ひっきりなしに空から降ってくる雪。
今年は例年以上に積雪量が多いらしい。
雪なんて今まであんまり見たことがなかったから
普通ならきっと久々に見る雪にワクワクしていたのかもしれない。
だけど俺はそれに感動を覚えられる余裕がなかった。
かなりの量の雪が降っているのにもかかわらず、俺は傘をささず
ただ一つの事を考えて頭を悩ましていた。
雪の冷たさを感じながらも俺の頭の中は一つの事で一杯だった。
中学三年生になってから
秋くらいまでは、みんな受験シーズンでこのままじゃ進学できないとか
数学がヤヴァイだとかそんな事ばかり話していたのに
進学が決まってからというもの話題はもう一つの重要な試験の事だった。
当然、その試験の内容は誰もが知っている。
だけど理不尽なのはそれが男だけの試験だってことだ
だから女子達はまるで見ているドラマの話をするかのように
笑いながらクラスの男子の話をしている。
男だけの試験。
……つまり『童貞卒業試験』だ。
それは、いつからかわからないけれども
中学を卒業する頃になると女性との経験がない場合
男性のおおよそ95%の人が女体化してしまうという
一種の病気のようなものらしい。
これは日本だけでなく世界規模で発生しており
具体的な原因はつかめていないそうだ。
そのため政府は国民の女体化を防ぐため
教育制度の見直しを図った。
今までは性教育に関してはPTAからの要望もあり
直接的な部分に関しては極力授業に組み込まないようにしていたが
女体化現象の後からは
『男女ともに小学校高学年より具体的な性教育を受けさせなければならない』
という義務を課した。
今までの研究結果から16歳に近付くと男性にそういった症状が生まれるからだ。
……だから当然16歳に近付くころになると男女ともにその話でもちきりになる。
特に受験が終わってからなんて卒業するまでの間は何もしなくていいのだから
自然とそういう雰囲気になってしまう。
丁度昨日の昼休みにいつものように小学生からの腐れ縁のやつらと飯を食べていた時
そのうちの一人健司が俺に思いついたように話しかけてきた。
「ユウ。試験は卒業できたのか?」
直接的には言わないにしろ、いつもこいつはストレートに物事をいいやがる。
嘘をいいたかったが、そういう雰囲気じゃなかったので俺は正直に答える。
「……いや。まだだよ」
それを聞いた健司は、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに真面目な顔になって
「……早くしろよ!? 俺らの中でもお前だけなんだよ。まだ卒業できてないのはさ……」
確かにそうだ。
こいつらには全員彼女がいて、すでに卒業済みらしい。
なんせ付き合ってすぐに卒業させてもらったから
女体化するのことはないだろう。
俺らも小学校の頃から女体化現象については知っていた。
健司がクラスの子や、知り合いの子などを俺らに紹介してくれた。
なぜか健司は昔から顔が広く、しかも女子にもモテた。
はっきりとは聞いてなかったがあいつは恐らく小学生の時にすでに
卒業していたのだろう。
だからこそ自分以外の仲間が女体化しないよう
なんとかしようと思っていたに違いない。
そして俺以外のやつらは案外簡単に彼女を見つけ
例の試験をすぐに卒業していった。
……だけど俺は健司が紹介してくれた女の子と付き合うことはしなかった。
半分意地だったのかもしれない。
付き合う人くらい自分で見つけられるってそういう部分もあったけど
健司には負けないって気持ちが一番強かったのかもしれない。
……知り合ってから勉強も、そしてスポーツにおいても
健司に勝ったことはなかった。さらには恋愛に関してだって惨敗だ。
正直悔しかった。一つでもいい、健司に勝てるものがあればって
一生懸命頑張ったけど、結局勝てるものはなかった。
健司は友達思いのすごくイイやつだ。
……それはわかってる。あいつとも喧嘩したことはあったけど
全部あいつが俺の事を一生懸命考えていたからってこともわかる。
だけど、それが逆に俺にとっては重荷にもなっているんだ。
今回も本当に心配してくれることはうれしいと思っているけど
だからこそ、俺はあいつに頼ってはいけないんだ。
(じゃあこれから16歳になるまでどうやって彼女をつくる?)
(普段女子とほとんど接しないのにどうすればいいんだ?)
自問自答しても始まらない。
ここは人生経験豊富な人に意見を求めるしかないよな……
そう思って俺はいつもの場所へと向かった。
繁華街から少し裏道に入ったところにあるこじんまりとしたバー。
中学生になってからよくここに出入りするようになっていた
ここは俺の親父の大得意先で世間でいえば所謂
『オカマバー』と呼ばれるところだ。
うちの親父は輸入物の酒類を扱っていて
通常の店じゃ入らないような貴重な酒を居酒屋やバーなど
色々な所に卸している。
その中でもここのバーは大変ひいきにしてもらっているらしく
親父もよく俺を連れて遊びに来ていた。
何年も店行っていると、当然店の人たちともなじみになる。
だから俺は悩み事があるといつもここにきて
人生相談に乗ってもらっていた。
オカマバーの人たちはまだ女体化現象がはじまる前から
だけでなく、その後も女体化せずにあえてオカマになった人もいる
そうだ。なんで女体化しなかったのって以前に聞いたら
「大人になればそのうちわかるわよ」ってあしらわれてしまった。
そこのママにも聞いたけれど
これは私たちにしかわからないかもねって言われて
多分俺には一生わからないんだろうなぁって思ったこともあったっけ。
……当然だけど俺は女になんてなりたくない。
女の子と恋愛してみたいし、それに法律上女体化した場合は
女性とは結婚できなくなってしまうため、好きになったとしても
一生その思いを打ち明けることができなくなってしまう。
だから普通に考えれば健司の好意を無碍にせずに
紹介してもらった人と付き合ってしまえばよかったんだ。
そうすれば何もここまで迷うことはなかったはずだ
でもやっぱりこれ以上あいつの世話にはなりたくない。
借りをつくれば作るほど、俺はあいつに勝てなくなってしまう。
だけど自分でどうにかできるならやっている。
それができないのがわかっていてもあいつに頼りたくない。
そうやって悩み、いきついたのがいつもの店だった。
カランカラン……
扉をあけると懐かしい感じの鈴の音がした。
今時こんな来店の合図はないんじゃないかと思うけど
案外これがこの店ならではの味を出しているとも思える。
店はカウンターとテーブル4席のシンプルなバー。
派手さはないけど、なんか懐かしさを感じさせる
そんな雰囲気が売りだってママが言ってたような気がする。
店に入るとすぐに女の子(オカマだけどそう呼ぶと怒られる)から
「いらっしゃいませ~お一人様ですか?」
という挨拶が聞こえる……のが普通だが
「あらユウくんどうしたの? おねえさんにあいたくなったのかな~?」
俺だといつもこんな感じで話しかけられる。
いつものことだから俺もその人にママはいる? って話しかけた
「またいつものね。わかったわ~ちょっと待っててね~♪」
なんだか知らないけど上機嫌で俺に応対した人がママを呼びに行った。
「あら~♪いらっしゃいユウくん会いに来てくれてママうれしいわぁ~」
……どうしてこの店はこんな人ばかりなんだろうって思いつつも
いつも悩んでいるときに相談に乗ってくれるこの人の事はとても尊敬していた。
ママはみんなからはカタギリさんって呼ばれている。
本名なのかどうかはわからないけど、その名前を聞くと
このあたりのヤクザもうかつに手を出せないそうだ。
なんでって聞いたことが一回だけあったけど
その時は「ママの魅力のおかげよ♪」なんていっていたけど嘘だ。
でもそれを詮索することがママの気分を悪くすることはわかっていたから
俺は特にそれ以上何も聞こうとはしなかった。
だって、たとえどんな人であろうともママはママだから。
親父は新しい酒を探しに海外に行くことが多いため
ある意味ママは俺の育ての親みたいなものだった。
小学生の頃から俺は何か悩みがあるとこのバーにきて
ママに相談事をしていた。
正直、はじめは変な人だと思っていたけど
俺の悩みを一言一句見逃さずに聞いてくれて
そして最善の方法を導いてくれたのは
親じゃなくてママだった。
俺が健司と喧嘩した時だって、全部聞いてくれて
そして俺がどうしたらいいか教えてくれた。
普通なら途中で反論してもいいはずなのに、ママは黙って聞いてくれていた。
今まで悩まずに生きてこれたのは間違いなくママのおかげだ。
もちろん健司たちにもそれは言えるかもしれないけど
俺が本当の気持ちを伝えることができるのは、結局ママだけだった。
だから俺はいつも正直に今本当に悩んでいる事を話すことが出来た
「ママ……また相談なんだけどいいかな?」
ママはいつもと変わらず穏やかな表情を浮かべて
急に俺の頭を撫でながら
「……今回は今まででも一番の悩みのようね」
といってくれた。
「……やっぱママにはかなわないな。なんでもお見通しなんだな~」
「そりゃ10年近い付き合いなんだから当然でしょ♪」
そうママは言ったが俺は知っている。
付き合いの年数じゃなくてママはその人が思っていることを
瞬時に把握してしまうことを。
「例のことよね?」
そう、一言ママは言った。
やっぱり俺が言わなくてもわかっていたらしい。
「うん。もう一ヵ月もないんだ……」
「そう……」
ママは何か考えるようにつぶやいた。
わかってはいるけどどうしたらいいかわからない
そんな感じに見えた。
女体化する時期についてははっきりしていないが
おおよそ誕生日前後だといわれている。
今までの研究結果だとおおよそ一週間前後だといわれている。
だが、政府の教育制度の改革と親の意識の変化により
現在では女体化する男性の数は全体の1%にも満たないらしい。
まさに俺はこのままだとその1%以下に含まれてしまうってことだ。
「……誰か好きな人いないの?」
突然、ママがそう言った。
「全然。むしろ誰かいたらなって思うよ」
俺は少し投げやりに答えた。
実際に今の俺には彼女になりえそうな人など
誰一人としていなかったからだ。
「真剣に恋愛する気ある?」
投げやりな返答をしたのが少し気になったのか
きつめな口調で俺に問いかけた。
「……考えてない。まだ先だと思っていたからさ……」
「……」
ママは黙りながら少しうつむいた。
そのまま数秒間何か考えていたが、すぐに顔をあげて
「本当はこんなことしたくなかったけど……」
そこで一度言葉を切って
少し泣きそうな顔をしながら
「うちの系列の店の子で良ければ相手してあげるわよ」
と
まるで幼稚園のお遊戯会のように感情のこもっていない声で
そう俺に言った。
「……」
ママの声でわかった。
本当ならそれはママの本意じゃないんだ。
だけどこのままだと俺が女体化してしまうから
もう、それしか方法がなくて
悩みに悩んでその言葉を絞り出してくれたんだ……と。
そこまで考えてくれていることに俺は本当に感謝していた。
頭の中で素直に行為に甘えろって言葉がうごめく。
その一方で迷惑かけてはいけないって声も聞こえる。
……天使と悪魔じゃないけど
本当にこの時の俺はどうすればいいか
わからなくなっていた。
外は相変わらず雪景色だった。
むしろさっきよりも少し吹雪いているようだった。
まだ夕方前だっていうのに
街には歩いている人影がほとんどなく
たまに見るのは初めてみたのだろう
雪合戦や雪だるまを作っている子供達だった
あの子供達もあと10年くらいしたら
きっと俺みたいに悩むことになるんだろうな――
結局俺はママの誘いを断った。
本当に迷ったけど、お世話になっている人に
迷惑はかけられない。
だから俺は「気持ちだけ受け取っておきます」と言って
その後たわいもない話をして店を出た。
「なんか、俺意地張ってばかりだな‥」
誰に言うわけでもなく、俺はつぶやいた。
健司やママの好意を断って、自分でなんとかしようって
息巻いているけど結局どうすればいいのかわからずに悩んでいる。
……本当はわかっている。
俺はきっとあの子の事が忘れられないんだ
今まで健司に紹介されるのが嫌でロクに女の子と
話そうともしなかった俺に唯一話しかけてきた子。
その彼女との約束を守ろうって思って
結局タイムリミットまで来てしまった。
リミットが近づくにつれて
もう彼女はいないのに、気にする必要があるのかって
何度も考えた。
でも
考えても、考えても
俺はやっぱり他の人を好きになることはできないって
結論に達してしまった。
―好きだった
今まで女なんて‥って思っていた俺に
真正面からぶつかってきてくれた彼女を
人生で初めて好きになった。
意地っ張りだといわれてもしょうがないと思う。
はじめての彼女との約束だからって
いつまでも引っ張っていたら
最後に待っているのは地獄だって。
でもあきらめきれなかった
こんな自分を
心の底から本当に好きになってくれた人なんて
いなかったから。
……家に帰ろう。
これ以上外をうろついてたら凍えてしまう。
俺の家は繁華街の中心部から少しはずれた
小高い丘の上にある住宅地の一角にあった。
ここらへんは何でも資産家が多い住宅街だそうで
まわりにはやたら豪勢な建物が目立つ。
親父も事業が成功して今ではすっかり
金持ちの仲間入りを果たしたらしいが
その分忙しくてもう何年も日本に帰っていないらしい。
うちには週に3回ヘルパーさんが来て
俺が学校に行っている間に全ての事をやってくれるので
特に生活には困らなかった。
食事も外食だけで十分に暮らせるので
特に不満はなかったけど、おふくろの味って
どういうのか知りたかったな‥
両親は俺が物心つく前に別れたそうだ
原因は聞いてないからわからない。
親父は俺がある程度成長するまでは
日本にいて面倒を見てくれていた。
母親がいないってことには少しショックを受けたけど
その分親父が色々してくれたから全然悲しくなかった
中学生になってからは日本にいることが少なくなったけど
たまに帰ってきて俺の話を聞いて喜んでくれる親父を見ているとなんだか嬉しかった。
今はどうしてもはずせない仕事があるらしく
しばらくは日本に帰ってこれないらしいけど
週に一回はメールも来るし、時間があれば電話もする。
だから別に一人暮らしだってさみしくはなかった。
兄弟がいればもっとよかったのかもしれないけど
今の親父それを言っても
「妹でもできたらお前に奪われるからな!」
とわけのわからないことを言われるので
もう言うのはやめた。
それに俺には健司たちがいるし、特に困ることはなかったから
今のままでも十分楽しかった
だけどそれも俺が女体化してしまったら
終わってしまうかもしれない。
いくら元男だからって
今までと同じように接することなんてできないだろう。
そうならないためにも俺は卒業する必要があった
今の、この状況を変えないために。
家に戻る。
当然誰もいないので迎えてくれる人はいない
それはいつもの事だから特別にきにすることもなく
階段を上り、自室に戻った。
ブーーーーブーーーーーーー
部屋に戻ると同時くらいに携帯にメールが入ってきた。
健司からだ
ユウ
今どこにいる?
もし時間あるなら俺の家に来ないか?
亜紀知ってるだろ?
俺の妹の。
なんかお前の事話したら
一回会ってみたいっていってたから
悪いが来てくれないか?
……
メールの内容を見てから俺はため息をついた。
俺がいつも断るからって
あいつはなんとか断れない状況を作ろうとしたに違いない。
だからって、自分の妹をダシに使うのはどうなんだ?
亜紀ちゃんだって自分の付き合う人くらい選びたいはずなのに。
今回の事もどうせあいつが誘導したんだろうな…
しょうがない。
事情はどうであれ、そうことなら
亜紀ちゃんのためにいかなきゃいけないな。
俺が行って断らないと亜紀ちゃんも
先にいけないだろうし。
そう思い、俺は着いたばかりの家を出て
あいつの家へと向かった。
外に出るとさっきよりもさらに吹雪いていて
普通なら誰も外にでないくらいに寒かった
寒いのはわかっていたから、
相当着込んできたにも関わらずこれ程とは思わなかった。
風が強い。
傘を持ってきたけど全然役に立たなかった
途中からは傘を差さずに走った
走りながら、健司が何をしたいのか考えていた。
昔からそうだった。
俺らの中でも俺だけが何もかも劣っていて
周りから見ればそうでもなかったけど
でも俺はこいつらだけには負けたくないって頑張ってた。
結局、今まであいつらには勝ったことはなかったけど
それでもいつも健司は俺の味方をしてくれた。
俺らの一人‥忠志がみんなでサッカーをしている時に
「おい!ユウ!おまえ遅いんだよ!!もっと早く戻れよ!!」
そう叫んだ。
俺は言葉に出す余裕もなかったので心の中で
これでも精一杯なんだよと思った。
「ほんとにお前はつかえねぇな~お前と組むといつも負けるから嫌なんだよ」
忠志の言うことも間違ってはいない。
俺はこいつらの中では圧倒的に運動量が劣る
だからって別に俺がそこまで音痴ってわけでもなく
こいつらがやたら運動神経がいいってだけだ。
俺だって負けないように頑張っているのに!!って毎回思うけど
何をやっても追いつけないので、この頃にはすでにあきらめていた。
「女っぽい顔してるからって身体能力も女並みなんて冗談はやめてくれよな!!」
その一言にカチンと来た。
「俺が女っぽい顔してることと何の関係があるんだよ!!!!!」
そうして俺は忠志に殴りかかる。
忠志も挑戦的な目をして俺の方を睨みつけた
「やめろ!!!」
グラウンド中に響き渡る声がした。
健司の声だ
「忠志!それはいいすぎじゃないか!? ユウだって頑張ってるんだから認めてやれよ?」
「頑張っててこの程度じゃ俺が困るんだよ!もうこいつ仲間にいれなくていいだろ?」
今の今まで俺はこいつらと腐れ縁だったかもしれないけど
それは結局健司が俺と一緒にいたからにすぎない。
俺が健司とつるみ始めたやつにくっついたような感じだったのだ。
健司は俺も仲間だって思ってくれているみたいだけど
あいつらは本当は俺を厄介払いしたいと思っているのだろう
だからあいつらより昔からの付き合いだとは言え、俺の事を健司がここまで
気にかけるなんて不思議に思った。
健司と出会ったころの事はよく覚えてない。
もう気づいたらいつもいたって存在だから
特に気にすることもなかった
今回だって自分の妹を出してきてまで
俺をなんとか卒業させようって思ってくれている。
その気持ちはすごくうれしいけど
これ以上お前の好意には甘えたくないんだ!
もう俺だって16歳になろうとしている。
なのにいつまでもおまえに頼りたくないんだ。
童貞を卒業することよりも、
むしろ、お前から俺は卒業したいんだ……
最終更新:2008年07月05日 23:30