無題 2011 > 07 > 20(水) ID:N3+1FayEo

気がつくと、青空ではなく天井が目に入った。先程までグラウンドで走っていたはずだが、いつの間に屋内に移動したのだろう。全く状況が飲み込めなかった。
「おはようさん」
声のした方へ目を遣ると、キャプテンが座っていて、その背後にベッドが見えた。そこでようやく理解した。ここは保健室だ。
でも、どうして?
「熱中症だな。水分ちゃんと摂ってたか?」
僕の困惑した様子を察して、キャプテンが説明してくれた。ランニングの途中で僕が倒れ、キャプテンが介抱してくれたらしい。
「あ、ありがとうございます」
「いいっていいって。それより、きちんと休んどけ。お前は即戦力なんだから、そうそうぶっ倒れられちゃ困るんだよ」
と、優しい笑みを僕へ向け、キャプテンは保健室から出て行った。

キャプテンが出ていくと、保健室には僕一人になった。手持ち無沙汰になって、体を横たえると、先程の会話を思い返した。
僕は熱中症で倒れたらしい。それで、保健室へ運ばれた。
確かに、日射しは強く、風もなかった。アスファルトからの熱気は肌を押すように感じられた。暑かったことは間違いなかった。
だが、水分はこまめに摂っていたし、睡眠時間も十分に確保していた。体も丈夫な方だ。それなのに、熱中症になんてなるだろうか。
「……考えても仕方がない、か」
人生、何が起こっても不思議ではない。いつだったか、甲子園を目指していたピッチャーが熱中症で亡くなったという話を、テレビで聞いた。その人に比べれば、僕なんか大したことないじゃないか。
そう思い直すと、僕は再び、意識を手放した。


今思えば、これは予兆だったのかもしれない。
でも、これが予兆だと、この時の僕には気付けるはずもなかった。
何も知らない、この時の僕には。



翌朝、目を覚ますと、熱っぽかった。
「風邪でも引いたかなー……」
そうぼやき、体温計を探しに階下へ降りると、母が弁当を作っていた。
「あら、おはよう」
「おはよう。母さん、体温計どこ?」
「そこの棚の3段目だけど……熱でもあるの?」
「ん、何か熱っぽい」
体温計を取り出し、脇に挟んだ。その間に、母が風邪薬を出してくれた。
「はい。試合が近いんだから、体調管理はしっかりしなさい。あと、今夜は鉄板焼きだから、早めに帰ってきなさいよ」
「はいはい」
そう言いながら、ソファに座り、テレビの電源を入れた。丁度、ニュースの占いコーナーが始まったところだった。
『今日の鳥はハト、ツバメ、ワシ、ペリカンです。どれか1羽選んで下さいねー♪』
「ツバメかな」
直感で選ぶと、すぐにレースが始まった。選んだ動物の着順で運勢が決まるタイプの占いだ。
『1位はペリカン! 選ばれた方、おめでとうございます!』
1位はペリカンになった。ペリカンってどう考えても一番遅そうだが……と思っていたら、あれよあれよと言う間に、ツバメが最下位になってしまった。
『4位はツバメでしたー。選ばれた方、ごめんなさい。今日は突然のトラブルに要注意です! た・だ・し、今日がお誕生日の方はいいこともありそう!』
テレビから聞こえるお姉さんの声を僅かな落胆とともに聞き流していると、体温計が鳴った。確認すると38.4度。これは微熱では済まされない。
「はい、お弁当。熱はどうだったの?」
母に訊かれ、慌てて答えた。
「微熱かな」
「そう、あんまり無理するんじゃないわよ。大体、暑いからってお風呂上がりに」
「あー、あー、弁当ありがと」
そう言って母の小言をかわし、弁当を受け取ると部屋へ逃げ帰った。



いつも通り、朝練の1時間前に学校に着くと、部室でユニフォームに着替えた。ユニフォームの方が部室の掃除をしやすいからだ。
部室には窓がない。放っておくと埃がどんどん溜まってしまう。そうならないように部室を掃除するのは、僕の日課だった。

ロッカーから箒を取り出し、部室の奥から扉側へと掃き始めた。早朝とは言え、夏の湿った空気の中で体を動かしたせいか、みるみるうちに汗が噴き出した。顎から落ちた汗の雫が、足元の埃の山に染みを作った。
「あっつ……」
思わず独りごちた。そう言えば、熱があったのだ。病人であることを忘れていた。
熱があることを思い出すと、途端に体が重くなったように感じた。同時に、手のひらに力が入らなくなって、箒を取り落とした。
「あ、れ……?」
視界が霞んだ。ももから膝、ふくらはぎ、足の裏へと、筋肉が弛緩していくのが分かった。

ああ、倒れるんだな。

そんな当たり前の予想とともに、体と意識は地面へと沈んでいった。

「ん……」
目が覚めると、見覚えのある天井が目に入った。
と言うか、デジャヴだった。だから思った。どうせまた、熱中症で倒れたんだろう。情けない話だ。
そう思いつつ横に目を遣ったが、キャプテンの姿はなかった。代わりに、カーテンの隙間から養護教員の先生の姿が見えた。
とりあえず話だけでもと思い、体を起こそうとした。しかし、体は鉛のように重かった。
「何だこれ!?」
びっくりして、思わず声を上げてしまった。その声に気付いたのか、先生がこちらを向いた。
「あら、目が覚めた?」
先生は微笑みながらこちらへ歩み寄ると、僕の頭を優しく撫でた。何だかくすぐったかった。
「サッカー部の子が背負ってきてくれたのよ。後でお礼を言わなきゃね?」
そう言いながら、先生は頭を撫で続けていた。
「あの、」
頭くすぐったいです、と言おうとして、言葉を失った。先程は気付かなかったが、発せられた声に聞き覚えがなかった。周囲を見たが、他に生徒がいる気配はなかった。
「……え? 何で?」
口をついて出た声には、やはり聞き覚えがなかった。だが、この状況から導き出される解はひとつだった。
この声は、僕の声だ。
「何、この声……」
「私は可愛いと思うけど」
「いや、おかしいです。いくら風邪でもこんな女みたいな声には」
その瞬間、先生は何かを悟ったような顔をした。
「……もしかして、誕生日が近い?」
「え、ああっ、そう言えば今日が誕生日です。すっかり忘れてた」
「そう。なるほど、なる、ほど」
先生は立ち上がると、机の引き出しから手鏡を取り出して持ってきた。
「はい、ちょっと顔を見てみて」
「? 何ですか?」
そう言いつつ、手鏡を見ると、そこには見知らぬ少女が映っていた。そして、全てを理解した。


ああ、なるほど。僕、女になったのか。


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最終更新:2011年09月22日 11:40
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