安価「生徒会」第1話

僕の高校3年間は、入学初日に決まったと言っても過言ではない。
それほど、彼女との出会いは鮮烈だった。

彼女の名前は上川天。稲葉市立稲葉西高校生徒会長。
会長に声を掛けられたその時から、僕の高校生活は動き始めた。

*


古今東西、およそ肩書きに長と付く人の話は長く、聴いているだけで眠くなってくるものだと言う。
それは恐らく、校長についても当てはまることだろうと思う。
何故なら、舟を漕いでいる新入生が、ちらほらと見受けられるからだ。
かく言う僕も、少しでも気を抜くと、瞼が落ちてきてしまいそうだった。

しかし、これは決して、校長先生のお話がつまらない、と言うことではない。
目を開けているのに必死でほとんど聴いていないけれど、とても深いお話をされているということは分かる。
だから、そういった有意義な話を前に睡魔に負けそうになっている、僕が悪いのだと思う。
悪いと思ったところで、この眠気が消え去ることはないのだけれど……とりあえず、居眠りしないで済むように、全力を尽くそうと決意したのだった。

しばらくして、校長先生の長い長い式辞が終わった。
あれだけ眠ってしまいそうになっていたのに、「それでは、以上を持ちまして」という一言を聞いた瞬間に眠気が飛んでいくのだから、全く不思議なものである。

校長先生が壇上から退場すると、入れ替わりに、セーラー服の女性が壇上に立った。
どうやら、在校生代表らしい。
肩で切り揃えた黒髪ときりっとした眉に、柔和な印象の眼が対照的な美人だ。
すらりとした四肢に、控えめなデザインのセーラー服が良く似合っている。

セーラー服の女性は、マイクの前に立って新入生を見渡すと、静かに口を開いた。

「こんにちは。前年度に稲葉西高校生徒会長を努めていました、上川です。新入生のみなさん、この度はご入学おめでとうございます」

凛とした声が体育館に響いた。
同時に、周囲の空気が一変するのが分かった。
その声の主――上川先輩は、背筋を伸ばしたまま一礼すると、朗々と歓迎の挨拶を読みあげていく。
その間、まるで清涼な小川のせせらぎに聴き入るように、誰もが黙って先輩の言葉に耳を傾けていた。

「みなさん、高校生活を精いっぱい楽しんで下さい。私はそのお手伝いが出来ればと思っています」

これを持ちまして歓迎の挨拶に代えさせていただきます、と先輩が締め括ると、どこからともなく拍手が沸いた。
拍手は次第に大きくなり、体育館を包み込んだ。
先輩は、とても同じ高校生とは思えない、粛々とした様子で頭を下げると、ゆっくりと壇上を後にする。

クラスメイトが熱心に手を叩いている中、僕は熱に浮かされたような感じで、先輩を見つめていた。
すると、着席する先輩と眼が合った。
時が止まるとはこういうことを言うのだろう。
たっぷり10秒間は見つめ合っていたと思う。
それから、先輩はふっと柔らかく微笑むと、視線を壇上へ向けてしまった。
それきり先輩がこちらを見ることはなかったが、僕の胸の高鳴りはしばらく収まらなかった。

*


式はその後もつつがなく進行し、昼前には閉式になった。
閉式後は教室へ戻り、クラス毎にオリエンテーションが開かれる予定だ。
担任の先生に誘導されて体育館を出たところで、僕の後ろの席に座っていた幼馴染みが声をかけてきた。

「なあ、あの女の先輩、すごかったよな!」

少年のように目を輝かせているこの幼馴染みの名前は、鷲見夏彦という。
「なつひこ」だから、僕は「なっちゃん」と呼んでいる。
なっちゃんと僕は家がご近所で、互いにまだ1人では歩けないような歳から一緒に遊んでいた。
もちろん、学校はずっと同じで、クラスも別々になったことがない。
僕の数少ない友人の1人であり、無二の親友……だと、僕は思っている。

「なっちゃん声大きい……先生がこっち見てるよ」
「悪い悪い」

なっちゃんは声のトーンを落とすと、あまり悪びれた風も無く謝罪する。
それを嫌味に感じさせないのが、なっちゃんのすごいところの1つだ。

なっちゃんは少し考える素振りを見せると、ぽつりと呟く感じで続けた。

「俺、生徒会に入ろうかなあ」

この言葉は意外だった。
なっちゃんは中学時代の3年間、陸上部に所属していたので、高校でも陸上を続けると思っていたからだ。
だけど、どう身を振るかは人それぞれだろう。
僕は、中学時代に生徒会に所属していた者として、なっちゃんの後押しをすることにした。

「いいんじゃない? やりがいがあるよ、生徒会の仕事は」
「それは分かるんだけどなー。実際、生徒会ってどんなことやってんの?」
「お祭りの実行委員みたいな感じかな。雑務と交渉がほとんどだよ」
「ふぅん、何だか地味だなあ。お前は生徒会の仕事やってて楽しかったの?」

考えてみたこともなかった。
生徒会の仕事は必要なことで、楽しいとか、楽しくないとかは、関係ないと思っていた。
しかし、言われてみれば、どんなことでも、楽しい、楽しくない、と感じることはあるだろう。
僕は生徒会の活動が楽しかったのか?
しばしの間自問して、僕はこう答えた。

「楽しかったよ、とても」

*


HRが終わり、なっちゃんと一緒に帰る途中のことだった。
玄関を出て正門へと向かっていると、正門の脇に上川先輩らしき女性が立っているのが見えた。

「ねぇ、あれって上川先輩だよね」

おしゃべりを中断して、なっちゃんに訊く。

「え、ああ、ホントだ。何やってるんだろうな」
「下校する生徒に挨拶してるとか?」
「生徒会ってそんなことまでするの?」
「多分しないと思う……」

確かに、往来の生徒を見ているようだけれど、挨拶をしている風ではない。
と言うことは、誰か人でも待っているのだろうか。
何にせよ、詮索するのも趣味が悪いので、会釈して通り過ぎようということになった。

正門まであと5メートルというところだった。
上川先輩が何気ない様子でこちらを向いたかと思うと、表情が急に明るくなった。
何だろうと思いつつ、会釈をして通り過ぎようとすると、そこで「ちょっといいかな」と呼び止められた。
先輩は、驚いて足を止めた僕たちの許に小走りでやってくると、形の良い眉をハの字に曲げ、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「びっくりさせてごめんね! 突然だけど、話を聴いてほしいの」

眉根を寄せたまま、先輩が言った。
それがあまりにも申し訳なさそうな表情だったので、僕は居た堪れない気持ちになって、自ずと「いいですよ」と答えていた。
その答えに、先輩は表情を柔らかくすると、先程よりも幾分明るい声音で続けた。

「それじゃ、まずは自己紹介しないとね。私は2年の上川です。今日の入学式で在校生代表の挨拶をした人、って言えば分かる?」
「はい。前年度の生徒会長さんですよね」

僕が答えると、先輩は嬉しそうに笑った。

「そうそう! 早速覚えてくれたなんて嬉しいなぁ。君たちの方は新入生だよね? 名前は?」
「俺は1組の鷲見って言います。こっちは同じクラスの琴浦です」

なっちゃんが代表して答える。

言い忘れていたが、僕の名前は琴浦伊織と言う。
僕の祖父が宮本武蔵の大ファンで、その入れ込み方たるや、息子、つまり僕の父に、「武蔵」と名付けるほどだ。
僕もその煽りを受けて、宮本武蔵の甥と同じ名前「伊織」を頂戴することになった。
個人的には、名前負けしているようで、少しむず痒い。

それはさておき、僕たちの自己紹介を聴くと、先輩は眼を細めた。

「鷲見くんと琴浦くんかぁ。うん、よろしくね!」
「いえ、こちらこそ」

と頭を下げると、いよいよなっちゃんが本題に切り込んだ。

「それで、俺たちに話っていうのは、何なんですか?」

些か緊張した面持ちでなっちゃんが問うと、先輩は小悪魔的な表情を浮かべた。
そして、可愛らしく咳払いをすると、びしっと言い放った。

「君たち、生徒会に入らない?」
「……は?」

僕もなっちゃんも、呆気にとられて二の句を継ぐことができなかった。
どこの世界に入学初日の新入生を生徒会に勧誘する先輩がいるだろうか。
「生徒会に入ろうかな」と言っていたなっちゃんでさえ、あまりの急展開に面食らっているようだ。
フリーズしてしまった僕たちを見て、今度は先輩の方が狼狽し始めた。

「あ、あれ? もしかして地雷踏んじゃった? 私、不味いこと言っちゃったかな……?」

焦った調子で言いながら、その眼にはうっすらと涙が溜まっている。
僕は慌てて、

「いえいえいえいえ! そんなことないです! ちょっと驚いただけで」

と、語気を強めて否定した。
それに合わせて、なっちゃんも首を縦にぶんぶんと振っている。
先輩はほっとした様子で「よかったぁ……」と呟くと、くすくすと笑い始めた。

「ふふふ、何だかみんなで焦っちゃって、おかしいねぇ」
「そうですね」

僕たちもつられて笑い出す。
しばしの間、柔らかい空気がその場を包んだ。

一息つくと、上川先輩は柔らかい雰囲気で、「それで、改めて訊くけど、生徒会に入ってくれないかな?」と言った。
そこに気張った感じは全くなく、先程は先輩も緊張していたんだな、と思わせた。
すると、先輩が急に身近な人に思えてきて、いつの間にか入っていた肩の力が、ふっと抜けたような気がした。
その瞬間に僕の答えは決まった。

「もちろんです。未熟者ですが、よろしくお願いします」
「お、俺も入りたいです。よろしくお願いします」

なっちゃんも僕に続いて頭を下げた。
先輩は満足そうに頷くと、嬉しそうに応じた。

「こちらこそ、よろしくね!」

こうして、僕となっちゃんは、生徒会に入るため、役員選挙に立候補することになったのだった。

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最終更新:2011年11月09日 22:53
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