『狼子と夢の学園祭』<中夜祭>

日が落ちて夜になり、校内から人気が無くなる。

せめて家に帰ろうとして下に降りてみたが、校門を出るも、街並みがまったく自分の知らないものに変わっており、その中を散々うろついた挙句結局ここに戻ってきてしまった。しかしながら、ここがどこかも分からない以上、下手にうろついて時間を浪費する真似は避けたほうがいい。だったら、多少面倒でもまずここで情報を集めるべきだろう。ということは、眠るとしたら校内のどこかということになる。とはいえ、建物の中は流石に不気味な気がする。屋上で眠るとしたら、寒さが心配な所だが、どうやら今の俺は寒さや暑さを感じないらしい。

どうしようかと迷っているうちに眠ってしまったらしく、気がつくと朝になっていた。

天気は快晴。日差しは強く、校庭の砂をジリジリと焼く様が思い描かれるが、熱は全く感じない。空の様を見て、やはりここの季節は俺のいた場所の冬ではなく、夏であるのだと実感できる。

これからどうしようかぼんやり考えていると、給水塔の下、階下へと続く扉が開く音がする。様子を見ていると、駆け寄ってくる足音。梯子に足をかけ、一段一段ゆっくり登ってくる気配。

「よかった!今日は居た!」

顔を出したのは睦実だった。今にも抱きついてきそうなほどの笑顔だった。

「心配したよ~!一ヶ月も居なかったから、もう成仏しちゃったのかと思ってた!やっぱり未練が残ってたんだね~!」

「おいおい・・・」

「でもよかった~!相談したいことがあったから!」

「ん?ちょっと待ってくれ、一ヶ月ってなんだ?」

「こっくりさんみたいな何が降りてくるかわかんないものより、あなたに相談した方がいいもんねー」

「いや、ちょっと」

「実はさ~、隣のクラスのコのことなんだけど」

「ストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーップ!!!!!!!!!!!!」

流石に大声に驚いたらしく、睦実は言葉を止めて俺の顔を見つめている。なんでこんなアメリカ人の痴話喧嘩みたいなことをしなければならないんだ・・・

それはともかく、言葉の欧州、じゃない応酬は何とかストップしたわけなので、睦実に俺の疑問の答えを問いかけてみる。

「俺とキミが会ってから、一ヶ月経過してるってことか?」

一瞬きょとんとしてこちらを見つめる睦実。

「え?うん、ずっといなかったから出かけてたのかと思ったけど」

呆然としてしまった。まさか、一ヶ月も眠っていたというのか・・・

「ねえ、どこ行ってたの?」

「・・・ずっと寝てた・・・ここで・・・」

正直にそう答える。

「え?でも居なかったじゃん。ほんとはどこ行ってたの~?」

「いや・・・寝てたのは本当なんだ・・・ただ、その間にどこかへ行ったのかどうかまでは・・・ちょっと・・・」

この身体は、眠っている間周囲の目から隠れられる仕様なのだろうか・・・?それとも、眠っている間俺は本当にどこかへ行っていたのか・・・

「そうなんだ・・・」

場に沈黙が落ちる。睦実は目を伏せて何事か考え込んでいるようだ。俺も正直不安だ。何故ただ眠っただけなのに一ヶ月も眠ってしまったのか、また、本当に眠っていたのかどうか・・・

と、睦実が顔を上げる。目には、さっきまでの光が戻っていた。

「ねえ!それで隣のクラスのコのことなんだけどさ」

「・・・」

やはり、分析は自分の手で進めるしかなさそうだ・・・しかしながら、どんな方向で分析を進めればいいものか。大体、材料が少なすぎる。

「ねえ、ちゃんと聞いてる?」

はっとして向き直ると、睦実はなんとも暗い目でこちらを睨んでいる。

「あ、ああ、聞いてるよ」

「でさ、その谷屋君が今誰か好きな人が居るかどうか聞きたいんだけど」

「おいおい・・・」

聞いてから脱力感が増した・・・

「ねえ、いいじゃない!幽霊なんだから色々わかるんでしょ!」

「言っておくが、そういうのはわからん」

「も~、そんなことばっかり言って~」

睦実が引き下がる様子は無い。どうしてくれようこの女・・・

「ねえ、いいでしょ!教えてよ~。テレビでもさ、霊媒師やなんかが霊に何でも聞いて答えてくれるじゃない!」

「それは答えを知ってる霊に聞いてるんだよ!ていうかテレビの霊媒師なんてインチキに決まってんだろが!」

「夢が無いなー」

「夢云々じゃなくて出来ないものは出来ないっての!」

「もー、幽霊の癖にそんなこと言ってー。じゃあいいから一緒においで、・・・ってあれ?」

睦実が俺を捕まえようとでもしたのか、こちらに伸ばした手が空を切る。そうそう、今の俺は幽霊、あちらから触れることは出来ないのだった。

「ふっふっふ。引っ張っていこうとでもしたんだろうが、残念だったなー」

「・・・じゃあいいよ!もう頼まないから!」

そう言うと、睦実は梯子を降りていく。どうやら、本当に行ってしまうらしい。給水塔から降り、階下へと続く扉を開くのを、俺は静かに見送った。

「・・・」

「なんだ」

睦実が、扉に手をかけた姿勢のまま止まっている。一瞬間が空いたかと思うと、急に向き直ってこちらを睨みつけた。きょとんとする俺。

「なんで止めないのよ!こういうときは『待て!』とか言って呼び止めるところでしょ!」

「ん、そうか?じゃあ待て」

「今更言うなーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」





そんなこんなで。

俺は結局折れることになって、睦実について人気の無い校内を歩いている。今はどうやら夏休みらしく、校内には九月の学園祭の準備を進める生徒、それから当直の教員以外は居ないらしい。とはいえ、こんな時期から準備を進めなければならないクラスもそれほど多いわけではないらしく、廊下は進めども進めどもやはり閑散としていた。

何か収集できる情報でもあるかと思って折れることにしたはずだが、この人気の無さではどうやら、その期待も露と消えることになりそうだ。

俺が一人でがっかりしていると、先を行く睦実が立ち止まり、柱の陰に隠れてこちらを腕で制すような姿勢を取った。

「どうした」

「・・・しっ!」

「・・・こちとら幽霊なんだが・・・」

それはさておき、俺より幾分小柄な睦実の頭越しに、俺もまた彼女の視線の先を覗き込む。

柱の向こう、開け放たれた戸の向こうで、男女の生徒が二人、学園祭の準備の一環であるらしい作業をしている。金槌が振り下ろされるたびにカンカンと響く音が耳障りだった。普段なら聞いても平気でいるはずのこの音を耳障りに感じるということは、昔の人が金属を打ち鳴らす音や弓を張る音などで魔を祓ったように、俺という存在のあり方もまたこの音を苦手とするものの領域に踏み込んでいるということなのだろうか。

・・・なーんてトンデモ理論。

教室の外とはいえ、彼らとの距離も随分近いため、耳を澄ますまでも無く会話の内容を聞き取ることが出来た。とはいえ、会話の内容は他愛の無い話題ばかり。俺にとって有意義な情報は得られそうに無い。強いて言えば、男子生徒のほうが睦実のお目当ての『谷屋』という男子生徒であり、また女子生徒のほうは『中野』という名で、口調や仕草からしてどうやら女体化者であるらしい・・・ことぐらいだろうか。どうやら、この世界にも女体化は存在するらしい。

睦実はと言うと、目を飛び出させんばかりに見開き、何かを必死に探ろうとしている様が見て取れる。最もその何かというのは、大方『谷屋』という男子生徒が目の前の女子生徒に気があるか、などということだろうけど。

「ヒソヒソ(・・・ねえ!)」

「なに」

「・・・しっ!」

「聞こえやしないって・・・俺の声、キミ以外には聞こえないんだろ?」

反論すると鬼のような形相で睨まれたので、しぶしぶ俺も彼女のヒソヒソ話に付き合うことにして、彼女の耳元に口を寄せる。

「ヒソヒソ(で、なんなの)」

「ボソボソ(なんかわかった?)」

「ヒソヒソ(・・・なんかって何)」

「ボソボソ(・・・だから!谷屋くんが中野くん・・・じゃない、中野さんのこと好きかどうか!)」

いえーい。当ててしまった。しかし全然嬉しくない。それどころか、へなへな腰が砕けてしまいそうな気分だよ。

「ヒソヒソ(・・・だから!俺はこっくりさんやエンジェル様じゃないっての!)」

「ボソボソ(・・・うるさいわね!幽霊だったらそれくらいポーンと答えてよ!)」

「ヒソヒソ(ポーン)」

「あんたねえ!!」

『じゃ、行ってくるわ』

「「!!!!!!」」

教室の中からこちらに近付いてくる声に気付き、二人揃って咄嗟に柱の死角に隠れる。というか、ここでは幽霊扱いの俺まで隠れる必要はなかったのではあるまいか・・・それはともかく、教室から出てきた谷屋は幸いこちらに気づく様子も無く、廊下の向こうへ去っていった。

「み、見つかるかと思った・・・何しに出て行ったのかな?谷屋くん・・・」

「知らね・・・冷たいものでも買出しに行ったんじゃないのか?今日は暑そうだし」

その後、俺達は何故か気が抜けたようになって、二人揃って床に座り込み、柱に寄りかかった。しかし、こうしているとどんどん何もしたくなくなっていく気がする。それは睦実も同じであるようで、二人で何をするわけでもなく他愛のない話をしてみた。

家族のことや、学校のこと。睦実が三人姉弟の一番上で、下の弟二人には随分悩まされているらしいこと、俺も妹には悩まされているということ。学校での睦実の成績は中の上ぐらいであること、嫌いな先生が居ること。俺の彼女の起こした珍事件の数々(勿論名前は伏せて話しているが)。そんなどうでもいい話で、時を過ごした。

しかし、しばらくすると話題もなくなって、また二人でボーっとしていた。

「ねえ幽霊さん」

「んー?」

「谷屋くん遅いね。いつ戻ってくるんだろ・・・」

「さあな。遠くのコンビニにでも行ってるんじゃないのか?」

「ふーん」

また沈黙。ブラウスの襟元を手で引っ張ってバタバタさせている睦実は随分暑そうだ。俺は温度を感じないから全く平気なのだが。

「ねえ」

「ん?」

また睦実が口を開いた。振り返ってみると、睦実は相変わらずだらしない姿勢のまま首を柱に預けていた。俺もまあ、似た様な姿勢のままではあるが。

「教室の中どうなってる?」

「知らね。気になるなら覗いてみれば?」

「幽霊さんが見て」

「自分で見ろよ・・・」

「見て」

「・・・・・はいはい」

で、渋々教室を覗いてみると、残された女生徒が作業を進めて・・・いるわけではなく、彼女はというと金槌を放り出して、Tシャツにスカートという出で立ちで床に寝そべって寝息を立てていた。なんともだらしないもんだ。まあ、俺も人の事は言えないが・・・

「無用心だねえ・・・」

結局気になって後ろから顔を出した睦実が言った。

「・・・そうだな。女体化者のこういう面を変質者は狙ってくるってのにな。まあ、こんなとこまでわざわざ入って来て悪さしようっていう馬鹿も居ないだろうとは思うが」

「え?中野さんが女体化者だってなんでわかったの?すごい。やっぱり幽霊の力?」

「・・・会話の流れとか仕草で大体わかるだろ。スカートバフバフさせたりさ」

まあ、同じ女体化者を身近な人間として日頃見つめているからな。

「え?あたし元から女だけどそれくらいするよ?」

「・・・」

それはさておき、背後から駆け寄る足音に気付いて、俺達は再び柱の陰に隠れた。・・・だから、俺は隠れなくていいのに・・・まあ、念のためということで。

走ってきたのは案の定、出かけていた谷屋だった。両手に一つずつ、ジュースの缶を握っている。「悪い悪い、遅くなった」と謝罪の言葉を口にしながら教室に入った谷屋は、床で寝息を立てる中野を見るとため息をつき、適当な机の椅子を引いて座った。

プルタブを引く音が響き、谷屋が缶に口をつける。喉を鳴らして飲み干すと、缶が机の上に置かれた。

しばしの沈黙。谷屋は下を向き、何事か考えているようだった。中野は相変わらず、無防備な姿勢で床で寝息を立てている。

と、おもむろに谷屋が立ち上がる。かと思うと、落ち着かなさげに机と机の間をうろうろし始める。

固唾を呑んで見守る俺たちには気付かず、谷屋はうろうろを続ける。ふと立ち止まったかと思うと、寝息を立てる中野の方へ向かう。目の前で立ち止まり、彼女を見下ろすような格好になる。

そこでも何か、考え込むように眉間にしわを寄せ、俯く谷屋。しばらくその状態が続くと、彼はゆっくり、中野に向かって屈み込み始める。彼女を起こそうとしているのだろうか。いや、それにしては目つきがおかしい。これではまるで・・・

・・・。

あれ?これってまずいんじゃないだろうか。

恐る恐る睦実を振り返ると・・・

「ヒソヒソ(おい!お前何消火器なんか持ち出してるんだよ!)」

「え?でも止めなきゃ。ブシューッと一吹き」

「ヒソヒソ(止めるにしたってもっと穏便な方法があるだろうが!お前その一吹きでどんだけ大変なことになると思ってるんだよ!やめろ!)」

「だいじょぶだいじょぶ。一吹きだし」

「ヒソヒソ(ふざけんな!ちょっと出して止めなんてことは出来ないんだぞ消火器は!)」

今にも教室に突入しそうになる睦実を両手で抱えて止めようとする俺。背後の谷屋は、今にも何かしでかしそうな状態。凄まじい突進力でグイグイ押してくる睦実。今にも決壊しそうな俺。後ろの谷屋。押す睦実。守る俺。

『・・・はじめ・・・やめて・・・』

眠っていたはずの中野の声に、一瞬その場が静まり返る。

抱き合うような格好で止まった俺たち。屈んだ姿勢のまま硬直している谷屋。未だ寝息を立てる中野。

どうやら、寝言だったらしい。

谷屋はスッと立ち上がると、額に手を当て、雑念を振り払うように首を振る。ひとつため息をつくと、谷屋は缶の置かれた机に戻り、口の開いていないペプシを手に取ると、また中野のところへ戻る。

しばらく彼女を見下ろしてまた何事か考えていた様子の谷屋は、屈みこむと中野の首筋に、持っていたジュースをひたりと当てた。

『ぃひゃぁ!!!!』

そんな声を上げながら、中野が飛び起きる。それを尻目に、ふらふらと歩き出した睦実についてその場を後にした。





「こっちからは触れないのに、そっちからは触れるなんてずるい」

屋上、給水塔の陰に逃げ込んできた俺は、睦実に睨まれていた。俺は頬をぽりぽり指先でかきながら言い訳を探すくらいしか出来ない。

しかし、意識しなかったせいで気付かなかったが、何故あの時は当然のように睦実に触れて押さえることが出来たのか。あの一瞬で、俺はいわゆるポルターガイストを手動で起こす方法を会得してしまったというのだろうか。しかし、それを睦実に指摘されて気付き、この場で何度も試してみたが、一度も成功することはなかった。あの場限りのものだったんだろうか。しかし、それもまたおかしい気がする。

「そのものの存在を強く意識して『触れる!』って思えば触れるってことなのかな?」

「うーん・・・そうなんだろうか・・・だったら、是非自分のものにしたいところだが・・・」

練習してみる価値はあるかもしれない。それさえ出来るようになれば、俺の姿を認識できない相手とのコミュニケーションの手段になるかもしれない。それはともかく・・・

「・・・・・」

睦実は、またすぐに暗い表情になる。やはり、先ほどの一件が思った以上のショックになっているのだろうか。しかし、中野はともかく谷屋のあの様子からして、彼女に気があるのは間違いないだろう。睦実にはかわいそうな事だが・・・

「ま、まあ、今回は運がなかったが、男なんて星の数ほどいるんだしな。ははは・・・」

俺が咄嗟にひねり出したのはやはり、滑稽な言葉だった。滑稽な半幽霊らしい。どうやら睦実はやはりお気に召さなかったらしく、俺のほうをまた睨みつけてきた。ひきつった笑顔のまま硬直する俺。その場に再び、沈黙が落ちる。

「す、すまん・・・」

「・・・まだわかんないじゃない!」

睦実が声を張り上げ、俺は顔を上げる。相変わらず、俺の顔を真っ直ぐ睨みつけていた。今まで見たこともないくらい強い光がその両目に宿っていて、俺はその場で立ちすくむ。

「谷屋くんのこと、入学した頃から好きだったんだから!中野さんになんか絶対渡さない!!」

叫ぶようにそういうと、睦実はすっくと立ち上がり、下への扉へ向かう。

「・・・ついこの間までただの友達だったくせに、女の子になっただけですぐに恋人候補になっちゃうなんて、あたしは認めない」

俺は何も言えず見送るくらいしか出来なかった。

「・・・学園祭の日、告白するから。絶対負けない」

扉が閉まり、屋上には俺だけが残された。日はもう、傾きかけていた。

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最終更新:2008年07月21日 02:37
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