本当は、まだ右手に微かな痛みが残っているがほっとけば消えるだろうし、怪我を口実にこっちに来られちゃマズイので、必要以上に無傷をアピールした。
「でも、本人が気づかない怪我ってのもあるし……」
「無い無い。本当に大丈夫だって」
現在、出来うる限りの最高スピードでサラシを巻いている。
何故かって? 市村さんがカーテン越えてこっちに来そうな確率が増えたからだ。
「でも試合前ですし、ほんの少しだけでも具合のチェックを……」
サラシを巻き終えた(ただし、巻き具合が緩くて不安感有り)時点で、カーテンに市村さんの手がかかる。
「あ、開けますよ~?」
そう言い、市村さんがカーテンを開ける一瞬前に、試合用ユニフォーム(上)を着る。
結構きわどいタイミングだったけど、間に合ったよな? 上半身隠せたよな?
「さあ、ぶつけたとこ見せてください」
市村さんのこの反応からして、見られてないか、見られたけどバレてないかのどっちかだな。
「はい、気の済むまでどうぞ」
壁にぶつけたという設定の左腕を前に出すと、市村さんがしげしげと眺め、たまに触り、一部を押したりして痛くないか聞いてきたりした。
ひとしきりやり終えたところで満足したのか「大丈夫そうですね」と呟き、左腕から手を離した。
「だから言ったでしょ、大丈夫だ、って」
俺がそう言うと、市村さんはジトッとした目を俺に向け、ため息を吐いた。
なんだよ、その反応。
「青山君は不注意すぎです」
「俺が?」
「そうです。よりによって試合当日に怪我するなんて気を抜きすぎてます!」
「いや、怪我はしてないんだけど」
「言い訳なんて聞きたくありません!」
言い訳じゃなく、ちゃんと間違いを指摘したのに、この言われよう。
理不尽だ……。
「いいですか、今後このような事がないように気をつけてくださいよ」
「気をつけろと言われてもな……」
実際、気を配っても怪我する時はしてしまうんだし。
「次に同じような事があったら、お仕置きしますからね」
「お仕置きって、どんな?」
「そうですね…………今のわたしの携帯の待ち受け画面をクラスの皆に見せる、とかです」
それって、あの女装姿を公開するって事か。
……ひどい。
「わかった、気をつける。だから絶対に誰にも見せないでくれよ」
「はい、絶対に見せません」
これからは、どんな事があっても絶対に怪我しないようにしようと固く決意した。
それから三十分が経過し、部室に全員が集まった。
「さて、それでは今日のオーダーを発表する」
坂本先輩が皆を見渡せる位置に立つ。手にはメモ用紙を持っていた。
「今回のオーダーについてだが、守備位置は元からいた部員は本職のポジションを、新入組は練習の成果を考慮した上で私が独断でポジションを決めた。
打順については長打力より巧打力を重視し、上手い者から一番から順に入れている。その事を頭に入れた上でオーダーを聞いてくれ」
全員が頷く。
それを見て、坂本先輩はメモ用紙に視線を移した。
「では、発表する。
1番 ショート 坂本
2番 キャッチャー 青山
3番 セカンド 山岡
4番 ライト 川村
5番 ピッチャー 山吹
6番 センター 麻生
7番 レフト 明石
8番 サード 安川
9番 ファースト 成田
これが今回のオーダーだ」
俺を含めた数名が戸惑いや驚きの表情を浮かべた。しかし、文句や不満を言う者はいなかった。
「今回のオーダーについて、異議や意見のある者はいるか?」
全員、揃って閉口。
異議・意見無しと見た先輩は時計に目をやる。
「では、このオーダーで決定だ。この後は、試合の時間までグラウンドでストレッチとランニングを行う」
坂本先輩が部室を後にし、他の部員もそれに続く。
「いよいよか……」
誰もいなくなった部室で、一人呟く。
高校に入って初めてのスタメンでの試合。
正直な話、かなり緊張しているけど精一杯頑張らないと。
「おーい、翔太。何してんだ?」
なかなか部室を出ない俺に不思議に思ったのか、陽助が部室の中を覗き込んできた。
「なんでもねぇよ」
「ほら、早くグラウンド行こうぜ」
「ああ、今行く」
俺は、緊張で早まる心臓の鼓動を感じつつ、グラウンドへと向かった。
最終更新:2011年05月17日 01:37