ついにこの日がやってきた。
ある者にとっては待ちに待った、ある者にとっては忌ま忌ましい文化祭。
俺は言うまでもなく後者だ。
生憎と涼二の適切な処置を受けた足の具合は絶好調で、体調も無駄に万全だったりする。
強いて言うとすれば、気が重くて胃が痛むことくらいか。
学年の女体化者全員を集める「にょたい☆かふぇ」。
着替えなどの準備するにはまだ少し時間が早い。ということで、涼二と典子を伴って会場の下見に来ている。
シフト制とは言えそこそこの人数が動き回るのだから、会場も大きめの教室が使われていた。
学年全体での出し物なので、会場の用意は実行委員+有志で行ったそうだが、かなりの人数が集まったそうだ。
それだけ楽しみにしている人間が多いということだろう。おぞましい話である。
「うぉ、すっげー気合いの入れ方だなこりゃ。忍、しっかり働くんだぞ!」
「きれーい!可愛い!これだけお膳立てしてもらったんだから、頑張らないと!ね、忍っ」
「帰りてぇ…」
カラフルに彩られた看板に、きらきらと輝く電飾。どこから集めたのか、可愛らしい小物も無駄にセンス良くあちこちに置かれている。
使われているテーブルや椅子は元々この教室にあったのであろう地味な物だが、そこは上手くテーブルクロスやクッション、
レースなどでごまかしたようだ。ぱっと見では分からない。
入口付近にはちょっとしたステージが設置されているが、あれはもしや写真撮影用だろうか。
…撮るとしたら客とウェイトレスの写真だろう、常識的に考えて。
とにかく、文化祭の出し物としては力の入れっぷりが異常だ。全て業者が用意したと言われても納得してしまうレベルですらある。
そして中でも一際目を引くのは、会場の外の壁に掛けられた巨大なパネルだ。
「…なぁ。俺たちにはプライバシーというものが無いのか?」
「いかがわしい店ってこんな感じなのかね?まだ行ったことねぇから知らんけどさ」
「ちょっと中曽根、それセクハラだよ…まぁ、体重が載ってないだけ良いんじゃないかな?」
「絶対手芸部が流した情報だろこれ!?コンプライアンスがなってねぇぞ!」
その巨大なパネルには、各クラスの女体化者の写真が貼り付けられていた。
シフトの時間と、身長と、スリーサイズと、誰のものか分からない一言コメントつきで。
涼二の言うことは間違っていない。男の頃に興味本位で覗いた風俗のサイトが、こんな感じだったと思う。
きっと店に出向いても、このようなパネルが迎えてくれるのだろう。
「えーっと…忍はどこだ?」
「おい!俺の機密情報を見るんじゃねぇよ!」
「あった、ほらこれ!あははっ!写真、可愛く撮れてるよ?」
「この満面の笑みはカレーパンを手にした時の顔だろ。あ、ほら。カレーパン持ってるし」
「…いつの昼休みだろうな。涼二っぽいのが微妙に写ってるし」
全く身に覚えがないが、この上なく幸せそうなツラをした俺が写っている。
以前委員長が言っていた、おっかけによる盗撮写真がこれのようだ。
他の女体化者の写真もよく見れば、カメラ目線のものがほとんど無い。盗撮写真ばっかりじゃねーか。
「このコメントって誰が書いたんだろうな?なになに、『学年1のちびっこ、西田忍ちゃん。身長に見合わない大きなおっぱいに注目!
残念ながらお触り厳禁ですが、たっぷり癒されてくださいね♪ただし猫のような愛らしい見た目とは裏腹に、かなり凶暴との噂も。
取り扱いはくれぐれも慎重に!餌は与えないでください☆』…だとさ。ぷっ…」
「誰が何で誰を癒すって!?おいこれ書いたヤツ出てきやがれよマジでえええッ!!!」
「こらこら。そうやって怒るから凶暴なんて書かれちゃうんだよ?」
「違うんだよ!本当の俺はこんなんじゃないんだよ!でも何故かいつも俺の逆鱗に触れる出来事ばかり起こるんだよおおッ!!」
こんな紹介文では、それこそ風俗と変わらない。「お触り厳禁」と謳われてはいるが、学校行事としてこれで良いのか?
ちなみに他の連中の紹介文を見ると、「すらりと伸びた手足が~」とか、「8等身のモデル体型が~」とか、
概ねそんな感じのことが書かれている。…悔しい。
パネルを一通り眺め終わり、入口付近に書かれた説明事項を読んでいた涼二と典子が何かに気付いたらしい。
「指名料は+1000円なんだな」
「はぁ!?指名ってなんだよ!?」
「指名した娘がオーダーと配膳をしてくれて、最後に記念撮影もできるみたいだよ?」
「あのステージはやっぱりそのためにあるんだな…」
指名はどうか知らないが、店によってはメイド喫茶でも記念撮影ができると聞いたことがある。
そんなサービスをこの店で提供したところで、少なくとも俺を指名するような頭の可哀相な人間がいるとは思えない。
でも、周りがどんどん指名されていったとして、俺だけぽつんとしているのも…それはそれで嫌なような気がする。
結局、指名があろうがなかろうが、恥ずかしい思いをすることに変わりないということか。
…いよいよやりたくなくなってきた。ここは必殺・持病の仮病で遁走を謀ってみようか…?
「…西田君。良からぬことを考えてますね?」
「どわ!?せ、先輩っ!?」
「おっと、何だ何だ?」
唐突に背後から両肩に手を置かれ、耳元で囁かれた。慌てて飛びのき、涼二を盾に距離を取る。
あの日以来、何度か校内でこの人に会うことがあった。
大体向こうから気付いて挨拶をしてくれるのだが、妙にボディタッチが多いのが恐ろしい。「あの行為」を思い出してしまう。
苦手というか…相手にすると調子を狂わされるタイプの人だ。
「はい、おはようございます。それで西田君、良からぬことを…」
「考えてません!いやぁ、あはは!た、楽しみだなぁーっにょたいかふぇッ!」
「そうですか。なら良いんですが…てっきり仮病を使って逃げようとしてるのかと思いまして」
「そ、そんなわけないじゃないですか…いやだなぁ先輩…」
「気のせいなら良いんです。私が心を込めて衣装を作ったのに、逃げ出すなんて言い出したら………今度こそ目茶苦茶にしちゃおうかと」
ぞわり、と。
全身の毛穴が開く。あれでもまだ軽い方ですよ、とでも言いたげな雰囲気だ。
冗談じゃない。あれ以上やられたらどうなるか分からないし、そして俺はまた、拒絶どころか懇願してまで快感を得ようとするだろう。
ニコニコとしている地味子先輩と、たじろぐ俺。
事情を知らない典子と涼二は、頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「目茶苦茶って?何の話?」
「な、何でもねぇって!プロレスごっこみたいな!?そんな感じ!?」
「女同士のプロレスもエロくて良いよなぁ。是非やってくれ」
「西田君は逃げないと言ってくれましたが、お友達がこう言ってることですし…」
「涼二ぃぃぃ!てめぇはちっと黙ってろぉぉぉッ!!」
意味を理解しているのかしていないのか、涼二がとんでもないことをのたまう。
ちょ、お前が変なこと言うから先輩の手がわきわきし始めたじゃねぇかよおお!
え?おい、こんな場所で!?二人とも見てるのに!?
せめて、もっと人のいない場所で…って違うだろ俺!?
「おっと、本題を忘れてました。そろそろお着替えの時間なので、呼ばなければと思って探してたんです」
ぴたりと動きを止めた先輩が、思い出したように言う。
店内の時計を見ると、確かにそろそろ支度をしなければいけない時間になっていた。
「あ…そ、そうっすよね!行かないとですよねぇ!」
「なので、また今度にしましょう」
「…。」
さらりと不穏なことを言われた。
着替えは手芸部の部室で行うことになっている。
シフト制なので俺の出番はまだ先なのだが、全員参加で「開店式」なるものを行うらしいので、
どちらにしても着替えはしておかなければならない。
涼二はうちのクラスの本業である、クレープ屋の準備へ向かった。
こちらの開店式に間に合うように中抜けしてくると言っていたが、そこまでして俺を笑い者にしたいのか?
典子は俺のメイク係として同行している。
昨日までに何度も断ったのに、頑なに化粧をすると言って聞かなかった。
仕方ないので、今日は前に一緒に買いに行った化粧品を自前で持ってきた。
さて、まずは着替えか。先輩さえいなければまた脱走したいところだが、
あの逃走劇のあった日に涼二に向かって「目に焼き付けとけ!」と啖呵を切ってしまった事実があるのが痛い。
…元男に二言はねぇ。やってやるよ。
「おっす西田、ちゃんと逃げずに来たな。ま、オレもだけどさ」
部室に入ると、サイズ測定の日と同じ席に菅原が座っており、こちらに気付いて声を掛けてきた。
横に腰を降ろす。典子は俺の横に座った。丁度俺が挟まれた状態だ。
「まぁな。今更逃げたって後が怖いだけだし。あ、えーっと…こっちはツレの藤本な」
「忍のメイク係の藤本です!菅原君だよね?」
「ん?あんたオレのこと知ってんの?」
「あはは、にょたっ娘はどうしても有名になっちゃうから。それにしてもやっぱり…近くで見てもホントに美人さんだねっ!羨ましいなぁ」
俺だって羨ましいわ!
「気ぃ悪くしたらスマンけど、客観的に見りゃそうだろうな。別にオレに限った話じゃなくてさ。西田だって超可愛いだろ?」
「うん、忍は超可愛いよぉーっ。つい頭を撫でたくなっちゃうよね!」
「何かマスコット的な扱いを受けてる気がするんだけど…」
「さぁ!にょたっ娘たち、ついにこの時がやってきましたよ!えへ、あはッ!た、楽しみだねぇ!」
そんな話をしていると、早くも鼻血にまみれた変態部長の掛け声と共に各自の衣装が配布され始めた。
配布される側は、諦めの境地に達したような表情で受け取っている。もう抵抗しても無駄だと分かっているようだ。
俺と菅原の物らしい衣装が入った手提げ袋を手に持った地味子先輩が、こちらに近付いてくる。
「菅原君はこれ、西田君はこれですね」
受け取った袋の中身を確認。覚悟を決めたはずなのに、きちんと折り畳まれたそれは、やはりあの時に見た物と同じで目眩を覚える。
間近で見て思い知らされた。彼女たちの趣味兼部活動による作品なのに、素人が作ったとは思えない完成度だ。
もっとまともな服飾品を作れば良いのに、と思わざるを得ない。
あれ?何か他にも入ってるぞ?…これって。
「…先輩、何すか?これ」
「猫耳と尻尾のようですね」
「それは見れば分かりますって!何でこんなのが入ってるんです!?まさか着けろとか言いませんよねぇッ!?」
「…私は入れてませんよ?いや本当に。私の処女を賭けても良いです」
何故か俺の袋には、萌え重視の安っぽいメイド喫茶で使われるような猫耳と尻尾が入っていた。
物自体は、気持ち悪くない程度にリアルな作りではあるけど。
こんなのは契約?のうちに入っていない筈だ。別に先輩の処女はいらないが、先輩が入れたとしか思えない。
「オレのには入ってねーぞ?良かったな西田、特別仕様じゃん」
「誰かがこっそり追加したのでは?あ、付箋が貼ってありますね。『>>625』…?人名でしょうか?」
「やっべええ!!誰だか知らねぇけどぶん殴りてえええッ!!!」
叫んでから気付く。
これが>>625とかいう素性の明らかでない第三者の仕業なら、俺にはこれを着用する義務などないじゃないか。
手芸部が用意した衣装を着るという話で決まっているんだから。
単に俺を弄りたいのか、それとも何かを期待したのか。意図など知る由もないが、こんなものは廃棄処分させてもらうとしよう。
「まぁ良いや。こんなもん、ゴミ箱にぶち込んで…」
「これ、きっと忍のファンが入れたんじゃない?ファンサービスだと思って着けてみたらどう?」
「え?何言ってるの??典子さん???」
「そうですね。むしろ『その手があったか』的な気分です。…私としたことが、遅れをとりましたね。この>>625なる人物、かなりのやり手かと」
「ちょっと先輩まで!?俺はこんなの着けたく…」
「…西田君が着けてくれないなら私、全裸になりますよ?今ここで。良いんですか?」
「どんな脅迫の仕方ですかそれ!?」
先輩がここまでキてるキャラだったとは思わなかった。やはり手芸部、侮れない。
しかし…今までの傾向から察するに、ここで抵抗するのは無駄な足掻きだ。
何故なら俺の人生はまるで、ストーリーとして書き上げられたかのようにことごとく悪い方向へと転びやがるから。
「…はぁ。分かりました。分かりましたよ。着けりゃ良いんでしょ…」
「まぁこの衣装だからな。今更オプションがついたって、たかが知れてるだろ」
「流石、忍は分かってるぅ!いい子いい子!」
「私は実に良い後輩を持ちました。では西田君、試着室へどうぞ」
もし男の頃の俺が今の俺の状況を見たら、きっと発狂して頭を地面に打ち付けていただろう。
「西田君、ちゃんと着れましたか?何なら私が手取り足取り…」
「だ、大丈夫ですよ!サイズも『胸以外』はピッタリですから!」
カーテンの向こうから、先輩の声が聞こえてくる。
女物の服の着方は、それが今まで着たことのないタイプの服だとしても何となく分かるようになった俺。
今回用意された衣装も難なく着れてしまった。
超ミニ丈のワンピースの上からエプロンを着けて、パニエを仕込み、カフスと首リボンを巻く。メイド風ウェイトレスな感じだろうか?
ヘッドドレスも用意されていたが、例の猫耳のせいで今回は必要なくなってしまった。どうせ着けるなら、ヘッドドレスの方が良いんだけど。
エプロンは全員白で共通だが、ワンピース部分の色は各自のイメージに合わせて変えたらしい。
菅原は黒。白黒カラーなので、メイド服のようにも見える。というか、逆にメイド服の定義って何だろう。
今となっては、かなりの変形コスチュームもメイド服として謳われている気がするし、
これもメイド服だと言ってしまえばそう見えるかも知れない。…あ、話が逸れた。
凛とした美少女の菅原には、シャープな黒がよく似合う。先程チラ見した限りだと、武井はモスグリーン、小澤はオレンジだった。
マイペースな武井に、快活な小澤。それぞれのイメージに確かに合っていると思う。
そして俺はチェック柄の…ピンク。正直、ゲロを吐きそうなくらい甘々なカラーリングである。一体俺の何処がピンクなのかと問い詰めたい。
そんなピンクいワンピースは胸元が大きく開いており、アンダーバスト辺りをやや絞ったような形になっている。
そのせいで、否応なく谷間が強調されてしまう。あぁ、ピンクって…煩悩カラーということなのか?
他のサイズはぴったりなのに、ここだけがタイトなのは何か作為的なものを感じる。
「…胸のサイズ、間違えてません?」
「緩かったですか?」
「いや、むしろ少し苦しいくらいですけど…」
「それが正解です。そういう風に作りましたから」
やっぱりわざとかよ!いやいや、かなり目立つぞこれ…大丈夫なのか?風紀的な意味で。
俺、どうなっても知らねーからな…。
「もう着終わったのかな?早く見せて欲しい!」
「オレももう着終わってるぜー。自分で言うのもアレだけど、ぶっちゃけ超可愛いぞ?」
「今出るよ…」
典子と菅原に急かされ、カーテンを開けて外に出る。
おかしいところは無い筈だ。この服そのものがおかしいということはさて置き。
「…まぁ、こんな感じだけど」
「…かーわーいーっ!可愛いよ超可愛いー!!」
「むがっ…!」
目を輝かせて待機していた典子の乳が襲い掛かってくる。
久々に抱きつかれたが、女になって暫く経った今でも、この感触と洗剤の匂いがやっぱり気持ち良い。
今はもう恋愛感情が無くなったので、余裕を持って楽しめる自分がいる。
「おいおいその乳、目立ちすぎじゃねぇ?全体的にロリっぽいのに、そりゃ反則だろ」
「そうなんだよ、これ大丈夫なのか?やりすぎだって言われて、謹慎でもさせられたらたまんねーぞ」
「いきなり謹慎はないでしょ?どうしてもダメなら、先に忠告があると思うよ」
「…我ながら最高の出来ですね。もはや理解不能なレベルの可愛さです」
「むぅ…そうだ、尻尾はどうするんですか?ぬ、縫わなきゃいけないなら、無理にやらなくても…」
「ナメないで下さい。そのくらい、呼吸をする手間と変わりません」
先輩は裁縫セットを取り出すと、俺の後ろに回ってワンピースのスカート部分に尻尾を縫い付け始めた。
尻尾には既に付け根を縁取るように布が付けられており、そこをワンピースに縫い止めるらしい。
ちくちくとやっているかと思えば、一瞬で終わってしまったようだ。
手芸部員の肩書は伊達じゃないということか。俺が元男で裁縫とかには疎いからと思いきや、隣の典子も驚いている。
「流石というか、何と言うか…」
「凄い…」
「元男のオレたちにゃ、こんな芸当できっこねぇよなぁ」
「料理なんかも良いですが…女の子としてはこんなことも出来ると、なお良いのでは?その気があれば今度教えてあげますよ」
最近よく耳にする女子力(笑)というヤツか。
ぶっちゃけ小馬鹿にしていたが…この手際を見せつけられては、裁縫が全く出来ないのが恥ずかしい気すらしてくる。
料理は少しずつ覚えているし、ついでに裁縫なんかもアリかも知れない。
涼二のヤツ、ちょくちょく靴下に穴が空いてたりするし。縫ってやったら喜ぶかな?
…って、また何考えてんだ俺。何で涼二ありきなんだよ!アイツは別にどうだって良いだろうが!
くそ、最近こんなんばっかりだ…。
「…考えときます」
関係ない。別に涼二は関係ないからな。
「あ、奈緒ちゃんと梓ちゃんだ。やっぱり二人もすっごく可愛い!」
「やぁ西田に藤本。その猫耳と尻尾は特注かな?よく似合ってるじゃないか」
「おはよー!うわぁ、ピンクのにゃんこだ!かーわいい!えいっ」
「ふがっ、ぬ、これもなかなかどうして…」
菅原が自分のクラスの連中と話しに行ったのと入れ替わりに、着替え終わった武井と小澤がやってきた。
テンションが上がった小澤に抱き締められる。大きくも小さくもない小澤の乳も悪くない…じゃなくて。
やっぱマスコット扱いだよな、俺…。
解放されてから、改めて二人を眺めてみた。
モスグリーンとオレンジはそれぞれによく似合っているし、程よく強調された胸元の、程よいエロさが非常に良い。俺のは強調されすぎだ。
しかしこいつらときたら…よく恥じらいもせず、しれっとしてられるな。
「猫耳と尻尾は>>625とかいう変態紳士に仕込まれたんだよ。それを典子と先輩がノリノリで着けたがるから…」
「あはは、そうだったの?でも似合ってるから良いんじゃない?」
「でも不思議だよね。忍の気分と連動してるみたい」
「…へ?」
「僕もさっきから気になってたんだ。それ、どういう仕組みになってるのかな」
二人に言われ、尻尾を見てみる。………勝手に動いてるんだが?
いやいや、おかしいだろ。マジで何だこれ?「勝手に動いてる」のを見て驚いたせいか、今度はピンと立って毛が逆立ったぞ?
確か猫の尻尾って、感情を表してるんだよな…。
これじゃ本当に猫みたい…っつーか、どうなってんだよこれ?何か怖いんだけど。
「ふむ。こうしてみたらどうでしょう?」
「あ…」
先輩に頭を撫でられる。ゆっくり、じっくり、優しく。
何で俺っていつもいつもコレをやられるんだ?女になってからしょっちゅうだぞ。でもこれ、気持ち良いんだよなぁ。そう思うの俺だけ?
こう、あったかくて、ふわふわして、周りから見たら多分、目がとろーんと…。
「また動きが変わりましたね。…気持ちが良いと、こうなるんでしょうか?」
「…はッ!?あ、遊ばないで下さいよ!マジで不気味な尻尾だなくそ!」
どうやら本当に俺の感情に合わせて動いているらしい。
センサーらしきものは無かった筈だが…あったとしても、感情で制御するなんてのは今でも研究中の分野じゃないのか?
サイ〇ミュ兵器かよ。そんなものをこんなものに使うなんて、科学力の無駄遣いだろ。
気持ち悪いことこの上ないが、先輩や典子たちはすっかり気に入ってしまったらしく尻尾でじゃれている。
今日一日は我慢するしかない、か…。
「西田ちゃああああああん!自前でオプションを用意してくるなんて、そんなに楽しみにしてくれてたんだね!?」
「げっ、厄介なのが来た…」
変態部長のお出ましだ。またも抱き締められて乳が以下略。
決して自前で用意したのではないと、再度説明する羽目になってしまった。
「という訳なので、この怪しい尻尾は俺の私物ではなくて…」
「んー。どうでも良いや!たべ、食べて良いよね?頂いちゃって良いよね??」
「いやいや何でそうなるんですか!?ヤバい、目がヤバいこの人ッ!ちょ、せっかく着てやったのに脱がすんじゃねえええッ!」
「だ、大丈夫!堪能したら私がまた着せてあげるから!さぁ、脱ぎ脱ぎしよーね!はぁ、はぁ…!」
「…落ち着いて下さい部長。今からじゃ開店式に間に合いません」
「そういう問題でもないですからッ!!」
先輩が止めてくれたが、根本的な解決になっていない。
彼女の望みである、自分の考えた衣装を着た女体化者がこれだけ集まっているのだ。
もう血走った目やら鼻血やらでエラいことになっている。
先輩もそうだが、この部長も手芸の能力自体はかなりあるのだろうに…方向性が勿体なさすぎる。
俺を諦めた部長は、他の女体化者を襲いに行った。各所で悲鳴が上がっている。
…合掌。
さて、開店式とやらの前に…。
「忍、そろそろお化粧しよっか?忍をもっと可愛くするために、私頑張っちゃうよー」
「…だよな、丁度そう思ってたところだよ。そういや武井も今日は化粧してるんだな?」
「小澤にやってもらったんだ。自分でやるのはまだ自信が無くてね」
「いつも可愛いけど、今日はもっと可愛いでしょ?眼鏡で暗い印象にならないように、ちょっとだけチーク乗せてるんだ」
武井の顔にも、うっすらとではあるが化粧が施されていた。
黒ぶち眼鏡の奥の目は普段よりも大きく見え、チラリズム的な効果が期待出来そうだ。
普段は俺と同じく化粧っ気のない、武井の新たな表情。惚れ直す輩が大量発生してもおかしくない。
「にょたっ娘は皆そうだけど、薄化粧で良いからね。すぐ終わるよっ」
「私ももっとがっつりやってみたいんだけどなぁー。やり過ぎると水商売の人みたいになっちゃうし!」
「小澤は本当に順応してんなぁ…」
鞄から、以前典子と買いに行った化粧品を取り出す。
あれから実はほんの少しだけ…気が向いた時に練習をしたので、マスカラやらグロスやらには幾らか使用感がある。
それを見た典子は何やら満足気だった。
今でも化粧には然程興味はないのに、俺は何を思って練習をしたのだろう?
自分でも動機の分からない、その妙な努力がバレてしまったのがやけに恥ずかしい。
「ちょっとは自分でも使ったんだ?やっぱり、恋する乙女は自分を可愛く見せたいからね!どうする?今日は自分でやってみる?」
「なっ…!」
「西田が恋する乙女だって?相手は…妥当な線でいけば中曽根か」
「うっそ!?ほんとに!?でもでも、中曽根君とは幼馴染みだもんねぇ。私もそうだから、何か親近感あるかも!」
「色々ちっげーよ!!恋なんてしてねぇし、してたとしても何で…りょ、涼二なんぞに…!そんなことどうでも良いからさっさとやってくれよ!」
「恥ずかしがらなくても良いのにー。ま、それじゃ始めますか!」
顔が熱い。動悸が治まらない。本当に俺、どうしたんだろう。
涼二といるといつも楽しくて、ドキドキして、もっと匂いを嗅ぎたくて、また飯を作ってやりたくて、耳掃除だって。
アイツは親友だろ?親友にそんなことを考えるのは普通なのか?
…逆に、親友だからかも知れない。一番距離が近いから、変な気分になるんじゃないか?
別にアイツがどうこうじゃなくて、きっといつも一緒にいるからそう思うだけだ。
いつも一緒にいる異性だから、「親友」と「想い人」の区別が曖昧になっているだけ。
まだ女になって半年も経ってないから、精神が安定してないんだろう。
風邪みたいなもんだ、そのうち落ち着くさ。
「せーの、出来たっ!」
「え…あ、もう終わったのか?」
ぐるぐると考え事をしている間に、施術は終わった。
手鏡で自分の見慣れた筈の面を拝むと、やはりいつもとはどこか違う。自分でやった時は、もう少しケバくなってしまったと思う。
ふむふむ、このくらいの方が自然で良いかも…ってまた、何を参考にしてんだっての。
爪も前と同じくデコられている。トップコートが乾くまで、触らない方が良さそうだ。
「西田君のレアなお化粧姿!早く中曽根君に見せてあげなよ!」
「やっぱり変わるものだね。これなら並の男は落ちるだろう。つくづく化粧というのは恐ろしいよ」
「言ってろ!」
さぁ、そろそろ開店式だ。
『…やっぱり嫌だ。こんな格好で外に出たくないよ…』
『大丈夫だって、ムカつくくらい可愛いから。ほら、元男ならシャキッとする!』
いよいよ会場へ移動するにあたって、女体化者たちが怖じ気づき始めた。
俺で言う典子のように、メイク係として着いてきたのであろう女子たちの元から離れられずにいる。
この場において、頼れる存在は彼女らしかいないからだ。
嫌がって幼稚園の送迎バスに乗ろうとしない子供と、それを何とかあやして送り出そうとする母親の図のようにも見える。
部室は完全に閉め切られた上に目貼りまで施されており、外からは見えないようになっている。
その外では、移動前に一発目の写真を撮るべくカメラを構えた連中が群がっているのだ。正直俺も出たくない。
こちとら女になって、色んな苦難を乗り越えて何とか普通に生活出来るようになってきたんだぞ。
そこにきてこんな格好を人目に晒すなんて、また暫く話の種にされるのは明らかじゃねーか。頼むから静かに暮らさせてくれ。
『では皆さん、会場へ移動してくださーい!』
「ぅ、ううう!わ、私のにょたっ娘たちが、私の元から巣立ってしまう!ずっとずっとここに閉じ込めて愛でまくりたいのにいいいッ!」
移動せよとの号令が掛かったが、部長は俺たちをここから出したくないようだ。
ある意味、利害が一致している気がしなくもないが…。
「変態どもに飼い慣らされるくらいなら、さっさとここから出た方が良いっての」
「経験者は語るってヤツか?」
「そんなとこだ。あんなのはもう御免だぜ…ほら、さっさと行こう。オレはもう開き直ったぞ!」
「あ、待てって!…ええい、ままよ!」
部長に愛でられた経験のある菅原が、気まずそうに言う。そのまま先陣を切って、扉に向かって歩き出した。
逡巡している暇はない。菅原の後を慌てて追いかける。
尻尾が、ぴょこぴょこと揺れた。
うんざりした俺たちの気持ちはお構いなしに、開店式はどんどん進行している。
部室を出た瞬間から今に至るまでに普通の人の一生分くらいのフラッシュを浴び、本番のカフェが始まる前から疲労困憊といったところだ。
ファンサービス精神豊富な小澤は相変わらずにこやかに手を振っていたが、俺はとてもそんな気分になれないし、キャラでもない。
開店式は文化祭の実行委員が司会を勤め、ウェイトレス一人一人の紹介を行った。
俺は店の前に貼られた紹介文と概ね同じような紹介をされ、危うく暴れるところだった。
むしろ暴れかけたところを菅原や武井たちに取り押さえられた。
それを見た観客から歓声が上がったのは、「狂暴」という設定を強調してしまう結果になったからだろうか。
その後は店の注意事項…連絡先を聞いたりボディタッチするのは禁止だとか、まぁそんな話があって、
最後となった今は全体と個別での写真撮影タイム中だ。
全体はすんなり終わったが、個別は非常に困る。
一人ずつ前に出て撮る形式なため、時間の都合で一人あたり30秒程度で回されている。
本格的な物から携帯まで。これ程大量のカメラを一度に向けられる経験などしたことのない俺は、当然ガチガチに緊張しているわけで。
盗撮は言うまでもないが、例えば移動中に写真を撮られるのは一方通行で済む。
撮られている自覚はあれどシカトしていれば良いし、撮る側もそれで良いと思っているだろうから。
でも、これはそうもいかない。何らかのリアクションを求められている状況なのだ。
俺だけじゃなく先に撮られていた他の面々も、困ったような半笑いの顔で撮られてみたりと、どこかぎこちない。
そんな中でも堂々としていたのは、やはり我がクラスの武井と小澤。そして意外にも、今まさに撮影を終えて戻ってくる菅原だった。
「ふぃー、早速一仕事終えた気分だな」
「お前、よくあんなに堂々としていられたな…自然な笑顔なんて見せちゃってさ」
「緊張してたっての。でも考えてみれば、オレの写真を撮りたがるってことは基本的にオレのことを気に入ってくれてるわけだろ?
だったら、少しくらいノッてやっても良いかと思って」
「ポジティブなヤツ…」
男の頃の菅原のことは全く知らない。ただ、少なくとも今はとてもあっさりしている。
サイズ測定の日こそ共に脱走した仲だが、今日は然程嫌がっている様子もない。
「やらされることが決定したからには仕方ない、やってやるか」程度に考えているようだ。
さて、そこまで割り切れない俺はどうしよう。どうしたら良い?
今撮られている奴の次は、もう俺だ。
『さぁ、お次は西田忍ちゃんです!先程の行動の通り、やはり狂暴ですからね。取り扱いはくれぐれも慎重に!では忍ちゃん、前へどうぞ!』
「うっ…」
呼ばれた。
いつもの俺ならこの司会者のナメた口に、脊髄反射で食って掛かっていたと思う。
完全に腰が引けた今は、とても言葉など出てこない。力の入らない脚で、よろよろと前に出る。
恥ずかしい気持ちとか、そもそもこんな状況に立たされる謂われがあるのかという疑問などで、脳の容量を使い果たしている気がする。
どんな顔をすれば良いのか、どう振舞えば良いのか。そこまで考える余力が殆ど残されていない。
取り敢えず無愛想に突っ立って、カメラは見ない。そのまま30秒経つのを我慢すれば良いだろう。
カメラを持った連中が何を期待しているのか知らないが、俺はそんな趣味に付き合う義務は無いんだ。
そんな中、涼二と目が合った。
アイツは呆けたような顔で俺を見ていると思ったら、喧騒を打ち消すように突然大声を出した。
「あっはは!さっきまでモデル系にょたっ娘ばかりだったのに、今度はちんちくりんな猫が出てきてやんの!」
内容は失礼そのものなのに、間違っていないのが皆の笑いを誘っている。どっと会場が沸いた。
しかし、だがしかし。言うに事欠いてコレである。突然何だと言うのだ。
涼二の発した言葉で覚醒したかのように、俺の全身に熱い血が巡り出す。
力を取り戻した2本の脚で、床を踏み締める。握った拳の震えの理由は今、怒りへと変わった。
「こ、の…ッ!」
「おっとぉー?そういやこの猫は凶暴な野良猫だったかな?だったら、保健所に連絡しないとなぁ?」
「てめえええ涼二コラああアアッ!毎度毎度俺を馬鹿にしてくれやがってッ!!耳かき棒で脳天ぶち抜いてやるかんなマジでッ!!!」
『西田が荒ぶってる!本当に凶暴だなぁ!』
『でも、あの小っこい身体で怒り狂ってるのも愛らしいー!』
「何で俺を激昂させるイベントばかりが目白押しなわけ!?何事も無ければ俺は静かな人間なのに!!」
『ちょっと、気性の荒い娘を刺激するのは止めて下さい!か、飼い主さんは…え、何?あの刺激してる人が飼い主だって?』
「そこの司会てめぇもだあああッ!人を動物みたいに扱ってんじゃねええええよッ!!んがあああッ!!」
『あ、さ、30秒経ちました!次の方どうぞ!ほら早く!今すぐに!」
「…あれ?」
気が付くと、俺の「持ち時間」は終わっていた。よく分からないまま、元の場所に戻される。
『いやぁ、良い画が取れたよ!』
『ブチ切れシーンはこれで良し、後で別の表情も撮れたら良いなぁ』
どうやら今のは観客たちが望んでいた展開らしく、それぞれが嬉しそうな表情を見せている。
下手にぎこちないポーズをとるよりも、ある意味自然な姿。それを求めていたようだ。
俺がキレキャラとして認定されていることは腑に落ちないが、結果的にキレたのは正解に近いようだった。
混乱した頭のまま涼二を見遣ると、「やれやれだぜ」とでも言いたげな表情で笑って、
肩をすくめて外国人がやるように両手のひらを上に向けるポーズをして見せた。
…そっか。
アイツ、俺が緊張してるのが分かってたのか。それで、あの挑発は助け舟だったんだ。
また、助けられたな…。
開店式を終えた後の空き時間。シフトの時間までは暇なので、自分のクラスの出し物を手伝うことにした。
俺を含むクラス全員で飾り付けをしたクレープ屋は、それなりの見栄えだと思っている。扱っている品物の関係で、可愛い系の方向性だ。
業者が用意したと言われても違和感のないにょたいカフェと違い、こちらは手作り感満載の仕上がりとなっている。
これはこれで高校生らしくて好ましいと思う。
皆で協力して作り上げたものだし、にょたいカフェとどちらが上だなんて優劣をつけるものではない。
にょたいカフェの開店式と時刻を同じくして開店していたクレープ屋は、それなりの盛況を呈していた。勿論こちらには式などない。
客層は主に女子生徒のグループ。ちらほらと、カップルらしきリア充たちも見受けられる。爆発しろ。
男子生徒のみという客は殆どいないようだ。
盛況なだけあって、販売と製造のスタッフは皆忙しそうにしている。そのうちの、俺に気付いたクラスメイトの女子が話し掛けてきた。
『あれ?西田君だよね?やだー超可愛いんだけどっ!ね、手伝ってくれるかな?まさに猫の手も借りたいってやつ!』
「猫は余計だっての!悪ぃ、ちょっと用があってさ。すぐ片付くから、終わってからで良いか?」
『うん!…でも西田君に手伝ってもらったら、余計忙しくなっちゃうかな?でもその方が良いよねぇ』
「…?よく分かんねぇけど、また後でな」
俺も手伝おうと思ってやってきたのは確かだが、まずは別件を片付けてからだ。皆には悪いが、もう少し待ってもらうことにした。
でも俺が手伝ったら忙しくなるって?何故だ?
裏方で「別件」を発見した。どうやらクレープの材料の整理をしているようだ。
「…おい」
「お、保健所行きは免れたのか?」
「うっせぇ!……さっきは、えっと…まぁ、助かったよ」
「お前、ガッチガチだったからな。他の連中は気付いてないみたいだったけど」
「長い付き合いだからだろ。腐れ縁も、たまにこうして役に立つから侮れねぇ」
「可愛いげのねぇヤツだな!もっと素直に感謝しろよ!」
「…ふんっ!」
実はあの場でコイツに助けられてから、化粧中に典子たちとした話…恋する乙女が云々、が頭をよぎっていた。
面と向かって話したらどうなってしまうだろうかと危惧していたが、割といつも通りの調子で会話が出来た。
大丈夫、平常運転してるじゃないか俺。
やっぱり涼二はただの親友だ。
「…じゃ、俺は女子の手伝いしてくるからな」
「うぃー。…あ、そうだ」
「あ?」
「後でにょたいカフェ行くわ。そしたら指名してやるからな」
「指名しなくて良いし、そもそも来なくて良いんだぞ」
「助けてやったんだから、笑い者にするのは当然の権利だろ?んでお前のシフトが終わったらさ、他のクラスの出し物色々見て回ろうぜ。
食いもんの店も結構出てるし。こういう時に二人でいると、端から見たらカップルに見えるかも知れねぇけど」
「おう。………へ?」
「ちゃんと聞いてんのか?後で二人で見て回ろうって言ってんだよ」
「は!?え、あ、あぁ!い、行く!行くって!!」
「…?まぁ、また後で連絡するからな」
端から見たらカップルに見えるかも。その一言を聞いた途端、数秒前までの平常運転が嘘のように心臓が暴走する。
確かにこの手のイベントで男女の2人組を見たら、普通はカップルだと思うだろう。事実、俺も先程の客を見てそう思ったし。
今度は俺がそんな目線で見られる可能性があるのだ。
あの二人カップルだよ、リア充マジ爆発しろ。とか、思われるかも知れない。
…何故か、嫌じゃない。ドキドキして、変な汗が出てきたけど。全然嫌じゃないのは何でだろう。
それどころか、この文化祭というイベントに二人で過ごす時間があっても良い。そんなことすら考えている。
本当に、タチの悪い風邪をひいたらしい。
「ま、待たせたな。俺も手伝うぞ」
『お帰り!あれ、顔が赤いよ?どうしたの?』
「な、何でもねぇ!それより、俺は何をしたら良いんだ!?」
『西田君…って言うか、にょたっ娘にぴったりのお仕事があるんだよねー。はい、これ』
「…プラカード?」
渡されたのは、棒付きのプラカード。そういえば準備期間中に女子たちがこさえていた記憶がある。
いかにも女子高生な文字や絵で、クレープの宣伝が描かれている物だ。要は、これを持って客を連れて来いということらしい。
「こんなの、誰がやっても変わらねぇだろ?」
『西田くーん?それは厭味かな?良いから行っておいで!男子のみのグループを釣るには美少女を起用するしかないんだから』
「お、おう。これを持って教室の周りをウロウロしてりゃ良いんだよな…?」
言われて納得した。俺だってそこまで馬鹿じゃない。女体化した人間として、美少女になった自覚はある。
ナルシストになりたくはないので、普段はあまり意識しないようにしているが。
意識しないようにしている理由はもう一つある。
非常に腹立たしい話だが、この世の中には女体化者差別というものがあるのだ。
「いくら可愛くても、元男と付き合うのはちょっとなぁ」程度であれば差別とは言わない、と俺は思う。それは仕方のないことだから。
問題は、過激派に分類される連中だ。
差別する理由はまちまちだが…例えば元童貞野郎がいっちょ前に美少女ヅラしているのを面白く思わない輩や、
元男が女子トイレや、公衆浴場の女湯に入るのを嫌がる輩がいる。どちらも心の中で思う分には仕方ないが、
後者に関しては実際に追い出されてしまうケースもあるらしい。
幸い、この学校で表立った差別行為があるという話は聞かない。
どちらかと言えば好意的に受け止めてくれる人が多いように思う。
にょたいカフェなんぞが支持されていることからも、むしろ人気ぶりがうかがえる。
それでも、出る杭は打たれるという言葉がある。あまり自意識過剰でいると、顰蹙を買って新たなレイシストを生み出す結果になりかねない。
やはり人間、慎ましく生きていくに限る。
というわけで、小澤のようにキャピるのはちょっと俺には無理だ。
ビジュアル的に目立ってしまうのは避けられないが…あまりやる気満々に見られないように、プラカードを持って大人しくウロウロしていよう。
…と、思ったのだが。
『君、どこのクラスの娘?すっげぇ可愛くね?』
「いや、そこのクレープ屋なんですけど…」
『クレープかぁ、甘い物は好きじゃねぇけど、君みたいな娘は好きだよ?なんてね!』
囲まれていた。
教室を出て、廊下を少し歩いただけで大量の男子が連れてしまった。雰囲気からして、俺が女体化者であることは知らないようだ。
サイズ測定の日や先程の開店式など、俺の名前を知っている奴は確かに多い。
だが、こういう女体化者に興味がない連中も当然、少なからずいる。
その彼らの視線はプラカードよりも、もっと下…俺の谷間に注がれている気がする。クレープなどどうでも良いのだろう。
俺も元男だから気持ちは分かるが、ちょっと露骨すぎやしないか?悪気はないんだろうけどさ。
元男だって知ったら、どう転ぶかな…。
「そこそこ美味いと思うんで。気が向いたら買ってもらえると助かります」
『つーか、その衣装ってアレだろ?にょたいカフェってヤツ』
『なんだ、てことは元男か。可愛すぎると思ったぜ』
早速バレた。
罵声を浴びせられるんじゃないかと、つい身構えてしまう。さぁ、コイツらはどう出る?
『でも、良いんじゃね?実際可愛いんだしさ』
『だなー。んじゃ君、俺らと写真撮ってくれたら買ってあげるよ!』
「え?あ、はぁ…」
言うが早いか、通行人を捕まえてデジカメを渡している。
開店式と違って、普通に写真を撮るノリに近い。だから緊張せずに済むが、拍子抜けだ。
『じゃあ撮りますよー』
『ほら、笑って笑って!』
「あはは…」
ぱしゃりと一枚。戻ってきたカメラを手にした持ち主が、早速ボタンを操作して撮った画像を呼び出す。
『これこれ。んーっ、良い感じに撮れてるじゃん!』
『くっそー、元男でなけりゃ今すぐ告ってたのに!』
『それ、俺にも焼き増ししてくれよ』
『俺も俺もー』
数名の男の中心に立たされた液晶の中の俺は、やはり少し困ったような笑いをしていた。
だが客観的に見れば、綺麗に撮れていると言っても良いだろう。
でも、良かった。気持ち悪がられたり、罵倒されたりするようなことはなかった。
元男に興味はないと断言されたようなものだが、むしろ清々しいくらいだ。
『さて、約束通り買いに行くよ。あそこの教室だろ?』
「あ、はい。どうもありがとうございます」
『どう致しまして!んじゃ!』
意外と…と言っては失礼だが、良い奴らだったな。
彼らがクレープ屋に向かっていくのを見送り、さぁ引き続きウロウロするか…と振り返って、ぎょっとする。
カメラを持った連中が、俺の周りに群がっているではないか。
「げっ、何がどうした…!?」
『あそこでクレープを買うなら一緒に写真撮ってくれるってマジっすか!?』
『買う!買うから僕とツーショットを!』
大半は男子だが、女子もちらほら混じっている。
男子は良いとして、女子にとってはテーマパークの着ぐるみと写真を撮りたい心理に近い感じだろうか。
まさかこんなに客が増えるとは思わなかった。クラスの女子が言っていた「忙しくなる」というのは、こういうことか。
クレープを買うこと前提で写真を撮れるというのは彼らの勘違いだが、今更とても訂正できない。
とにかく、どうにかこの群集を捌かねば…!
ふとクレープ屋を見ると、販売をしている女子たちが俺に向かって、握った拳の親指を立てていた。
一体何人と写真を撮っただろうか。
一息ついたタイミングで時計を見ると、かなりの時間が経っていた。
あまりに慌ただしかったからか、そこまで時間が経っている実感はなかったのだが。
時計から視線を戻すと、俺たちの教室からメイド服を着た植村がやってくるのが見えた。
白と黒のオーソドックスなカラーリングなのに、俺の物と大差ないマイクロミニのワンピースから伸びた長い脚が非常にエロい。
やはりこのルックスは女体化者と良い勝負だ。天然モノのくせに戦闘力が高すぎる。
「お疲れ様。後は私がやるから休んどきなさい。てかあんた、可愛すぎでしょ。何なの?この猫娘」
「お前に言われたくねぇよエロメイド!もうシフトは終わったのか?」
「うん、お蔭様で大盛況。さっきにょたいカフェを覗いたらかなり賑わってるみたいだったけど、負けてないくらいにはね」
「天然女性ブランドは強力だな…」
「でもあんただって珍しく化粧してて、今日はいつもより可愛いじゃない。マスコット的な意味合いも含んでるけど」
「ん゛むっ…!」
そう言って俺を抱き寄せた。
ふわりとした香水の匂いも零距離では甘ったるく、柔らかい胸の感触とあわせて頭がクラクラする。
…今日はこれをよくやられる日だな。植村に抱き着かれるなんて初めてか?珍しい。
にしても、コイツの乳もまたけしからん。男の頃にこれをやられていたら、そのまま便所に直行だっただろうな、きっと。
「…あんた、無駄に抱き心地が良いね。たまに典子が抱き着いてるけど、その理由が分かったような…」
「何なんだよ皆してマスコット扱いしやがって!身長か!身長が足りねぇのか!?」
「怒らないの。ほら、いい子いい子」
「…チッ」
なでなで。
やっぱり、これをやられると弱い。自分のワンパターンさに嫌気がさすが、本能には抗えないのだ。
「さ、プラカード貸しなさい。買ってくれるなら写真撮らせてあげるって売り方で良いんでしょ?」
「本当は違うんだけどな…まぁ良いんじゃねぇの」
植村にバトンタッチ。こうしている間にも、植村は周りの視線を集め始めている。集客にはもってこいの人材だな。
さて、そろそろ俺もにょたいカフェに行かなければならない時間だ。確か菅原も同じシフトだったと思うし、ダベりながら適当にやろう。
その後は、涼二と二人で出し物を見て回るんだ。
死ぬほど嫌だったウェイトレスをやらなければいけないのに。向かう足取りは、何だか軽い気がした。
シフトの時間、早く終わらないかな。…なんて思ったのは、きっと気のせいだろ。
最終更新:2012年01月18日 15:55