無題 2011 > 06 > 23 ◆Zsc8I5zA3U

 これはとある世界・・女体化という現象が日常にある世界のお話。

 
 
 
 
いざ異国へ・・
 
 
 
                  ◆Zsc8I5zA3U
 
 
 
 
 
舞台はとある学校、時期は季節と季節が移り変わる間・・・全校生徒及び一部教師まで巻き込んだ相良 聖VS藤堂 魁の決闘もようやく落ち着いてきた。そしてこの時期になると学校の2年生にはある一大イベントが待っている・・
 
「修学旅行か! 楽しみだぜ!!!」
 
「ああ、いい思い出になるといいな」
 
校舎の屋上で和気藹々と会話をしている2人・・それぞれの名は女の方が月島 狼子、そして男の方が
木村 辰哉と言った。彼等は高校2年生、これから起きる修学旅行に思いはせながら日々を過ごしている、それに今回の修学旅行の旅行先は歴代の修学旅行先とは別の意味で違う。
 
「それにしても凄いよな・・何せ今年の修学旅行はアメリカだもんな」
 
「そうそう!! もしかしたらあのSAORIと出会えるかも」
 
「おいおい、そりゃないだろ。SAORIっていったら世界を代表する女優だろ? そう簡単に会えないって」
 
「この野郎・・俺の夢を壊しやがって!! 噛んでやる!!!!」
 
「うわっ!! や、やめろ~!!!!!」
 
いつものように狼子に噛まれる辰哉の構図、これもお約束のうち・・
 
 
そんな大盛り上がりの後輩組と違って一方の先輩組はというと、かなりふてくされているようである。
 
「ガァァァァ!!!! なんであいつ等はアメリカなんだよッ!!!!!」
 
「おいおい、別に・・」
 
「この俺様がアメリカに行けねぇなんてふざけてるに決まってる!!!」
 
この2人に関してはあえて追求はしないが、一応紹介はしておこう。この学校の名物であり中学時代は各学校の不良達を恐怖のどん底までに恐れさせた伝説のツートップ、相良 聖に中野 翔。この2人の馴れ初めはこの際関係はないので省かせて貰おう、さて翔はともかくとして聖が非常に機嫌が悪いのは今年の修学旅行の行き先である。
 
「全く、狼子や辰哉達が行けてなんで俺達は行けれぇんだよ!!」
 
「あのなぁ・・確かに俺達の頃は国内だったけどそれなりに楽しめたじゃねぇかよ」
 
「うるせぇ!! こうなったら生徒会へ殴り込みだ!!!」
 
ここまでくれば流石の翔でも聖は止められない、まるで氾濫を起こした河川の如く生徒会総本部へと向かう。
 
 
 
生徒会・・学校内の全てを統括しており校内での影響力は凄まじいものではある。しかし一般の高校の生徒会はそこまで影響力はないはずなのだが、この学校の校風は生徒の自由性を尊重しているのでこうした生徒会も存在できるのだ。勿論、ただ自由に任せるのではなく教師の監視もついてはいるのである程度の体裁は守っている。そしてその生徒会の総本山とも言えるべきところがここ生徒会室、中には生徒会長である和久井 奈美(わくい なみ)と
その秘書的立場でもある1年の生徒がおり、業務の真っ最中である。
 
「会長、書類の準備が整いました」
 
「ご苦労。この書類を職員室へ提出すれば一段落ね」
 
生徒会長の奈美は女体化者でありながらも仕事をテキパキとこなすし成績もかなり優秀な部類に入る、全体的な生徒からの人望は不明だが可もなく不可もなくと言ったところ。そんな静けさが広がる生徒会室に嵐は唐突にやってくる・・
 
「さて今年の修学旅行に関しては生徒会はここまでね」
 
「はい、次は各部活の・・」
 
「そりゃぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 
いきなりぶち破られた生徒会室のドア。そして颯爽と登場した聖を2人は唖然としながらみつめていたが奈美も伊達に生徒会長をやっていない、表情を戻しそのまま聖を見据える。
 
「・・我が生徒会に何の用事かしら? 相良さん」
 
「用事だと・・決まってるだろ!! 今年の修学旅行についてだ!!!!」
 
生徒会室中に響き渡る聖の怒声。そんな聖とは対照的に一方の奈美はそのまま平静を保っていたが、聖にして見ればそれが更に気に食わないようだ。
 
「なんで今回の2年は修学旅行先が海外なんだよ!!! 俺達の時とは大違いじゃねぇか!!!!」
 
「一応、生徒会の方でも厳正なる議論の末に承認されたんだけど。それに先生達も今回の修学旅行で他国の文化に触れてもらおうと・・」
 
「うるせぇ!!! 生徒会の意見なんざ関係ねぇ!!!!」
 
一向に聞く耳を持とうとしない聖であるが、奈美はそのまま目を瞑りながら静かに聖の主張を聞き入れる。
 
「なんで俺達の時は海外じゃねぇんだよ!!! 黙ってないで少しは答えろ!!!」
 
「・・留年」
 
「は?」
 
「私は生徒会長よ、一般の生徒を留年させるぐらいどうと言う事はないわ」
 
いくら生徒会の権限が大きくとも一人の生徒を留年させたり退学処分にまで追い込むのは不可能に近い、せいぜい停学がやっと・・だけども奈美は生徒会を統べる生徒会長。当然として教師達からの信頼も厚いもので、もし奈美が校長に聖の留年を直訴したらすぐさま職員会議が開かれる。それに聖は過去にも色々とやらかしている事がかなりあるのでますます留年の可能性は高まる。
 
「いくらてめぇでも生徒一人を留年に追い込むのは不可能だ!!!!」
 
「・・他校との乱闘、そして普段の授業態度に加えて成績に当校生徒及び教師への暴力行為の数々。ほんの一部だけどそれを私が校長や理事長に言ったらどうなるかしらね」
 
「だけどそれはてめぇじゃなく先公達が決めるんじゃねぇのかよ!!」
 
「それに留年したら・・彼氏と一緒に大学へ進めなくなるわよ」
 
「――ッ!!」
 
聖自身も留年は絶対避けたいところでもあるし自身の持っているプライドがそれを許さないし、何よりも将来の進路は翔と一緒に大学へ進学する事・・そのために翔と一緒に勉強をしているのだ。
 
「それでも抗議するならどうぞご自由に」
 
「・・チッ、胸糞悪い奴だ」
 
そのまま聖は意気消沈に近い感じで生徒会室を後にする、奈美はその姿を見てようやく一息つく。
 
「ふぅ・・全く、手のかかる人」
 
「流石です会長! あの相良さんを説得させるなんて・・」
 
「別に、誰だって出来るわよ。それにああ見えても根が単純そうだったからああいったまで」
 
そもそも奈美は聖を留年させようと本気で考えていない、さっきのは脅し・・聖を納得させるのと現実を解らせるため。
 
「例の柔道部の元部長みたいな非道な人間じゃないわよ、私は」
 
「は、はぁ・・」
 
「まぁ、春日先生ならもう少し巧く言うんでしょうけど・・さて、仕事仕事っと」
 
生徒会長、和久井 奈美の仕事はまだまだ続く・・
 

 
あれから聖は不貞腐れながらいつものように保健室に足を運ぶ。
 
「畜生ッ! なんか丸め込まれた感じだッ!!!」
 
「はいはい、気持ちは解ったから落ち着いてね」
 
いつものように礼子は仕事の傍ら聖を宥める、こんな光景は毎日のように続いているので特に驚くことではない。
 
「なんで俺達はアメリカじゃねぇんだよ!!!!」
 
「別にいいじゃないの、今じゃなくても卒業したら彼氏とも行けれるでしょ」
 
「そりゃそうだけどよ・・」
 
礼子にして見れば早いところ聖を大人しくさせて自分の仕事を片付けたいのが本心だが一応聖にはそれなりに気に掛けているのでもう少しだけ慰める事にする。
 
「ま、今回は私も留守番だから愚痴でも聞いてあげるわ」
 
「・・わかったよ。というかなんで礼子先生は行かないんだ?」
 
「学校の事やら色々あるしパスポートも申請しないと行けないから今年は断ったの」
 
礼子は養護教諭であるために必然的に修学旅行に付き添うことにはなるのだが、今回の修学旅行先はアメリカ・・礼子の持っているパスポートは既に期限が切れているのは事実、しかし昔に比べてパスポートはデジタル化しているので前のパスポートと書類を役所に提出すれば申請には僅か1日程度で済む。しかし礼子は今回の修学旅行の付き添いを断ってこうして学校に留まっているのには個人的なものではあるが、とある理由がある。
 
(あそこには徹平もいるが、忙しいから会えないだろうし・・それにアメリカにはあいつもいる)
 
過去に礼子はSAORIこと、平塚 沙織と少しだけ揉めあいを起こしている、それは傍から見れば単なる揉めあいに過ぎなかったのだが・・礼子はその時の沙織の顔が未だに忘れられず深い思い出として残っている。礼子にとって自らの過去はあまりいい物ではないし聞いてもいい話ではない、要するに礼子は沙織と会うのが怖いだけなのだ。
 
「そういやさ、SAORIやその旦那の社長は礼子先生と同世代だよな。もしかして同級生だったりしてな」
 
「・・そんなわけないでしょ。早く教室に戻りなさい」
 
「ちぇ・・わかったよ」
 
少し強引気味に聖を下がらせる礼子、そのまま聖が出たことを見計らうとタバコを吸いながら一人ごちる。先ほどの聖は偶然にも真実をついており礼子は動揺を悟られぬために聖を追い出したのだ。礼子自身も少し大人気なかったと思うのだが過去と言うのは出したくはないし、それに自分の経歴を考えてもおいそれと簡単には公言できるものではない。
 
「俺も情けねぇな・・」
 
いつも吸い慣れているタバコが苦く感じる礼子であった。
 

 
場面は変わってアメリカ、ニューヨーク。この国の象徴である自由の女神を一望できるこの部屋に一人の男が書類と格闘していた。
 
「この書類は内容が曖昧だな、やり直しだ」
 
アメリカの都市であるニューヨークのオフィス街に本社を置くここ平塚グループ。会社としての歴史は浅いもののその規模は凄まじくあらゆる分野に積極的に顔を出しながら画期的かつ斬新的なアイディアの数々を秘めた商品をこの世に送り出し、凄まじいぐらいの利益を収めている。利益が金を産み会社は瞬く間に急成長を遂げており、今や世界規模でも支社が存在する。企業の長者番付ではもはや常連であり、世界中で知らぬものはいない。そんな大企業を率いているのが平塚 明人社長、他の大企業の社長とは比べたらまだまだ若いがその卓越した先見の明や緻密な戦略を駆使しながら
今日まで平塚グループに多大なる利益をもたらしている。更にはその妻に今や世界的に有名になっているSAORIなので世間からの注目が凄まじいものだ。
 
そんな彼は現在、秘書に見守られつつ各部署から社長宛に提出された書類を手際よく捌きながらいつものように業務に励む。
 
「これは今度我が社が主催するパリで行うファッションショーの企画書か。・・承認するか、担当部署に繋げろ」
 
「了解しました」
 
秘書はすぐに回線を取り出すと担当の部署へと繋げて明人へ手渡すと、明人はそのまま電話を受け取り話を進める。
 
「私だ、例のファッションショーの企画書を読ませて貰った。・・予算に関しての詳細や関係各所の手はずをしておけ、20日以内に全てをまとめあげて俺に提出しろ。以上だ」
 
電話を切って明人は更に書類を捌く、今回のファッションショーは規模も大きいので他の大手企業もこぞって参加することは間違いないだろう。それにファッション業界でブランドを展開している企業との関係を更に密接させる必要もある、先週にとある老舗ブランドとの提携で商品を出したばかりなのでそれの宣伝にもうってつけなのだ。
 
「・・この後の予定は?」
 
「役員会議とヴィトンの会長との食事会・・後は大統領との非公式会談です」
 
秘書から述べられるスケジュールを頭の中に入れながら明人は書類を全て片付けて、頭と身体に休息を叩き込む。大企業の社長ともなると仕事の量はかなり膨大でそれ故に休む時間も限られてくる。一時期、明人は休み時間を極限まで削り全てを仕事に費やしたために無理が祟って体調を崩してしまったことがあるので、それ以来時間が空いた時は出来るだけ休みに取り入れるようにしているのだ。暫しの休息・・心地よい時間が静かに流れる中で社長室にノックが響く。
 
「・・入れ」
 
「失礼しますよ・・っと、休まれてましたか社長?」
 
入ってきたのは、この会社のナンバー2である副社長の十条 兼人。明人とは幼馴染兼友人の間柄ではあるのだが今は公の場なので自分の立場に沿って明人に接する。
 
「十条か。丁度良い、休みついでに報告を聞こうか・・君、暫く席を外して置いてくれ」
 
「解りました。では後ほど・・」
 
明人は秘書を下がらせると、そのまま窮屈そうに寛ぎながらも休息を続ける。兼人も秘書が完全に下がったのを確認するととあるサインを明人に向ける。
 
「・・大丈夫だ、盗聴器の類はない。というか普段からチェックさせているのだから良い加減に慣れろ」
 
「そうかい、だけどお前が本社を留守にしてあんまり日が経ってないからな」
 
「お前と腹の探り合いをしても仕方ないだろ」
 
「・・そういう身内に対する甘さは足を掬われるぜ?」
 
「忠告として留めておこう」
 
先ほどまで厳粛な顔つきだった兼人はようやく安堵しながら昔と変わらず明人に話を投げかける。会社という組織である以上は内外問わず様々な派閥の覇権争いがある、特に現在のトップであるこの2人にはあらゆる派閥の人間が手段を問わず上から蹴落とさんと虎視眈々と見据えているので明人はそういった部類の人間達に出来るだけボロを出さまいと会社内外を問わず社長として厳格な態度を取り続けている、でなければトップとしての示しがつかないし何よりも情で流されてしまうような甘い考えに走らないようにとの戒めでもあるのだ。全ての上に立っている以上は個人の能力と実績を全て考慮した上で的確に指揮を握り続け、手塩に掛けて育て上げた会社の存続を常に考えなければならないのだ。
 
「全く、会社に来ると色々疲れる」
 
「その意見には同感だが・・組織である以上はそれなりの体裁を示さないと付け入る隙を与えてしまう。俺はまだまだ引退する歳でもないよ」
 
「ハハハッ、全くだ。しかし毎日美人の秘書と一緒に仕事しやがって・・浮気はするなよ」
 
「悪いが沙織以外の女など信じない性質なのでな」
 
「へいへい・・一生言ってろ」
 
兼人は少し苦笑しながらもタバコを吸いながら更に談笑を続ける、2人にとってこの談笑の時間こそがリラックスできる時間であり自然と気が楽になるのだ。
 
「それより、日本から来る修学旅行の一団が本社を見学したいようだ」
 
「書類は見ている、そこ等は全て担当に任せてある」
 
平塚グループの本社は一般用の見学スペースも充分に管理している。明人として見れば会社の歴史も知ってもらえる良い機会でもあるし、新たなるユーザーを獲得できるのだ。それに学校の授業の一環にもなるのでアメリカにある殆どのスクールでは平塚愚ーぷ本社の見学が毎年盛り込んであるほどだ、そのお陰もあってか教職員からはおおむね好評である。狼子達の修学旅行先でも当然、明人の会社の見学が盛り込まれているのだが・・兼人はとあることを思いつく。
 
「どうだ? 日本から高校生が来てくれるんだから、たまにはお前が案内してみろよ」
 
「お、おいッ!! 別に俺が態々出向く必要がどこにある」
 
「別にいいじゃないか? 良い機会だと思うぞ?」
 
元々、明人は人前に出ることが余り好きではないもので仕事ならまだしも高校生の案内をするのは正直言ってごめん被りたいものである。
 
「そんなものは担当に任せて置けばいいだろう。それに第一俺は社長だ、一介の高校生達に・・」
 
「・・自分の息子達が見学した時に極秘に監視を付けたのはどこのどいつだ」
 
「――ッ!! あ、あれは・・だな」
 
明人の息子である慶太達もスクールの行事として、ここ本社に見学をしたのだが・・明人はよほど息子達の授業姿を見たかったのか、極秘に監視をつけてビデオに撮るように指示をしている。こう見えても明人はいわゆる隠れ子煩悩という奴なので自分の息子達が来訪してくるスケジュール等を予めレクチャーしており、特に見学場所は綿密に安全やら見学する資料や果てには試食のサンプルやカフェテリアの衛生面まで考えていたほどだ。まぁ、当の息子である慶太は既に見知っている施設ではあったので退屈そうではあったのだが、兼人の娘である香織は結構はしゃいでいたようだ。
 
「今回は俺達の故郷からはるばる来てくれるからな。・・それにお前もたまには気晴らしに別の仕事してもいいんじゃないか?」
 
「・・考えておこう」
 
会社では決して見せない明人の姿を兼人はタバコを吸いながら面白おかしく見つめるのであった。
 

 
なんやかんやで日が経ち、修学旅行当日。礼子が諸事情により修学旅行を辞退したため教員達は外部からの協力を得ることによって、どうにか解決できたようだ。そして空港前で生活指導の教師からお約束とも言える注意事項が発せられる。
 
「え~・・今回の修学旅行は海外ということなので我が校の名誉に恥じぬ行動はもとより、日本人らしい慎みある行動を」
 
「なぁ、辰哉! SAORIに会えるかな」
 
「だから会えるわけないだろ・・って噛むなぁぁぁ!!!」
 
「人の夢を壊した罰だ!!!!!」
 
大概の生徒達は教師の話などまるで聞いちゃいないもので真面目に聞いているのはほんの一部と行ったところ、大半は先ほどの狼子のように興奮を抑え切れずにはしゃいでいる。
 
「それにしても先輩達はやけに大人しかったな」
 
「まぁ・・今回ばかりは事情が事情だし、聖さん達にはお土産でも買ってくるさ」
 
今回の修学旅行にあれだけごねていた聖が急に大人しくなったのには辰哉や狼子も少し疑問に思っていたところなのだが、あれ以来は聖も修学旅行については興味が失せてきたのか修学旅行については普通の言及に留まっている、しかし平穏になるならそれにこした事はないものだ。
 
「さて、もう搭乗の時間だけど手荷物は大丈夫か?」
 
「当たり前だ!! ボディーチェックで引っ掛からねぇよ!!!!」
 
「ハハハッ・・ん?」
 
ふと視線を泳がせていた辰哉であったが、なにやら慌しい騒動が目に付く。よくみて見るとどうやらボディーチェックのところで若い男女のカップルが係員と揉めているようだ。
 
「てめぇ!! この俺様が何でボディーチェックさせられなきゃなんねぇんだよ!!!!」
 
「で、ですから・・当社の規定でして」
 
「うるせぇ!!! こちとら修学旅行でむしゃくしゃしてるんだよ!!!」
 
係員に怒鳴り上げている1人の女性・・元より聖、それに前の方では翔の方も確認できる。
 
「おいおい、あんまり騒ぐなよ。辰哉達も同じ空港にいるんだからあんまり騒ぎと大きくするな」
 
「うるせぇ!!! ・・全く、他に空港はなかったのかよ」
 
「仕方ねぇだろ、他になかったんだし・・」
 
何とか聖を止めようとする翔。ここでもし聖が暴れてしまえばこの極秘旅行も全て水泡に帰してしまう、あれから奈美に説得されていた聖ではあるが内心ではまだ納得がいかないようでそれを見かねた翔は狼子達の修学旅行に日程を合わせた旅行を提案したのだ。しかし予定をあまり確認していなかったのか当初の修学旅行の日程が変更になっている事も知らずに辰哉に目撃される羽目となったのである、ただ唯一の救いが目撃者が辰哉だけであったのでまだ良い方だろう。2人とも本来は学校なので教師に見つかってしまえばまずは連れ戻されて説教は間違いないだろう。
 
翔としてみれば説教は元より余計なことで内申に傷をつけたくはないので何とか宥める。
 
「だけどよ、俺達は一応お忍びの身だ。ボディーチェックをしなくても所持品だけ見せればそれで済む話だからな」
 
「・・わかったよ」
 
そのまま聖は素直に係員へ自分の持っている所持品を突き出す。
 
「ほら、これでいいだろ!!!」
 
「え、ええ・・結構です。お通り下さい」
 
最近は時代の流れなのかボディータッチの正当性も薄れてきているので危険物持込の審査も、もっぱら機械が主流となっているので誤差は殆どない。しかし機械にまかせっきりということもあるので今でもこうしてボディーチェックの風習は残っている、だけども先ほどの聖のように係員に自分の所持品を見せれば通るのだ。全ての一部始終を見ていた辰哉は内心溜息をつきながら、視線を元に戻す。辰哉達もボディーチェックの時間でクラスごとで受けており、辰哉のクラスにも順番が回ってくる。
 
「辰哉! ボディーチェックをやり過ごしたら暫くは自由時間だ!!」
 
「予定表にも書いてあったじゃないか。ついでに言っておくと国際線は余裕を持って出発するのが常識だから時間には空きが出来るんだよ」
 
「し、知ってるぞ!! ちゃんと予習済みだからな!!!」
 
「・・それに荷物も引っ掛からないように俺の家で確認しただろ。心配するなって、それに旅行の時に使った常備薬もちゃんと持ってるか?」
 
「ちゃんとあるぞ!!」
 
「んじゃ、行くか」
 
そのまま辰哉達は難なく機械を通り抜けると、そのままクラス事に担任の軽い説明から解放されて国際線の待合室のロビーでゆったりと時間を過ごす。
 
「うわぁ、空港土産って意外に揃ってるんだな」
 
「あんまり無駄遣いするなよ」
 
「そうよ。もう少しで向こうで換算するために財布を回収されるんだから」
 
「友まで言われたら仕方ないな。そういえば刹那、外人に会った時は宜しく頼むぜ」
 
「・・わかった」
 
途中で合流した友と刹那らと一緒に談笑を始める狼子、そんな狼子の様子を見計らいながらお決まりの文句を言い出す。
 
「悪い、ちょっとトイレ行って来る」
 
「早く済ませよ」
 
「わかってるって・・」
 
勿論トイレに行くのは真っ赤な嘘、この場から抜け出すための口実に過ぎない。そそくさと歩きながら辰哉はとある場所へと歩みを進める・・国際線から国内線のロビーにお目当ての人物はそこにいた。
 
(おっ、いたいた・・)
 
辰哉が探していたのは聖と翔の2組、周りに知り合いがいないことを確認するとそのまま辰哉は聖達に近づく。
 
「先輩~」
 
「ゲッ、辰哉・・」
 
「おいおいマジかよ・・」
 
辰哉の登場に明らかに動揺を隠せない二人・・お忍び同然の身である二人にとって近しい知り合いとは絶対に会いたくはない。それに辰哉を通じと狼子達の耳に入れば最悪な数珠繋ぎがあっという間に完成してしまい、最悪な状況になるのは目を見ても明らか・・だからここは無理をしてもしらばくれる必要があるのだが、傍目から見ても一線を画す美男美女の2人にとっては焼け石に水に等しいものだ。
 
「えっと、その・・なんだ?」
 
「あれだよ。おr・・じゃなかった、私達は~とある観光客で」
 
「おい! 日本語がおかしくなってるぞ!!」
 
「うるせぇな!! てめぇだって慌てまくりじゃねぇか!!!」
 
明らかな動揺を見せる2人に辰哉は正直言って面白おかしくて仕方がないが、状況を察しながら2人を安心させる。
 
「・・大丈夫ですよ、俺の胸に留めておきます」
 
「そうか、助かったぜぇ~」
 
「辰哉で良かったぜ」
 
辰哉の言葉に安堵する2人、そのまま辰哉は2人から事の経緯を説明してもらい複雑そうな表情を浮かべる。
 
「この時期に・・旅行ですか」
 
「いやよ、海外は流石に無理だったんで国内の安い所にしたんだ」
 
「全く、金がないのは苦労するぜ・・椿も苦労するな」
 
「あのなぁ!! てめぇも少しは働けっての!!!!」
 
「うるせぇ!!!! この俺様に労働なんざ似合わねぇし糞喰らえだ!!!!!」
 
いつものように所構わず良い争いを始める2人に辰哉は少し後悔に似た感情を抱いてしまうが、何とかぐっと抑えながら話を続ける。
 
「・・ところで学校にはなんて連絡してるんですか、それにご両親には?」
 
「ああ、一応親や学校には適当に伝えておいたから大丈夫だ。さて俺達は国内線だからもう時間はないしな、お前も一生に一度の旅行を楽しんでおけ」
 
「次こそは絶対に海外進出してやる。それに辰哉!!! ・・狼子達を守らねぇと承知しねぇぞ!!!!!」
 
「わかってます。・・こんなこと俺が言うのもなんですがお気をつけて」
 
「土産はちゃんと買ってきてやるから、心配すんなよ!! あばよ」
 
(何だか・・会わなきゃよかったかな)
 
意気揚々と2人を見送る辰哉、これが自分の先輩と思うと少し泣きたくなってしまうのであった。
 
 
辰哉が聖達を見送って数分後、ようやく辰哉達も搭乗の時間となり各自持っているチケットで振り分けられた席へと座る。幸運にも狼子一行はそのまま近くの席へと座れることになったのだが・・飛行機に乗ったとたんに狼子の調子が優れない。
 
「辰哉・・気分が悪い」
 
「おいおい、まだ動いてないんだぞ!?」
 
「アチャー・・いつものね、薬はあるの?」
 
「ちょっと待て。確かここに・・あった!!」
 
辰哉は自分の手荷物から礼子に貰った薬を取り出し、狼子に飲ませる。実は狼子は極度の乗り物酔いであり、前回の旅行では翔やドクオの安全運転も大きいが礼子から貰ったこの薬の効果が大きいもので今回も礼子から多めに支給して貰ったのだ。薬を飲んだ狼子は症状が落ち着きつつあるが、まだ会話する元気はないようである。
 
「ま、礼子先生からは薬を多く貰ったから当分は大丈夫だろうな」
 
「・・心配」
 
「薬が効いたらいつものようになるさ。刹那ちゃん」
 
「黙れ、[ピーーー]ぞ」
 
「・・・」
 
相変わらずの刹那の毒舌が日増しに辛い辰哉、前回の旅行の時は刹那の方は個人的な事情で出られなかったようだし聖と魁の決戦の時は病欠だったので何かとイベント事についていない刹那。その鬱憤が元の毒舌に更なる重みを増しているのに違いないと最近辰哉は思う、最近は狼子の影響で無愛想だった刹那にも徐々に人間らしさが出てきてはいるもので特に聖に関してはペットのように懐いている、友にもそれ相応の感じでいるに関して自分に関しては出会った頃のまま・・でも考えようによってはこれを機に刹那との距離を縮める良い機会なのかもしれない、そう考えた辰哉は珍しく刹那と会話を続ける。
 
「あのさ、刹那ちゃん。・・よく狼子や相良さん達と一緒に居るようだけど、楽しい?」
 
「・・」
 
「それに相良さんには懐いているようだし、ツンさんには何やらお菓子とか貰ってるみたいだね」
 
何とか話を途切れさせまいと話を続ける辰哉、それが功を奏したのかポツリとだが刹那の方から言葉が出る。
 
「あの人達は・・優しい」
 
「そうか。俺もそう思うよ」
 
「・・だから出会えてよかったと思う」
 
それなりだが、会話らしい会話が成り立っているので辰哉として見れば嬉しいものである。
 
「まぁ、刹那ちゃんは変わったと思うよ。転校して来た時はそりゃもう・・」
 
「黙れ、[ピーーー]ぞ」
 
「・・」
 
(まだまだ、青いね)
 
友のコメントと同時にフライトは開始する。
 
 
さて、同じ2年で修学旅行に参加しているのは何も狼子だけではない・・応援団筆頭桃井リーダーも勿論参加している。旅行前日に団長の藤堂 魁一同から熱い激励を受けてやってきたのだ。
 
(はぁ~・・何もあそこまでしなくてもなぁ)
 
身体一杯に溜息を付く桃井、そして同様に溜息をついている者もちらほらと見受けられ、彼等の表情を見ると桃井と同様にその表情は疲労が見受けらており、それに彼等にはとある共通点がある。・・彼等はみな校内では頗る有名な応援団の団員であり、屈強としても知られているが・・彼がここまで溜息をつくにはとある理由が存在する。
 
その経緯を説明するには修学旅行前日に遡る・・
 
「ふぅ~、ようやく終わった・・」
 
当時、自宅でようやく荷物をまとめた桃井であったが・・まるでそれを見越したように桃井の携帯が鳴り響く。
 
「メールか・・折角、荷物が終わったのに誰からだよ」
 
だるそうにしながら携帯のメールを見ていた桃井であったが、宛先を見たとたんに桃井の表情は見るみると険しくなる。
 
「こ・・これはッ!! 団長からのメール!!!!!」
 
桃井の目に飛び込んできたのは団長から直々のお達し・・文面は“すぐにいつもの所へ来い・・以上”と非常にシンプルなもの、桃井に緊張が走る中でまた電話が鳴り響く、相手は同じ学年の応援団に所属する友人だ。
 
「もしもし・・」
 
“おい桃井!! ・・メールを見たか”
 
「・・さっきな」
 
どうやら友人も今の自分と同じ状況らしい、感情を抑え切れずに焦りがモロに伝わってくる。
 
“やっぱりお前のところにもか・・行くしかないよな”
 
「死にたいなら断ればいいだろ」
 
“いやいや!!! ・・んじゃ、またな”
 
強引に電話を切られ、桃井の中には更なる緊張感が走る。
 
「これは・・行かなきゃやべぇよな!!!!」
 
あれから桃井は鳴り響く携帯を無視しながら、とある場所へとダッシュする。あれから携帯のメールを見ながら推測するが、どうやら2年の応援団員は荷物をまとめ終えた後に一斉に藤堂からのメールが入り応援団御用達の神社へと集合になったようだ。普段なら無視しても構わないレベルだし迷惑極まりないのだが、応援団・・しかも団長自らのメールは勅命に等しいもので断ってしまえば命はない。桃井達は慌てて制服を着用して神社へと向かうと・・そこには後ろに控えている1年を背景として3年生が軍隊並みの整列といった重々しい出迎えが待っていた。
 
そしてその中の中心にいたのが団長である藤堂と副団長である宗像 巌・・張り詰めた空気が緊張を呼び、自然と2人に呼応するように風が吹き荒れる。
 
(何で!! 1年や先輩方はこの際ともかくとして・・そもそも団長達がいるんだッ!!)
 
暫くの静寂が流れる中で藤堂が口を開く。
 
「今回呼んだのは言うまでもない、明日の修学旅行についてだ。いいか!!! 我が高は元より、応援団の恥となるべき行動を取った場合は・・坊主の上に切腹だ!!!!!」
 
凛々しくも厳格ある言葉で周囲を制する藤堂、この言葉を聞かされた桃井達も自然と身が引き締まるもの・・しかし修学旅行前にこんなことされるとは思っても見なかったもので、彼等の心境は早く帰りたいの一点張りだし、申し出自体は有難いのだがここまで大々的にしなくてもその気持ちだけで充分なのだ。
 
「宗像からも一言頼む」
 
(まだあるのかよ・・)
 
「え~、言われたことは殆ど言われてしまったが・・とりあえずは担当教師の話を良く聞き、節度ある行動をとるように!! ・・俺はからは以上だ」
 
宗像からの挨拶が終わり、藤堂は更に語気を強める。
 
「よし!! 初の海外の者も多いだろう、ここで我が応援団から2年の者に激励を送る!!! 俺に続けぇぇぇぇぇ!!!!!!」
 
「「「「「「「「「押忍!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」
 
団長の藤堂と副団長の宗像が誘導し、それに続いて1年生と3年生が目一杯の声援・・もとい、激励を桃井達に送る。彼等なりに修学旅行とは言え異国へと赴く桃井達を快く送り出そうとはしているのだが、不器用では語りきれないほどの熱々しさである。暫くの間、神社には応援団による激励の声援が鼓舞となって響き渡る・・
 
「こんなものでいいだろう。2年は明日の修学旅行に向けて英気を養うようにッ!! 以上!! 解散ッッ!!!!」
 
(団長達には悪いけど・・行く前から余計に疲れる。明日倒れなきゃいいけど)
 
こんな経緯があるので桃井達は気分が冴えない、はっきり言ってこんなことなら今までどおりに国内の方がまだマシだ。アメリカへと飛び続ける飛行機の中で桃井はただただ同じ空が流れる景色を見つめる事しか出来ない。
 
「俺・・こんな空みたいに気軽になる日はいつ来るんだろ」
 
複雑そうな表情を浮かべながら、真っ青な空を見続ける桃井であった。
 

 
アメリカ・・その巨大な国は世界のあらゆる頂点に立っており、全てをリードして来た超大国。国をまとめる国際連合も本部はここアメリカに設立されてから、その長い歴史をこの国と共に歩み続けていた。女体化というこの星の自然を根幹から揺るがす出来事が起きた時でも早急にその事態を重く見て国連を通じながら各国に懐柔して女体化を主にあらゆる病気を撲滅を目的とした医療機関を設立、以後は女体化を主に治療法の確立ための研究を今日までに続けている。
 
さて今回の狼子の修学旅行先でもあるが、とある3人組が空港近くのショッピングモールで買い物をしていた。
 
「ほら、來夢! ここにも色々あるわよ」
 
「ま、待ってよ香織さん」
 
駆け巡る2人の少女・・そして荷物の塊になっている1人の男。彼等の名はそれぞれ平塚 慶太、十条 香織・・そして平塚 來夢といった、彼等は小さい頃からお互いに家族同然に過ごしているのでこんなことも日常茶飯事だ。
 
「おいおい、少し休ませてくれ」
 
「この程度で情けないわね。鍛えている意味無いじゃない」
 
「あのなぁ!! あれは親父達が無理矢理・・」
 
いつものように慶太と香織の良い争いが始まる、2人は小さい頃から喧嘩ばかりするのか・・顔を合わすたびに口喧嘩が耐えないものであるが、周囲からは喧嘩すればなんとやらとしか思っていないようである。
 
「まぁまぁ2人とも、せっかく遊びに着たんだから楽しもうよ」
 
「待て待て!! 別に俺が居なくとも宅配で・・」
 
「男ならこの程度楽勝でしょ!? それともか弱い私達に持たせる気なの!!」
 
「だからそのために・・!!!」
 
普通ならこのくらいでは中々いい争いは収まらないものなのだが、こと來夢がいる場合は多いに話が違ってくる。
 
「へー・・だったら僕が帰れば良い話だね♪ 2人とも折角付き合えたんだから僕はただのお邪魔虫だしね」
 
「「え・・」」
 
唐突な來夢の言動によって2人は喧嘩をやめてしまい、その場から静止する事しか出来ない・・慶太は昔から來夢を溺愛に近い程に可愛がっていたし、香織もなんだかんだ言いつつも來夢に対しては持ち前の強気な部分が出せないのだ。だから來夢が一度行動を起こせば慶太と香織はまず逆らう事が出来ない、2人はお互いの喧嘩よりも真っ先に來夢を取り持つことにする。
 
「待て待て待て!!! わかったから帰らないでくれ!!!」
 
「そ、そうよ!! 來夢の好きな服も沢山あるし・・パフェでも奢るわよ!!!」
 
「だから・・もう少し付き合ってくれ!!!!」
 
「2人とも大げさだよ」
 
2人の必死のお願いに來夢も肩の力を抜きながらそのまま了承する。平塚 來夢・・元々は立派な男だったのだが見事に女体化、しかし元々母親である沙織の容姿を濃く受け継いでいたので周囲からは余り違和感も無く溶け込めることはできたのだが・・來夢自身、元から身体がとても弱く何度も病気にかかったりしていたが、何とか健康に過ごせていた。しかし女体化は何もいい事だけではない、元から身体の弱かった來夢に女体化はかなりの負担があったようで身体の組織の一部がガン細胞と化してしまう、しかもこのガン細胞は通常のものとは違ってあらゆる抗がん剤が全く効かず現在の医療の技術では治療不可能となってしまっている。そんなガン細胞なのだが一般とは違ってその進行は極めて遅くその症状は未だに初期症状のまま、しかしそれが却って恐怖感を感じるもので今でも來夢は底知れぬ不安に包まれていると思われるようであるが、來夢は持ち前の明るさと周囲の協力のお陰で何とか毎日を送っていた。
 
「しかし、街に出ても暇ね。面白いところは・・あっ!!」
 
「どうしたの香織さん?」
 
空港で香織が目撃したもの、それはようやく長い旅路を終えてここアメリカへと渡米した狼子達であり、現在彼等は長旅による疲れが癒えぬまま教師の説明と言うながったるいイベントの最中にいた。
 
「えー、しおりにも書いてあるとおり空港内にあるホテルで宿泊を取ることになっている。各自ホテルで荷物をまとめたらここへ集合、時間厳守を心掛けるように」
 
「「「「「「「「「「ウォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」
 
教師の話が終わったのを見計らったかのように各自一斉に旅行先のホテルへと向かう。それに狼子達も例に漏れずに空港内のホテルへと歩みを進める、最近はホテル業界もかなり手広くやっているようで観光に来た旅行客をターゲットにした都市部の駅内やはたまた空港内にも大規模なホテルを建設しており業績も良好だ。
 
「ようやく着いた!!!!!」
 
「飛行機の中ではダウンしてたのに外に出たとたんに元気だな」
 
「そんなのは関係ねぇ!! 噛んでやる!!!」
 
「痛たたたた!!! アメリカに来てもこれかよ・・」
 
一時の間とはいえ国を離れても2人のやることはあまり変わらないようである。
 
「ようやく着いたね~」
 
「・・楽しみ」
 
「俺達は部屋も一緒だけど・・辰哉は別だな。俺が居なくて寂しいだろ~」
 
「別に俺も修や翔と一緒だし・・お前こそ寂しくなって俺の所に来るなよ」
 
「辰哉の癖に生意気な!!!」
 
今にも噛みそうな勢いの狼子ではあるが友の方が何とか押さえ込む。
 
「まぁまぁ、部屋で荷物まとめたら映画の都のハリウッドに行けるんだからね」
 
「わかったよ・・」
 
友も伊達に長年狼子の友人はやっていない、これでも狼子の性格は十二分として解っているつもりだし友人としての役割もちゃんと心得ているつもり。
 
「それよりも刹那。ハリウッドだぜ? 楽しみだよな!!!」
 
「うん。映画は好きな方・・」
 
「楽しみだよね。あのSAORIの衣装も展示してるかな~」
 
(ハァ・・これからどうなることやら)
 
辰哉は再び心の中でぼやきながらホテルへと向かって行く。・・一部始終を全て目撃していた香織達はなにやら複雑そうな表情だ。
 
「あれって・・何?」
 
「さぁね・・僕にはよくわからないや」
 
「思いっきり噛んでたよな・・」
 
どうやら3人とも狼子の行動に衝撃が走ったようだ。ここアメリカで全てを過ごしてきた3人ではあるが狼子のような人物は初めて、この国は様々な人種の人が暮らしているしそれ故に様々な人間を見てきたつもりだけども狼子のような人物は今までに出会ったことすらない。だけども3人には狼子と言う人物に興味すらそそられるもので是非とも会ってみたい衝動も湧き出ている。
 
「ねぇ、あの集団って学生よね。えっと・・コウコウセイってやつね」
 
「ああ。親父や母さんに聞いたが、今の時期は確か修学旅行って奴があるらしいな」
 
「そうだね、母さんから聞いた事がある。アメリカにはないから新鮮だよね」
 
3人は英語も堪能であるが両親の教育方針からか日本語の方も幼い頃から勉強してあるのでそこらの日本人よりかは解している。しかし肝心の文化の方は馴染みが余り無いのか日本では一般的な風習とかはよくわかっていない、だから修学旅行についてもあまり関心がないのだ。
 
「あの人達はもう少ししたらハリウッドに行くみたいだね」
 
「そうだな。でもあそこは昔から行ってるし・・何がいいんだろうな」
 
慶太達にして見ればハリウッドなんて珍しいところではない、小さい頃から何度か沙織に連れて行ってもらっている所なのであまり関心がないのだ。それに慶太にして見れば早いところ家に戻ってゆっくりと寛ぎたいもの、日本の学生にも興味はあるが余り干渉はしたくはないのだが・・どうやら香織の方は考えが違うところにあるようだ。
 
「・・ねぇ、先回りして行ってみましょうよ。日本のシュウガクリョコウって奴に興味があるわ」
 
「別に放って置けばいいだろう。俺達には関係ないし・・」
 
「あんたには好奇心ってのがないの!?」
 
「香織さんも落ち着いて・・僕もちょっと興味があるな。行ってみよう」
 
「おい、來夢まで・・」
 
「決まりね、こうなったら行くわよ!!!!」
 
3人は買い物を変更しハリウッドへと向かう・・無論交通費は慶太持ちだったのは言うまでもないだろう。
 
「おーっ!! さすがハリウッドだぜ、テレビで見るよりかは全然違うぞ!!!!」
 
「当たり前だろ。・・それよりもいいのか、友ちゃんや刹那ちゃんと一緒に行かなくて」
 
「俺は辰哉と一緒に行ったほうが楽しい!!」
 
「そ、そうか・・」
 
屈折のない笑顔を見せる狼子につい見とれてしまう辰哉・・なんだかんだいってもしっかりと青春らしい青春を送っているようである、傍から見ている香織達は少し羨ましそうに感じだ。
 
「あの2人、付き合っているみたいだね」
 
「・・そのようね」
 
「まぁ、こんなもんだろ。・・どうする?」
 
「続行よ。見てて面白いし・・」
 
そのまま香織は一瞬だけ慶太に視線を移すと、そのまま静かに観察を続ける。
 

 
あれから狼子と辰哉は様々な場所を回り、現在は映画の記念館へと足を運んでいる。ここには映画で使われたセットやら衣装など縁のあるものが数多く展示されており、映画好きにはたまらないところだろう。
 
「流石に本場はスケールが違うな」
 
「すげぇ!! これってSAORIが着た衣裳か・・俺も着れるかな」
 
「大丈夫だろ。それにあっちで試着できるみたいだからやってみろよ」
 
「ああ!」
 
辰哉に促された狼子はたくさんある衣装の中から1着を選ぶと試着室へと入って行く。数分後・・そこには衣装を着た狼子の姿、普段とはまるで違う狼子に辰哉は完全に見惚れてしまい言葉も出ない状態だ。
 
「ど・・どうかな?」
 
「・・すっごく似合ってるよ」
 
「そ、そっか・・俺ばっかもなんだから辰哉も着てみてよ」
 
「あ、ああ・・それじゃこれにしようかな」
 
今度は逆の形で辰哉も衣装を選ぶとそのまま試着室へと入る。そして試着室から出た辰哉も選んだ衣装を纏いながら狼子と対面する、今度は狼子の方が辰哉に見とれてしまって暫し言葉を失う。
 
「・・どうだ?」
 
「カッコイイよ。辰哉・・」
 
「ハハハッ!」
 
何とも微笑ましい光景である、香織はおもむろにカメラを取り出し2人の姿を写真に撮っていた。
 
「・・いい画ね」
 
「そうだね、初々しい感じだよ」
 
「まぁね。いいもの見させて貰ったわ」
 
一方の香織達にして見れば映画の衣装など沙織がたまに持って帰ってくるので見慣れているし、記念館に展示している衣装は殆ど慶太の家にあるのでいつでも着ることが出来る。
 
「それにしても母さんもよく映画出てるよな。小さい頃は余り関心がなかったけど」
 
「あんたね・・沙織さんは女優よ? カンヌの映画際やエミー賞にしょっちゅう出てるんだから凄いに決まってるじゃない」
 
「まぁ、家に帰れば台本が沢山置いてあるからね。んで、香織さん・・まだ続けるの」
 
「そうね・・ま、もう少しで切り上げましょ」
 
観察はもうちょびっとだけ続く、しかし観察している3人はとある失念をしていた。狼子と辰哉を見て居たのは3人だけではなかったのだ。
 
 
 
記念館でのドラマチックな出来事を経て、2人はハリウッドのとあるはずれで食事を取っていた。さっきのドラマチックな展開が功を奏したのか結構良い感じで過ごしている、まさに平穏と呼べる者なのだが・・そんな穏やかな空気を徐々に影が挿していく。
 
「おっ、あそこにホットドッグの店があるな。買ってくるわ」
 
「んじゃ、頼むわ」
 
そのまま単独でホットドッグの店へと向かう辰哉、そしてそれを見計らったかのように狼子へと忍び寄る2つの黒い影・・そしてそれはゆっくりと強かに狼子との距離を確実に詰める。
 
「あいつ、英語できたのか? ・・ん」
 
『OH~、こんなとこに日本人の女じゃん!!』
 
『俺達はついてるな~』
 
日本にもこういった輩がいるように世界規模の人口を誇るアメリカでは断然に多い、白人2人は野獣の如き舐め回すような視線で狼子を見据えている。それにここアメリカでは日系人の数も多いので日本人を知っているこの2人は賢い部類と言える・・が、現在修学旅行を楽しんでいる狼子にして見れば迷惑以外何者でもない。
 
「な・・何だお前等はッ!!!」
 
『おいおい、スティーブ・・訳の分からんこと言っているぜ?』
 
『HAHAHA、きっと俺達と遊ぶのを楽しみにしているんだろ』
 
相手がいくら英語を話そうが、これからやろうとしていることは手に取るように解る。日頃から聖と街を歩けばこういったナンパの一つや二つなど当たり前、狼子はそのまま黙って立ち上がろうとするが2人は当然それを逃さない。
 
『どこにいくんだい? もっと俺と愉しもうぜ』
 
『相棒、がっつくのは嫌われるぜ』
 
『冗談きついぜスティーブ。だけど火傷しない程度に終わらせるさ』
 
「こ、この野郎・・離せ!!!」
 
必死に抵抗をする狼子であったが、2人の体格は屈強とはいわないがかなりの大柄・・聖であればものの見事に倒せるのだが、自分が聖ほどの力がないのは狼子も分かりきっている。それに今狼子達がいる場所は平日ではランチタイムの時期になると人通りが多いのではあるが、昼を過ぎるとその数は極端に減るので観光には充分気をつけなければならない。
 
『痛ッ!! 噛むとは・・この女まるで野良猫みたいだ』
 
『落ち着けたかが噛まれたぐらいだろ。・ここら辺は人通りは少ないが、また増えるかわからん。誰かに見つかると面倒だ』
 
『・・肝に銘じておくよ相棒』
 
2人はそのまま腰元からナイフを取り出し狼子にちらつかせる、どうやらこういったことは今までにもやっているようで元から嫌らしい顔つきだった2人はナイフを手にしたことにより更に3倍増しとなっている。それにここアメリカでは法律が厳しくなったとはいえ銃社会は未だに存在する、州の法律によって見解は異なるのだが昔と違って銃刀類の購入は厳しく制限はされているが・・所持については未だに罰則がない。それにいくら法律で購入が厳しくなっても手に入れようと思えば手に入れられる。日本では警察騒動は確実ではあるが、こういった光景はアメリカではさほど珍しくはない。
 
『ヘヘヘ・・大人しくしてくれよ』
 
『あまり脅かしもんじゃないぜ』
 
「そ、そんな。卑怯だぞ!!!!」
 
しかし言葉とは裏腹に目の前の刃物に狼子はただただ震えることしか出来ない、恐怖に怯え身体が竦んでしまう狼子・・危機迫るこの状況を1人の男が打破しまいと颯爽と駆けつける。
 
「狼子!! 大丈夫か!!!!」
 
「辰哉――!」
 
颯爽と現れたのは丁度ホットドッグを買い終えた辰哉、運良くホットドッグを買い終えた時に脅されている狼子を見つけて急いでここまでやってきたのだ。辰哉はそのまま狼子を守りながら2人を睨みつける。
 
「おい!! 狼子に何をするんだ!!!!!」
 
『おいおいスティーブ、男がいるんじゃ予定外もいいとこだぜ、こんなところをポリ公に見つかったら豚箱行きだぜ?』
 
『落ち着け相棒。逆に考えるとこいつを切り刻めば大丈夫さ』
 
「クッ・・ナイフで脅すなんて汚い真似を」
 
颯爽と現れた辰哉であったが、ナイフを持っている男2人に立ち向かう術などない。それにここでしくじってしまえば狼子は元よりこれが公になってしまえば学校の問題を大きく通り越して国際問題に発展してしまう可能性もありうる、だけども一番は狼子を守る事・・辰哉はこの人生最大の修羅場をくぐり抜けるために全てを働かせる。
 

 
そのころ、狼子達を見守っていた香織達もこの状況は予想できずにあたふたしている。
 
「ど、どうするのよ!!!! ・・こうなったら私が直接出向くわ!!」
 
「香織さん。落ち着いて・・」
 
慌てまくる香織を何とか必死で抑える來夢。事実香織は慶太と同様に格闘技の経験も豊富で一般人相手なら軽くいなせれる程の実力は有してる。慶太と共に幼い頃から格闘技を始めとして軍事訓練も受けており、通常のみならず武器を持った相手とも組み手をしているのだ、今にも飛び出さんとしている香織を慶太はじっと見つめながら來夢に目配せする。
 
「・・來夢、こいつを抑えてろ」
 
「え? 兄k・・」
 
來夢が振り返った瞬間、そこに慶太の姿はなかった・・
 
 
何とか膠着している辰哉達であるが状況はかなり拙い、辰哉は何とか狼子を守りながら必死に頭を働かせて流れを待つ。しかし2人はナイフをちらつかせながら辰哉達を見据える。
 
『スティーブ、女は兎も角として男はどうするよ』
 
『決まってるじゃないか相棒。・・始末するんだよ』
 
(クッ・・先輩達がいない中で狼子を守りながらこの状況はキツイ)
 
「辰哉・・」
 
「心配するな、俺が守る」
 
と半ば自分に言い聞かせている辰哉であったが、状況はかなり拙い・・このまま引き摺ってしまえばしまうほど最悪な状況に陥ってしまうし周りには武器と呼べる代物はない。この場から狼子と共に逃げる算段を立てている辰哉であるが・・こうなれば最悪狼子だけでも逃がしていくほかない、覚悟と決めた辰哉はそのまま呼吸を整える。
 
「狼子・・スマン!!!」
 
「?」
 
辰哉はそのまま狼子を突き飛ばしてそのまま2人に向かって殴りかかる、2人は辰哉の突然の行動に咄嗟の判断が出来ずにそのまま辰哉の拳をもろに受けてしまうが・・冷静さを取り戻した1人が辰哉の腕を力強く握り締めたとたんに快進撃はそこでお終い。
 
「し、しまったッ!!!」
 
『この野郎・・舐めた真似しやがって!!!』
 
『ちょっと痛い目見させて貰おうか・・なッ!!!!!』
 
「こ、ここまでか・・」
 
「辰哉!!!!!!」
 
恐怖心に駆られて思わず目を瞑ってしまう辰哉、しかしそこに聞こえてきたのは男の叫び声・・ゆっくりと目を開けた辰哉は驚くべき光景を目にする。
 
『アガガガ・・』
 
『これで暫くは動けない筈だ。骨を折られていないだけでもマシだと思え』
 
「な、何が起きたんだ・・」
 
辰哉が目にした光景・・先ほどまで自分を刺そうとしていた男が、脂汗びっしょりで苦汁の表情のまま腹を抑えてる。そしてよくよく見ていると更に見知らぬ男・・もとい慶太が立っており男達を冷静に見据える。後1人の男を視線で捜すがどこにも見当たらない、そして更に響き渡る男の叫び声・・2人は同時に声の元へ振りかえると狼子を襲おうとしていた男が香織に打ちのめされている光景であった。香織はそのまま手を抜かずにナイフを蹴り上げるてキャッチすると、男を押し倒して腕をねじり上げながらナイフを男の頬に当てる、冷たいナイフの感触が痛みに苦しんでいる男から更に恐怖心も助長させる。
 
『さぁって・・いつも振り回している刃物の感触はどう?』
 
『はわわわ・・た、助け』
 
『女の敵は消えなさい!!!!』
 
香織はそのまま男の頭部を踏みつけると男はそのまま沈黙する、どうやら痛みと恐怖の同時攻撃に耐え切れなくなり気絶したようだ・・香織は少し満足感に浸っていたのだが、慶太の怒声が容赦なく響きわたる。
 
『素人相手にやりずぎだ!!! それにお前は來夢が抑えていたはずだぞ!!!!』
 
『アンタばっかに良い恰好させて溜まるもんですか!!!!』
 
『お前な・・少しは加減という物を考えろ!!! 大体昔から俺と訓練した時だって・・』
 
『うるさいわね!!! あんたこそ詰めが甘すぎるのよ!!!!!』
 
いつものように始まる2人の口喧嘩、辰哉と狼子はきょとんとしながらも自分たちの身が守られた事を喜びたいのは山々なのだが慶太と香織の存在に思わず呆然としてしまう。それに日本語でなく英語で口喧嘩の応酬を繰り返しているのだから何を言っているのかはサッパリ解らない、見たところ2人は自分達と同じ日本人で知り合いのようだがどこか近いものは感じる。
 
『別に私が活躍しても問題ないでしょ!!』
 
『全く・・勝手に行動しやがって』
 
「何言ってるんだろう・・」
 
「俺にもわかんない・・」
 
狼子達がぽかんとしつつ2人の口喧嘩が繰り広げられている時、慶太にやられていた男がゆっくりと動くが慶太はそれを見逃さない。
 
『・・この隙に』
 
『おい!! ・・これ以上痛い目に遭いたくなかったらそいつを連れてさっさとこの場から消えろ』
 
『ひ、ヒィィィィィィ!!!!!!』
 
慶太の凄みに完全に臆した男はそのまま逃げるようにその場から立ち去る。
 
『さて、これで大丈夫だろう』
 
『また襲ってもガードが既に警戒しているわ』
 
ようやく落ち着いた慶太と香織、どうやらこれで全てが終わったようだ。それに彼等には専属のガードがついているので2人の男がこれから何をしようが彼等の手により事前にキッチリと守ってくれる。何せ彼等の影についているガードは並の連中ではなく元はある軍隊の特殊部隊のメンバー・・並の人間はおろか、ある程度訓練を積んだ人間でも彼等の網を掻い潜るのは至難の技である。
 
『これで終わりだな、ところで來夢はどうした?』
 
『來夢なら・・あそこにいるわ』
 
香織が指差す方向には狼子達と談笑をする來夢の姿、どうやらあの後來夢は狼子達を落ち着かせるとあらかたの経緯を話していたようである。
 
「本当に助かったぜ・・一時はどうなるかと思った」
 
「いや、僕は何にもしていないよ。兄貴と香織さんが殆どやっつけたし」
 
「でも狼子の言う通り本当に助かった、礼を言うよ」
 
そのまま談笑し逢う3人であるが本来の功労者である慶太と香織はどこか割に合わない。
 
「ちょっと來夢!! どこにいたのよ!!!」
 
「ゴメンゴメン。この2人と話してたら盛り上がっちゃって」
 
「もう・・」
 
「全く來夢には心配させられる」
 
事、來夢に関しては慶太と香織は基本的に甘いというか逆らえないのが事実・・そんな3人の相関図は元より狼子と辰哉は來夢を見つめているととある事を思い出す。
 
「なぁ・・見間違いだったら悪いんだが、あんたSAORIに似てないか?」
 
「ああ、俺も思った。何だか面影があるんだよな・・」
 
「へっ? そ、それは・・」
 
辰哉達の質問にしどろもどろしてしまう來夢、普通なら認めたい所ではあるのだが彼等の場合は親が親なので余り大っぴらに言う事は出来ない、もし言ってしまえば嫉妬が引き起こす余計な怨恨を買うことにもなるし余計なトラブルが起きてしまう恐れがあるので極力は言わないようにしているのだ。2人は先ほどのお返しと言わんばかりに來夢の様子をじっと見守るが、流石に慶太が助け舟を出す。
 
「残念だが人違いだ。よく似てるって言われるけどな」
 
「そっか・・辰哉が変な事を聞くからだぞ!!! 噛んでやる!!!」
 
「お、お前もだろ!!!!!」
 
いつものように噛まれるオチの辰哉・・彼等にとっては何ら変哲もないごく平凡なものではあるがそれが何故だか面白く感じる慶太達、ますますこの2人に対する興味が深まってくる。
 
「で、次の予定は大丈夫なの?」
 
「「あっ!!」」
 
いくら修学旅行とはいっても自由時間には限りがある、次の予定地まで時間も残り少ない。
 
「や、やばいぞ!」
 
「遅刻したら洒落にならん!! 本当はもっとお礼が言いたいんだけど時間がないし・・」
 
「だったら宿泊しているホテルの場所と部屋を教えて。改めてこっちから遊びに行けばいいわけだし」
 
香織の思わぬ提案に狼子と辰哉は顔を見合わせるが、ここは助けて貰った身分だし教えても罰は当たらない、それに自分達を救ってくれるのだから充分に信頼の置ける相手だと判断した狼子達は香織達に部屋の場所を教える。
 
「まぁ、助けて貰ったからいいか。えっとホテルはここで・・俺達の部屋はここだ。じゃ、辰哉急ぐぞ!!」
 
「ああ!! それじゃまた!!!」
 
辰哉と狼子は慌ててながら集合場所へと走り去っていった。残された3人組はと言うと香織がかなりにやけた表情で狼子から教えて貰った場所をまじまじと見つめている。
 
「さて、部屋の場所も分かったし・・やることは一つね」
 
「まさか香織さん・・」
 
「これから面白くなるわよ!! あんたはホテルの予約と支払いよろしく♪」
 
「えっ!! 何もそこまでしなくてもいいだろ」
 
慶太にして見れば狼子達には興味はあるものの正直言って早く家に帰りたいのだが、香織はそんな慶太の心境などお構いなしに予定を組み立ててこれからの行動を着実に起こす。
 
「いくわよ!!! これからが楽しみね、來夢もたまにはいいでしょ」
 
「おい、來夢はまだ!!」
 
「何言ってるの、これもいい療養になるわよ!!!」
 
「・・そうだね、僕もあの2人には興味があるしね。付き合うよ」
 
こうして來夢の承諾を得られた事で慶太の苦難は決定する、來夢を抱え込んだ香織の勝利とも言えよう。
 

 
あれから狼子達はそれなりの出来事もなく無事に決められたスケジュールを消化して1日目は無事に終了、ホテルの豪華さにはしゃいだり絶景とも言える夜景に目を輝かせたりと学生らしい反応と言えるが・・一方の3人組はと言うと香織が慶太に無理矢理取らせたスイートルームで退屈そうに佇む。
 
「・・暇ね」
 
「あのなぁ、高い部屋取ってるんだから少しは楽しめ。それに向こうだって都合があるはずだ」
 
「そんな事ぐらいわかってるわよ!!!!」
 
「まぁまぁ2人とも・・」
 
ふてくされる香織に無気力の慶太・・なんとか來夢が2人を宥めているもののいずれ限界は目に見えているものでたまらなくなった香織は來夢を引き連れて爆発させる。
 
「もう我慢ならないわ!!! 行くわよ來夢!!!!」
 
「え? ちょ、ちょっと香織さん!!!」
 
香織は強引に來夢を引き連れるとそのまま部屋を出る、一人残された慶太はそのままホテルに供えてあったテレビを見ながらごちる。
 
「全くどうしようもないな。・・だけどあいつの意見にしては珍しく悪い気分ではないな」
 
母親である沙織が出ている番組を見ながら慶太はそのまま1人でのんびりと寛いでいると慶太の携帯に着信が・・一連の騒動に疲れていたのか確認もせずに電話に出るとそこには思いもがけない人物からの電話であった。
 
「もしもし・・」
 
“どうした? いやに元気がないな”
 
「か・・母さん!!! どうして・・仕事の筈じゃ」
 
“何驚いているんだ? たまたま暇になったからに決まっているだろ”
 
電話の相手は母親である沙織、普段ならその多忙ゆえに絶対に連絡が取れないはずなのでこんな時間に電話をするのは滅多にない。
 
“しかしオーストラリアは今の時期は過ごし易い。別荘の購入も検討せねばな”
 
「真夏のサンタクロースは俺としてはあまり・・」
 
“あいつに似て変なところは頑固だな。ところで來夢と香織ちゃんはいるか?”
 
「あいつらは別行動、今は俺一人だ」
 
“珍しいな。お前も可愛い妹と愛しい彼女に会えなくて寂しいだろう”
 
「あのなぁ!! 來夢は元より・・あいつは彼女なんかじゃねぇ!!!!」
 
慶太の反応に沙織は電話越しでありながらも笑いがこみ上げる。沙織にして見れば息子の成長も喜ばしいものだし、何よりも夫である明人の容姿を濃く受け継ぐ慶太はからかいがいがあるのだ。テレビでは可憐で華やかに写ってはいるが本当の沙織はこんな感じ、全世界の人達は果たして本当の姿を見たらどう思うのだろうかと慶太は思う。
 
“フフフ・・お前はやっぱり面白いな”
 
「俺もいい歳なんだからちょっとは控えてくれよ・・」
 
“何を言う。息子の反応を愉しむ母親の楽しみを奪ってくれるな”
 
「全く・・それよりも母さん。修学旅行ってどんな感じだった?」
 
“修学旅行か・・懐かしいな。それがどうかしたのか?”
 
「いいから答えてくれ」
 
修学旅行という懐かしい言葉に沙織は懐かしむ、自分の息子がこんな事を聞いてくれているのだから自然と頬も緩むもの。
 
“そうだな。お前達には分かりづらいと思うが、学校とは違った場所に仲の良い友達と過ごすのも楽しいもんでな”
 
「ふーん。日本だとそんなものなのか・・まぁ、分からなくもないけど」
 
“アメリカと違って日本は狭いからな、大半は地元で過ごすのが普通だ。地元から出るだけで旅行気分なもんだ”
 
慶太にして見れば聞きたかったのは沙織の思い出話よりもあくまでその時の心境だったのだが、自分から話を振っているので無理に話題を変えずに黙って聞いておく。
 
「なるほどな。日本は狭そうだからな」
 
“まぁな。だけどな友達と喋るのも楽しいが・・現地の人との交流も格別だぞ”
 
「へー・・母さんもそういう事があったんだ」
 
“ああ、結構面白かったぞ。それがどうかしたのか?”
 
「いや、何でもない。ただ聞いてみただけだ」
 
“我が息子ながら変な奴だな。・・そうそう、言い忘れていた事があった。明日には帰れるから3人で落ち合わせ場所を決めて置け、じゃあな”
 
「お、おい!!! ・・切りやがった」
 
電話を切った後、しばらく慶太が頭を悩ませたのは言うまでもない。
 
 
 
一方の狼子は事前にあてがわれた部屋に友達と過ごしながらお風呂に入り、備え付けのマッサージチェアでまったりと過ごしていた。
 
「ふぅ・・やっぱ風呂上りには格別だぜ」
 
ここでは辰哉とは別行動、部屋は別々ではあるが会おうと思えばいつだって会えるんだしたまには一人でこうしてのんびりするのも悪くはない。
 
(それよりも聖さんはともかくとして・・祈美へのお土産をどうするかな?)
 
「あっ!! いたよ、香織さん」
 
「案外意外なところにいるものね」
 
狼子の姿を見つけた香織と來夢、しかし自分の事で夢中の狼子は2人の存在に全く気がついていないようだ。
 
(いや、だけど聖さんには何を買えば・・)
 
「・・全然気がついていないみたいだね」
 
「仕方ないわね。・・よし!」
 
何を思ったのか香織は瞳を輝かせながら気配を殺してそろりと狼子の背後を取る、お土産に夢中な狼子は当然として香織の存在に気付くはずもなく果てしない自問自答を続けていたが・・香織は一気にそのまま狼子の身体を微妙な力加減でありとあらゆる所から触りまくる。
 
「ふ、ふぇぇぇぇぇ!!」
 
「この私を! 無視するなんて! いい度胸じゃないのッ!!!」
 
「か、香織さん・・やりすぎだよ」
 
突然の香織の行動に狼子はたじろくしかない、それにしてもその表情はどこか恍惚に近い物ではあるが・・香織が狼子に何をしたのかは謎である。
 
「一体なんだ・・って、えええええええ!!!!!!!!!!!!!」
 
「全く、命の恩人の存在に気がつかないなんてね」
 
「ハハハ・・また会ったね」
 
突然の來夢と香織の出現に狼子は驚きを隠せない。あの時は香織達に部屋の番号を教えたのは間違いはないが、まさか本当に来るとは予想外にも程があると言うもの・・慌てまくる狼子を香織は楽しそうに見つめていたが來夢の方は落ち着かせるために状況を説明する。
 
「まぁ、普通は驚くよね。とりあえず少し落ち着こう・・ね」
 
「ああ・・」
 
來夢のお陰で少しずつ落ち着きを取り戻す狼子、だんだんと今の状況にも慣れてきたようで來夢も狼子の様子を伺いながら徐々にではあるが自分達の状況を話していく。
 
「2人がいる理由も何となく分かった・・っと、そういえばお互いに自己紹介がまだだったな」
 
「そうだったわね。私は十条 香織」
 
「僕は平塚 來夢、よろしくね。えっと・・」
 
「俺は狼子。月島 狼子だ!!」
 
「へぇー、日本人にしては珍しい名前ね」
 
香織の言う事も尤もな話で狼子の名前はかなり珍しい部類に入るので狼子もそこら辺はちょっぴりと気にしてはいる。
 
「香織さんに來夢ちゃん・・2人はもしかして日本人なのか?」
 
「ええ、そうよ」
 
「といっても親が仕事の影響で育ちはアメリカだけどね」
 
香織と來夢は出来るだけ話題をソフトに運びながら展開を進めていく、狼子も2人の話を興味深くしながら素直に耳を傾ける。
 
「ま、私達についてはそんなところかしらね」
 
「えっと・・そういや、もう一人いたよな?」
 
「・・ああ、あいつね」
 
慶太の話題が出るととたんに口を噤んでしまう香織、そんな姿を見かねたのか來夢がまたまた助け舟を出す。
 
「もう一人は僕の兄貴でそこにいる香織さんとは恋人同士だよ」
 
「ら、來夢!! 余計なことは言わないの!!!!」
 
「まぁまぁ、別に嘘は言ってないし」
 
「全く・・」
 
兄弟がいない一人っ子の狼子から見れば2人の姿を見てるとまるで仲の良い姉妹のように見えて羨ましく感じるもの、暫く2人の掛け合いを眺める。
 
「2人とも仲がいいんだな。ちょっぴり羨ましいぜ」
 
「まぁ、小さい時からずっといるからね。狼子さんには兄弟はいないの?」
 
「俺は一人っ子なんだ。だから兄弟って言うのが昔から羨ましかったんだよ」
 
狼子の家庭は少し複雑なのでなんだかんだで一人っ子だったのでよく小さい頃には寂しさからか、そういった兄弟が欲しいと思った感情があったのだが・・それも昔の話で今は辰哉を始めとした数多くの友人などがいるので胸を張れる事も出来る。
 
「私も一応は一人っ子だけど昔から家にいたようなもんだしね。・・まぁ、こんなとこで立ち話もなんだし私達の部屋に来ない?」
 
「そうだね、兄貴も暇してるんだし良い機会だし・・一緒に行こう」
 
「じゃ・・お邪魔じゃなければ」
 
こうして狼子を加えて自分達が取っている部屋へと案内する、狼子も香織達が泊まっている部屋も自分と同じように普通のものだと思っていたのだが・・その考えは根底から覆る。
 
天と地・・現在泊まっている自分の部屋と比較した狼子が真っ先に思い浮かんだのがこの言葉、香織達が泊まっているスィートルームにはただただ圧巻されるばかりで言葉も出ない。
 
「すげぇ、俺達と泊っている部屋が大違いだ」
 
「まぁ、最高級の部屋だしね」
 
ただただ呆然としている狼子を尻目に香織は飲み物を適当に出して準備する、來夢はそのまま部屋を探って見るが慶太の姿が見当たらない。
 
「そういえば兄貴がいないね、どこにいったのかな?」
 
「どっかでほっつき歩いてるんでしょ、さて私達は楽しむことにしましょうか・・月島さん」
 
「ああ」
 
狼子はそのまま香織から飲み物を受け取ると一気に飲み干す、その豪快な飲みっぷりに香織の気分も盛り上がる。
 
「良い飲みっぷりね、お酒じゃないのが残念だけど」
 
「まぁ、男の時にも似たようなことやっていたからな」
 
「へー・・女体化って奴か」
 
香織は女体化に偏見は持っていないもののあまり良い感情はない、來夢が女体化の影響で重い病を患ってしまって以来は香織も独自で女体化の歴史について調べてはいるものの中には思わず目を瞑りたくなるものばかり・・それでも先人達が遺した歴史を紐解きながら特に病気の項目を調べ続けていたが結果は余り著しくない。そんな香織も個人的に狼子が気に入っているのかルームサービスで様々な料理を頼み始めて部屋には様々な料理が並ぶ。
 
「おおっ!! こんな豪華な料理・・」
 
「お腹減ってるでしょ、出会った記念に食べまくりましょう!!」
 
「か、香織さん・・いくらなんでも頼みすぎじゃ」
 
「大丈夫よ。あいつのポケットマネーでなんとかなるでしょ」
 
今回の香織達の費用は慶太が直接負担している形となっているのだが、慶太とて自分の所持金には限りがあるしこの部屋を取るのでさえも色々と工面していたのだが・・香織達のルームサービスで予算の破綻は避け切れないだろう。
 
「さて、パァーっとやりましょ!!」
 
「うおおお!!!」
 
(お金、大丈夫かな・・)
 
香織による豪華な狼子への歓迎会が盛大に行われている中で慶太達はというと・・
 
「・・王手」
 
「えええええ!!!!!」
 
連敗街道に差しかかっている辰哉の悲鳴をバックにのんびりと将棋を指していた、事の始まりは沙織との電話が終りに遡る。
 

 
沙織との電話も終わって慶太はようやく一息入れようとしたのだが・・どうも沙織との電話以来、心になにやら引っ掛かりを覚えていたのでこうして辰哉の部屋に訪問をしたというわけ。偶然にも辰哉の方も丁度誰もいなかったので暇を玩んで適当に遊んでいた時に丁度良く慶太の来訪、それからは香織達と同じように互いについて語り合いながらまったりと過ごしていた。
 
「じゃあ、慶太さんはアメリカ育ちなんですか」
 
「ああ。親父や母さんは日本人だが、俺達はアメリカだよ」
 
「ほうほう、それは凄いですね」
 
こんな感じで、淡々とした会話を続けていた2人であったが流石に時間が経つに連れて会話もネタも底を突いてしまう。
 
「へー・・慶太さんは様々な資格があるんですね」
 
「ああ、殆どは親に言われて取ったものだが格闘技系列は役には立っている。辰哉君は何かないのか?」
 
「いや、大した事ないっすよ。原付の免許だけです・・」
 
慶太の習得してる資格の幅広さに辰哉はただただ圧巻されるばかり・・そんな会話が続く中で長くは続かないと思われていたのだが、偶然にも部屋の隅っこに放置されていた将棋盤を辰哉が発見すると対極をそのまま慶太に提案する。実は辰哉はこう見えても将棋に関してはそこそこの実績と知識を持っており、狼子は元より・・翔でさえも勝てないほどの実力の持ち主なので慶太に勝てる自身は勿論ある。
 
「慶太さん、俺と勝負しませんか?」
 
「いいが・・これは何だ?」
 
「え? 将棋を知らないんですか!?」
 
「ああ・・恥ずかしながら日本については親父達から話を聞くものの、あまり接した事がないから文化とかは疎くてな」
 
慶太は日本についてはある程度は知識はあるものの、こういった娯楽についてはからっきしなので将棋というものはあんまり馴染みがない、いくら日本語が解るからと言ってもこういった娯楽に関しては完全に欧米寄りである。
 
「えっと・・これは駒なのか?」
 
「そうですよ。まぁ、最初は俺も手加減しますんでやっているうちに解りますって!!」
 
将棋ともなると基本的な事を説明するのはかなり難しいので実戦で学んで貰った方が手っ取り早いので実際に将棋を指しながら辰哉は解り易く解説しながらゲームを進めるが、慶太は将棋を指しながら自分がもっとも得意とするあるゲームに置き換える。
 
(ふむ・・駒の扱いからしてチェスに似ているな。だけども駒は少し違う動きをするものもある)
 
「・・どうですか?」
 
依然として手加減しながらも勝利を積み重ねてきた辰哉ではあるが、そろそろここいらで手加減なしの本気でやってみたい。しかしながら肝心の慶太の方が未だに将棋を理解し切っていないのか駒の動きは初心者以前の問題なので辰哉としては面白みの欠片もない、本音とすれば全力を出したい辰哉ではあるがその気持ちを押し[ピーーー]のもそろそろ限界なので慶太がこのままだったら後1局で打ち止めにする予定。そして慶太の方は今までの駒の動きを1つ1つ思い出ながら、将棋というゲームを頭に叩きこんでいた。それに実際に指して見るとチェスと比べて駒の動きは多少は違うものの、基が同じなのでやり方は基本的に代わりはしない。
 
(駒の特性にその傾向・・なるほど、チェスとは違うが本質を掴んだぞ)
 
「あの・・慶太さん?」
 
「あ、ああ・・すまない。辰哉君、次からは本気で掛かってきてくれ。ルールは完全に理解した」
 
「(これが終わったら切り上げて何か適当に時間を潰すか)・・わかりました、本気で行きますよ!」
 
「さて、ここからが本番だ」
 
そしてこの対局を機に辰哉の連敗街道は幕を開ける・・
 
 
 
一方の香織達はというと話の華も咲かせて、話題は來夢中心へと移る。
 
「へー、來夢ちゃんは料理が得意なのか」
 
「うん。昔はダメだったけど、今はある程度は作れるよ」
 
來夢の特技は料理・・小さい頃からの積み重ねで徐々にデパートリーを増やしていき、今では和洋中の料理はほぼ独学で体得している。
 
「俺も料理は得意な方なんだ。いつも作っているのはカレーだな」
 
「カレーか・・お肉は牛か豚のブロック肉? 野菜の下ごしらえに・・それにカレー自体は何日間寝かしているの?」
 
「へ?」
 
あまりにも専門過ぎて狼子はついていくのが精一杯で何とか來夢の話に合わせようとするのだが、來夢の話は更に止まらない。
 
「あとカレーはスパイスだよね。スパイスで有名なのはインドだけど中華系のも加えたらコクが出るよ。それにカレー自体を作る時の調合は・・」
 
(お、俺とはレベル自体が違う・・)
 
それもそのはずで來夢は独学で料理を学んだとはいえ、その腕前はもはやプロ級とも呼べるもので普通に店に出しても問題ないぐらいで実際にも明人や兼人も食品関係の仕事をする時は専門家に聞くより料理の全てをほぼ把握している來夢の案を取り入れていることが多い。
 
「來夢は昔から料理を作っているの、今出ている料理だって來夢1人で作れるぐらいよ」
 
「ハハハ、香織さんちょっとヨイショし過ぎ・・それよりも狼子さんは将来の夢とかあるの?」
 
「それは私も気になるわね」
 
「俺の将来の・・夢」
 
突然の話題で狼子も言葉が詰まる、自分の将来の夢など今まで一度も考えた事などなかった。一応進路を考えてはいる聖とは違って、狼子は未だに自分の未来に不安があるようだ。
 
「ヘヘヘ・・まだ考えてないや」
 
「まぁ、誰でもそんなものよね。将来なんて・・來夢は例の調理師学校へ進学するんでしょ?」
 
「うん。自分の力も試して見たいし・・兄貴や香織さんみたいに自分に誇れるものを見つけたいしね」
 
來夢の言葉に狼子はある種の感銘を覚える、自分の年下でこんな立派で聡明な考えを持っている人物などあまりいない。
 
「來夢ちゃんは偉いなぁ・・俺も見習わなきゃな」
 
「狼子さんだって僕達のように信頼できる大切な人が隣にいる。僕にはそれが眩しく見えるよ」
 
「そっかな・・」
 
誰だって将来のことは分からない・・だけどずっと辰哉と一緒に過ごせれる事をちょっぴり祈って見る狼子であった。
 
 
 
惨敗、いくら本気を出したとはいえ辰哉は心のどこかで慶太を見くびっていたのかもしれない。再戦後の慶太の手は今までとは違って辰哉の駒を奪い華麗に王手を決める、しばし詰みで降参もさせられた。それから気持ちを切り替えて辰哉は今までの経験をフルに活用して本気で挑むものの、慶太はまるで赤子の手を捻るように辰哉の動きを全て読み切って駒を着々と進めてまた最後の一手を決める。
 
「王手。これで俺の勝ちだな」
 
「またかよ~~~!!!!!!!!!!」
 
こうみえても慶太はチェスを幼い頃から嗜んでおり、教えた明人はすぐに完敗してそこそこの実力がある沙織や兼人をも余裕で追い越しながらその実績は小学生の頃に大人子供交えた全米で毎年開かれている大規模な大会を制覇し、オンライン上でもその圧倒的な強さからトップを堅持し続けている。
 
「ま、待った!!」
 
「別にいいが・・」
 
必死に待ったをかける辰哉に対し慶太は余裕の表情・・正直言って辰哉は将棋を教えるんじゃなかったと内心後悔はしていたが、男たるものせめて一矢は報いたい。必死に考察して手を考える辰哉ではあるが、圧倒的な差に既に声も出ない状況で敗戦が濃厚に出ている。
 
「(まずいぞ!! 落ち着いて考えろ・・)こ・・これだ!!!」
 
「では飛車を進める」
 
「え? ってことは・・」
 
「ここで飛車を進めたら詰み・・だな。まだするか?」
 
「いえ、参りました。・・これからは師匠を呼ばせて下さい」
 
辰哉の白旗宣言で将棋対決は幕を閉じた。
 
 
 
狼子は香織達による豪華な持て成し、辰哉の方はささやかながらも将棋で対局と男女ながらに格差があるもののそれ相応に楽しむ事ができたようである。そして2日目、狼子達一行は現在のホテルを後にしてこの旅行最大の胆である平塚グループの本社へと向かう、今回の本社見学の際には校長が直々に頼み込んでいるのでそんな経緯を把握している教師達も緊張は隠せない。
 
「え~、これからあの平塚グループの本社へと向かう。行く前に言っているので解っているとは思うが、我が高の名誉に恥じる行動はもとよりとして最低限のモラルを守るように」
 
「それにしても俺達より先生達が緊張しているな」
 
「まぁな、なんたってあの平塚グループの本社ビルを見学するからな」
 
「・・楽しみ」
 
平塚グループと言えば今やあらゆる分野に進出を果たしており、その名を全世界に轟かしている超大型企業で提携している企業を含めてもその影響力は凄まじい、そんな会社の本社に行くのだから生徒を預かる教師達の緊張の目は隠せない。
 
「それでは本社に向かう。後日にレポートを提出して貰うのでしっかりと見学をしてくること」
 
「「「「「「「「「「ええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」
 
レポート提出と言う単語は本社の見学に浮かれていた生徒達を絶望の淵に叩きつけるには充分の威力を発揮したようで狼子等も落胆の声が上がる。
 
「ううう・・俺にレポートは[ピーーー]って言っているようなもんだぜ」
 
「大げさだぞ。まぁ俺もちょっと苦労するが・・最悪先輩のを参考にさせて貰うかな」
 
「何だと!! 辰哉だけずるいぞ、噛んでやる!!!」
 
「痛ててて!!!」
 
はたまたいつもながら見慣れた光景ではあるのだが、今の空気から察すると流石にまずいものですぐに教師に目をつけられる。
 
「そこ! うるさいぞ!!!」
 
「「・・すんません」」
 
一人の教師の一喝によって流石の狼子達もこればかりは大人しくしたようだ。
 

 
平塚本社ビル・・
 
アメリカの都市に堂々と居を構えるこの本社ビルの歴史も今では立派な風景の一部と化しており、平塚グループに籍を置いている社員にとって本社で働くのは文字通り“栄転”に等しいもので地方にいる社員は上の評価を少しでも上げようと我武者羅に仕事をして実績を重ね、本社に在籍している社員もその立場を守ろうと日夜膨大な仕事と格闘し成績を保っている。例え大企業であっても地盤を作るのは一人一人の社員のこうした血の滲むような実績のお陰といっても過言ではない、更に上に食い込んでいくと社員の統括に加えて派閥争いなど血みどろの激戦を制した果てに社長と言う椅子が用意されている。平塚グループの方針は事業の拡大と共に年々変わりつつはしているものの・・“チームワーク”“上は質実剛健、下は仕事を真っ当”といった創業時からの基本プロセスは頑なに貫き通している、それに加えて徹底能力及び実力主義や充実した福祉制度の飴と不祥事及び隠ぺい工作の類が発覚した社員には本社及び関連会社の採用は一切なし(発覚した場合は罪の重さを問わず世間に公表)と言った鞭を絡め合わせているので、こうした大企業にありがちな不祥事は殆どと言って見かけない。
 
代表的なのは社員の教育の部分、能力も勿論ながら会社員や人としての精神的な指導も専門家を駆使して新人ベテラン問わずに取り仕切っているし、独立した調査機関を設けて密かに社員一人一人の動向や動きなどをチェックしている。そういった反面で社内には産婦人科や企業では珍しい精神科を始めとして一通りの医療施設や保育士完備の託児所や教育機関を設立したり、食堂もあらゆる文化層に対応した料理を提供できるように整えて住宅地もかなり良い部類が当てられている。育児休暇の方も社員が産休を受理した段階から3年間は完全な休業扱いとなって給料は勿論の事、役職などもきちんと保障する。それに本人の希望があれば休暇中であっても自宅で仕事を出来るように設定できるので完全に遅れを取る事もないし、復帰後にありがちな軋轢なども緩和している。上記のことは勿論関連会社にも対象となっており、そうった社員重視の方針を貫いたお陰か、社員達は今日も一枚岩となって平塚グループの繁栄と発展を支えているのだ。
 
そんな本社の中にあるフロアに宛がわれた狼子達ではあるが・・その豪華さにはただただ圧倒されるばかり、周りの生徒達もその興奮が抑えきれないようだ。
 
「すげぇな・・」
 
「ああ、ただの部屋なのに造りが全然違うぜ」
 
さすがの狼子もここまで豪勢な作りに言葉が出ないというもの、そのまま暫く時は過ぎて担当の者が部屋に入るのだが・・その姿を見るや否や周囲は驚愕を通り越して絶句してしまう事となる。
 
「え・・君達の見学を担当する事となった、平塚 慶太だ。今日はよろしく頼む」
 
「「「「「「「「・・・ええええええええっ!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」
 
まさかのトップ登場に部屋中には静寂が流れ、瞬く間に衝撃へと変貌する。そもそもこんな経緯になったのは狼子達が会社に到着する数時間前・・社長室にとある電話が掛かってきた事から始まる。
 
 
 
数時間前、あらかたの仕事を終わらせた明人達は切りの良い所で夕食を取っていた。
 
「おっ、今日は弁当か」
 
「ああ・・來夢に作ってもらった。お前の分も預かっているぞ」
 
「おお!! そういや來夢には小さい頃から料理を俺が教えたもんだし、どれだけ成長したか楽しみだ」
 
実のところ平塚家一族はあらゆる分野で才能を発揮しているものの、家事関係は全くの素人に同然なので炊事洗濯に関しては來夢がほぼ一人で執り行っている。最初の頃は明人や沙織も挑戦はして見たものの日々の仕事の忙しさから断念してしまい、それを見かねた兼人を初めとした周囲の人間が行っていた。それからは來夢が生まれるまでそれは続いたものの來夢がある程度は成長してから幼心に家の状況を見かねたのか少しずつ失敗もしながらもこなしていき、今や平塚家の家事を全て掌握していると言っても過言ではない。特に料理に関しては小さい頃は兼人が來夢に基本を仕込んで以来はめきめきと成長を見せており、今では家事という枠を超えて殆どの国の料理を作れるようにまでなってきている。
 
「それにしてもお前達一家は家事が全くダメだよな。來夢がいなかったらどうなっていた事やら・・」
 
「・・お前が來夢に料理を教えてくれたことには感謝している」
 
「できれば仕事で感謝されたいところだけどな」
 
「それとこれとは話は別だ。いらんのなら俺が食べる」
 
「下らない職権乱用するな」
 
雑談を繰り返しながら2人は來夢お手製の弁当に舌鼓を打ちながら昼食を取る。どうやら今回のコンセプトは野菜が中心のあっさりとしながらもメインは魚料理、全体の味の調和は勿論ながら見た目やカロリーバランスに加えて栄養面も申し分なく自然と箸が進んでいく。
 
「いつ食べても美味いな。もはや俺でも同じのは作れないぜ」
 
「・・子供に弁当を作って貰うのは父親としても微笑ましいものだ」
 
穏やかに流れる静かな時間、社長として膨大な仕事をこなしている明人にとって來夢が作ってくれた弁当を食べるのが唯一訪れる至福の時間である。そんな時に一本の電話が鳴り響くがワンコールも経たないうちに兼人が受話器を取る。
 
「どうした? ・・わかった、こっちで処理する」
 
「何かあったのか?」
 
穏やかモードから一転として顔を険しくさせる明人、どんな小さなトラブルでも後には大きな火種となる・・あらゆる自体を頭の中で想定しながら明人はゆっくりと話を進める。
 
「で、今度はどうした? 幹部が何かやらかしたのか・・1ヵ月後の株主総会でかなり響きそうだな」
 
「・・勝手にシリアスになっているところ悪いが、別に不祥事とかそんなのではない」
 
「だったら何だと言うのだ!! この会社をここまで大きくするのにどれだけ苦労したのか忘れたのか!!!」
 
思わず声を荒げる明人、トラブルではないにしても完全な障害を取り除かない限りは安堵は出来ない。兼人はそんな上司兼友人を内心では面白おかしく思いながらもゆっくりと真相を話す。
 
「あのな、酒抜きで昔話をする趣味は俺にはない。・・これから社内見学を希望している集団が来るのだが、部署の人手が足らないみたいでな」
 
「だったら他の所に廻せば良い話だろうが。そんな下らない事で一々電話を掛けるとは・・」
 
「それが丁度空いている人物がいないようでな。お前やって見るか?」
 
「誰がやるか!! 俺は社長だぞ、そんなの他の奴に任せればいいだろう」
 
兼人の提案に真っ先に拒否を示す明人、この反応も今の自分の立場から考えても当然と言えば当然の事。社長として膨大な仕事が山済みにされている中で担当外の仕事を引き受けるのはもってのほか、第一そのようなことは担当の部署内で片付けるべき問題であるのでトップである2人が態々出る必要性が全くない。
 
「全く、職務怠慢にも程がある」
 
「それはそうだが・・しかもその集団ってのは日本から来てな、修学旅行の一環で着ているそうだ。俺達の時代なんて修学旅行は国内だったからな」
 
「話をはぐらかすな。とにかく他に手が空いている奴にやらせろ」
 
「・・ほー、ならお前は遠く異郷の地にいる学生達を訳も分からん人間に会社を案内させる気だな。
お前も良く知っているとは思うが、修学旅行と言えば建前は学習だけども本音は思い出と遊びが最大の楽しみだ。お前も小林とあんな事やこーんな事で楽しんだ口だもんな」
 
兼人の呟きに僅かながらもしっかりと耳を傾ける明人、それを流し目で確認した兼人は更に畳み掛ける。
 
「それにお前が出れば、そいつ等の思い出にも残るし・・何よりも子供達に一生自慢が出来るぞ」
 
「ッッ!!」
 
そのまま明人は暫くの沈黙の後で静かに告げる。
 
「・・十条、俺の予定はどうなっている」
 
「この後は書類の決算だろ? そんな事も忘れたのか」
 
「そうか・・ならば遅らせても大丈夫だな。後は任せたぞ」
 
(素直じゃねぇ奴・・)
 
兼人の微笑と共に明人は久方ぶりに社長室を後にした。
 

 
こんな経緯があって明人は狼子達の案内人を勤めている、対する狼子達は教師達を筆頭に緊張感が中々拭えないもので普段は悪さばかりしている一部の生徒もこの時ばかりは武者震いが止まらずに素直に団体行動をしている。
 
「ここが・・我が社で開発した製品が時系列に並んでいる。どれも全世界で流通したものばかりだ」
 
(おっ、これは俺が愛用しているシューズじゃないか! 狼子は何かなかったか?)
 
(いつも使っているワックスとシャンプーがある。・・だけど辰哉)
 
(何だ?)
 
(・・どうして俺達はこそこそと喋らなきゃならないんだ)
 
(それは・・暗黙の了解って奴だろう)
 
狼子達の例にも漏れず、友や刹那もだんまりとしながら明人の話に耳を傾ける。そんな明人達の集団をこっそりと隠れ見ている人物が一人・・これもまた例に漏れず兼人である。明人にああいった手前もあるが、元々プライベートでも口数が多い方ではない明人が案内役を勤めるのは難しいもので心配になって見てみれば想定していた不安が見事に的中してしまう形となる。
 
「あっちゃ~・・考えて見ればあいつは昔からプレゼン関係がダメだったからな」
 
元来から明人は人と喋るのが余り得意ではなく、口が必要とされるプレゼンや宣伝やらの営業関係は全くダメな方でそういったのは全て兼人任せである。妻である沙織も普段は口が達者な方ではないのだが、あちらは職業が職業なので演技と割り切れば普通に出来てしまう。そもそも明人に案内役をやらせたのは何も狼子達の思い出作りとかでもなく、口下手な明人を少しでも大人数相手に自分の会社をアピールさせれる力を養わせようとする兼人なりの心遣いである。いくらなんでも世界を代表する企業の社長が自身の会社をまともに宣伝できないとなれば会社としての信用はおろか今まで築き上げてきたものが一気にパァとなる恐れがあるのだ。いくら兼人が口が巧いとはいっても一人ではフォローをするのも限界もあるし、まともに自分の会社さえも案内できなければこれから先が思いやられる。
 
「これからはまともな講義ぐらい出来なきゃな。よく今までこれで持ったかと思うとゾッとしてく・・」
 
「あ、パパじゃないの!! こんなとろで何してるの?」
 
「香織!! それにお前達こそ何しているんだ」
 
突然の香織達の来訪に驚きを隠せない兼人、香織達もまた狼子達の後をつけてきたら自分の親が勤める会社に入っていったので3人ともそのまま顔パスで行けれたわけ。そしたら偶然にも兼人と出会ってしまったので傍から見ればちょっとした偶然である。
 
「おじさんもこんなとこで何していたの?」
 
「來夢にはちょっと解らない大人の事情だよ」
 
「・・大方、あそこで案内しているおじ様の様子でも見てるんでしょ」
 
「ううっ・・我が娘ながら勘が鋭い。それにしてもお前達もなんでここにいるんだ?」
 
別に隠す事でもないので香織達は今までの経緯を兼人に全て話す、ただ香織が話してしまえばあらぬ誤解を産んでしまうと考えた慶太はすかさず話を切り出して事実を全て話して事をスムーズに流していく。
 
「・・と言うわけなんだが、おじさんも大変だな」
 
「まぁな。あいつも息子のお前みたいに饒舌だったら俺も苦労はしないんだが」
 
なんだかんだ言っても兼人とて小さい頃から3人を良く見ているのでその特徴は大体の所までは把握している、それにしても現在この場にいる狼子達と自分の子供達が繋がっている事実は考えれば考えるほど奇妙なものである。
 
「お前達も行動力旺盛と言うかなんと言うか・・」
 
「ずっと昔にママ以外の女と同棲してたパパにだけには言われたくないわよ」
 
「――ッ!! い、痛い所を突くなぁ・・パパ参っちゃうよ。お小遣いでもせびるのか~」
 
「それは後で必要経費としてちゃんと貰うけど、パパにはもっとして欲しい事があるのよね」
 
満面の笑みを浮かべる香織ではあるが、彼女がこんな表情をする時はろくでもない事が起きる前兆なのを慶太と來夢は昔から良く知っている・・香織はそのまま一呼吸を置くと兼人にとんでもない要求を突きつける。
 
「私達はあの子達とまだ遊びたいの」
 
「お、おい!! 俺はもう・・」
 
「うるさいわね!! あんたの意志は関係ないの!!! ・・それでパパ、さしあたってあの子達のTeacherと話をつけて頂戴!!」
 
「お・・おいおい!! それはいくらなんでも」
 
香織の要求に兼人は空いた口が塞がらない、流石の來夢も兼人に助け舟を出す。
 
「香織さん・・それはいくらなんでもまずいんじゃない? そりゃ僕も興味があるけどおじさんの事考えてもちょっと無茶すぎる要求じゃないのかな。それに後で母さんとも会うんだし・・」
 
「そ、そうそう。來夢の言うようにいくら俺でも公私混同は流石に立場上からしてもな・・小林だって大困りだし、あいつも昔とは違って傍から見れば大スターだからな」
 
來夢を味方につけたと確信した兼人は遠まわしに言いながら香織の説得を試みる、なんだかんだ言っても3人の中で一番権限を握っているのは他ならぬ來夢である。普段ならば來夢にここまで言われたのなら大人しく引き下がる香織ではあるが・・しかしながら今回ばかりは香織も退くに引き下がれないので更に自分の意見を押し通すためにまたもや來夢を懐柔するためにとある言葉を囁く。
 
「だからさ、今回は・・」
 
「ねぇ、來夢・・こういった機会は滅多にないのよ。もしかしたら今後一生来ないのかもしれない・・」
 
「そりゃそうだけど・・」
 
「あんたは昔から引っ込み思案すぎるのよ。もう少し楽しむ事を覚えた方がいいわ」
 
香織の説得に來夢も心が揺れる、ここ最近になって來夢にも多少ではあるが時間のゆとりが出来ており精神的にも余裕が生まれている。來夢自身の病気が分かった時には全てに参ってしまいそうになった時期があったのだが、慶太と香織を始めとする周囲の支えもあってか何とかうまくいっている。
 
「おいおい、來夢はなぁ」
 
「・・いいよ兄貴。僕もちょうど暇してたからね」
 
「てな訳でよろしくね!!」
 
「わかった、わかった。だけどちゃんと節度を持って遊べよ・・」
 
「わかってるわよ~」
 
小悪魔に近い笑みを浮かべる娘に兼人は苦笑を隠せなかった。
 
 
 
それから明人はぎこちないながらも狼子達の案内を慶太達が見守る中で無事に勤め上げて狼子達の見学は終わった。只ならぬ雰囲気の中で見学していた狼子達は見学が終わったとたんに緊張の糸がプッツリと切れて周囲からは一気に疲労感と溜息が募る、ちなみに現在は自由時間なのでこうして2人きりで過ごしているわけ。
 
「ハァ~・・疲れた」
 
「そりゃ、世界が誇る超一流企業の社長が出てきたらなぁ・・俺も生きた心地がしなかった」
 
2人とも喋れる気力はあるものの足取りの方は非常に重い、これから科せられるレポートもあるのだが何よりも明人の存在にただただ圧巻させられるばかり。しかし明人の顔をよくよく思い出して見ると心なしか2人は慶太を思い浮かべてしまう。
 
「なぁ、あの社長って俺達が昨日出会った香織さん達に似てないか?」
 
「・・いいか、狼子良く聞け。俺も恥ずかしながらあの社長が慶太さんに似ているとは思ったが、きっと俺達は疲れているんだ。少し休んで・・痛ててててて!!!!!」
 
「この俺をアホ呼ばわりするな!!!」
 
いつものように辰哉を噛みまくる狼子、2人の言っていることは藪にも真実を突いているのでタイミングを伺って狼子達と合流しようとした香織達も顔を出しづらい。何せ自分達の親達のことは周囲の影響も考えて決して口外しないようにと小さい頃から明人達に言われ続けている、明人達も自分達の社会的地位を考慮した上での決断であるし、成長してから世の中の仕組みを理解していた3人も両親達の方針には理解を示している。
 
「だけどよ!!」
 
「それよりも部屋に帰って疲れを取ろうぜ」
 
「だけど折角の修学旅行なんだからもう少し遊んだほうがいいんじゃない?」
 
「そうだぞ!! 折角の修学旅行だから・・って香織さん!」
 
再び狼子達の前に舞い降りた香織達、ちなみに狼子達が遅刻をしても兼人が教師陣に話をつけているはずなので何も咎められることはない。
 
「どうしてこんなところに・・」
 
「それは・・秘密よ」
 
そのまま口を噤む香織ではあるが代わりに來夢がここまでの経緯を捏造した説明を始める。
 
「じゃなくて平塚グループの本社は一般の娯楽施設もかなりあるんだよ。アメリカでは定番のデートスポットにも数えられてるぐらいだしね」
 
「確かに・・」
 
狼子達が周りを良く見て見ると会社の中には大型のショッピングモールに多数のフードコーナや映画館にゲームセンター等の娯楽施設・・加えて果てにはアパレル関係の店もチラホラと見える。
 
「何だかアメリカって凄いんだな・・日本だったらこの会社がなくても遊ぶ所としては充分過ぎるぜ」
 
「会社があるから意味があるんだよ。父さ・・じゃなかった、社長の方針は企業と消費者の調和。ここに出ている店は全部平塚グループの傘下だよ。本社の周りにこういった施設を多数作っておけば会社の宣伝にも繋がるし何よりも来てくれる人達に支持されやすいからね」
 
「なるほどな。やっぱり海外はすげぇ!!!」
 
「アハハ・・さて全員揃ったところで何をしようか?」
 
珍しく場を先先と進める來夢、普段は控えめな彼女がここまで積極的なのも少なからず狼子達の影響もあるのだろう。そんな來夢に合わせるかのように慶太も少しの思考を経た所でとある提案を打ち出す。
 
「それでは遠出というのはどうだ? 丁度ここには俺の車も停めてあるからいいんじゃないか?」
 
「あんたにしては珍しくいい意見ね。その案乗ったわ」
 
「珍しいは余計だ。・・それじゃ少し待ってろ」
 
自分の車を取りに行くため、慶太は少し席を外す。
 
「それにしても車か・・なんか凄いスケールだ。狼子、あれは大丈夫なのかよ?」
 
「当たり前だろ。あの薬は一度飲めば効果は1日以上も続くといった画期的なものだぞ!!!」
 
「ま、それならいいけど」
 
礼子からもらった薬は乗り物酔いの即効薬みたいなもので一度飲んでしまえば1日以上はその効果を持続し、副作用もないのが大きな特徴だ。昔から乗り物酔いが激しかった狼子はこの薬をいつも礼子に処方して貰っており、今回は修学旅行と言う事でいつもよりも多めに貰っているのでかなりの余裕があるのだ。
 
「さて今からどこに行くか決めなきゃね」
 
「でも2人の予定も考えないといけないから・・そこら辺は兄貴に任せよ」
 
さり気なく自分の兄へキラーパスをする來夢、本人は無自覚なのでそんな気はないが慶太の苦労も暫く続きそうである。
 
 
 
慶太が戻り、全員車に乗り込んだところで行き先を決めるのであるが・・狼子達はアメリカに来たのは初体験なので場所は必然的に香織達が決めることになる。
 
「そういえば慶太さんは車も乗れるんですか?」
 
「ああ、免許は一通りに持っている。それでどこに出かけるんだ」
 
「言いだしっぺはあんたなんだから決めて頂戴」
 
「あのなぁ・・ま、適当に走っていくか」
 
考えるのをやめた慶太はとりあえず車を走らせることにする、行き先など何も決めていないグダグダなものではあるがそれでも車を進めているうちに周囲はそんなことは全然気にしなくなったようだ。それに狼子達にして見れば行く場所よりも初めて目にするアメリカの景色の方がとても新鮮で何よりも楽しめられさえすれば彼等にとってはどうでもいいようである。
 
「やっぱアメリカって凄いな!!」
 
「そうだな。やっぱり日本とはスケールが全然違うぜ!」
 
行く先々で興奮を隠せない狼子達であるが、その分の楽しさは計り知れないもの。暫く景色を楽しんだ後で香織の提案でそこらへんの店で昼食を済ませるとそのまま昼食が終わると香織は単独で狼子を呼び出すが・・狼子の方はと言うといきなり香織に呼び出されたのでどうしてもいいかわからずにアタフタしながら香織の出方を素直に待っている。
 
「ええええっと!!! わわわ、私は!!!!!」
 
「そんなに緊張しなくても良いのよ。無理矢理連れてきた私が悪いんだから」
 
「あ・・アハハハハ」
 
無理矢理笑いながら自分をリラックスさせる狼子・・まぁ余り打ち解けていない人間に半ば強引に連れ出されたらどうする事も出来ないものである。
 
「で、俺に何か・・?」
 
「見てて気になったんだけど・・やっぱり彼氏は好きなの?」
 
「へ・・ええっと! その・・なんて言っていいか//」
 
「じれったいわね!! ・・じゃあ、他の男に取られてもいいんだ」
 
「それはダメだ!!」 あいつはその・・親友で恋人だからだ!!
 
ここまで辰哉の事をハッキリと言える狼子に香織は少しばかり羨ましく感じてしまう。何せ自分は慶太とはあれだけ苦労して付き合ってもいざ顔を付き合わせて見れば毎日喧嘩ばかりなので付き合う前と余り変わっていない。元々慶太とは家族ぐるみ以上の付き合いをしていたともあって慶太にして見れば香織と付き合ってもあまり日常的に感じていないのか・・それに元々の性格もあってか、いつもの習慣で香りと接してしまうわけなのだが・・香織にして見ればそんな日常がもどかしくて常にフラストレーションが溜まってて来るのが悩み所。
 
だからこうして素直に彼氏の思いを素直にぶつけられる狼子が新鮮で眩しく思えるのだ。
 
「まぁ・・変な事聞いて悪かったわね」
 
「なんか香織さんからそんな事聞かれるなんて意外だな」
 
「今まで私をどんな風に見てたのよ・・」
 
少しばかり苦笑してしまう香織に対して今度は狼子も逆にお返しと言わんばかりに意外な質問を香織にぶつける。
 
「そういや香織さんって・・慶太さんとはどこまで進んでるんだ~?」
 
「べべべ、別にいいじゃないのよ!!! なんであいつが・・」
 
「あ、俺に質問しておきながら自分だけ答えないのはズルイですよ」
 
「うううっ~・・そこを突かれると痛いわね。わかったわよ」
 
狼子の前に降伏宣言を出した香織、このまま穏やかな時間が流れていくものだとこの時は誰もが思っていた。少なくともこの2人も含めて・・
 
「仕方ないわね。・・で、何を聞きたいの?」
 
「そりゃ勿論! 二人のかんk――ッ!!」
 
ここで狼子の意識は一時的に失われる、代わりに香織の前に立ちはだかるのは2人の男・・片方は気絶している狼子を抱えながら、もう片方も香織に向けて銃口を向ける。香織も即座に隠し持っている銃で応戦しようとするが咄嗟の判断で遅れを生じてしまって構えを取れずにいた。それに相手もこないだの素人の動きではない、表情では平静を保っている香織も内心はかなりの焦りが生じていた。
 
「十条 香織だな。俺達と一緒に来てもらおうか」
 
「・・あんた達、何者? それにガードはどうしたの」
 
「俺達がここに来た事が答えだ。・・余計な詮索はお前達の寿命を縮めるぞ、車に乗れ」
 
この2人の動きは狼子達を襲ってきた連中とは断然違って言動には一辺の隙もなく相当に訓練を積んだもの。香織達をガードしているのも一般人ではなく、その全員がかつて国連に身を置いていた特殊部隊の出ばかり・・そんな彼等から潜り抜けているのだからその腕は確かなものだろう。現に香織も彼等に抵抗をせずに大人しく用意された車に乗り込んでいる、慶太と共にあらゆる訓練を積んでいる香織ならばこのまま自分だけでも助かろうとするのも可能ではあるが狼子と言う人質を取られてしまえば
その行動はかなり制約される。
 
「一つだけ聞かせて。・・私達は一体どうなるの?」
 
「それはお前と両親の行動次第だ。後は所持品を全て出して貰おうか、身につけているものも含めて・・な」
 
「・・わかったわ」
 
男に促されるまま香織は全ての所持品が入ってるバッグを男に差し出したとたんに車は無常にも走り出す・・
 
 
 
異常事態・・事態はまさに緊迫を当に超えていた。特殊部隊から要人を警護する立場へ変わった今でもその難度は変わりはない、そんな彼等が作戦を失敗してしまうのはあってはならぬもの・・特殊部隊時代からの長の顔色も心なしか思わしくないが、部隊を指揮する者として的確に事態を把握し、冷静かつ適切な判断力を求められるため部下からの報告にじっと耳を潜める。
 
「以上! 報告を終了します!!」
 
「・・お嬢様の警備に当たっていた部隊は?」
 
「お嬢様の警備を担当していたイエロー部隊は指揮官含め5名が負傷、うち最前線で警備に当たっていた2人がいずれも重症です。
 
重傷者の傷を見る限り。銃で右腕を1発、脚をそれぞれ1発ずつです、摘出した弾からして銃の口径は44で間違いはないかと・・」
 
普段ならば卒倒してもおかしくはない状況ではあるが、かつて戦線に身を置いていた彼等からすれば襲撃された事実などさして驚くべき事ではない。彼等はどのような状況で襲撃されたのかが気になるところで、あらかたの報告を聞いた全員は隊列を崩すこともなく隊長とその副官の顔色を伺っている。
 
「イエロー部隊には実戦経験が浅い人間が経験を積ませる為に最前線へ送り込んでいましたが・・それが裏目に出ましたな」
 
「副官、今更それを嘆いても仕方ない。犯人の手口とその背後は?」
 
「はっ! 犯人は確認できるだけでも2人・・組織の規模は現在パープル部隊が調査中です。今の所は目立った動きはありませんが・・いずれ声明を出すでしょう。実行犯は手口から見ても間違いなく軍隊上がりの人間が行った者と見てまず間違いありません、恐らく経歴も相当長いと見てもいいはずです。以上、報告を終了します!!」
 
最後に敬礼をして部下は報告を終了する、あらかたの情報を頭の中に入れた指揮官はすぐに各部隊に指示を飛ばす。
 
「パープル部隊は引き続き犯人グループの調査を行え! 各戦闘部隊はパープル部隊の報告を受け次第、いつでも出れるように充分の弾薬や補給及び各系統の整備を行い、いつでも出られるように待機を!! 諸君、相手を見る限り組織性の可能性が高いのでそれ相応の対処をして置くように!!!!」
 
「隊長・・依頼主様及びお坊ちゃん達の報告は?」
 
「依頼主様への報告は私自ら行う。このような結果を招いたのも全ての部隊を率いている私の恥だからな」
 
国連時代からこの部隊を育て上げた指揮官にとって見れば今回のことは部隊の緩みからでてしまったこと・・彼にとって部隊の失敗はそれ以上に率いている自分の恥なのだ。
 
「了解しました、ではお坊ちゃん達への報告は私が行います。所で負傷したイエロー部隊の様子は?」
 
「現在、病院で治療中です」
 
「ならば復帰した時に伝えておけ! イエロー部隊の現地指揮官及び副官は解任し、以後は持ち場を最前線へ転属。以上!!」
 
「・・では諸君等の健闘を祈る!!!」
 
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「サーッ!! イエッサーッ!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
 
全員が一糸乱れぬ隊列のまま最高指令の2人に敬礼をし、2人も全ての部隊に敬礼で返す。この2人がいなくなっても彼等の動きに淀みはなく、すぐに各部隊の指揮官が的確に指示を飛ばして組織を動かしていく・・彼等も持ち場が変わってもなお、昔から2人の考えには同調しているので無闇に指示を与えられなくても持ち場を離れずに的確かつ合理的に動く・・この1枚岩とも言える組織体制こそがかつて国連直属の部隊としてあらゆる国家を怖れさせ畏怖された姿は警備会社に籍を移した現在でも健在である。
 
 
 
突然の香織と狼子の拉致・・自ら出向いた副官の報告に慶太と來夢は勿論の事、辰哉に至っては驚きを通り越して卒倒寸前である。
 
「お・・狼子達が」
 
「拉致だと!!! あなた達が就いていながら・・」
 
「誠に申し訳ございません。全ては私達の不備が招いた結果です」
 
「全くだ!! それにあいつもあいつで勝手な行動をッッ!!!!」
 
「兄貴、落ち着きなよ!! まだ考える限りは2人とも無事だよ!!」
 
「そ、そうだな・・すまん」
 
なんとか來夢が慶太を宥めながら副官も交えて今後の対策に乗り出す。
 
「今の所の対策は?」
 
「現在、我が部隊が総力を上げて2人の場所を特定しているところです」
 
「・・わかった、俺も一緒に同行しよう。來夢は辰哉君と一緒に家で大人しく待っておけ、俺は直接現場に乗り出す・・依存はないな?」
 
「うん。僕は異存ないよ」
 
慶太の実力を知っている來夢はすぐに承知をする。慶太に関しては明人と沙織の方針・・というより2人の両親があまりにも社会的有名な地位に立ちすぎたためにそれを嫉む輩は無論の事、本人の関係なしにあらゆる犯罪に巻き込まれる恐れがあるので幼い頃からあらゆる格闘技に加えてあらゆる銃器は一通り扱えるようになっている。更には軍隊の経験もそれなりに積んでいるので下手な素人と比べても圧倒的に強い、香織に関しては最初は慶太に対抗する形で混じって行ったのだが最終的には慶太と同様の訓練も受けているのでスペックはかなり高い方だ。
 
「あいつもただではやられないだろう。・・僕も同行させてもらって構わないでしょうか?」
 
「お嬢様や坊ちゃまの実力は私や隊長も充分把握しております。この場に隊長はいませんが私と同じ判断を取るでしょう」
 
「助かります」
 
「あ、あの!! ・・俺も連れてってください!!!」
 
突如として名乗りを上げた辰哉。しかし悲しきかな、現実は既に彼の手の届かないところまでに進行している。相手が素人なら兎も角として本物の軍隊に一介の高校生である辰哉が太刀打ちできる相手ではない、しかし辰哉にも意地と誇りがある・・恋人を拉致られたまま大人しくしておくのは無理な話ではあるが、それでも狼子を救いたいという気持ちは紛れもなく本物である。きっと彼が敬愛する先輩も同じような状況に直面した時は同じ事を言うだろう・・慶太もそんな辰哉の気持ちは痛いほど解るのだが、素人である辰哉を連れてしまえば慶太達にして見ればメリットどころが逆に足手まといになってしまう恐れがある。
 
既に事態はそこまで緊迫した状況に進行しているのだ。
 
「お願いします!! 俺・・狼子を助けたいんです!!!!」
 
「お気持ちは解りますが、ここは堪えてください。私達と坊ちゃま達で必ずお救いします」
 
「だけど!! 俺は狼子の恋人としてあいつを・・あいつを救いたいんです――!!!!」
 
辰哉の嘆願に副官は何とか穏やかに説得しようとするが、ここで沈黙を保っていた慶太が怒声を上げる。
 
「いい加減にするんだ――!!! ・・悪いがここから先は君では足手まといだ、來夢と一緒に家に戻ってくれ」
 
「でも! 俺は――」
 
「最後に君だけに俺達について正直に話そう。・・その前に親父達にこのことは?」
 
「・・依頼主様へは隊長自らが出向いております、恐らくは伝わっているでしょう」
 
「そうか。・・では木村 辰哉君、俺達について話す前に最初に君に謝っておく。――巻き込んですまない」
 
辰哉の前に深々と礼をする慶太。これから慶太から話される衝撃の事実は辰哉にとってとても理解しがたいものであった。
 

 
平塚本社社長室・・
 
「以上、ご報告を終了致します!!」
 
指揮官の声が響き渡る中でここ、社長室の雰囲気は頗る重い。社長の明人を筆頭に普段は明るい兼人でもその表情は暗い、暫くの静寂の中で明人は椅子から突然と立ち上がり屋上から広がる大風景を眺めながら言葉を発する。
 
「・・我々が君に始めて依頼した時の言葉は覚えているかな?」
 
「ハッ!! 忘れもしません!!」
 
「君達の実績を評価し、不甲斐ない我々は自分の子供達を守る役目を君達に譲った・・」
 
親として子供が命の危機に反した時にはすぐに駆けつけたいもの、明人や兼人も出来る事なら自分を犠牲にして行きたいのは山々だが、それらをぐっと堪えてこうしてこの場に立って居る。
 
「これでは君達の警備会社に掛けた金も無駄だったようだな」
 
「返すお言葉もございません」
 
「・・まぁいい、こうして君に質問する時間も無駄だ。すぐに現場に戻りたまえ」
 
「了解であります!!! 必ずや我が部隊の威信に懸けて犯人確保及びお嬢様を奪還いたしますッッ!!!!」
 
敬礼と共に指揮官は社長室を後にする。残った2人には気まずい空気が流れる中でようやく兼人が言葉を投げかける。
 
「小林には伝えたのか?」
 
「・・ああ、もう少しで来る。それよりも十条」
 
「政府を通じてマスコミ対策はちゃんとしてある。これでも抜かりはない・・後は彼等の高校の教師陣についてだが」
 
「俺が出向く。・・これでも親だからな」
 
そのまま明人は電話を取り出すと狼子達の教師や高校へと電話を掛けるとそのまま各関係者に説明を行う、平塚グループの社長である明人が行う説明に教師陣はおろか校長もたじろいでしまい、反論も出来ずに黙って聞いているだけだったと言う。
 
一通りの電話が終わった明人はそのまま受話器を置くと今回の事件の経緯を改めて推察する。
 
「十条、奴等の狙いは何だと思う?」
 
「恐らくは俺達の資産を狙った企業テロと言ったところが妥当なとこか」
 
「・・万が一には“家”の方にも連絡を取ろうと思う」
 
「お、おい!! ・・“家”とは余り穏やかじゃないな」
 
ほぼ怖いもの知らずの2人にも怖れるものがある、それは“家”の存在・・2人の会社の設立もこの“家”の財力と力があってこそなのだが、それ故に当主には逆らえない存在となっている。
 
「とにかく・・“家”は最終手段にしておけ、出来るだけ俺達で解決するぞ」
 
「ああ。既にこの会社にある資本を可能な限り現金化にしてある、後は交渉次第だ」
 
「まだ犯行声明が出ていないのが救いと言うべきか・・」
 
「犯人達の要求を待つほかあるまい」
 
社長室には今もなお沈黙が続く・・
 
「ええ――ッ!!! 香織さんのお父さんって・・あ、あの平塚グループの副社長!!!」
 
「静かにしなさい!! ・・ちなみにあいつと來夢の父親は平塚グループの社長に母親はSAORI、全ては紛れもない事実よ」
 
あれから香織達は車での移動の後にとあるホテルへと身柄を移されて軽い軟禁状態へと置かれている、そのまま目覚めた狼子は何が何だか状況が解らないままで香織から話された衝撃の事実・・狼子の頭はぐるぐる回って何が何だかもわけがわからない。だけども香織は慌てずに狼子を落ち着かせながら話を進めて行く。
 
「慌てるなら全てが終わってからにしなさい。・・今は冷静になる事が大切よ」
 
「あ、ああ・・」
 
「まぁ、私達は拉致られた身分だからね。慌てるのも無理はないか」
 
狼子にして見ればここまで冷静な香織の方が却って不気味にみえてしまう、まるでこんなことが一度や二度でもないような感じだ。
 
「なぁ・・香織さんは怖くないのか?」
 
「全然!! ・・と言ってしまえば嘘になるけど、似たような状況になら訓練で何度かあるけどね」
 
「アハハハ、俺とは全然違うや」
 
これが聖ならば持っている力で全てを粉砕しそうな気がするのだが、残念ながら狼子にはそのような力はない。自分の無力を呪う狼子であるが香織は冷静に状況を判断しながらある頼みをする。
 
「何腐ってるのよ。・・それよりあんたにしか出来ない頼みがあるの」
 
「え!?」
 
「いい、よく聞いて。これから犯人達と会うと思うけどあんたはさっきの話を忘れなさい、そうしたら何も知らないって判断されてすぐに解放されると思うわ。
 
それともう一つ、私達を拉致して犯行声明が出されると思うけどそれまでにあんたには“手紙”を書いて貰うわ」
 
「手紙・・?」
 
「内容はあんたに任せるわ。ただ書いた後に私がちょっと細工するけどね。・・いい、私ができるだけフォローしてあげるからあんたは何も言わずに従いなさい。そうしたらすぐに解放されると思うわ」
 
香織にして見れば狼子を出来るだけ早く解放してもらうようにするために尽力を惜しまないつもり、自分と違って狼子は紛れもない一般人でこういった事とは無縁なので出来る限り解放を目指す。香織達が細かい打ち合わせをしている時に犯人の1人が部屋へと入ってくる。
 
「出ろ、ボスがお呼びだ」
 
「はいはい、行きましょ。あんたは普通に人質をしてくれればいいから」
 
「ああ・・」
 
犯人の1人は香織達に銃を突きつけながらボスのいる部屋へと案内させる、案内されたのは少し広い大部屋・・周囲は少人数ながらも全員が軍隊上がりなのは間違いがない所だろう。そして中心にいるのが彼等のボス・・この犯罪の黒幕と言っても過言ではない、ボスの方は冷静さを保ちながら2人を冷ややかな視線で見つめる。
 
「さてゆっくりして貰って結構。君達は大事な人質だからな」
 
「随分余裕なのね。・・それで私達をどうするつもり?」
 
「とりあえず金を毟り取って・・後は想像しなくても解るだろう。さて後少しで犯行声明も出すので楽しみにしておけ、これからは長旅になるからな」
 
「そうね。私達は休ませて貰おうかしら、早くしないと人質の価値が下がってしまうわよ」
 
「人質にしては態度が癇に障るが・・いいだろう、監視はつけさせてもらうがな」
 
「話が早くて助かるわ」
 
香織達が部屋へと戻る瞬間に犯人も入れ替わって女の方が2人に銃を突きつける、そのまま素直に部屋を戻った香織達であったが女のためにそのまま部屋へと一緒に過ごす羽目となってしまう。
 
「考えたわね、私達の監視に女性を寄こすなんて・・」
 
「完璧でしょ。不確定要素を出来るだけ排除するのがボスの方針よ、こそこそ話されたらこっちが堪らないわ」
 
「汚いぜ!! さっさと俺達を解放しやがれ!!!」
 
「それはあなた達の行動次第ね」
 
「畜生!!!」
 
状況にも徐々に慣れてきたのか元気になる狼子とは対照的に香織は冷静にこの状況の打破を考える。
 
「あんた達の前で隠し事は無意味・・ね。よくわかったわ」
 
「よく解ってるじゃない、十条 香織さん。データ通りにあなたは賢いわね。そういうの嫌いじゃないわ」
 
「これから犯行声明を出すんでしょ、だったらあんた達のボスにこれを渡してくれる?」
 
香織が指し出したのは先ほど狼子に書かせた手紙、女は懐疑な表情のまま鋭い視線で手紙を見つめ続ける。
 
「ただの手紙・・?」
 
「見たかったら見ても良いわよ。向こうにして見れば人質である私達の安否さえいいわけだし、あんた達にもデメリットはないでしょ」
 
「ま、いいでしょう。渡してあげる」
 
「よろしく♪」
 
香織のやり取りに狼子はただただ圧巻させられるばかりなのだが、当初の打ち合わせどおりに自分は余計な事を考えずに香織の邪魔をせず普通に人質をやっていればいいのだ。
 
「俺、喉乾いたな」
 
「飲み物ならそこの冷蔵庫にあるから好きなだけどうぞ。あと食事も何かリクエストがあれば応えてあげるわ」
 
「本当か!! 案外人質も悪くないもんだな」
 
(本当に大丈夫かしら・・)
 
いくら人質とはいえ相手のペースに乗せられる狼子を見て香織は一抹の不安を覚えられずにいられないのであった。
 
 
454 名前: ◆Zsc8I5zA3U[sage] 投稿日:2011/06/23(木) 19:19:55.84 ID:v36qf+w8o [56/80]
「・・というわけだ。俄かには信じがたい話ではあるが」
 
「そんな、慶太さん達が・・」
 
「事実だよ。だからこういったことは兄貴に任せて僕と一緒に家に帰ろう」
 
辰哉も狼子同様に慶太達の経歴に唖然とするしかない、全てを話し終えた慶太はそのまま後ろに振り向き足早に立ち去ろうとするが・・それでも辰哉は食い下がり続ける。辰哉自身には何か目立った特技があるわけではないが狼子達を救いたいという気持ちはここにいる慶太にすら負けてはいない。
 
「お願いします! 俺も連れてってください!!」
 
「俺の話を聞いてなかったのか。ここから先は・・」
 
「何があろうと俺は構いません!!! だから一緒に連れてってください!!!」
 
何度も食い下がる辰哉の姿に慶太は暫し考えるが、ここで來夢が口を挟む。
 
「・・兄貴、多分彼は本気だよ。いくら僕達が引きとめたって今の彼を止めるのは無理だよ」
 
「俺は狼子を・・狼子を救いたいんです!! あいつを守るために――!!」
 
そのまま、糸が退いたようにガクリと腰が退いてしまった辰哉・・そんな辰哉を見て慶太は暫し目を瞑りながら決断を下す。
 
「・・・わかった。ただし、これから先は一生を賭けて一切の他言無用を誓えるか?」
 
「は、はい!!!」
 
「時間が惜しい、先遣隊と合流するぞ。來夢・・後は頼む」
 
「わかった。気をつけてね・・兄貴」
 
軽い見送りを済ませると慶太と辰哉はそのまま車へ乗り込む、命を掛けた文字通りの実戦が始まる。
 
 
 
慶太は辰哉を乗せたまま車内で装備を整えると次から次へと入ってくる莫大な情報を瞬時に頭の中で整理をすると的確な行動を整える。そんな慶太の様子を見て辰哉は実戦と言う物を肌で感じ、思わず身震いをしてしまう。
 
「さて、装備はとりあえずこの程度でいいな。重火器に関してはどうなっている?」
 
「装甲車を含めて手配のほうは完了しております」
 
「了解だ。・・さて辰哉君?」
 
「は・・はい!!」
 
緊張のあまり声が高くなってしまう辰哉。これから狼子達を救おうと言う心意気はの良いのだがそれが極度の緊張へと変わってしまったらこれからの辰哉の命は保障は出来ない。
慶太は一呼吸置くと辰哉の緊張を解しに掛かる。
 
「そう緊張しなくてもいい、奴等は香織達を拉致した後とあるホテルで潜伏してたみたいだ」
 
「“していた”ということは奴等はもう・・」
 
「ああ、先ほど先遣隊が到着していた頃には既に蛻の殻だった。奴等のアジトは俺達が総力を上げて捜索している。本来ならば先遣隊と合流して叩いておきたかったがな・・これから俺達は作戦本部へと向かう」
 
「作戦本部・・?」
 
「ああ、君もよく知っている。・・あの場所さ」
 
慶太の含みがある言葉に何が何だか分からずじまいの辰哉であったが、幸いにも緊張は解すことはできたようだ。
 

 
場所は再び平塚本社ビルへと戻る、香織達の危機を聞きつけた沙織はこれから予定されていた撮影を急遽中断して撮影先のオーストラリアからここアメリカへと戻ってきたのであった。いつもは平静を保ち続けていた沙織であったが、会社へ着いた途端に感情を剥き出ししにしながら明人と兼人に詰め寄る。
 
「どういうことだ!! 香織ちゃんや一般人まで巻き込むとは――!!!」
 
「沙織、今の所2人は無事だ・・」
 
「無事かどうかはわからないだろ!!! これでは真菜香さんに申し訳が立たん!!」
 
沙織の勢いは留まるところを知らずに2人に思いのたけをぶつけ続けた。沙織にして見れば慶太や來夢もだが香織に関しては今は亡き友人の遺児であるのでその想いは計り知れないほど大きい、だからこそ今回のこのような事態には沙織も気が気ではないし香織と狼子の無事を祈る事しか出来ない自分に腹が立つのだ。
 
「私は――私は何もする事が出来ないのか・・私は無力な自分が恨めしい」
 
「沙織・・」
 
「悪いが2人とも状況が状況だ。場所を移動するぞ」
 
「「え?」」
 
きょとんとする平塚夫婦を尻目に兼人は社長室から場所を移してエレベーターを移動して本来なら社員専用の駐車場しかない地下へと案内させる。
 
「お、おい十条。ここは地下だぞ・・」
 
「ああ。そうだな」
 
明人の問いかけにも兼人は相槌を合わせるだけ、この態度に沙織が声を荒げる。
 
「十条ッ!! こんな状況なのにお前はふざけてるのか――!!! 私達がこうしている間にも香織ちゃんは――ッ」
 
「落ち着け、沙織。十条にも考えが・・」
 
「これが落ち着いていられるものか!!! 十条ッ!! お前は自分の娘が心配ではないのかッ!!!」
 
そのまま沙織は一呼吸して荒げた息を落ち着かせる、明人も沙織を落ち着かせながら兼人の動向が気になって仕方がないが・・いくら幼馴染とは言え今の明人には兼人の考えが全くと行っていい程分からない。そんな2人を尻目に兼人は地下を歩き続け目当ての部屋へと到着する。
 
「ついたぞ」
 
「ここは? こんな所に部屋など作った覚えはないぞ」
 
「当たり前だ。ここの部屋の存在は俺やごく一部の者しか知らせないようにしていたんだ。勿論、社長であるお前にもな」
 
「・・なんだと」
 
兼人の言葉に明人は己の耳を疑うが、こうして目の前に存在している地下室が事実である事を否でも認識させられてしまう。恐らくこの部屋はこの会社を建築する段階から立案されたのだろう、本来ならば社長である自分に必ず報告が上がるはずなのだが、極秘で緘口令を敷かれてたようだ。だけどもこれは明らかに明人への越権行為であることは間違いない個人的には見逃しいてあげたいのは山々ではあるが、それだと会社としての体裁が保てない。
 
しかし当の兼人はと言うと涼しい顔を保ったままカードキーを通してパスワードを入力する。
 
「・・小林、俺達は昔からの夢を叶えた。だがその結果として社会的立場が上がり過ぎてしまい、それを維持するために親としての職務を俺達は放棄してしまった」
 
「だから私達は親として当たり前のことが出来なくなってしまった。一般の家庭なら当たり前にしていることが・・な」
 
「そうだ。俺達は叶った夢を維持することばかりに夢中で肝心の親の責務を後回しにした・・いや、正確には自分が必死で積み上げてきたものを手放すのが怖かったのかも知れん。その結果として俺や沙織は子ども達を守れなかった・・」
 
薄暗い地下室での静かな会話、3人とも昔からの夢を叶えた・・しかし今度は叶った夢は高すぎる社会的地位となり3人に試練として襲い掛かる。高すぎる地位は些細な事でも過敏に反応してその地位にいるものは常に危険な綱渡りを強要され、常にそれを維持するためには徹底した露払いをしなければならない。兼人はパスワードを打ち終えると先ほどの言葉の続きを述べる。
 
「だが、そんな俺達でも出来ることはある。
・・小林、さっきの言葉の反論だ、俺は自分の娘と一般人を命を賭けて救い出す。
 
これから入る部屋が俺なりの答えだ」
 
そして部屋の扉が開く、そこに現れた光景に明人と沙織は絶句するのであった。
 
 
 
明人と沙織が目撃したもの・・それは常日頃から自分の子ども達をガードしてくれる警備会社の人間達の姿であった。周囲にはペンタゴンで使われている最新の軍事コンピューターを始めとして最新の拳銃の弾薬や最新の重火器や果てには戦車をはじめとした装甲車に戦闘機の姿も見える。ここまできたら会社と言うより完全なる軍事基地と言うべきだろう、その設備はそんじょそこらの軍事基地よりも遥かに充実しており、どこかの部隊といっても過言ではないだろう。
 
「会社の地下にこんな設備があったとは・・」
 
「彼等の警備会社を俺達の会社の本社に直結させれば有事の際はすぐに動ける。・・だが世界的に有名な平塚の本社にこんな軍事組織があると知られれば反戦団体が五月蝿いし、世間的にも良いものではない。何よりも国家間の無用な争いに巻き込まれる恐れが出てくるからな。だからここの存在は秘蔵したんだ、社長のお前にも秘匿してな、お前に知れれば真っ先に反対されそうだからな」
 
タバコを吸いながら兼人は説明を終える、このような軍事システムが世界的にも圧倒的な地位を誇る平塚にあるとわかれば世間はきっと許してくれない、明人は平塚の社長だ。公私共にクリーンな存在でならなければならない、だからこそ兼人はこの軍事システムの存在を厳重な秘匿を重ね続け今日に至る。
 
「これが俺の答えだ。・・俺を処分するなら全てが終わってからにしてくれ」
 
「・・全く、お前の行動力には驚かされる。処分はとりあえず保留しといてやる」
 
「十条。・・さっきはすまなかった、お前がここまで考えているなんて」
 
「俺はお前達夫婦が表で輝いてくれればそれでいいんだ。小林、お前は良い母親だよ・・演技でもない本物のな」
 
ようやく落ち着きを取り戻した3人の目の前に警備会社の社長・・指揮官が姿を表す。
 
「ふ、副社長殿!! それに社長殿や奥様まで・・」
 
「俺が通した。・・状況はどうだ?」
 
「ハッ! 現在の所、諜報隊が総力を上げて犯人の捜索に当たっております。犯行声明は未だに上がってきておりません」
 
「そうか。未だに犯行声明がないのが気がかりだな」
 
「十条、犯人との交渉は私がやる」
 
「沙織・・大丈夫なのか? ここは十条が適任だと思うが」
 
いくら沙織が女優だからとはいえ演技と現実は違う、それは沙織が一番分かっている事だ。交渉事なら普段からしている兼人が適役だと思うのが明人の考えだが沙織は頑として譲ろうとする気配を見せない。
 
「いいじゃないか。世界的に有名な小林なら相手も油断してくれる」
 
「・・わかった。沙織、任せたぞ」
 
「心配するな、私は女優だ。しくじりはせんよ」
 
あらかたの役割が決まった後、再び来訪者が現れる。
 
「遅れて申し訳ない」
 
「ど、どうも・・」
 
新たに部屋に現れたのは慶太と辰哉、2人もまた香織や狼子を救い出すためこの作戦本部へと足を運んだのだ、慶太と辰哉の存在に明人と沙織は驚きを隠せない。
 
「け、慶太ッ――!! ・・なんでお前がここにいる!!」
 
「俺が呼んだんだ。お前等も知っての通り慶太なら実戦を知らん人間でもないからな・・ただ、そいつは誰なんだ?」
 
「悪いなおじさん、こいつは誘拐された一般人の恋人だ。どうしても着いてくるって聞かないもんだからな、何かの役には立つだろうし」
 
「慶太、これはお前がしていた訓練とは違うんだぞ!! もしお前の身に何かあれば・・」
 
「母さん、親父・・それぐらいのことは訓練や実戦をしてた時から覚悟してたさ。だからこそ俺はあいつ等を助け出す」
 
慶太の並々ならぬ覚悟に沙織と明人は確かな成長を感じ取る、そしてその慶太の覚悟に辰哉も己の気を引き締めて全てに集中する。
 
「全く、いつの間にか私の子どもは逞しくなったものだな・・」
 
「そうだな。・・それで君は確か本社の見学にいた?」
 
「へ? あ、ああ俺は・・」
 
「た、大変です!! 犯人からの犯行声明が上がりました!!!」
 
「何だとッ!! すぐに回線をこっちに廻せ!!!」
 
「ハッ!!」
 
すぐさま回線が廻され、全員が固唾を呑んで見守る中・・ついに犯人からの声明が上がる。
 
 
 
“ごきげんよう、諸君。
我々は・・そうだなパープルレインとでも名乗っておこうか。さて我々がこうして声明を上げたのは他でもない、平塚コーポレーションの副社長の一人娘と日本人を誘拐した。人質の命が大事ならばすぐに現金90億ドルと純金500kを要求する”
 
「随分と無茶苦茶な要求だな」
 
「現金と純金に分けたのは犯行の長期化だろうな、人質の消耗を狙って俺達の動揺も狙っているとみえる。・・それじゃ、頼んだぞ小林」
 
犯人の無茶苦茶な要求に明人と兼人は思わずたじろいでしまったが、人質がいる時点で状況的にはこっちが不利なのは明白。後は沙織の交渉次第でどれだけ有利に転ずるか・・誰しもが自然と沙織に注目が集まる。
 
『・・その要求をこっちが呑めば2人とも解放するんだな?』
 
“へぇ~、その声はあのSAORIかい? 俺、ファンなんだよね。大女優に誓って約束しよう、渡すものさえ渡してくれれば人質は解放しよう。指定場所はまたこちらから連絡する”
 
『その前に2人は無事なんだろうな?』
 
“ああ、無事だとも。声は聞かせてやることはできないが姿だけなら見せてやろう”
 
「ろ、狼子!!!」
 
画面上からではあるが、口を縛られた狼子と香織の存在が映し出される、その光景に沙織は目を堪えそうになってしまうがそれを表情には出さず淡々と見守る。
 
「・・・母さん、一つだけ確認してほしいことがある。受け渡し時の人物はこちらで決めて良いのか?」
 
『受け渡し時の人間に条件はないのか?』
 
“2人だ、ただし・・丸腰でな。そうしたら人質は返してやろう。人員は好きにすればいいさ”
 
『わかった』
 
犯人の回線が閉じられる、周囲から重苦しい空気が立ちこめる間もなく指揮官の檄が飛ぶ。
 
「発信機の逆探知は出来たのか!?」
 
「ハッ! 発信機の場所からして場所はカルフォルニアの郊外ですが、恐らくそちらには既にいないでしょう。既に先遣隊を向かわせましたが結果は同じでしょう」
 
「手掛かりを決して逃さぬよう先遣隊にいっておけ!!!」
 
指揮官の檄が飛ぶ中で慶太は冷静に状況を推察しながらこれからの行動を組み立てていく。
 
「受け渡しの人選だが、俺とこの辰哉君で向かおうと思う」
 
「慶太が行くのに私は問題はないが・・ところでそちらの少年は一体誰だ?」
 
「ああ、彼は・・」
 
ここで慶太が先ほどのあらましを説明する。慶太から全ての説明が終わった後、明人がどっと疲れた表情を滲みだす。狼子の学校には明人が自ら説明をして半ば強引に納得させたのにまたあの話し合いをするのにはかなり骨が折れる。しかし連れてきてしまったものは仕方のない事だしここまで来てしまったら辰哉に期待するしかない。
 
「全く・・しかし連れてきてしまったものは仕方がない。辰哉君と言ったな、慶太はああ言っていたが大丈夫なのか?」
 
「は、はい!! 俺は・・香織さんと狼子を救って見せます!!」
 
「辰哉君、言葉で決意を言うのは少しだけ勇気を出せば簡単なことだ。だけどそれを実際に行動に移すのはそれだけではダメだ、それ相応の働きをここにいる小林達に見せ付けなければならないんだぞ?」
 
タバコを吸いながら兼人は辰哉に重く問いかける、兼人の非常に重い問いかけに辰哉は一瞬だけではあるが迷いが過ぎってしまう。しかし伊達に辰哉とて聖や翔と一緒に行動していたわけではない、聖や翔はこれくらいの迷いを振りきっている・・自分も彼等の後輩なのだからこれくらいの事で折角の決意がぶれてしまうようであったら容赦なく2人に怒鳴られてしまうだろう。
 
辰哉は一呼吸置いて大人3人に全ての想いをぶちまける。
 
「俺は・・俺は確かに何も出来ないちっぽけな人間だ。だけど狼子を救いたいという想いはここにいる誰にも負けません!!!!
 
慶太さんと比べて技術はないけども・・狼子を救いたいというこの気持ちは誰にだって負けません――――!!!!!!!!」
 
辰哉の心からの叫びに一同は静寂を保っていたがここで沙織が真剣な眼差しで辰哉を見つめながら言葉を投げかける。
 
「・・君の気持ちは解った。慶太、彼も同行させてやれ」
 
「わかった。母さん」
 
「ありがとうございます!! 俺・・絶対に2人を救って見せますッッ!!!!」
 
辰哉の精一杯の決意表明がどうやら沙織に心を突き動かしたようだ、明人はそんな2人のやり取りを見ながら少しだけ微笑を見せる。
 
「いいのか、沙織?」
 
「ああ・・私達のような老人よりも若い人間の方が適任だ。私達は若い人間を支えてやるのが丁度いいさ」
 
「・・そうか」
 
「悪いが時間が惜しい、俺はこれから辰哉君と軽く準備を整える。行くぞ」
 
「はい!」
 
慶太は辰哉を引き連れてそのまま別室へと引き連れる、慶太とて素人の辰哉をそのまま連れて行くわけではない。出来る限りの知識と技術を短い時間の間で辰哉に全てを叩きこむ腹積もりであった。
 
 
 
薄暗い一室、その部屋に女の監視付きで香織と狼子は人質として拘束されていたが、既に2人の拘束具は外されており割と自由な格好でジュースを口にしながら人質としての生活を送っていた。
 
「ふぅ、これで犯行声明としては上出来でしょ」
 
「あなたには頭が上がるわ。“私達を拘束してくれ”って・・人質が言う台詞じゃないわね。それに現金の純金に分けるなんて・・ボスも感心してたわ」
 
今回の犯行声明は本来の彼等の声明とは大きく違っている、人質の拘束と現金と純金の受け渡しを提案したのは香織だ。彼等からしてみれば現金さえ貰えばそれでいいのだが、そこに香織がケチをつけてわざわざ現金と純金の2種類の受け渡し方法に変更させたのだ。隣にいる狼子もここにいる香織の思惑が全く持って分からない・・
 
「一つだけ聞かせて、何で私達にここまで優位な方法を提案するの? あなたは人質なのよ」
 
「別に大した事じゃないわ。私達はあくまでも人質なんだから・・それにあなた達も世界的な大企業に喧嘩を売るんだから、やるならばもっと大々的にしたほうがいいでしょ?」
 
「あなたって・・一体どっちの味方なの?」
 
「さぁね」
 
そういって香織は平然とソファで寛ぎながらのんびりとテレビを見つめる、監視の彼女からしてもここまで肝の座った人質は早々見た事がない。本来こういった状況ならば恐怖心が勝ってパニックになってしまうのが通例ではあるが、こと香織に関しては捕まった時と同じように平然としながら持ち前の余裕を全然崩してはいない。
 
「香織さん、俺達・・」
 
「そう不安になる事はないわ。後は彼等を信じましょ・・愛する彼に手紙も出したことだしね。それにしてもこのテレビは面白いわよ!!」
 
「そうなのか・・おお、SAORIが出てるじゃないか!! やっぱりアメリカでも有名なんだな」
 
(な、何なの・・この娘達、人質としての恐怖はないの!)
 
監視の彼女は狼子と香織の余裕に疑いを覚えてしまうが、末端の自分がいくら疑惑を持ってもボスが承認しているのだからいくら考えたって無駄と言うものだろう。それに今度は自分が下手に行動を起こしてしまえば不穏分子として逆に処分されてしまうかもしれない、ここは自分に科せられた任務として彼女達が変な行動を起こさないように目を光らせるだけで良いのだ。現に彼女は昔からそういった訓練を受けているので人の動向を見守る事など簡単だ、それに彼女達の武器は全て回収したので出来ることなど限られるし今の自分でも簡単に処理できる、
 
「ま、残り少ない人質生活でも送っておきなさい」
 
「そうさせてもらうわ。それと受け渡し場所についてはボスは何か言ってた?」
 
「ええ、承認したわ。狙撃ポイントも皆無だし安心して受け渡しが出来るわ」
 
「よかったわね。それじゃこのパソコン借りるわね、娯楽があるって便利ね」
 
そういって香織は静かにパソコンを起動させながら彼等の決起を待ち続ける、香織に出来ることは全てやった・・後は彼等の動きを待つだけだ。
 
 
 
緊張が走る作戦本部では別室で特訓していた慶太と辰哉が急遽呼ばれ指揮官主導の元、集合が掛けられていた。
 
「どうしたんだ?」
 
「あれから犯人のアジトを特定した後、こんなものが発見されました」
 
「何だ? ・・手紙、しかも辰哉君宛てになっているな」
 
「え!? 俺ですか・・」
 
あれから先遣隊の努力によって犯人の第二のアジトが発見されたがやはり蛻の殻だったのだが、代わりに残された手掛かりとしてとある手紙が発見された。しかもその手紙は辰哉宛だったので辰哉として見れば余計に緊張が走る、辰哉は手紙を受け取ると封書を明けて手紙の中身を全員の前で読み上げる。
 
「え~っと・・“辰哉へ、俺はこの修学旅行はメッチャ面白かった。こんなことになって残念だけど、俺は俺なりに辰哉の無事を祈り続けている。聖さん達に暫く会えないのが辛いけどそこはうまいところ辰哉の口から伝えておいて欲しい・・犯人からの要求は既にそっちに伝わっていると思う、受け渡し場所はCADの1456番地というとこで日付は明日の昼だ。美味いこと渡すものを渡してくれればまた辰哉と会えると思う、決して変な気は起こすんじゃないぞ。俺は辰哉が生きてくれればそれでいいんだ。
聖さんに聞かれてしまえば怒鳴られちゃうかもなじゃあな、無事でいてくれ  月島 狼子。
 
PS、この手紙はシャーペンで書いているので消えないように気をつけてくれ”
 
狼子・・あいつ等!! 慶太さん!!! 俺は狼子を・・」
 
「焦るな!! 気持ちを昂ぶらせてしまえば付け入る隙を与えてしまう。ここは受け止めるんだ」
 
慶太に抑えられ、辰哉は昂ぶる気持ちを必死に抑えながら冷静さを取り戻す。若干興奮が収まらないまま、手紙をよくよく見て見るととあることに気がつく。
 
「この手紙・・前に旅行した時に買ってやったものだ。確か付属の蛍光ペンがあれば浮かび上がるやつだったよな、ちょっと面白そうだったから俺が狼子に買ったんだっけ」
 
「何だと。・・――ッ! 辰哉君、その蛍光ペンに消しゴムを貸してくれないか?」
 
「は、はい・・どうぞ」
 
そのまま辰哉は付属していた蛍光ペンと消しゴムを慶太に手渡す、そのまま慶太は手紙を取り出すと・・あろう事が内容を消しゴムで全て消し去ろうとしていた。突然の慶太の行動に辰哉は無論、沙織や明人・・兼人まで驚きを隠せないでいたが慶太はそんな周囲の様子などお構いなしに手紙の文面を消し続ける。
 
「け、慶太さん!! 何をするんです!!!」
 
「そうだぞ!! 貴重な情報を・・!!」
 
「この文面が全部シャーペンだとしたら・・よし、後は消した部分をこの付属の蛍光ペンでなぞれば!!」
 
綺麗サッパリ文面を消し続けた慶太はそのまま付属の蛍光ペンで消した部分をついでになぞり続けるととある文字が浮かび出す、その文面は先ほどの狼子の筆跡とは違って香織のものであった。慶太はその文面をまじまじと見つめるとようやく全ての意図を把握する。
 
「あいつ・・」
 
「坊ちゃま・・どうされました?」
 
「さっきの文面は奴等を欺くためのフェイクだ。これが本来俺達に伝えたかった文面だ、奴等の人数と組織関係に連中の武器の詳細が事細かに書いてある」
 
「何ですと!!」
 
指揮官が手紙を見ると文面からは犯人達の情報とこれからの行動が事細かに書いており、指揮官は目を丸く刺せながらまじまじと文面を見ていた。辰哉も文面を見させてもらうと香織の鮮やかとも取れる大胆さに感心しつつも闘志を湧きあがらせていた。
 
「よしっ! 犯人達の目星は突いたなら俺達がここで行動を起こせば・・ッ!!」
 
「待て、ここで俺達が動いてしまえばそれこそ人質の無事が保障できなくなる」
 
「し・・しかしっ!!」
 
「坊ちゃまの言う通りだ。ここで我々が行動してしまえばお嬢様の努力が水泡に帰してしまう。受け渡し場所はまっさらな荒野で周囲には狙撃ポイントがないのが痛いがこっちにはこの情報を元に装備を整えればいい」
 
「香織ちゃんが戦ってくれているんだ。俺達もそれに応えなくてはな・・十条、手はずは整えられるか?」
 
「ああ、既に現金化は完了している。後は・・お前達次第だ」
 
自然と辰哉と慶太に周囲の視線は集中している、2人はそれ以上言葉を発することはなかったがプレッシャーを力に変えて戦いの時を待つのであった。
 

 
そして翌日、待ち合わせ時間の三時間前に辰哉と慶太は両腕にアタッシュケースを抱えながら姿を表すと場所を確かめながら周囲を入念にチェックしながら地雷等の罠がないかを細かく洗い出す。一時間掛けてようやく周囲の安全を確信した慶太はアタッシュケースを置くとそのまま水を取り出し水分補給をする、さすがに夏を過ぎたとはいっても現地の温度はかなり暑い・・2人とも最新型の防弾チョッキを装備しているとはいっても蒸し暑さが身体に纏わりつく。
 
「ふぅ、流石に暑い。辰哉君、大丈夫か?」
 
「はい! 狼子達の苦しみに比べればこんなの屁じゃないです!!」
 
「頼もしいな。・・一応、今の状況について説明しよう。俺達の所在地は人工衛星を通して作戦本部と連動している、幸いにも荒野なので視界は余りよろしくはないので目視で気ないギリギリの所で仲間が待機している」
 
辰哉達の行動は最新の人工衛星を通じて作戦本部に通信されるので万が一何かあってもすぐに対応が可能となる、それにこの発信機の特徴は音声だけでなく映像までもが衛生に内蔵されているカメラを通じて受信されるので彼等の行動が常に把握できるのである。
 
「俺達の装備は拳銃と弾薬だ。教えた通り、大事に使うのは勿論だが使うところはきちんと使っておけ。安全装置の解除の仕方は把握しているな?」
 
「はい」
 
「・・よし、もう少しで時間だな。辰哉君、早まった行動だけはするなよ」
 
「わかってます。・・!!」
 
上空からヘリコプターのプロペラの音がけたたましく鳴り響く、大型のヘリが着陸を終えると中からは狼子と背後に銃を突きつける。
 
「辰哉!!」
 
「狼子!!」
 
『おっと、騒ぐのはそれまでにしておけよ。さぁ・・早いところ物を寄こしな』
 
『まずは人質の解放が先だ。・・と言っても信じて貰えないだろうからまずは目視でこれを確認して貰おう』
 
慶太は持っていたアタッシュケースを開けるとドル札がぎっしりと敷き詰められている。
 
『本物だろうな?』
 
『本物だ』
 
『・・中で確かめる、暫く待っていろ』
 
「辰哉ァァ!!」
 
「お、狼子!!!」
 
犯人はアタッシュケースを抱えながら狼子を引き連れて再びヘリの中へと入っていく。
 
 
 
ヘリの中・・狼子は香織のいる別室へと連れていかれ男達は早速アタッシュケースの中のドル札を念入りに確認していく、狼子は香織の居る部屋へと戻ると監視役の女が狼子に話しかける。
 
「どうだった? 久々の恋人との再会は・・」
 
「辰哉・・」
 
「あらあら・・ショックが大きすぎてダメね」
 
女が狼子の様子を観察し終えると香織はジュースを飲み終えてそのまま監視役の女へと手渡す。
 
「もういいわ。ごちそうさま・・後は飲んで頂戴」
 
「あら? どう言う風の吹き回し・・あなたの作戦どおりに事が運んでいるのに」
 
「・・つべこべ言わずに早く飲みなさいよ」
 
「強情ね・・いいわ、乗ってあげる」
 
女は香織から手渡されたジュースを一気に飲み干すと突如として女の身体からは強烈な酸い間に襲われる、朦朧とする意識の中・・女が最後に見た光景は勝ち誇る笑みを浮かべた香織の姿だった。
 
「あ・・あなたっ!! 仕組んだわね!!」
 
「この時を待っていたわ。あなたが隙を見せる瞬間をね!! プロならば相手のさり気ない動向を見逃さないことね・・それじゃ、お休み」
 
「そ・・そんな・・・」
 
女は意識を失い、香織はそのまま女が装備していた銃を奪うと狼子を引き連れて部屋を進む。一方の狼子は突然の出来事に頭がついてこれなくなって軽いパニックを起こしてしまう。
 
「え、えええ!! か、香織さん・・一体何がどうなって」
 
「いい!! あんたは私の後をしっかりとついてきなさい。じゃないと・・死ぬわよ!!」
 
「は、はぃぃぃぃ!!!」
 
香織は間髪入れずに狼子を落ち着かせると銃を構えたまま部屋から部屋へと突き進み、拳銃一つで並み居る猛者どもを順続けに倒し続け途中からマシンガンと拳銃のカートリッジを奪いながら狼子を安全な場所へと避難させながら犯人グループを順調に倒していった。
 

 
その頃、辰哉達も銃声を聞きつけた瞬間に慶太が辰哉に突撃の合図を掛ける。
 
「よしっ、辰哉君。銃の安全装置を解除して俺の後について来い! 雑魚は俺が蹴散らすから君は俺の後方をしっかりと着いていくんだ!!!」
 
「はい!!」
 
慶太と辰哉は銃を構えるとそのまま中に突撃を開始し、中にいた並み居る軍人上がりを一人残らず撃破し続けながら香織達の元へと突き進む。
 
『だ、誰・・グワッ!』
 
「こいつは弾薬か。それにマシンガンとは有難い!!」
 
「す、すげぇ・・慶太さんってこんなに凄い人だったのか」
 
(あいつ・・どこにいやがるんだ!!)
 
内心に若干の焦りを宿しながらも奪ったマシンガンで敵を倒し続ける、一方の香織は狼子を引き連れながらもマシンガンで敵を蹴散らしていたのだが、弾切れによって拳銃に切り替えて狼子を引き連れながらそのまま引き続き敵の包囲網を次々に突破していった。そして慶太の方も警戒心を全く解くことがなく、順調に蹴散らしながら曲がり角を突き進むと・・とある人物と銃を突き合わせる。
 
「「・・・」」
 
慶太と香織、銃を突き合わせながらではあるがようやく再会することが出来たようだ。そして一方のこの2人は・・
 
「辰哉ぁ・・辰哉ァァァァァ!!!!」
 
「泣くなよ狼子。また俺を噛んでくれ」
 
「バカヤロウ・・」
 
がっちりと抱き合いながら感動的な再会を迎える辰哉と狼子・・たった僅かな時間ではあるが離れ離れになった2人にとってこの光景は一生忘れられない思い出となるだろう。
 
「・・さて、いくわよ」
 
「あらかたの敵は全滅させた。ヘリの周囲はガード達で固められているから安心だろう」
 
「そうね、残るは主犯格のみ・・一気に叩くわよ」
 
「ああ、このまま行くぞ!!」
 
そのまま慶太と香織は銃を構えたまま一気に残りの犯人達の所へと突き進んだ、辰哉と狼子もいてもたってもいられずに2人の後を自然と追う。
 
 
 
主犯格のボスは2人の人間と共にようやくアタッシュケースの中のドル札の鑑定が終わり一安心しきっていた、勿論外の様子など露知らずに・・
 
『ようやく、終わったな』
 
『はい。金は全て本物・・後は人質を連れてこのヘリを動かせましょう』
 
『そして残りの純金も回収すれば歴史に名を残す平塚への企業テロは完璧に遂行です』
 
3人は高笑いをしながら勝利の余韻に酔いしれる、この計画を実行に移すまで1年近く・・最初は來夢を拉致する予定だったのだが、思わぬ形で辰哉と狼子と言う存在を掴んだのは思わぬ収穫を彼等にもたらす事となる。そもそもこのグループのボスはアメリカ軍では名誉除隊を受けたほどの地位を持つ高翌歴の持ち主でもあったため武器やヘリなどは闇ルートを介せば、あっという間に揃えるのは彼にしてみれば容易なことであった。そもそも彼が名誉除隊を受けた時、思いついた野望は世界的圧倒的なシェアを誇る平塚への企業テロ・・人数のほうも元エリート軍人と言う地位ということがあってか現役時代からそれなりに伝はあったし、皆も自分の主旨を話せばあっさりと賛同してくれた。
 
計画を立てて実行に移した時・・全てを完遂したら男の全てが満たされる。
 
『フフフ・・それにしてもあの女はとても素晴らしい、とても平塚の副社長の娘とは思えんくらいだ。このままうまい事こっちの元に寝返ってくれないかな』
 
『そんなの・・死んでもお断りよ!!!!』
 
『だ、誰だ!!!!』
 
扉を突き破って現れたのは慶太と香織、2人はそのまま持っていた銃で一瞬で部下の2人を仕留めると銃口をボスに突きつける。
 
『大人しく降参しろ。お前の仲間は既に誰もいない』
 
『き、貴様等!!! どうやってここに・・それにお前は監視が付いていたはずじゃッ!!』
 
『・・決まってるじゃないの飲みかけのジュースに即効性のある睡眠薬を飲ませたら一発で眠ったわ』
 
『お、おのれ――・・』
 
もはや自分の最期を感じてしまった男であったが、ここで辰哉と狼子が現れる。
 
「間に合ったか・・慶太さんっ!!」
 
「この野郎・・よくも俺をこんな目に合わせてくれたな!! 聖さんから教わったこの喧嘩術で・・」
 
『――!!』
 
男は香織と慶太の一瞬の隙を突いて狼子の背後に廻りこむと顔に銃口を突きつけてお決まりのポーズで狼子を人質に取る。慶太と香織はそのまま男に銃口を突きつけようとするが、男は大声で2人を制止させる。
 
「え・・」
 
『動くなッ!!! この女の命が惜しければ・・武器を全て捨てろ!!!』
 
「クッ・・」
 
「なんで・・あんた達がここにいるのよ!!」
 
慶太と香織は苦渋の表情に満ちながらも持っていた武器を全て捨て去る。男はそのまま慶太と香織を充分に警戒しながら様子を伺う、一方の辰哉はこのとんでもない状況に内心はアタフタしながらも必死に冷静さを取り戻そうとするが・・狼子との感動の再会を果たしたのにまたもや狼子を人質に取られる状況になってしまって後悔と絶望感が脳裏を伝って心身ともに一瞬で支配されてしまう。
 
「そ、そんな・・折角――折角狼子と会えたのにまたこれかよ!! 畜生ォォォォォォォ!!!!!!!!」
 
何も出来ない自分への歯がゆさからか、思いっきり床を何度も叩く辰哉・・そんな辰哉の様子を狼子は静かに見つめることしか出来ない。
 
「辰哉・・ごめんなさい。俺のせいでまた迷惑を掛けてしまって・・」
 
『さて、これで形勢逆転だ。この際、純金も全て渡して貰おうか――ッ!!!』
 
「チッ、こんなことなら早めに仕留めておけば・・」
 
「あんたが柄にもなく格好つけるからこんなことになったのよ!!!」
 
「う、うるさい!!! 元を糺せばお前が油断したからこんなことになったんだろ!!!!」
 
「なんですって!!!! 後でその生意気な口ごと撃ち抜いてやるわ!!!!!」
 
こんな状況にも拘らず、相変わらずの舌戦を繰り広げる2人に男のイライラもピークを迎える。
 
『この女の命が惜しくないのかッ!!! ならば引き金を引くぞ!!!!』
 
「辰哉―――ッ!!!」
 
「や・・やめろォォォォォォォォ――――!!!!」
 
 
 
引き金の音が部屋中に響き渡る・・慶太と香織が舌戦を中断するとそこには銃を構えていた辰哉と・・右肩を撃たれて痛みのあまり狼子を離してしまった男の姿があった。辰哉はそのまま銃を投げ捨てるとそのまま腰がひけてしまってヘナヘナとその場に座りこんでしまう。狼子は一目散に辰哉に駆け寄りそのまま泣きながら辰哉を抱き締める。
 
「ハァハァ・・」
 
「バカ野郎ォ・・ほんとにお前は大バカだよぉ・・・」
 
『グハッ・・こ、この餓鬼ィィィ―――!!』
 
男は痛みを堪えながら今度は銃口を辰哉に向けようとするが慶太に先ほど撃たれた右肩を殴られ、倒れた瞬間に香織に顔面に蹴りを入れられて額に銃口を突きつけられる。
 
『観念しなさい。・・今度は本当に撃つわ』
 
『く、くそぉ・・』
 
男は出血の影響でそのまま戦意を喪失し気絶してしまう、その瞬間に一気にガードの人間がその場になだれこみ今回の誘拐事件は終息を向かえるのであった。
 

 
サンフラシスコ空港・・
 
 
「それじゃ・・」
 
「色々とお世話になりました」
 
本来なら辰哉達のクラスは他の学年と合わせて昨日の時点で帰国しているのだが、2人はと言うと礼の誘拐騒動のおかげで帰国が1日伸びてしまったのでようやく帰国を果たす。
 
「また遊びに来てくれ、俺達はいつでも歓迎する」
 
「今度また僕の料理も食べに来てね」
 
「次はちゃんとした旅行をしなさいよ」
 
慶太、香織、來夢の見送りの言葉が送られる中、明人と兼人が2人にこれからの状況を話す。
 
「君達の学校には俺が表向きに旅行上のトラブルという形で話をつけている。だから安心して学園生活を送って欲しい」
 
「帰国したら話したい気持ちは解るが、俺達の存在はあまりおおぴらにしないでくれ。じゃないと変なトラブルに巻き込まれるからな」
 
「はい、色々とご迷惑をお掛けしました」
 
「辰哉の癖に生意気な!! 噛んでやる!!!」
 
「痛ててて!! 別れぐらい素直にさせてくれ!!!」
 
辰哉と狼子の様子を見て周囲から笑いが広がる中、最後は沙織が締めくくる。
 
「日本に帰国したらある人物へ伝言を頼まれてくれないか?」
 
「ある人物って誰ですか?」
 
「もしかして礼子先生のことかな」
 
「礼子・・だと・・」
 
ふと、狼子が漏らした礼子の名前に沙織は反応を示す。かつて沙織と礼子は過去にひと横着を起こしており、沙織としては長年礼子の存在が頭からちらついて中々離れずにいたのだが、まさか狼子達の関係者になっていたとは・・偶然とは恐ろしいものである。
 
「あの・・礼子先生がどうかしましたか?」
 
「いや、いいんだ。会ったら伝えてくれ・・“私はもう一度小林沙織として会いたい”とな」
 
「よく解りませんがあったら伝えておきます」
 
「ああ、頼んだよ。それにそろそろ時間じゃないのか?」
 
狼子と辰哉は腕時計を見るとフライトまで10分を切っており、慌てて2人は空港乗り場へと駆けだす。
 
「ヤベッ!!! 狼子、早くしないと乗り遅れるぞ」
 
「マジかよ!!! そ、それじゃ・・あばよ!!!!」
 
平塚家と十条家の一家総出の見送りの中、辰哉と狼子は猛ダッシュで消え去った。狼子達が消えた後、慶太達は色んな意味で今回のことを振りかえる。
 
「面白い2人だったね」
 
「まぁな。日本は凄いんだな」
 
「さてこうして皆揃った事だし・・どこかへ行きましょ」
 
「お前にしてはいい提案だな。乗ってやるよ」
 
和気藹々としている子ども達とは対照的に大人達も今回の出来事を振り返りながら青春真っ只中の辰哉と狼子に昔の自分達をダブらせる。
 
「若いって良いな。私も昔が懐かしい」
 
「そうだな。俺も沙織と日本にいた時のことを思い出してしまった」
 
「そこで昔のバカップルに戻って勝手にやってくれ。・・さて、お前等こいつら放っておいてどっかにいくか!!」
 
「「「OK!!」」」
 
こうして辰哉と狼子の一生の思い出に残る修学旅行はここで終わった。
 
 
 
飛行機の中、辰哉と狼子も今回の出来事を振りかえる。
 
「今回の修学旅行は凄かったな」
 
「ああ!! 聖さん達には大っぴらに自慢は出来ないけど・・俺はすっげぇ楽しかった!!」
 
「俺もだ。・・狼子、俺h」
 
辰哉が決め台詞を言おうと思った矢先・・狼子が絶叫の叫びを上げる。
 
「ゲェェェェェ!!! 聖さん達にお土産買うの忘れたァァァァァァァ!!!!!!!!」
 
「何だと!! そういえば俺も先輩に買っておくの忘れた・・」
 
辰哉と狼子も今回の修学旅行では一生忘れたくても忘れられない深い思い出を作る事が出来た。少なくとも当人達にとっては・・
 
 
 
fin
 
 

 
おまけ
 
 
無事に東京の空港に着いた辰哉達、ボディーチェックをやりすごしてそのまま出口へ向かおうとした時・・辰哉がとあるカップルとぶつかってしまう。
 
「あっ、すみま・・」
 
「てめぇ!! この俺様に向かってしや・・辰哉に狼子じゃねぇか!!!」
 
「聖さん!!」
 
「せ、聖さん・・それに先輩!!」
 
辰哉がぶつかったのは極秘旅行から帰ってきた聖と翔、行く前から出会っていた辰哉はさして驚かないが狼子は驚きを隠せないでいた。
 
「聖さんに先輩!! 何でこんな所にいるんですか!!!」
 
「そ、そりゃ・・なぁ・・俺達だって色々あんだよ」
 
「え、えっと・・お前等だって何でここにいるんだ? お前達は昨日が帰国だった筈なのに・・」
 
まさか辰哉に会うと思わずしどろもどろしてしまう翔であったが、冷静さを取り戻すと逆に狼子達に突っ込みを入れる。
 
「あ、ああ・・まぁ色々あって」
 
「そ、そうそう。色々あったんですよっ!!」
 
「ふーん」
 
内心翔はつこっみたい気持ちはあったが、自分達も極秘行動の中の非公式な旅行なので学校関係者に見つかったら色々と拙い・・というか確実に進路に繋がる内申に多大なるダメージを与えてしまう。ここはお互いのためにも突っ込まない事を決めると聖にとある合図をする。
 
「ほ、ほら・・辰哉、お前赤福大好きだったろ?」
 
「え? 別に大好きでh・・」
 
「いいから遠慮なく食え!!! この相良様が全てやるっていってんだからありがたく受け取れよなッ!!!」
 
「し、しかし・・」
 
「遠慮なく受け取れってんだろッッ!! さっさと狼子とこれ食って今日のことは忘れろ!! いいな!!!!」
 
「と、と言うわけだ。じゃあな」
 
そのまま聖と翔は逃げるように狼子達の姿から消え去って行った。大量の赤福を抱えた辰哉と狼子は2人の行動が疑問に残って仕方ない。
 
「な、なぁ・・聖さんと先輩達はなんだったんだ?」
 
「さ、さあな。とにかく今日のことはお互いが忘れた方が良いみたいだ」
 
後日、聖と翔によく似たカップルが礼子の手によって保健室へ強制連行されたのを見た人間が大勢いたという。
 
 

 

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年11月10日 08:10
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。