『押忍!』

 とある世界の日本、とある県に存在するとある高校。
ここは、心技体の鍛錬を校訓とする、文武両道の名門校である。

 そしてここは見事な桜の咲き乱れる当校の校門。
続々と登校してくる生徒達の中に、一人の人物の姿。
彼に気付いた生徒達から声が上がると、登校生徒達は立ち止まり、彼の前に道が開く。

 ボロボロの学生帽に、使い込まれた下駄、すらりとした長身を包む詰襟が凛々しい彼。
当校の『技』を象徴する学力、『体』を象徴する運動部、そして『心』を象徴する花の応援団を預かる、
彼こそが『鬼の藤堂』とも称される応援団長、藤堂 魁(さきがけ)その人である。

      • しかし、当校の『心』を預かる応援団長である彼には、ある秘密があった・・・



 放課後。

 ホームルームも終わり、グラウンドには部室から早々と出て練習を始める運動部員の姿が見え始める。
そしてそこには、グラウンド脇をゆっくりと部室へ向かう藤堂の姿もあった。

 そして藤堂が応援団部室の扉を開くと、ずらりと並び直立不動の団員達の姿。

「「「押忍!!お疲れ様です!!」」」

「・・・」

 無言でその前を通り過ぎ、ボロボロの団長椅子にドカリと腰掛ける藤堂。
長身ながら比較的細身の藤堂であるが、堂々としたその居住まいは、えもいわれぬ迫力を周囲に漂わせていた。

 そして、藤堂が腰掛けるのを確認し、団員達の先頭から藤堂の前に進み出た者。
団長・副長といった上級生のトップに変わり、下級生の教育・取り纏めを引き受け、
また運動部の対外試合に際しては先頭でリーダー長として応援を取り仕切る二年副長補佐役、桃井 国仁(くにひと)である。

「押忍!!失礼します!!先日お話した、サッカー部の山口の件でありますが・・・」

 『心』を預かる応援団には、応援の他に『各部の引き締め』という仕事も存在する。
各部の部内関係などで問題が起こり、それが自分たちで解決できないほどで、また他の部に悪影響を及ぼすほどの問題であれば、
その相談はこの様に応援団まで寄せられるというわけである。

「・・・下のことはこっちに上げないで自分達でなんとかさせろと言ったはずだ」

「お、押忍!!し、しかし、上級生でも手を焼く有様のようでして・・・」

「馬鹿野郎!!!!!応援団を便利屋と勘違いする輩は今後一切出入り禁止だと伝えろ!!!!!!!」

 普段、無口・無言・不言実行で通す藤堂が何故『鬼』と称されるのか。
その最たる理由の一つはこのように、逆鱗に触れられた場合に現される怒りの激烈さにあった。

「まあ待て、藤堂」

 藤堂の怒りの前に萎縮しきった桃井を見かね、助け舟を出したこの男。
藤堂の後ろに控えていた、銀縁眼鏡に筋骨隆々、藤堂・桃井を軽く越す巨躯の彼は、
団内では数少ない藤堂を呼び捨てに出来る人物の一人であり、
『鬼の藤堂』と並び『仏の宗像』と称される三年参謀役副長、宗像 巌(いわお)である。

「応援団の仕事は、応援の他にこういう支援をしてやることも入っているはずだろう?」

「・・・それは本当だ。だが、まず自分たちでなんとかさせず、簡単に甘やかす様な真似をしてどうする」

 鬼の藤堂も、この男の前では怒りを静める。
そのこともまた、この男が『仏』と称される理由の一つである。
普段の練習は二年副長補佐が一手に取り仕切り、この二人が部室に姿を現すのは稀であるだけに、
桃井は目の前の光景に感嘆を禁じえなかった。

「それもその通りだ。しかしだな、藤堂。俺も部長の坂崎を見たが、あれは相当頭を抱えているようだったぞ。
奴らも自分たちで十分頑張ったんだ。それに、このままでは試合にも響く。助けてやってもいいんじゃないのか?」

「・・・桃井」

「お、押忍!!」

「・・・後で部長と山口とか言う奴を呼び出しておけ」

「お、押忍!!ありがとうございます!!」

 あれほど怒りを露にしていた藤堂の即決には、桃井だけでなく後ろで直立する団員達も感嘆を禁じ得なかった。
これは、藤堂と宗像との長年の信頼関係と、無口ゆえに納得さえすれば前置きも無く即座に認める藤堂の性質によるものであったが、
それでもこの有様をほとんど目にした事の無い下級生からすればなんとも不思議な光景であった。

 笑顔で頷く宗像、相変わらずの仏頂面で黙って腰掛ける藤堂。
しかし、話が終わったにもかかわらず、下がらない桃井。

「・・・どうした」

「押忍!!実は、もう一つお話があります!!」

「・・・なんだ」

「押忍!!実はその、また女子応援部の連中が、何度も訪ねて来ては団長を出せと・・・」

 困惑した様子で桃井がそう告げると、後ろで控える宗像が笑い出す。対して藤堂の眉間には、珍しく忌々しげにしわが寄る。
ちなみに、女子応援部とは当応援団独自の一方的な呼び名であり、正しくはチアリーディング部のことである。

「・・・練習の邪魔だ。追い返せ」

「お、押忍!!し、しかし、再三そう申しているのですが、その・・・団長と会えるまでは通い続けると・・・」

「・・・強く追い返せ」

「お、押忍!!し、しかし、自分達は男であります、女に手を上げるわけには行かないですし、あまり強くも言えないわけで、
その、ここは団長ご本人に、はっきりその旨おっしゃっていただきたいと・・・」

 その言葉に、一瞬にして藤堂の目が般若の如く見開かれる。

「馬鹿野郎!!!!!!!!男を言い訳にする男が何処にいる!!!!!!!!!歯ァ食いしばれ!!!!!!!!!!」

「お、押忍!!」

 桃井が受ける姿勢をとるが早いか、藤堂の鉄拳が飛び、
桃井の身体は周囲の備品を薙ぎ倒しながら部室の端まで吹き飛ばされる。

「・・・お・・・押忍・・・ありがとうございます・・・」

 何とか立ち上がり挨拶をした桃井に、更に藤堂の檄が飛ぶ。

「桃井補佐!!!グラウンド50周!!!走って来い!!!ついでにグラウンドの整備!!!手伝って来い!!!」

「・・・お・・・押忍・・・行って来ます・・・」

「声が小さい!!!50周と全校の便所掃除追加!!!!!」

「お・・・押忍!!・・・い、行って来ます!!」

 桃井がよろけながら出て行った後、鬼の目は呆然と立ち尽くす団員達に向けられる。

「何突っ立ってる!!!!!補佐が行くならお前達も行って来い!!!!!」

「「「お、押忍!!行って来ます!!」」」

 団員達が出て行き、立ち上がっていた藤堂が腰を下ろすと、宗像はため息混じりに苦笑した。

「相変わらず激しいな。これで俺達が毎日顔を出した日には、桃井は堪ったもんじゃないだろうな」

「・・・これぐらいが妥当だ。桃井は情けなさ過ぎる」

「ま、それはそうだな。反論の上、あの言い訳。処分としては妥当だな」

 仏の宗像。
この男、仏であり、優しくもあるが、甘くはない。

「・・・でもまあ、言っていたこと自体は無理もないことだと思うぞ。いくらあいつらでも、女相手だけに限界はある」

「・・・だから、桃井の言った通り俺が出て行って追い返せと?」

「フフフ・・・まあ、俺はどっちでもいいんだがな。いいじゃないか、たまには男臭い部室に華でも添えてもらえば」

「ふう・・・副長の言葉とは思えんぞ、宗像」

「ははは。俺まで50周は勘弁してくれ。他の団員が余計に困ることになる」

 諸手を挙げ、ゆっくりと後ずさるポーズをする宗像は、そのまま下がって壁に寄りかかる。
腕組みしたまま一瞬考え込むように目を閉じると、再び口を開いた。

「藤堂、俺は、一年の頃からお前がここまで人一倍努力してきたことは知ってる。
だがな、・・・将来のためにも、そろそろ自分の身体のことをしっかり受け入れて、弁えた方がいいんじゃないのか?」

「・・・どういう意味だ」

「・・・」

 黙って見つめ返す宗像。
藤堂の眉間には、先ほどとは違ったしわが寄り始める。

「・・・今更弁えて大人しくしたところで、この応援団はどうする」

「・・・」

「・・・桃井はまだ半人前だ。あいつだけではまだ難しい。少なくともあいつが何とかなるまで、俺はこのまま通すつもりだ」

「ここだけが全てじゃない。・・・いいんだぞ、応援団なんて捨てても。そこまで自分を犠牲にすることはない。俺もいるしな」

「・・・途中で捨てるつもりなら、俺はこんなところにいない」

 そう言うと藤堂は、おもむろに椅子から立ち上がる。
その様を宗像は、壁に寄りかかったまま黙って見つめた。

「・・・俺も出て来る。お前も来るか?」

「やめておくよ。いくら俺でもお前についていくのは骨が折れるからな」

「・・・行って来る」

 藤堂が出て行き、静かになる部室。
外からは、吹奏楽部の音や運動部の気合の声が聞こえている。
藤堂が出て行った扉を見つめながら、宗像はため息を吐いた。

「・・・ふられちまったか」

 窓からは、涼やかな風が吹き込んでいた。





 数分後、とある神社の石段、そこにはひとり走りこむ藤堂の姿があった。
彼が何故校外のこんなところにいるのかと言えばそれには、
頂点に立つものは自分の努力を他人に見せるべきではないという彼なりの美学の為。
そしてもう一つは・・・ある集団から逃れるため。

「ふう・・・俺も修行が足らんな」

 自分の中に逃げ出す意図が芽生えたことに、藤堂は心の中で歯噛みした。
くそっ・・・俺は、いつからこんな腰抜けになった?
俺は・・・俺は男だぞ。

 そう、泣く子も黙る応援団長、『鬼の藤堂』こと藤堂魁にも怖いものはあった。
それは・・・

「・・・あ!ほんとに来た!」

「ね?あたしには全部お見通しなのよ」

「団長さん!!」

「・・・しまった」

 石段の途中で呆然と立ち止まる藤堂。

「サキ姉ー、何度も会いに行ったのにどうして会ってくれなかったのー?みんな会いたがってたんだよー」

「あ、あたしたち、チア部の一年生なんです。団長さんに是非お会いしたくて」

 その目前に立ち塞がった三つの影、彼女達こそが学園内で唯一藤堂『が』恐れる一大集団。
応援の花形であり、女子生徒たちからの羨望、軟派共からの欲望を一身に集める、華のチアリーディング部である・・・





 更に数分後・・・藤堂は、石段の麓にて、チア部員三人に取り囲まれ、硬い顔をしていた。
藤堂に対し、取り囲む少女達の表情は楽しげであることが対照的だった。

「団長さん、いつもここで走ってらっしゃるんですか?」

「その服で走って、辛くないですか?いつもその格好なんですか?」

「・・・・・」

「もう、サキ姉ー。女の子相手でもきちんと喋れるようにならないと駄目だよー」

 黙って返事もしない藤堂を見かね口を挟んだ、左右でそれぞれまとめた長い髪が印象的なこの少女。
今回の騒動の黒幕の一人であり、チアリーディング部1年生にして藤堂の実の妹、藤堂 琥凛(こりん)である。

「琥凛・・・その呼び方はやめろ」

 ・・・さて、聡明な読者諸君はもうとっくにお気づきのことと思われるが・・・

 当学園にて、不動の権威を誇る応援団、泣く子も黙る応援団長、藤堂魁。
彼には、ある秘密があった。

「せっかく女の子になったんだから、女性恐怖症克服しなきゃさー、サキ姉ー」

「・・・琥凛、俺は別に女が怖いわけじゃない。それに、身体は女になろうとも心は男だ」

 そう、彼、藤堂魁は、女だったのであった・・・

 ちなみに、女性である藤堂が応援団に所属している上に何故団長など勤めているのかと言えば、それには深い理由がある。
      • 端的に言えば、まだ彼が男であった頃、応援団の気風に忠実過ぎたのである。

「女性恐怖症なんですか?あたしたち怖くなんかないですよ!ねー?」

「ねー?」

「・・・・・」

「ほらー!喋れないじゃんサキ姉」

「・・・それよりお前達、練習はどうした」

「部長に『応援団の練習を見に行く』って言ったらOKしてくれたから大丈夫だもーん」

「・・・・・」

 そして、藤堂の様子を無視して三人の話は進む。
女三人寄ればなんとやらとはよく言ったものだ・・・藤堂は、呆れ半分にそう思った。

「団長さん、いつも凛々しいですよねー。でも、その服窮屈だったりしないんですか?」

「お家でも蛮殻スタイルなんですか?女の子の格好はしないんですか?」

「家では意外と普通だよ?スカートとかは流石に嫌がって穿かないけど」

「え!うそ、見てみたーい!!」

 盛り上がり始めたところで、呆れ果てた藤堂は三人に背を向けて歩き始める。
      • そろそろ、この場所を使うのもやめて他をあたらなければなるまい。

「あ!いいこと考えた!」

 しかし、背後からの素っ頓狂な声に立ち止まらされる藤堂の歩み。
どんな強面の不良相手にも武者震い以外の震えを感じたことの無い藤堂は、ある予感に初めて恐怖から来る戦慄を感じる。

「家に戻って、あたしの服でサキ姉に女の子の気分を味わわせてあげよう!」

 藤堂は振り返ることなく走り出した。生まれて初めての全力の逃走であった・・・





「・・・嘘だ」

「わー♪すっごい可愛い!!」

「ほんと予想以上!それでもやっぱりかっこいいんですね♪」

「だってスタイルがいいもん。見てよこのプロポーション。憧れるわー・・・」

 気がつくと藤堂は、自宅、妹の部屋にて三人の少女に囲まれ、姿見に映る自分の姿を呆然と見つめていた。
先ほど、全力で走り出したものの・・・他の生徒なら全く問題なく引き離せる藤堂の俊足であったが、
いかんせん、琥凛は藤堂の実の妹である。
腕力では兄に遠く及ばないものの、脚力に関しては兄を凌駕している・・・勝ち目は無かった。

 その後起こったことは藤堂にとって、筆舌に尽くしがたい地獄だった。
周りから響く少女達の嬌声、剥ぎ取られる代々の先輩方から受け継いだ命より大事な長ラン、着せられる下着のような服。
彼の中の男は、完膚なきまでに叩きのめされた。

そして藤堂の虚ろな視線の先、鏡の中に映る、黒々としたロングヘアーが麗しい長身の少女の姿。
肌も露なキャミソールに、フリフリのついたスカート姿。それは、紛れも無く・・・

「・・・嘘だ。俺は男だ。こんな格好をするはずがない」

「でもちょっと服が小さいね。やっぱりサキ姉さまと琥凛じゃサイズが違いすぎたか・・・」

「どういう意味だっ」

「ねーねー、サキ姉さまの服は無いの?」

 藤堂はもはや、放心状態だった。
好き勝手に『姉さま』などと呼ぶ三人をたしなめる気力ももう無い。
しかし、無情にも次に妹の口から発せられたのは、藤堂に更なる追い討ちをかける言葉だった。

「あ!そういえばサキ姉の制服あたし持ってた!サキ姉に持たせとくとすぐ勝手に捨てちゃうからってママから預かってるんだった!」

「うそ!?着せてみよう!今すぐ着せてみよう!」

「ももも萌えーの予感!!それでは、着せ替えターイム♪♪」

 ・・・また・・・またあの時間が始まるのか。男としての自分が音を立てて崩れていく、あの地獄の時間が。
お前たちは、どこまでも俺という存在を亡き者にしたいのか。お前たちこそが、地獄の使者か。悪夢の化身か。
藤堂の中で、色々なものが切れていった。

「・・・・・も・・・・・」

「え?なんですか?サキ姉さま」

「お着替えですよ?」

「・・・・・もう・・・・・」

「サキ姉ほら、サキ姉の制服だよ。これなら窮屈な思いしなくて済むよ」

「てめーらもういい加減にしろーーーーーーー!!!!!!うわああああああああああああああああああああああああん!!!!!!!」

 藤堂は、初めて人前で泣いた。号泣した。
呆然とする琥凛達を背に、藤堂は部屋から飛び出した。
そのまま自分の部屋に駆け込み、鍵を締め、琥凛たちに着せられた服を脱ぎ捨てると、裸のままベッドに飛び込む。
その日、藤堂が自分の部屋から出て来ることはもう無かった・・・






 清々しい朝。

 空は晴れ渡り、校門の桜が青空に映えている。
応援団二年副長補佐役、桃井国仁は、桜舞うさわやかな春風に目を細めた。

「今日も練習日和・・・気合入れていくぞーーーーーー!!!!!」

「も、桃井リーダーーーーーー!!!」

 遠くから走ってくる、下級団員の姿。
ちなみに、『桃井補佐』と呼ぶのは上級生が主であり、下級生からは『リーダー』と呼ばれるのが普通である。

「こら。押忍はどうした」

 いい気分を邪魔された桃井は、少々不機嫌にそう返した。
団員は慌てて直立姿勢を取る。

「お、押忍!!申し訳ありません!!失礼します!!も、桃井リーダー、た、大変なんです!!団長が・・・団長があああ!!!!!」

「・・・なんだって?」





「だ、団長ーーー!!やめてくださいーーーーー!!!」

「ええい離せ!!俺は男の道を外れた!!だから、この腹を切って身の潔白を証明せねばならんのだあああああああああああ!!!!!」

 部室の扉を開いた桃井は呆然とした。
なんとそこには、止めに入る団員を薙ぎ倒し、吹き飛ばしながら、
どこからか持ち込んだらしい匕首で切腹しようとする団長藤堂の姿があったのである!

「だ、団長!!?い、一体何があったんですかーーー!!!」

「ええい止めるな桃井!!道を外れ外道と化した俺が赴くは地獄のみ!!死出の旅に道連れは無用なのだーーーーー!!!!!」

「考え直してください団長ーーーーー!!!!!」

「ふ、副長は!!?宗像副長はどうした!!」

「そ、それが何処を探してもおられなくて・・・」

「草の根分けてでも探し出せ!!!なんとしてもここにお連れするのだーーーーー!!!!!」

「「「お、押忍!!!」」」

 応援団の戦いは、これからも続いていくのである・・・・・・・押忍!!!ありがとうございました!!!

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年07月17日 05:24
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。