無題 2011 > 06 > 12(日) (うДT)

  とある世界の日本。ここは、文武両道を掲げる、とある名門校である。

 
 校門へ続く道には見事な桜並木。舞い散る花びらが、春の到来を声高に知らせる。
桜吹雪の中、続々と登校して来る生徒達の中に、一人の人物の姿があった。
彼の存在に気付いた生徒達は、誰からとも無く立ち止まり道を開け、ゆっくりと校門へ向かう彼の姿を見送る。
 
 ボロボロの学生帽に、使い込まれた下駄を鳴らし、長ラン詰襟姿が凛々しいこの人物。
 彼こそが、当校が誇る花の応援団、その団長を務める『鬼の藤堂』こと藤堂 魁(さきがけ)その人である。
 
 ・・・しかし、泣く子も黙る応援団長の彼には、ある秘密があった・・・
 
 
「サキ姉ーーー!!!」
 
 背後からのけたたましい足音と、呼びかけるその声に気付くと、藤堂は振り返ることなく走り出す。
 
「ちょ、ちょっとサキ姉ーーー!!!なんで逃げるのよーーー!!!」
 
 藤堂の後を追って走るその人物・・・藤堂の実の妹であり、チアリーディング部一年の藤堂琥凛(こりん)であった。
彼女の手には毎朝のお決まりの通り、茶色の紙袋が提げられている。そして、その中身とは・・・
 
「折角今日も制服持ってきてあげたのに!!今日こそは女の子の格好で授業受けてもらうんだからーーー!!!」
 
「・・・俺は男だ!必要ない!」
 
「どっからどう見ても女の子じゃないのさーーー!!!女の子は女の子の格好するべきだって相場が決まってるんだからーーー!!!」
 
 そう、全速力で校門を抜け、唖然とする生徒達の間を駆け抜ける彼、応援団長藤堂魁は女だったのである・・・
 
「・・・ん?」
 
 放課後、定例の報告を受ける為に部室の扉を開けた藤堂であったが、室内に誰の姿もないことに気付き首を捻る。
訝しがりながら扉を閉めようとしたとき、背後から野太い叫び声と共に誰かが駆けつける足音が聞こえてくる。
 
「だ、団長ーーーーーーー!!!!!」
 
振り返り、遠くに見えるその人影を確認すると、それは二年団員篠原 栄作であった。
 
「・・・なんだ」
 
「お、押忍!し、失礼します!!じ、実は、あの相良のやつが・・・」
 
「・・・何?」
 
その名を耳にした瞬間、藤堂の纏う空気が変わった。
 
 
 
相良 聖。
 
応援団にとって現在の最重要ターゲットであり、また目の上のたんこぶとも言える存在である。
 
中学時代『狂犬』の名で恐れられ、
入学以来校内の不良だけで飽き足らずあらゆる格闘技系の運動部すら数週でシメてしまった筋金入りの喧嘩屋である。
町の道場のいくつかも彼の毒牙にかかり、その軍門に下ったなどという噂まであった。
 
そして彼は、応援団団長藤堂魁が、ここ三年間で唯一膝をつかせることが出来なかった相手でもある。
 
そしてもうひとつ、相良と藤堂には運命的な共通点があった。それこそが・・・
 
「もうやめなよ、やめなさいって!」
 
「お前は大人しく見てろよ。オラッ!大人しくしてるうちにネガだのなんだの全部残らず出しやがれ!」
 
「ひっ、ひひぃい!!」
 
校舎裏、端正だがきつめの顔が印象的な少女に止められながら、長い髪と白磁のような肌も麗しい美少女が、
小太りの男子生徒二人を代わる代わる両足を持って逆さに吊るし、振っていた。
振られるたびに男子生徒たちのポケットから小銭だの鉛筆だの女性ものの下着だのが零れ落ちていた。
 
「なんだよ、色々持ってるじゃねぇか。で、女子更衣室のお着替えシーンをバッチリ収めたカメラとネガはどこだよ?」
 
「ひっひひぃい!わ、わかりませんん」
 
「そっかそっかー、なわけねぇだろうが!あァ!?」
 
「ひっ、ひぐもっ」
 
次の瞬間、両足を持った相良が勢いよく腰を落とし、男子生徒の頭がなんと杭の様に地面にめり込んでしまった。
しかしまた次の瞬間、ズボッと音を立ててすぐに引き抜かれた。
 
「こいつが知らねぇならお前が知ってんのかコラ?」
 
「え?ひ、ひっはぁぁあああ!!」
 
「もういいから!やめて!」
 
すでにのびている顔が土まみれの男を投げ捨て、もう一人の方に拳を鳴らしながら近付いたとき、
ついに見かねてきつめの少女がその前に立ち塞がった。
 
「もういいってなんだよ?この豚どもに盗撮されたのはお前だろ?
ツン!お前にゃ被害者意識ってモンはねぇのか?負けっぱなしでかまわねぇのか?
女ならなぁ、泣き寝入りしてないでトコトン戦えるトコまで戦うんだよ!
そうだ、なんならお前もこいつらに一発入れてみねぇか?」
 
「ひひひひぃいいい!!や、やめてkづああああlんじゅじゅえ」
 
掴みあげられた男は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら必死に逃れようとしていた。
ツンと呼ばれたきつめの顔の少女は嘆息して肩をすくめた。
 
「そういうことを言ってるんじゃないの。あんたはいつもそうやってなんでも暴力で解決しようとするからいけないのよ。
大体こんなのあんたやあたしがこんな風に出しゃばるんじゃなくて、風紀委員だとか先生だとか、あとは直接警察に」
 
「けっけけ警さtあqwせdrftgyふじこlp;@」
 
警察という単語を聞いた瞬間、言葉にならない叫びを残して男子生徒は泡を吹いて気絶してしまった。
掴みあげていた本人もツンも、ついつい唖然としてしまった。
 
「うーわ、なんだこいつ根性ねーな」
 
「まさか気絶しちゃうなんてね。じゃあこれからどうしよっか?」
 
「・・・まぁネガを回収したら見せしめに裸に剥いて昇降口にでも吊るしとけばいいんじゃねぇか?
しかし、それにしてもこいつらカメラ何処に隠しやがったんだ・・・」
 
「カメラならここだぜ。ちなみにネガなんて古めかしいものの代わりにメモリースティックを使うんだぜ、このデジタルカメラはな」
 
声に反応して二人が振り返ると、そこにいたのは金髪に染めた髪を炎のように突っ立てた、強面でいかにもな風貌の男だった。
少なくともツンは初めて見る顔であったが、着ている制服からこの男がこの学校の生徒であることだけはわかった。
そして男の手にはその言葉通り、レンズ部分がやたらに長い一眼レフのカメラがあった。
 
「お前、確か先月、極殺高校から転校して来たとかいう・・・」
 
「血に餓えた狂犬殿に覚えてもらえてるとは光栄だな。そう、その沢渡様だ」
 
極殺高校とは・・・
 
この学校へ赴任した教師の離職率42%、自殺率17%。
在学中から組の舎弟として動いている者さえいるといわれる、
卒業後の暴力団への就職率32%を誇る県内有数の極悪高校である。
そんなマフィアの養成校からこの沢渡がこの学校へ転校して来たのは、校庭に竜巻も多いいつもの春の事だった。
 
「おっと!」
 
一瞬で間合いを詰めて来た少女から、沢渡はひょいっと遠ざける格好でカメラを守り、にやりと笑った。
 
「へへっ、油断も隙も無い奴だ・・・言っとくが、このカメラを壊したって
そこでのびてるオタクが泣き喚くだけで俺にはなんのダメージもないぜ。
画像の入ったメモリースティックが俺様の手にある以上は、大人しくしてた方がオトモダチのたm」
 
「ああ、メモリースティックってのはこいつのことか」
 
「えっ」
 
少女の手には小さなチップがあった。
 
「な、貴様!いつの間にッ!」
 
沢渡は慌てて制服の内ポケットを探る。
 
「おっ、おおっ、あった・・・てめぇ!脅かしやがって!」
 
安堵しながら沢渡が内ポケットから取り出した本物のメモリースティックを確認するやいなや、
少女はそれを一瞬で掠め取って後ろに立っていたツンにひょいっと投げ渡した。
メモリースティックを取り出した格好のまま沢渡は、一瞬の内に何が起こったか理解できず固まっていた。
 
「で、これからてめぇはどうすんだ?サル回しさんよ」
 
悠然と振り返りながら、少女はそう吐き捨てた。
 
「はっ・・・!」
 
少女の言葉で我に返った沢渡は、脂汗をかきながら口の端を歪めて笑った。
 
「はっ、はははは、そ、そいつはすぐに返してやろうと思ってたんだよ、と、とっとけよ」
 
「そうかよ。じゃあてめぇの出番はコレで終わりだな」
 
少女が拳を鳴らしながらゆっくり歩み寄るその迫力に、沢渡は一歩後ずさった。
極殺高校という暴力のエリート校で二年間過ごしてきた沢渡には、
この一見美しいだけの少女がどれほどの実力を内に秘めているかは身に纏った気配でわかっていた。
いくら自分でも、コレに挑めば少なくとも無事では済むまい。
 
「て、てててめぇら!出て来い!」
 
沢渡の号令で、隠れていた沢渡の子分らしき男達が前後の退路を塞ぐように現れた。
 
「ま、俺様が直接相手してやっても良かったんだが、流石に無傷で済む自信は無かったからな」
 
ツンを背中に庇いながら静かに構えを取る少女に向かって、沢渡は調子を取り戻したように勝ち誇った顔で言った。
 
「こいつらは俺様が街で手なずけた忠実な子分たちさ。みんな一日一回は血を見ないと気が済まん奴らだ。
お前に会えるのを楽しみにしてたんだぜ?」
 
「御託の多いサルだな。すぐにテメーも畳んでやるから待ってろよ!」
 
「ハッ!い、粋がってられるのも今の内だぜ。やっちまいな!」
 
手下たちに号令をかけながら沢渡は、少女の一瞬見せた表情に戦慄していた。
その瞬間彼女の目は確かに、これから流される血を思って歓喜に爛々と輝いていた。
 
「よっしゃあ!行くぜ!」
 
迫り来る男たちの巨躯に少女が今まさに飛び掛らんとした瞬間だった。
 
「そこまでだ!!校内での私闘は校規で禁じられている!!」
 
校舎の壁をビリビリと鳴らさんばかりの声に一同が振り返ると、
そこには直立不動で整然と並ぶ長ラン姿の男たちの姿があった。
 
「応援団副長補佐、二年リーダー長の桃井である!!校規に則って、君達全員を生徒指導室に連行する!!」
 
長ランの集団から一歩進み出て、気合のこもった声でそう言い放った青年・桃井国仁は、
今まさに戦いを始めようとしていた沢渡の手下たちの間に見えた少女の姿を見て一瞬にして目の色を変える。
 
「貴様は・・・相良聖!!」
 
「うわっ、面倒臭せぇのが出て来やがったな」
 
相良と呼ばれた少女は、言葉通り面倒臭そうに頭をかいた。
 
そう・・・血に餓えた狂犬こと相良聖と応援団団長・藤堂魁の共通点。
それは、彼ら二人が、女体化シンドロームを経験してしまった者であるということだった。
 
相良がそうなってしまった理由は・・・藤堂とさして変わらないと考えてもらえれば良いだろう。
・・・要するに、彼は彼の心に決めた道に対して忠実すぎたのである。
 
「ここで会ったが百年目という所だな・・・覚悟しろ!相良聖!!」
 
「お、おい桃井。宗像副長から『相手が抵抗の意志を見せるまではなるべく手を出すな』と言われたろう」
 
相良の姿を見た瞬間に見境をなくした桃井の姿を見かねて、
横にいたその親友たる神保源三がそう声をかけた。
 
「ええい止めるな神保!ヤツに無抵抗の三文字は無い!ヤツの存在自体が抵抗の意志だと思え!」
 
先日、相良に無抵抗のところを遠慮なくぶちのめされて以来、桃井は相良のこととなると見境をなくすようになっていた。
 
「な、なんてこと言うのよ!こいつがいくらバカだからってそんなの流石に横暴よ!」
 
あまりに酷い桃井の言いように、今度はツンが大声で反論した。
 
「バカとはなんだよツン!?」
 
「何よ!間違いないじゃないの!」
 
言い返しながら相良はしかし、ツンはともかく桃井の言い分が間違いでないことを心のうちに確認していた。
拳を収める気など毛頭無く、また昔からそうしたことも無い。
次の瞬間その心に去来したのはやはり、獲物が倍に増えたことへの歓喜であった。
 
「・・・で、テメーらどうするよ。両方とも振り上げた拳を引っ込める気は無いんだろ?」
 
意気揚々と準備運動を始める相良に、沢渡の手下と応援団の両者は小さな戦慄を禁じえなかった。
 
「あ、当たり前だ!!狂犬め!!今日こそは貴様を押さえて、我らはこの学校の平和を脅かす存在をついに根絶やしにするのだ!!」
 
真っ先に答えた桃井に、相良はにやりと笑う。
 
「・・・じゃあもう御託はいらねえな。全員まとめてかかって来いや!!」
 
「「「ウ、ウオーッ!!!」」」
 
沢渡の手下たちと応援団は、相良の声と共に飛び出した桃井に引きずられるようにお互いに向け雄叫びを上げて突進を開始した。
 
「はぁ、はぁ、だ、団長!!こちらです!!」
 
「・・・これは」
 
篠原を伴って藤堂がその場に到着したとき、沢渡の手下と桃井を初めとする応援団の面々は、
既に相良の毒牙にかかり両者入り混じった屍の山(実際は死んでいないが…)を形成していた。
そして、その山を眺め悦に入る女が一人。
 
「また貴様か・・・相良」
 
藤堂の、怒りのみなぎる視線を受け、振り返る相良。
 
「やっとのご到着か、団長さんよ」
 
振り返るなり悠然と構えを取り始める相良。
もはや、やる気は満々であった。
 
「貴様・・・どれほど俺の邪魔をすれば気が済むんだ?」
 
藤堂のあまりの怒りにひきつった顔は、しかし歓喜の笑みを浮かべているようにさえ見えた。
 
「そいつは心外だな、お前らの代わりに盗撮野郎とヤクザ予備軍共を伸してやったんだぜ?
学園の平和に貢献してやった俺様に対して感謝しろよな」
 
「感謝か。いいだろう・・・礼は俺の拳で構わんな?」
 
「ああいいぜ。折角だしお礼の拳をこっちからもつけてやるよ」
 
次の瞬間、不安げにその様を見守っていたツンと神保の視界から二人の姿が消えた。
聞こえてくるのは風を切る音と、拳と拳の激しくぶつかり合う音。
先日保健の先生によって阻まれ幻となった伝説の戦いが、
この瞬間この校舎裏という場所で、また始まろうとしていた・・・
 
「・・・しまった、間に合わなかったか」
 
騒ぎを聞きつけ、まさかと思い駆けつけた中野翔だったが、
彼が問題の校舎裏に辿り着いた頃には既に相良と藤堂の決闘は始まってしまっていた。
 
「あ!中野くん?」
 
彼を迎えたのは、ふたりの決闘をオロオロと見守るしかないツン。
そして・・・
 
「応援団参謀役副長の宗像巌・・・」
 
「よう、遅かったじゃないか中野」
 
宗像は山のような巨躯を傍らの木に寄りかけながら、暢気に手を振ってきた。
 
「宗像、お前・・・いつから見ていた?」
 
「無論、お前の相良くんがそこでのびてるカメラ小僧をシメてる辺りから見ていたよ」
 
この宗像はそのガタイに見合わず、気配を消すなどの隠密行動に異様に長けていた。
その笑ったようなつくりの顔も相まってなんとも不気味な男に思えた。
 
「・・・こじれるのを待ってやがったってことか」
 
「いいや。こじれたら止めようと思っていたさ。
だが、出て行こうとしたタイミングで面白そうなことが起こってしまったからな」
 
相変わらず緊張感の無い語り口の宗像を尻目に、
相良と藤堂の決闘は続いている。
中野はため息をついた。
 
「・・・で、結局は何が原因だったんだ?」
 
「まあ直接の原因は桃井の勇み足と言えなくもないが・・・
最初は相良君が友人を盗撮した連中をシメているときに、ここで山になってる連中が横槍を入れてきたんだ。
まあ実際盗撮を命じたのはこいつらのボスである沢渡という男で、その狙いも女子更衣室の盗撮自体でなく、
それをネタに相良君をどうにかすることだったようだがね」
 
「で、その黒幕の沢渡は何処に行った?」
 
「ヤツなら、桃井達が踏み込んだ直後に逃げたようだな」
 
「逃げたようだなって・・・」
 
中野は呆れて言葉を失ってしまったが、宗像は相変わらず人のいい笑みを浮かべて藤堂達を眺めていた。
 
「心配はいらん。高校生の身でまして校内の事件の為にどこかに高飛びすることは考えられん。
校門やヤツの所属するクラスで張っていればいずれ片は付く話だ。今は逃がしておいて問題なかろう」
 
「なるほどな。で、あれをお前は止めないのか?」
 
「どれをだ?」
 
中野の言葉に宗像はわざとらしくとぼけてみせる。
そんな様子に中野はため息をつくと、黙って藤堂と相良のもとへ向かおうとする。
 
「まあ待て。お前も、この前つけられなかった決着がつくのを見たくは無いか?」
 
進み出て中野を制しながら宗像がそう語りかけた。
 
「・・・あのな、宗像。これがバレたらどれほど面倒なことになるかお前もわかってるだろう?特にアイツは、
今度こんな大掛かりな揉め事を起こしたことがバレたら今度こそ内申に響く。礼子先生も今度ばかりは抑えられんだろう」
 
彼女自身はそんなことを知るよしもないであろうが・・・
相良がこれだけ自由奔放に振舞いつつも平和な学園生活を送れるのは、
実は周囲の人々の陰ながらの努力によるところがあったのである。
 
「フフ。かと言って、あの二人の間に入ればお前とて無事ではすまんだろう?」
 
「まあな。だが黙ってみているわけにもいかんだろう。何が何でも俺は止めるぞ」
 
「・・・じゃあこうしよう」
 
それでも進み出ようとする中野の前に立ち塞がりながら、宗像は丸眼鏡の奥の目を細めた。
 
「相良君は、これでも応援団にとって最大の宿敵であり、現在の応援団における最重要ターゲットだ」
 
「・・・何が言いたい」
 
中野の怒気が自分に向いたのを確認すると、宗像は満足げに笑った。
 
「このまま団長が相良君を倒せばそれに越したことは無い。
しかし、もし勝てなかった場合・・・俺は、勝ち残った満身創痍の相良君に止めを刺すつもりだ」
 
「なんだとッ!!」
 
中野の高まっていく怒りを肌で感じながら、宗像は感極まってクックックと笑い出した。
 
「どうする、中野。お姫様を守る為には、どうやら俺を倒して今すぐ彼女をここから連れ出さなければならないようだぞ」
 
「・・・いいだろう。お前のそのニヤニヤ顔にもそろそろ嫌気が差してたところだ」
 
「気に入ってもらえて光栄だな。俺が勝った暁には毎晩眺められるようにブロマイドでも作って渡してやろう」
 
「御免だな・・・行くぜ!!」
 
「来い!!」
 
「・・・もう、みんないい加減にしてよ!!」
 
ただ一人、ツンだけがこの状況から取り残されてしまうのだった。
 
「息が上がっているようだな。そろそろ降参してはどうだ?」
 
「はぁ、はぁ、冗談!テメーこそ足腰に来てんのが見え見えだぜ」
 
間合いを開けて藤堂と相良は体勢を立て直す。
一進一退の攻防は長時間にわたり、頭上にあった日も傾きかけていた。
 
そして、その傍らではもうひとつの決闘が繰り広げられていた。
 
「クッ・・・さすがだな中野!まさか俺の拳がほとんど入らんとは」
 
「お前、口を閉じたことあるのか?」
 
「フフ、それに答えるお前も口数の多い男だな」
 
中野と宗像は拳を交わしながらこうして憎まれ口を叩きあっていた。
宗像は巨躯を生かした重い一撃を中野に見舞おうとするものの、そのほとんどは中野の動きに捌かれてしまう。
対して中野の攻撃は、ほぼ百発百中で宗像の巨躯に叩き込まれ、中野自身も大きな的に自らの拳が確実に入る手ごたえを感じていた。
しかし・・・
 
(・・・こいつ、痛みを感じないのか?)
 
確かに中野の拳は宗像の急所を的確にとらえていた。
しかし、急所に重い拳を何発もモロに喰らっている筈の宗像は、一向に怯む気配を見せず攻撃を繰り出していた。
それどころか、激しく動いて体力を消耗する中野に対し宗像は、最小限の動きで体力を温存しようとしている気配もあった。
現に、息を弾ませる中野に対して宗像は、汗ひとつかいていなかった。
 
「これならどうだッ!!」
 
「ぬうッ!!」
 
一瞬の隙を突き、中野が放った体重の乗った膝蹴りが見事に宗像の鳩尾付近に入り、
流石の宗像もうずくまる。
その気配をいち早く察知し、更なる追い討ちをかけようと中野が飛び掛らんとしたとき・・・
突如宗像の上半身がぎゅるんと後ろに向かって反った。
 
「うおッ!!」
 
咄嗟に身体を反らした眼前を、宗像の足が恐ろしい速度で通り過ぎ、その風圧で中野は一歩後ずさった。
 
「フム、今のがかわされてしまったか」
 
一回転して着地した宗像は、体勢を立て直しながら残念そうにそう言った。
 
「だまし討ちをかけるには流石に、相手が悪かったようだな」
 
「攻撃を受けていたのはやっぱりわざとか・・・ナメたマネしてくれるじゃねえか宗像」
 
宗像のサマーソルトを寸でのところでかわした中野の学ランの胸は、掠めた風圧で裂けていた。
 
「フフ。だが、そのナメたマネは目論見どおりの結果をもたらしてくれたようだな」
 
余裕で拳を鳴らす宗像に対して、中野の息は上がりかけていた。
宗像の術中に知らず知らずの内にはまっていた自分を思い、中野は歯噛みする。
 
「まあしかし、手品の種はバレてしまったわけだ。残念だがここからは、本気で行かせてもらうぞ!」
 
口数の多かった宗像は、中野を休ませない意図であろう、その言葉の後すぐに向かってきた。
先ほどとは比べ物にならない速さだった。
体力を消耗していた中野は、息つく間もなく繰り出される重い拳を紙一重で捌くのが精一杯だった。
 
「くうッ!まだこんな実力を隠してやがったとは・・・人が悪いじゃないか副長!」
 
「一気に片をつける!」
 
もはや舌戦にも乗ってこなかった。
力と手数で一気に押し切るつもりらしい。
中野は身の危険をより現実的に感じ始めていた。
 
しかし、宗像の力に追い詰められる中野の目にはそのとき・・・強敵との戦いに対する歓喜が滲んでいた。
 
一方宗像の心には、切り札を中野にかわされてしまったことへの焦りが見え始めていた。
口では余裕をかまし、態度で無傷を表して相手を精神的に追い詰めるのが彼の常套手段のひとつであった。
そうすれば敵は焦りからあらぬ行動を取り、必ず弱みをさらけ出す。
その弱みを突くことでどんな戦いも切り抜けてきた宗像であったが・・・
 
(・・・こいつ、強いな)
 
中野は、体力の消耗こそ隠しきれないものの、宗像が引きずり出したかった精神的な弱みを全く見せなかった。
それどころか、こちらの攻撃が激しくなれば激しくなるほど闘志が高まっていくように見えた。
 
何より、初めにとっていた、わざと攻撃を受けて敵に優勢を意識させ慢心を引き出し、
その隙を突いて大技で片をつける作戦を破られたのは、
彼が入学して団長の座を争った藤堂を相手にしたとき以来であり、
このことで宗像は逆に精神的なダメージを負うことになってしまった。
 
更に、宗像の身体には、表には出さないものの中野の攻撃のダメージが確実に蓄積されていた。
攻撃を受ける振りをして捌きながら戦っていたものの、中野の攻撃は宗像の予想以上に重かった。
要は、中野の攻撃が鋭すぎて宗像の思ったとおりに捌ききれなかったのである。
持ち前の異常な打たれ強さをフルに駆使して態度では余裕をかましていても、
もはや力で押し切って早々に決着をつけなければ危ない域まで来ていた。
もしも中野にこのラッシュを耐え抜かれたら、最悪彼の敗北すら見えてくるかもしれない。
 
(・・・しかし、俺も男だ。負けるつもりは無い!!)
 
弾みで始まったこの決闘に宗像は、確実に本気になっている自分を感じていた
 

 
一方、藤堂 対 相良の戦いもこのとき、佳境を迎えつつあった。
藤堂の拳を捌き損ねた相良がその一撃を腕で受け、一瞬よろけたのである。
 
「そこだッ!!」
 
気合一閃、藤堂の全体重の乗った突きが相良の胴体を捉えた。
・・・かに見えた。
 
「それを待っていたぜ!!」
 
「何ッ!!」
 
相良の胸の中心を捉えたかに見えた藤堂の腕は、
相良の手により関節をガッチリ極められ彼女の一寸先で静止していた。
 
「これは・・・合気道か!」
 
相手の力を利用して戦う合気道は、相手の力が強ければ強いほど威力を発揮する。
藤堂の腕は藤堂自身の力によって、相良の手の中で強力に捕らえられていた。
 
「ぬうッ・・・抜け出せん」
 
「へっ、無理に抜け出そうとすれば関節が外れるぜ。どうする?団長さんよ!」
 
「簡単だ」
 
「なに?うおッ!!」
 
藤堂は、極められた腕ごと上体を持ち上げ、そのまま逆の手で相良を掴みあげて投げ飛ばした。
あまりのことに流石の相良も対応できず、藤堂の拘束を解いて上手く着地するだけで精一杯だった。
 
「お前・・・イカレてるな」
 
立ち上がって服についた土埃を払いながら相良は歪んだ笑みを浮かべる。
 
「さあ、続きを始めるぞ」
 
藤堂は、おもむろに上着を脱ぎ捨てると、腰を落とし独特の構えをとった。
 
「・・・おっと、残念だが潮時みたいだな」
 
「・・・なんだって?」
 
突然拳を止めて藤堂たちの方を振り返る宗像に、中野は訝しげに尋ね・・・
そしてすぐに、その意味するところに気付いた。
 
「貴様ら、何をやっとるかああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
 
校舎二階の窓から響き渡った怒号に、流石の相良と藤堂もびくりと身体を震わせて振り返らざるを得なかった。
 
「ゲェッ!礼子先生!」
 
「くッ・・・!」
 
二階から鬼の形相で彼らを見下ろしていたのは・・・
彼ら二人の最大の天敵である保健の先生、春日礼子その人だった。
 
鬼の形相で二階の窓から飛び降りてきた礼子先生に宗像と中野が一通りの事情を説明し、
とりあえず相良の無実を理解してもらったあと、応援団は傷の浅かったものが深かったものを介抱し、
また沢渡の手下は校外から侵入した紛れもない不審者たちだったために警察が速やかに回収していった。
 
「まったく・・・仕方なかったとはいえ、もっと平和に解決できないの?私も人のことを言えた立場じゃないが・・・」
 
「いつもすみません、先生。自分の方からよく言い聞かせておきます」
 
そう言って頭を下げる宗像。
 
「・・・フン。行くぞ、桃井」
 
「・・・んあ?お、押忍!」
 
足元でのびていた桃井を蹴って起こすと、藤堂は一同に背を向けてその場を去ろうとする。
それに真っ先に反応したのは相良だった。
 
「あ!おい待てよ!逃げんのか?藤堂!」
 
その言葉に振り返り、ぎろりと相良を睨みつける藤堂。
 
「のぼせるなよ狂犬。今日のところは春日先生に免じて捨て置いてやろうというだけだ。
この決着はいずれつけてやるから覚悟しておけ」
 
「上等だ、いつでもかかって来いや団長さんよ」
 
「もう・・・ところで藤堂さん」
 
「・・・なんですか春日先生。これでも今日あるはずだった定例会のために急いでいるんです」
 
礼子先生に呼び止められると流石に振り返らざるを得ない藤堂は、困惑と焦りの入り混じった言葉を返した。
藤堂の様子に嘆息しながら礼子先生はおもむろに口を開く。
 
「・・・それ、折れてるわよ」
 
「あ」
 
藤堂の右手首が紫色にはれ上がり、外れたらしい関節がぶらぶら揺れていた。
 
保健室での礼子先生による関節入れの荒療治を終えた後そのまま病院に直行し、
大袈裟過ぎると思うのでイヤだったが一応怪我した腕を布で肩から吊って藤堂が家路に就いたのは、
そろそろ7時を回る頃のことだった。
 
(ふう・・・イヤだな)
 
これから先家で起こるであろうことを思い、藤堂は心の中で嘆息した。
藤堂は木造の重々しい門を開いて庭を入り、大きな日本家屋の我が家の玄関を暗澹たる心持ちで開く。
 
「ただいま帰りました」
 
と、廊下の奥へ向かって声を張った。
その声が廊下の奥まで響くのを確認して間もなく、衣擦れの音と共に、
着物を上品に着こなした、そろそろ50代に差し掛かるであろう、
美しく洗練された佇まいの中年の女性がゆっくりと出迎えに来た。
 
「お帰りなさい沙樹さん。今日の部活はどう・・・その腕はどうしたのです、沙樹さん」
 
「お母さん、これは・・・」
 
母は藤堂・・・沙樹の肩から布で吊り下げられた腕を見て一瞬にして顔色を変え、そう迫った。
 
ところで普段は応援団団長・藤堂魁として鳴らす藤堂であったが、実際のところ女体化したその日に、
母の意向により『沙樹』という女性名に改名が済んでおり、藤堂の妹たる琥凛が『サキ姉』と呼ぶのも、
実はこの戸籍上の本名に基づいているのであった。
 
「これはなんなのです、沙樹さん。母は、あなたがその身体になって応援団を続けたいと言った時、
あなたが危ないことを絶対にしないという条件でそれを認めると確かに申したはずですね」
 
「は、はい・・・」
 
しゃんと正座して相対する母の気迫に、鬼と呼ばれる藤堂もただ小さくなるばかりだった。
 
「それなのに、あなたはそうした大怪我をして帰って来た。これはどういうことなのですか。
それともこの母に、これは応援団の活動の外で行ったことが原因で負った怪我だとでも申すのですか?」
 
「そ、それは・・・違います」
 
藤堂にはただ、下を向いてそう答えることしか出来なかった。
 
「・・・ならば、あなたは、あなたの亡きお父様の仏壇の前でこの母に誓った約束を違えたと申すのですね」
 
「・・・ごめんなさい」
 
「このままでは、あなたを、立派な、一人前の女性に育て上げるとお父様に誓った母の約束も、守れぬことになってしまいます」
 
「・・・」
 
静かに、しかし気迫のこもった口調で語り続ける母の顔を、藤堂はもはや見上げることすら出来なくなっていた。
母は尚も厳しい表情で続ける。
 
「沙樹さん。明日一日、あなたの外出を禁じます」
 
「で、でも、学校は・・・」
 
「そんなもの、休んでしまいなさい!!!」
 
突然の怒声に、藤堂は言葉を失ってしまった。
 
「その代わり、明日は病院に行った後で一週間分のお稽古を、一日かけてみっちり受けていただきます」
 
ちなみに藤堂家の一週間分の稽古とは・・・
 
月曜:日本舞踊
火曜:お琴
水曜:武道
木曜:歌
金曜:英会話
土曜:武道
日曜:書道、生け花、茶道
 
・・・などなど、母の意向で毎日帰宅後に受けさせられているものである。
ちなみにそれぞれのメニューは必要に応じて入れ替えられたり増やされたり減ったりする。
 
「・・・わかったなら、今日はもうお部屋に戻りなさい!お風呂も沸いています!」
 
「・・・はい」
 
小さくなったまま藤堂は玄関を上がり、母に伴われて廊下の奥に消えていった。
 
「・・・ふぅ」
 
ゆったりとした木の湯船に浸かって、沙樹は過去の記憶を思い起こしていた。
道場でひとり座禅を組み、瞑想する父の背中を。
男なら、道に忠実であれ。その道を違えることなかれ。
幼い沙樹・・・その頃は魁という名であった・・・に、父はそう言い聞かせ、
ある日突然、病によってこの世を去ってしまった。
 
強い父だった。
 
だから、父が逝った後も、幼い沙樹はそれを受け入れられず、
いつかひょっこり帰って来るのだと信じて何日も道場で彼を待ち続けたものだった。
 
「・・・お父さん、私は、どうすればいいのですか」
 
ひとりごちて、ちゃぽんと頭まで湯に浸かった。
 

 
 
翌朝、朝もやに包まれる藤堂家の庭に、腰を落として隠密の内にそこを横切る藤堂の姿があった。
植木から植木へ、周囲を警戒しつつ慎重に進む藤堂。
やっとのことで塀まで辿り着くと、それに手をかけ一息に上へ上がる。
 
塀の上で一瞬止まり、慎重に周囲を確認すると、音を立てないよう道路に飛び降りた。
 
(ごめんなさい、お母さん・・・)
 
そう心の中で呟いて我が家に背を向けたとき・・・藤堂は目の前のもやの先からほとばしる闘気に気付く。
 
「どこに行くのです、沙樹さん」
 
「お母さん・・・?」
 
そこにいたのは、たすきで着物の袖を縛り、白い鉢巻を頭に、右手に薙刀を携え、
また布に包まれた細長いものを左手に、静かに佇む母だった。
 
「母は昨日、外出を禁じると申したはず。それなのにあなたは、
どうしてここにいるのです?すぐに家に戻ってお稽古の準備をするのです!」
 
「お母さん・・・それは、出来ません!!」
 
藤堂は、目を瞑ってそう言い放った。
母は黙ってそれを受け止める。
 
「私は・・・私は、身体は女であっても心は男なのです!
私は、応援団を、天に恥じることのない最高の組織に育て上げると、男である自分の誇りにかけて誓ったのです!
その誓いを・・・違えることなど私には出来ません!!」
 
精一杯の思いを込め、藤堂はそう叫んだ。
それを黙って聞いていた母は、一瞬目を閉じたあと、おもむろに口を開いた。
 
「・・・沙樹さんの言いたいことはわかりました。
どうしても今日、応援団の為にもここを通りたいと申すのですね?
それがあなたの誇りを、そして義を守り通すことになるのだと」
 
「・・・はい」
 
藤堂は静かに、しかし力強く頷いた。
 
「わかりました」
 
母はそういうと、左手に持った細長いものを沙樹に向かって投げ渡し、薙刀を勢いよく構える。
藤堂が受取った細長い包の中身は・・・いつも家の道場に飾られている、父の遺した真剣だった。
 
「・・・どうしてもここを通りたいというなら、その刀でこの母を殺して行きなさい!!!」
 
藤堂は、自分の周囲の世界がガラガラと音を立てて崩れ落ちていくかのような錯覚を覚えた。
 
「父と母への誓いよりも大切な誇りなら、今すぐその剣でこの母との絆を断ち切って進みなさい!!どうしたのです!!」
 
薙刀を構え迫る母の前に藤堂沙樹こと応援団長・藤堂魁は・・・
入学して以来の三年間で初めて・・・他者の前にその膝を・・・大地につくことになったのだった・・・
 
世界中が一瞬だけ歪み、勢い良く戻ったような錯覚を覚えた。
非常に、気持ちが悪かった。
 
凄まじいお稽古の応酬を切り抜け、倒れるように眠り翌朝目覚めた藤堂は、
押入れの中のいつもの場所に、昨夜確かに収めたはずの長ランが無いことに気づいた。
 
「・・・!!」
 
荒々しい足音すら置き去りにするような勢いで一階に駆け下り、
母がいるであろう居間の障子をバン!と開く。
 
「お母さん!!!」
 
「どうしたのです沙樹さん。もう朝食の準備が出来ていますよ」
 
割烹着姿の母が炬燵の前、いつものように電気釜から白飯を茶碗によそりながら答えた。
妹の琥凛はその手前で、背筋を伸ばしてすまし顔で味噌汁をすすっている。
 
「私の制服を・・・私が応援団の先輩方から受け継いだ大事な制服を、どこにやってしまったのですか!!!」
 
目の前が真っ赤になりそうなほど力をこめて藤堂は叫んだ。
それに全く動じる様子も無い母は、しかしながらその言葉への疑問に首をかしげながら答える。
 
「なんの話をしているのです?沙樹さん。そんなことより早く朝食を食べてしまいなさい。冷めてしまいますよ」
 
「そ、そんなこと、ではありません!!!わ、私を応援団に行かせないためとはいえ、
こんなことを・・・こんなことをするなんて酷すぎます!!!
あれは・・・あれは先輩方の思いがこもったかけがえの無いものだったんです!!!そ、それを・・・」
 
「いい加減になさい!!母にはあなたがなんの話をしているかさっぱりわかりません!!
朝食を取る気が無いのならもう学校に行っておしまいなさい!!」
 
自分をキッと見据えながらそう言い放つ母に、
藤堂は視界を涙で滲ませながら背を向け、二階の自分の部屋に駆け込み、ベッドに突っ伏した。
 
どうして母は、自分の誇りだけでなく、大切な仲間まで侮辱するようなことをしたのか。
信じられないような出来事に、藤堂の心のうちには怒りや哀しみ、申し訳なさの入り混じった混乱が渦巻いた。
しばらくの間突っ伏したまま心の内の混沌を鎮め、ふと顔を上げると、
時計の針があと少しで応援団の朝練が始まるという時間を指していた。
 
「・・・気は進まないが・・・仕方ない」
 
昨日までは確かにそこに掛けられてはいなかったはずの、
しかしまるでいつもそこにあったかのように部屋の風景に溶け込んだ女物の制服に嫌々ながら袖を通し、
藤堂は部屋を飛び出した。
 
「これは・・・どういうことだ?」
 
慣れないスカートの風を切る感触に戸惑いながらいつもの通学路を駆け抜け、学校に辿り着いたはずの藤堂であったが、
辿り着いたその学校は自分のいつも通っている学校とは似ても似つかぬ場所だった。
校門前の桜並木は影も形も無く、ただただ何処にでもある住宅街のアスファルトの道の先に校門はあった。
そしてその奥の校舎は、いつも通っている学校と一見似ているようでもあったが、
よく見ると外壁の汚れ具合などから建物の築年数が違っているように見えた。
綺麗で、新しかったのである。
 
初めは来る場所を間違えたのだと思った。
思い返してみれば、自分が走ってきた道も、いつもの通学路とは違っていた。
 
しかし、奇妙なことに、そのいつもと違う道こそいつもの通学路だと語る記憶が自分の中にはあった。
それどころか、初めて見るはずのこの校舎の内部の構造を、藤堂は正確に思い出すことが出来た。
”思い出すこと”が出来たのである。
 
「ここは・・・私の学校なのか?」
 
「そこのお嬢さん!!」
 
頭を抱えてふらふらとうずくまりそうな心地でいた藤堂に、背後から声がかけられる。
振り返ると、がっちりした長身に若干癖のある長い髪と鋭い目が印象的な、他校の制服を着た青年が一人立っていた。
 
「・・・なにか?」
 
「お、俺は茂名三高一年の月島という!実は、この手紙を、二年X組の相良聖という人物に渡してもらいたい!」
 
「相良・・・」
 
相良という名を聞いて藤堂の中の凶暴なものが目を覚ましそうになったが、
ふと藤堂は冷静になる。
・・・この学校に、相良聖がいる?
それどころか、私は・・・
 
「・・・月島君、といったか?」
 
「え?あ、ああ!そうだ!茂名三高の黒き一匹狼、月島だ!」
 
「相良聖は、二年X組じゃないぞ。彼女は、二年Y組だ」
 
「な、なんだって!?」
 
藤堂は、その相良がどのクラスにいるか正確に把握していたのだ。
言葉を交わしたことは無いが・・・彼女のことは印象に残っている。
 
・・・言葉を交わしたことが無い?
 
ふと、吊り布は取れたもののまだ包帯を巻いていた筈の手首を確認してみる。
包帯が取れているどころか、怪我の跡すらなかった。
 
それだけじゃない。
相良聖は自分と同じ3年生だったはずだ。
しかし今、藤堂の口からは2年という言葉が抵抗無く出てきたのだ。
 
「ま、まあいい!あなたが、彼女の教室を知っているなら話は早い!ならば、是非この手紙を・・・」
 
「・・・月島君。その手紙が、私の思ったとおりのものだとしたら、それを渡すのはあなたの手で行うのがいい」
 
「・・え?」
 
突然の藤堂の言葉に、月島は間の抜けた返事を返した。
その顔を見据えて藤堂は続ける。
 
「そういった手紙を、自分の身内ならともかく、
私のような何処の誰とも知れない他人に託すべきじゃないと、私は思うぞ」
 
「だ、だが、俺が直接行けるくらいなら、まどろっこしいから手紙になんかしないような・・・」
 
「それなら、あなたの口から直接伝えることだ。それが女である彼女に見せるべき男の気概・・・そうは思わないか?」
 
失礼する・・・そう言って藤堂は月島に背を向け校門を入っていった。
後には、その背中に熱い視線を送る月島だけが残された。
 
「そ・・・そうか・・・この溢れる恋心を伝えるには、自分の口から!その通りだな!」
 
そう言って何かを掴んだような爽やかな表情で顔を上げた月島は、校門に背を向け走り去っていった。
このときの藤堂の言葉によって彼がこの後、傍目からはストーカー行為に見えるような行動に走ってしまうのはまた別の話である。
 
 
 
 
「やれやれ・・・今度は他校生からの果たし状か。相良も大人しく出来ん奴だな」
 
いまいちわかっていなかった藤堂であった。
 
(おかしい・・・これはどういうことなんだ?ここは一体なんなんだ?)
 
学校の敷地内の様子は、明らかにおかしかった。
運動部の部室や体育館などの配置はいつも通っている学校とほとんど同じであるものの、
ところどころ内装や外装の色や形が違っていて、通りがかる部室の表札がテニス部だったものがサッカー部に入れ替わっていたり、
トイレだった場所がどこかの部の倉庫になっていたりもした。
 
(応援団・・・応援団の部室は・・・)
 
混乱する記憶を頼りに、校庭の片隅に位置するその場所に辿り着く。
そこには・・・
 
「・・・あった・・・」
 
そこには確かに、『応援団』の表札のかかった部屋があった。あったのだ。
藤堂は、この何かが致命的に違った世界で、不安に押し潰されそうになっているそのときに、
もっとも大切なその存在を確認できたことが何よりも嬉しかった。
こんな世界の中にも、いつものままの姿で存在していてくれたことが嬉しくてたまらなかった。
 
喜びと安堵に震える手でそのドアに手をかけようとしていたときだった。
 
「・・・あれ?おはようございます会長。今日は早いですね」
 
振り返ったとき其処にいたのは・・・何故か野球のユニフォームを着てはいたものの、
二年副長補佐の桃井国仁だった。
 
「・・・桃井?」
 
「え?ええ。おはようございます。倉庫の様子を見に来たんですか?おっしゃってくれれば自分が代わりに見に来たのですが」
 
桃井は、不思議そうに藤堂の顔を覗き込みながらそう答える。
その様子で自らが女生徒用の制服に身を包んでいたことを思い出した藤堂は、大慌てで釈明を始める。
どうして私が、下級生の、しかも桃井相手に言い訳なんてしなければならないのか・・・
 
「も、桃井、こ、この格好は・・・す、すぐに着替えるつもりだったんだ、れ、練習が始まるまでに・・・」
 
「練習?もしかして野球部の練習を応援に来てくれたんですか?
いやあ、嬉しいです!会長が来てくれればきっと、みんな気合が入りますよ!」
 
桃井は何事か勘違いしているようで、そう言いながら顔をくしゃくしゃにして笑った。
 
「・・・野球部?」
 
「ええ、たった今走り込みが終わってキャッチボールとノックを始めたところですが」
 
「いやいや待て!私が会長?」
 
「は?」
 
桃井はポカーンとした顔で藤堂の顔を見返した。
それだけじゃない。
この桃井は受け答えからして圧倒的に絶対的におかしいし、
それに桃井の口からはもっと疑問になる言葉が飛び出していたのだ。
その全てをこの目の前の桃井に問いただしたいが、
混乱する頭の中を整理できるような余裕は今の藤堂にはなかった。
 
「も・・・桃井、お前は、何を言っているんだ!それに、応援団の朝練はどうした!!」
 
「え?応援団って・・・春の選抜は終わったし、夏までしばらく練習はないはずでしょう?」
 
桃井は藤堂の言葉を明らかに理解し兼ねている顔をした。
その様子に黙っていられず、藤堂は桃井の胸倉を勢いよく掴み上げた。
 
「何を言ってるんだ・・・どういうことだ!!インターハイが遠くても、
練習はいつもやっていただろう!?それに、応援以外の仕事だって・・・」
 
「お、落ち着いてください会長!お、応援団は、去年の夏を最後に部員不足で廃部になったじゃありませんかっ!」
 
「なん・・・」
 
藤堂の目の前が真っ暗になった。
身体中から血の気が引いて、桃井を掴みあげた手がするりと抜けた。
力も抜けてしまって、仕舞いにはその場に座り込んでしまった。
 
「応援団は部としての実体を失って、運動部の大きな試合が近くなったときにだけ生徒会からの選抜で組織される、
生徒会の下部組織になるって決定がなされたはずでしょう?それに・・・」
 
「・・・それに・・・?」
 
心配そうに覗き込む桃井の顔を、ほとんど朦朧としながら藤堂は見上げる。
 
「その決定をしたのは、あなたのはずでしょう、会長・・・」
 
私が、応援団を終わらせた・・・?
違う、私はそんなことしない。
自分が命より大切に思っているものを、そんな風に・・・
 
ふらふらと立ち上がり、手を貸そうとする桃井を押しのけ、部室のドアノブに手をかける。
この中には、いつもの風景が。
下級生が整然と並んで、腕組みして笑う宗像が待っているはずなんだ。
ここを開ければ、いつもの日常が戻ってくるはずなんだ。
 
ドアを開いた先にあったものは・・・
 
「・・・会長、表札はそのままですがここは、催し物で使う道具を入れておく倉庫になったんです・・・」
 
蛍光灯の取り外された暗い室内に、体育祭の大きな飾りや太鼓、表彰台、棒倒しの長い棒や
体育で使う平均台、カゴいっぱいのサッカーボールなどの道具が積み上げられた、ただの倉庫だった。
 
そして、自分の中に、広い会議室の中、立ち上がって、
応援団の解散決定を宣言する書面を読み上げた記憶を、確かに今"思い出した"のだった。
 
 
 
【つづく。】
 

 

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最終更新:2011年06月15日 18:55
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