無題 2011 > 06 > 29(水) ◆3FT9LO.i > 6

 それは、受験も無事終了しこれからようやく皆は休みになるのか、というような時期に差し掛かった頃のおはなし。
 俺は持病の喘息の所為で中学校の二学期後半から主治医の小さめの診療所で療養をしていた。と、行ってもこの場所にきてからの主治医だけれど。親元を離れて地方の診療所に主治医と一緒に住むようになった俺は、中学三年の後半のほとんどを授業に出ること無く卒業をして今に至るわけだった。
 すこしばかり話は変わるが、昨日は俺の誕生日。
 春休み、俺の誕生日は大体がその期間中に有った。今回も例外ではなく、知り合いも居なかったこともあり祝ってくれたのは主治医と、電話で両親。
 無事十五歳を迎えたことを喜んでくれて、さらに高校入学の祝い金と合わせて結構な額をくれる、とかいう話にもなった。
 そんな楽しい、しかし寂しい誕生日が明け、朝になってのことだった。
 ふと、体の痛みとともに目が覚めた。
 そこまで極端に痛い、というわけではなかった。体の中から、波打つように弱い痛みがずーん、ずーんと外側に向け伝わっているのだ。
 心配になった俺は、となりの部屋に寝ている主治医――古川 瀧(ふるかわ たき)の部屋を訪れた。
 ――連日の仕事で疲れてるだろうからな。あんまり起こしたくはないんだけど。
 小さな町。そこで数少ない診療所である古川診療所は、首都圏の診療所なんかよりよっぽど混み合う。
 だから連日瀧は忙しい体に鞭打って診療し続けていたのだ。
 カチャ、と扉が開く音が静かな廊下に響く。
 八畳ほどの部屋の隅っこ、そのベッドに寝ている瀧の元へと早足で移動する。
 瀧は、医者として優れている、というのもあったがそれよりも先に家柄の問題で、大分出世するのが早かった。現在二十五歳。それで、既に診療所の医者と成っている。
 ここら一帯の地主の家系らしく、それゆえにいろいろなところとつながりがあるのだが、そこら辺は割愛。
 兎に角、この体の内側から来る痛みについて、すこしばかり確認を取らなければ。
「……瀧。……瀧」
 俺の声を聞くなり、もぞもぞっと動き出し、そして上半身を起こしてからから、目をこする。
 未だに垂れ下がりそうなまぶたをしながらこちらを一見し、もう一度目をこすり、すぐ横のライトスタンドに置かれた眼鏡を手に取り、それを掛けジトッと見つめる。
「……誰だ? あんた」
「……は?」
 その回答に、寝ぼけているのだろうか。疲れているのなら、このまま寝かせてしまった方がいいのでは、という考えもよぎる。
「は? って、それはこっちの台詞だっての。誰なんだよ、あんた」
「俺は佳奈多だけど」
 それを聞いた瀧は、眉間にシワを寄せ、
「佳奈多……って、お前……平坂だとでもいいたいのか?」
「わかってるじゃないか。そうだよ。それ以外に何があるんだよ」
 なんだよ、からかってるのか? そんな想像も浮かんだが、どうにもそうではないらしい。
「……お前が……佳奈多? 俺が知ってる佳奈多は……男なんだが」
「……なあ、瀧。何が言いたいんだ? 俺は男じゃないか」
 ふざけてるようにも見えない、その真面目な眼光に射ぬかれ、徐々に不安になってくる。なんだ? 俺の体が何かおかしなことにでもなっちまってるのか?
 その想像は真に的を射ている答えだったみたいで。
「一回自分の胸に手を当ててみろ」
 半目の瀧に命令され、胸元に手を当てる。
 俺の手が触れたのは、普段の薄い胸板。――ではなく。なにやらふよっとした、言い換えれば太っている人のお腹にも近い感覚で――
 頭が真っ白になった。
「……は……?」
 そのままの勢いで、股間部に手を移動させる。
 いくらそこを触っても、触れなければいけないものが存在しない。
 なぜだ? なぜなんだ?
「お……い、た、き?」
「……な、なんだ」
 ゴクリと生唾を飲み込む音が鮮明に響き、
「俺……どうしちゃったんだ?」
「……俺にもさっぱり分からん」
 混乱した二人。そのうち片方は、どうにも女になってしまったようだった。


――――――――
――――

 目が覚めた。天井は、見慣れた診療所のもので。
 昨日は、どうしたんだっけか。
 ああ、誕生日会をやって、それで、夜になって……
 急に、ぞっと鳥肌がたった。昨日は、嫌な夢をみた気がした。
 それもとびっきり。
 思い出せ、思い出せ。
 そう。昨日の夜、俺は微妙な痛みを感じて瀧の元に行ったんだ。それからどうした。えっと、
 そこからしばらく思考を巡らせたのだが、どうにも出てこない。
 結局、思い出せないということはその程度の夢なのか、と思い寝返りをうった瞬間、思い出した。
 それは夢でも何でもない、という最悪の事実と共に。
 布団に"胸"が押し付けられた。
 俺は男であるはずなのに、唐突に現れた"胸"。そして、同じく唐突に消えた"男性器"。
 ――昨日の出来事が頭に蘇ってくる。
 そうだ、あの後俺は泣き崩れ、そしてそのまま気絶したんだ。
 きっと瀧が看病してくれたのだろう。
 忙しいのに、そんなことをさせてしまったのか。
 そんなことを考えていると、不意にカーテンが開いた。
「起きたか」
「瀧……か」
 よく周りを見渡すと、ここは俺の部屋ではなく、診療所の診察台だった。
 そこには、俺に声をかけた白衣姿の瀧の姿があり。
 なにやら書類を眺めている。
「ふむ。身体的な特徴は、佳奈多と同一、か。念の為に聞いておくぞ? ……本当に佳奈多、なのか?」
「そう、だけど」
「まあ、そうなんだろうな」
 そう言うと、手に持った書類を適当にペラペラめくり、
「寝てる間に調べられることは調べたが、身体的な特徴はほぼ失ってしまっているようだ。残ってるのは記憶だけ、って所だろうな。で、だ。これから血液検査を行う」
 診察台の横においてあった台のカバーを外すと、採血用の道具が現れる。
「調べるのは血液型。んで、採血してる最中に質問するから、答えてくれ」
「ん。……わかった」
 瀧は、俺に腕を出すように指示する。俺はそのとおりに台に腕を乗せると、ゴム管で二の腕あたりを縛られ、注射針を刺される。この痛みも、病気と長く付き合っていると慣れてしまうもので、既に平気になってきている。っと、それはどうでもいいか。
「まず、そうだな。俺の名前、は既に言ってるか。じゃあ、お前の年齢と血液型と趣味を言ってみろ」
「……昨日で十五歳。血液型はO型。趣味は読書だ」
「当たり、か」
 その返しにそもそも本人だ、とつぶやく。
「ま、だいたい分かってはいるんだけどな、ここまで変わられちまうと疑うのも仕方ないってもんだから」
「俺……そんなに変わっちまってるのか?」
「そうだな、少なくとも"俺"が似合うような顔じゃないな。あと、間違いなく人目をひく」
 瀧は、終わったぞ、と言いながら注射針を抜くと、さっさとトイレに向かうように促した。
「一回でも顔を見てきたら、自分でも納得出来るんじゃないか?」
「…………わかった」

 そう言って、トイレへと向かう。
 朝起きてからトイレに行っていないため、ちょうど行きたくもなっていた頃だから、ちょうどいいと言えば、ちょうどよかった。
 トイレに着き。鏡を眺めて呆然とした。
 ショートヘアーの、ずいぶんな美少女が目を丸くしてこちらを凝視していた。
 目の前に存在するそれが、"鏡"だとは到底思えないような。そんな感覚にとらわれる。
 手を鏡に触れると、少女も同じ動作で鏡に手を触れる。
 目元まで垂れ下がった髪の毛。それを、"俺"が掻き上げると、少女のきれいな顔が顕になった。
 大人びては居なくとも、十分に魅力的な顔。
 綺麗だが、俺の心はどんどん冷めていった。――この少女は、俺。俺は、この少女。ありえない世界に足を踏み入れてしまったかのようで、恐ろしくなる。
 全くどうして、女なんかになったのだろうか。
 少女は、今にも泣きそうな顔で、寂しそうにこっちを見ていた。
 自分の顔、と理解しても頭が認識していない今は、少女がこっちの気持ちを理解してくれているようで、嬉しくもなれた。
「そりゃ、泣きたくなるよな……」
 乾いた笑いも出てくる。
 一筋だけ、涙がツーッと零れ落ちるのを確認した俺は、人の目につきそうなこの場所に居たくなくなって、個室トイレへと逃げ込んだ。
 便座に腰をおろし、そこでついに決壊した。
 ポロポロと大粒の涙が溢れてくる。どうして俺が女にならなきゃいけないんだ、という気持ちも有ったが、それ以上に、一体何が起こったのか、これからどうするのか、という不安的要素も涙の大きな要因だった。
 十分ほど、泣きに泣いてから、トイレを出る。
 診察室へと戻ると、相変わらず瀧がその場にいて、すこしばかり安心。
「……佳奈多」
「……なんだよ」
「……期待はしないでおいてくれよ? ……治したいか?」
「治るんなら。けど、予め断っておくって事は、つまり治る見込みなんてほとんどないんだろ?」
 俺の言葉が図星だったのか、うつむいて、唸る。
「俺は医者だが、こんな症例診たことないからな。安心させるために嘘は言いたくないからハッキリ言わせてもらえば、ほぼ確実に治らないと思う。でも、こんなありえない事が起こるんだから、ひょっとしたらの可能性も考えて、だ」
「そっか……」
 瀧の言葉は、俺の心にぐさりと突き刺さる。確かに、この場で「絶対治る」なんて行って欲しくはないし、瀧のようにハッキリと言ってもらったほうが俺的には助かるんだけど。
「…………」
「…………」
 変な沈黙が部屋に生まれる。
 十秒、二十秒とその沈黙が続き、それを打ち破ったのは瀧だった。
「佳奈多」
「……なんだよ」
「戸籍、変えにいくか」
「は?」
「戸籍だよ、戸籍。お前の親御さんにもきっちり連絡して、この事は俺ら身内だけの秘密にするんだ」
 なんでだよ、と言いかけたその時。
「日本じゃありえないが、モルモットになんてされたくないだろ? ハッキリ行って、この事が公になれば大変なことになる。だから、公になる前に、片付けよう」
「そ、そうか。……わかった。でも、出来るのか、そんなこと」
「最近は性同一性障害の広がりも有って、戸籍を変えることは以前と比べれば全然楽になってきた。見た目が戸籍の性別と違えば戸籍の変更はさせてもらえるだろ。……それに、ここら辺の役場なら、俺だってだけで融通は利くから」
 その力強い言語に、俺は分かった、と頷くのだった。


――――――――
――――

 俺と瀧は町から出て、少しばかり大きな洋服店へとやって来ていた。
 買うのは、俺の洋服。言い換えれば、女物の下着と、女物の洋服。瀧は診療所を臨時休業にして、俺に付き合っている。
 ちなみに母さんに電話を掛けたところ、ものすごく驚かれたが、瀧の説明で、半信半疑ながらも納得してくれたようで、費用を即座に入金しておく、と言ってくれた。ただし、先に述べた誕生日と入学祝いの分を、という条件だったが。
 下着は既に見繕ってある。ものすごく恥ずかしかったが、それでも我慢してサイズを図ってもらった。……胸はBだそうだ。よくよく見てみると、発達はしていなかった。だからこそ、最初に気がつかなかった、というのもあるが。
「……なあ、瀧」
「なんだよ」
「洋服、どうやって選ぶのか分からないんだけど」
「俺だって女物は分からないっての」
 瀧に話を振った俺も馬鹿だったが、瀧はその後店員さんを適当に捕まえると、「こいつに似合う洋服を探してもらえますか」といい、どうにかなりそうな雰囲気になったのだが。
「ずいぶんと手馴れてるな」
「人と接する機会だけは多いからな」
「……ふーん」
 まあいいや。
 俺の前の店員さんが、俺に向かって、
「では、付いて来てください」
 と言った。俺は為す術も無く、それに逆らわず従い、店内をとことん連れまわされた。

 一時間ほど経っただろうか。
 ようやく店員さんから開放された。選ばれた洋服は総合計で二十着ほど。俺のもらったお金でまかなえるのかどうかがものすごく不安なラインに達していたが、不足分は瀧が補う、と言ってくれた。申し訳なくなったが、瀧いわく後で助手として働いてくれればいいとのことだったので甘んじてるけることにする。
 そして、そのうちの一着。俺的にあんまり違和感のないスリムジーンズとブラウスを着て、帰宅するのだった。
 今日はもう、なんにもしないで診療所にこもっていよう。いつも以上にそう思ったのだった。


――――――――
――――

 診療所に帰り、夕飯の支度(なにもしないつもりだったが、結局俺がやることにした)をしていると、瀧の声が聞こえてきた。
「はい。……はい。そういう事ですので、はい。詳しい事情等は……はい。はい。ありがとうございます」
 どうやら、電話のようだった。
 ルーを入れた鍋を混ぜていると、受話器を置いた瀧がこちらに向かってくる。
「高校の校長に、電話しておいたから」
「……なにを」
「うーん、なんというか書類上にミスがあった、ということで性別を女性に、って」
「それ、表面上の話だろ」
「さすがにバレるか」
「当たり前だ」
 どうして俺が、表面上の話だと分かったか、というと。瀧と俺が通う学校の校長は知り合いなのだ。勿論、家柄的に、だが。
 それで、顔が利くし、信頼もしているそうだった素振りを見ていたので、おそらくは、話したのだろう。事の真相を。
「ま、表面上はそういう事で通るから。安心して学校に通えるって訳だ。よかったよかった、コレが学校始まってからってわけじゃなくて」
 心底安心した、というような笑顔をこちらに向けてくる。それにつられて、俺も笑う。
「確かに、ね。怪しまれずにも済みそうだ」
「…………」
 瀧は、俺の言葉にかえさず、急に渋い顔になる。
 どうしたのか不安になり、
「ど、どうした」
 と聞いたが、帰ってきた答えは予想だにしないものだった。
「口調」
 清々しい顔をして、瀧は高らかに言った。
「口調を変えよう。一人称も、俺じゃなくせめて私、には変えておこう」
「な、なんでそんなことお前が決めてるんだよ」
「怪しまれる因子を除去するためだ。いつまでも男口調じゃ、そのうち怪しまれるぞ」
 言ってることはそのとおりなんだけど。
 でも、
「すっごく嫌だ」
「変えろ。命令だ。というか、矯正、いや強制する」
 壁にかかったカレンダーを確認し、
「新学期まで後一週間。みっちり仕込んでやるから」
 その時の瀧の笑顔がどうしようもなく怖かった。


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最終更新:2011年07月04日 03:19
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