『入浴』

 近所の犬の間の抜けた遠吠えが響く。今宵は満月である。
どこにでもあるような下町の安普請のボロアパート、小さな浴室の窓から白い湯気が
夜の闇に立ち上る。

 ところで、風呂で眠るのは非常に危険なことである。

 眠ったまま気付かず寝返りを打とうとしてバランスを崩し、
意識の無いまま浴槽の中に沈んで溺死、もしくは湯の熱にあてられてそのまま死亡、
しかも浴槽が追い焚き出来る仕様でまた一人暮らしなら、
連絡の無い彼を心配して数日後に訪れた親族が、
浴槽内の湯と限りなく一体化した彼の姿を・・・以下略。

 そして今この浴室にいる彼も、そんな危険な入浴中睡眠を現在進行で行う一人である。
しかしながら本日この世代には珍しい一人暮らしのアパートにて
16の誕生日を迎えた彼には、もう一つの転機も訪れつつあったのである・・・




 朝の日差しを感じ、冷たくなった浴槽内で目を覚ます。
幸い、この風呂は安普請、追い焚き機能など当然ついているはずもなく、
また窓を開け放して入浴したため浴槽の湯が冷めるのも早く、
運よく一命を取り留める、どころか、多少寒さは感じたものの、
すこぶる爽やかに目覚めた彼に、驚きはあっても反省は無い。

「うーむ・・・」

 多少の体の重さを感じつつも、彼は浴槽から身体を起こす。
しかし起き上がってみると、重さが多少どころではない。
それどころか、手足の皮膚下に水がたまったような違和感。
この段になって、彼は初めて反省と恐怖を感じた。

 そして、浴槽から上がった彼は愕然とする。
なんと、彼が立ち上がった浴槽には水がほとんど無いのである。
そして、浴槽の外の床のタイルは、まったく濡れた形跡が無い。
そして視界の隅に入る、
力士の如く異様に出っ張った腹そして、ボンレスとでも言うべき太い手足・・・

 恐ろしい予感が走り、彼は浴室を飛び出す。
部屋全体を揺らす勢いで脱衣所の鏡にとりつき、鏡の中の自分を見る。

 そこには、浴槽の水を皮膚に吸い込んでぶくぶくと太った、限りなく球形に近い、
見たことも無いほどのピザが呆然とこちらを覗きこんでいたのだった・・・

 そして、入浴中睡眠の恐怖をまざまざと感じた彼は数分後、
激しい発汗とともにしぼみにしぼんで元に戻った体型を見て安心・・・
 ・・・できたわけでもなく、水太りの余分な肉の間から現れた新たな肉体に、
これまた聞いたこともないようなメッゾソプラノの悲鳴を上げるのだった・・・

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最終更新:2008年07月21日 01:41
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